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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第2章 自営業編
37/500

37杯目「それぞれの進路」

 無事にカフェを開業することはできた。


 まだ完全な独立には至っていない。うちの親が経営方針に干渉してこないようになるまでは。


 相変わらず外国人観光客をもてなしてはいたが、1つ問題が発生した。


 日本語が分かる外国人観光客が来るようになったのだ。


 カランコロンとドアベルが鳴り、1人の外国人と思われる男が店に入ってくる。金髪で高身長、40代くらいの中年のおじさんだ。ずっと住んでいたことを思わせる流暢な日本語で、顔を見ずに言葉だけを聞いたら日本人と間違えそうなくらいで、顔はまるでハリウッドスターだ。


「いらっしゃいませ」

「へぇー、結構オシャレな店だねー。エスプレッソとカプチーノください」

「はい、分かりました。お兄ちゃん、注文入ったよ」

「はいはい、エスプレッソとカプチーノね」


 僕が1分程度で注文の品を提供すると、彼は僕の作業の速さに驚いていたようだ。一般の人がエスプレッソとカプチーノをそれぞれ1杯ずつ淹れると2分以上かかるのだが、僕が作ると1分程度で済む。


「! 凄く速いね」

「いつもこうだよ」

「葉月君だっけ? 凄腕のバリスタがいるって聞いたんだけど、君のことなんだね」

「僕、自己紹介したっけ?」

「いや、娘から聞いたんだよ。娘が動画で君のことを見ていたからね」

「娘? じゃあ娘からの評判を受けて来たんだ」


 ここにきて某世界的な動画サイトの効果が出てきたようだ。ということは、もしかしたら他にも見ている人が来てくれるかもしれないし、もっと動画での宣伝に励んだ方が良さそうだ。


 後に続いて人が入ってくる。いつものように入ってきたのは唯だった。


「あっ、お父さん! ここにいたんだ」

「えっ、唯の親父だったの?」

「ああ、そうだよ。ジェフ・グラント。娘がいつも世話になってるようで」

「あー、そういうことか」


 全てを悟ったように呟く。唯は僕と同じことを考えている。口止めこそしているが、家族で動画を見るなとは言っていない。恐らくその影響で来たくなったんだろう。


 名前ですぐ英語圏の名前だと分かったが、中には例外もある。


 エドガールのおっちゃんはドイツ系フランス人。ドイツ生まれで父親がドイツ人だが、フランス人の母親の意向もあり、本名はエドガール・カミュである。


「そういうことって?」

「唯はこの店を繁盛させたい。そうだろ?」

「……はい。ここは私が初めて好きになったカフェなんです。元々コーヒーにはあまり興味がなかったんですけど、あず君の動画を見て、私もコーヒーに興味を持ったんです」


 この頃には唯からもあず君と呼ばれるようになっていた。


 動画1つで興味がない人をここまで惹きつけられるのか。


「唯が家に引き籠るようになって、もうどうしようかと思ってたけど、君の動画で唯が元気を取り戻してくれた。君には感謝してるよ」

「そこまでのことをした覚えはないんだけどな」

「動画の部分もあるんですけど、私はコメントであず君に励まされたんです」

「励まされた? どういうこと?」

「私、頻繁にあず君とコメントのやり取りをしてたんですよ」


 動画のコメントのやり取りを思い返す。


 やり取りをしていたとは言っても……ん? そういえば、コメント欄に『Yui』というユーザーから頻繁にコメントが来ていたが……まさか、あれが唯なのか?


 そうか――そういうことかっ!


 突然何かを思い出したように口を開け、全てを悟ったようにボーッとした表情になった。


「思い出してくれたようですね」

「じゃあ、あの『Yui』っていうユーザーネームは――」

「はい……私です」

「動画に英語でコメントしてるってことは、英語が分かるのか?」

「はい。英語はお父さんの影響です。英語でコメントしていたのは、日本人だと思われたら会話してくれないって思ったからです」

「別にそんなことしないぞ。嫌いになりたくてなったわけじゃないし」

「嫌いになったって、どういうこと?」

「「あっ!」」


 ――しまった! 外国人観光客限定にしてるの忘れてたー。


 建前上は国内からも来たら厨房が死ぬってことをみんな信じてるってのに、何やってんだか。


「あのっ、えっと、これは違うの。何でもないの。気にしないで」

「そう言われると気になっちゃうなー」

「はぁ……誰にも言わないって約束するなら教える」


 意図せず日本人嫌いの理由を聞かれることになったが、口外しない代わりに正直に答えた。まさかこの親子に弱みを晒すことになるとは。自分でもどんな状態なのかが分からないと答えると、ジェフからは精神病じゃないかと言われ、だろうねと答えるしかなかった。


