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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第2章 自営業編
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50杯目「残された課題」

 10月が近づくにつれ、段々と忙しくなる。


 またしても遠征の準備をしなければならない。


 金華珈琲に行った日から1週間後の日曜日のことだった――。


「お兄ちゃん、浅尾君連れてきたよ」

「お、おう」

「じゃあ浅尾君、お兄ちゃんにちょっとずつ近づいて」

「あ、ああ」


 蓮がゆっくりと小さい歩幅で僕に近づく。


「ストップっ! もう無理!」

「お兄ちゃん、そんなんじゃJBC(ジェイビーシー)に出られないよ」

「分かってるけど、無理なもんは無理だよぉ~」


 病院に行くのが嫌で、璃子に蓮を呼んでもらい、日本人恐怖症の克服をすることになったのだ。これは璃子の発案だが、僕はこの案に慎重だった。だがJBC(ジェイビーシー)に出られないのはもっと嫌だったため、渋々案に乗ることになったのだが……。


「だっ、駄目っ! もう無理」

「電車に乗ってた時はどうしてたの?」

「目ぇ瞑ってた」

「目ぇ瞑ってたら競技できないでしょ。ほら、もう1回」

「そんなぁ~」

「はあ……何で俺こんなことしてんだろ」


 僕らは蓮に事情を説明し、何度か近づいては遠ざかる実験を試みたが、症状は改善せず、結局親父同伴で病院まで行くことに。親父と共に岐阜市内の病院で朝早くから診察を受けると、親父が今までの経緯を説明した上で、他の医者には口止めしてもらうことに。


 精神科医の稲葉山明保(いなばやまあきほ)さんは30代くらいの女性だ。背は高めで胸は控えめ、黒髪のショートヘアーでパッツンだ。診察室で僕と親父と稲葉山先生の3人と一緒にいたが、反射的に親父の後ろに椅子を移動させ、席に腰かけた。最初は冷静だった稲葉山先生だったが、親父の説明を受けている内に信じられないと言わんばかりの表情になり、最後はメモを取ることさえやめてしまった。


「うーん、恐らくPTSDでしょうねー」

「……PTSD?」

「一言で言えば、トラウマです。梓君は学生時代のトラウマで、反射的に日本人を避けるようになったということです。梓君は学校に行くのを嫌がったりはしなかったんですか?」

