48杯目「試行錯誤」
8月上旬、岐阜に帰ると、シグネチャードリンクの研究を始めた。
主にインスタントコーヒーを使って実験を行った。フルーツ、甘味料、スパイスなどをコーヒーと組み合わせ、様々な創作ドリンクを作っては自分でテイスティングする。
「うわぁ……飲めたもんじゃねえな!」
しつこいようだが、コーヒーに何かを混ぜると99%不味くなる。しかもこの確率を切り抜けた上で世界を相手に通用するドリンクを作らなければならないのだから大変だ。
実験結果の1つ1つをメモにまとめ、全てを暗記していった。
実験を繰り返している内に、何に何を混ぜたらどんな味になるのかが感覚的に分かるようになった。生まれつき嗅覚と味覚が鋭いため、味の記録は得意中の得意だ。東京に行かなければもっと稼げたかもしれないが、それ以上に東京での経験の方が大きな財産だったと思っている。
ワールドバリスタチャンピオンを始めとした競技者たちは、興味深いコーヒーを提供していたのだ。新たなフレーバーを追加するために、ブレンダーやエスプーマなど、通常のコーヒーにはまず使われないであろう特殊な器具を使っていたのだ。ただコーヒーと食材を混ぜ合わせるのではなく、1つ1つの味の変化を考慮に入れた動きに僕は目をつけていた。
同じ食材でも、使い方次第で味はどうにでも変わる。
僕はそのことをWBC東京大会で思い知らされたのだ。
目的は店の利益を上げることから、いつしかWBCチャンピオンへと変わっていった。最低でも今回のチャンピオンを上回るコーヒーでなきゃ駄目だっ!
しばらくするとアイデアに行き詰まり、悩みながら店の営業を続けていた。定休日を迎え、おじいちゃんの家に向かうと、のんびり庭で座っていたおじいちゃんにコーヒーに合う食材を聞くことに。
「コーヒーに食材を混ぜ合わせるなんて、僕はそんなの怖くてできないなー。コーヒーはありのままの風味が1番だ。下手に食材を混ぜれば、コーヒーの声を無視することになる」
「だよな。おじいちゃんでも分からないかー」
「そりゃそうだ。やったこともないのに挑戦するのは難しいよ」
「……やれば分かることなのは知ってる。でも何度か試してみてもうまくいかないし、全然良いアイデアが浮かばなくて困ってたんだけど……」
「そればかりは僕でもどうにもならないよ」
流石のおじいちゃんも、コーヒーに何かを混ぜることには保守的だった。
精々普段通り砂糖かミルクを混ぜるのが精一杯であるとのこと。
話している内におばあちゃんが買い物から帰ってくる。
「おや、あず君。いらっしゃい。夏休みの宿題は終わったの?」
「さあ、どうだったかな」
「はははっ、あず君が夏休みの宿題なんかやるわけないだろう」
「あっ、そっか。あははは。ところで周吾さん、今日トマト買ってきたんだけど、砂糖漬けにする?」
「ああ、頼むよ」
「砂糖漬け?」
「甘いトマトじゃないと、どうも美味いと感じなくてねー。だからトマトの甘味を引き出すために砂糖漬けにして食べたり、濾して濃厚なトマトジュースにして飲んだりするんだよ」
「!?」
――砂糖漬け? 濾して飲む?
