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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第20章 第一人者編
498/500

498杯目「取り戻した本来の自分」

 バールスターズ決勝トーナメント準決勝が間近に迫る。


 チーム葉月珈琲、チームアステカ、チームマイケル、チームタイムズスクエアの4チームが残る。


 うちを除けば、アメリカ周辺だけが残った。AIは物事を合理的に判断する。つまり各国のバリスタの先進性を如実に表している。世界はアメリカを中心に動いている。生き残ったアメリカ周辺のチームはいずれも高等なバリスタ教育を受け、最適化されたバリスタ王国と化している。


 以前マイケルたちと話した際、マイケルは日本のバリスタのレベルの高さに驚き、このままではアジア勢に席巻されてしまうと考え、まず始めたのがプロ契約制度を見据えたバリスタ教室である。全米中のカフェから将来有望なアメリカ代表を輩出するべく、企業の枠を超え、定期的に研修を行った。


 あれから10年が経過し、結果は見事なまでにアメリカ代表を常勝軍団へと押し上げた。


 葉月珈琲塾を参考に、不登校児を中心にバリスタ教育を始めた。しかも最初の成功例が息子のマイケルジュニアだ。偉大な父に負けまいとする意地もあっただろうが、何かを続けること自体が立派な才能だ。葉月珈琲塾も、バリスタ教室も、夢中になったことを続ける環境を提供しているにすぎないのだ。うちは生きる力を全面的に強化している一方で、マイケルはバリスタを目指す人を登用する方法を採っている。精鋭を育てる一方で、棄民は徹底して見捨てる方針の国だ。


 どうせ自己責任と言うなら、いっそのこと、日本も一切の干渉をやめてしまえばいい。


 決勝トーナメント準決勝の相手はチームアステカ。メキシコ人3人のチームであり、家がコーヒー生産地という大きなアドバンテージがある。3人共バリスタ兼コーヒーファーマーだ。中でもコーヒー農園の園長でもあるロドリゴ・ナバスクエスはバリスタとしても凄腕だ。WBC(ダブリュービーシー)ではメキシコ代表初のワールドバリスタチャンピオンにも輝いている。バリスタオリンピックにもメキシコ代表として出場し、中南米のバリスタとしてはトップクラスの成績を叩き出している。


 いつでも農園で練習ができる環境に加え、ワールドコーヒーコーポレーションの支援を受け、名実共にトッププロとなった。バリスタオリンピック2027ソウル大会優勝候補と目され、アメリカ代表にとっても脅威となっている。一方でチームマイケルはチームタイムズスクエアと準決勝で対峙し、アメリカ代表同士での潰し合いとなる格好だ。西海岸対東海岸の構図でもあり、コーヒー三大聖地の1つであるシアトルと、昨今のバリスタブームで勢い盛んなニューヨークの対決は米メディアにも注目されている。


 まずはチームマイケル対チームタイムズスクエアの準決勝第1試合が始まった。


 優勝候補以外は誰も残っていない。ベスト8で敗れた4チームは順位決定戦トーナメント進出となる。バリスタオリンピックを意識していることもあり、5位までは確定させる必要があるのだ。バールスターズは順位によって賭けた分の倍率が細かく変動するため、10位までは順位を確定させた上で入賞扱いとなり、1回戦で敗れたチーム同士は9位と10位を決める戦いを既に終えている。


 順位決定戦も終わった。チームフォルモサは最終5位となり、表彰台が確定している。


 3位決定戦なんて絶対したくない。優勝以外は全て負けだ。


 拮抗勝負になるかと思いきや、チームマイケルがあっさり勝利を決めた。しかもノーアウトのままジェイク1人だけでストレート勝ちしてしまった。チームタイムズスクエアは3人共肩を落としながら項垂れている。去年は決勝で当たっている2チームだが、実力差は縮まるどころか開く一方だ。


