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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第20章 第一人者編
497/500

497杯目「乱世の猛者」

 ――バールスターズ3日目――


 翌朝を迎えた。疲れ果てていたこともあってよく眠れた。


 日差しに起こされて目を覚ますと、やはり昨日までより体が軽い。


 僕の隣にはスヤスヤと眠る桜子の可愛らしい寝顔があり、耳を澄ませなければ聞こえないくらいの寝息が肩に伝わってくる。桜子は僕の心に詰まっていた膿を出してくれた。心の中でもやもやと漂っている漠然とした違和感はない。昼からはバールスターズ決勝トーナメントだ。


 早く備えなければと思っていたところだった。


「昨日はお楽しみだったようだな」


 予想外の声に、僕と桜子は勢い良く飛び起きた。


「皐月っ! 何でここにっ!?」

「ここのホテルは複数の合鍵を認めているからな。最初にここに来た時、すぐ呼びに行けるよう合鍵を共有するように言ったのはあず君だぞ」

「――そういやそうだった」

「前々から怪しいと思っていたが、やはりそういうことか。桜子、ちゃんと説明してもらうぞ。あず君が認めたというなら反対はしないが、交際を続けるなら、最低限、唯の許可は必要だ」

「それでしたら、もう認めてもらってます」

「えっ……」


 桜子が紅色のスマホを取り出し、唯とのメールのやりとりを公開する。


 唯とも仲が良く、相手の幸せを第一に考えている桜子が認められるのは当然か。


 黙ったまま服を着る桜子。引き締まった裸体が段々と服で隠れていく。桜子は朝早くから外でランニングをしてから腹筋運動や柔軟体操をするのが日課だ。モデルのようなスタイルには訳がある。彼女が鍛えているのは健康のためではあっても、男に声をかけられるためではないのだ。


 桜子の父親は不摂生のために何度か入院している。やっとダイエットを始めたらしいが、桜子はそんな父親のようにはなるまいと鍛錬を積み、結果的に健康的でスタイルの良い女性になったが、同時に外のケダモノたちを引き寄せる弊害を生み出した。やはり物事はトレードオフである。


 まだ8時を回ったばかり。朝食を食べようとレストランへと赴いた。


 璃子と弥生とも合流し、全ての事情を話した。璃子も弥生も呆れ気味だったが、桜子が頻繁に声をかけられることが悩みの種であったことは弥生も知っていたのか、深く言及することはなかった。


「桜子、これからよろしくな」

「はい。精一杯サポートさせていただきます」

「それ、どっちの意味ですか?」

「もちろん、両方です。璃子さん、弥生さん、皐月さん、大会中にお騒がせしてすみませんでした」

「いいんです。悪いのは全部このケダモノですから」


 汚物を見るようなジト目を向ける璃子。もっと罵ってくれとは言っちゃいけないんだろうな。


「同感だ。お前のことを愛してはいるが、見境がないのは頂けないぞ」

「そうですよ。寄りによって桜子さんまで犯すなんて」

「お前ら……手厳しいな」


 弥生も皐月も僕に対して遠慮がなくなっている。


 まっ、大手グループ企業の総帥相手にビビるようじゃ、僕のチームメイトに相応しくないか。


 数々の戦いを経て、誰が相手でも物怖じしないくらいには自分に自信がついたようだ。苦難困難災難に塗れた冒険ほど人を強くするものはない。早く社会に出て冒険してきたうちの精鋭たちは、これからの日本を支えていくだろう。太平の世で活躍する人間もいるだろうが、これから衰退していくこの国で求められるのは動乱の世で活躍する人間だ。葉月グループが育成してきたのは、他でもない乱世の猛者である。葉月グループにとってのチーム戦は、ある意味ではその成果を試す機会と言ってもいい。


 色恋沙汰で揉めている場合ではない。チーズとハムが挟まったホットサンドが僕の前に置かれ、サクサクとした触感を味わった。皐月は牛乳が入ったシリアルを食べ始め、咀嚼音が辺りに響く中、璃子は背中にまで伸びている黒髪を後ろにまとめ、可愛らしいポニーテールが完成する。さっきも通りがかりの男から声をかけられたが、丁寧に断っていた。