そうかっ! 確かフルーツとかは瓶詰めにして砂糖漬けにすることで、味に深みが出るって親父が言ってたし、果汁とかも濾すことでより純度の高いジュースになる。
「それだっ!」
「ええっ!? それって何?」
「食材を漬けたり濾したりするなんて考えもしなかった。僕帰る。良いアイデアだった。じゃっ!」
次のアイデアが決まった途端、勢い良く自宅まで走り出す。
おじいちゃんは笑みを浮かべ、おばあちゃんはぽかーんとしていた。自宅に戻ると、思いつくものを片っ端から漬けたり濾したりしてみた。そして出来上がった食材をコーヒーに混ぜる日々が続く。
ある猛暑日の夕方、美咲が店にやってくる。
恐らくラッシュが終了する時間帯を狙ってやってきたのだろう。うちの店は8月を過ぎてからもラッシュが続いていた。美咲も汗だくでタオルが必須アイテムになっていた。僕は調理をしながらカウンター席に座る美咲とのんびり会話を始めた。
こういう時は人がいない方が集中できるのだが、これも商売だ。仕方がない。
「あず君、さっきからずっと接客の合間にコーヒーと色んな食材を混ぜ合わせてるみたいだけど、なんか理科の実験みたいだねー」
「シグネチャードリンクを作ってる」
「シグネチャードリンク?」
「ああ。簡単に言えば、コーヒー+食材で作った創作ドリンクだ。また大会に出るし、それまでに美味いコーヒーを作らないといけねえからな」
「また大会に出るんだ。応援しに行くね」
「駄目だ」
「!?」
思わぬ反応に美咲が驚く。どうしてもそこは譲ってはいけない事情がある。
「何で駄目なの?」
「美咲は僕の応援に行く時、東京まで何しに行くかを親に聞かれたらどうすんの?」
「あっ……」
「まっ、そういうことだ。応援してくれるのはありがたいけど、地元からにしてくれ」
「うん……分かった……えっ、もしかしてまた大会に行ってたの?」
「鋭いな……でも参加したわけじゃなくて、見に行っただけなんだけどな」
美咲に不在時のことを聞かれ、7月にコーヒーイベントの一環で開催されていたWBC東京大会を見に行った時のことを包み隠さず話した。
「そんなに良い所に泊まってたんだ」
「でも東京って疲れるぞ。掃いて捨てるほど人がいるし、僕にはいかんせん窮屈すぎた。外国人ばかりの会場にいた時は、緊張すらしなかったのに」
「あず君は日本人に対して苦手意識持ちすぎ。ほとんどの他人はあず君のことなんて見てないから大丈夫だよ。ちょっと自意識過剰じゃない?」
「否定はしない。でもな、誰も僕みたいな奴に興味がないんだったら、僕が迫害を受けたことに対して説明がつかない。だからあいつらが僕に興味を持たないように、普段は世を忍んでるんだぞ」
「それが世を忍んでいる人の姿なのかな?」
美咲が僕の派手な制服を指摘する。
僕は『ピンクを基調とした可愛らしい印象の制服』を着用し、璃子は『ライトブルーを基調とした大人びた印象の制服』を着用している。葉月珈琲に制服制度はない。露出度が低く、調理に適しており、清潔な服装であればそれで良しとしている。璃子は1番好きなライトブルーの制服を満足そうな顔で着こなしている。僕らは兄妹揃ってパステルカラーが好きなのだ。
僕が女子っぽいこともあり、姉妹と間違われることもある。
「美羽さんはWBCをあず君に見せるためだけに呼んだわけじゃないと思う」
「それ以外にどんな意図があるんだよ?」
「例えば、あず君と一緒に過ごしたかったとかね」
「僕に対して好意的ではあったけど、それはねえよ」
「女子が相手を実家に呼ぶっていうのは、両親に紹介したいってことなんだよ」
「あいつはもう20歳の大人だぞ。いつまで女子って呼んでんだよ」
「あず君ってホントにそういうとこホント偏屈だよね」
「偏屈だったらバリスタは務まらねえよ。柔軟な発想なしに、良いコーヒーが淹れられると思うか?」
「お兄ちゃん、そういうとこが偏屈って言ってんの」
見るに見かねた璃子が会話に横槍を入れる。
僕にはどこが偏屈なのかが分からなかった。僕と僕以外とでは偏屈の定義が違うのだろう。
「美咲さん、いつもうちの兄がすみませんね」
「いいのいいの。もう慣れたから」
「うちの兄は社会不適合者なので、他のお客さんに対してもつい言っちゃうことがあるんですよ」
「ふーん、まっ、相手によって態度を変えないところがあず君らしいと言えばらしいけど。でもあず君って美羽さんに相当気に入られてるんだね」
「それはない」
「えっ? 何で?」
僕は美羽と距離を置くため、自分の思ってることを正直に話して不機嫌にさせてしまったことも美咲に話したが、美咲がこれを聞くと、顔がムッとした表情になる。
「そりゃ怒るに決まってるよ」
「何でだよ?」
「私だって日本人というだけで、自分も友人も悪い人と一緒くたにされたら怒るよ」
「僕には友人がいないからさ、友人がいる人の気持ちがこれっぽっちも分からない。ていうか友人を持てるほど社会性ないからさ」
「じゃあ璃子ちゃんが女子だからって理由で悪い人扱いされたらどうなの?」
「それは怒るだろうな。璃子の敵は僕の敵、僕の敵は人類の敵だ」
「「うわ……」」
璃子と美咲が僕の発言にドン引きする。
妹とは正義である。これはこの世の真理であるはずだ。なのに何故ドン引きする必要があるんだ?
