5杯目「点数至上主義」
小2になった僕は相変わらず学校の圧政に苦しめられていた。
担任は変わったものの、1年の時に比べテストに厳しい点数至上主義の担任だった。
何故学校はテストをするのか。テストとはどれだけ勉強ができるかを測るものだが、勉強の出来不出来の基準は記憶力だ。記憶力が高ければ高いほど指示通りに仕事ができる人だ。つまりルーチンワークの高さを見ているわけで、それ以上の意味は存在しない。社畜としてちゃんとやっていけるかどうかの品質チェックと考えればいい。テストの点数が高い生徒ほど社畜としての適性があり、点数に偏りがあったり、全面的に点数が低い人は社畜に向いていないと言える。
学校は社畜を作るのが仕事だ。簡単には引き下がってくれない。
点数の高い生徒は常にトップを期待され、その重圧に押し潰される生徒も少なくない。点数の低い生徒には社会的制裁が待っている。親と教師の両方から勉強するように言われ、点数を知っているクラスメイトからは嘲笑を買うこともあるだろう。テストというシステムには大きな問題がある。誰も幸せにならないところだ。教師が作った問題をどれだけ解けたかで評価が決まる。どれだけ教師の期待に応えられる生徒であるかが数字にハッキリ出てしまうし、学校によっては全員の点数が公表される場所もあるらしい。ここまでくると、もはやホラーである。
小1の時から0点を量産しまくっていた。
問題が分からないわけじゃない。全力でやっていたら満点は取れていた。小1の時は面倒だからという理由でテストに名前だけ書いて提出していたし、もちろんテスト中はほとんど寝ていた。
しかし、小2になると、やることは同じでも、理由の方は大きく変わった。
「やる気ないのか?」
「やる気なんてねえよ。こんなのやって何になるの?」
「勉強ができないと、将来苦労するよ」
「今既に苦労してるんだけど」
「これは将来に向けた修行なの」
「大きなお世話だ!」
「そんなんじゃ、勉強しなかったことを後悔するよ」
担任の煽りに乗ってしまったのか、こう言ってしまった。
「じゃあ僕が違うって証明してやるよ!」
煽りに乗るとは、何もテストを全力で受けるという意味ではない。僕は本来とは逆のベクトルに乗ってしまった。大抵の人は勉強ができないと苦労するなんて言葉を聞くと、嫌々でも勉強するようになるらしい。しかし僕の考えは違った。逆にその説が違うことを証明したくなった。学校の勉強ができなくてもうまくいっている人はいる。それを証明するために、今後も一切テストを受けないと宣言した。
小2の時の担任は粕屋先生という人だった。全然テストを受けようとしない僕をコントロールしようとしていた。理由はこれだけじゃない。テストの点数だけで子供の価値を決めつける教育に嫌気がさしていた。これに対して抵抗の意を示すために、テストというテストは全部名前だけ書いて提出するようになったのだ。点数至上主義に対する、事実上の宣戦布告であった。
またしても自然な形で担任を敵に回してしまったが、僕自身の方針がハッキリしたのは良いことだと考えている。惰性でやっていたことを、明確な目的のために行うようになったのだから。
当時の僕の性格を一言で述べれば『疑念』である。何でも何故そうなのかを考えて、自分で調べたりすることが多かった。人に聞くこともあったが、親戚から使い古しのパソコンを貰ってからは、某世界的な検索サイトで調べるようになった。もっとも、そうなるのはまだ先の話である。
この習性は今も続いている。僕はある意味時代の最先端を行っていた。信じて騙されるのが怖かったのかもしれない。他の子供を見ていて気づいたのは、すぐに大人の言うことを真に受ける習性だ。学校に行けば幸せになれると言われ、騙された子供は多いだろう。
僕が大人の言うことをすぐ信じないことには訳がある。
大人の言動が身勝手すぎるのも不愉快だった。子供にはみんな仲良しを押しつけるくせに、大人たちは仲良くする相手をしっかり選んでいるからだ。大人とは劣化した子供なのかもしれない。みんなと仲良くすべきだというなら、まずは教師自らが誰とでも仲良くして、みんな仲良しの手本を示すべきだ。そういった努力もせず、自分に甘く他人に厳しいだけの無責任な大人を幼少期に何度も見てきた。
僕が疑り深い子供だったのは、環境が理由だったのだ。
学校に行って立派な大人になるんだったら、この国で犯罪なんてまず起きないと思うんだが。この時点で矛盾が生じていることに、僕は漠然とした違和感を持った。大人たちの言いなりになる子供というのは良くも悪くも純粋なんだろうが、純粋な人は騙されやすい。社会に出てから詐欺に遭ったり、何か喋ると感情論や誹謗中傷ばかり言う子供のような大人は腐るほどいる。
小2の1学期の休日、僕は商店街に住む子供に遊びに誘われた。
リーダー格で1番年上の短髪黒髪の女子が僕の家の前に佇んでいた。
柳瀬優子は僕より5歳年上の中1だ。元々は僕と同じ学校で、葉月商店街の中にある洋菓子店に住んでいる。優子の両親はパティシエで、彼女自身もお菓子作りは上手い。璃子とは趣味が合うのか、凄く仲が良い。みんなからは優子お姉ちゃんと呼ばれ、面倒見が良くて成績優秀だ。
そんな優子が嬉しそうに単独で僕を誘ってきたのだ。
「あーずーくんっ! 一緒に遊ぼ」
「これからおじいちゃんの家に行くんだけど」
「――どーせまたコーヒー飲みに行くだけでしょ」
「だから何?」
「いっぱい遊んでからコーヒー飲んだらいいじゃない」
「はぁ~……鬼ごっこ以外だぞ」
ため息を吐くと、あっさり降参する。
毎回コーヒーを飲みに行く、もしくは本を読むという行動の盲点を突かれ、時々ではあるが、結局つるまされてしまうのだ。諦め顔になっては、優子たちとの遊びに渋々つき合うのだ。
「そんなに遊ぶのが嫌なのー?」
優子は人をからかうような顔で言いながら段々僕に近づいてくる。
――近い近い近いっ! 何? 僕のこと好きなの?
こういうことはやめてほしいんだけどなー。一応僕、年頃の男の子だしさー、頭悪い子だったら本気で勘違いするぞ。リサが言っていたことが本当なら、僕は優子とも相性が良いことになる。
相性が良い女の範囲が広すぎるのもどうかと思うが……。
「ああ、そうだな」
いなすように言うと、彼女よりも先に家を出た。商店街から少し離れた場所に公園があり、誰かと外で遊ぶ時は公園まで行くのだ。よく親に連れられて璃子と遊びに出ており、優子には色々と質問されながら公園までゆっくり足を運ぶと、僕らの砂地を踏む足音に子供たちが気づく。
「あっ、優子お姉ちゃん、また葉月君連れてきたの? 誘わなくていいのにー」
「そうだよ。こんな男なのか女なのかよく分からない奴と遊びたくねーよ」
「だよなぁ。多分そいつオカマだぜ。あはははは!」
