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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第15章 最果てのバリスタ編
360/500

360杯目「迫りくる次世代の波」

これにて第14章終了となります。

次回の第15章からは再びバリスタオリンピックとなります。

あず君たちの活躍をお楽しみください。

 12月下旬、柚子がプロポーズを受けた話は、瞬く間に親戚中に広がった。


 柚子の影響を最も受けていたエマが婚活を始めた。あれほど岐阜コンには参加し、いきなり彼氏を作ってしまうのだから驚きだ。楠木家はバリスタオリンピック東京大会終了まで1人も相手がいなかったが、今までの均衡が崩れたかのように、楠木家のいとこ全員に交際相手ができた。


 結婚を必要としないこの時代に、結婚したくなるほど好きな相手を見つけるのは大変だ。


 柚子が始めた岐阜コンは、僕に引き継がれてからも確実にその成果を残している。葉月家はすぐに相手ができたわけだが、楠木家はなかなか相手を作らなかった。いや、作れなかったんだ。吉樹はともかく、他はみんな葉月グループの傘の下に入ってから恋人を作っている。


 そんな矢先のことだった。エマはうちに彼氏を連れてくるというのだ。エマが先に葉月珈琲にやってくると、1人分の席を空けるように茶色のカバンを置いて隣に座った。


 かなりのブランドものだ。確かに投稿部が1番の稼ぎ手だが、一度贅沢を覚えたら、後が大変だぞ。


「まあそういうわけだから、あず君に一度見てほしいと思ってね」

「何でまた僕に?」

「だってあず君は人を見る目あるし、柚子さんが悪い男を掴まされそうになったのを阻止したっていう話も聞いたし、一度あず君を通してから、つき合うかどうかを決めようと思って」

「つき合う相手くらい自分で見極めろよ。それに柚子の件は偶然だった。その時の相手は学生時代の伊織の担任で、伊織がたまたまそこにいたから、教えていた内容が暴露されて、結局柚子はその人との仮交際をやめたわけだ。伊織がいなかったら、柚子の婚活はそこで終わってたかもな」

「なんか私が悪いみたいになってません?」

「何言ってんの。伊織は柚子に貢献したんだ。あの時忘れ物を取りに帰ってこなかったら、結城は一生独身だった可能性もある」

「何でそこまで分かるんですか?」

「あの2人は似てるんだ。どうしようもなくコーヒーが好きで、良い人がいても、他の人に相手を譲ってしまうお人好しなところとか。それに気の知れている相手の方がつき合いやすい」


 自分を正当化するように言った。柚子を手放したくなかった本音を隠して。


 あの時の柚子はうちの主力と言っていい活躍をしていたし、今みたいにトップバリスタ級の素質を持ったバリスタが下から次々と上がってくるような土壌がなかった。バリスタ競技が本格化するまでは、むしろ昔の方がトップバリスタの価値が高かったことが見て取れる。


 業界の地位が上がるのは、その業界を目指す才能ある者が増えるということだ。当然ながら相対的な希少価値は下がっていくが、トップバリスタの数は確実に増える。だからこそ、僕はバリスタという職業をアスリートの如くプロ化したのだ。昔は伊織のような才能を1人分引き当てるだけでも一苦労だったが、今では皐月のように才能ある者が、どこか遠くにいたとしても、相手の方から集まるようになったのだ。


 穂岐山珈琲とは良いライバルになると思ったが、最近は穂岐山珈琲とのプロ契約を断り、うちとプロ契約を結ぶ者も増えてきた。皐月もその1人である。


「いらっしゃいませ。あっ、皐月さん」

「伊織さん、久しぶりですね」


 皐月のことを考えていた時、話題を遮断するかのように、当の本人が私服で現れた。


 お嬢様らしいフリルのスカート、胸の中央に大きな黒いリボンがある灰色のブラウス。波打っている姫カットや可愛らしいつり目、体のパーツの1つ1つがどれも若々しい。細身の割に豊満で自己主張の強い膨らみが控えめな表情とのギャップを感じさせる。


 極めつきは、この健康的で透き通るような色白の肌。こんな可愛い子がスタッフとして迎えてくれて、自分好みのコーヒーまで淹れてくれるんだ。その気になればメイドカフェや風俗よりずっと儲かるかも。


 バリスタにならなければ芸能人になっていたかもしれない。皐月に限って言えばどの道感がある。どんな仕事に就いてもそれなりの結果を出す奴って、たまにいるんだよな。よくバリスタの道に来てくれた。


「選考会以来ですね」

「そうですね。遅くなりましたけど、本戦出場おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「コロンビアゲイシャをエスプレッソで1つください」

「はい。すぐお持ちします。あの、皐月さん」

「どうかしました?」

「私たちは一緒に戦った戦友なんですから、普通に喋ってもらって大丈夫ですよ」

「戦友?」


 皐月が首を傾げた。伊織が持っている間隔は僕にもよく分かる。


「皐月は僕にも弥生にも対等語だろ。なのに自分には敬語だから疎外感を持ってしまってるわけ」

「あぁ~。ふふっ、分かった。でもいいのか?」

「はい。その方が落ち着きます」


 さっきまでの張り詰めた緊張が解け、いつものように笑顔を見せる伊織。


 伊織と気楽に話せる相手がまた1人増えた。選考会の時から共に戦うことを誓い合った2人の戦友は、ここでようやく気の置けないただの友人となった。


 昔話をするように、選考会での出来事を2人は話している。


「前々から思っていたことだが、やはり課題はコーヒーカクテルだな。帰った後、伊織のコーヒーを一通り同じ手順で作ってみたが、全面的にコーヒーのボディの弱さが目立つ」

「あれだけのレシピを……全部再現したんですか?」

「ああ。食材は競技を見て覚えた」

「まだ動画にもアップロードされてなかったのに」

「えっ、一度見れば覚えられるものじゃないのか?」

「……」


 目の前の絶壁、いや、双巨山を前に、伊織の顔色が真っ青になり絶句する。


 また不思議そうに首を傾げる皐月。今までの新人とは訳が違う。


「なあ、学生時代のテストの最高点覚えてるか?」

「覚えてるも何も、全部満点だ。簡単すぎて話にならなかった。小4から不登校になって、親父がコーヒー用の実験室を作ってくれて、1日中コーヒーの研究に時間を費やしていたな」

「「「「「!」」」」」


 とびっきりの笑顔を前に、今度は僕までもが絶句する。


 ――間違いない、どうやら彼女もコーヒーに選ばれし者だ。しかもギフテッドというおまけつきかよ。


 ここに辿り着くまでの経歴が気になっていたが、理想的な幼少期の過ごし方だ。


 父親は皐月の才能に早くから気づいていたことが見て取れる。


「コーヒー用の実験室って、結構お金かかったんじゃねえの?」

「うちの親父は大分で実業家をやってて、会社をいくつも経営してる。これくらいどうってことない」

「「「「「羨ましすぎるっ!」」」」」

「えっ?」


 親が実業家ってことは、子供には好きなだけ投資し放題だ。


 ファッションセンスもかなり鍛えられているようだ。ただ箱入り娘にするためだけに育てているのではない。社会に出た後通用する人間に育てられている。子供の興味を否定せず、好きなことに没頭させる。僕が最も受けたかった教育を皐月は受けていたのだ。


 皐月はホームスクーリングで育った子供の中で最も成功した例の1つになるだろう。


「皐月ちゃんってホントに凄いね」

「エマさんもバリスタ競技会で実績があるんだから、もっと自信を持っていいと思うぞ」

「ありがとう。今度一緒に名古屋まで遊びに行かない?」

「いいぞ。予定が空いたら連絡する」


 お互いのバッグからスマホを取り出し、メアドを交換する皐月とエマ。


 これで皐月はリサたち4人組のメアドを全てコンプリートしたらしい。彼女はいつの間にか楠木家とも交流を重ね、葉月グループの動画にも出演を果たしている。葉月創製の売り上げも一気に伸びた。


 何だかんだで投稿部が1番貢献してるんだよなー。


「なんか僕らが持ってないものを最初から全部持ってるよな」

「……はい」


 力なく伊織が答えた。皐月には完敗だ。コーヒー農園にも何度か訪れており、焙煎も習得してしまい、18歳を迎えたこの年からは、味見役をつけてコーヒーカクテルの習得に取り組んでいると聞いた。


 真理愛のいる葉月コーヒーカクテルにも訪れ、今もなお英才教育を受け続けている。


 葉月グループに就職したのは、バリスタとして成長できる土壌が実家以上に整っているからだと皐月は言っていたが、送り出す皐月の親父は何を思うだろうか。手塩にかけて育てた娘が遠い岐阜の地まであっさりと旅立ってしまったのだ。旅立ちを喜ばないはずはないと思うが、僕にもそんな日が来るのかな。


 一人っ子の割にはしっかり者だが、兄弟姉妹がいないのか、集団での立ち回りには乏しい。


 早期に不登校になったことも、あっさりと移住を決めることができた理由の1つだ。


「へぇ~、じゃあ最初っから葉月グループを目指してたんだー」

「アジア人初のバリスタオリンピックチャンピオンがいて、あず君の指導を受けている人たちも、みんな世界大会で優勝している。父さんも葉月珈琲を目指せと勧めていたくらいだし、何よりあず君と一緒に働くことを目指してここに来たのもある。一方で穂岐山珈琲からはメジャー競技会の世界チャンピオンも輩出していないのが決め手だ。会社を選ぶ立場になるには、バリスタ甲子園で結果を出す必要があった」

「どうしてあず君と一緒に働きたいの?」

「頂点を目指す者なら、業界のレジェンドと一緒に働きたいと思うのは当然だ。アジア人がバリスタとして世界相手に通用することを証明した功績も大きいし、何よりあず君の教え子たちが結果を残している。これだけでも、理由としては十分だ。私は女性初のバリスタオリンピックチャンピオンを目指している。うちには家訓がある。腰は低く、志は高く」


 皐月は15歳の頃からバリスタとしての活動を始めた。バリスタ甲子園史上初の3連覇を達成し、素人目に見ても他の高校生との差は明らかで、対戦前から勝敗が分かるほどだ。1回目のバリスタ甲子園では準決勝で弥生の2連覇を阻止した後、誰の追随すらも許さないまま、3年間女王の座を守り続けた。


 他のマイナー競技会にも参加し、家にはトロフィー専用の部屋があるんだとか。


 僕も動画で皐月の活躍を見たが、何というか、次元が違う。別の競技をこなしているように見える。


 さながら、高校球児の中に1人だけメジャーリーガーがいるような状況だった。


 ジャッジはほとんどの試合で皐月のラテアートを優勢と見なした。決勝ですら勝負にならず、ジャッジの1人が対戦相手に入れた票が慰安票と言われてしまうほど、その強さは圧倒的であった。まだ挑戦資格を得ていないコーヒーカクテルを除けば非の打ち所がない。当然ながら、色んなコーヒー会社のスカウトが彼女に声をかけた。入社してプロ契約を結べば、年俸以上の活躍を見せることは明白であった。


 当初は穂岐山珈琲が最有力候補と言われたが、皐月はうちを選んでくれた。彼女のバリスタとしての達観した知識と技能は誰の目にも明らかで、あの穂岐山社長にも、100年に1人の逸材と言わしめた。


 皐月に関しては今年からメジャー競技会にデビューしてもよかったことを告げたが、アイデアが熟成してからでないと納得がいかないと言った。コーヒーに対する並々ならぬ強い拘りを持ち、ここまでバリスタの仕事に向き合う姿を見ていると、彼女と同じ時代に競技しなくてよかったと心底思う。


 物事に対して余程の拘りがない人は、大人しくサラリーマンになった方がいい気がする。


 さもなくば、これほどの才能の持ち主を前に屈服を余儀なくされ、自信喪失で家から出られなくなる可能性さえある。良くも悪くもそれがプロだ。競争が嫌なら、年金暮らしをしながら、のんびりとカフェを経営する方が幸せかもしれない。競技会に参加せずとも、バリスタはバリスタなのだから。


「伊織、分かってるとは思うけど、多分今回がバリスタオリンピックに出るラストチャンスになるかもしれない。次の選考会からは皐月も参加するだろうし、選考会の勢力図は大きく変わるだろうな」

「バリスタオリンピックチャンピオンになれなかった場合は、根本さんもまた出るだろうし、絶対王者が2人もいれば3位通過を競うことになる。そうなったらどちらかは必ず落ちるって言いたいんでしょ?」

「そゆこと。皐月があの長丁場の競技にどこまで順応できるかがポイントだけど、伊織のサポーターとしておおよその把握はできているだろうし、実績次第で選考会に参加するのは間違いない」


 世界大会で結果を残すのが書類選考通過の条件とはいえ、皐月なら難なくクリアしそうで怖い。


 弥生は平静を保っていたが、内心ではこの強力すぎるライバルをどう思うだろうか。


「あっ、来た来た。ここだよー!」


 エマと皐月が恋バナをしながら盛り上がる中、遂にエマの彼氏らしき人が表れた。背は高めで180センチくらい。ボサボサの茶髪に痩せ型の男だ。


「おっ、待たせたね。どうも、初めまして。エマちゃんと仮交際中の北島(きたじま)です」


 北島さんがエマの隣の席に腰かけ、皐月に声をかけた。


「どうも。立花です」


 エマの隣には皐月が平然と座りながらエスプレッソを飲んでいる。


 仮交際中か……でもそれって、彼氏彼女って言わなくないか?


 なるほど、この2人には認識の違いがある。仮交際ってことは、他にも仮交際をしている相手がいるってことだし、僕も唯と結ばれるまでは仮交際の相手はかなり多かった。エマは恋愛感情がどういうものであるかを全く知らない。そんな状態で恋愛なんてしようがないわな。


 エマには恐らく恋愛という概念がない。僕には恋愛感情を自らに植えつけるために婚活を始めたようにも思える。性的指向は常に変化し続けているという説があるが、果たして……。


 エマが北島さんと話していると、彼の目線の先が皐月へと向いた。


 どちらかと言えば、エマよりも皐月に興味津々だ。


「じゃあ、もしかして立花皐月さん?」

「はい。そんなに有名ですか?」

「もちろんですよ。コーヒー業界の新生トップバリスタ候補として、バリスタマガジンに載ってました。もし良ければ、サイン貰ってもいいですか?」

「は、はい」


 ペンとサイン色紙を渡されると、皐月は苦笑いをしながら手早くサインを書いた。


 早くもスーパースターのような扱いに、皐月は表情が強張るほど戸惑っている。


 エマはそんな彼女を複雑そうな目で見つめると、北島さんの方に目をやった。


「ありがとうございます」


 サインを貰って喜びを露わにすると、エマは北島さんをジト目で睨みつけた。


「ねえ、さっきから皐月ちