480杯目「最後の合宿から見えたもの」
第19章終了となります。
次回からは最終章である第一人者編を投稿します。
今年の年末に完結予定です。
8月下旬、コーヒーイベントまで1週間を切った。
凜と一緒に住むようになってからというもの、しばらくは凜と一緒に夜を過ごす機会が増えた。
ベッドの上で柔らかくも小さな膨らみを揉みしだくが、凜は深く繋がるだけでは足りないのか、大胆にも中に出すところまで要求した。東京のホテルではあえてそこまでしなかったが、僕は断るだけの理性を失っていた。凜もまた1つ大人になった。真っ先に妊娠の心配をしてしまったが、そうなる頃には大会は終わっているだろうと、咄嗟に頭の中で計算し、自らの欲望を正当化した上で納得する。
一筋の希望を掴みかけていた僕に、とんでもない出来事が起こる。
強化合宿には今までに掻き集めてきた全員が集合し、これまでの功を労うように交流を深め、個人主義のグループとして活動していたはずが、いつの間にか団結力が第一の集団になってしまった。日本人を個人主義に改造するのは不可能かもしれない。歴史の修正力だろうか。
それは最後の合宿に参加した時のことであった――。
今月末にはロッジを閉鎖し、返却することとなる。みんなと切磋琢磨しながら繰り返してきた強化合宿もこれまでとなるが、優勝回数勝負とは別に、ずっと強化合宿を続けていきたいと思う自分がいる。奇しくも強化合宿のお陰で、うちのレベルは大幅に上がった。
ワールドコーヒーイベントでWBC日本代表として出場した花音は見事ファイナリストとなり、最終4位という輝かしい結果を残した。かつてニートだった彼女は、絵に描いたような下剋上を果たしていた。強化合宿により、例年以上に練習時間を確保できた。
アマチュアチームに勝てなかった理由が分かった今、勝負を避ける理由はない。ここからが本当の決戦である。同時に2つの競技に挑むこととなったわけだが、みんな徐々に慣れてきている。僕にはできなかったが、2つの競技をこなせるようになれば、1つの競技を始めた時には極限なまでの集中力が発揮されるのだ。多くの場合は日を分けて行われ、同日に行う場合は競技時間が被らないよう配慮してもらうことができ、通常よりも遅れた時間に競技を行うことができる。これが複数の競技に臨む者たちにとっては事実上の優遇処置となっているが、今や多くの競技者からはマルチタスクルールとして知られている。
強化合宿に参加しているバリスタ全員がマルチタスクルールの恩恵を受けられるため、余裕を持って競技に参加することができるのもメリットだ。唯と凜は実質僕と伊織の分身として参加する。つまり僕と伊織の代理戦争でもある。競技に参加することのない僕らにとって密かな楽しみでもある。これだけ層が厚かったのに活かせなかったのは僕の責任だ。1人1人の負担を考えるあまり、1つの競技に集中させることばかりしていたが、もっと自由に幅広くやらせてもいいのではないかと感じ、2種類の競技を勧めた。競技に慣れていない小夜子たちでさえあっさり受け入れてくれた。バリスタスクールの成果が徐々に表れている。今回は璃子も参加した。璃子がここに来るということは、重要な案件があると言うことだ。センサリージャッジ役として唯たちのコーヒーを味わい、新たなフレーバーに目を大きく開いた。コーヒーカップを手に持ったまま、中の液体に確かな興味を示している。
「お兄ちゃん、これって……本当にコーヒーなの?」
「紛れもなくコーヒーだ。葉月グループの総力をつぎ込んだとっておきだ」
「なるほど、最終兵器ってこれのことだったんだ」
「私も最初にこのコーヒーを飲んだ時は驚きました。まだまだコーヒーのことを知り尽くしていないことがよく分かりましたし、やっぱりコーヒーは奥が深いです」
「お兄ちゃんはたまーにとんでもないことをしますけど、ここまでやるとは思いませんでしたね」