「物凄い嫌がってました」

「では何故学校に行かせたのですか?」

「……義務教育だからです」


 親父が段々と歯切れが悪くなっていく。まるで教育委員会の記者会見だ。


 稲葉山先生の顔が悍ましいものを見るような表情に変わる。


「お子さんの命よりも、義務教育を優先したということですか!?」

「……いえ、そういうわけでは」

「最近は学校でのいじめが原因で自殺する子供が後を絶たないんですよ」

「……はい」


 親父は落ち込んでいた。ここにきて初めて僕を学校に行かせ続けたことを心底悔いていたが、人が何かを悔いる時、ほとんどは手遅れであることが多い。


「あの……それはどうすれば治るんですか?」

「今のところは様子を見るしかありませんね。完全に心を閉ざしているようなので」

「そうですか」

「身内を怖がらないということは、慣れている人は大丈夫ということでしょうから、今のところは知り合い以上の人とだけ接するようにすればいいと思います」

「では……大会に出たりとかは」

「避けた方がいいと思います」

「「……」」


 ――まずいな……このままじゃ……日本人恐怖症のせいでJBC(ジェイビーシー)が絶望的になる。


 こんなことになるなら、最初から親父が言った通り、治療すればよかった。


「ちょっと梓君と2人きりにさせてもらっていいですか?」

「分かりました。では外で待ってますので」


 親父が引き戸を開けて外に出ると、稲葉山先生と2人きりになる。


「私を見るのが辛いなら、後ろを向いてもいいよ」

「う……うん」


 僕の心境を察したような優しい言葉に甘え、くるりと回転椅子を反転させ、後ろを向きながら会話をすることに。まるで僕の思考が分かっているような立ち回りだ。


「見た瞬間に震えが走るって聞いたけど、それは本当みたいだね」

「うん……どうしてもあいつらを見る度に、怒鳴られたり、殴られたり、蹴られたりしたことを……思い出しちゃって……どうしようもないくらいに」

「私も学校嫌いだったなー。私の友達がね、度重なるいじめで自殺しちゃったの」

「!」


 稲葉山先生は淡々と口にするが、心底では途轍もなく応えている。


「だから少しでも被害を減らすために、精神科医になって、多くの悩める患者を助けようって思うようになったの。自殺とまではいかなくても、いじめが原因でトラウマを抱える人は多いから。あなたの抱えているトラウマは梓君のお父さんの話を聞く限りだと、対人恐怖型のトラウマに分類されると思う。だから人を見るのも怖いんじゃないかなって思ったの」


 流石は多くの精神疾患を抱えた患者を診てきただけあって、こういうところは鋭いんだな。


 目に涙が浮かぶ。初対面でここまで僕の心境が分かる人は初めてだ。


「……そうだよ。電車に乗ってる時とか、東京にいた時なんか、人通りの少ない場所を探すだけで精一杯だったし、いつまた茶髪を理由に迫害を受けるか、そんなことばっかり考えちゃって、どうしてもあいつらを受け入れられない」

「だったら受け入れなきゃいいじゃない」

「……えっ?」

「梓君も周囲の人も、早くその日本人恐怖症を治したいって思ってるんでしょ? でも早く治そうとするとね、焦りによるストレスから余計に症状が悪化することもあるの。克服しようとして日本人と接触したりとかしても、恐怖心が増幅されるだけだから、やめた方がいいと思うよ」

「何でそこまで分かるの?」

「私も対人恐怖型のPTSDだったから」

「!」


 ――あぁ~、そういうことかぁー。


 この人は記憶の構造やトラウマのメカニズムが僕に似てるんだ。どうりで僕の話が手に取るように理解できたわけだ。多分、過去の自分を見てるような感覚だろう。彼女自身はトラウマを克服している。つまり僕にだって克服できるかもしれないということだ。それが分かっただけでも希望が持てた。時間はかかるだろうが、今は焦るべきではないのだろう。


 稲葉山先生の言う通りにし、病院を後にする。


 営業が終わると、今度は璃子から人生相談を受けることになる。


 人生相談をした日に、人から人生相談をされるとは思わなかった。


「お兄ちゃん、私、専門学校に行けないって聞いて、正直ショックなんだけど」

「ショコラティエだったら、独学でどうにでもなるだろ」

「それはお兄ちゃんだからできるの。私は無理だから。身近にチョコレートの専門的な技術を持った人がいないから、尚更専門学校に行く必要があると思ったけど……どうしよう。静乃にはあんなこと言い切っちゃったけど、何も考えてなかった」

「分かった。そこは僕が何とかするから、璃子は心配すんな」

「ほんとぉ~?」


 璃子が可愛い表情で僕に聞いてくる。なんて可愛いんだ。


「ホントホント、だから璃子はここでスキルを磨け」

「うん、分かった」


 ――正直に言うと、僕にそんな余裕はない。


 パナマに行ってゲイシャのコーヒーを買えば貯金は尽きるだろうと確信していた。だが璃子を不安にさせたくはなかった。僕は余裕があると嘘を言って璃子を安心させていた。幸い、璃子には気づかれなかった。とはいえゲイシャに加えて璃子の給料まで払うとなると、とんでもない出費になってしまうだろう。そのためにはどうしても稼ぐ必要がある。


 まずは璃子にもエスプレッソマシンの使い方やメンテナンスを教えることに。


「もうちょっと早くできないのか?」

「無茶言わないでよ」

「じゃあ僕の動きを見て、その後にマネしてみろ」

「……うん」


 抽出ボタンを押して洗浄しながら、璃子が使ったばかりのポルタフィルターを腰に巻いているタオルで掃除し、グラインダーを手でカチカチと鳴らしながらコーヒーをドーシングし、タンパーでコーヒー豆を押し込むと、それをエスプレッソマシンに設置すると同時に抽出ボタンを押す。