「……まあ、そういうことだよ。何も全員が虎沢君みたいな人間じゃないんだから、少しは信用してあげてもいいんじゃない? 冗談であず君を脅した美羽さんも悪いけど、それはあず君に帰ってほしくないっていう愛情からしたことなんだよ」
「それは愛情じゃない。支配欲って言うんだ。相手を苦しめるのが愛情って言うなら、僕は愛情なんて要らないし、愛情ってのはな、もっと崇高なものだ」
「スーコー?」
「僕がコーヒーを淹れるのは、自分のためじゃなく、コーヒーが持つ潜在能力を最大限に引き出すためなんだぞ。それがコーヒーに対する愛情というものだ」
「例えが分かんない」
美咲が目を半開きにし、無表情のまま答えた。
僕は人間関係でミスをした時、他人に指摘されなければ何も分からない。だから社会に溶け込めなかった。美咲は僕の特徴を慣れていたのか、美羽のようにあからさまに怒ることはなかった。
美咲と出会ったのは小1の時。成績はそこまで振るわなかったが、天真爛漫でどんな環境にも溶け込める純粋さを持つ。良く言えば気さく、悪く言えば八方美人。コミュニティを複数持つほど顔が広く、男女問わず好かれている女子だ。僕が初めて話した生徒でもある。きっと高校でも人気はトップクラスだろう。美咲は運動で鍛えていることもあり、胸は控えめだが、服越しでもスタイルが良いのがよく分かる。これでモテないわけがない。スレンダー巨乳の璃子には及ばないがな。
今日も外国人観光客の男たちに、何度も胸をチラ見されて恥ずかしそうにしてたし、璃子はやっぱりモテるんだなー。璃子は店では僕よりも人気者になっていた。僕は良い機会だと思い、璃子にも食品衛生責任者の資格を取るように言った。璃子も15歳を迎えて印鑑登録ができるようになったし、そろそろ店の仕事を本格的に教えるべき頃と考えた。
午後6時を迎えると、店仕舞いと共に美咲が葉月珈琲を後にする。
「ふぅ、今日も大変だった」
「そうだね。外国人のラッシュが始まってからもう1ヵ月以上経つけど、これいつまで続くのかな?」
思った以上の過労に璃子が弱音を吐いた。
「そこは喜ぶところじゃねえのかよ。期間限定のブルーマウンテンも全部売り切れたし、仕入れたスペシャルティコーヒーの大半が売り切れたから、今年いっぱいは飯に困らない」
「それは贅沢をしなかったらの話でしょ」
璃子は目を半開きにさせ、僕の先の行動を牽制するように言った。
基本的に貯金はしない。持っている金は目的のために全部使う。学生の時も、お小遣いを使い果たして親に怒られたことが何度もある。日本人はよく貯金体質であると言われるが、それは国の政策で貯金が良しとされていた風潮が今もずっと残っているからだ。
元々日本人は貯金体質ではなかったという説がある。宵越しの金は持たないという昔ながらの言葉があったように、持っている金は次の月が来るまでに全部使い、なくなったらまた稼ぐという生活が主流であった。だが戦争期を迎え、国は軍事費を集めるため、国民に貯金を奨励した。国民が銀行にお金を貯め、銀行がそれを国に差し出し、国がお金を使うという構図だ。