 朝食を終えると、璃子は僕だけを引き留め、皐月たちを下がらせた。


 周囲に人がいないことを確認すると、璃子は僕を見ながらコーヒーを口に含む。


 璃子がここに来ている理由はこれだけではなかろう。


「お兄ちゃん、今日の大会が終わったら、すぐ岐阜に戻ってほしいの」

「何だよ改まって。何かあったか?」

「大粛清の後、杉山派がうちのネガティブキャンペーンを始めたでしょ。世間を味方につけて、お兄ちゃんを弾劾しようとしてる。どんな結果に終わろうと、杉山派には世間が味方についてる以上、簡単には引き下がってくれないかも。大粛清による失業者と、被害に同情してる人たちばかりだけど、いくら法律違反じゃないにしても、無職アレルギーが蔓延してる日本で大勢の人を失業させるのは、ある意味犯罪よりもずっと重い罪と言っても過言じゃない。だから千尋君にも頼んで、対策を進めてるとこ」

「戻ってどうしろってんだよ?」

「これから杉山派の残党狩りをやる。お兄ちゃんがバールスターズで優勝すれば、杉山派の企業を全部吸収合併できるだけの資金が貯まる。グループの財産のほとんど賭けたって言ったけど、実は嘘なの。それでも経営に影響が出ない程度は投資してるけど、ベスト4で元が取れるくらいにはなるよ。でもお兄ちゃんは、それくらいで満足するような小物じゃないよね」


 にっこりと笑いながら璃子が言った。僕らだけの話ではあるが、心が凍りつきそうだ。


 こんなことを皐月たちが知ったら、きっと競技には集中できないだろう。


 璃子は珍しく深刻に捉えている。全国で反乱が起これば、懸念すべきは不買運動だ。葉月グループの売り上げは先月から下降気味だ。持久戦を仕掛けられれば、いくらグループ企業とはいえ、苦戦を強いられることは間違いない。むしろ維持コストの重いグループ企業相手だからこそ効く戦略だ。皮肉なことだ。持久戦略の恐ろしさを知り、様々な相手に仕掛けてきた璃子が、持久戦略を挑まれるとは……。


 某ブラック居酒屋も過労自殺事件以降は評判を落とし、令和恐慌の影響を諸に受けている。


 営利企業である以上、評判と売り上げはある程度比例する。だからこそ多くの企業は大粛清なんてまずやりたがらない。たとえそれが……どんなに正しいことであったとしても。


 ただ、バリスタ競技会をそんなことに巻き込みたくはない。それが僕の答えだ。


「璃子、今気づいた。僕がここまで戦ってきたのは、葉月グループのためじゃない」

「どういうこと?」

「僕が優勝を目指す理由は他でもない。コーヒーで世界平和を実現するため。いくら賭けるとか、反乱をどうにかするとか、そういうのはなしだ。コーヒーの流儀に反する」

「――お兄ちゃんらしい」


 目は呆れているが、口元は緩んでいる。


 新たな葉月グループ包囲網ができていた。だがそんなことは関係ない。


 今はただ、この大会で全力を尽くすのみ。


 ――そういえば、うちの店が倒産寸前の頃も、売り上げなんてそっちのけで大会に臨んでいた。


 本来ならすぐに戻らなければならない総帥案件だが、それでも夢中にさせるだけの気持ちは何だ?


 負ければ後がない。だがそんなことさえ忘れさせてくれるような心躍る感じ、僕が以前持っていた確かな気持ちと思えるくらいには感覚を取り戻しつつある。これからトッププロばかりのチームと対戦する。不安なんてどこにもない。ここまでに生き残った者たちだけが味わえる最高の舞台で競技ができるのだ。そして何より、コーヒーに携わることに情熱を捧げられることが嬉しくてたまらない。


