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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第4章 有名バリスタ編
96/500

96杯目「問われる覚悟」

 突然の提案に唯が慌てた表情を見せる。


 いきなり一緒に住んでほしいなんて、誰が聞いても驚くに決まってるわな。


 だが決断は下してもらわないと困る。僕にここまで言わせたのだから。


 返事をしてもらわないと安心して帰れないし、唯もこのまま終わりたくはないはず。きっと引っ越したくて引っ越している人の方が少ない。今起きた問題は今解決しないと、後々尾を引くことになる。


「い、いきなりそんなことを言われても困ります――」

「言ってたよな。必ず僕の下でトップバリスタになるって。あの言葉は嘘だったのか?」

「……嘘じゃありません。でもしょうがないじゃないですか」

「ジェフが勤めていた会社の倒産は、僕が招いた事態でもある。僕のせいで唯の夢が途絶えるのは我慢できない。僕の下でトップバリスタになれる確実なチャンスがあるとすれば今しかない。この先店が持っている保証なんてないし、唯がこの先日本に戻ってくる頃には、別の事業を始めてるかもしれない。今決断してくれ。唯の人生だ。唯が決めろ」


 唯にとっては、これが人生の分かれ目になるだろう。


 決断できない人間を雇う気はない。唯が本気で自分の人生を変えたいと考えているのか、これでハッキリする。少し意地悪かもしれないが、唯を岐阜に戻すにはこの方法しかないのだ。


「――分かりました。私、必ずお父さんもお母さんも説得します」


 唯が決断を下すと、安心したのかその場で微笑む。


 たとえ断られていたとしても、それは唯の決断なのだから悔いはない。


「唯にその気があるなら僕も手伝うけど、本当にいいのか?」

「はい。それともう1つ言わせてください」

「何?」


 僕が唯に何気ない顔で疑問を呈する。唯は覚悟を決めたように顔つきが変わる。


「私、あず君が好きです」


 えっ! ここで告白すんのっ!? 大胆すぎじゃね?


 人通りが少ない郊外とはいえ、これには僕もドキッとする。


「最初にあず君の動画を見た時から……ずっと好きです。はぁ~、やっと言えたぁ~」

「……僕なんかでいいの?」

「はい。けど無理につき合ってくれとは言いません。あず君が幸せでいることが、私にとって1番の喜びなんです。でもあず君がその気になってくれた時のために、交際希望とだけ言っておきます。返事はいつでも構いませんし、返事をしなくても構いません」

「随分と卑怯な告白の仕方だな」

「さっきのお返しです。私にここまで言わせたんですから、責任取ってくださいね」

「……分かった。返事は必ずする」

「はい、期待せずに待ってます」


 唯は僕の心を見透かしているかのように、潜在的に言ってほしい台詞ばかりを選んでいる気がする。


「あず君って、何でいじめっ子に過剰反応してたんですか?」

「――アレルギーみたいなもんだ。毎日のように集団リンチをしてきた。僕が茶髪というだけで。よくいるんだよ。自分を絶対王者と勘違いして、いじめをやめられない奴がな」

「私はあず君と拓也さんのラジオ動画を見ているので分かりますけど、あず君の周囲にはそんな人もいたかもしれません。でもこれからは一緒に過ごせる相手を選べるんですから、必要以上に警戒する必要もありませんよ。味方も大勢います。敵が多いように思えても、ほとんどは口に出さないだけで、心底ではあず君に味方していた人もいたと思います」

「行動しない内は、迫害に加担しているのと一緒だ」

「私は直接迫害をしてこないだけ、まだ良心的だと思います。あず君が必要以上に騒がなければ、あの騒動自体なかったんですよ。でもさっきみたいに、毅然とした冷静な対応ができるなら、もうあんな問題を起こす心配もないですね」

「……今後は注文を受け付けないことで抵抗する」

「そうしてください」


 こうして、僕は課題の1つを解決し、唯と一緒に宿泊先へと戻ることに。


 ロンドン郊外には多くの緑が茂り、唯の祖父母宅には所々にラベンダーの花が咲いている。来た時は寝ることばかりを考えていたが、よく観察してみれば、凄く綺麗な場所だ。唯の家族たちが広い家の庭でバーベキューの準備をしていた。祝勝会は外でやるらしいが、人が集まってきそうなのが心配だ。