国が銀行を使い、国民の金を軍事費に費やしたのだ。バブルの頃は金利が高いというのが貯金の理由だったが、バブル崩壊後は老後が不安だからというのが貯金の理由となった。自分で稼ぐことを知らない人ほど貯金をし、そのためにしなくてもいい我慢をしてしまうのだ。
「えへへ、そうだな」
「えへへじゃないでしょ。お兄ちゃんが去年の世界大会の後で儲かった後、調子に乗ってまた高級豆をいっぱい買って、危うく赤字倒産しかけたでしょ? 今回は貯金に回して。それでしばらく安泰だし」
「へいへい、前向きに検討しとく」
使わないとは言ってない。お金は貯金するためじゃなく、使うためにあるのだ。せっかく新しいコーヒーに出会えたってのに、このチャンスを逃さない手はないだろう。
「それと、今度美羽さんに会ったら、ちゃんと謝った方がいいよ」
「そもそも次があるのかな?」
「お兄ちゃんの言ってることが本当なら、美羽さん、きっと落ち込んでると思うよ」
「……いつも思うんだけどさ、何で相手から聞いてないのに分かるの?」
「そりゃ分かるよ――私はお兄ちゃんとは違うから」
「!?」
いつもは僕が言っていた台詞を、まさか璃子の方から言われることになるとは……。
璃子は僕の感覚器官の一部だ。
僕は相手の気持ちを察する能力がない。故に察するのは璃子の担当だ。役割をハッキリと決めたことではない。いつの間にかそうなっていたのだ。店仕舞いが済むと、夕食の献立を璃子と一緒に考える。この日は機嫌も景気も良かったため、トンカツオムライスを作ることに。
久しぶりに璃子と近くのスーパーで買い物をした。
卵、豚、米、デミグラスソース、オムライスの具などをカートに乗せた買い物カゴに入れた。この時は必ずコーヒー売り場のチェックも欠かさない。
会計を済ませようと思った時だった――。
璃子を僕自身の前に置き、盾にしながら進む。前方から見覚えのある顔が近づいてくる。かつて僕の左手小指を骨折させた若曽根だった。髪はぼっさぼさで、とてもあの時の厳しい雰囲気ではなくなっていた。あの風紀委員のような立ち振る舞いは何だったのだろうか。
やり過ごそうとするが、若曽根が僕らに気づく。
「ん? お前葉月だろ? 俺だよ、若曽根。いやー、久しぶり――」
「話しかけんじゃねえっ!」
「!?」
若曽根の声をかき消すように大声で威嚇し、周囲の客がこっちに注目する。
「お前みたいに、自分のしたことを忘れて平気で話しかけてくる恥知らずが1番嫌いだっ! さっさと僕の視界から消え失せろっ!」
「わっ、分かったっ! 分かったから」
「ちょっと、お兄ちゃん!」
若曽根が慌てて逃げていく。自分の感情をコントロールできなかった。
これが日本人恐怖症の症状の1つ、嫌悪だ。
怒りの時とは違い、冷静さすらなくなり、更に攻撃的になる。これが発動すると、僕は空気を読まずに怒鳴るように言ってしまうのだ。周囲の客もかなりビビっていた。
まずい、これ以上知り合いに見つかったら厄介だ。早く逃げよう。
僕と璃子はすぐに会計を済ませ、スーパーから立ち去った。周囲は何事もなかったかのように買い物を再開し始める。やはり僕はあいつらとは相容れないのか?