思った通りの反応だ。つき合いが悪いとあっという間に仲間外れだ。これに関してはそんなに地域差はないだろうと思いながらも、僕が商店街の方向へと足を向けた時だった。
優子の笑顔が急に冷淡で目つきの悪い表情に変わる。
「それ、本気で言ってんの?」
さっきまで僕とイチャイチャしていたとは思えないほど強く重い声だった。声こそ小さめだったが、真っ直ぐ刺すようなこの疑問文は、確実に相手の耳に届いていた。
「えっ?」
「もし本気で言ってるなら、もう君たちとは絶対遊んであげない」
すると、僕に対して言いたい放題だった子供たちが、一斉にピシャリと黙った。
「あたしさー、そういうの好きじゃないなー。確かにあず君はちょっと変わったとこあるけど、今の君たちみたいに、悪意で人を傷つけるようなことはしないすっごく良い子なの。あたしはあず君がどれほど純粋で優しい子であるかを知ってるからさー、あず君がそういうこと言われると腹が立つんだよ!」
この時はマジでビビった。最後の方はかなりドスの利いた声で、もはや威嚇射撃だ。子供たちは全身の毛が逆立つほど震え上がっていて、何だか可哀想になってきた。
「「「ごめんなさいっ!」」」
子供たちが一斉にと優子の方を見て謝る。
「謝る相手が違うでしょ」
優子が冷たい声で言った。子供たちは僕の方を申し訳なさそうな顔で一斉に見る。
「「「……ごめんなさい」」」
「いいんだ。気にするな」
「はい、よくできました。もうこの話はおーしまいっ! うん。もう行っていいよ」
子供たちが謝ると、この場を逃げるように立ち去った。どうやら優子の恐ろしさが身に染みて分かったらしい。流石は商店街チルドレンのリーダーだ。
何故彼女が周りの子供たちに信頼されているかが、少し分かった気がする。とぼけてるようでちゃんと人間観察をしていた。どう叱ったら平服するのかも熟知しているようだった。
優子はまるで何事もなかったかのように、表情と声が元に戻っていた。
これが本当にさっきまで怒っていた女か? でも、僕なんかのためにあんなに怒るところには、いつもの彼女らしさが欠けていた。普段は冷静なのに、一体どうしたんだ?
「さっきは、えっと、ありがとう」
「あたしは当たり前のことをしただけ」
優子とブランコに乗りながら、のんびりと雑談を始めた。
「ねえ、あず君」
「どうかしたの?」
「あず君は恋人いるのかな?」
「えっ、い、いるわけないじゃん。他人に興味ないし」
知らず知らずの内に顔が赤くなっていた。
「あー、あず君顔赤くなってるー。かっわいー」
僕は優子に意地悪そうな顔で指摘される。はぁ~、何で顔赤くなってんだろ。
そうかっ、分かったぞ! コーヒーを飲んでいないからだ。最愛の恋人を思い出すと、おじいちゃんの家へと急いで走る。しかも何故か優子がついてくる。僕より足が速いのか、すぐに追いついた。
カフェラテを淹れると、一気に飲み干し、すっかり上機嫌に戻っていた。
「んぐっ、んぐっ、ぷはぁー!」
「ふふっ、あず君なんかお父さんみたい」
この光景を見ていた優子に笑われてしまった。
それはどっちのお父さんかな? 職に就いているなら大差ないだろうけど。まあ、今回は優子の違うところが見れたからそれでいいか。怖かったけど。
「あず君ってさー、夢中でコーヒー淹れて飲んでる時は凄く楽しそうにしてるよねー。もしかしてなんだけどー、あず君の恋人ってコーヒーだったりする?」
優子から思わぬ指摘を受けた。何でこの人はこんなに鋭いんだ? 恐ろしい子っ!
……確かにそうだ。僕はコーヒーを愛してる。コーヒーと女はよく似ている。
丁寧に扱えば甘い一時を過ごせるが、雑に扱えば苦い思いをする。さっき優子に怒られていた子供たちのように。きょとんとしていたのか、すぐにばれてしまった。誤魔化しが下手なのが僕の欠点だ。
優子に家の近くまで送られて帰宅する。最後までお姉ちゃんらしい振る舞いだった。
――次の週になると、相変わらずテストをサボっていた。やると決めたことは徹底してやるが、やらないと決めたことは徹底してやらない。それが僕の方針だ。
しかし、クラスメイトは僕の方針に異を唱えた。
「何でみんなと一緒にテスト受けないの?」
「だってテストなんか受けても意味ないじゃん」
「100点取ったら嬉しいって先生が言ってたよ」
できたら嬉しいとか達成感が得られるとか、こういう口車に乗る人は間違いなく情弱だ。こういう人がやりがい搾取の餌食になる。多分、僕に異を唱えた生徒も、将来はブラック企業の犠牲者になっていることだろう。過労で死んだら骨は拾ってやる。テストで測れるのはあくまでも暗記力と計算力のみ。他の能力なんて基本測れないし、テストが苦手だからといって落ち込む必要はない。
たまたま学校の勉強が向いていなかっただけなのだから。
勉強という言葉が大嫌いだ。文字だけ見ても勉めを強いるという意味だし、元々は強制的に値段をまけてもらう時に使う言葉だ。そんな言葉が良い意味を持つはずがない。せめて学問とか学習と言ってほしかった。言葉は本当に重要だ。言葉の使い方次第で、人はポジティブにもネガティブにもなる。
引き籠りも内向的自由人という言葉だったら、ここまでマイナスな印象を持たれることはなかったかもしれない。言葉には使う人のポジショントークがあることを忘れてはならない。僕を迫害した連中はほとんどが男子だ。女子とはあまり関わらなかった。というか関わらせてもらえなかった。今はどうか知らないが、当時は校則で恋愛禁止だった。みんな校則に拘束されていた。
この頃、一度だけ女子が声をかけてきて一緒に帰ったことがある。しかし見ていたクラスメイトが担任にチクったことで僕が呼び出され、女子と一緒に帰らないように注意された。
声をかけられたのは僕なのに、僕だけ呼び出しとは。こんな風に男女交際を禁止されたことが、僕の人生に後々響くことになる。結論から言えば、男とのつき合い方は知っていても、女とのつき合い方を全く知らないまま大人になった。これも義務教育時代の弊害と言えるだろう。子供の時は女子に近づくなと言うくせに、大人になったら女見つけて結婚しろとかふざけてんのか? 大人になったらまずやらないであろうことを義務教育時代にだけやらせることで感覚麻痺が起きているというのに。
男女交際禁止の件もそうだし、同級生以外とのつき合いもなかった。休み時間に違う学年の子供と遊ぶことも禁止されていた。執拗なまでに同性の同級生とばかりつき合わせるとどうなるか。答えは簡単である。同世代の同性としかつるめない大人になる。これが認知症や孤独死の問題にも繋がっている。
同世代の同性としかつるめなくなることで年齢差に壁を感じるようになる。すると、必然的に同世代の友人とばかり遊ぶようになり、友人がいなくなると新たにコミュニティを作れなくなる。本来学校の役割とは、子供に生きる力を与えることだ。だがこの有り様だと、行けば行くほど生きる力を失う場所になってしまっている。しかもこれを強制しているのだから、もはやコントのレベルだ。やがて義務教育からの離脱が早い子供ほど価値が出てくるばかりか、ただ行っただけの学歴は意味を成さない時代がやってくるだろうと感づいていたのかもしれない。
小2の時も天然茶髪のことで色々言われた。茶髪というだけで不良扱いされ、迫害を受け、殴る蹴るの暴行や暴言を毎日のように受けたが、担任は止めようともせず、見て見ぬふりだった。
しかも学校行事が近づく度にこう言われる。
「外に出る時くらいは黒髪に染めてくれない?」
などと供述しており、容疑には微塵も気づいていない模様。まるで汚物を扱うような物言いだ。汚いのはお前らの心じゃねえか。日本人は眼鏡の人が多いが、最もポピュラーな種類は色眼鏡だ。常に視界が曇った状態で、自分の見たいものしか見えなくなる。あいつらの目には、茶髪の子は悪魔のように見えているんだろう。そのことが子供たちに偏見を植えつけているとも知らずに。
