7杯目「シャーベット事件」
小2の冬休みが終わり、3学期に突入する。
この頃、髪が伸びてきたこともあり、担任から髪を切るよう言われた。僕の髪形はサラサラでゆるふわで茶髪のロングヘアーだ。風呂に入っている時、自分の全裸を見る度にうっとりする。
趣味で筋トレをしていることもあり、スタイルにも自信はあった。やっぱり僕は昔っから自分が大好きなんだと思う。ネットがなかった頃の僕は凄く暇な時間が長かった。だから暇な時間は筋トレに時間を費やしていた。この習慣は今も続いている。筋トレは虚弱体質改善が目的でもあった。スタイルは良くなったけど、体調は学校へ行く度に悪くなる一方だった。担任から来週までに髪を切ってくるように言われたが、もうここまできたら無視でいいと思った。優子にはこのことを話せた。
優子に助けてもらってからは、彼女を信頼するようになっていた。
可愛らしいミディアムヘアーで、年より大人っぽく見える。スタイルも良いし、文武両道なのに何故か部活には入っていない。僕はそのことを聞いた。
「あたしはあず君と遊ぶ時間の方が大事だもん」
あざとい声で言いながら僕に抱きつく。安心しきっていた僕は、学校での出来事を優子に伝えた。
「そうなんだー。あたしはショートが好きだけどねー。何でロングが好きなの?」
「ロングヘアーの方が可愛く見えるから。ショートは僕の趣味じゃないというか」
「あず君は可愛いものが好きだもんね。髪を洗う時面倒じゃないの?」
「ショートよりは面倒だけど、それを苦に思ったことはないよ」
男子が髪を長くすると不潔と言われていた。故に、風呂ではしっかりと髪を洗っているのだ。その甲斐あってか、他の男子みたいに体臭はなかった。
良い匂いがするシャンプーやリンスを使っており、女子っぽい匂いとよく言われるのだ。
優子たちと遊んでいると、もう1人黒髪でロングヘアーな女子がやってくる。
楠木柚子。僕より2歳年上で吉樹の姉にあたる。共通の祖父母を持っていることもあってか、顔が僕にそっくりとよく言われる。個人的には全然似ていない。年上ではあるものの、感覚的には同い年だ。吉樹と同様に大人しい性格だが、遊びの時は別だ。綺麗好きで髪の先端まで手入れが行き届いている。実際、柚子の両親は子供の身嗜みを非常に気にしていた。
「あず君って女子になりたいの?」
「女子になんて絶対なりたくねえよ」
「何で?」
「人間関係めんどくさそうだし」
「男子は?」
「仲悪い時は基本無視だから気楽だな」
僕は見た目こそ女子っぽく見えるが、女子にはなりたくなかった。当時は人間関係のめんどくささが理由だったが、成人してからは生理がきつそうだからという理由に変わっている。
「無視されるのって辛いよ」
柚子は暗そうな声で言った。
「僕は自分から誰かにアプローチすることはないから、無視とか全然気にならないよ」
余裕の表情で淡々と言った。
「あず君には分からないよ」
柚子はそう言って僕を鼻であしらう。
無視が辛いのは他人に興味を持っているからだ。他人には無関心ならその手の苦痛はない。むしろ放っておいてくれた方が気楽というものだ。
次の週を迎えた。朝礼後の1時間目が終わり、休み時間になる。
担任が僕のいる席まで詰め寄ってくる。
「――そろそろ髪切ろうか」
「僕はこれが気に入ってるんだけど」
「男の子は髪を短くしないといけないの」
「何で?」
「何でも!」
「じゃあ何で女子は髪を切らなくていいの?」
「女の子だから」
「男は髪伸ばしちゃいけないの?」
「そうだよ。男子が髪を伸ばすと不潔だから」
「じゃあ女子だって不潔だから髪切らないと駄目じゃん!」