「それじゃあ、あず君のWCTC(ワックトック)優勝を祝って、カンパーイ!」

「「「「「カンパーイ!」」」」」


 みんな一斉にグラスやコップを打ち鳴らした。こういうところは日本と一緒だ。


 午後4時、唯の祖父母宅で祝勝会が始まった。


 今までの事情もこの時は全部忘れた。ジェフもあの事情をチャールズとメアリーに話す覚悟をする。祝勝会が終わった時に全てを話すらしい。


 僕はみんなと世間話をしながら豪華料理を味わい、コーヒーを飲んだ。


 コーヒーは全て僕が淹れたものである。


 昨日まではカッピングの練習に使っていたドリップコーヒーが、今日は優勝を祝うための飲み物となっている。唯の祖父母の家が思ったより広いと思ったことを話す。彼らが言うには、平均収入の人でも買える家なんだとか。イギリスの家が広いというよりは、日本の家が狭すぎるだけらしい。ロンドンの郊外にあるために広い家を安く買えたというのもある。街の中心だと、物価が一気に上がるらしい。


 祝勝会は外で行われ、実質ホームパーティのようになっていた。


 しかも料理の匂いに釣られ、近所に住んでいる人までやってくる――。


 中には大会を見に来ていた人もいた。


 できれば身内だけで祝勝会を済ませたかったのだが、こればかりはどうしようもない。渋々彼らの参加を黙認する。みんな僕がファンサービスをしないことを知っていたために、サインも写真も求めてこなかったが、ファンサービスを許容していたら、僕は自分の時間さえ取れなかっただろう。


 これ自体が個人の時間に対する有名税だ。


 チャールズもメアリーも僕の店に来たいと言っていた。


 1月に店を引っ越すため、12月までに来るか、2月以降に来ることを勧めておいた。


 兼ねてから計画していたことがある。50人が座れるくらいの広い店を1階に構え、2階を住居にする計画をずっと前から考えていたのだが、岐阜市内にある店舗用物件を色々と調べていると、丁度優良物件があったため、社宅として借りようと考えた。


 理由は店のスペースを広くするため、そして何より、グランドピアノを買うためだ。


 今の店は10人分しか客席がなく、営業時間自体が短いため、行列に並んだだけで帰る破目になった人もいて、色々と不便だ。人を雇えるようにもなったし、店を広くしてもいいんじゃないかと思った。この年は上半期だけで大手役員の年収を軽く超えていた。これだけ儲かったのであれば、法人化してもいいのではないかと考えた。やっぱ高級なカフェの方がリターンが大きい。


 だが今解決すべき問題はこれじゃない。しばらくの間はリビングで寛いでいた。ここなら祝勝会の間は人も来ないし、バーベキューの肉は一通り食べて腹一杯だった。


 祝勝会が終わると、唯たちがバーベキューセットを片づけてリビングへと戻ってくる。


 みんな休みたい雰囲気になっていたが、ここでそれを認めてしまえば、唯を岐阜に戻す話自体がおじゃんになる。ここはジェフを待つべきか……それとも――。


「父さん、母さん、1つ言わないといけないことがある」


 全員がリビングのソファーに座りながら落ち着いた頃、ジェフがチャールズに重々しい声で話を切り出した。遂にこの時が来たかと、僕も唯も咲さんも覚悟の目だ。


「どうしたんだ? まさか2人目の子供でもできたか?」

「いや、そうじゃない。落ち着いて聞いてほしいんだ」

「何だよ改まって」

「実は……会社が倒産した」

「「!」」


 チャールズとメアリーが同時に驚く。やっぱり知らなかったんだな。


 メアリーが淹れた紅茶を飲みながら会話を見守った。


「そっ、それは本当なのか!? 今日はエイプリルフールじゃないぞ!」

「私がそんなジョークを言える奴だったか?」

「……なら約束だ。今すぐ荷物をまとめてうちに帰ってこい」


 さっきまで笑っていたチャールズもメアリーも、ジェフの話を聞くや否や、反射的にムッとした顔でジェフに帰国を告げた。彼らは唯と距離が離れすぎたのか、唯の考えは全く知らなかった。