「……」
「――お兄ちゃん、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫。ちょっと昔のことを思い出しちゃって」
「何かされたの?」
「昔左手小指の骨を折られた時あっただろ? あの時の犯人」
「えっ、とてもそんな人には見えなかったけど」
「あれは自分がしたことを忘れた奴の顔だ」
いじめられっ子は僕のように、いじめを受けた経験をずっと覚えているものだが、いじめっ子はほとんどの場合、いじめたことを忘れてしまっているのだ。あれはただのじゃれ合いで、そんなつもりでやってたわけじゃないと開き直る奴さえいる。無自覚の内に人の将来を潰したり、人間不信を植えつけておきながら、自分の悪行を悔い改めることすらせず、何事もなかったかのように生きていることに腹が立つ。いじめが原因でニートになる人が後を絶たないとニュースで問題視されているが、あれは必ずしもいじめられっ子が無能だからとも限らないし、親の教育が悪いからとも限らないのだ。
ニートとは、理不尽な社会に対する最終抗議である。社会的ボイコットと言ってもいい。
彼らのほとんどは平和主義であり、暴力に訴えたりデモを起こしたりするのではなく、働かないことによって抗議を行う。大半の人はニートが悪いと断言するが、だったらそいつらから自己肯定感、活躍できる居場所、労働意欲を奪ってきた連中や、それを放置してきた社会には何の非もないのか?
手足を縛られているのに、行動しないお前が悪いと言わんばかりに非難する。
そして彼らはまた抗議を繰り返す。僕はニートではない。だがニートの気持ちは分かる。敗者の痛みを知っている。いじめられたりこき使われたりすることが目に見えていた。だから僕は就職レールを自ら降りた。家が金持ちだったら、間違いなくニートになっていただろう。ニートの多くは悪魔の洗脳により、就職レール以外の生き方を知らない。だから自ら行動せず、自らのスキルで稼ごうともしない。
彼らにとって最も安全な場所は家だ。
家以外の場所が危険と思わせておいて何が働けだ。ニートを量産したのは間違いなく社会だ。その社会を構成してきた奴らは、これからその報いを受けることになるだろう。ニートがクズだと言うなら、それを大量に作り、放置してきた連中や社会は……それ以上のクズだっ!
買い物を済ませて帰宅する。璃子が珍しく料理を手伝おうとキッチンに立つ。一緒にトンカツオムライスを作り、その日の悪い思い出を上書きするように、料理を一緒に食べるのだった。
しばらくの時間が経つ――。
僕は毎日の習慣のように、『ジャパンスペシャルティコーヒー協会』のホームページを閲覧するようになったのだが、これには大きな理由がある。
ジャパンバリスタチャンピオンシップ、略してJBCに出場するための参加登録を待っていたからだ。WBCに出場するためには、まずは国内予選であるJBCで優勝しなければならない。
JBCのチャンピオンのみが次のWBC日本代表として出場できる。今までの大会と比べるとかなりの狭き門である。だが僕には勝算があった。世界ではどうか分からないが、日本で飛び抜けるのは簡単だ。全体の9割程度は周りに合わせる人間ばかりだ。人と違うことをしているだけで、全体の9割から一歩抜きん出ることができる。
予選を突破した連中のみとの勝負になるだろうと思った。
参加登録ができるようになったら、来年のJBCに参加しようと考えた。2008年度のJBCは1月に予選が行われ、3月に準決勝と決勝が行われるらしい。
大会までにシグネチャードリンクを完成させなければっ!
9月が近づいてきたある日、ニコラスからメールで声がかかり、僕はパソコンと睨めっこしながら英語でメールのやり取りをしているところだった。
『やあ、元気かい? ニコラスだよ。ゲイシャの件は覚えてるかな?』
『うん、覚えてるよ』
『ゲイシャの栽培をしている農園の園長が、一度君に会いたいって言ってるんだけど、どうかな?』
『極力都合は合わせるようにするけど、用件は何?』
『僕の父親の友人が、そこの園長からゲイシャを買ったんだ。でも一度会って人柄を見ないと豆を売れないって言うから、パナマまで来てほしいって言ってるけど、どうする?』
『行く。時期はいつぐらいがいいかな?』
『パナマは10月からがコーヒーの収穫時期だから、10月がいいんじゃないかな?』
千載一遇のチャンスだと思った。ゲイシャは世界最高峰のコーヒー豆。売ってもらうとなれば相当な費用がかかるだろう。今あるありったけのお金で買わせてもらう。迷いはなかった。僕はできるだけたくさんのゲイシャを買うために、9月まではしっかり働いて稼ごうと考えた。
悪いな璃子、このお金、コーヒー用なんだ。
璃子を見ながらも、笑顔でコーヒーの風味を妄想するのだった。
1万PV達成しました。
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