まるで会話が成立していない。子供だと思って馬鹿にしていることがよく分かる。担任の粕屋先生は絵に描いたような保守派の教師だった。しかも担任自身がハゲだったこともあり、挑発するように長髪宣言をしてやった。親への連絡帳には髪を切るよう指導が書いてあった。僕は連絡帳を書いてなかったため、代わりに担任に書かせていた。僕はそうとも知らずにお袋に渡した。そのせいでお袋から髪を切るように言われてしまった。当時の僕の髪は肩につく程度の長さだった。成人してからは背中の真ん中くらいまで伸ばしているが、当時は髪が肩についた時点で切らされることが当たり前であった。
璃子はポニーテールにできるくらい長かった。
だが髪を切れと言われたところを見たことがない。
僕は親に担任とのやり取りを伝えた。
「担任にいくら聞いても何でもって言うの」
「あず君は何で髪長い方がいいの?」
「こっちの方が可愛いから好きなの」
「でも切って行かないと担任から髪切られちゃうかも。下手したら坊主頭にされちゃうかも」
「男が髪を伸ばしちゃいけない理由って何なの!? 僕の好み踏み躙ってまで髪を切らないといけない理由は何なの!? ちゃんと説明しろよ!」
「それは……」
お袋は答えられなかった。これまでは当たり前のように髪を切られていたが、今回は反抗した。正当な理由もなく髪を切るなら学校には行かないことを伝えると、お袋は親父に相談した。
親父は男の子なんだからと切るように言ってくるが、切ったら伸びるまで学校に行きたくないことを伝えて口論になった。親父はもう勝手にしろと言ったため、文字通り勝手にすることに。
次の日に登校させられると、担任からまた茶髪を指摘される。
「何で切ってこなかったの?」
「何でも!」
これで少しは理由を答えてもらえない辛さが分かっただろう。
「何でもじゃない!」
「は? じゃあ何でお前の何でもは許されるんだよ? 自分勝手にも限度ってものがあるぞ」
「自分勝手なのは君だろう!」
「お前にだけは言われたくねえよ!」
遠慮なく担任に言い返した。まずは自分の言動を省みてはどうか。
明らかに論理が破綻している。これは大人としてどうなんだろうか。一応切るなら伸びるまで学校に行かないことを伝えると何とか収まったが、これでますます担任とは邪険になってしまった。
「何でこいつだけ自由にしていいんだよ?」
他の男子も不満そうに愚痴っている。自由でいいんだ。公共の福祉に反しない限りは、人間の生き方の自由は憲法でも法律でも保障されている。あいつだけ好き勝手しやがってみたいな態度になるのは、学校や会社に染まってきた証拠だ。学校では自由は与えられるものだと教えられる。だが人は元から自由だ。それに気づいていないから怒っているわけで。
あんなつまらないことを言っていたあいつも将来は社畜だろう。軍国主義は既に始まっていた。小2の3学期もあっという間に過ぎた。今度は伸びてきた髪を理由に迫害を受けたが、迫害に屈する痛みの方がずっと痛い。だから耐えることができた。
この春、僕は小3に進級した。2歳年下の妹、璃子も小1になっていた。
通学のために、璃子も僕と一緒に暮らすこととなった。璃子は難なくクラスに馴染めたようだった。本当に兄妹かと思うくらいには対照的だが、特に苦痛を感じていないのなら何よりだ。僕は今すぐにでも中退してしまいたいが、親が義務教育を通学の義務と勘違いしていたせいで無理だった。
僕は歴代の担任の中でも相性最悪なクソじじいのクラスになった。
この担任の代から、僕の日本人嫌いは開花することになる。
――小3の時の担任を一言で言えば、和製ヒトラーといったところだ。
その振る舞いはまるで悪徳独裁者。論理が破綻しているくせに、何が何でも自分が正しいと妄信するとっつぁんぼうやのようで、傲慢が服を着たような奴だった。
始業式が終わった後、いきなり茶髪の件に触れられる。
またかと思ったが、今度は違った。
「茶髪を黒髪に戻せ」
担任がいきなり怒鳴ってくる。
――戻せって何だよ? この世の人間はみんな元が黒髪だとでも? ていうかお前だってうすらハゲの白髪じゃねえか。世界の広さを知らないのかよ?