「分かったよ。でも今年が終わるまで待ってくれ」

「……何故待たないといけないんだ?」

「唯は岐阜が好きなんだ。だからお別れの挨拶をする時間を与えてやってほしい。それに引っ越しの準備もあるからさ、どうしても今すぐ戻るわけにはいかないんだよ」

「だから私は日本に行かせるのは反対だったんだ。慣れない異国の地でやっていけるわけがないってずっと思ってた。最初から料理の道に行って私の跡を継いでいれば良かったものを、わざわざ日本の文化が知りたいってしつこく言うから渡航を認めたというのに、結局何も成し得なかったじゃないか」


 チャールズはすっかり不機嫌になり、不平不満を撒き散らす。


 子供を外国に送り出す時はさぞ不安だっただろう。うちの親もそんな心境だったのかな。


 僕の場合は1人で勝手に渡航するパターンだったが……。


 何も成し得なかったは過言である。ジェフが日本に来なければ、唯が生まれることもなく、僕があの挫折を乗り越えることもなかった。唯がいなかったら、僕の日本人に対する嫌悪は更に強くなっていただろうし、ヘイトスピーチ動画を作る可能性さえあった。


 危うくあいつらと同じになるところだった。唯の貢献が非常に大きい。憎しみのままに行動すれば彼女が悲しむ。そう思っただけで、一歩踏み留まることができた。唯が岐阜からいなくなってからまた問題が起きれば、今度は自分を抑えきれなくなるかもしれない。


 ――だからきっと、唯を引き留めようとしたのかも。


 璃子が僕の第六感なら、唯は僕の理性かもしれない。


「あのさ……そのことなんだけど……」


 彼らが話を終わらせようとすると、唯が阻止するように話を切り出した。


「どうしたの?」

「私、ずっと日本にいたい」

「唯、我が儘を言わないの。これは前々から決まってたことなんだから」


 咲が唯に近づきながら彼女の反論を抑圧しようとする。


「じゃあさ、大人の都合で子供を振り回すのは我が儘じゃねえのか?」


 唯に助け舟を出した。それには訳があった。大半の子供は親の言いなりになってしまう。唯もどちらかと言えば親に従順な方だ。このままだと押し切られてしまうと感じた。


「そうは言っても、これは仕方のないことなの」

「唯が突然別の環境に放り込まれるのが仕方ない? ……じゃあそれが原因で唯の人生が狂ったら、あんたらはその責任を取れるわけ?」

「元はと言えば、あなたが余計なことをするからでしょ。分かったらこれ以上余計な口出しはしないでほしいの。これは私たちの問題だから」

「僕が原因だというなら、僕だってこの問題の当事者だ。それに僕が何もしなかったとしても、大手のグループにぶら下がってないと維持できないような企業は、遅かれ早かれ不況の風が一瞬吹くだけで簡単に潰れていたと思うぞ。それが少しばかり早くなっただけだ」


 自らを正当化しながら、進んで悪役に徹した。唯1人だけで論破はできない。まずは議論の対象をこっちに向け、相手の言い分を片っ端から潰していき、最も刺さる言葉で押していく。


 この問題の終着点は、唯の人生の『責任』を誰が取るかというところにある。


 唯が責任を取るべきなのであれば、それが認められた時点で人生の『選択権』が唯に移る。


「だったらどうしろって言うの?」

「唯の人生は唯が決めるべきだ。彼女が日本にいたいというなら彼女の希望を聞くべきだと思うけど。それとも唯の進路とかちゃんと考えてるわけ?」

「唯は日本でもイギリスでも集団生活がうまくいかなかったから、引き続き様子を見ながら少しずつ社会に馴染んでもらおうと思ってるの。ちゃんと親の言うことに従ってさえいれば、それで良い人生を歩めるんだから、きっと大丈夫」

「親の言うことねぇ~」


 恐らく唯も親の方針が自分に合わなかったのだろう。


 親に従うのが当たり前という刷り込みは、もはや呪いに等しい。


 人生で重要な決断をする際、親の言うことはガン無視でいいと思っている。ただでさえ生きてきた時代が全く違うのだから、親の思想は子供との年齢差分遅れてると思っていい。感じたままを口に出す子供の素直な言葉は、真実と時代を映す鏡である。つまり子供の意見の方が先進的なのだ。


 子供が言うつまんないって、ほんっとうにつまんねえからなぁ~。


「なんか文句ある?」

「唯はずっとジェフや咲さんの言うことに従ってきたんだよね?」

「そうだよ。だからこんなに立派な子になったでしょ」

「違う。唯はずっと立派な人間を演じてきただけだ。学校に行く人が多数派の環境で、唯が不登校を訴えた時は安心したと同時に申し訳ないと思ったはずだ。親に対しても後ろめたさを持っていた。せめてやりたいことを見つけて、少しでも親を安心させたいって思ってた。なのにあんたら、そのチャンスさえ潰そうとしてるじゃねえか」

