6杯目「お楽しみ会事件」
夏休みが終わり、小2の2学期が始まる。
この時はお楽しみ会があり、自分の好きなものを発表する。もちろん嫌な予感しかしなかった。幼少期から趣味がコーヒーの人なんてほぼいない。
みんなと合わない趣味の発表は控えるべきだろう。そう思っていた時、お袋からお楽しみ会のことを聞かれた。これが事件の引き金になってしまうことになるとは、まだ知る由もない。
「お楽しみ会で何発表するの?」
「欠席する。どうせ趣味合わないだろうし――」
「趣味が合わないなんて当たり前でしょ!」
「僕はあいつらと大きく違うっての」
「そんなんじゃ、いつまで経っても仲良くできないよ」
「趣味を理解してくれる人じゃないと困るんでね」
「理解してくれる子がいるかもしれないでしょ。ちゃんと出ること! いいわね?」
「何かあったら責任取ってよ」
お袋は押しつけるようにお楽しみ会に出るように言うが、僕は気が進まないのだった。
――お楽しみ会当日――
結局、お袋に念を押され、趣味を発表することに。
クラスメイトたちが次々と趣味を発表していく。
言っちゃ悪いが、どれもお子ちゃまのような趣味ばかりで、面白くも何ともなかった。
「僕は野球が好きです。将来はプロ野球選手になりたいです。以上です」
――いやいやいやいや、それただの自己紹介だよね?
「私はケーキが好きです。以上です」
みたいなお粗末な発表ですぐ終わってしまうし、あまりにも質の低いプレゼンが後を絶たず、女子に至っては趣味だけ言って終わる子すらいた。
趣味を発表することがどういうことなのかを全然分かっていない。
「質問がある人てーあーげてー」
発表が終わると、担任が質問を促し、僕が手を挙げて当てられると、ケーキについての言及をした。
僕もケーキは好きだし、一度聞いてみるか。参加してる感出さないと、後でめんどくさそうだ……。
「ザッハトルテは好き?」
「ザッハトルテって何?」
――えぇー! ケーキが趣味なのにザッハトルテ食べたことねえのかよー! 造詣があまりにも浅すぎるだろ。そういうのってさー、趣味って言わなくないか?
「オーストリア発祥のチョコレートケーキ。小麦粉とバターと砂糖と卵とチョコレートで作った生地を焼いて、チョコレート味のバターケーキを作ってアプリコットジャムを塗った後に表面全体を溶かしてチョコレート入りのフォンダンでコーティングしたケーキで、味が強いから砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えて食べるのが主流の伝統菓子だ」
しかし、クラス全体がシーンとした状況になると、みんなして黒い眼差しで僕の顔をジーッと見つめている。理解できませんでしたと言わんばかりに目が点になっている。
――いやいや、いくら何でも趣味のレベルが低すぎやしないか? ケーキが好きなのにザッハトルテを知らないって、こいつらホントに頭大丈夫か?
「へぇ~、食べたことない」
「えっ、趣味ケーキだよね?」
「うん、そうだよ」
僕はこれが趣味だと言われると、その分野に詳しいんじゃないかと思い、つい気になってることを聞いてしまう。しかも相手から説明を求められると、人から聞いた言葉や辞書なんかに書いてある意味を咄嗟に思い出し、そのままべらべらと語り続けてしまう。
成人してからはこんな野暮なことなどしていないが、当時の僕は『趣味=オタク』のような感覚を持っていたのだ。僕の番がやってくると、恐る恐る教壇の前に立つ。
僕に自分語りさせた者はほぼ確実に後悔する。
誰かが止めるまで延々と話を続けてしまうためである。
「えっと、僕はコーヒーが好きで、僕にとってコーヒーは最愛の恋人だ」
世界中にある色んなコーヒーを淡々と紹介していった。専門用語ばかりで首を傾げる子もいた。
自分なりにコーヒーの魅力を伝えたつもりだったが――。
当時は『ブルーマウンテン』が1番好きだった。おじいちゃんがたまに仕入れてくるコーヒーだ。
しかし、案の定みんなには伝わらなかった。