地毛証明書を出したことを伝えたが、担任は引き下がらない。
「黒髪に戻すって言うまで居残りだ」
――まずいな、これじゃ一生帰れねえぞ。
「じゃあ親を呼んできてよ」
「口答えするな」
担任はそう言って僕の胸ぐらを掴んできた。
論理で勝てないと暴力に訴える坂口先生は中年くらいの外見でうすらハゲだ。最初は僕を葉月さんと呼んできた。僕のことを外見だけで女子だと思ったらしいが、僕が男だと分かると途端に雑に扱ったり怒鳴ったりするようになった。更には僕に友達がいないと分かると嫌味まで言ってくる。
「茶髪だから友達ができないんだぞ」
担任がグチグチと嫌味っぽく挑発する。
「黒髪にしないと仲良くできない奴なんて友達じゃない!」
すると、担任はみんなにアンケートを取った。茶髪で登校することに賛成の人は手を挙げるように言ったのだが、僕以外は手を挙げなかった。
「嘘だろ?」
「ほら、みんな反対してるだろ」
担任はドヤ顔で言った。他の生徒は無表情のままそっぽを向いている。こんな奴のイエスマンでいるのがそんなに楽しいか? ここで手を挙げない奴は、自分が迫害対象になった時に文句を言えないぞ。
屈したくないと思ったからこそ手を挙げた。
――この迫害者共がっ!
当時の僕は日本人のほとんどが茶髪に反対していると思った。茶髪に対して反対しているから僕以外誰も手を挙げなかったんだと思った。彼らの多数決の暴力に恐怖した。僕はこの時から日本人に対して一段と不信感を持つようになった。当時の僕にとって、学校の中にいる教師や生徒が日本人の代表と思っていた。このことを親父に話したが、親父も人間関係に苦しむことがあったようだ。
「俺も会社にいた時は、理不尽な上司とかいっぱいいたぞ。でもそれが今の社会なんだよ。学校も会社も理不尽な奴が必ずいるから、今の内からちゃんと周りに合わせられるようにしとかないと駄目だぞ」
親父は社会の理不尽さを熱く語っていたが、結局は適合するしかないと今の社会を肯定してしまっていたから相談するだけ無駄だった。みんなが惰性で社会に合わせた結果がこれだというのに。
ある日の給食の時間、事件が起きた。
小3の1学期の半ば、給食に苺シャーベットが出たのだ。
給食はいつもクソまずかったが、珍しく美味いデザートだった。
「苺シャーベット欲しい奴いるか?」
「「「「「はーい!」」」」」
担任がそう大声で聞くと、みんな一斉に声を上げて手を挙げた。大半は男子だった。
「じゃあじゃんけんしろ。勝った奴だけ取りに来い」
案の定、余った苺シャーベットは取り合いになり、誰が奪うかをじゃんけんで決めることに。全員で一斉にじゃんけんをして、負けた人から消えていく。
僕は偶然にもじゃんけんに全勝し、苺シャーベットを手に入れた。
しかし、クラスメイトが喜ぶ僕に水を差した。
「葉月後出ししてたぞ!」
「そうそう。少し遅かった」
「後出しだから負けだろ」
他のクラスメイトも呼応するように同調する。
「いやいやいやいや! 後出しなんてしてねえぞ!」
慌てて抗議をしたが無駄だった。
担任はクラスメイトの方を信じ、僕から苺シャーベットを取り上げ、強制的に僕を失格にした。
再び僕以外の全員がじゃんけんを始めようとしたが、僕は待ったをかけて担任の説得を試みた。
「待てよ! 後出しなんてしてない!」
「みんなしたって言ってるだろ!」
「後出しなんてしてない。仮に後出ししてたとしても、ちょっとタイミングがズレただけで、それだけで全勝するなんてまず無理だからな」
「うるさいぞ。まだ言ってんのか?」
