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第三話「呪い」

「あの……お話しと言うのは?」


 庭の木の紅葉は確かに今が見頃で美しかったが、私はそれを楽しむ余裕もないままルーカス様に問い掛けた。


「うん、この際はっきりさせておきたいんだけれど、俺は君との婚約を破棄するつもりは全くないからね」


 途端、私にあった全身の緊張が抜け落ちる。思っていた以上に私は、ルーカス様がアンジェリカを選ぶ事を怖れていたらしい。

 脱力し、うっかりよろけてしまった私を、ルーカス様がふわりと抱き止めてくれた。


「そんなに心配だったのかい?」


「そうみたいです……」


 少しはにかんでそう返事をした私に、ルーカス様は「だとしたら」と、真面目な口調で言葉を続けた。


「今回のアンジェリカの我が儘を、君は一度も拒もうとしなかったそうだけど、それは何故なの?」


「えっ?」


 ルーカス様が不審に思われるのも当然な事だった。アンジェリカの我が儘を唯々諾々として受け入れる婚約者に、不誠実を感じても不思議ではないのだから。

 いやむしろ不快に思わないはずがない。


「君にとって俺との婚約は、それほど大事なことでは無いのかな?」


 少し寂しそうに仰っられたルーカス様に、私は断固として違うと答えた。


「そんな事はありませんわッ! 私にとってルーカス様は本当に大切なお方ですっ」


「そうか、そう言ってくれて安心した」と、仰ったルーカス様は、嫌な事を訊いてすまなかったと謝罪なさる。

 私は謝罪を頂いて、かえって狼狽してしまった。


「そんな! そもそも私がいけないかったのですわ、ですから謝罪などなさらないで下さいまし」


「うん、分かった……でもさ、それじゃあ尚更に君の行動が俺には不可解だよ」


 ルーカス様は改めて、私が二人の婚約をアンジェリカから守ろうとしなかった事への疑問が湧いてきたのだろう。だから私にその理由をお(たず)ねになられたのだが──


「それは……自分でも分からないんです」


「えっ? 分からないだって?」


「はい……」


 その様にしか答えられなかった私に不審を募らせたルーカス様は、「それは答えたくはないと言う意味ではないんだよね?」と念を押された。

 もちろん私も答えられるのなら答えたかった。しかし妹の我が儘を当然のように受け入れて、それを拒まない事も当たり前になっている私には、拒む理由がなかったのだ。


「ちょっと待ってレイラ! 君は本気でそう言っているの?」


「ええ……やっぱり異常、ですよね……」


 途端、呆然として息を飲んだルーカス様は、絞り出したようなお声で「君たち姉妹の間で一体何があったんだい?」と仰った。


「確かに俺には異常の様に思える。アンジェリカの度が過ぎる我が儘も異常だけれど、それ以上にレイラがそれを拒めない理由が分からないのはもっと異常だよ。人間なら感情があるはずだろ? 君にだってあるはずだ」


 そうルーカス様に指摘されて、私は戸惑ってしまった。実際私にだって感情はあるのだ。今だってルーカス様の厳しい態度が少し悲しくもあるし、申し訳なくもある。

 だけど、こと妹に対しての感情となると、私の心は(もや)がかかった様に何も見えなくなるのだ。ただそんな時、必ず私はあの小鳥の声を聴くのだ──


「カナリアの鳴く声が聴こえるのです」


「カナリアの、声?」


 (まぶた)を伏せて頷いた私は、幼い頃にアンジェリカの飼っていたカナリアを死なせてしまった時の話をした。

 そのとき私が悲しんで泣く事を妹に禁じられて以来、そのカナリアの鳴き声が聴こえる様になった事を。


「つまり君は子供の頃に事故で死なせてしまったカナリアが、今でも自分を責めている気がしているの?」


「いいえ、そんな事はもう無いですわ。本当にまだ幼かった時の話ですし、カナリアには可哀想な事をしましたが、私も子供だったので──ただ、そのカナリアに見られていると思うと、自分の心を隠したくなるのです」


