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とある書き手のエッセイ集

「そもそもエッセイとは何か」というエッセイ

作者: 空野 奏多

 初めまして、またはこんにちは!

 私しがないエッセイ好き書き手です!


 エッセイに関しては書くのも読むのも好きなので、たまに出没しております。面白いよね!


 そんな私は、エッセイの感想欄も見るのが好きです。ひゅー! 盛り上がってんなー! と、思うものもありますね。主にランキング上位だけど。



 しかし中には、そうではないものもあります。



 エッセイは比較的誰でも手を出しやすく、書きやすい部類だと思うのですがーーそういったものは、何かズレがあるのかもしれません。




 そもそもよく考えたら。

 エッセイとは何か、分かってないのでは?




 なんとなくでも書けるからこそ、言葉にする人が少ないと感じました。あっても随分、ふんわりしております。


 小説の書き方はいくらでもあるのに……なろうにおけるエッセイの書き方はあまり語られていない。



 エッセイは手に取られやすい。

 反応も、もらいやすい。

 きっと筆者もそれを望んでいると思います。


 (実際私はまぁまぁ書いて、結構反響もらっている……と思っている。気のせいでなければ。少なくとも小説よりは多いよ……!)



 だから、それではもったいない。



 そこで。私の考えるエッセイというものを、言葉にしてみたいと思います!




 私の考えるエッセイとは、以下のものです。




・主義主張の塊

・ただの質問ボックスではない

・論理性、具体性は必要

・書き方は自由

・意見は自由

・正解はない

・話が盛り上がることに一番価値がある




 それではそれぞれ、詳しく述べていきます。




〈主義主張の塊〉

 これは他のところでも話した事があるのですが。

 まずエッセイというものには、なんらかの『主張』が必要となります。



 つまり、『言いたいこと』です。



 小説だってそうなのですが、これがないとあまりにふわふわすぎて、何が言いたいんだ? となります。


 もしかすると、それが筆者の中でも定まってないから、反応がないものもあるかもしれません。


 ですのでまず『言いたいこと』は何か、自分の中ではっきりさせてから書くべきです。そして、それに説得力を持たせるよう肉付けするのです。




〈ただの質問ボックスではない〉

 これは先ほどの話にも通じますが、『言いたいこと』がないとなりがちです。



 エッセイはチャットではありません。

 必要なのは、筆者の『主張』です。



 ですから『意見を求める』のは良いですが、『主張』がなければなりません。


 例を挙げます。



「私は〇〇するけど、みんなはどう?」



 これはただの質問です。残念ながらエッセイの形にはなりませんので、反応がない場合が多いかと思います。


 この形で書きたいのであれば、ジャンルはその他かなぁと個人的に思います。


 エッセイとして直すなら、こうです。



「私は〇〇だと思うけど、みんなはどう?」



 これならば、『主張』が入るのでエッセイです。似ているようで違うのです。質問ではなく、伝えたい事がなくてはなりません。


 『意見を求めるの』は、エッセイとして悪くないと思います。なので『主張』に関してだけ、留意すれば良いと思います。




〈論理性、具体性は必要〉

 まぁこれは、意見が分かれるかもしれません。けれどエッセイが『主張』である以上、本来は必要だと思います。



 何かを『主張』するということは?

 何かに『同意を求める』行為。

 または、『意見を求める』行為です。



 それなら、『何故そう思うのか』は必要ですよね? だってそれがないと、ただの感情のぶつけ合いでしかなくなってしまいます。


 そもそも通常は『主張』に道理を持たせて、相手を納得させるものです。


 ならば論理的や具体的に話さないと、説得しようがありません。これがないのは説得する気がありません。ただの感想文です。


 なのでエッセイを書こうとするなら。



「こういう主張! 何故ならこうだから!」



 というのを、分かりやすくすると良いと思います。その方が相手も「そうだね!」や「違くない?」と、言いやすいです。




〈書き方は自由〉

 私が先ほど述べた「こういう主張! 何故ならこうだから!」は、ノーマルな書き方になります。


 しかし他にも書き方はあって、分かりやすいところですと日記形式のものがあります。



 日記って、主張なくない?



 そう思った方は、半分正解です!

 しかし、半分ハズレです。



 何故なら日記にも、『感想だけのもの』と『主張が隠れてるもの』があるからです。


 日記形式の場合の例を挙げます。



「こういう事があって、嫌だった!」



 これは感想です。日記ではありますが、エッセイではないと思います。嫌だということしかわからず、『主張』がないのです。


 では、エッセイになるのはというと。



「こういう事があって、こう思う!」



 これならば、『主張』があります。自分が思っている事が明確で、感想だけでは終わらない。意見を述べています。



 「嫌だった」も『主張』じゃないかって?



 たしかに『同意を求めるもの』ではあります。しかし「そうなんだー」しか思わないものは、人の意見を求めません。『主張』としては、弱いのです。


 そして後で話しますが、エッセイは『発展性』がないといけません。


 それに当てはまらないので、感想だけではエッセイにはならないのです。エッセイ=随筆です。徒然草は、感想だけのものではなかったはずです。


 ただし一見、感想に見える日記形式でも。

 なろうの場合エッセイになるものがあります。



 それは「あらすじ」や「タグ」に、主張があるものです。



 例えば、なんでもない日記があります。

 しかしタグに、「平和」とあったら?