後出しした根拠なんて何処にもないし、3人以上の人数で行う時点で、僕が後出しする意味などどこにもない。全員が違う手を出せば、それこそ後出しの意味がなくなる。多少のズレがあったとしても、一瞬と言っていい差だ。当時小3の僕がその一瞬で相手の手を見て、それに勝てる手を出せることを証明しない限り、僕は絶対に無実だ。そんなの時間を止めない限り無理だ。
担任に説明したが、胸ぐらを掴まれて怒鳴られた。反抗するように給食の牛乳瓶を担任に投げつけ、教室から逃亡した。投げつけた牛乳瓶は担任の真後ろにある壁にぶつかり、粉々に割れていた。担任は頭から牛乳をかぶって牛乳塗れになっていた。ざまあみろだ。
僕は図書室に引き籠った。だが終礼になると、他のクラスメイトに体を引っ張られ、教室へと戻されてしまった。僕が戻ってくると、服を着替えた担任が待っていた。担任から思いっきり顔をぶたれた。涙目にはなったが、ここで泣いたら負けと思い、泣かなかった。終礼が終わると、僕は担任に呼び出されるも、無視して家に帰った。お袋にこのことを話したら、まさかの反応をされた。
「あず君は手を出すのがちょっと遅かったんじゃない?」
疑問に思った僕はお袋に質問した。
「じゃあ1秒の遅れだったら絶対に勝てる自信ある?」
お袋は絶対は無理と即答した。僕の正当性はこれで証明されたと思った。
翌日、このことを担任に伝えたが、また胸ぐらを掴まれて怒鳴られた。
この時、論理だけでは人を説得できないことを学んだ。僕は当時の子供としては珍しく、合理主義で論理的に話す子供だった。そのためか、よく理屈っぽいと言われた。合理主義を理屈っぽいと言っている時点で、物事を正しく分析できるだけの知能を持ち合わせていないと暴露しているようなものだ。
こうして、シャーベット事件は幕を下ろした。僕の完全敗北だった。多数派=正義じゃないが、多数派を味方につけた者が勝つ。それが世間の常識というものらしい。僕は1人で何かを考えて実行するのは得意だったが、集団を動かしたり協調したりするのは不得手だった。集団との関わりの差が如実に表れた結果だった。親に頼んで連絡帳に抗議文を書いてもらった。シャーベット事件の翌日、この連絡帳を担任に提出した。すると、担任が物凄い剣幕で僕の胸ぐらを掴んでこう言った。
「お前しつこいぞ。まだそんなこと言ってんのか?」
この時ばかりは自分が正しいと確信していた。
「僕は絶対間違ってない」
担任を睨みつけながら正当性を主張した。不当な処分へのせめてもの抵抗として、しばらくは終礼を無視して帰宅した。何度かクラスメイトに止められたこともあったが、僕はクラスメイトにパンチやキックや頭突きを食らわせて帰った。そうしている内に、僕が帰ろうとしても誰も止めなくなり、担任も僕が終礼前に帰っても何も言わなくなった。この事件以降、担任もクラスメイトも僕をあからさまに敵視するようになった。僕以外のクラスメイトは完全にクソじじいの言いなりだ。
担任が怒鳴っていたのは僕だけじゃない。些細な失敗でクラスメイトを怒鳴っていた。みんなピリピリしていたのは何となく分かる。けど表面上は担任とクラスメイトが結託しているように見えた。僕という共通の敵がいるためだ。就職したことなんてないし詳しいことは分からないけど、怒鳴ることしかできないクソ上司がいる会社も、まさにこんな感じなんだろう。
明らかに組織の癌だ。だが実際に癌として扱われていたのは僕の方だ。日本ではクソ上司よりもはぐれ者の方が疎外される。渡る世間は鬼ばかりだ。あんなのがいるから、日本はどこの組織も生き辛い人がいるのではないかと思った。年上の方が偉いって誰が決めたんだろうか。せめて年齢とか性別とかよりも才能や適性を優先してほしかった。外見とか生まれ持ったものとか、分かりやすい指標ばかりを用いているから内面を見る余裕がなくなったんじゃねえか?