 大会前まで練習を繰り返す。決勝トーナメントの競技は9種類だ。


 10チームいるため、1位通過の中でオポネントの高い2チームが余る。決勝トーナメント1回戦を免除され、2回戦から戦うことになるわけだが、ここで1つ問題が発生した。


 ぶっちぎりの1位通過となったチームマイケルは、ギリギリで2位通過しているチーム葉月珈琲が1回戦を順当に勝てば2回戦で当たるはずだった。だがチーム葉月珈琲の配置が変わり、チームマイケルとは決勝で当たる図式になっていた。ルールブックを確認するが、ルール違反はどこにもない。運営側の事前調査で、優勝候補に入ったチームの内、複数のチームが決勝トーナメントに進出した場合、配置を変更する場合があると記載されていたのだ。


 これはどうなんだと思いながらも、内心ではホッとしている自分がいる。


「チームマイケルとは決勝か」

「事前変更なんて、ちょっとおかしくないですか?」

「この大会はアメリカの投資家の息が掛かってる。アメリカ代表でもあるチームマイケルが2回戦で負ける可能性があると思っての配置転換だろうな。大会はビジネスと隣り合わせだ。客寄せのために楽しみは後に取っておきたいと考えても不思議じゃない」

「前にもどこかでこんなことがあった気がします」

「相手がどのチームだろうと関係ない。目の前の敵を倒すだけだ」


 皐月の力強い言葉からは自信が窺える。裏打ちされた経験や挫折が皐月を強くした。


 コーヒーイベントでは2大会でファイナリストにはなったものの、珍しく優勝できなかったことが心残りとなっている。ここまで良いとこなしなのは僕も同じ。司会者がマイクに向かって言葉を発している。もうすぐ始まる合図だ。昼飯は抜くつもりで挑んできたが、今日は対戦の合間に休憩がある。


 午前12時、待ちに待ったバールスターズ決勝トーナメントが始まった。


 1回戦毎にアウトカウントはリセットされるが、アウトになったバリスタはその競技には出場できない制約がつきまとう。ツーオンツーの競技となった場合はトーナメントルールが適用され、勝った側が負けた側の参加したバリスタを1人選んでアウトにできる。アウトになったバリスタは控えのバリスタと交代となる。残り1人になった場合は1人で2人の相手をしなければならず、3回負ければスリーアウトだ。AIによってルーレットが回され、早速競技が決まった。


 決勝トーナメント1回戦の相手はチームファルコン。文字通り鳥類のラテアートを得意とし、メルボルンのカフェ激戦区に拠点を置く強豪チームだ。白人に黄色人に黒人と、人種はバラバラのようだが、3人中2人は10代後半であり、年齢制限である15歳をギリギリクリアしている者までいる。


 リーダーのジミー・クリントンはオセアニアを代表するバリスタの1人だ。バリスタオリンピック2023ダブリン大会ではオーストラリア代表を務めた。予選落ちではあったが、革命的なシグネチャーを作っており、エスプレッソ部門とコーヒーカクテル部門のスコアで上位となった。創造性ならジェシーやジェイクを凌ぐ逸材と言われている。今後の修業次第では、日本代表にとって脅威になりかねない。マイペースなチームをしっかりまとめ上げ、個人の強さが目立っているチームファルコンに絆をもたらし、チームリーダーとしての才能も発揮している。


『コンビネーション・ラテアート』は1人目がフリーポア担当としてフリーポアラテアートを描き、2人目がエッチング担当としてペンスティックでエッチングを行う変則的なデザインカプチーノ競技である。ツーオンツーの競技ではあるが、担当は1戦毎に入れ替えることができ、残り1人になった場合は1人でフリーポアとエッチングを担当するため、状況によっては1対2もあり得る。


 AI判定による総合スコアの高い方が勝ちとなる。


 もう負けが許されないことを両チームの沈黙が物語っている。


 ステージ上の作業用キッチンにはグラインダー、各種コーヒーマシン、様々な大きさのコーヒーカップが整理整頓されており、どの競技が始まっても対応できるが、この巨大なキッチンを見るのも今日で最後である。決勝が始まる度に、これが最後の大舞台なのかと思い、全力を尽くしていた。