 敗者も成長するが、勝者もまた成長しているのだ。


 今分かった。マイケルは間近で自分の教え子たちが羽搏く姿を見届けたいのだ。


「チームマイケルが決勝進出を果たしたか。あっけなかったな」

「マイケルさんもジェシーさんも凄腕ですけど、ジェイクさんもかなり鍛えられてますね」

「今回はマイケルジュニアがいないと思ったが、その理由がやっと分かった」

「皐月ちゃん、どういうことなの?」

「チームマイケルはマイケル自身が贔屓なしの実力だけでチームメイトを決めていると聞いた。あのジェイクという男は恐らくマイケルジュニアを超える逸材なんだろう。ジェシーも直近の結果だけを見れば、マイケルジュニアを上回っている。つまり、アメリカにはマイケル親子を超えかねないバリスタが山のようにいるということだ」

「天才の集まる国か……」


 日本は天才が集まるどころか、天才が出て行ってしまう国だ。


 国際的に活躍している日本人は海外に拠点を置くことが多くなった一方で、国際的に活躍している外国人は自国在住であることが多い。活躍できる人ほど、自信を持って自国を拠点に置き、自国の宣伝広告塔にならなければ、国は衰退の一途を辿る。愛国心はない。だが愛国心の持ち方は知っている。


 国内が無能だらけになれば、世紀末まっしぐらだ。


 葉月珈琲塾が公教育に取って代わるしか方法はないだろう。


 天才が集まらないなら、天才を輩出するしかない。それが葉月グループの戦略だ。


 運営スタッフに呼ばれ、準決勝第2試合が目前に迫る。


『クイック・カプチーノ』は文字通りカプチーノを早くコーヒーの作成し、先にAIジャッジテーブルに10杯並べたチームの勝利となるスリーオンスリーの競技である。全員参加であり、負ければ即スリーアウトだ。焙煎済みのコーヒー豆をグラインダーで砕いてポルタフィルターに入れる作業、ポルタフィルターをエスプレッソマシンに装着してエスプレッソを淹れる作業、出来上がったエスプレッソにスチームノズルを用いて作ったスチームミルクを投入し、カプチーノを淹れる作業を3人で手分けして行う。ラテアートを描いてもいいが、それでは相手に後れを取ってしまう。ラテアートなしのスピード勝負だ。ポルタフィルターは2つまで使用することが認められ、一度に2杯のカプチーノを淹れることになるが、この作業を合計5回繰り返すこととなる。


 さしずめ、バリスタ競技会の徒競走と言ったところか。


 相手のことは一切見ずに作業を行う旨を伝えた。皐月がグラインダー担当、弥生がエスプレッソ担当、僕がカプチーノ担当としてステージに立つ。


 試合開始の笛が鳴ると、すぐに作業が始まった。どれも同じマシンを使われている。力仕事を必要とする競技は男性有利となるが、作業の正確さなら優劣の差はないと言っていい。AIジャッジテーブルはキッチンテーブルのすぐそばにあるため、足での競争にはならないのだ。皐月がグラインダーにコーヒー豆を投入して素早く砕き、ポルタフィルターにコーヒーの粉を投入し、弥生にバトンを渡す。弥生はすぐにエスプレッソを作成し、スチームミルクを作っていた僕に素早く渡すと、珍しくラテアートなしのカプチーノを作り、AIジャッジテーブルに2杯分置いた。


 チームアステカも作業の早さはお手の物。だが作業が雑なのか、少しばかり出遅れてしまう。スチームミルクを早く作ろうとするあまり、焦って多めに投入した牛乳をキッチンテーブルに零した。センサリージャッジはいないため、減点はされないが、チーム葉月珈琲を前にした焦りが見えている。次のスチームミルクを作ろうと、牛乳をミルクピッチャーに入れるが、手を拱いている間に2杯分の差がついた。皐月も弥生も助言通り作業に集中している。変に急ごうとするよりも、いつもと変わらない速さで淡々とこなす方が何だかんだで実は最速であることを僕らは知っている。急ぐと焦るは違うのだ。


 この2杯分の差が続き、チーム葉月珈琲が8杯目、チームアステカが6杯目をAIジャッジテーブルに置き、早くもリーチがかかった。猪突猛進の追い上げを見せるチームアステカは8杯目のカプチーノを終えると、すぐに9杯目と10杯目のエスプレッソを作り、ポルタフィルターを外すことなく即座に渡す。残るはお互いにカプチーノを淹れるのみだが、僕は9杯目と10杯目のカプチーノをAIジャッジテーブルに置いた。ロドリゴが2つのカップを両手に持ちながら、残念そうに僕を見つめる。