「これなら優勝間違いなしです。私もJBCに出たくなってきました」
興奮を抑えようとしながらも冷静に美月が言ってのけた。
いつの間にか僕が置いてけぼりに去れ、璃子と美月のガールズトークが続く。
子育て期間のブランクこそあったが、復帰して間もない頃に挑んだ葉月商店街の大会で優勝した。腕はまだ衰えていないようだ。璃子とは長年鎬を削り合った仲だ。この中では最も璃子との会話が多く、璃子が心を開ける数少ない友人だ。同じ大会で長い間戦い続けたライバルには憧れがある。
僕にもライバルはいる。自分以外の人間全員が仮想敵だ。
璃子がコーヒーカップを置くと、今度は美月が反対側の縁から飲み始めた。我を取り戻したようにうっとりしている。コーヒーに惚れている乙女の顔だ。唯は練習に戻り、競技の要となるシグネチャーに使う食材の量を調整している。多すぎても少なすぎてもコーヒーの味を損ねてしまうだけに慎重さが必要だ。量より質とは言うが、質の高い人間は、いずれも何かしら量をこなしている。
「璃子、そろそろ本題に入ったらどうなんだ?」
「はぁ~、相変わらずせっかちだね。美月さんと会ったのは久しぶりなんだけどなー」
「まあまあ、私とは今日たくさん話せばいいじゃないですか。今日泊まっていただけますよね?」
「それは……構いませんけど……」
ジト目を逸らしながら璃子が言った。
あっ、これすぐに帰る予定だったやつだ。
着替えなんてロクに用意していないだろうが、不測の事態に備え、ロッジには人数以上の服が余分に用意されているが、皮肉にもこの案を出したのは、他でもない璃子である。積もる話もあるだろうし、ここはつき合ってやれと言わんばかりに顎を動かした。
璃子は観念したのか、ため息を吐きながらも、話題を変えようと僕に目を向けた。
「今日はみんなに助っ人を呼んできたの」
「助っ人って……コーヒーイベント直前だぞ。今更意味ないって」
「もういいですよ。入ってください」
璃子が閉まっている扉の向こう側に声をかけた。
僕らが首を傾げながら待っていると、扉がゆっくりと開き、身に覚えのある顔が目に映る。
何食わぬ顔のまま入ってきたのは千尋だった。一瞬、時間が停まったかのような錯覚に襲われ、現実をまるで理解できなかった。特に驚いたのは伊織だ。何も声を発しないまま千尋に歩み寄る。
「ただいま。元気してた?」
「……どうして千尋君がここにいるんですか?」
「何でって、仕事が終わったからだよ」
怒りを隠しきれず、両頬を膨らませながら千尋に詰め寄る伊織。可愛い。
珍しく殺伐としている顔だ。身近な同僚であり、切磋琢磨したライバルでもある千尋のことを気にかけていた伊織にとって、ある日突然敵側に寝返ったことを知ってからは、気が抜けたように仕事が手につかない日が続いたことを千尋は知らない。残酷とも言える切り捨て方だ。
璃子が千尋を呼んだ時点で意図は読めた。
「千尋君は私たちのことを裏切って、杉山グループに寝返ったじゃないですか」
「伊織ちゃん、それは大きな誤解なの」
「璃子さん……誤解ってどういうことなんですか?」
「僕はあず君たちを裏切ったふりをして、杉山グループに潜入してたの。こうでもしないと入り込めないって璃子さんが言うからさー、本当はやりたくなかったんだけどね」
「戻ってきたってことは、何か重要な情報でも掴んだのか?」
「まあその辺はバッチリだよ」
「何ですかそれ……性格悪いですよ。私と最後に会った時だって……何の躊躇もなく出ていったじゃないですか。あれも全部……演技だったんですか?」
「当たり前じゃん……ごめんね。でもどうしても葉月グループを勝たせたかった。たとえ伊織ちゃんを泣かせることになったとしてもね」
千尋は初めて反省の色を見せる。伊織は直視できていないが、普段よりも小さい声から察しはつく。
