490杯目「決着の果てに」
観客からの応援コールが響き渡る中、弥生は感涙が収まらない。
彼女に葉月グループの命運を託すこととなったが、見事に結果を出してくれた。
壁は多くの場合、自分の心が作るものだ。行動すればできるのに、思い込み1つで委縮し、できることもできなくなってしまった人を数多く見てきた。それは魔法のようなもので、人はできると思ったことしかやらなくなっていく。自分で長所の守備範囲を狭めているのだ。
せっかく才能があるのに発揮できないのは、できないと思うことで否定バイアスがかかり、天井までしか伸びなくなるのだ。天井がある環境から青空が見える環境に変われば案外伸びるもので、人の可能性を決めつけているのは自分自身だ。ならばその意識を変えてやればいい。
やればできるのに動けないのが1番怖いのだ。
杉山社長は僕の隣で両腕の拳を机に力一杯打ちつけた。
紙コップが横倒しになり、コーヒーが零れ出た。
「こんな勝負は無効だっ! 一体どんな細工をしたんだ!?」
「往生際が悪いぞ。全部実力だし、そのために公式の監視役まで置いたんだ」
「ふんっ、どうせサポーターに妨害工作をさせたか、センサリージャッジを買収したんだろう」
「それは自己紹介かな?」
「とにかく、不正でないことが証明されなければ、契約内容を認めるわけにはいかん! それに私は裁判官と癒着しているんだ。仮に捕まったとしても、すぐに出所して――」
「その裁判官でしたら、先ほど逮捕されました」
宇佐さんが僕と杉山社長の背後から歩み寄り、告げ口をするように呟いた。
薄紫のスマホ画面には裁判官と思われる50代くらいの男がパトカーに乗せられようとしている写真が載せられている他、杉山社長と癒着していることを告白する内容が記事にまとめられている。
後ろ盾を失った杉山社長は宇佐さんの背後にいる法の番人に恐れ慄く。
「それと、警察も呼んでおきましたので、無駄な抵抗はしない方が身のためかと」
「おのれぇ~。このままで済むと思うなよ」
「杉山平蔵、贈賄の罪であなたを逮捕します」
「くっ……」
両腕に手錠にかけられ、背中を押されるように連れて行かれる杉山社長。
警察官の手には1枚の逮捕状が掴まれ、印籠を突きつけるように見せびらかす。
結局、決着までに杉山グループを吸収合併することはできなかったが、優勝回数勝負には勝った。吸収合併が確定したのだ。コーヒーイベント終了時には株主総会が行われる。できれば杉山社長にも出席してもらいたかったが、望みは叶わないようだ。
杉山社長が足を止めると、厳つい横顔を見せ、片目の視線を向けた。
「最後にこれだけ忠告しておく。私がいなくなれば、今まで維持してきた社会の均衡が崩れる。吸収合併したところで、成り上がりの葉月グループでは抱えきれまい。コーヒー業界の覇権を狙うグループはいくらでもいる。葉月グループは1つの戦いを制したにすぎん。簡単に制覇できると思わないことだ」
「たとえそうだとしても、全部ぶっ潰してやるよ。僕はあんたとは違う。たとえあんたが……どれだけの爪痕を残したとしても、この国は何度でも立ち上がる。このコーヒーイベントで活躍した連中を見れば分かるはずだ。僕らが勝てたのは、たとえ何度負けようと、それでも前に進むことを諦めなかったからだ。今を諦めちまったら、次世代の連中に託す希望もなくなっちまう。後世の連中から、社会が腐敗したせいで生き辛くなったと、この世の終わりまで後ろ指を指され続けることになるんだ。今を生きる人間としてこれほど恥ずべき所業はない。力を持った人間の仕事は、みんなを導くことじゃない……生きていて良かったとみんなが思える社会を作ることだ。あんたはその責任を果たさなかったばかりか、不当に利益を貪って、大勢の人間を安く買い叩いて、社会を内側から腐らせてきた。ちゃんと償ってもらうぞ……今まで払ってこなかった分、利子付きでな!」