 タッチの差だった。相手が焦りを見せなければどうなっていただろうかと考えることはなかった。


「決まったぁ~! 僅かな差でチーム葉月珈琲の勝利! これで決勝進出となります!」


 会場から歓声が沸き上がる。僕らは手に汗握りながら闘志を燃やしている。


 何も考えず、ただ勝つために己の全てを解放する快感。全身から湧き出る元気の源。僕がこの正体を知っていた。微かに昔の競技会に出ていた自分の姿を思い浮かべる。優勝が決まった時、僕はガッツポーズを決めながら、両腕を小刻みに振り回していた。


 決勝は午後4時からだ。しばらく時間が余っているが、世界の頂点がすぐそこまで迫っている。


 スマホ画面と睨めっこをしながら入念に残りの競技を確認する皐月。


 弥生はサポーターチームを控え室に招き入れ、桜子たちが勢揃いする。


「ねえあず君、あたしたちを集めて何をする気なの?」


 リサがポニーテールの先端を指でクルクルと回しながら尋ねた。


 みんな覚悟を決めている。思えば毎年のようにバリスタ競技会で葉月家と楠木家を賑わせてきた。自分たちが毎年続くものと思っていたおかしな日常が、ようやく終わるのだ。


 これが最後の雄姿だと、伝えたかったのかもしれない。


「今日までずっとチーム葉月珈琲を支えてきてくれたことに感謝する。泣いても笑っても、これが最後の競技だ。知っているとは思うけど、僕は今日限りでバリスタ競技会から引退する。今までは僕を応援してくれていたけど、これからはみんながそれぞれの推しを見つけて応援してくれ。この20年間、色んなバリスタ競技会に出場してきた。最初は店を宣伝する目的だったけど、いつの間にかとんでもない所にまで辿り着いてた。無我夢中でバリスタオリンピックで優勝してからも、ずっとモラトリアムを延長するかのように続けてきた。でもこのままじゃ駄目だと気づいた。僕はコーヒーと共に生きていくことを決めた。バリスタとしてではなく、コーヒーファンとしてだ……今日までありがとう」

「何だよ唐突に。参加したくなったら、いつでも好きな時に参加する。それでいいじゃん」

「その時はもう来ねえよ。本当にやりたいことを見つけたからな」

「はいはい。まあでも、いつものあず君が戻ってきたって感じだね」


 吉樹が茶化すように言った。いつも通りなのはお互い様だ。


 親戚とは集会の時以外ほとんど会わなくなったが、葉月グループの一員として働いてくれている証でもある。ただ生活するためだけの労働ではなく、仕事に信念と責任感を持って取り組んでいる。事業拡大路線をひた走る背景には、みんなの人知れぬ活躍があった。


 朝まで世界中から押し寄せた外国人バリスタで賑わっていた控え室には僕らしかいない。


 明日の栄光のため、傷つける覚悟も傷つけられる覚悟もした。


「弥生、皐月、最後にこれだけ言わせてくれ」

「どうしたんですか? そんなに改まって」

「あず君らしくもないな。今生の別れでもないだろうに」

「憧れを捨てろ。これから対戦する相手は今までに対戦してきた中で最強のチームだ。マイケルにジェシーにジェイク。バリスタやってる人なら一度は聞いたことのあるスーパースターばかりのオールスターチームだ。昨日までに弥生はジェシーに握手をしてもらって、皐月はジェイクにサインを書いてもらって、桜子も葉月珈琲に来たマイケルにわざわざ挨拶しに行ってたよな?」

「……すみません」

「いいんだ。昨日まではな。でも今日だけは勝つことのみ考えろ」

「心得ている。憧れてはいたが、今は超えるべき目標だ。サインを書いてもらったのはジェイクからサイン交換を申し込まれたからで、私の方が強いと思っているぞ」

「ジェシーさんって結構フレンドリーな人で、誰にでも握手するんですよねー」

「挨拶しに行ったのは葉月珈琲始まって以来の方針に従っただけで、開発中のシグネチャーを飲んでもらうためでもあるんです。コーヒーとの相性が考慮されてないって酷評されちゃいましたけど」

