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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第16章 愛弟子の大舞台編
391/500

391杯目「ネクストステージ」

 9月中旬、今年も世界大会挑戦権を奪い合うコーヒーイベントの時期がやってくる。


 東京に集まった猛者たちの誰もが、目をギラギラと輝かせながら頂点だけを狙い、この1週間を戦い抜くためだけに、数ヵ月も前から大会に向けた準備をする。


 バリスタオリンピックに刺激を受けたのか、例年よりも参加登録者が殺到し、キャンセル待ちが続出する事態となったのだ。参加者自体は1000人までとなっているが、参加者の多くは店舗に所属していなかった。カフェでバリスタ競技会の準備を行うことが広く認められてきたのだ。


 知識や技能のあるフリーランスのバリスタが大会前に店舗を借りると、大会に向けた準備を行う土壌が整った。しかもプロ契約を結んでいないアマチュアたちがチームを結成するようになった。お金を貰って大会に参加するプロにも負けないことを証明したいと思う対抗馬が現れ、プロたちの刺激となっていた。


 僕の知らない間に、コーヒー業界はネクストステージへと進んでいたのだ。


 那月はJLAC(ジェイラック)に出場した時点から賭けに臨むつもりでいたらしい。


 彼女は2つの大会に参加している。1つは9月開催のJLAC(ジェイラック)だ。


 もう1つは10月開催のジャパンパティスリーカップというパティシエの大会だ。


 両方共東京で開かれる国内予選であり、優勝すれば世界大会がある。ジャパンパティスリーカップで優勝すれば、来年8月に行われるワールドパティスリーカップ日本代表としての出場権を得る。無論、那月は登録を済ませているわけだが、こっちも過酷であることに変わりはない。


 JLAC(ジェイラック)は1000人が参加し、15人が準決勝進出し、前回大会ファイナリスト5人を合わせた20人で準決勝を戦い、5人が決勝進出を果たし、次回大会シード権を獲得する。


 那月はシード権なんて気にしちゃいないだろうが……。


 ジャパンパティスリーカップは100人が予選に参加し、10人が決勝進出を果たす。シード権なんてない。参加登録者はバリスタよりもずっと少ない。ケーキを作るのはコーヒーを淹れるよりもずっと準備が大変であることを物語っているばかりか、味だけでなく見た目でも勝負しなければならない。


 大会3日前、那月のコーチとなった僕と優子は保護者のように東京まで同行する。


 去年までなら、穂岐山珈琲旧本社ビルを借りて練習しているところだったが、今この場所は杉山珈琲本社ビルとなり、育成部があった部屋は別の部署に代わっているという。杉山珈琲にいたままの元穂岐山珈琲社員は多くが首切りの嵐に巻き込まれ、失業者として就活の日々を過ごしている。


 葉月グループが練習場所として、穂岐山珈琲の店舗だった場所を借りた。


 場所は美羽が確保してくれたようで、元々は美羽が在籍していた店舗だ。今後はこの場所を葉月グループの練習場所兼宿泊先として使うわけだが、競技の練習をする前提の設計なのか、広々としている。


 那月は千尋や桜子と共に葉月珈琲から参加している。伊織はバリスタオリンピックを制覇してしまい、目指すものがなくなってしまったが、他が意欲的で何よりだ。


 千尋はJCC(ジェイシーシー)に、桜子はJCTC(ジェイクトック)に参加する予定だ。


 メジャー店舗からの参加者には、マイナー店舗のスタッフで構成されたサポーターチームがステージの組み立てから片づけまでを担当し、人によってはサポーターチームの中から得意分野に長けたスタッフにアドバイスを貰うこともできるため、かなり充実したサポーター体制が整っている。


 メジャー店舗昇格を目指すマイナー店舗のスタッフはサポーターチームに立候補し、サポーターとしての実績やマイナー競技会での成績次第で、卒業や降格が発生すれば入れ替わりで昇格できる。


