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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第19章 逆襲編
478/500

478杯目「弾劾絶壁」

 7月下旬、解散総選挙も遂に大詰めを迎えた。既に投票は行われている。


 各学校などの施設で投票箱が設置されると、これから投票している相手の事情など何も知らない東京都民たちが、ぞろぞろと建物の中へと列を作りながら入っていく。


 僕は東京へと赴き、反撃の牙を剥く機会を窺っていた。


 世間に自分たちの愚かさを思い知らせてやる。民衆の人を見る目なんて節穴同然だ。


 花月さんに許可を貰い、立花社長には既に鍛冶議員の件を伝えた。立花社長は葉月グループと杉山グループのどちらに味方をするか、解散総選挙が終わる7月まで猶予期間を延ばしていた。事の真相を知り、遂に葉月グループに味方することを皐月からのメールで確認した。確実な証拠は全て手に入れた。


 翌日を迎え、僕は東京都内のホテルを出た。この日は即日開票だ。午後8時を過ぎれば選挙結果が発表され、当選者が全国中に生中継される。昨日まで鍛冶議員の演説は東京都内で昼から行われており、民衆は選挙カーの上に君臨する饒舌な鍛冶議員を見上げながら用事に行くはずだった足を止め、力強さに惹かれている。中には鍛冶議員に投票している者も多くいるだろう。


 世界的に有名な某ファストフード店で花月さんと待ち合わせをしていると、明らかにこの店の雰囲気に合わない女性がサングラスをかけながら入ってくる。


「雁来さん、鍛冶議員を弾劾する話はメールで聞きました。どうするつもりなんです?」

「これから鍛冶議員の議員事務所で、当選の前祝いが始まる。投票は終わってるけど、みんな鍛冶議員の当選を確信してるし、集まった人は全員鍛冶議員の支持者。そいつらの前で赤っ恥をかかせる」

「――その役なんですが、私にやらせていただけないでしょうか」

「どうして花月さんに?」

「鍛冶茂雄の被害者は私たちです。ここは数多くの被害者を代表して私がやりたいのです。あなたには十分な仕事をしていただきました。感謝してもしきれません」

「……本当にいいの?」

「はい、やらせてください。お願いします」


 深々と頭を下げ、両手をビシッと伸ばす花月さん。


 本当は悪が裁かれる様を見届けてもらうために呼んだんだけどな。


 僕がやる場合、雁来木染というほぼ誰も知らない無名人が問題を起こしただけで済むが、花月さんは中部地方や近畿地方ではちょっとした有名人だ。有名人が問題行動を起こせば、シスターライト歌劇団にも大きな悪影響が生じることは、彼女も承認済みのはず。


 自分を犠牲にしてでもやり遂げるつもりだ。


 花月さんには1つ無理を要求しているし、ここは彼女に譲ろう。


「分かった。そこまで言うなら任せる」


 弾劾の証拠が入った封筒を手渡すと、花月さんは手を震わせながら受け取った。


「ご協力感謝します。全てあなたのお陰です」

「お礼を言うのは事が済んでからね。もう7時だし、行ってきたら?」

「はい。行って参ります」


 花月さんの後姿が段々と離れていく。鍛冶議員の議員事務所へと入っていく。


 僕も存在感を消しながら後をつけた。幸い誰も気づいていない。鍛冶議員は勝利を確信し、事務所内の大広間で当選祝いの準備中だ。そんな状況で話を聞いてもらう方法は1つしかない。


 もう1人やってくる予定だが、なかなかやってこない。


 あと1時間で開票が始まる。何故ここまでギリギリまで待ったか。答えは簡単だ。勝利を目前にしている時が最も油断する時であると璃子は言った。あれから全く連絡を取っていない。今もどこかで情報収集を務めているだろうが、鍛冶議員の対処は僕に任されている。