「……」
警察官に背中を押され、連行されていく後姿は、いつもより小さく見えた。
葉月グループを潰す最大にして最後のチャンスを逃した。ピンチを乗り越えた後にはチャンスが舞い込んでくるとは言ったもので、葉月グループはこのコーヒーイベントを機に事業拡大の一途を辿った。
うちのバリスタを最後まで信じ、バリスタたちはそれに応えてくれた。
「よくやってくれた。流石は一流の諜報員だな」
「私は依頼主の要望通りに仕事をしただけです」
「宇佐さん、今日から元の業務に戻っていいぞ。成績次第で皐月と同じ職場になれるよう手配する」
「ありがとうございます。それと、皐月さんのこと、何卒よろしくお願いします」
「皐月なら心配いらねえよ。立花グループに業務提携を進言してくれたのは宇佐さんだろ。あれだけ迷っていた立花社長が杉山グループをあっさり見限ったのは、不祥事の1つが発覚したからと考えれば説明がつく。何重にも罠を仕掛けて、やっと引っ掛かってくれたってとこかな」
宇佐さんが大きく目を見開いた。店員の1人がこぼれたコーヒーを雑巾で拭き取っている。
最後の最後まで尻拭いをさせられているようにすら思えた。見ていられないと言わんばかりに、会計を済ませようと移動する。ショーケースに入っているスフレチーズケーキが目に映るが、気にしながらも店の外に出た。千尋たちは記念撮影を終え、観客は解散し、ぞろぞろと観客席を離れていく。
宇佐さんは僕に近づくと、一呼吸済ませてから口を開いた。
「やはりあなたは隅に置けませんね。仲間の調べによれば、あなたは現場主義の向こう見ずで、物事に対する拘りが強く、周囲を顧みないほど妥協を許さない職人気質。以前は極度の日本人嫌いで、対人関係は徹底した受け身で、誰に対しても分け隔てなく礼節無視のところあり。されど窮地になればなるほど内に秘めた才能を発揮する。絵に描いたような社会不適合者ですね。正直報告を受けた時は信用に値しない人だと思っていました。あなたは気づかなかったかもしれませんが、私は皐月さんへの報告も兼ねて、あなたをずっと偵察していたのです。まさか葉月グループに入るとは思いませんでしたが」
「……ずっと前まで感じていた妙な視線は君だったか」
「ですが、今なら分かります。皐月さんや立花社長があなたを信頼し、葉月グループの社員たちが葉月社長を尊敬し、いつも褒めている理由が分かりました。あなたは一見自分を曲げることを知らない子供のようにも思えますが、目標や仲間のために全力を尽くせる……とても素敵な人です。報告内容は事実ではありますが、真実じゃない。私たちも、もっと情報の質を磨かなければいけませんね」
「――依頼主にちゃんと礼を言っておかないとな」
宇佐さんは納得したように笑みを浮かべ、人混みの中へと足を進め、姿を消した。
不思議なことに、心のつっかえがまだ取れていない。何かが足りないと心が呟いている。僕には次の戦いがある。休んでいる暇はない。本来なら負けた時の保険として参加していたはずのバールスターズが目の前に迫っているのだ。皐月も弥生もそのことを理解しているのか、すぐに帰宅準備を始めた。
僕はこの日の内に東京を去った。一刻も早く家で待つ家族に会いたかった。
葉月グループが全冠制覇を果たしたことは、瞬く間に全国ニュースとなった。
号外記事を受け取った人は数知れず。民衆は優勝回数勝負の件を知らないが、葉月グループが事実上の覇者となったことを思い知った。しかし、問題はここからであった。
数日後――。
コーヒーイベントが終了すると、速やかに契約内容が実行に移された。負けた場合の奥の手として用意していたオーガスト計画は中止となり、株式会社葉月珈琲農園は葉月グループ傘下企業へと戻った。うちの勝利に大きく貢献した傘下のコーヒー農園に更なる投資を行うことが決定した。ハワイの別荘はいつ日本が衰退してもいいように残しておくが、できれば引っ越したくはないと感じている。僕が日本を出る時は日本が未来を諦めた時だ。もっとも、子供たちが国外脱出を実行するかもしれないが。