「……そうなの?」

「う、うん。私、ずっと不登校になってたのが申し訳なくて、私にできることを探してたの。でもようやく見つかったよ。私のやりたいこと」

「それは何?」


 唯はソファーから立ち上がり、満面の笑みで言い放った。


「私は……あず君のお店で、バリスタになりたい」


 ――言えたじゃねえか。


 唯の微笑みからは確かな自信と度胸が感じられた。


「でも日本に残るとは言っても、住む所はどうするの?」

「あず君の家に住む。もう許可は貰ってるから」

「――本気で言ってるの?」

「本気だよ。このままイギリスに帰っても、ずっと引き籠りなのが目に見えてるし、それなら確かな目標を持って、あず君の下で修業してる方が有意義に過ごせるって思ったの」

「そんなこと急に言われても、賛成できるわけないでしょ。バリスタは不安定な仕事だよ」

「じゃあお母さんは私にどうなってほしいの?」

「安定した仕事に就いて、良い人に嫁いでもらえたらそれで充分」


 確かうちの親も璃子にこんなことを言っていた気がする。


 何でみんながみんな就職に向いていて、結婚する前提なんだろうか。価値観が昭和で止まってるよ。早いとこ親から卒業させてやらないと、一生自立できねえかもな。


「あず君はお店を大きくする予定でいるからお手伝いがしたいの。私もいつか、あず君と同じ舞台に立ちたい。それが私のやりたいことなの。お父さんとお母さんが思い描いていた道とは違うけど、今やらなかったら絶対に後悔する。だから……私に人生をやり直すチャンスを与えてほしいの。お願いっ!」


 唯は髪を垂らしながら頭を下げた。目からは涙が零れていた。


 彼女がここまで何かを熱望したことがあっただろうか。普段は大人しく謙虚でいる唯にとっては渾身の懇願だ。ジェフも咲さんもタジタジになっている。無茶なのは承知の上だ。心の底から変わりたいと切に願っている。今のままじゃ駄目だということに唯自身が気づいているのが幸いだ。


「……咲さん、唯がここまでお願いしてるんだ。行かせてやったらどうだ?」

「で、でもっ! ……ジェフはそれでもいいの?」

「残念ながら私たちでは唯を変えることができなかった。唯がここまで変わりたいと思ったのは、あず君に刺激を受けたところが大きい。あず君ならきっと大丈夫だ。彼には人を……いや、世の中さえ変える力がある。彼に賭けるだけの価値はあると思うぞ」

「……」


 咲さんは心配そうな顔のまま黙ってしまう。


 しばらくは唯が頭を下げたまま沈黙が続く。


 葛藤しているのが顔だけで分かる。唯に変わるチャンスを与えたい自分、ずっとそばにいさせて自分の思い通りにしたい自分、色んな自分と闘いながら苦悩している。


「さっきから日本語の会話ばかりで、全然耳に入ってこないんだが、一体何を話してるんだ? それと何で唯が頭を下げてるんだ? ちゃんと説明してくれ」


 沈黙を打ち破るように、日本語の会話を聞きながらちんぷんかんぷんになっていたチャールズが重い口を開いた。ジェフはチャールズとメアリーに事情を説明する。


「せっかく孫が変わりたいと言っているのに、何故それを止めようとするんだ?」

「咲、今あんたの目の前にいるのは、世界最高峰のバリスタ、アズサハヅキだよ。彼の下で修業ができるなんて、これほど名誉なことはないよ。是非とも修行させてあげなさい。ずっと家に引き籠らせていてもしょうがないでしょ。私たちのことなら心配しなくていいから」