「それは、なぜ?」


「多分、ですけれど……私の心をカナリアに見せてしまうのが、とても罪な事のような気がするからです」


 するとルーカス様は深く溜め息を吐かれ、眉根を寄せて仰った。


「なるほど、そう言う事か……」


 ルーカス様が何に合点(がてん)がいったのかは分からないし、それを訊く勇気も私にはない。だから、ひたすら不安で俯く事しか出来ないでいる。

 だって、何だか私の頭がおかしくて、変な女だと嫌われてしまった様な気がしたものだから。


「君が素直で真面目な人なのは、子供の頃からずっとの事だったのだね」


「そうなのですか?」


「はは、まるで他人事みたいに言うなあ」


「あっ、すみません」


 そんな間の抜けた返事をする私に、ルーカス様は優しく微笑まれながら仰った。


「でも、笑い事じゃすまされないよ。レイラの心の傷……いや心の呪縛と言うべきものを何とかしないと、君は本当に不幸になってしまう」と強く仰っる。


「それにしても残酷な話だな。これじゃあカナリアも成仏できなかろうさ」


──残酷な話。


 実際その通りなのだから仕方ないけれど、それでも(じか)にルーカス様の口から聞かされたその事実は、私の胸を苦しくさせた。


「はい……私は残酷な事をいたしました」


 ところが。


「いや、そうじゃない。残酷なのはアンジェリカの方だ」


 ルーカス様の意外なそのお言葉を、私は理解できずに目をぱちくりとさせてしまう。


「だってそうじゃないか。君はその時カナリアの死を悲しんで泣きたかったのだろ? だけどアンジェリカはそれを許さなかったんだよね?」


「ええ……」


「それはつまりレイラの感情をアンジェリカが奪ったと言う事だよ。こんな残酷な事ってあるかい?」


 私の感情をアンジェリカが奪っただなんて、そんな風に考えた事は一度も無かった。

 だけど確かにあの時、私はカナリアが死んだのが悲しくて、ただ泣きたかっただけだったのだ……


「泣くのは自分だけが相応しいと思ったアンジェリカは、同じ様に泣きたかったレイラの気持ちが邪魔だったのだろうね。まあ、子供によくある理不尽さだと言えばそれまでだけど──でも真面目過ぎる性格の君にとっては不幸にもそれがカナリアの死と結びついて、いつしか呪いになってしまった様だな」


「呪い……ですか」


「ああ、呪いだ」


 何だかとて恐ろしい話の様に思う。自分の知らないところで、自分が呪いにかかっていただなんて。

 私は自分の目に恐怖が宿るのを感じながら、ルーカス様を見つめた。でもそう仰ったルーカス様の目は思いがけないほど優しくて。


「いいかいレイラ。死んだカナリアは戻らないんだ。でもそれでいいんだよ。もう一度、ちゃんとカナリアを死なせておやり」


「えっ? 死んだカナリアは戻らなくていい……のですか?」


「うん、いいんだ。カナリアは死なせてやらなくちゃいけない。そうすれば君のその呪いも解けるはずだから」と、ルーカス様は仰ったのだった。



  ◇*◇*◇



 あの日、そう言葉を残してルーカス様がお帰りになられてから、私は何日もその言葉の意味を考え続けていた。

 だけれど死んだカナリアは戻らないとはどういう意味なのか、未だに分からないままでいる。


 いっそルーカス様に訊こうとも思ったが、それなら初めから私にも分かる様に話してくれたはずなのだ。

 自分でその意味に辿り着く事を、きっと望まれているに違いない。そうでないと私の呪いは解けないのだろう。


 テーブルに置かれたティーカップの中の紅茶は、一口も飲まれないままに冷めてしまっている。

 しかし喉の渇きを覚えた私は、冷めたのも構わずに紅茶を飲み干した。


 ところで、あれからアンジェリカの荒れようは大変なものだった。さすがにルーカス様への誹謗は(はばか)られた様だが、その分私への逆恨みは激しくて、茶会などで私を悪女だと決めつけて悪口を吹聴しているらしい。

 もっともそれを真に受ける者は殆どおらず、むしろ姉の婚約者に横恋慕(よこれんぼ)した愚かな妹だという噂がたち、かえって陰口を叩かれる始末であった。


 確かにアンジェリカは愚かなのかもしれない。だけどその愚かな妹の我が儘を拒否出来ない私は、もっと愚かなのだと思う。

 ルーカス様はそれを呪いのせいだと仰ったけれど、呪いの正体とは一体何なのだろう?


 こうしている今でも、ルーカス様の婚約者が私ではなく妹でもいいと思う気持ちが残っている。

 でも、そう思う気持ちは本当におかしな事なのだろうか。


──いいえ、そこに疑問を持つ事自体がきっとおかしいのだわ。


 妹と私は別人なのだ。それを妹の我が儘に応える為に何でも譲って、結局はどちらでも同じだからと私自身で自分を消してしまうのはやはり異常の様に思える。

 だけど、その時になると決まってカナリアの鳴き声が聴こえてきて、私は何の躊躇もなく妹の要求に答えてしまうのだ。


──そう、あのカナリアの鳴き声なのだわ。


 アンジェリカもあのカナリアの鳴き声を聴く事はあるのだろうか? それとも死なせてしまった私だけに聴こえるのかしら……

 私は何故だかそれを確かめたい気持ちに襲われた。ルーカス様が死んだカナリアは戻らないと仰った言葉の意味を、妹はどう受け止めるのだろうかと。


 そもそもカナリアの死がこの呪いの始まりだったのだ。ならばもう一度そこに立ち返ってみるべきなのだと思う。


──このままだと私は不幸になるとルーカス様は仰った。


 私の妹に対する異常を正す為ならば、今は何だって試してみるべきだ。

 そう考えた私は、姉妹の関係が今の様になってしまった、始まりの場所へと戻る事にしたのだった。

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