「まさか那月ちゃんが二刀流引退を懸けるなんてねー。でも何でそんなこと思ったわけ?」

「だってあたし以外の葉月珈琲のスタッフたちはみんな世界大会で優勝してるんですよ。個人戦で優勝したことがないのはあたしだけなんですから、そろそろ覚悟を決める必要があると思ったんです。みんなしてあんなにも結果を残されたら、何だか私だけがサボってるみたいじゃないですか」

「そんなことねえよ。バリスタオリンピックの時だって、マリアージュ部門のサポーターとして十分なサポートができてたぞ。特にスイーツのフレーバーポイントが高いのは、コーヒーとスイーツの相性を知り尽くした那月だからできたことだ。もっと誇れ」

「サポーターとしては十分活躍したと思ってるけど、あたしはやっぱり、参加者として活躍したい。自分が主役じゃないと気が済まないから」


 那月が何杯目かのフリーポアラテアートを描いた。


 スチームミルクとエスプレッソの作成はサポーターに任せ、那月は描く作業のみ。テーブルの上には積み重なったコーヒーカップの山が築かれ、公開練習にした上でラテアートが描かれたカプチーノを500円で飲むことができ、コーヒーを無駄にせずに済むばかりか、通行人から稼ぐこともできる。


 葉月グループのブランドもあり、まるで光に集まる虫のように通行人が集まる。


 結果、カプチーノが飛ぶように売れていったのだ。


「那月ちゃーん! 空母描いてよー!」

「ええっ!? く、空母ですかっ!?」

「いいんだ。さっき表の看板に注文を書き足しておいた。失敗しても料金は一緒だ。思いっきりやれ」

「それはいいけど、戦艦ならともかく、空母なんて描いたことないんだけど」

「いいからやってみろ。似せるだけでもいい。みんな完璧に描くことなんて期待しちゃいない。メイドカフェでオムライスに希望した絵をケチャップで描いてもらったら、下手でも嬉しいじゃん」

「そ、それはそうだけど」

「ほーら、お客さんが待ってる」

「分かりましたよ」


 渋々那月が予定にないラテアートを描くが、彼女は乗り物で勝負するつもりだった。


 那月は幼少期から乗り物オタクで、特に軍隊兵器の造形は何も見なくても描けるほど正確だ。


 JLAC(ジェイラック)初参加の時、那月の敗因は慣れない動物を描いたところにあった。動物を描いたバリスタが世界大会で立て続けに優勝しているからこそアニマル革命と言われているだけで、ただ闇雲に動物を描けばいいわけじゃない。それじゃ他のバリスタと同じだ。


 動物は種類が多く、造形の細かい種類もいるため、コントラストや造形美でハイスコアを記録しやすいのだが、これはあくまでも他と差別化を図る手段の1つにすぎない。


 最も得意で繊細なラテアートを描けば、まだ那月にも勝ち目がある。流行っているラテアートを研究するのではなく、自分が何より好きなラテアートを究めるべきなのだ。那月は知恵を絞りながら予定していないラテアートを描いたが、多くはデザインカプチーノとして提供されたのであった。


 ――大会1日目――


 僕の那月への提言は見事にハマった。


 那月は第16競技者としてステージに立ち、競技時間のカウントが始まった直後から、大きなカップにエスプレッソをダブルショットで淹れると、音を立てながらスチームミルクを作る。スピードが速いだけでなく、動きも正確で無駄がない。優子の教えが身に染みているようだ。プレゼンは必要最小限に留め、1段階目にスチームミルクを投入し、牛乳と混ざりきったところで2段階目の投入で描き始める。


 2種類のフリーポアラテアートでは『戦闘機』と『戦艦』を描き、デザインカプチーノではペンスティックを巧みに使いながら『戦車』を描いた。牛乳の白とコーヒーの茶色をうまく使い、迷彩柄のコントラストを表現していく。それぞれ2杯分描くわけだが、精密機械を使ったコピーのようで、見分けがつかないほどの均質性は、パティシエ修行によるところが大きい。