全ての杉山グループ関連の企業が葉月グループ傘下企業となり、吸収合併が実現する……はずだった。
杉山グループの残党は優勝回数勝負にまつわる契約を知るや否や、契約の無効を法に訴え、裁判が行われることとなった。契約書の内容が無効になったところで、既に吸収合併は決定している。この時のために本部株を集めていたと言っても過言ではない。争いはまだまだ続きそうだ。
残党は各地方へと散らばり、傘下企業を独立させていった。
日本のコーヒー業界を乗っ取ろうとする反乱は続くだろうが、負ける気は毛頭ない。
「それでは葉月グループの勝利を祝って、カンパーイ!」
「「「「「カンパーイ!」」」」」
数多くのグラス同士が同時に打ち鳴らされた。
葉月家で祝勝会が行われ、死闘を繰り広げた猛者たる戦友たちが再び一堂に会した。
穂岐山珈琲からも多くのバリスタが参加した。うちの連中は広い庭でバーベキューをしながら勝利の美酒に酔い痴れているが、璃子は控えめにコーヒーカクテルを口に含み、庭の端でぽつんと立ち、ウッドデッキの手摺りに背中を預けている。葉月グループを勝利に導いた最大の功労者でありながら、自身は目立とうとしない。陰に生きる者の習性なのか、あまり多くを語ろうとはしない。
璃子がコーヒーを飲み干したばかりの僕に気づき、指で誘いかけてくる。
「まだ報告受けてないんだけど」
「今はバールスターズのことで頭がいっぱいでな」
「お兄ちゃんさえ良ければ、参加を取り消してもいいよ。無理に参加する理由もなくなったし」
「いや、参加する。何故か参加しないといけない気がする」
「まあいいけど、二度とあんな無茶はしないで。一歩間違えば、全員の将来が閉ざされるところだったんだから、今度からあんな事態になった時は、まず役員会議を通してからにして。他の役員たちも優勝回数勝負を知った時は驚いたんだから。今回は何とか私が収めておいたけど、こんなことが何度も起こるようなら、役員会から不信任案を出されちゃうから気をつけてよ」
「分かってるって。でも言っただろ。優勝回数勝負で決着をつけなきゃ、コーヒー業界の信用に関わるってな。僕だってあんな戦いはうんざりだ。やっぱ僕には、集団生活なんて合ってないのかもな」
「えっ、今頃気づいたの?」
「昔から薄々感づいてたけどな。でも今回の件で確信した。僕は経営者に向いてない。自由気ままに生きる個人事業主の方がずっと合ってる。葉月グループが世界的企業に成長したら、後は璃子に任せる」
「いつ頃になるんだか……でもお兄ちゃんならできる気がする。あっ、そういえば、うちの傘下に入った杉山珈琲だけど、処遇はどうするつもりなの?」
「――決まってんだろ」
久々に親子での再会を果たした穂岐山社長の姿が見えた。吉樹や子供たちも周囲に集まりながら立ち込める煙を囲み、バーベキューの肉をムシャムシャと食べている。
杉山珈琲はお取り潰しにする予定だ。本社ビルから関東地方に展開している店舗までをそっくりそのまま穂岐山珈琲に返還し、穂岐山社長は再び拠点を東京に移すこととなる。亡命政権として岐阜に居座る理由がなくなってしまったが、岐阜にある店舗は支店として残すとのこと。中津川珈琲が経営していた店舗も安堵され、中津川さんは穂岐山珈琲中部地方本部長に就任することが決まった。
アマチュアチームは解散となり、海外勢はアナを除き、それぞれの国へと帰国していった。アナはしばらくの間、岐阜に住むこととなり、マイナー店舗で修業を積みながら、ロシア代表に返り咲くことを目標に、日々奮闘している。優勝回数勝負のことは知らなかったようで、3年の間に勝ち越せば一生分の年金とロシア代表復興を取り戻せると言い聞かされていた。いずれにせよ、気持ちに余裕がないところを突かれた被害者というのが正しい見方だろう。葉月グループと杉山グループの戦いは決着したが、グループ同士の衝突は、多くのバリスタが切磋琢磨する構図のモデルとして注目された。