 これは葉月グループと杉山グループの戦い。本来なら僕が弾劾するのが筋だ。


 スマホが震えると、反射的に手が反応する。やっと返信を寄こしてくれた。


『東京に着いたけど、道に迷っちゃった。どこに行けばいいの?』

『鍛冶議員がいる議員事務所に行って』

『えー、本当に弾劾するの?』

『今仲間の1人が入ったから急いで。もし8時までに弾劾できなかったら、あんたが今までしてきたことを全部ぶちまけるよ。さっさと行きなさい』

『……分かったよ。行って証言すればいいんでしょ。僕のことは見逃してもらえるよね?』

『そんなわけないでしょ。処分が多少マシになるだけ。まあでも、協力してくれたら弁護くらいはしてあげる。私は鍛冶議員みたいに嘘は吐かない。ちょっとはスマホを活用したら?』


 しばらく待っても返信がない。場所を探し始めたようだ。


 ていうかやっと着いたのかよ。守秘義務違反を盾に仕事を休ませ、東京まで来させたはいいが、道に迷ったまま、すぐに連絡を寄こさないあたり、仕事はできないようだ。鍛冶議員と手を組み、土地の持ち主たちの情報を集めることで、間接的に土地の買収に貢献している。


 今頃は道行く人に場所を尋ねているところだろうな。死に物狂いで。


 僕は花月さんを追って議員事務所に入った。丁度那月さんが鍛冶議員と顔を合わせたところだ。


 鍛冶議員が腰かけている席の正面に立つ。並々ならぬ威圧感で見下ろすと、今にも手を出しそうな拳を抑え、困難と向き合う勇気を持ち、場の雰囲気さえ変えてしまった。話しかけてはいけないと背中が言っている。男役としての圧巻とも言える佇まいは周囲の度肝を抜き、通り過ぎる誰もが振り返った。


 東京ではあまり知られていないし、兵庫県の某歌劇団を引退してから時間が経っている。


「少しお時間よろしいでしょうか」

「あー、今は何分忙しいので、またの機会にしていただけませんかねぇ~」

「あなたが在籍していた株式会社鍛冶、いや、株式会社槍崎フードサービスの創業者である槍崎の件について、重要なお話があります」

「! ……どういうことかね?」


 槍崎というワードを聞いた瞬間、背中に氷が入ったように顔が引き攣った。


「忘れたんですか? 私は槍崎の娘、槍崎宙と申します」

「槍崎の娘が一体何の用だ? 君は招待していないはずだが」

「もしお話に応じて頂けないのでしたら、今からこの資料をここにいる全員にお配りします」

「資料だと。どんな資料だ?」

「あなたが専務時代に会社のお金を不正に使用し、杉山グループに横流ししていた件です」

「「「「「!」」」」」


 部屋の端にまで聞こえるくらいのやや大きな声で花月さんが言った。


「おいおい、何を言うかと思えば……名誉棄損で訴えますよ」

「受けて立ちます。確かな証拠もあります。開票までには終わらせますので、ご安心ください。あなたは父に睡眠薬入りのコーヒーを飲ませて眠らせた後、川の上流から流した。しかもその後、バリスタランド創設のため、多くの人から土地を買収し、逆らった所有者に毒薬を盛った。あなたの経歴を調べさせていただきました。あなたは地元福井の医大を卒業し、しばらく病院に勤めた後、父が創業した槍崎フードサービスに転職し、父を川に流してから社長に就任し、私たちの会社を乗っ取った」

「あのねー、君が私のアンチなのは分かったけど、だからってでっち上げは良くないよ」

「当時父が着ていた服を入念に調べた結果、川の上流にしかいない岩魚の鱗が検出されました。上流から沈められた証拠です。土地の所有者の1人を司法解剖した結果、睡眠薬を過剰摂取していたことが分かりました。何日も放置された状態で、孤独死という形で発見されています。睡眠薬の成分を調べたところ、薬局から処方された薬の成分と一致しました。あなたが土地を買収した時期と一致しています」


 花月さんは鍛冶議員が行ってきた所業の証拠を次々と突きつけた。


 周囲にいる支持者たちは呆気に取られるように口を開けながら見守っている。


 そんなはずはないと思いながらも、確信はしきれないようだ。以前からクリーンなイメージを守ってきたが、杉山社長と手を組んでいることは知られており、鍛冶議員の応援演説にも現れた。労せずしてコーヒー業界の権威となっただけあり、多くの人から注目されてはいるが、やはり信用はしきれないようで、誰1人として抗議しようとはしない。誠意は言葉ではなく行動だ。