 話を知るや否や唯に加担する。まさかここでトップバリスタの肩書きが有利に働くとは。


 子供には家に帰って来いと言いながら、孫の夢は応援するんだな。


 祖父母が子供に厳しく、孫には甘いのは、万国共通かもしれない。


「……あず君、唯のこと、何卒よろしくお願いします」


 咲は僕の方を見ながらペコリと頭を下げた。


 すると、ようやく唯が頭を上げ、喜びと驚きが顔に表れた。


「お母さん、本当にいいの?」

「いいよ……でもやると決めたからには、最後まできっちりやること。限界を感じるまでは、諦めるなんて許さないから。いいね?」

「分かってる。じゃあ……私……日本に残れるんだよね?」


 咲さんは諦めたようにコクリと頷いた。


 唯は今まで我慢してきた気持ちが一気に溢れ出し、大粒の涙が次々と流れ落ちる。咲さんは泣き崩れる唯をそっと抱きしめた。離れるのは辛いが、自立できないのはもっと辛いことに気づいたようだ。


「さっきあず君がラジオで言ってたことを思い出してたの」

「あず君のラジオ?」

「――確かニートの作り方だったかな。あれが凄く心に刺さったの。私はいつの間にか、ニートの作り方を実践してしまっていたのかもしれないって。あず君がラジオの最後の方で、死ぬ時に悔いが残るような生き方だけは絶対にしたくないって言ってたでしょ。だから唯も、悔いのないように生きて」

「……うんっ!」


 この時の唯の笑顔は、ずっと僕の目に焼きついていた。


 満面の笑みから零れ落ちる涙、それは……悲し涙が嬉し涙に変わった瞬間だった――。


 翌日、僕は唯と一緒にロンドンのカフェ巡りをし、色んなコーヒーを飲んでいた。


 唯とはこれが初めてのデートだった。元々は僕1人でカフェ巡りをしようと思ったのだが、僕が昼になってこっそり家を出ようとしたら唯に見つかってしまい、カフェ巡りをするから昼飯はいらないとみんなに伝えさせようとしたら、唯も一緒に行くと言い出したのだ。


 世界大会が終わる度に、必ず訪問した町のカフェ巡りをしないと気が済まない。今までにも何度かカフェ巡りをしていたのだが、どこのカフェも全然味が違うのに、ちゃんと美味い味だった。


「はぁ~、落ち着くぅ~」

「あず君はコーヒーを飲んでる時が1番幸せそうですね」

「だってこれを飲むために来てるみたいなとこあるし」

「大会は二の次ですか」

「僕にとって1番の喜びはバリスタ競技会で勝つことじゃねえよ。こうして日がな1日、コーヒーを飲むことの方がずっと嬉しい」

「そういうものですかねー」


 競争嫌いなのに競争に参加し続けている僕を唯は不思議に思った。誰にも邪魔されず、コーヒーを焙煎して、粉にして、液体にして、飲むまでの作業をしているだけで、生きてるって感じがする。


「そういうものだ」

「あず君は競争嫌いの人嫌いで、どこまでも自由な人と思ってました。でもあのラジオを見て、本当はとっても心の熱い人と思いました」

「僕は1人で完結してるからな」

「1人で完結と言いながらも、結構色んな人と組んで活動してるじゃないですか。それに璃子さんがいないと、あず君困りますよね?」

「そうだな。璃子はうちのマスコットだし」

「私はずっと常連だったので分かるんですけど、技術的にはあず君の方が人気がある一方で、接客業としては璃子さんの方が人気でしたね」

「ホスピタリティは完敗だな」


 唯とは色んな話をした。店を営業してない時の話とか、他の都道府県に出張しに行った時の話とか。彼女が特に食いついたのは就労支援施設に行った時の話だった。最初は唯も全く信じられなかった。


「それ、本当なんですか?」

「本当だ。まるで金太郎飴のようにみんな同じ過ちを何度も繰り返す。無自覚に自分からトラブルの火種をばら蒔いたりするし、あのままじゃ一生底辺だろうな」

「そんなこと言ったら怒られますよ」

「1つ良いことを教えてやる。僕はいつも怒られてる」

「ふふっ、そういうところはあず君らしいですね。でも労働に向かないのに、労働以外の生き方を知らないのは、明らかに問題ですね」

「知らないんじゃない、知らされてないんだ。あれが悪魔の洗脳によって、精神的に去勢された者たちの末路だ。言い方は悪いけど、ああはなりたくない」


 唯は僕の話を最後まで聞いてくれた。どこの店員もみんな僕を知っていて、1番のお勧めメニューを教えてくれた。ただコーヒーを淹れているだけで、ここまで有名になった人も珍しいだろう。


 バリスタをやっていて本当に良かった。


 WCTC(ワックトック)優勝により、葉月珈琲の名声は鰻登りになるのであった。

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