「言ってる意味が分からない」
「髪の色だけじゃなくて、趣味も茶色なんだな」
みたいなことを言われ、しまいにはコーヒーにまで被害が及んだ。
「コーヒー飲んでるから茶髪になったんじゃねえの?」
コーヒーだけじゃなく、他にも茶色の趣味ならある。チョコレートも大好きだから、茶色要素が多いのは確かだ。でもコーヒー飲んだら茶髪になるのは迷信もいいとこだ。
僕はコーヒーを馬鹿にされたと思って憤慨した。
「この分からず屋共がっ! もういい、うんざりだっ!」
怒った勢いそのままに、教室の扉を勢い良く開け、図書室へと向かう。担任ではない手下の教師が追いかけてくるが、お構いなしに図書室に引きこもった。手下の教師は僕に教室に戻るよう言うが、戻ったところで言い争いになるのは目に見えてる。ここは戦略的撤退をするべきだ。
連れ戻すのは授業中は教室にいるのが適切だからであって、僕のために言っているわけではないことが手に取るように分かった。集団での立ち回りがいかに下手であるかがまた浮き彫りになった。周りに合わせようと思っても全然できない。最終的には独り善がりで自己中と指摘され、気がつけばいつも1人だった。この件の責任は親に取ってもらおうと考えた。給食の時間が始まる頃にさり気なく教室に戻った。当たり外れの差が大きい給食だが、食べないと体力が出ないために戻るしかなかった。親にお楽しみ会の件を話したものの、全く取り合ってくれないばかりか、僕の発表を咎められる始末だった。
「みんなの趣味に合わせるべきだったね」
「じゃあ何で参加させたの?」
「参加することに意義があるからだよ」
確かオリンピック関連の言葉だった気がするが、あれは人生において大切だと思うことはやってみろという意味であって、強制参加を助長させるための言葉ではない。ましてや学校行事なんて、全然大切なことではない。当時の僕はこの言葉の真意は分からなかったが、到底納得がいくものではなかった。次の日からコーヒー茶髪というあだ名がついた。それ見たことか。
僕は小1の時から女男と呼ばれている。これは中学時代まで続いた。
以降、僕は気を許した相手にしか、自分の趣味は話さないようになった。日本人は自分が認識したものとは異なる感覚を持った者に厳しい。感覚は人によるという認識があいつらにはないらしい。お袋もこれ以降はお楽しみ会があっても何も言わなくなった。まあ当然だろう。
文化祭も度々あったが、僕は興味がないからといずれも欠席している。興味がなかったら参加するべきじゃない。この後は運動会があったが、僕は以前の集団リンチの件を話して欠席することに。
「去年みたいなことにはならないようにするよ」
何度か担任から言われたが、僕は聞く耳を持たなかった。以前そう言われて参加したら問題が起きたことを辛抱強く伝えると、ようやく見学の許可をもらった。
――運動会当日――
僕はのんびり見学していたが、クラスメイトからは嫌みを言われた。あいつら自身が行事というものを嫌っているくせに、あいつら自身が気づいていないふりをしてるのは実に滑稽である。
「お前だけ休みやがって」
「僕が参加したら足を引っ張るぞ」
嫌みを言うってことは、多分あいつらも参加したくなかったんだろう。好きなことをしているなら、サボっている相手に嫉妬することもない。そう思っていた時、最悪の出来事が起きてしまった。
運動場のど真ん中で上級生たちが組体操をしている。やっと終わろうかという時だった。上級生たちがしていた組体操のピラミッドが崩れてしまったのだ。何人かは怪我で動けなくなっていた。下にいた生徒は上の生徒に押し潰される格好になった。物凄い騒ぎになり、保護者が慌てて運動場のど真ん中に駆け寄っていた。下にいた生徒がタンカーで搬送されていった。参加しなくて良かった。
「えー、多少のトラブルはありましたが、応援合戦を続行します」
――えっ!? 怪我人が出てるのにまだ組体操続けるのか? こいつら頭大丈夫か? それとも他人の痛みが全然分からないとでもいうのかよ?