 鍛冶議員は確実な証拠を出せの一点張りだ。


 いくら会社のお金が動いた話をしようとも、上流から流した証拠を示そうとも、土地の所有者から毒物が発見されようとも、これらは全てやろうと思えば誰でもできる話であり、鍛冶議員ならできたかもしれないという仮定の話でしかなく、決定的な証拠がない。


 ――最も確実な方法があるというのに。


 答弁だけでは記憶にございませんという言葉を筆頭に、のらりくらりとかわされてしまうし、狡猾な人間ほど、責任逃れの話術を体得しているものだ。そんな連中の喉元にナイフを突き立てたいならば、決定的な証拠をみんなが見ている前で堂々と話せればいいが、肝心のピースがまだ揃っていない。


 最終手段を用いようと思ったその時だった――。


 息を切らしながら、1人の男が僕の背後に迫る。


「やっと着いたんだね。遅いよ」

「だって東京初めてなんだもん。しょうがないじゃん」

「言い訳は後で聞く。ついてきて。圧政から解放されたいならね」

「分かったよ。はぁ~、何でこんなことに」


 社会への失望を噛みしめながらも、男は僕の後ろから前を通り過ぎていく。


「いくらそんなことを言われてもねぇ~。私がやったという確実な証拠はどこなの?」

「ですからさっきから言っている通り、父がいなくなって最も得をするのはあなたです」

「だったらそのお父さんを連れてきてほしいものだねぇ~。社長が急に不在になったもんだから、私がわざわざ慣れない社長業務を代行していたというのに、実に残念だよ」

「父さんの会社を乗っ取っておいて――」

「まあまあ、そうかっかしないで。だったら決定的な証拠を叩きつけてやればいいじゃない」


 興奮する花月さんの左肩に手を置き、募る怒りを忘れさせる。


「何だね君は?」

「この人の援軍ってとこかな。ほら、さっさとここに来て」

「――! 鷹見、何故ここに?」

「鍛冶さん、もうやめましょうよ。証拠も揃っているんです。さっき遺族の人たちが、被害届を提出しました。僕が今まで鍛冶さんとしてきたことを全部話しました」

「なっ、どういうことだっ!? 私は何も知らんぞ! 出鱈目を言うな!」

「じゃあ改めて、今までのことを話してもらおうかな」


 鷹見弟は全てを自供した。彼は皐月の流した涙を忘れられなかった。


 僕が鷹見弟の心に突き刺さっていた楔を見逃すはずもなく、鍛冶議員を弾劾するための重要な証拠を得たことを話し、今まで鍛冶議員の所業に協力し続けたことを盾にし、更にこれ以上皐月を悲しませたくないなら全てを白状するよう唆すと、ようやくその堅い口を割った。


 隙を生じぬ二段構えとはまさにこのこと。


 鍛冶議員はアマチュアチームに協力するべく、家族構成まで見通していた。鷹見弟が医者を目指していることを鷹見から知ると、早速連絡を取り、福井にまで遠征させ、高卒認定試験を通った後、裏口入学で医大生となったお礼に全面協力することを約束させ、秘密裏に計画を進めていった。


 最初こそ土地の所有者の情報を網羅し、住所から持病などのデータまでを提供し、鍛冶議員が独自に開発した持病に負担のかかる成分を混ぜた薬を提供した。成分が体に蓄積すればするほど効いてくるため、周囲から見れば自然死にしか見えない。土地の所有者を鍛冶薬局へと招き入れるよう宣伝した後、順調に死を待ってから土地を買収する算段だった。本当に土地の所有者がバタバタ倒れていくと、鷹見弟は途中から怖くなった。このことが世間に知られれば自分の将来が危ういと考え、抜けるに抜けられなかった。鍛冶議員が開発した薬を病院にまで取りに行くが、既に処分されていた。


 しかも鍛冶議員にまで見つかってしまい、口止めされてしまった。


 保身に走った結果、多くの患者を死なせてしまったばかりか、自らも命の危険を感じ、臆病風が彼の口を固く閉ざしていた。証拠などないと高を括っていたが、やはり重大な点を見落としていたようだ。