 押した直後に上に乗っているコーヒーカップをエスプレッソの落下地点に置いた。


 当時のグラインダーはレバーを手でカチカチと鳴らしながらコーヒー豆を出すタイプのものを使用していた。多くの人にとっては面倒だと思うが、僕は覚えゲーのような感覚で楽しみながら使っていた。


 持ってはいなかったが、他にもポルタフィルターでスイッチを押しながらコーヒー豆を出すタイプのエスプレッソマシンもある。ファミレスとかにあるような、コップで押すと水が出てくる機種だ。


「早い……」

「せめてこれくらいはできるようにならないと、うちの店は任せられないぞ」

「お兄ちゃんは相手に求めるレベルが高すぎるんだよ」

「良質はコーヒーは良質な抽出技術から生まれるものだ。妥協は許されない」

「まあまあ、ゆっくりやっていけばいいじゃない」


 宥めるように声をかけてきたのは、カウンター席に座っているお袋だった。


「今日はパートじゃないんだな」

「そんなことより、あず君今日病院に行ったんだってね。診断はどうだったの?」

「それ私も気になってた」

「対人恐怖型のPTSDだってさ」

「ええっ!? それって恐ろしい病気か何か?」

「ちげえよ。しばらくは身内以外の日本人との接触は避けた方がいいってさ」

「そうだったの……」


 お袋が落ち込みながら言った。親父と同様、僕を学校に行かせ続けたことを心底悔いていた。


「あのさ、1つ聞きたいんだけど」

「なーに?」

「何で璃子の不登校はあっさり認めたの?」

「璃子だったらいじめに耐え切れないだろうなって思ったから」

「璃子が女子だからか?」

「そうだけど」

「呆れた。そういうさぁー、男だったら我慢すべきみたいな発想は捨てた方がいいぞ。いじめっ子の連中も悪いけど、簡単に休ませてくれない土壌を作った親父もお袋も戦犯だからな」

「「!」」


 つい本音をポロリと吐くと、お袋は沈んだ顔になるが、対照的に璃子は目を尖らせた。


「お兄ちゃん、いくら何でも言いすぎだよ!」

「ううっ……ごめんね」


 璃子がそう言った時には、お袋は泣き始めていた。


 この時になって、ようやく自分が言いすぎたことに気づく。


「学校に行かせていれば、きっと良い子になってくれるって思ってたから……それで、ずっと学校を信頼して行かせていたし、義務だから行かせないといけないって思ってたから……」

「済まん……でも、良い子にはなれそうにない」


 日本人にとっての良い子とは、即ち従順で優しい子である。


 だが皮肉なことに、従順で優しい人ほど、社会では支配者層に搾取されてばかりの社畜と化してしまう可能性が高いのだ。良い子とは社畜である。それを教育する側がもっともらしい言葉に言い換えてるだけだ。あくまでも支配者層にとっての良い子であり、そんな良い子には絶対なりたくないし、分かっているのであれば、尚更なろうとは思わない。


「璃子、お袋に1杯ご馳走してやれ」

「えっ! 私が淹れてもいいの?」

「ああ、いいぞ。特訓の成果を見せてやれ」


 僕が自信を持って言うと、璃子はすぐさま2つ目のポルタフィルターを取り出し、僕のスピードには及ばないものの、いつもより速いスピードでエスプレッソを抽出した。


「お母さん、これ飲んで元気出して」

「――うん。璃子がエスプレッソを淹れてくれるなんてね」


 お袋はそう言いながらエスプレッソを飲んだ。


「美味しい。あず君が淹れてくれたのと同じくらいにね」

「そりゃ良かった」

「やればできるじゃん。エスプレッソとカプチーノはもう任せられそうだ」

「お母さんに美味しいって言わせただけだよ」

「忘れたのか? お袋は昔から料理してたんだから、味には相当うるさいはずだ」

「ふふっ、この味ならお客さんに出しても恥ずかしくはないかな」


 お袋に笑顔が戻る。すると、安心したのか、勘定を済ませて帰っていった。


「お兄ちゃん、あのエスプレッソは私からの奢りでいいよ」

「そういうことは自分で稼げるようになってから言え」


 璃子のカッコつけた主張をいなす。璃子のお小遣い=僕のお金だし。


 その後は渋々僕につき合っていた璃子も、エスプレッソマシンに本気で向き合うようになる。時間はかかったが、どうにかスムーズな使い方とメンテナンスを習得させることはできた。


