序章 第八話
*剣術
貴族の男子が護身術や嗜みとして教えられる事が多い。ちなみに帯剣は未だ一般的である。
「お前の処刑は今日の夕刻執り行う。最後に何か伝えておきたい事はあるか?」
翌日の昼頃、ジーノは父ラバンにそう問い掛けられた。彼は至極落ち着いた様子でその質問に答える。
「マリアに今日会えなくなったと伝えておいてくれると助かるな」
「それは無理だ。王族にはお前が事故で死んだと伝えるからな」
ラバンが冷淡にそう告げる。しかしジーノの要求が飲めないのは当然だ、事故で死んだ人間が遺言を残せる訳がないのだ。普段から命を狙われているのならいざ知らず。
「・・・ジーノ、今日はお前の食べたい物を用意してやろう。何が良い?」
「これから殺すって奴に聞くのがそれですか?」
「最後の晩餐という奴だ。最後くらい願い事を聞いてやる」
「じゃあチーズを。レイリーさんとこの羊の奴」
「分かった。用意しよう」
そう言ってラバンが扉の前から去っていく。
沈黙が部屋を支配していた。だがその後それをぶち破るかのようなノック音が監禁部屋に響いた、それは扉からではなく部屋に備え付けられた小窓からである。驚いてジーノがそっちの方を見るとそこには見慣れた彼女の姿があった。
「え!?マリア!?」
そこにいたのはジーノの最愛の人、マリアである。彼女は小窓の方をバンバンと叩いてその存在をアピールしている。ジーノはマリアに静かにするように伝えながらその小窓を開けた。
「マリア、何でここに?」
「何でってあなたが昨日、今日の朝方に私のとこに来るって言ってたからよ。けど待てど暮らせど来ないからロメーネに連れてきてもらったの、貴方約束を破った事が無かったから何かあったんじゃないかと思って」
そう言って自分の後方を指差すマリア。そこにいたのは二メートルはあろう巨大な黒い狼の姿である。その背にはロメーネが乗っており黙って二人のやり取りを聞いている。
「ていうかジーノ昨日何かあったの?なんか寝不足みたいだけど・・・」
「あぁ、昨日は中々寝れなくてね」
「ふぅん、それはあれかしら、良い精霊と契約できて興奮しちゃったのかしら?」
そう問いかけられたジーノは本当の事を言うべきか迷った。自分が悪魔憑きだと告げたら彼女との関係は間違いなく終わるだろう、悪魔憑きとはそういうものなのだ。
終わってしまうのは怖い、けれどジーノは彼女には真実を話す事にした。彼女が愛するジーノとして死ぬよりも、彼女に嫌われたジーノとして死んだ方がマリアに心の傷は残らないだろうと彼は考えたのである。
「・・・違うんだ。俺は悪魔に選ばれてしまったんだ」
「悪魔?」
そう尋ねられたジーノは傍らにあった漆黒のグリモワールをマリアに見せつける。
「え?これって・・・?」
「そうだ、俺は悪魔に選ばれたんだ。俺は不幸をもたらす存在になってしまったんだよ」
「それはまぁ、なんというか・・・」
「ははっ、まぁそういうことだ。分かったら帰った方が良い、もうすぐ見回りの衛兵が来るだろうから。俺は死ぬ前にマリアの顔が見れて満足だ」
儚さも諦観の色も彼には一切浮かんでいない、ジーノはただ心の底から嬉しそうに笑っていた。死ぬ前に別れの言葉が言えたならそれで良かったのである。
しかしそれを聞いたマリアはどうだ?ジーノの告白を聞いたマリアを満たしていたのは怒りであった。声を荒げることは無かったがその心は確かにふつふつと苛立っている。
「・・・あまりふざけないでよ」
「すまない、君の期待を裏切るような・・・」
「そういう事を言ってるんじゃないのよ」
そう言って赤いモノクルを外すマリア。彼女はジーノの発言に苛立っていた。それは彼が悪魔に憑かれたからでは決して無い、自分を置いて先に死ぬ事を当然の様に受け入れようとしているジーノの態度に無性に腹が立っていたのだ。彼をこんな目に合わせたフィンチ家にもその感情は当然湧いていたが結局の所はそこに向いていた。彼女の気持ちは悪魔に憑かれたからさよなら出来る程軟な物ではなかったのである。マリアが外したモノクルが仮面の姿を模す、ジン本来の姿だ。
「ジーノ、ちょっと壁から離れてて」
「え?何で・・・」
「いいから。さぁジン、出番よ」
「うむ!!」
そう返事をして元の体躯へと戻るジン。それを見たマリアは黄色いグリモワールを開いた。
「第一の呪文、ラウル!!」
その詠唱の刹那、虚空より現れた巨大な丸レンズが太陽の光熱を吸収し、溜まったエネルギーを光弾として発射する。その光弾は監禁部屋の壁を爆音と共に吹き飛ばし、頑丈なレンガ製の壁を跡形も無く消し飛ばす。
「マリア!?何やってるんだ!?」
「見て分からない?壁を壊したのよ」
「そんな事は見れば分かる!!何故壊したんだと聞いてるんだ!!」
「貴方に死んでほしくないからよ!!」
そう叫ぶマリア、ジーノにもロメーネにも事は隠密に運ぶ様言われていたが今更そんな事はどうでも良かった。
「私は貴方が好き、だから死んでほしくないのよ。そんな事も分からないの?」
「だけど俺は悪魔憑きで・・・」
「関係無いわ!!あなたは私が悪魔憑きだと聞いても綺麗だと言ってくれた!!私はあなたが悪魔憑きだろうと関係無いの!!」
マリアが決意に満ちた表情でそう言う。普段はあまり表に出さない自らの心情を一切隠さず吐露していた。
「私もロメーネも貴方に生き延びて欲しいって思ってる、悪魔憑きだろうと何だろうと関係無い。だからどうか、この手を信じて捕まってちょうだい!!」
マリアが壊れた壁から手を差し出す。もうジーノも迷うことはない、彼は一瞬の逡巡もなくその手を取った。
「何の音だ!!」
そしてちょうどそのタイミングで屋敷の警戒にあたっていた衛兵が騒ぎを聞いて駆け付け始めていた。感動の再開だがそれを噛み締めている時間は今は無い。マリアはジーノの手を握ったまま急いでロメーネの手を取った。
「ジーノ、絶対にこの手を離さないで。ロメーネ、呪文を」
「畏まりました、行くよクロ。グリフォ・ウィンガ!!」
ベージュの本を開き呪文を唱えた刹那、黒い狼ことクロの背中に猛禽の翼が生える。クロはそれをはためかせながら天空へと飛翔した。