 悲愴感が僕の心を抉るように襲ってくる。


「治療はしないの?」

「しない。むしろあいつらが自分たちの閉鎖的な性分を治療するべきだ」

「でもこのままだと、日本人でここに来たい人が出てきた時に、色々問題になるんじゃないかな?」

「そもそも日本人で僕を好きな人はいないから問題ねえよ。茶髪すら許容できない連中だからな」

「そんなことはないと思うなー。私も来日してから長いけど、そんな目には一度も遭わなかった。多分環境が悪すぎただけじゃないかな」

「「……」」


 ジェフが冷静に言うと、僕も唯も黙り込んだ。かつて日本人から迫害を受けた僕らにしか理解できないことだし、この人にはまず分からないと悟った。


 日本人恐怖症が唯に対して発動しなかった理由が分かった。


 結論から言えば、僕らは似た者同士だ。違いは長期的な不登校に慣れたかどうかだ。断続的な不登校にはなったことがあるが、長期的な不登校にはならなかったために症状が悪化してしまった。唯も悪魔の洗脳を受け続けていれば、僕のようになっていたかもしれない。


 社会不適合者の不登校が英断と言われる時代が早く到来してほしいものだ。


 当時の僕は茶髪すら許容できない日本人ほど懐の狭い連中はいないと本気で思っていた。ずっと茶髪の件で迫害を受けてきたのだから、当然と言えば当然と言える。例外がいることも知っていたが、それは全体の1%程度だと思っていた。実際、僕の味方をしてくれた生徒は、通算だと3クラスに1人くらいの割合だった。ジェフは良い店なのに勿体ないと言った。比較的近所に住んでいたこともあり、ここの常連になってくれた。日本国内からの外国人観光客は初めてだった。


 僕は色々と聞かれている内に、学生時代の出来事も次第に話すようになった。彼は驚きを隠せない様子だったが、常連たちからは度々励まされた。僕の事情を全面的に知ると、それ以上は日本人規制法に対して何も言わなくなった。やむを得ない事情と受け取ってくれたらしい。


 うちの店にとって初めての大人の常連が……唯の親父とはな。


 今後のことを考えれば仲良くしておいて損はない。しかも外国人の友人に店を紹介してくれたのだ。やがてみんな常連化していった。この人たちがいなかったら、僕は倒産の危機を乗り越えられなかったかもしれない。ジェフの友人たちにも事情は話した。最初の常連ほど話し込んでないが、それでも納得はしているようだった。人の店の方針には口を出さないタチなのが幸いした。


 言い方は悪いが、貴重な収入源だ。


 常連からはバリスタ競技会を勧められた。


「アズサ、コーヒーフェストラテアートワールドチャンピオンシップっていう大会があるんだが、もしよかったら出てみないか?」

「えっ!? ……何それ?」


 コーヒーフェストラテアートワールドチャンピオンシップ、略してCFL(シーエフエル)。この大会はWDC(ダブリューディーシー)の時とは異なり、フリーポアのみでラテアートを描かなければならない大会だ。年に3回程度あるらしく、来年に予定が空いていれば出ることを考えた。


 この年は初の事業に加えて初の遠征があったし、慣れないことだらけで疲れが溜まっていたし、今年はこれ以上大会に行けそうにない。一応の貯えはある。いつ大会が開かれても行くことはできる。個人的にはファイナリストになれただけでも、十分な宣伝効果が期待できる。


 この時点で『優勝<宣伝』の構造が出来上がっていた。


 店を成功させ、完全独立を果たすのに必死だった。一生親の言いなりになるのは嫌だ。だが自分の信念を曲げるのはもっと嫌だ。店の方針は断固として変えなかった。世間から独立したいと常々願っていた。それがようやく叶ったのだから、今更手放せるわけがないのだ。