 USBメモリーに記録されていた音声は本音ではなく、鍛冶議員に不信感を悟られないようにするための芝居だったのだ。僕もまんまと騙された。


「僕はずっと鍛冶さんの指示で、都合の悪い人間を殺す手伝いをさせられていました。コネで医者にしてやるからと言われて、不登校になって将来が絶望的だった上に、親が自己破産して家まで売ることになっていた僕に……選択肢はありませんでした」

「あのねー、そんな証言が証拠になると思ってんのかなー? 後で赤っ恥をかくのは君たちだ。悪いことは言わん。今すぐ帰りたまえ。そうすれば、今起きたことはなかったことにしよう。さもないと威力業務妨害と名誉棄損で訴えることになるよ」

「それはこっちの台詞。あんたこそ、今認めれば、多少罪は軽くなると思うよ。もうすぐあんたは法の裁きを受けることになる。今選びなさい。また白を切ったら容赦はしない」

「ハッ、誰の差し金かは知らんがね! 私を嵌めようとしたって無駄だぞ! だからさっきから言ってるだろ! 誰もが納得する証拠を見せろよ証拠を!」


 鍛冶議員は顔を真っ赤にしながら立ち上がり、血管が頭に浮き出ている。


 最後の最後に救いのチャンスを与えたというのに、またしても踏み躙るとはな。


 僅かばかりの哀れみも失せた。こいつには予てより大きな貸しがある。平和の祭典を乱し、神聖なる競技に水を差した。根本からは真実を全て聞いた。鍛冶議員による選考会の妨害工作は全て杉山社長の指示だった。根本は穂岐山珈琲初のバリスタオリンピックチャンピオンを目指し、会社の価値を上げることで吸収合併に抗おうとしたが、バリスタポイントで他の参加者に負けていたために書類選考で落ちた。選考会に隠し子であった松野が根本に枠を譲ったのは彼独自の判断であった。杉山社長の力があれば、選考会を強制リタイアさせることもできたはずだが、それをしなかったのは、実力的に優勝は無理と過小評価されていたためだ。バリスタオリンピック本戦は意外にも予選突破を果たしてしまい、危機感を募らせた杉山社長が強制リタイアを実行に移し、予選落ちとなったのが事の真相だ。


 穂岐山珈琲は強制リタイアの影響からか、大きく株価を落とし、まんまと育成部を残して吸収合併されてしまった。根本は終始杉山社長の道具として利用されていた。僕がコクリと頷くと、鷹見弟も呼応するように頷き、ボイスレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。


『鍛冶さん、もうこんなことはやめませんか?』

『何を言ってるんだ。私は何もしてないよ。全部君がやったことじゃないか。だが心配するな。黙ってくれていれば全て丸く収まる。私が国会議員になった暁には、君が医大を卒業した後、私がいた病院にコネ採用で配属させてやろう。行く行くは教授に推薦してやる。家族を困らせたくないだろう。バレれば君は一生恥を晒して生きていくことになる。この国で一度前科者となったら最後、死ぬまでずっと爪弾きにされて生き恥を晒すことになる。証拠の毒薬は全部私が処分しておいた。セカンドチャンスのないこの国で失態を晒すことは、ある意味では最も重い罪だ』

『……国会議員になったら、どうするつもりなんです?』

『決まってるだろう。まずは増税して、馬鹿な国民共から税金を巻き上げ、杉山社長にこれ以上ない恩を売って天下りさせてもらうつもりだよ。どんなに税金が上がろうと、日本人は文句を言いながら従うことしかできない無力な子羊だ。雑巾みたいに死ぬまで絞り尽くせばいい』


 大音量で流れた鍛冶議員の本音は大広間全体に響き渡った。


 1週間前、僕は鷹見弟に罪を償う最後のチャンスと言って鍛冶議員に会うことを提案した。


 演説が終わった後の鍛冶議員と2人きりになり、悪行をやめることの提案、議員になった後どうするかの2つだけを聞き、後はテキトーに誤魔化してすぐ撤退しろとは言ったが、思った以上にうまくやってくれた。勝利を確信していた鍛冶議員は見事なまでに油断していた。葉月グループはあえて何もできないふりを装っていた。特に怪しい動きを起こすこともなく、当面はバリスタランド経営に尽力することを馬鹿正直に公表していたのが効いたようだ。


