2.勇者さまは好き嫌いありません
「キミと同じ名前の、勇者リンデって知ってる?」
ミュウナは母親のモモコ・エクォトお手性の勇者さま人形を自慢気に前へ、ぐっと突き出した。
自分と同じ色の髪、両目の代わりにつけられた青磁色のボタン。
この国の人には珍しい色の組み合わせに、リンデは驚きながら頭を横に振った。
「ううん……」
「じゃあ教えてあげる!来てきてっ!」
「あっミュウ!」
戸惑うリンデの手を取り、呼びかけるモモコに背を向けてミュウナは私室へ走る。
大きな扉を開いた先には、勇者さまのぬいぐるみや布で出来た剣などで溢れていた。
ソファやベッドの上に置かれた自分にそっくりなそれらに、リンデはたじろいだ。
ベッドに置きっぱなしだった絵本を抱えながらソファに座る。
「ここ座って。わたしが読んであげるね!」
「……うん」
ミュウナは、リンデにも絵が見えるように本を開いた。
そして、リンデという一人の青年が自己犠牲の末世界に平和が戻るという『星になった勇者』を読み始めた。
「『よろこんでいのちを』っ…………」
勇者が魔王の心臓へと剣を突き立てるシーンで、物語を読み上げる幼い声が止まる。
悩むことなく自身を捧げる勇者の言葉に、ミュウナの胸の奥はズキズキと痛みを増していった。
(どうして…………ゆうしゃさま……)
絵は既に勇者が黒いもやもやに剣を刺している。
「うっ…………うぅっうわぁ〜ん!ゆうしゃさま死んじゃイヤ〜っ!やだやだ〜!」
「っ!?」
涙でもう何も見えなくなって、ミュウナは泣きじゃくりだしてしまった。
びっくりして目を丸くしたリンデが何もできないでいると、泣き声を聞きつけたモモコが部屋へ入ってきた。
そっと腕で抱き上げて、小さな背中をとんとん優しく叩く。
「ほらほら、大丈夫だよ〜」
「おかあさまぁぁ…………ゆうしゃさまがぁ……うわぁ〜ん!」
「ミュウナが勇者さまを守ってあげるんでしょう?」
「ん……まもりゅっ……ひっく、ずびっ、ゆうしゃさまぁ……」
「ね、もう泣かないの。ミュウナは強いから、勇者さまと同じ名前のリンデも守ってくれるよね?」
「んっ……つよいもん……」
モモコはコクコク頷くミュウナの髪にキスを落として、ソファへと下ろした。
何度も目を擦って涙を拭き取る愛おしい娘から、隣りに座っておろおろしている男の子へとモモコは視線を移す。
「―――リンデもこの勇者さまみたいに、守ってくれるよね?」
「…………うん」
見たことのないほど漆黒の髪に、ミュウナと同じ透き通ったグレー混じりの透明感のある茶色の目は、肯定以外の言葉を聞き入れるはずもなかった。
「あっ、おっこちちゃった」
その日の夕食、ミュウナは皿に沢山のっている嫌いな赤い野菜をフォークで器用にはじいて床に落とす。
わざとじゃない風を装って残念そうに眉尻を下げると、ミュウナの父親であるエシドが微笑んだ。
「大丈夫だよ、ミュウ。ゆっくり食べなさい」
「そう。まだまだいっぱいあるんだから大丈夫よ」
「!」
ニヤリと黒い笑みを浮かべたモモコからぐるりと顔を逸らすも、滝のように流れ出る冷や汗で、ミュウナの背中は冷たくなった。
(バレた!? バレて、ない……?)
同じことを三回も繰り返す娘のバレバレな好き嫌いに、両親は最終手段に出るしかなかった。
ミュウナが大好きな勇者を切り札として引き合いにだす。
「ミュウ知ってる?勇者さまってご飯を大事にしない人が嫌いなんだって」
「えっ!」
「ミュウも好き嫌いしてられないね〜」
「…………」
ミュウナは、隣の椅子に座らせた勇者さま人形のボタンの目と見つめ合う。
心なしか人形から『ミュウ、好き嫌いはだめだよ〜』なんて声が聞こえる気がする。
「ウッ……わたし、好き嫌いしたことないよっ!」
ミュウナはフォークを強く握りしめ、グレー混じりの透明感のある茶色の目に涙を浮かべながら赤い野菜を沢山口に入れた。
(ぜんぜんおいしくない…………あっ、良いこと考えたっ!)
濁ったミュウナの虚無の目に、二つ隣りに座ったリンデの皿が映った。
既に赤い野菜はなくなっていて、メイン料理であるお肉だけが皿に載っていた。
残りの赤い野菜をポイポイっとリンデの皿に投げ入れる。
「リンデ!いっぱい食べて大きくなってね」
「こらっ!嫌いだからってリンデの皿に入れないの!あっミュウナどこに行くの!?」
「またデザートのとき呼んで〜!」
勇者さま人形と手を繋いで走って逃げるミュウナを追い掛けることもできず、両親はため息をついた。
「ハァ…………もう、ミュウったら。リンデごめんなさいね。嫌いだったら残してもいいのよ」
「ううん、ぼく食べられます」
「リンデは本当に良い子ね……」
ミュウナが人見知りもせずリンデと仲良くやろうとしてくれているのは伝わるが、こんなふうになってしまうと教育には良くない。
モモコが頭を抱えていると、夫であるエシドの大きな手が重ねられた。
「まあまあ。兄妹みたいで良いじゃないか」
「……そうね。あとはあのオタク魂だけ落ち着いてくれれば…………」
「オタクダ……?」
「いいえ、なんでもないわ」
重ねられた手をきゅっと握りしめ、モモコは柔らかく微笑んだ。