 無論、今回こそ自らの進路を決める時だ。他人には進学をモラトリアムの延長と言っていたが、かく言う僕もバリスタ競技会にモラトリアムを求めていた。ずっと同じ日々が続けばと思っていたが、人との距離があってないような環境となり、変化の激しい世の中で生き残るには、競争に参加して勝つか、弱者として特権を手に入れるしかない。これから大きな格差社会がやってくる。


 バリスタ競技会を卒業するのに、これほど相応しい舞台はない。


 早速競技が始まった。制限時間5分以内であれば何杯作ってもOKだ。提出する1杯はエッチング担当が決めることになるため、まずは皐月がフリーポア担当となり、僕がエッチング担当である。


 何を描くかは事前に相談できるが、相手を上回るデザインカプチーノを描かなければならない。完成したデザインカプチーノは、AIジャッジテーブルの真上に付属しているカメラの中央点に合わせて置く。皐月が手早くフリーポアを済ませ、すぐさま僕のそばにカップを置き、バトンを引き継ぐようにラテアートの続きを描いていく。これがカップルとして初めての共同作業だが、彼女たちとの共同作業はコーヒーにまつわることばかり。コーヒーは僕らの架け橋となってくれたばかりか、縁結びのきっかけにさえなっている。これも立派な恩恵だ。


 試合はチーム葉月珈琲の圧勝だった。


 僕と皐月だけで相手を全滅させ、経験の差が勝負を分けた。


 練習していたのは最も難しいラテアートの1つ、動物の正面顔だ。ライオンやチーターにナマケモノを描いてストレート勝ちだ。ここまで気持ち良く勝てるのも珍しい。


 1回戦が終わったところで、残り8チームとなった。


 ここからは順当にトーナメントが行われ、上位通過のチームも参戦する。


 決勝トーナメント2回戦の相手はチームフォルモサ。台湾人3人のリーダー、チェンは葉月グループ国際スカウトアジア部門担当であり、生き残った数少ないアジア勢でもある。詰まるところ、身内同士の潰し合いだ。大人の事情でトーナメントの配置転換が行われなければ決勝で当たるはずだった。


「久しぶり。まさかあず君が参加してくれるなんてね」

「まあな。最後に対戦するアジア勢が君で良かった」

「大袈裟だなー。噂で聞いたけど、バールスターズが終わったら引退するって本当?」

「うん、本当だ。僕にも卒業する時が来た。バリスタ競技会は僕を成長させてくれた。でも同時に僕のモラトリアムでもあった。僕はどう生きるべきなのか、これでいいと思いながらも悩んで生きてきた。バリスタが天職であることに変わりはねえよ。ただ、僕にとってバリスタ競技者というのは、昔から目指していたものとは違う道だってことがよく分かった」

「目指すべきものが見つかったんだ。いいよ、そういうことなら引導を渡してあげるよ」

「仮にもここまで生き残ったんだ。それくらいの意気込みじゃねえとな」


 チェンはチーム葉月珈琲を前に物怖じするどころか、全身から神々しいオーラを放っている。


 真に強い相手と当たった時に発する武者震いのようなもので、チェンはバリスタオリンピックファイナリストの名に恥じないだけの実力と度胸を兼ね備えている。


 あの頃とは比べ物にならない。全力を維持し続けることを強要され、耐えられなければ負けると思わせるくらいにゾクゾクする。手が震えている。だが不思議だ。怖いからじゃないことは分かる。


『ファインディング・コーヒー』はドリンクの中から、コーヒーが使用されている商品を当てるワンオンワンの競技である。作業用キッチンテーブルには会場内にある売店や会場の周辺の店で販売されている数多くのドリンクのサンプルが置かれ、10種類のドリンクから1杯のコーヒードリンクをクイズ形式で当てるものだ。回答が同じ場合は早押し対決となる。コーヒーは隠し味程度に使用される場合もある。当てること自体は難しくない。味覚の格闘技と称される競技会なら何度もこなしてきた。


 ワンオンワンであるため、1対1をひたすら繰り返し、負けた方が控えと交代し、先に相手を全滅させたチームの勝ちである。先鋒は1回戦では控えだった弥生に任せ、中堅は1回戦で疲れが見える皐月に、大将は僕が担当する。僕はナイトフィーバーしたお陰か、余分な欲も重圧もないのだ。寝る前に疲れ切ったことで、ぐっすり眠ることができたし、結果的に規則正しい時間帯の睡眠となった。目覚めの良い朝を迎え、昨日の桜子の全身を味わった感触が今も手に残っている。


 全身からアドレナリンが溢れ出る。今は疲れすら感じない。


 大会前は彼女たちに欲求を発散してもらっていたことを思い出す。


 試飲用のスプーンと吐き出すための紙コップが渡され、試合開始を告げる笛が鳴った。


 弥生がチームフォルモサの先鋒と中堅を倒し、残るは大将のチェンを残すのみとなった。


 しかし、チェンは思っていた以上に強かった。磨き抜かれた味覚はコーヒーが放つほんの寸分のフレーバーを感じ取り、弥生だけでなく、皐月まで倒してしまった。ストレート勝ちしたかったが、どうやら最愛の恋人は、そう簡単に卒業はさせてくれなさそうだ。


 ステージに上がると、目の前に闘志を燃やすチェンと視線が合う。


 新たに10種類のドリンクが置かれ、確信した時点で数字の書かれたボタンを押す。


 1杯ずつスプーンですくい、カッピングを続けていく。


 途中の8杯目に辿り着く。このドリンクは果物が使われていないのにフルーティーだ。コーヒーを用いていない創作ドリンクばかりだが、パフェのようなフレーバーが加わっているのは確かだ。10杯もある以上、梓式はまず使えないが、このドリンクが正解と、最愛の恋人は優しく僕の耳元で呟いた。


 ハンバーグの中にピーマンを少しだけ混ぜられたあの時と同じだ。


 コーヒーではない時も、彼女は僕に告げ口をしてくれた。


 ――僕はこの直感を信じるっ!


 覚悟を決め、恐る恐る8番のボタンを押した。押したら最後、カッピングはできない。


 チェンは気づかないまま、10杯目のドリンクを全てカッピングしている。ようやくカッピングが終わると、考え抜いた末、8番のボタンを指で圧迫する。


「両者共8番を選択しましたが、タイムに差があります。判定が違った場合はやり直しです。それでは判定の発表です……コーヒードリンクは8番! よってチーム葉月珈琲の勝利です!」


 歓声が沸き上がり、チームフォルモサの敗退が決まる。


 チーム葉月珈琲はベスト4への進出が決まり、賭けた分は取り返すことができた。


 だが葉月グループの脅威となる連中を飲み込むなら優勝しかない。チーム葉月珈琲は優勝候補にこそ入っていたが、破竹の勢いを誇るチームマイケルに賭ける金額が集中し、チーム葉月珈琲の倍率が上がっていた。優勝すれば賭けた分の倍以上の金額で返ってくると璃子は言った。皐月はともかくとして、去年まで実績のなかった弥生の期待値が低いことも、倍率が上がる要因となった。


 璃子の奴、そこまで考えて……。


「おめでとう。やっぱりあず君は強いね」

「昨日までの教訓が活きただけだ。君は3連戦で色んな味が邪魔をしてた。僕なら1戦毎にキッチンテーブルに付属している蛇口から水を出してうがいをしてた。3分間の小休憩はそのためにあるんだ」

「――君には敵わないな。ただ、そうしていたとしても、8杯目でカッピングをやめる勇気はないよ」


 言葉を残し、チェンはステージを降りていく。


 ベスト4の戦いは午後3時からだ。しばらくは休憩である。


 ステージから下りると、皐月と弥生が笑みを浮かべながら待っている。ハイタッチを交わし、チームの確かな成長を確認する。アジア勢は遂に僕らのみとなった。昼食を食べに行こうと考えたが、下手に食べれば今後の競技に支障が出ると考え、刺激物を避けつつ、軽食だけで済ませようと、売店でコーヒーとピザトーストのセットを注文し、チーズを伸ばしながら平らげた。


 最後の戦いは、すぐそこに迫っていた。

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