 パティシエは何度作っても全く同じ作品を作れるだけの均質性を求められる。


 那月の最大の強みは、2つの異なる分野の利点をもう片方に活かせるという点だ。ラテアートを勧めたのはパティシエと両立するのであれば、この大会が最も向いていると感じたからだ。かつて璃子が制覇したのもJLAC(ジェイラック)で、この前例が大いに役立った。


 競技を終えた那月がインタビューを終えると、サポーターチームが片づけをし始める。


「流石は那月ちゃん、これくらいの競技時間なら集中が持つね」


 優子が僕の隣から声をかけてくる。彼女には黒いブラウスがよく似合う。


「パティシエの大会ってそんなに大変なのか?」

「もちろん。何日もずっと地味な作業をし続けるのぉ~。一度出てみる?」

「遠慮しとく」


 歴戦の猛者特有のオーラが漂う戦慄の視線が僕には重すぎた。


「ふぅ、やっと終わった」

「競技時間10分だぞ。僕の頃は8分だったからな」

「8分って……全然終わらないじゃん」

「あの頃は大変だったな。タイムオーバーが続出して、みんなロクに描けなかった。特にタイムロスで減点された人には負ける気がしなかったし、本気でやってる人とやってない人の差が浮き彫りになってた」

「今はその差が分かりにくくなっちゃったねー。本気じゃない人は予選突破してこないし」

「創成期時代なら優勝できた自信あったんですけど、そうでもないんですねー。でもさっきの競技は描きやすかったです。スチームミルクを落とす位置を間違えちゃって、一瞬やり直そうかなって思ったんですけど、昨日までのデザインカプチーノを思い出して、球落としをした場所は砲弾ということにしました」


 自慢するかのように、ウインクをしながら咄嗟の機転を話してくれた。


 流石はうちのバリスタなだけあって対応力が高い。不測の事態に陥っても、取り返せることに尽力し、ミスをしても取り返せる経験をさせることで自信を持たせ、結果的にミスを減らす方針だったが、那月はその更に上を行くようで、リカバリーも習得していたようだ。


 ショーピエスなんかは飴細工が崩れてやり直しになることもある。粘り強く作り続けることで、失敗を恐れない性格を作っていくパティシエ修行はもっと評価されていい。


「那月ちゃん、何であず君が那月ちゃんに色んなラテアートを描かせたと思う?」

「世界大会に参加する時、ネタに困らないようにするためじゃないんですか?」

「それもあるけど、1番の理由は那月ちゃんにモチーフを考えさせるため。絵を見ながら描くこともできるけど、タイムロスになっちゃうから、色んなラテアートを咄嗟に思いついて描くことで、イメージがすぐ脳内に浮かぶようにするためなの。今日の那月ちゃんは絵を見なくてもちゃんと描けたじゃん」

「――! それであんな無茶なリクエスト制にしたんだ」

「やっと分かったか。色んなラテアートを描くのは、これだと決めたモチーフよりも、しっくりくるデザインを思いつくためでもある。僕もラテアートの大会に出ていた頃は、店で予定にないラテアートを要求されて、動物を何種類も描かされた。そのお陰で世界中の動物の名前と姿を覚えることができた」

「じゃあ、昨今のアニマル革命って――」

「僕が流行らせた。昔はフリーポアで描ける動物は白鳥くらいしかなかったけど、大きなカップにダブルショットでボリュームを増やせば、色んな動物を描けることを真っ先に思いついて、大会で実践したら、いつの間にか世界中に広まってた」


 優子も那月もぽかーんとしながら口を開けている。


 描けるラテアートの幅が広がり、アニマル革命のきっかけを作った。植物も多種多様に描けるし、デザインカプチーノでは人工物さえ描けるようになったが、ラテアートのインフレはどこまで続くだろうか。