今後のプロ契約についても、グループ企業同士の対決が模倣される形となり、良くも悪くもバリスタ競技会のレベル向上に大きな影響を与えることとなった。
来年からは新たな対抗馬として、『穂岐山グループ』が発足することが決まった。
穂岐山珈琲が出資を行い、いくつかの崖っぷちにいたコーヒー会社がぶら下がる形で傘下企業とした。1つのグループ企業として、今後のコーヒー業界における葉月グループのライバルとなる。松野はバリスタ競技者を今度こそ引退し、経営者として父親の代わりに罪滅ぼしをするかの如く、穂岐山グループを支えていくことに。アマチュアチーム日本勢は美羽の仲介もあり、穂岐山珈琲へと戻っていった。
ただ1人を除いては……。
「そういえば、立花グループもコーヒー事業に本格参戦するんですよね」
「主にカフェの建築に力を入れていく方針だ。同時にプロバリスタの育成から、競技会で結果を出すことで利益向上を目指してる。葉月グループが全冠達成したことで、文字通り株が上がっているわけだ。海外の投資家からも注目を集めているくらいだし、今後もコーヒー事業は伸びていくだろうな」
「しかも来年からはワールドコーヒーコーポレーションが出資した『蝦夷地グループ』の拠点が札幌に置かれることが決まった。今度蝦夷地珈琲がオープンするし、是非とも飲みに行きたいな」
「じゃあ今度一緒に行くか。四大グループ誕生ってとこだな」
「私も行きたいです」
「ちょっと、置いてかないでよ」
「皆さんで行きましょう。これだけ彼女がいるのに1人だけ連れて行くなんて感心しませんねぇ~。ただでさえずっと放置されてるんですから、たまには一緒に過ごさせてくださいよぉ~」
唯は酔っ払いながらも、すかさず僕の左腕に自分の両腕を巻きつけ、たっぷりとした膨らみを押しつけてくる。そういや全然構ってやれなかった。唯と皐月と凜には競技者として、伊織にはサポーターとして死力を尽くしてもらったというのに、こんなんじゃ彼氏失格だな。
左手を唯の背中に回り込ませ、後ろについて両胸を鷲掴みにする。
久々のスキンシップは心に安らぎをもたらし、戦いの傷を癒すものであった。
楽しい時間はあっという間に過ぎた――。
夕方を迎え、祝勝会に参加した多くの関係者たちが葉月家を去っていく。穂岐山社長とも積もりに積もった話をした。亡命政権となってから常に耐え続け、ようやく平和を取り戻した。奪われる前と同じ穂岐山珈琲に戻るのが楽しみとのこと。今月中に引っ越しを果たし、東京に返り咲くのだ。松野は穂岐山珈琲関東地方本部長として活躍を期待されている。杉山平蔵に未練はないらしい。
葉月グループ、穂岐山グループ、立花グループ、蝦夷地グループ。これらは日本のコーヒー業界を代表する四大グループ企業として多くのプロバリスタを輩出し、毎年行われるコーヒーイベントを大いに盛り上げる存在となった。奇しくも四大グループだけで、全国全ての都道府県に出店されているのだ。葉月グループは中部地方を拠点に、近畿地方にも出店している。穂岐山グループは関東地方を拠点に、中部地方にも出店している。立花グループは九州地方を拠点に、中国地方や四国地方にも出店予定であり、蝦夷地グループは北海道地方を拠点に、カフェがあまり広まっていない東北地方にも出店するとのこと。カフェが広まっていない場所に出店しても、チャンスはないと思われがちだが、それは単に他の飲料のシェア率が高いというだけで、カフェの魅力を広めれば大きな商売になる。フロンティアスピリッツを持つアメリカ人らしい発想だが、社長は元アメリカ代表のアイザックだった。