しかし、僕以外は誰1人として抗議すらしない。みんな当たり前のように組体操を続行し、全クラスが応援合戦を終了した。世界よ、これが日本の教育だ。僕は呆気に取られながらも自分用の椅子を教室に戻し、終礼をした後でようやく帰宅できた。僕はこのことをお袋に伝え、運動会の野蛮さを説いた。だがお袋は完全に僕の意見を聞き流していた。
これも参加するのが当たり前という教育の成果だ。応援合戦なんてもうたくさんだ。
上級生になったらあんなことするのかと思うと、ますます参加する意欲がなくなっていく。元々組体操は日中戦争の訓練だったという説がある。中国大陸に多くある塀を乗り越えるため、組体操で作った人間階段を兵士が踏み越えるためのものらしい。日本の学校は軍隊の模倣と言える。
ランドセルは旧日本兵のカバンが元になっているし、運動会の行進も軍隊だし、僕が子供の頃はクラスの人数が40人くらいだったが、これは旧日本軍の一個小隊が30人から40人だったからという説がある。班が5人程度なのも、伍長がまとめる五人組の名残らしい。男子の制服も陸軍の戦闘服がモデルだし、女子が着るセーラー服も海軍の戦闘服がモデルになっている。起立礼着席は言わずもがな。
学制が始まった頃の政策が富国強兵であったことが大きく影響している。何で今の時代にまで軍国教育してるんだろう。社会はアップデートされてるけど、学校はまるでアップデートされてない。茶髪を禁止するのも、多様性がなかった軍国主義時代の名残じゃねえのか?
こうして、またしても貴重な日曜日が潰された。運動会に参加させられたのは小1と小6のみだが、それ以外の時も見学で学校へ行かされていた。毎年何かしら問題が起きてたけど、教師共は炎天下の中悪夢を見せつけるのが趣味らしい。大した趣味だよ。
小2の2学期も不登校になることもなく無事に過ごせたものの、毎日の登校が辛いのか、度々風邪を引いては休んでいたことをよく覚えている。週5で学校に行かされるのは、まさにサラリーマンと言っていい。僕はこの週5通学というやり方がまるで合わなかったし、できることなら働く日と休む日くらい自分で選ばせてほしい。誰かに与えられた日々を過ごすのは不愉快だ。
冬休みが始まり、璃子がランドセルを買ってもらう日がやってくる。璃子が買ってもらったのは可愛いピンクのランドセルだ。璃子は青色のランドセルを欲しがっていたため、交換するかどうかを聞いたら応じてくれたが、うちの親に反対され、交換はできなかった。
僕は青よりピンクが、璃子はピンクよりも青の方が好きなのに、何で男は青で女はピンクなのか。
好きな色さえ世間から決めつけられるなんて。璃子もまた、この国のやり方に疑問を持っているようだった。しかも親からはとんでもないことを言われた。
「ただでさえ女の子と間違われやすい顔なんだから、ランドセルくらい男の子だと分かるようにして」
お袋が悪気なく言うが、色は人を識別するための記号じゃない。その人の個性を表すためのものだ。
確かに僕は外見が中性的だし、髪も他の男子より長めで、女子と間違われることもあるが、間違う方には何の非もないのか? 髪が長いから女の子とか、僕に言わせりゃふざけた認識だ。本来性別は見ただけでは分からないものだ。人の数だけ性別があると言われてるくらいなのに、僕の性別が分からなかったら何が悪いのか。僕が女子と間違われてる時は丁寧に扱われたが、男子だと分かった瞬間から雑に扱われた経験が何度もある。女子は弱いから丁寧に扱うが、男子は頑丈が売りだから鍛えなければ駄目だと思っている人がそれだけ多いということだ。
性別で人を振り回すのもいい加減にしろよ!
あいつらは性別が分からないと満足に話もできねえのかよ!?
璃子は僕よりも頑丈で力持ちだ。全然風邪を引かないし、学校でいじめを受けたこともない。僕とは対照的だ。璃子よりも女子力が高い僕と、僕よりも男子力が高い璃子という面白おかしい構図だった。
つまるところ、男子には成熟さが、女子には未熟さが求められている。未熟な男子と成熟した女子は生き辛い。男が未熟だと怒鳴られ、女が未熟だと可愛がられる。男が立派だと認められ、女が立派だと生意気だと言われる。これも仕事をする男と家事をする女の構図だ。
僕はどちらかと言えば家事の方が得意だ。コーヒーを淹れるのも家事同然の感覚だし、独立をするのであれば、料理も作れるようになっていた方が良いわけだし。楽しかった授業はないと言えばないが、強いて挙げるなら技術家庭だ。小学校の時は図工があったが、図工は嫌な思い出しかない。技術家庭の時も色んなものを作らされた。創造性を発揮できる授業かと思いきや、そうでもなかった。図工では毎回教師が指定したテーマのものをみんなで一緒に作っている。まるで工場労働者のようであった。
――おんなじものをみんなで作るって楽しいか? 口先ではみんな違ってみんな良いみたいなことを抜かしやがる奴に限って、自分が認める範囲内の違いしか認めない。
休日になると、1人の親戚が遊びに来る。
楠木吉樹。葉月家と仲の良い楠木家の長男で僕のいとこだ。
僕が葉月家の父親と楠木家の母親を持つのに対し、吉樹は楠木家の父親と葉月家の母親を持つ。
僕のお袋の弟の子供にあたるが、僕と同い年で、世間知らずで、気が弱くて全然目立たない。下の名前が吉樹であることから、学校ではヨッシーと呼ばれていた。
「あず君、遊びに来たよ」
「あ、吉樹か。なんか用?」
「ゲーム持って来たから一緒にしよ」
「しょうがねえなぁ~」
僕は吉樹とビデオゲームで遊んだ。カセットの調子が悪い時は、カセットの裏側にふーふーと息を吹きかけ、もう一度カセットをゲーム機にはめ込むと何故か治った。
当時の僕は某配管工のおじさんを動かすゲームばかりをプレイしていた。相手を画面外まで吹っ飛ばすアクションゲームや、車に乗って相手に甲羅をぶつけるレースゲームなんかをしていた。人数が多い時は星の数を競うパーティゲームをする。僕はすぐに操作方法を覚え、すぐに吉樹たちよりも強くなっていった。僕はこの時点からゲームでの勝負強さを発揮していた。
「あぁ~、また負けたー」
吉樹が頭を抱えながら悔しがる。
「動きが素直すぎ」
弱点を指摘するように言ってやった。
ゲームに夢中になっていると、お袋がカフェラテを持ってくる。他の一般家庭ならコーラとかサイダーだけど、うちは一家揃ってコーヒーが好きだから、いつもコーヒーだ。
「んぐっ、んぐっ、ぷはぁー。やっぱこれがないと生きていけないなぁ~」
「大袈裟じゃない?」
「僕にとってコーヒーは――」
「最愛の恋人でしょ」
「そゆこと」
「何でそんなにコーヒーが好きなの?」
「やっぱ相性が良いからかな。僕の血液みたいなもんだし」
「余程好きなんだね」
「そうだな。1日1杯は飲まないと手が震えてくるんだ!」
「えぇー、それ絶対やばいよー」
悪乗りするようにコーヒー依存症であることを話す。まっ、手が震えるのは嘘だけど。ドン引きする吉樹を他所にゲームが始まる。ゲームは頭の体操には丁度良かった。ゲームが終わると、僕らはおじいちゃんの家まで赴いた。この日もおじいちゃんの焙煎をジッと眺めている。見ていて全然飽きない。
焙煎した豆はコーヒーミルで砕かれ、店の場合はグラインダーという電動式の機械で砕く。
おじいちゃんの家にはグラインダーもあるけどあまり使われていなかった。
自分でコーヒー豆を粉々にした方がしっくりくるらしい。僕と吉樹はコーヒー豆の入ったコーヒーミルを渡されると、コーヒー豆が粉々になるまでハンドルをずっと回し続けた。僕はこのゴリゴリ削る音を楽しんでいた。吉樹はすぐにへばっていたが、僕は飽きないまま、ずっとハンドルを回していた。
「よく続けられるよねー」
吉樹が僕の方を見ながら言った。
「もっと削らないと美味くならないのが分かるんだよ」
僕は悟ったように返しながら作業を続けた。
「あず君はコーヒーの声が分かるのか?」
おじいちゃんが驚いた様子で聞いてくる。
「削る音を聞いていれば分かるよ」
僕がそう言うと、おじいちゃんはにっこりと笑う。
「将来はきっと偉大なバリスタになるかもな」
おじいちゃんが嬉しそうに言った。
「前々から思ってたけど、バリスタって何?」