 僕が開けてしまったパンドラの箱は――最後に希望を残してくれるだろうか。


「あず君がハードル上げちゃったんだ」

「他にもコーヒーのホエイを思いついてシグネチャーのハードルを下げたり、カッピングで最速解答する方法を思いついたりして、競技の概念自体を変えちゃったの」

「誰かが最適解に辿り着くと、みんなそれをマネしますよね」

「だからみんな頭を使わない競技をするようになってるって言ってたんだ」

「でもその心配はいらないみたいだぞ」


 意外な返答に、思わずスマホを動かす手を止める優子。


「えっ、どうして?」

「伊織がバリスタオリンピックで優勝したからだ。ただ試行錯誤してただけじゃなく、熟成させた食材を使って他にはない味を現出した。コーヒーに合った酒を自分で作った。この積み重ねは簡単にはコピーできない。料理は偶然の産物も多くて、伊織はその偶然の産物を高頻度で発見していた。今までにない極上の味わいにレパートリーポイントが加算されれば、そう簡単には届かない。もっと早くアイデアを思いついて、熟成期間が長くなっていたら、多分総合スコアが1000ポイントを超えていたかもな」

「あれでまだ未完成なのっ!?」

「コーヒーに完成はねえよ」


 優子と那月から背を向けて離れた。2人きりで話したいこともあるだろう。


 伊織はまだ進化の余地を残しているが、時折燃え尽き症候群のような顔を見せた。


 連覇を目指そうと思えばできるとは思うが、伊織にその気力はない。だが他の大会をそこまで制覇していなくても勝てることを証明し、挑戦のハードルを下げた功績は大きい。しかも総合優勝していながら、部門賞なしが大きな話題を呼び、危うく予選落ちしかけた経緯もあり、歴代最弱のバリスタオリンピックチャンピオンと呼ばれているが、それは大きな誤解である。


 成長すればもう誰も敵わない。僕が思った以上の領域に到達した。


 食材を熟成させるアイデアは、時間が経てば経つほどその効果を発揮する。つまりシグネチャーが絡むバリスタ競技会であれば、伊織が参加し続ける限り、常にトップに立ち続けることを意味する。


 梅酒をヒントにこんなアイデアを思いついたばかりか、素材の味を保ちながらコーヒーと合わせる荒業は簡単にマネできるものじゃない。歴代最弱どころか、100年後も語り継がれるほどの歴代最強レベルである。本物と呼べるものほど最初は過小評価されるが、僕だけは伊織はちゃんと評価してやりたい。


 もちろん、愛弟子としてではなく、愛する恋人としてだが。


「おやおや、まさか葉月社長まで来ていたとはね」


 聞き覚えのある渋い中年声が僕の鼓膜を刺激する。


「……杉山社長か。何であんなことを?」


 僕の後ろに佇んでいたのは杉山社長だった。


 そばには杉山グループの関係者や秘書らしき人物が周囲を見下ろすような顔つきだ。


 穂岐山珈琲の吸収合併に戦慄した国内のコーヒーファンは多いだろう。


 穂岐山珈琲は葉月グループのようにバリスタの実績こそないが、多くのコーヒーファンがバリスタとして働くならここだと思い、目指すべきコーヒー会社として機能していた。


「はて、何のことやら」

「一度チャンスをやったのに……あんたは間違った道を選んだ。ぶっ潰されても文句は言えないと思え」

「君は一体何が言いたいんだね?」

「穂岐山珈琲の買収をしたばかりか、穂岐山珈琲にいた社員の多くをリストラして、バリスタ競技会に参加する土壌を破壊した張本人だというのに、よくのうのうとここまでやってこれたよな」

「君たちバリスタやバリスタ競技会がコーヒー業界の躍進に貢献したことは知っている。だが経営者目線で見れば採算が合わない上に、プロ契約を結んでも、報われるのはほんの一握りだということは、君が1番知っているんじゃないのかね?」

