416杯目「サンクコストの罠」
周囲にいる無数の客をかわしながら建物を見て回った。
近代建築にはどこか惹かれるものがある。100年も前の建物だというのに、設計者の拘りと美意識が汲み取れてしまうのだ。人が自力で考えて作ったものには魂が宿る。そこに時代は関係ない。僕くらいになると、魂の宿った価値には強く引き寄せられてしまうのだ。
障子の襖からガラス張りの窓へと変わっていった時期でもある。見えそうで見えなかったものが見透かせるようになっただけで、こんなにも印象が変わるんだな。
某夢の国とは違い、アトラクションにそこまでの派手さはない。どちらかと言えばアトラクションよりもカフェ巡りを意識した作りになっている。しかも47都道府県分のカフェに加え、13店舗の土産物店や劇場などの施設があり、合計60店舗を定期的にイベント内容を入れ替えながら回していくところまでは分かった。中央エリアには噴水広場があり、その周囲を主要都市の店舗が囲んでいる。
マイナー都道府県は文字通り隅に追いやられ、外の人通りも少ない。これだけ客が来ているのに、あまり集客できていないのが驚きだ。地元ではない別の都道府県の郷土風味を1ヵ所で楽しめるのがここの醍醐味なのだが、スタッフは一体何をやっているんだ?
「あず君、うちから出店した中山道葉月って……ここだよね?」
「文字を見れば分かるだろ。ここがうちの本丸だ」
目の前には大正時代を意識した白い洋館風の建物が建っている。扉の部分はガラス張りで中が見える木造だが、他はコンクリートで固められている。今の若者から見れば古臭い感じがしないでもないが、歴史ある建物にロマンを感じる人間は僕も含め、きっと過去の人なんだろう。
しかも園内の最も奥のエリアに立てられているところに悪意を感じるが、この際どうでもいい。中山道葉月には数人の客が既に居座っており、葉月グループにも多くのファンがいる様子が垣間見えた。温泉に浸かっているかのように口角が上がり、店内の風流を楽しんでいる。
喫茶処江戸とは異なり、心からの寛ぎを与えられていることが見て取れる。
ここはバリスタランドの店舗で唯一満員防止法を採用している店舗だ。
店内の商品よりも土産物の割合を増やし、テイクアウトを促している。カフェでは各都道府県でしか売っていない名物となる土産物が、土産物店ではバリスタランドでしか買えない土産物を買える。つまりここは観光客に歴史を感じてもらいながら土産物を買わせるための施設だ。
「お客さん全然来てないけど、こんなんで大丈夫かなー」
「心配すんな。売れなくても問題ない。バリスタランドは各都道府県を代表するコーヒー会社が出店していて、粗利益の5割をロイヤリティをオリエンタルモールに支払う。オリエンタルモールは杉山グループ傘下の企業。そこから杉山グループ本部に上納金が入る。それがあいつらの利益だ。一部の店が利益を出していれば、それだけで杉山グループが儲かる仕組みになってる。パレートの法則って知ってるか?」
「あー、確か会社とかだったら、2割の社員が利益の8割を稼いでたり、店舗だったら2割の商品が売り上げの8割を稼いでたりするっていう法則でしょ」
「そゆこと。つまり稼げば稼ぐほど、2割の利益をもたらす側に回って、あいつらに利益を献上することになる。うちはむしろ良心的なポジションを与えられたと言っていい」
「でもさー、各都道府県を代表する店舗を並べるんだったら地方別に並べてほしかったなー。東京とか愛知とか大阪とか福岡とかは1番人気の中央エリアに集中してるなんておかしいよ」
「主に首都圏のコーヒー会社が出資したんだし、優遇するのは当然だ。立花グループにも設立したばっかのコーヒー会社がある。出資から建設までを手掛けていることもあって、大分県代表店舗も中央エリアにある。あの店は立花グループが出店してるからな。でも残念ながら全部罠だ。出資した企業ほど損をしているからな。葉月グループは1円たりとも出資をしなかった。だから端っこに追いやられてんだよ。ここはテーマパークのふりをしたショッピングモールだ。中山道葉月は捨て駒として出店した。高級豆を出せない時点で、はなっからあいつらがコーヒーブームに乗っかりながら、利益のためだけに作った場所だってことくらい、お見通しだからな」
「それだったら、今すぐ立花社長に伝えた方がいいんじゃないの?」
「無理だ。出資した企業はコンコルド効果で撤退しにくい。中央エリアは最も客が集まる場所だし、利益が出るってことは、定められた額を超えたという理由で、ロイヤリティを釣り上げられたりしたら?」
「……稼ぐほど損をするね」