株券を落として伊織に拾わせたのは、伊織を怒らせることで、裏切りを全員に印象付けるためである。誰かが取り乱せば、周囲は気分を落ち着かせようと立ち回り、千尋の意図について冷静に考えなくなる。株券自体は本物だ。杉山社長に渡されたことは間違いない。
「……良かった」
「……えっ?」
「千尋君が裏切ったわけじゃなくて……良かったです」
「大袈裟だなー。あず君はすぐ見抜いてたよね?」
「お、おう、そうだな」
咄嗟にジト目を向けられ、焦りが溢れ出るのをどうにか我慢する。
実は裏切ったものと思っていたなんて言えない。断定していたことを思い出すだけで冷や汗が出る。
千尋は気にも留めず、全ての事情を説明してくれた。去年のコーヒーイベントの際、杉山社長から本部株の一部を受け取った。10%という決して低くない割合だ。予てから相手側の核となる人物を寝返らせることで吸収合併を繰り返してきた杉山グループは、うちの主力である千尋に寝返らせれば葉月グループを崩壊させられると考えた。うちの団結力は杉山社長にとって大きな脅威であった。
主力が1人いなくなるだけでも、グループ内に不信感が生じ、やがて大きな綻びとなる。
千尋の報告を受けた璃子は、状況を逆手に取った。
裏切ったふりをして、敵の情報を探ればいいと。
バリスタランドでの戦いを終えた時点で、杉山グループ本部株の40%は手中に収めている。過半数を確保すれば乗っ取りに成功する。乗っ取りが成立すれば、優勝回数勝負自体を中止にした上で、葉月グループの勝利となる。千尋を潜り込ませ、逆に敵側の説得に乗り出せば、本部株を更に奪うことができる。璃子は千尋を説得した。潜入はある程度頭の切れる者でなければボロが出る。
他にも候補はいたが、いかんせん葉月グループに密着しすぎて怪しまれる。千尋が話に乗ると、しばらくはうちにいながら内部情報を杉山グループ側に流し、杉山社長の信用を勝ち取ったところで、葉月グループから離反する。とはいえ所属したままであるため、千尋は葉月グループと杉山グループの両方に所属していることになる。千尋が優勝した場合は両方に勝ち星がつくためノーカウント扱いとなるわけだが、大会前に杉山グループから離反することで、ノーカウントを阻止できる。既に杉山グループ人事部を買収したとのこと。なら千尋が杉山グループを離れたことは、まだ知られていないはず。
ポイントは退職届を出さずに裏切ったふりをしたことだ。内側から組織を崩壊させるならば、あえて引き抜きはせず、退職しない方が都合が良い。千尋は今も葉月珈琲所属となっている。受けた処分はあくまでも無期限謹慎処分。伊織は実によく動いてくれた。葉月珈琲の騒動を確認した杉山社長は千尋をアマチュアチームに引き入れることに成功し、世戸さんまでもが加入してしまった。千尋が言うには、世戸さんは千尋の協力者であり、いつでも裏切る手筈は整っている。説得は失敗に終わったものと思っていたが、本当は成功していたのだ。ワールドコーヒーコーポレーションへの参加をやめ、国内に残ることに。アマチュアチームの人数は総勢主力から末端までを含めて総勢30人程度、うちの強化合宿に参加している人数よりも多い。戦いは数だが、数だけじゃない。
千尋がここまでやるなんて――。
璃子の後ろ盾があるとはいえ、ここまでやるのは相当な覚悟がいる。練習自体はアマチュアチームの連中と一緒にこなしていたようで、彼らの手の内は全て筒抜けだ。特にシグネチャーによる激戦が予想されるJBCとJCIGSCに参加するアマチュアチームの連中はある共通点を持っている。それは葉月珈琲農園から売り出されたコーヒーを使っていることである。
小夜子たちはあっさり納得すると、最後の練習へと戻っていく。
シード権を獲得している者たちを除けば、ここにいる全員が地方予選と最終予選を突破し、コーヒーイベントに駒を進めた。みんなの成績に全てが懸かっている。