「お兄ちゃん、売り上げは順調?」


 心配性に支配されている璃子が、この日の営業が一通り終わった僕に話しかけてくる。


「ああ、贅沢さえしなければ大丈夫だ」

「またチョコの材料買ってもいいかな?」

「いいけど、今年はずっとチョコばっかり作ってるよな」


 璃子は労働者ではないためお小遣い制だ。月にいくら渡すとかじゃなく、必要な時に必要な分だけ渡すというやり方だ。以前の僕もそうだった。


「お兄ちゃん、ちょっといいかな?」

「ん? どうかしたか?」


 璃子は真剣そうな顔で目線を下に向ける。


 まるで決心がついたかのように、急に僕に目線を合わせた。


「私……ショコラティエになりたいの」

「えっ? ショコラティエ? なればいいじゃん」

「簡単に言うけど、夢を叶えるのって大変なんだよ。お金だってかかるし……でも私には夢を応援してくれる人がいないから、どうしようって思って」

「それはいいんだけどさ、進路はどうすんの?」

「公立の高校くらいは行かせてもらえると思うけど、これ以上親に負担をかけたくないし、私もお兄ちゃんみたいに中卒で働こうと思ってるんだけど、その先が全く分からなくて困ってる」


 璃子は中学卒業後のことを考えていた。


 だが先が分からないのは、今まで将来を具体的に考えてこなかった証拠だ。いや、考えないようにさせられていたんだ。璃子は悪魔の洗脳により主体性を削がれていた。故に誰に対しても、どこの組織や集団にいても、自然な形で従順になってしまうのだ。そんな精神的去勢を受けた人たちに将来の夢なんて分かるはずがない。周囲の目を気にするばかりで、自分がどうありたいかを無視してきたのだから。


 あの悪魔共、とんでもない()()()()を残していきやがった。


「璃子、どうしても夢を叶えたいなら、まず自分で考える習慣を身につけろ」

「ええっ!? 急にそんなこと言われても困るよ」


 璃子は急に先行きが心配になったのか、涙目になってしまう。


「自分の人生くらい自分で決めろ。具体的な方針が決まったら協力するから」

「本当に?」

「本当だ。でも高校に行くのは止めとけ」

「何で?」

「これ以上あんな所に行ったら、自分の頭で考えられなくなるぞ」

「?」


 璃子はちんぷんかんぷんだったが、璃子のように素直すぎる子がこれ以上学校に行けば、本格的な社畜脳になる。それだけは避けたかった。


 ――まさかショコラティエを目指していたとは。


 どうりでかなりの頻度でチョコを作ってたわけだ。


 璃子はチョコの作り方を独学で調べ上げていた。こういうところは僕に似ている。疑問があったらすぐに調べる。基本中の基本をちゃんとできているかは大きい。この時から璃子の進路が心配になった。もし誰も璃子がやりたいことをするためにお金を出さなかったら、璃子は一体どうなるんだろうか。


 一生僕のお手伝いで満足する器じゃない。璃子も磨けば光る逸材だ。何とか璃子の将来だけでもどうにかしたかった。こういうことを言うと、それは璃子の問題だと思う奴もいるだろう。しかしながら、1人の人間にできることなんてたかが知れてる。僕が独立できたのも、うちの親がお金や設備を調達してくれたからだ。僕が報われて璃子が報われないのは違うと思う。璃子にだってチャンスは与えられるべきだ。璃子が名目上も学生でなくなる前にどうにかしないと……。


 璃子には大きな貸しがある。僕が原因で学校に行けなくなったことで、まともな高校には行けなくなってしまった。璃子の進路の1つを潰してしまったのは僕自身の未熟さにある。もっと早く安全な方法で学校から脱出できていれば、璃子を巻き込むことはなかったんじゃないかと思うことがある。


 最終的に頑張らなければならないのは璃子だが、実力と関係のない要因で希望の進路を潰すことは絶対にあってはならないと思った。ショコラティエになれるかどうかは璃子の課題だが、そこに行きつくまでの土台作りは僕の課題だ。どんなに才能があっても、資金や設備がなければ意味がない。多くの人は願うだけで夢を諦めることになる。日本生まれのエジソンは発明王になれないのだ。