 ショコラティエになるための勉強なら、後からいくらでもできる。それまでにうちでやっていくのに必要なスキルを習得させないといけないと思った。ショコラティエを目指すとは言っても、必ずショコラティエになれるわけではない。途中で挫折したり、別の分野に興味を持つ可能性だってある。方向転換はいくらしてもいいが、ベストを尽くすことだけは忘れないように言った。


 教育の本質は放任とサポートのバランスだ。何もしなくてもいいし、何か夢中になれるものがあれば没頭してもいいし、逃げたい時は逃げてもいい。ただ、うちの場合は何もしない人を養う余裕はないため、いつ挫折して戻ってきてもいいように、うちで通用するスキルを習得させておいたわけだ。


 うちの店が成長を続ければ、璃子にも給料を払うことができる。最悪夢を叶えるためにスキルを使ってもらおう。この店が潰れない内は、璃子の夢をできる限り保障してやりたい。


 最終的には自分で叶えてもらうことになるが、僕は身内の夢には反対しない。賛成したことが原因で正社員より低い給料の生活になる場合もあるため、無責任に夢に賛成するなと思う者もいるだろうが、反対したことが原因でニートにでもなったら、そいつらは責任を取れるのだろうか。


 だったらまずはやれるところまでやらせてみて、結果を見て次の目標を決めればいい。これが暇潰しに生きるということだ。璃子は僕が支援できることを聞いてとても喜んでいる。


 尚更この店を潰すわけにはいかないな。だが問題はバリスタ競技会だ。


 JBC(ジェイビーシー)WBC(ダブリュービーシー)も15分の間に12杯のコーヒーを提供しながらプレゼンまでしないといけないため、予め言いたいことを決めておく必要がある。


 JBC(ジェイビーシー)では、みんな日本語でプレゼンするが、僕の日本語はぶっきらぼうだし、より多くのことをストレートかつ短時間で伝えられる英語の方がずっと有効であると感じた。僕はネット上にあるルールブックを細部まで確認した。どこにも英語を使ってはいけないというルールがないことが分かると、英語のプレゼンをいくつか考えた。


 もちろん、これにはちゃんとした理由がある。


 ストレートに伝えられてぶっきらぼうにならず、より多くを伝えられるのはもちろんのこと、何より本気でWBC(ダブリュービーシー)に出場する気があるなら、英語のプレゼンができないといけないと思った。国内予選の時だけ日本語でプレゼンをするのはあまりにも意識が低すぎる。


 世界大会ではみんな英語でプレゼンをする。そのことを念頭に入れて参加するべきと感じた。ヘッドジャッジがルールを理解していない可能性もあるため、プレゼンの時はヘッドジャッジにルールブックを盾に英語のプレゼンをさせてほしいと必ず璃子を通して伝えることを考えた。


 JBC(ジェイビーシー)の時はゆっくりで簡単な英語を使い、WBC(ダブリュービーシー)の時は本場の英語を使うと決めた。これだけの配慮をして決勝にすらいけないようなら、僕のプレゼン能力はその程度ということだ。来年からはもっと忙しくなる。


 10月を迎えると、小夜子たちが遊びに来る。今度は4人組が揃った。


 うちは高級な豆を扱っているカフェだから高校生には厳しいと思うが、たまになら来れるみたいだ。小夜子たちは予想した通りバイトをしていた。しかもバイト先はカフェのウェイトレスだ。小夜子たちは璃子と話していた。璃子は将来の夢を聞かれ、決まり文句のようにショコラティエと答えていたが、小夜子たちはまだ決まっていないと答えた。