人を見るならもっとちゃんとやってほしい。人を見る側が楽を求めたら終わりだ。
内面を楽に見られる工夫があるなら別だが、内面は見えにくい分判断が難しい。だからこそ生まれ持った外見、性別、年齢という分かりやすい指標で判断している。このことが何歳の人はこうでないといけないという圧力を生んでいるのも確かだ。性別で役割を判断するのもやめてもらいたい。
この担任からは毎日のように、男のくせに我慢が足りないと言われた。
昭和の高度成長期やバブル期なら我慢した分の対価をもらえたが、この時は1999年。
時代は既に『就職氷河期』を迎えている。この頃は就職の枠が狭かったらしい。こんな時代に我慢しても対価は得られない。対価のない我慢は絶対にしない。それが僕の流儀だった。我慢しろと言うなら相応の対価を出すべきだ。それができない者に我慢しろと言う資格はない。
またしても事件が起きる。ある日、クラスメイトがバケツに入っていた水を廊下にぶちまけた。
掃除用のバケツに水が溜まっていて、何故かいつも廊下に置かれていた。その時はクラスメイトの半数が体育の時間のため、体育館へと向かっていた。クラスメイトはバケツの水をぶちまけておいて逃亡してしまった。担任はまだ残っていた生徒たちの顔を見た。
「ティッシュ持ってこい」
僕にもティッシュを持ってくるように言った。でも僕はティッシュでは効率が悪いと思い、雑巾を持ってきた。すると、担任が僕の胸ぐらを掴んでこう言った。
「ティッシュ持ってこいって言っただろっ!」
「雑巾の方が早いと思うけど」
「だからティッシュと言ったらティッシュだ!」
担任は聞く耳を持たない。仕方なくティッシュを何枚も手に取ったが、また胸ぐらを掴まれた。
「そんなに何枚も取るなっ!」
「いい加減にしろっ!」
ぶちぎれて担任の顔を思いっきりぶん殴って体育館に逃亡した。もはやどっちが子供なのか分からなかった。関白亭主と言えば聞こえはいいが、他の人からすれば体がでかくなっただけの我が儘な子供。悪いことは言わん、担任変えようぜ。じゃないといつかぶっ殺してしまいそうだ。
ただ、こんな目に遭っても毎日飲むコーヒーに癒された。僕はこの時期にはすっかりエスプレッソの虜になっていた。おじいちゃんの淹れるコーヒーは何故か苦みがなく、とてもスイートな味だ。
おじいちゃんが扱っていたのは『スペシャルティコーヒー』というあまり聞かないコーヒーだった。スペシャルティコーヒーとは、世界最高峰のコーヒーという意味で、全てのコーヒーの僅か5%しかない代物だ。当然値段も高い。親父も会社が倒産するまではこのコーヒーを扱っていた。コーヒーは苦いという固定観念は持たなかった。コーヒーがなかったら、事件でも起こしてたかもしれない。
和製ヒトラーの影響で、僕は年上が苦手になった。今でも中年以上の人には自分から近づこうとは思わないくらいだ。こんなトラウマばかりを植えつけることのどこが教育なのか。担任としての適性がない人ばかりが担任になっている件に誰も触れないのが恐ろしい。
良い教師と出会えればラッキーだが、悪い教師と出会ったら悲惨だ。小中学校の間に9回の担任ガチャがある。僕はSSRどころか、9年連続クソカードだった。いずれも1人1人の違いを認められない雑魚キャラばかりだ。多分、あの時あそこにいた教師はレア以上の人すらいなかった。
担任や他の教師の思考回路が古い体質のコピペだ。画一化された教師しかいない。サラリーマンに向いてないのに、サラリーマン教育を受けさせられて、社会に出る頃に、教育と労働の乖離に驚く。これをあと何回繰り返せば、国家運営をしている連中は気が済むのだろうか。
教師自身が社会を経験していないのも問題だし、謎ルールが生まれる元凶にもなってる。
和製ヒトラーとの戦いは、まだまだ続くのであった。
シャーベットの件で無実の罪で失格になった経験を元にしています。
僕の場合は抵抗すらできずに泣き寝入りでしたが。
楠木柚子(CV:瀬戸麻沙美)