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ホットケーキ・ミックス。安いよ安いよ!

 俺の記憶は未だ回復しない。ただ、今は退院して仮住まいの集合住宅で暮らしている。

 病院で目覚めてから、今日でちょうど二週間だ。

 2XX9年2月14日。日付はステータス画面上部に《その他》メニューの《オプション》から表示設定して確認している。バレンタインなんて気分ではないが、ゲームの外から来た人間たちは陽気にチョコのやり取りに忙しい。

 やはりここはゲームなのだ。《ログイン》や《ログアウト》という言葉、そして実際に《ポータル》という中継点から出入りしている光景が全てを物語っている。

 タイトルは《アップル・ハート》。およそゲームらしくはないが、人々の話からどうもそうであるのは間違いないようだ。ユーザーたちにはアプト、だのAHだのという略称で親しまれている。

 なんてことはない。

 俺はこのゲームのどこかで大怪我をしたのだから、神秘的で深遠な意味を《アップル・ハート》に求めたのは単なる空想の延長線という茶番だったわけだ。

 ところでユーザーとはもちろん、ゲームの利用者だ。利用するとはつまりゲームで遊んでいる人だからプレイヤーとも呼ばれている。

 俺は記憶が戻らないなりに《ポータル》を使ってみたことがある。退院してこの住まいに来て早々のことだ。しかし、である。

「おーい、ジルトさん?」

「ちぇ、フーシェか」

 病院から紹介された善意の《僧侶》にして今どき人間な新米。それがこのフーシェ・アスナーという少女だ。

「今日も行くんです?」

「当然だ。俺は、俺は……!」

 挑発されたわけでもないのに駆け足気味で外に飛び出した俺は、最寄りの《ポータル》に向かった。結果は分かりきっていても試さないではいられないからだ。

「アクセスしてくれ。《ポータル》」

 俺はメニュー画面の《その他》から《ログアウト》を選んだ。集中もしっかり出来ている。手続きに何ら不備はないはずだ。

「システム・シンタックス・エラー。表示アドレスより、管理者にお問い合わせください」

 メニュー画面ではなく音声が脳内に流れる。周りには聞こえないらしく、エラーでも誰も俺に注目しないのは幸か不幸かはっきりしない。だがメールアドレスであるその連絡先には、《メニュー》から《メール》コマンドを使ってもコンタクト出来ない。

 受信を拒否されているのだ。

 由々しき事態である。言ってみればそれはSNSのアカウントを問答無用で永久凍結されたに等しい処置ということだ。

「やっぱり無理でしょ。とりあえず部屋に戻りません?」

 このように今どきの若者らしく、疑問文のアクセントなのに徹底的に普通の文末なのがフーシェの癖だが俺は気に入らない。だが《ポータル》は行列待ちとなっており、慌てて俺は次のユーザーに譲った。

 何度目かの通信失敗。しかもゲームの運営にあたっているはずの管理者との通信を絶対に失敗してしまうというのは平和的状態とはとても呼べまい。俺は町中なのに今、完全に孤独だ。

 町の名は《スタート・タウン》。そのままの安直なネーミングだ。ここで言う町とは俺が住むこのコミュニティを指す。

「そういえば、俺たちはお前らNPCとは何が違うんだ?」

「えっと、よく見ると名前の色が違いますか」

 フーシェの第二の癖は自信がないと疑問文の文末になることだ。これまた変に現代っ子だが彼女はNPCである。事実、俺の名前は青みがかった白の文字だが、彼女の名前は完全な白だ。

 AHの世界――《アップル・ハート》だから便宜的にリンゴ界と呼ぶ――ではNPCもパーティーに加えることが出来る。今さらだが俺がパーティーと称しているのはどんちゃん騒ぎではなく、一団となった旅仲間、同行すべき連中のことだ。

 レベルがたったの3だった俺はフーシェと共にレベルを上げた。それすらもシステムの管理者に規制されていたら《スタート・タウン》以降の行動範囲は広がらなかっただろうが、それは杞憂だったらしい。NPCもレベルは上がるがフーシェは俺と同行し始めた時点でレベル13だ。