 僕に休めと言わんばかりに、日曜日が到来する。


 午前中に仕入れ作業を手早く済ませると、久しぶりに金華珈琲まで赴いた。


「いらっしゃい。久しぶりだねー」

「この時間帯はあまり人がいないからな。エスプレッソとデミグラスオムライス」

「はい。ちょっと待っててね」


 この時、僕の背中がゾゾッと危険信号を発していた。何だかとても嫌な予感がする。


「梓くーん、久しぶりだね」


 僕の後ろには優子が佇んでいる。さっきからずっといたようだ。


「ゆ、優子お姉ちゃん。ど、どしたの?」

「ご挨拶だなー。せっかく久しぶりに会えたってのに。それにもうお姉ちゃんって呼ばなくていいよ。あたしのことは優子でいいから」


 優子が僕の近くに座ると、僕は彼女と少し話した。


 21歳を迎え、高校卒業後に親の店でパティシエデビューを果たしていた。元々は大学まで行く予定だったらしいが、優子の親父が急に倒れて進学を断念したとのこと。


「そっちも大変だな」

「そっちもってことは、あず君も大変なの?」

「……ま、まあな」

「この前あず君の家に遊びに行った時さー、あず君も璃子もいなかったけど、どこ行ってたの?」

「そ、それは……」

「優子ちゃん、あんまり詮索しちゃ駄目だよ。あず君にもプライベートがあるんだから」


 見るに見かねたマスターが止めに入る。相変わらず鋭い。


「はーい。でもあず君が元気そうで何よりだよ」

「ありがとう。後でヤナセスイーツに寄ろうかな」

「うちに来てくれるのー! やったー! お母さんも喜ぶと思う」

「そんなに気に入られてるのかよ」

「あず君は自覚ないと思うけど、葉月商店街で1番ルックス良いからねー」

「確かにそうだねー。それに凄く可愛い」


 優子が笑いながら言うと、段々僕に近づいてくる。


 気づけば僕の隣にまで来ていた。僕は冷や汗をかき、優子が触ってこないかを心配していた。


「こんなに体振るえちゃって。可愛い」


 優子に煽てられながらデミグラスオムライスを淡々と食べた。


 積もる話をしていたが、最近は店の売り上げが下がっているようだ。


「それでさー、最近常連だった隣のおじさんも仕事を求めて名古屋まで引っ越しちゃったんだよねー。そりゃ仕事がないから、大都市へ行きたいってのは分からなくもないけどさ、そういう人が増えれば増えるほど、売り上げに響くんだよねー」


 売り上げが悪いなら外国から客を呼べばいいのにと返そうとしたが、それを言ってしまうと、店を営んでいることがばれかねないために言えなかった。


「……これも時代なのかな?」

「そうかもね……」

「なんか、暗い雰囲気になってません?」

「いつもこんな感じだよ」


 店員らしき人がマスターに聞くと、マスターはそっと優しく答えた。


「その人は? 初めて見る顔だけど」

「以前からずっといましたよ。糸井川昇(いといがわのぼる)といいます。学生の時からここにいて、今はここでフリーターやってます。俺、梓君にコーヒーの淹れ方を咎められたこともあるんですよ」