「正解。粗利益から半分も持っていかれた後、原価以外の経費やら税金やらが引かれて、下手すりゃ赤字になっちまう。反発したところで、バリスタランド維持費を回収するためとか言い訳される。今までの投資が戻ってくるわけじゃない。損をした分を取り返すまでは、居座り続けることを余儀なくされる。仮にバレてから撤退したとしても、バリスタランドを通して自社を宣伝したいと考えているコーヒー会社なんていくらでもあるし、企業の知名度向上を餌にロイヤリティを吊り上げていけば、最終的に杉山グループだけが独り勝ちする蟻地獄の完成ってわけだ」
バリスタランドに来る道中、契約書の内容を千尋に見てもらった。
コーヒーブームで集客が見込めるからと、安易に投資した企業は確実に搾取される。ロイヤリティの交渉でより高いロイヤリティを払うと言った企業を優先的に該当する都道府県代表として起用し続ければ、それだけでオークション式にロイヤリティを吊り上げることもできるし、儲けるチャンスと言わんばかりにカジモール計画に参加したわけだが、やはり裏があったようで、千尋はすぐに見抜いてしまった。
出資に参加した企業は出資額が高い順に中央エリアに配置され、葉月グループは唯一出資額が0円であったために、メインゲートから最も遠い南東エリアの1番奥に配置となったわけだが、僕が何も知らずに出資していれば、危うく杉山グループの罠にハマるところだった。立花社長は出資と建築の報酬と言わんばかりにオリエンタルモールの株を一部所有している。この構造を伝えたところで尚更引けない。オリエンタルモール社長として就任したのは鍛冶議員の息子だが、事実上の傀儡と言っていい。
あいつらがプロ契約制度を廃止しようと企む理由はここにある。プロバリスタがいなくなれば、わざわざ高い金を払ってプロバリスタを雇う必要がなくなり、安く買い叩きやすくなる。バリスタランドには3600人ものバリスタが集結し、その全てがアマチュアである。大会の時期が近づいても外れることはなく、雇っているコーヒー会社がファイトマネーを支払う必要はない。出費が嵩んでしまえば撤退するコーヒー会社も多くなるためにバリスタを維持できなくなる。トップバリスタはアイドル的存在だ。大会で一斉にいなくなれば、コーヒーイベントの時期は集客が見込めなくなることを危惧している。
プロ契約制度廃止はバリスタの人件費削減が目的だ。
プロバリスタが消滅すれば、日本の衰退に拍車がかかる。臨界点を超えれば、復興は不可能だ。
税金が増えて所得が下がり、大量失業によって無敵の人が発生する。最悪の場合、日本にもスラム街が乱立するかもしれない。国内のコーヒー業界が衰退すれば、葉月グループとてピンチだ。たとえ優勝回数勝負に勝てたとしても、道連れにされかねないのだ。
アマチュアチームだけでなく、既に次の手を打っているとしたら――。
千尋が言うには、プロ契約制度の廃止自体は問題ないとのこと。
確かに給料という名目でファイトマネーをボーナスとして与える方法もあるが、名目上プロであるかどうかは大きい。プロ契約制度が日本以上に発展しつつある外国にプロを志すバリスタが流出しかねない。ファイトマネーもアメリカやヨーロッパの方が圧倒的だ。トップバリスタの価値は年々高騰している。
安くこき使うことばかりしていれば、やがて優秀な人間が外へと逃げていく構造が完成する。老い先短い連中には分からんだろうな。保守が破滅を意味していることなんて。
契約書にはロイヤリティが5割で済むのは粗利益が1000万円未満の店舗で、1000万円を超えた店舗については、オリエンタルモールの景気次第で5割を超えるロイヤリティが発生するとある。下手に売り上げを伸ばせばロイヤリティの吊り上げで阻止され、稼げなければ経費だけを消耗して赤字になる仕組みだ。今年中に撤退してもいいんだが、奴らの情報を内側から探れる数少ないチャンスでもある。
この店舗の赤字は必要経費と考えるべきだ。
「とりあえず入るぞ。丁度窓際の席が空いてる」
「はぁ~、まるで今のあたしたちみたい」
美羽が猫背のまま息を吐いた。扉を開けてみれば、今までの店舗とは一味違った一面を見せた。
元気良くいらっしゃいませと挨拶され、お好きな席へどうぞと言われ、言葉に甘えて窓際の一風変わった席に腰かけた。どれも大正時代に作られた椅子で、一部は修理されている。店舗設計に一切の妥協がない。リアリティを追求した外観と内装は全てにおいてうちが要求した通りで、流石は立花グループといったところ。スタッフの研修は慶さんがやってくれたようで、接客には人一倍力を入れている。