「これは没収します」
いつも通り本を読んでいると、事情を知らない担任に本を取り上げられた。算数の時間にも、計算が苦手だからと電卓を家から持ってきていたが、担任の粕屋先生に取り上げられてしまった。
「電卓を使うのはずるいから、全部自力で暗算しなさい」
担任がさも当たり前のように言った。
「電卓返さないと出ていく」
「出ていけるもんなら出ていけばいい」
担任はやってみろよと言わんばかりの顔で言った。
「止めるなよ」
僕はそう言って脱走しようと走り出した。
校門の扉を攀じ登り、出ようとしたところで、全力疾走してきた担任に取り押さえられる。
「本当に出ていく奴があるかっ!」
「てめえが出ていけばいいって言ったからそうしたんだろうがっ! 自分の言葉を忘れんなよっ!」
笑止としか言いようがなかった。世の労働者たちはコンピューターか電卓で計算を行っているのだ。うちのお袋もレジのバイトでバーコードや電卓機能を使っていた。
今時そんなことも知らねえのかよ? 外の世界を見たことねえのか? お前ら教師こそ一度学校から出て外の世界を見てみろよと言いたくなった。何も特別扱いをしてくれと言ってるわけじゃない。一般の人と同等の権利をくれと言っているだけだ。暗算できないから電卓を使っているのに、電卓なしだとずっと解けないままだ。電卓を使って計算をする時代に、こんなことをする意味があるのだろうか。
教室まで戻った後、また教室から出て行った。向かった場所は図書室だ。
昼休みになると、図書室は人でいっぱいになる。
意外と本好きな子供は多かった。のんびり本を読んでいたい僕にとって、できない問題をやらされたり出席番号順に当てられて本読みをさせられるのは、苦痛極まりないことだというのに。大人になってからみんな学問をやらなくなるのはこれが原因じゃなかろうか。
「反省しているようだし、この本は返すよ」
「反省すべきはあんただけどな」
「減らず口だな。将来が心配だ」
「余計なお世話だ」
ようやく担任が観念したのか、やっと本を返してくれた。でもこれで終わりじゃない。授業参観の日がやってくる。僕以外に茶髪の人はいなかったが、意図せずとも目立つことになってしまった。保護者の連中から茶髪を指摘する声が度々聞こえてくる。寝ていたかった。だが寝てしまうと、茶髪全般の評判を下げることになってしまう。授業参観は寝ずに授業を受けていた。
茶髪だけどちゃんと授業受けてるよ的な演技は小6の頃まで続いた。今思うと、無駄な努力だった。学校を卒業すれば会うことのない連中だが、子供がそこまで想像するのはなかなか難しいものがある。僕も例に漏れずだ。一匹狼になりきれていなかった。そんなの気にしても意味がないのに。
一匹狼になろうとする一方で、茶髪の人の評判を下げないようにするために周りに合わせていた部分もあった。もしおじいちゃんが気にしないように言ってくれなかったら、僕は周囲の迫害に押し潰されていたかもしれない。元から茶髪の評判は低いのだから、どう振る舞っても結果は同じ。着ている服を指摘されることもあった。可愛い服装やピンク色の服装が好きだったが、着て行くと必ず指摘される。
「男の子なのに女の子っぽい」
同級生の1人が言った。別に可愛いものもピンク色も女子の専売特許じゃないだろうに。
一体誰がこんなことを決めたのだろうか。誰がどんな服を着ていようとどうでもいい。
僕が世間を嫌う理由がここにある。ここでは全ての人が世間の奴隷なんだ。
これをもって小2の1学期は無事に閉幕する。我ながら地味な期間である。夏休みに入るが、やることは一緒だ。基本的に長期休暇はおじいちゃんの家に遊びに行き、長期休暇の宿題は当たり前のように無視した。どの学年でもここだけは一緒で、特に大きな変化はなかった。よくよく考えてみれば、好きなことをしてるだけなのに、周りの反感を買うのは、やはりおかしいと思った。
これが洗脳というやつなんだろう。日本人の反対語は寛容なのかもしれない。
性別によって好みさえも規定される。
その経験が反映されております。
柳瀬優子(CV:中原麻衣)