そういやあいつ、シアトルにいた時からマイケルの部下だったな。北海道を拠点に選んだ理由も、葉月グループと競合すればシェア率で負けるからとインタビューで語っていたが、こっちとしても助かるし、何よりまだ発掘されていないバリスタの卵を北方からたくさん掘り起こしてくれるのが楽しみである。
9月下旬、予想もしていない出来事が起こった。
それは僕がしばらくの休暇を取った朝のことであった――。
「あず君、これを見てください!」
唯が慌ただしく足音を立てながら部屋に入り、スマホを差し出してくる。
「どうかしたか?」
「杉山平蔵さんが……亡くなりました……」
「ええっ! マジでっ!?」
叩き起こされるような衝撃が脳を襲い、情報処理がまるで追いつかない。
「……嘘……だよな?」
杉山平蔵は昨晩、東京都内の道端で何者かに襲われた。
現場の痕跡から、刃物で何箇所も刺され、しばらくのた打ち回ってから出血多量で死亡した。
一度逮捕されたが、職人技と呼べる隠蔽工作によって証拠不十分と見なされ、出所を果たした。検察が証拠を揃えたところで再逮捕する矢先のことであった。
犯人は周囲にいた市民に取り押さえられ、駆けつけた警察官によって現行犯逮捕された。捕まったのは石原であった。全身が血に塗れ、鮮やかな赤に染まった刃物を大人しく差し出したが、受け取った警察官はあまりの剣幕に震え上がっていたという。天涯孤独で戻る場所もなく、再就職を目指していたが、遂にどこからも採用されることなく、高い家賃を払えなくなったために豪邸を差し押さえられ、ホームレスとなった石原は社会に対する不満が爆発した。石原が言うには、多くの人間を陥れてきた経営者や政治家でも狙ってやろうと思い、いつでも狙えるよう、ナイフを隠し持っていた。
不貞腐れた顔のまま、下を向きながら音もなく道を歩いていた石原は、偶然にも見覚えのあるタクシーから降りてくる杉山平蔵を見つけると、社会への積年の恨みを晴らすが如く、反射的にナイフで襲った。奇しくも多くの氷河期世代を窮地に陥れた張本人を、氷河期世代を親に持つ子供が仇を討つ格好だ。石原にとって杉山平蔵は、腐敗しきった社会の象徴的存在だった。犯行現場は東京復帰を果たしたばかりの穂岐山珈琲本社ビル沿いの道路であった。秘書は鍛冶茂雄を使って穂岐山珈琲を吸収合併した件を謝罪しに訪れたと供述しているが、死者の成すことは死者のみぞ知る。真相は全て闇の中だ。
誰かに謝れるような性格ではない。だからこそ多くの人に嫌われ、昨晩の惨劇を招いた。鍛冶茂雄は殺人や脅迫などの容疑により死刑が確定し、数十年後、人知れず刑が執行された。松野や根本は叩かれるどころか同情を買う結果となったが、それはあいつらの本意ではないだろう。バリスタのレベル向上に貢献してくれたのは事実だ。僕なりの解釈をするなら、本当にこの国が復興に値するのかを試されているような気がした。誰かが死ぬのは虚しいものだ。
そして何より、失うものが何もなくなった人間ほど恐ろしいものはない。僕も穂岐山珈琲に挨拶をしに伺う予定だったが、下手すりゃ僕が刺される可能性もあった。
伊織の体調不良がなければ、昨日赴く予定だった。
しかも伊織に反応した子供がうっかりカフェオレを僕の服に零し、替えの服まで全部洗濯に出されてしまったこともあり、延期が確定してしまった。
最愛の恋人が僕を守ってくれた。あなたは生きてと言われているような気がした。
だったら……とことん生きてやろうじゃねえの。
コーヒー業界の行く末を見守るのも先駆者の役目。自分の決断が正しかったかどうかは、後世を見れば分かる。僕は答え合わせがしたい。だがそれが意味のないことだということも知っている。たとえ自分の決断が正しくなかったとしても全てを受け入れるつもりだ。
本当の戦いは……きっとこれからだ。
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