同時に良い知らせを受けた。JCRCは既に決着がついた。結果発表はコーヒーイベントの大会1日目だ。今回はアマチュアチームがJCRCへの参加を辞退し、葉月グループから参加した吉樹、香織、花音、美咲、神崎の内、吉樹と香織が決勝進出を果たし、葉月グループが1勝を挙げたのだ。どうやら他の競技に集中するらしい。
実に巧妙な戦術だ。相手からすれば、あと1勝するだけでいい。
わざわざリスクを取ってまで全勝を目指す意義は薄いし、捨てられるところはとことん捨てる。勝てる勝負にのみ、全力を注ぎこむのが吉だ。JCRCに出るはずだったアマチュアチームのメンバーからすれば、意味が分からないだろう。突然出場辞退を言い渡されたバリスタたちの心中は察するに余りあるものがあると千尋は言った。メンバーの中には泣き崩れる者もおり、他の競技会への参加を余儀なくされた。だが従わざるを得ない。JCRCを泣く泣く諦めた連中は他の競技へと回り、勝率を高める方針を取っている。リーチを迎えたからこそ為せる業だ。
まるで捨て駒のような扱いだ。前回大会で目に見えぬ不正がなければ勝ち越せていたが、杉山社長が価値を確信していた理由がよく分かった。本来なら去年全勝して11勝する予定だった。優子にはまたしても救われた。花音が注意深く最終確認を行うことをみっちり教えられていたお陰だ。
鷹見弟は鍛冶茂雄逮捕が決まると自首し、医大を退学することとなった。
全てを包み隠さず自供した彼は情状酌量の余地ありと見なされ、懲役も罰金もなしという寛大な処分で済むこととなったが、これは葉月グループが派遣した弁護士によるところが大きく、図らずとも鷹見に恩を売る格好となった。杉山社長は知らぬ存ぜぬを貫き通し、証拠不十分のため不起訴となった。
「アマチュアチームは高級豆に高級食材までフル投入か」
「みんなコーヒーを誤解してるよ。結局葉月グループが開発した豆使ってるし、この時点で葉月グループの成果を認めてるようなものだってのに」
「自己負担だけで賄えるとは思えないけどな。どっから資金調達してるんだか」
「全部杉山グループが費用を負担してる。今回のコーヒーイベントは1勝でもできれば、自動的に杉山グループの勝ちになっちゃうからね。向こうも必死だったよ。今回から監視役が置かれるから、不正もできないし、葉月グループがこれだけの戦力を集結させたことで、今まで以上の真剣勝負になると思うけど、とっくに勝負はついてるからさ、好きにやればいいと思うよ」
「とっくに勝負がついてるって、どういうことですか?」
「杉山グループにも反乱分子がいたんだよ。僕はそいつらに協力を呼びかけて、本部株を譲渡してもらうことになったんだけど、代わりに譲渡した人の転職先として、葉月グループ傘下企業の役員になることを約束しちゃったんだけど、いいかな?」
「構わん。ただあくまでも次の転職先が見つかるまでの繋ぎとしてだ。使えそうにないなら別の企業に行ってもらうかクビにすればいい」
「手厳しいねぇ~」
両手を後頭部で繋ぎ、余韻に浸りながら千尋が言った。
住所は既に岐阜へと移し、明日香も子供たちも再び故郷への帰還を果たした。
しばらくは子供たちを葉月珈琲塾に預けることとなり、明日香も千尋のサポーターに回る。小夜子はホッと胸を撫で下ろしたようで、僕と小夜子の間を漂っていた気まずさはようやく解消された。アマチュアチームは今年だけ本気で支援をする杉山社長を不思議に思いながらも、忠実な手駒として血の滲むような努力を重ねていたとのこと。やはり油断はできない。彼らも立派なトップバリスタだ。
実質プロ同士の真剣勝負が見られるのだ。これほどワクワクするものはない。
――あれっ、ワクワクって、何考えてんだろ。雌雄を決する戦いだってのに。
気が抜けたような感覚だが、どこか悪くないとも思わせる。
「まあそんなわけだから、今日から葉月珈琲に復帰ってことでいいよね?」
「……しょうがないですね。今回だけですよ。次からそういうことをする時はちゃんと伝えてください」