 リンゴ界には人間がレベルを上げるためのモンスターがやはり存在している。たとえば最弱と言われているのは巨大コウモリの《テラ・バット》。寒気を誘うグロテスクな口内、羽ばたくたびに飛び散る地上の爬虫類などはゲームながら見れたものではないが、慣れれば単なる訓練用のサンドバッグだ。

 《スタート・タウン》周辺の名も知らぬ平原でひたすらコウモリ狩り。どうやらそれでレベル上げに関して当面は正解らしく、それなりにレベルは上がっていく。

「俺は犯罪者なんだろうか。――管理者にブロックされるなんて並大抵じゃないだろう?」

 フーシェは答えない。答えないことに意味を見出だせるほどの年齢に見えない彼女は、実年齢も精神年齢も10代後半と言ったところだ。俺の年齢は定かではないが、鏡で見る限りは30代半ばのように見える。

 しかし何にしても有罪かもしれない俺のネックは仲間作りにあった。行動圏がレベルと共に拡大しても、コミュニケーションをどこまで取るべきかを常に慎重にならざるを得ないのだ。

 そういう点においてはNPCとは言ってもフーシェも同様ではある。ただ彼女に関しては病院からの紹介なだけに無下に出来ない。本音は単独行動を望むわけだが、《回復魔法》と引き換えの枷、監視の目として少女は俺の行動を把握していた。

 たとえば俺が《スタート・タウン》の地下水路でネズミ相手に孤独に戦っていても、彼女はなんと正確に追跡してきたのだ。つまり俺の意思とはそもそも無関係の病院側の情報網は小さからぬらしい。

「家族は心配してないのか?」

「えっ、家族って心配します?」

 飄々とフーシェは答えきった。強いのか淡白なのか、おそらく後者だ。あまりに淡々と世界に接する彼女は折々で大切な何かを見失ってしまっていると俺は見ている。

 あくまでなんとなくではあるが、あるいは失われた記憶のどこかで俺はそんな人間を知っているのかもしれない。

 だがそんな他愛もない日常はある日を境に崩れ去った。《事件》が起きたのだ。

「うわあ、またヤツらだ」

「現実に死ぬぞ。気を付けろー!」

 ユーザーたちが叫んでいる。それは《デスクラスタ》という殺人集団の台頭への典型的な反応だ。

 ところで最近気付いたのだが、ユーザーは何も名前の色でなくても判別可能だ。それは影。NPCやモンスターは影を持たないから分かりやすい。それはレベル上げの時に気付いたのだが、そろそろ話を戻そう。

 殺人を犯す存在。それはかつてMMOと呼ばれるパソコンゲームにおいてもいたと言われている。いわゆるPK――プレイヤー・キルと呼ばれる行為だ。

 得てしてその要素は初心者殺しとも言われ敬遠されがちだったが、どうやらリンゴ界にも実装されたようだ。ただ奇妙なのは、《デスクラスタ》たちにも影がないこと。

 影がないのだからNPCまたはモンスターである確率が高いわけで、少なくともユーザーではない。見た目には白いローブ、つまり外套を着てフードを頭に被った覆面集団であり絶対に素顔を見せない。

 演出が凝っていると思っていた。だからユーザーも話を合わせて「殺される」などと言っているのだと。

「ぐわあああ」

「ケイタさん。あああああああああああああああああ」

 演技にしては凄まじすぎる絶叫は近くにいた俺の耳をも貫いた。そしてケイタと呼ばれた男性ユーザーは、死んだ。

 死。ゲームのPKなら、ゲーム進行に不利にはなっても人生には支障のないシステムのはずであり絶対にあってはならない現実の死。それが眼前で起きたのだ。

 ケイタなるユーザーは胸部を剣で刺され、HPゲージは空っぽを現す真っ赤から灰色に変わった。そして――それだけだった。

 ただこのゲームはシステム上《蘇生》が可能と聞いている。俺がそれに期待していると案の定、フーシェより腕の良さそうな《僧侶》がやって来た。

「神の御名の下に。魂よその身に……ん?」

 そして《僧侶》は硬直した。《デスクラスタ》は去っており、別に殺されたわけではない。

 何かに気付いて《蘇生》を断念したようだ。

 その《僧侶》は20代前半らしく、まだ出来上がってないその青臭さの残る顔を少しだけ歪めた。およそありがちな若者の反応とも言えるし、若者の振る舞いを謎の生物に惨殺されたヒトになど向けてはならないという典型例とも言える。