 ――自分の夢が決まってないのに聞いたのかよ。


「あず君、何で10月のカレンダーに連続でバツ印がついているんですか?」


 唯がカレンダーに違和感を持ったのか、僕にバツ印の意味を聞いてくる。


 そういや唯には伝えてなかったな。


「10月中旬はパナマに行くことにした」

「えっ、何しに行くんですか?」

「新しいコーヒーを買いに行く」

「それって、今ここに置いてないコーヒーのこと?」

「そうだ」

「どんなコーヒーなんですか?」

「秘密だ」

「勿体ぶるなんて怪しいですねー」


 唯たちがまだ知らないであろうコーヒーに興味を持っていた。


 やっぱああいうのは飲めるようになった当日になってから知った方が驚かせられる。だがあれは高すぎる。売るとしても相当な値段になるだろう。アメリカからのラッシュはすっかり途絶えていた。有名店にならない内はどうしても一過性のブームで終わってしまう。それは去年の段階でもう経験済みだ。


 遠征に備え、しばらくはコーヒーを仕入れないことに。僕が遠征している間は、どうしても店を休みにしなければならない。璃子にワンオペさせるのはいかんせん不安である。労働者ですらない者にワンオペさせるのは法律違反だ。この日唯たちが来た頃には、うちのコーヒーの大半が売り切れだった。


 数日後、大型ショッピングモールまで赴いた。


 この頃、ピアノを買い替えたいと考えていた僕は久々に楽器屋に訪れ、色んなピアノの調子を確かめていた。鈴鹿とはここで何度か会っていた。


「あっ、あず君いらっしゃい」

「なんか用か?」

「久しぶりに会ったのに、その言い方はないと思うなー。何ヵ月ぶりかな?」

「……忘れた」

「あず君って、今高校生だよね?」

「そうだけど」

「バリスタにはなれそう?」

「うん、なれると思う」


 ――もうなってるんだよ。世界大会にも行ったし。


 ここまで言えば、僕をピアニストにすることを諦めてくれるだろうが、今はまだ言えない。


「もし挫折しちゃったら、いつでも待ってるからね」

「まだ諦めてなかったのかよ。執念深い女だ」

「あなたのような才能の持ち主は滅多にいないもの」


 鈴鹿が言うと、段々と僕に近づいて来るが――。


「来ないでくれ」

「えっ! どうかしたの?」

「そこから先は僕のパーソナルスペースだ」

「――ふふっ、難しい言葉知ってるんだね。ねえ、今度私とデートしない?」

「断る。遊んでる暇ねえんだよ」

「そんなに勉強忙しいの?」

「ああ、一歩間違えば留年のピンチだ」

「じゃあ何でここに来てるの?」

「ピアノも好きだからだ。気分転換ってやつ」


 鈴鹿につけ入る隙を与えてしまった。ピアノ好きではあるが、あくまでの趣味の範囲内だし、本気で世界一を究めたいと思ったのはバリスタだけだ。


「じゃあさ、バリスタしながらピアニストを目指すっていうのはどう?」

「冗談だろ……時間が足りないって」

「あず君のバリスタになる夢も叶うし、バリスタをする時間の合間にピアノもできるでしょ?」

「あっ、用事思い出した。もう帰るわ」

「えっ、ちょっと、あず君っ!」


 自宅まで逃げ帰るしかない。今度はそうきたか。でも今はバリスタに没頭したいんだ。それくらいの覚悟でなければ……世界一は究められそうにない。


 帰宅すると、既に荷物を詰め込んだスーツケースを再度確認し、持って行くべき物をチェックする。


 これでしばらくは日本人と会わずに済む。そう思っただけで、僕は頬が緩んでいた。


 パナマ遠征前日ということもあり、いつもより早く寝た。


 翌日、10月中旬を迎える前に、僕は空港へと出発するのだった。

第3章終了です。

あず君がようやく病院に行きました。

診断名はPTSDですが、症状には個人差があります。

稲葉山明保(CV:伊藤静)

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