記憶というもの
被害女性が自分の名前も年齢も住所もわからないということで、記憶喪失だと判断した医師は、脳に異常がないかと思いMRIを受けさせることにした。
しかし、検査の結果脳に目立った異常は見られなかった。
視点を変えて、記憶喪失とはなんなのかと思い、今度は精神科医の元を訪ねた。
医師は精神科医に女性のことを一通り話した。
「記憶喪失ね…」
精神科医はそうつぶやき話し始めた。
「実はね、記憶喪失はいつ誰にでも訪れてもおかしくないことなんだ」
「そうなのか?」
「うん。例えば、ひどい虐待やいじめに合っている子どもが痛い思いから逃げるために、その間だけ頭をまっさらにして覚えないようにするとか、もしくはもう一人の自分を作って辛いことはそっちに押し付けるとか、いわゆる二重人格ということだね」
「なるほど」
「あとは…その人にとってとてつもない精神的ダメージを受けたときかな。家族を突然亡くしたとか恋人や配偶者と別れたとか会社をクビになったとか。その場合は一口に記憶を無くすとしても、その前後だけぽっかり穴が空いたように無くなってるとか、生まれてから今日まで全てをきれいさっぱり忘れるなんてその人によって差はあるんだ」
「結構難しいんだな」
「そうそう。まぁその彼女が事故のショックで記憶を無くしたのかその直前にそういった出来事があったのかは今のところわからんが…また時間が合うときでいいから、一度彼女を診察させてもらえないか?」
「ああ、もちろん。そのお願いをしに来たんだ」
「ところで、ご本人はどうしてる?」
「様子を見ている看護師によると、ずっとボーッと外を眺めているようだ」
「食事や排泄は?」
「問題ない」
「了解。じゃあまた都合のいい日を連絡する」
「わかった。ありがとう」
そういって医師が診察室を出ようとしたら、精神科医はまた話し始めた。
「でももしかすると、何らかのきっかけであっさり記憶が戻ってくるかもしれないんだ」
「そうなのか?」
「例えば、TVを見ていて昔好きだったタレントを見たり、青春時代に聞いていた音楽を聞いていきなり思い出すなんてこともあり得るんだ。まぁこれは相当運がいいパターンだか。それくらい記憶は繊細で複雑なんだよ」