「分かったよ。伊織ちゃんはすぐ顔に出るから、どうしても言えなかったんだよねー」
「千尋君に言われたくないです」
いつものように発せられる煽り言葉に伊織が反応する。
やっといつもの2人に戻った。胸のつっかえが取れた。ともかくもう心配はいらない。来週には最終決戦が始まるのだ。唯に僕の考えた競技を模倣してもらうためだけにコーヒーを調べ尽くし、よりコーヒーに詳しくなれた。数多くの戦いが僕を今まで以上に強くしてくれた。戦い続けるのは疲れるけど、戦いをやめるのはもっと疲れるし、更なる痛みを背負う。敗北という痛みだ。誰もがしがないサラリーマンになると思っていたが、僕の周囲はバリスタばかりだ。
珈琲班は笑顔で競技の模倣をこなし、喫茶班は1杯1杯のコーヒーを口に運び、舌の上で極上のフレーバーを転がしている。誰かの記憶に残るコーヒーを提供する。それは誰かの人生に影響を与えるということだ。今にして思えば、みんなの人生をコーヒーの色に染めたいと思ったことがきっかけだ。そこに明確な理由はなく、好奇心の赴くままに、ただひたすらにコーヒーを愛する純粋な心があるだけだ。
僕はコーヒーに対して、どこか遠慮がちになっていたのかもしれない。
唯たちを見ていて気づいた――。
頂点を究めている内に、いつしかコーヒーよりも、総合スコアのことばかり考えている自分に。
あんなにも生き生きとした競技は僕でさえできていたか怪しい。勝たなければ次がない社会が僕を変えてしまった。成功すれば道は開かれるが、失敗すれば一生貧困という現実に誰もが追い詰められている。競争に勝つことばかり教えられ、本当に大切なものを忘れていたのはむしろ僕の方だ。それが何なのかは思い出せないが、かつての僕が確かに持っていたものとハッキリと認識できる。
最愛の恋人は、いつだって僕に味方し続けてくれたというのに。
「どうかしました?」
「えっ、いや……何でもない」
「コーヒーを前にしてボーッとするなんて、あず君らしくないですよ。以前はもっと燥いでいたはずなんですけどね。僕はこれを味わうために生きてるんだとか言ってたじゃないですか」
「……そうだったかな。これだけ頑張ってるんだ。コーヒーイベントもきっと勝てる……よね?」
声のトーンを落としながら自信なさげに聞いてしまった。
唯は僕の違和感に気づいている。常に寄り添ってくれている唯が言うんだ。間違いない。
コーヒーを純粋に味わうことよりも、コーヒーイベントで勝てるかどうかばかり気にしている。
他がどうでもよくなってしまうくらいには先が気になって仕方がない。今を生きてるはずなのに、未来や過去に囚われることほど、今を蔑ろにする行為などないが、気になってしょうがねえ。
「ケーセラーセーラー」
唯がケセラセラを口遊んでみせた。英語の発音は完璧な英国仕込みだ。
気にしてもしょうがない。なるようになる……か。悲観的になっても状況は変わらない。
覚悟を決めろと言われている気がした。明日のことなんて誰にも分からない。なのに気にしてしまう僕は小心者だ。こんなにも情けない総帥なんて、世界のどこを探したって、きっといやしない。
「僕はいつから……世の中を恐れるようになったのかな」
「最初からだと思います。でもそれがあず君の武器じゃないですか。恐れを持っているからこそ、誰よりも入念に努力を積み重ねてきた。全く油断しない性格だって、1つの個性ですよ」
「――1つの個性か。唯、みんなこと、頼んだぞ」
「はい、任せてください」
ニコッと笑いながら片目を閉じる唯。今年で三十路を迎えるとは思えないお転婆娘だ。
今や彼女としても、母親としても、立派な女性へと成長した。可愛さには貫禄さえある。
勝てるかどうかじゃない……きっとやるかやらないかだ。
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