「今の時点ではな。プロ契約を結んだバリスタ全員が会社に貢献してくれる保証はない……でも採算が合わないのは違う。穂岐山珈琲の去年のデータが証明してる」


 僕はスマホを取り出し、去年の選考会の後から上がった穂岐山珈琲の経常利益のグラフを見せた。


 プロ契約制度の採算が合わないのは嘘だ。


 結果を残せなくても大きな宣伝になる。バリスタたちは競技を行う前後に何人も知り合いを作る。知り合った人に店舗を紹介すると、以降、その会社の店舗に通うようになった例はいくらでもある。


 現場を見てきた人間だからこそ分かる採算だ。


 上がりを懐に入れることしか考えていない経営者には……まず分からないだろうが。


「そんなものはいくらでも捏造できる」

「あんたがそう言うと、妙に説得力があるな」

「どういう意味かな?」

「それはあんたが1番知っていることだろ。また八百長でも仕掛けに来たのか?」

「まさか、私は杉山珈琲のバリスタたちがコーヒーイベント進出を果たしたから応援に来ただけだ。プロ契約制度は結んでいないというだけでアマチュアチームなんて呼ばれているが、プロとの差なんてないに等しいことを証明しようとしているだけだよ。もし杉山珈琲の社員が優勝することがあれば、私はプロ契約制度がなくてもバリスタは大会で優勝できると、大会後の挨拶で語るつもりだ」

「大会後の挨拶って、それは協会の会長がやること――!」


 まさか……こんなことがあるのか?


「私が今月から協会の新会長に就任した。杉山珈琲の会長でもあるのだから、資格は十分にある」

「会長は協会の会員たちの投票で決まるはずだ……会員を買収したな」

「おやおや、よしてくれよ。何か証拠でもあるのかな?」

「……まあいい。この際あんたが会長かどうかはどうでもいい。だがこれだけは言っておくぞ。もしコーヒー業界を衰退させるようなマネをした時は、責任を取ってもらう」

「ほう、この私に喧嘩を売るとは言い度胸だ。では賭けをしようじゃないか」

「……賭けねぇ~」


 このじじい、僕が賭けをしたことがないのを見透かして仕掛けてきやがった。


 自分が勝てる勝負しかしてこなかったのはお互い様だが、僕は何も不正なんかしちゃいない。


「杉山グループと葉月グループは、どうやら同じ業界での共存が難しいようだ。こんな風に毎年のように喧嘩を売られちゃたまらんからね」

「賭けの内容は?」

「今回から杉山グループのバリスタと葉月グループのバリスタで、このコーヒーイベントで行われるメジャー競技会での優勝回数を争ってもらう。今年から2025年までの3年間で、優勝回数が多かったグループの勝ちとし、負けた方は勝った方を言うことを何でも聞く」

「ん? ……今何でもって言ったよな?」

「ああ、言ったとも。杉山グループが勝った時は、葉月グループにはコーヒー業界から退いてもらおう。葉月グループ傘下の企業は全部手放してもらうぞ」

「――葉月グループが勝った時は、あんたが今までに犯した罪を全部マスコミに自白しろ。しなかった場合は僕が代わりに暴露する」

「ふふふふふっ! 面白い男だ。では契約書を交わそうか。おい、契約書を出せ。ペンと判子もだ」

「はい社長」


 杉山社長の秘書が取り出したのは1枚の契約書だ。ルールの穴を突かれないよう、徹底した穴埋めとも言える説明文がびっしりと並んでいる。杉山社長は秘書から判子を受け取り、自ら朱肉に押しつけると、サインをしてから、契約書に杉山と書かれた朱色の判子を音もなく押した。


「さあ、君も押したまえ」

「うちは判子を廃止しているんでね。指紋で押させてもらう」

「ふっ、まあいいだろう」


 ペンを手渡され、契約書を隅々まで確認する。


「そんなに凝視しなくてもいいじゃないか。サインしたら控えのコピーをやる」

「もし契約違反が発生したら、その時点で加害者側の負けか。抜け目ないな」


 サインをしてから朱肉に親指を押しつけ、同様に契約書の四角い枠に指紋を押しつけた。


 この日、葉月グループは杉山グループに対し、正式に宣戦布告するのであった。

読んでいただきありがとうございます。

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