 肩書きが《僧侶》なだけで、別に見た目にはごく普通の青年は明らかに季節外れの薄手のカッターシャツにダークグレーの細ネクタイをヒラヒラさせている。熱がりなのか深い意味があるのかは第三者からはさっぱり分からない。変に現状の深刻さと不釣り合いな様は嘲笑されるべき類いなのかもしれないが真っ先に死人に駆け寄ったのが急ごしらえの免罪符となっているのなら合点が行く、周囲の控えめなざわめきだ。

「あの……」

 取り巻きの一人が《僧侶》に話しかけた。しかし《僧侶》は微動だにしない。まるで何者とも会話してはならない宗派に属している人か、あるいは単に黙祷を望む無頼漢のように無闇とも思えるほど押し黙っている。

 声を発した取り巻きは根負けると、群れに帰っていった。そこには無味乾燥な気持ちのすれ違いや好奇心の減退があったのかもしれないが俺にも、おそらく《僧侶》にも第三者の誰かの気持ちなんて汲みきれないだろう。

 読経を始めるわけでも《魔法》を唱え出すでもない《僧侶》は何を考えて黙しているのかそれも俺には、さっぱりだ。

 このゲームにおいて《蘇生》は一度でも迷いが生まれたら唱えることに支障でも生じるのだろうか?

 あるいは、そうかもしれない。だがそれにしても何かを心得たならその事実を適当に選んだ頼れそうな誰かにだけでも告げれば良いのにとは思ってしまう。野次馬も多分に含まれていようとも、取り巻き連中の一定数は《僧侶》のそうした英断こそ待ち望んでいるに違いない。

 どうせ極端を言うなら誰もが他人だ。誰を信ずるに足るか迷いたくなるのは若者の宿命に位置する性質ではあれど誰にも気持ちを話さないでいるのはとんでもなく大人であり、時にそうした思想こそ嫌悪される場合だってある。

 人生の全てを大人になることだけに捧げる義務などないのに、それでも《僧侶》は何も言わないで立ち尽くしていた。

 もし俺の見込み違いでこの青年がほんの駆け出しなら分からないでもない。目の前に不慮の死人がいて混乱しているというなら、それは理解出来る心情だ。だが《僧侶》の眼差しに何が宿っているのかは、青年よりはそこそこ生きてきたであろう俺が見ても丸っきり予想も付かない。

 取り巻きも取り巻きで、まるで義務か儀式のようにやけに頑張って張り付いている。現実世界ならとっくに締め出されて近寄れない殺しの現場をポリゴン世界とは言っても目の当たりにしている、その興奮などの後ろ暗い感情もなきにしもあらずだろう。

 人間はそんなものではある。

 そうでない人も実在するが、生き様より死に様が人間の本能に訴えかけるのは皮肉なリアル。だから無職が死んだニュースすらご丁寧にメディアはこぞって取り沙汰していくのだ。

 そこまでの思案に至った俺は一つの仮説に帰着した。つまり《僧侶》は茶番にしたくないから何に気付いても一切を語らないのではないか、という理屈だ。正しいかは分からない。なぜなら《僧侶》がそう考えているなら尚更、俺が聞いても軽々しくは口を割らないはずだからだ。

「……」

 ざわめきすら終焉を迎え始めていた。どれだけの時間が経過したのか分からないが《僧侶》がそこから動かない限りは誰もが動かない秘密の協定がいつしか成立していた。

 この世界の《僧侶》は仏門に下るとは限らないから眼前の彼は髪を人並み程度には伸ばしている。しかし風に吹かれるに任せてあるその髪型は無造作を通り越して、いびつになってしまっていた。誰もそうとは言わないだけで、誰もが皆《僧侶》を人の鏡とさえ思っていることだろう。そこまでして死者を悼むことが出来る人はそう思われる人であるはずなのだから。

 俺は《僧侶》を見つめていた。直視するにはとても立派で時折目を伏せてしまったのはここだけの話だ。そう見えるようになってきただけで単なる雰囲気系のサボリ坊主である可能性だってあるけど。

 気を抜けば単なる風景になってしまうその無言は今のところは周囲との共同戦線により意味を形成している。いつまで続くか、それ自体が一つの供養であるならば死者となった男ケイタは安らかだろう。

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