「カフェでコーヒーを淹れる人だよ。僕も昔はバリスタやってたんだ」
「おじいちゃん、バリスタやってたの? すげー!」
バリスタという言葉の意味はこの時知った。
おじいちゃんが長年バリスタであったことなど、全く知らなかった。どうりでコーヒーの焙煎が上手いわけだ。親父もコーヒーの声が分かる。バイト先が商店街の中にあるカフェであるのもそのためだ。
また学校の日々がやってくる。この日は家庭科の調理実習だった。僕の得意科目は家庭科で、特に調理実習が得意だった。料理は比較的良かったが、ほとんどの生徒が料理できなかったため、僕がいる班はほとんど僕の独壇場だった。他の班に至っては教師が教えながら料理を作る。できればコーヒーを淹れる授業をやってほしかった。基本的な料理ばかりだったし、野菜ばかりで食えたもんじゃなかった。
コーヒーの淹れ方を習得しても意味がないと思うかもしれないが、仮に将来バリスタにならなかったとしても、バリスタとしての能力は色んなところで役に立つ。
手先の細かさや味覚などが磨かれるし、一生関わる飲食物の事情にも詳しくなる。
『シグネチャードリンク』を極めれば創造力も身につくし、好奇心旺盛な状態を保つことができるようになる。シグネチャードリンクとは、エスプレッソ+食材の創作ドリンクのことである。
食材の数や質によって味が複雑になるから、その種類は無限にあると言っていい。
ラテアートを描くようになれば、芸術的な感覚も身につく。
店でコーヒーを淹れるようになれば接客力やプレゼンテーション能力も身につく。
これだけ色んな能力が身につくのだから、コーヒーの授業はもっと広まってもいいはずだ。家庭科の授業では珍しく僕が主役だったが、クラスメイトの中にはそれが気に入らないのか、僕が料理している様子を見ながら嫉妬の言葉を投げつけてくる。
「葉月ってとことん女っぽいよな」
僕は気にも留めなかった。ノイズには慣れている。
「僕は女っぽい男なの」
クラスメイトをいなすと、この次の日からまた女男というあだ名がついた。当時は料理ができるというだけで女の子扱いされる風潮だ。これじゃ料理のできる男子も、料理のできない女子も苦痛だろう。後の学校ではあだ名が禁止されてるらしい。理由はいじめの原因になるからとのこと。いじめの原因になるのが駄目だというなら、1番の原因である学校を排除するという発想はないのだろうか。
学校がなければ学校でのいじめを回避できるし、学習は家のパソコンやスマホでもできる。あだ名は本人がこう呼んでほしいと思っている場合に限っては賛成だ。中には本名が酷い名前でハンドルネームを本名のように読んでほしい人もいるはず。何でもかんでも問題になるからという理由で、全員一律に禁止するのはどうかと思う。これじゃ思考停止の極みだし、管理する側が楽をしたいだけだろう。
冬休みは璃子とよく遊んだ。親から受けた性差別の件で意気投合したからだ。人を団結させるのは共通の敵だ。僕と璃子には性差別という共通の敵がいた。皮肉にもこれが璃子と仲良しになる原因になった。璃子とは昔からずっと仲が良かった。学校で苦労を重ねていた僕を見続けていたのか、空気と一体化することを覚えたらしい。これこそ、璃子がいじめを受けなかった最大の理由だ。
まるで僕の人生2回目だ。僕も記憶を保ったまま人生をリセットして2回目のプレイをしていたら、きっと空気と一体化して過ごしていたかもしれない。世間という顔のないモンスターが苦手だ。
僕は生まれつき相手の考えを察することができない。言わなくても分かることが当たり前のように分かってしまう日本人を見ていて、まるでエスパーばかりの世界にでもやって来たかのような感覚に陥ったのだ。僕は誰と会話するにも必ず対等語を使う。
相手によって態度を切り替えるのが苦手だった。何より縦社会が大嫌いだ。縦社会に対するせめてもの抵抗として、誰に対しても対等語を貫くようになった。親父は僕とは対照的だった。バイト先の上司には頭をペコペコ下げるが、部下には厳しく当たるところがあった。
親父のバイト先が近いため、何度か見たことがある。中間管理職時代の感覚が抜けていない。あんな風にはなりたくないと思い、極力一貫した態度を取るようになったことはよく覚えている。
一貫しない態度は、いつになっても好きになれない。
自由とは理不尽へのアンチテーゼである。
理不尽が嫌なら自由な立場を目指すしかないのです。
楠木吉樹(CV:福山潤)