「へぇ~、そんなことがあったんだー」

「はい。梓君、よかったら俺のコーヒー飲んでみてよ。あの時よりは美味いと思うよ」


 糸井川が自信満々に答えると、彼の奢りでコーヒーを飲むことに。


「……別にいいけど」


 彼は僕より7歳年上の不遇な世代だ。大学を卒業したはいいが、就職氷河期の影響で就職先が見つからず、結局マスターの店でフリーターを続けることに。


 彼の淹れたコーヒーが僕の前に音を立てながら置かれた。


 コーヒーを持ち上げ、風味を嗅覚で確かめてから一口飲む。


「どうかな? 彼のコーヒーの味は?」

「……うーん、マウスフィールはとても良いけど、後味にほんのり雑草のような雑味がある」

「マウスフィール?」

「口当たりの良さのことだよ」


 マスターが糸井川にそっと教えた。


 おいおい、バリスタやってんのに、マウスフィールも知らねえのかよ。


「あず君は手厳しいねー」

「嘘を教えてもしょうがねえだろ」

「何か改善点とかある?」


 マスターが糸井川の代わりに僕に聞いた。マスターなりの配慮だろう。


「3回注ぎの時に、徐々に注ぐ量を抑えられるようになれば後味まで良くなると思う。それと注ぐタイミングを早まりすぎかな」

「勉強になるよ」


 糸井川がペコリと頭を下げる。素直なのは長所なんだが、せっかちな性格が災いしてか、最適なタイミングよりも早く熱湯を入れてしまいがちだ。何と言うか、辛抱強さがない。


 そんなんじゃいつまで経っても、このじゃじゃ馬を手懐けるのは無理だ。


「マスター、お勘定」

「じゃああたしも」

「はいはい~」


 身内の店とはいえ、これ以上居座ると、また日本人の他人が僕に話しかけてくるか分かったもんじゃないと思い、僕は早々に店を後にする。


「いつもありがとねー」


 僕らは店を出ると、優子に動画の代わりとなる提案をすることに。優子の愚痴を聞いた後で勘定を済ませると、2人で優子の家まで赴いた。


「あのさ、今人手に困ってたりするかな?」

「そうだねー、この前1人辞めちゃったからねー」

「璃子が中学を卒業したら、ショコラティエ目指すってさ」

「そうなんだー。じゃあ中学を卒業したらうちで雇おうかなー」

「それまで店が持つかな」

「うっ! それを言われると……辛い」


 優子の店、ヤナセスイーツに寄ると、お気に入りのスフレのチーズケーキを購入する。


「じゃあ、僕帰るね」

「待って……」


 優子がどこか寂しそうな声で僕を呼び留める。


「もう帰らないと――」


 後ろを振り返りながら言うと、台詞を言い終わる前に、優子は僕の体を抱きしめていた。


「あず君……大好き」

「! やっ、やめてっ! 離せっ!」


 訴えながら必死に優子の腕を振り解こうとするが、優子は必死に僕を抱きしめ、他に誰もいないのをいいことに、自分の部屋へと連れ込もうとする。


 優子を振り払って突き飛ばしてしまう。優子は体中の力が抜けたように大人しくなり、黙ったまま左手で右腕の肘を押さえる。これは優子の癖だ。


 ――あああああぁ~。やっちまったぁ~。


「……ごっ、ごめん! そんなつもりは――」

「あたしじゃ駄目なんだ……こんなに好きなのに……ううっ、うっ」


 優子はこの場で啜り泣きをしてしまう。


 違う、違うんだっ! 優子を拒否したのは恋愛対象外だからじゃない。


 でも……今は言えない……本当に済まない。


「じゃあ、何で駄目なの?」

「それは……」

「あず君さー、絶対何か隠してるよね? 今日会った時からずっと変だよ。全然誰とも目を合わせようともしないし……こんなのっ、いつものあず君じゃないっ!」

「……すまん」


 優子は泣きながら怒鳴り散らした。


 一言謝って店を出るしかなかった。いつもだったら、僕をもふもふ触っても終わるまで待ち、優子の気が済んだ頃にやっと帰るパターンだったはずだ。日本人恐怖症が僕の体を支配するようになってからは彼女の細やかな楽しみさえ奪ってしまった。


 今の自分の状態にやきもきしながら帰宅する。璃子は僕の異変にすぐ気づいたのか、心配そうにこっちを見ている。優子も心配だが、それ以上に心配なのは璃子だ。自前で資金を調達できないならスポンサーに頼るしか方法はない。しかし、僕を除いて妹に投資できる人を思いつけなかった。


 うちの親はこれ以上親戚から借金なんてできないし、自前でもうちの家賃を払うので精一杯だ。親戚もバブル崩壊以降は出費を控えめにしているし、何より岐阜市の事業が全面的に失敗したこともあり、親戚の経済までもが南極の如く冷え切っていた。


 一体どうしたものかと、ため息を吐いた。

自分のことだけじゃなく妹のことまで考えるあず君。

人を育てることの大変さに気づかされます。

糸井川昇(CV:浅沼晋太郎)

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