「中山道葉月のバリスタは競技会に出るつもりのない連中で固めてくれたよな?」
「一応そうしたけど、プロスペクトに経験積ませた方が良くない?」
「プロスペクトは意識が高い。捨て駒店舗だと分かったらすぐ他のコーヒー会社に移籍するぞ。できる奴は英語の習得だって早い。国外のコーヒー会社とも取り合いになるからな」
「まさかあず君がリスク回避をするようになるなんてねー」
「お陰様でな」
しかし、ここまで僕らを不遇に扱っておきながら、かえって有利になったことにあいつらは気づいているのだろうか。流石にここまで間抜けではないはずだ。鍛冶議員に穂岐山珈琲を乗っ取らせた後、会社の所有権をすぐに杉山グループに譲らせた。そして鍛冶議員が支配する福井市にバリスタランドを作った。
ここまでに入念な準備をしてきたんだ。きっと何か裏がある。
僕らがここに来た理由は偵察のためだけじゃない。今日の夜には出店しているグループや大手企業の関係者が集まり、杉山社長の演説を聞く予定だ。何だか校長の長ったらしい朝礼を聞きにいくみたいで欠伸すらしてしまいそうだが、ここにバリスタランド最大の謎が隠されていると僕の勘が訴えてくる。
「あたしは昼過ぎには帰るけど、あず君はどうするの?」
「夜まで千尋と残って、杉山社長のオープン記念挨拶を聞く予定だけど」
「何か分かったら教えてね。必要があれば優秀な人材を他の店舗から引っこ抜いてあげるから」
スマホを指で操作している美羽が意地悪そうに歯を見せた。
そこまでしなくても、うちには十分な逸材がいる。
バリスタランドはアンチプロの巣窟なだけあって、プロ契約制度を結んでいるバリスタが園内の店舗に所属することはできない。園内最高戦力はアマチュアチームが所属している店舗だ。プロとまではいかなくても、それなりの実力者が集まっているのがよく分かる。
客層は葉月グループが経験していない中流層の客が大半を占めている。富裕層ばかりを相手にしてきたうちにとっては未経験の客ばかりで、どんなニーズなのかを全く把握していないのが問題だ。活動範囲が閉鎖的な園内のみだし、スーパーやコンビニと競合することはない。
「千尋君以外にも誰か残るの?」
「いや、僕と千尋以外は全員昼過ぎに帰って店の営業だ。調査だけなら僕だけで十分だ」
「あたしはマイナー店舗を回って、次にメジャー店舗に上がれそうなバリスタのリストを作っておくね。今最前線で戦っているバリスタも、5年後にはどうなってるか分からないし」
「人事部長とは思えない言葉だな」
「これからは転職が当たり前になっていくんだから、いつ辞められても問題なく後続を輩出していくのが人事の仕事だよ。あたしはずっとここにいるけど、葉月グループを出世の足掛かりとしか思ってない人だって当然入ってくるだろうし、そのための葉月珈琲塾でしょ」
「そりゃそうだけど、うちに入る生徒は少ないだろ」
「それがねー、うちの塾からの生え抜きで独立する人はいても、転職した人は全然いないの。生きる力を持っているだけじゃなくて、バリスタとしての技能もあるし、外部から即戦力を雇うよりも長期的に見てかなり貢献してくれる。転職社会だからこそ、ずっといてくれる社員の希少価値も上がっていくんだし、入社してから引退するまで、フランチャイズプレイヤーでいてくれる人を探すのが、あたしの役割なの。誰かがあず君の後を継いだ時、組織の基盤がしっかりしていないと困るでしょ」
「一応言っておくと、総帥とユーティリティー社員に定年はないぞ」
「でもあず君、時々辞めたいって顔してるよ。伊織ちゃんを熱心に育てていたのって、伊織ちゃんに総帥の座を継いでほしいとかじゃないの?」
「伊織には無理だ。相手の裏を読めないし、純粋で優しすぎる。駆け引きに向いてない。今のところは璃子くらいしかいないんだよなー」
美羽は葉月グループの問題に気づいていた。
特に問題なのは、葉月グループが一代限りのブランドで成り立っている前のめりな経営方針、コーヒー農園の維持費問題、持続可能な企業戦略が確立していない問題だ。
後継者は実績さえあれば誰でもいいが、急にコーヒー事業から撤退してしまわないか心配だ。
「あず君の子供とかどうかな。雅君は責任感も賢さもあるし、紫ちゃんは人を動かすのがうまくて知的好奇心もあるし、ガッチリ鍛えれば、優秀な後継者になってくれるかもよ」
「勝手に分析すんなっての。会社経営なんてロクなもんじゃねえよ。できれば子供たちには僕と違う道を進んでほしいと思ってる。後継者の心配をしなくていい仕事とかな」
「ふーん……あず君は気づいてないんだ」
「なんか言った?」
「何でもない」
小さな声で何かを呟く美羽に尋ねたが、まともに答えてくれる様子はない。
窓の外を向いている美羽は肘を机につき、手の平で顎を支えている。彼女の横顔は憂いていた。美羽は共感性が非常に高い。相手の問題を自分の問題として捉えることができる。相手の弱点を見抜くことに長けているとも言えるし、自分の課題と相手の課題をごっちゃにしているとも言える。
実のところ、美羽は自分の価値観というものを持ってない。主観がないために客観に徹するところも、人事に向いている理由の1つだ。美羽が行う人事は優秀な人間を入れるためのものではなく、足を引っ張る無能を落とすためのものだ。社内貢献度を考案したのは僕だが、客観的なデータの取り方を発見したのは美羽だ。もはや会社というよりも、家のような感覚なのが美羽らしい。
中山道葉月は杉山グループを監視するための店だ。高級豆で客を選べない以上、店のシステムが盤石とは言い難いのだ。下手をすればクレーマーだってやってくる。故にクレーム処理の経験がある者を優先的に採用したが、物価もマイナー店舗の中ではぶっちぎりで安い方だし、コーヒーが1000円を下回るのもいただけない。一度年間パスを手に入れてしまえば、貧困層の客も毎日1店舗ずつ通うことが可能だ。店の種類に拘りがない人ほど人気のないエリアへと集まってくる。
午前11時、しばらくして美羽と別れ、僕は1人で次の目的地へと向かった。
再び中央エリアに戻ると、昼から押し寄せてきた客で溢れ返っている。
「あっ、あず君だー!」
愉快な顔を崩さないまま優子が近づく。弥生が後に続き、やや緊張気味だ。
「どうだった?」
「どこもそれなりの店だけど、葉月グループの店には遠く及ばないかなー」
「スタッフさんは注文を受けてから作るまでが遅くて、料理もドリンクも作り方が雑で、クレーマー処理に追われていましたねー。うちだったらまずあり得ない光景でした」
「葉月グループのお店に慣れてると、どうも他のお店じゃ物足りなくなるんだよねー」
「そうだな。値段が安い分品質にも劣るし、立派なのは接客だけだったな」
急に現れた皐月が会話に混ざってくる。隣には千尋が両手を頭の後ろで結びながら呑気に周囲をキョロキョロと観察しながら歩いている。2人とも優子の掛け声に引き寄せられたようだ。
優子の手には土産物店で買った商品が入っているであろう迷彩柄のエコバッグが握られている。
調査の傍ら、観光客の1人として楽しんでやがる。まあそれは別にいいんだけど、貢いだ分が全てあいつらの利益になっているんだと思うとイライラする。ガラス越しに自分の不機嫌な顔が見えた。
いかん、顔がムスッとしてきたのが自分でも分かる。
どうしよう。唯にも子供たちにも土産物を期待されている。
コーヒーをモチーフとしたキャラクターが描かれたペンスティックやコップが売られている。
キャラクターがデザインされたクッキーやチョコレートもあるし、人形に抱き枕にキーホルダーまで完備されてるし、家族連れが主なターゲットなのが見て取れる。子供を釣ることができれば親も勝手についてくる。結果的に世帯単位で稼げるし、遊び場やアトラクションで子供の暇を潰せる。
「皐月ちゃん、そっちはどうだったの?」
「北東エリアにはあまり人がいなかった。東北のカフェはあまり人気がないようだ」
「東北にはあんまりカフェがないからな。カフェが最も少ない都道府県は秋田県で、缶コーヒーとかペットボトル入りのコーヒーの方が売れているくらいだ。近畿地方と中部地方はカフェの激戦区で味が洗練されているし、競合になりやすい地域の執着には及ばない。カフェの数とバリスタの競争力は人口に比例する。どうやら中央エリアを中心に売れているようだな。あからさまに優遇されてるし」
「じゃああたしは帰るね。一応1周したし、そろそろお店に戻らないと。結奈ちゃんも待ってるし」
手を振りながら優子が去っていく。買い物だけで満足したらしい。
千尋たちと意見交換をするが、結局分かったことは、中央エリアに位置する都道府県の店舗が全面的に優遇され、他の店舗には行かせないと言わんばかりに土産物店を配置していることのみ。お陰で園内の末端はメインゲートを除いて、あまり客が来ないのだ。
仕組まれたと言えばそれまでだが、これだけなら問題ない。
6人掛かりでエリア分けして園内全てを見回ったが、そう簡単に尻尾は掴ませてくれないか。
この時、僕らは知らなかった。既に蟻地獄に片足を突っ込んでいることに。
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