 鍛冶議員は魂が抜けたような間抜け顔を晒し、文字通り赤っ恥をかいた。


「どういうことか、説明してくださいますね?」

「……けっ、あと少しで計画が完了するところだったのに。槍崎を始末したまでは良かったが、あの老い耄れに目をつけられたのが運の尽きだった。この際だから言うが、杉山社長も共犯だ。あの老い耄れも私がしたことを知っていた。槍崎フードサービスにいた元幹部の1人が、私を怪しんで告げ口した。そしたら杉山社長が秘密を教えることを取引続行の条件にしてきやがった! 話さなければ地元警察にけしかけて捜査を行うと脅してきた。私は仕方なく全てを自供し、今日という日まであの老い耄れの奴隷として、言われたことは何でもした。そしたら今度は国会議員になって国を牛耳れと言ってきた。鷹見、お前が裏切るとは残念だ。お前を医者にするためにあれだけ贔屓にしてやったというのにっ!」

「葉月グループがコーヒー業界台頭の要因になったことで、ビール事業に投資していたあんたと杉山社長は多額の損害を負った。だから共通の敵として葉月グループを排除しようとしたんだよね?」

「ああ、そうだ。投資の損を取り返すには、今勢いのあるコーヒー事業に転換せざるを得なかった。そのためには葉月グループが始めたプロ契約制度がどうしても邪魔だった。プロバリスタなんてものが当たり前になって、たかが競技会のために莫大な経費を要求されれば、利益を出すどころじゃなくなるんだよ。底辺は底辺らしく、大人しくやっすい給料で働いていればいいものを、たった1人の底辺上がりのバリスタのせいで、全てが台無しだ――!」


 耐えられなくなった僕は、席に着いていた鍛冶議員の胸ぐらを掴み、力いっぱい持ち上げた。


「お前なんかに、コーヒー業界で懸命に働くバリスタたちを……馬鹿にする資格はない」


 至近距離で小声の怒りを発し、投げ捨てるように放し、椅子に座り損ねた鍛冶議員が床に転ぶ。


「あなたは1つ大きな勘違いをしています。槍崎は……父は今も生きています」

「なっ、何っ!? 馬鹿なっ! あいつは始末したはずだ!」

「父は下流の浅瀬で生きていました。恐らくコーヒーに入っていたカフェインが効いて、溺れる前に目覚めて浅瀬まで泳ぐことができたお陰だと思います。葉月グループ傘下のコーヒー農園で働く人たちが丹精込めて作ったコーヒーが、父の命を救ったのです。あなたは医者だった頃、手術でミスをした上司にミスの責任を押しつけられて、半ば強引に辞めさせられたと聞きました。父はあなたの不遇な人生に共感していました。経営の才能はあるからと、社長の座を譲ると言っていたんですよ」

「そんな……私はまたしても、コーヒーに負けたというのか……」

「あんたはコーヒーに負けたんじゃない。自分自身の……愚かさに負けたんだ」

「……あああああぁぁぁぁぁっ!」


 歯軋りをしながら床に跪く。悪党の断末魔は、所業に伴う数々の苦痛を象徴していた。


 直後に午後8時を迎えると、事の真相を知り、冷めきったまま開いた口の塞がらない支持者たちが議員事務所を去る中、解散総選挙の開票が行われた。鍛冶議員は当選を果たしていた。テレビに映っていた支持者たちは大いに喜んだが、この後真相を知り、呆気に取られたことは想像に難くない。


 石のように動かない鍛冶議員は通報を受けて駆けつけた警察官に逮捕された。特に抵抗することもなく連行されると、臨時ニュースで大々的に報道され、当然ながら国会議員当選も取り消しとなった。


 ――日本人がこんな奴らを支持してきたんだと思うと、泣けてくるぜ。彼らが不遇な生活環境を強いられてきたのは、ある意味では自業自得かもしれない。


 花月さんの言った通り、僕はコーヒーに救われた。運命はまだ、僕を見捨てちゃいなかった。

読んでいただきありがとうございます。

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