 それは「平和」を訴えるものです。


 この場合『主張』がありますので、エッセイになり得ます。ちょっと高度テクですね! 初心者向けではないですが、アリです。




〈意見は自由〉

 これはどの『主張』ーー筆者も読者も、自由に意見できるという事です。



 優しく語りかけるのも。

 激しく糾弾するのも。

 『主張』と『論理性』があるなら良し。



 ただし、相手へ敬意を払う事。



 最後の敬意は、エッセイとかいう以前の問題ですね。人として、です。


 反論するも同意するも。

 別の意見を述べるも、自由です。


 しかし「こういう考え自体がダメ」だとか、「こういう奴がいるからダメ」だとか。論理性を欠くなら、ただの悪口。感情です。



 感想だからいいだろう、という方。

 人としてダメです。

 叩くのは、エッセイに対してだけです。



 納得できない意見もあるとは思いますが、純粋に論点がズレています。それ、筆者以前に他の人も「あーやっちゃってんな……」と思ってます。


 当然筆者が感想を返す場合もそうでしょう。その一言であなたがせっかく書いたエッセイを、台無しにしないで下さい。残念すぎます。


 これも後で話しますが、なろうにおけるエッセイは感想欄さえも含みます。誰でも見られるから。ここも、エッセイの要素に含まれているのです。


 事実私の場合。



 エッセイに感想返してからが本番の時があります。

 評価が急に上がることが、あったりします。

 『主張』の強いエッセイほどその傾向があります。



 これは感想に返信することで、また『主張』が肉付けされるからかと思います。感想返信が上手い人や、無駄に煽る人のエッセイは伸びる気がします。


 煽れ! っていう話じゃないので悪しからず。



 読者との交流は、互いの『主張』の場。

 そして擦り合わせの場でもあるかなと思います。



 返信で納得できるかは相手次第ですが、その返信は他の人も見ているわけです。その人は共感しなくても、他の人が共感することがあり得るのです。




〈正解はない〉

 筆者の意見が正解なのは、「国語」の授業やテストだけです。



 それは筆者の『主張』でしかありません。

 それを読み取るだけでは、「国語」です。

 エッセイは『意見を求める』ものです。



 だから、その『主張』が正解だと思う必要がありません。反論してもいい、もちろん同意してもいい。別意見を述べても構わない。



 ちなみに。


 私がなろうのエッセイで面白いな、と思ったのは「それ以外の感想」があること。



 割とある、というか。

 筆者の『主張』が見えにくい事も、あるのかもしれないのですが。


 エッセイの『主張』のために例に使った、その例に対して「感想」を述べる方々がいます。



 これは「国語」ならアウトです。

 でも「エッセイ」なら間違いではない。

 何故なら、正解がないから。



 主に『主張』をぼやかしたり、例を沢山用いた巧みな文に多いかもしれません。例が多ければ多いほど、身近であればあるほど反応しやすいのでしょう。


 もしかしたら筆者は、『主張』に対しての『意見を求めている』かもしれませんが。私も最初は人のエッセイの感想欄を見て、「論点……」と思いましたが。


 私が凝り固まり、間違ってました。




 これはエッセイで、「国語」じゃない。




 人の考えは、十人十色です。

 感じた事をそのまま書いて良いです。

 たくさん考えられるのは、良い事です。



 それにより、筆者も考えが広がります。


 だからある意味、こういう文は美味しいなぁと思うのです。私はあまり、そういうのは書けていない気がします。反省点ですかね……。


 正解がないから許される、以外にも当然理由はあります。ほぼ話してしまいましたが、この次のところで詳しく話しますね。




〈話が盛り上がることに一番価値がある〉

 さて。これこそ私が最後に考える、エッセイにするために必要な要素です。後であとで、と回してきたものはこれが理由になります。



 何故、話が盛り上がるといいのか?

 それはエッセイの内容について。

 『考え』、『意見』を述べているから。



 エッセイの本質はなにか、というとここに帰結します。つまり、『考える』事が一番大事なのです。



 筆者が『考えた』『主張』や『意見』を述べる。

 それに対して読者が『考え』、『意見』する。

 そしてまた、それについてみんなが『考える』。



 この流れが、エッセイにおいて大事だと考えます。


 「この話題について考えてほしい」が、本来のエッセイの『主張』です。そこには『発展性』があります。なろうの場合、さらにそこから盛り上がれます。


 それを達成するなら、もうどんな形で盛り上がろうがーーエッセイとしては成功しているのです。



 乱暴に言ってしまえば、たとえ炎上しようと。

 『主張』と『論理性』があれば、エッセイです。

 まぁ、その内容に同意するかは別ですが。



 これが、なろう的エッセイの形だと思います。


 ネットならではだし、感想があるからこそですね。感想まで含めたサイクルです。先ほども述べましたが、返信することで『主張』が深まっていくのです。


 だからエッセイで、感想欄を閉じちゃってるのはもったいないなーと、思わなくもないですが……でも個人の自由ですからね。



 『発展性』の面では、個人的に残念ですが。

 しかしエッセイとしては成り立ちます。


 『主張』と『論理性』さえあれば。



 本来のエッセイの形は、ここまでです。普通なら感想なんて、人からは見えませんから。なろうが特殊とも言えます。でも私はそこが好きである。




 それでは長く話しましたが、結論を言いましょう。




 意見を述べて。

 考えさせる文を書いて下さい。

 それこそが、エッセイの本髄です。



 エッセイとは、人の考えを広げるものです。素晴らしいね! だから好きだよ‼︎


 さぁみんなエッセイを書いて、エッセイを読もう!

 ちなみにこのエッセイでいうなら主張は、「エッセイとはこういうものだ!」ということです。ずっとそれについて語ってます。


 同意するかどうかは、その人次第ですが。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良いエッセイでした。 #日南田ウヲ
[一言] なるほどなぁ、と頷きながら読ませていただきました。 エッセイって何かしら旬を主張があったほうが印象に残りますからね。 エッセイ読んだー!って気持ちになれる。 感想返信で評価が変わるのもなん…
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