「お兄ちゃん、もう昔のみんなじゃないよ。ここには誰かの活躍に憧れるだけで、リスクを恐れて何もしないような人間なんて1人もいない」


 璃子が僕の目の前まで足を踏み出すと、周囲にいるみんなが同時に頷いた。


 黙って就職レールに乗っていればそれでいいと、みんな信じていた。だが裏切られた結果、一時は貧乏生活を強いられ、ようやく気づいた。今までに受けた教育は不適切だったと。


 僕の生き方が証明した。自ら考え行動することでのみ、幸せが掴めることを。


「じゃあみんな円を作って。必ず優勝するぞ」


 円の中央に手を伸ばす。真っ先に手の甲に手の平を置いたのは璃子だった。


 連鎖するように、みんなの手が積み重なっていく。


「ファイトー!」

「「「「「おおーっ!」」」」」


 鼓膜が破れそうなくらいの異口同音が、控え室に響き渡る。


 午後4時、遂にバールスターズ2025東京大会決勝が始まった。


 司会者がチーム葉月珈琲とチームマイケルを高らかに呼び、会場の熱気が勢いを増してくる。今までで最も客足が多く、各国のカメラが僕らを映し、世界中に中継されている。しかし、そんなことは意に介さず競技にのみ集中すると言わんばかりに僕らも相手も沈黙を守っている。


『アサインメント・フリーポア』はAIによって与えられた課題に沿ったラテアートを描くワンオンワンの競技である。芸術性や独創性や再現性などを総合的に評価し、スコアの高い方が勝ちとなり、負けたバリスタはアウトになる。勝ったバリスタはアウトになるまで交代できず、完全な勝ち抜き戦である。文字通りフリーポアラテアートで課題をこなしていくが、課題は対戦毎に変わり、今までに描かれてきたラテアートのデータを元に出題される。例えば動物なら動物以外は描いてはいけないという内容となり、おまけであっても植物を描けば減点対象となる。


 今日まで培ってきた引き出しの多さが問われる上級者向けの競技だ。制限時間は5分。奇しくもこの勝負形式は、僕が最初に参加したバリスタ競技会、WDC(ダブリューディーシー)で行った競技と酷似している。得意なラテアートであれば優位に立てるが、苦手なラテアートや挑戦したことのないラテアートであれば不利になることは必至だ。最も実力が浮き彫りになる総力戦と言える。


 皐月とジェイクがそれぞれの先鋒として対峙する。


 最初の課題は『海洋生物』。皐月も海洋生物は描いたことがある。


 有利になると思ったが、皐月がイルカを描いたのに対し、ジェイクが描いたのはクラゲだった。今にも飛び出してきそうな触手が、細かく描かれている芸術性の高さを前に皐月が破れ、アウトになった。今度は中堅として、弥生がステージ上のキッチンテーブルの前に立つ。


 次の課題は『架空惑星』。想像上の惑星をフリーポアラテアートで描くわけだが、陸上や海をどう描くかのセンスが問われる。弥生は丸い惑星にくっきりとした雲を描き、リアリティを再現する。ジェイクは惑星を小さく描き、罰印のように見える二重の環を描いたが、独創性で勝る弥生の勝利となった。


 チームマイケルの中堅として、ジェシーがステージの階段を優雅に上がる。


 ペンスティックイーンと呼ばれるラテアートの腕前は強豪アメリカ代表の中でも群を抜いている。だが今回はフリーポアラテアートであるため、画家としての側面はデザインカプチーノほど発揮されにくいとはいえ、ジェシーはやはり大きな脅威であった。


 次の課題は『自然環境』。生物全般を描いてもいいが、自然を表現しなければならない。


 弥生は森の中を駆け抜ける狐を描いた。丁寧に長い植物で囲んでいるが颯爽とした感じがしない。ジェシーは大きな葉の下で雨宿りするカタツムリを描いた。植物を利用しながら自然と共存する生物らしさを見事なまでに表現している。ジェシーの勝ちだ。


 僕が思った通り、総合スコアでジェシーが上回ると、弥生が無念そうに顔を顰めた。


「私と皐月ちゃんをもってしても、1人を倒すのが限界なんて……」

「これが今の日本(僕ら)アメリカ(あいつら)の差だ。よくやった。後は任せろ」


 仲間を労い、自らを追い込み、歓声のスポットが当たっているステージに足を踏み入れた。


 正直に言えば、1人倒してくれただけでもかなり助かる。


 僕だけで3人を倒さなければならない展開まで覚悟していた。


 昔のままを維持しようとしてきた連中と、今の社会で生きる力を育ててきた連中の差が、こんなところにまで表れていることがよく分かった。単なる才能の差ではない。僅か10年でバリスタの育成環境に大きな差がついていたことが、競技を見ただけで分かってしまったのだ。


 僕が引退すれば、日本代表はしばらく鳴りを潜めるだろう。


 バリスタの育成は伊織に任せているが、人を遺すのは簡単じゃない。


 僕とジェシーが真っ向から対峙する。ジェシーは僕に平伏すことなく、対戦を心待ちにしていたと言わんばかりに意気揚々と向かってくる。この姿勢はかつて見たことがある。いや、持っていたことがあると言った方がいいだろうか。厳しい状況なのに、この心が躍る気持ちは一体……。


 次の課題は『飛行生物』。すぐに鳥類が思い浮かぶ。


 だが僕の直感は違うとすぐ感づいた。ただの鳥類では負けるとコーヒーが僕に教えてくれている。直感に従い、人の姿を描き、両手の幅よりも長い翼を生やし、大空へと羽搏いていくイカロスを完成させた。フリーポアで様々なキャラクターを描いてきたお陰か、思ったよりもスムーズに描けた。ジェシーは翼を満開の花のように広げた孔雀を描いた。優雅ではあるが、地上に居座ったままだ。


 僕とジェシーの総合スコアが表示されると、観客席から熱狂の声が飛び交った。


 黙ったままジェシーがステージの階段を下りていく。


 入れ替わるように『最強にして最大の相手』がのっそりと階段を上がってくる。


 お互いに後がない状況であることなど、すっかり忘れていた。


 実に10年ぶりの対決だ。マイケルはバリスタオリンピック2019ウィーン大会で僕にリベンジするつもりだったが、望みが叶うことはなかった。僕も心の奥底ではきっと望んでいた。さっきまで騒がしかった観客でさえ、今はだんまりを決め込み、固唾を呑んで見守っている。


「うわー、マイケルだよー」

「何これ……まるで漫画じゃん」

「やばい、俺ドキドキしてきた」

「あたしもこんなに緊張したの初めて」


 最後の課題は『未来創造』。未来への希望を匂わせるラテアートなど考えたこともない。


 周囲が止まっているように見える。ラテアートが自然な形で閃き、無心になりながらも、右手にはミルクピッチャーを、左手にはエスプレッソの入ったコーヒーカップを持ち、全神経をスチームミルクに集中させた。僕が直感のままに描いたのはコーヒーを嗜む女神。正体はコーヒーを擬人化した存在だ。潤いとゆとりを滲ませ、常に僕を導いてきた先導者だ。運命に翻弄されている僕の人生に何度も穏やかな一時をもたらしてきた。コーヒー業界の未来はコーヒー自身が決めるもの。彼女がもたらしてきた恩恵に最大限の尊愛を表現した。マイケルが描いたのは近未来を思わせる大都市。シンプルではあるが、細部にわたって表現されている。どちらも今までで最高クラスのラテアートだ。


 5分も経たない内にラテアートを描き終えた。


 同時にコーヒーカップを置く。思わず笑みを浮かべた。


 ――この胸の高鳴り……やっと……思い出した。失われた……大切なものを。


「それでは正真正銘、最後の結果発表となります。優勝は……チーム葉月珈琲だぁ~!」


 司会者が高らかに僕らの優勝を宣告する。


 僕は弥生と皐月と共にガッツポーズを決めた。体を弾ませ、抱き合って喜びを露わにする。


 マイケルは一瞬笑みを浮かべ、ステージを下りていく。サポーターチームのみんなも途中から混ざり、揉みくちゃにされる中、何度か胴上げされ、全員が背中を叩きながら抱き合い、勝利の味を噛みしめる。


 もうどんなことがあっても忘れない。


 どんな時でも、素直にコーヒーを楽しむ気持ちを――。

読んでいただきありがとうございます。

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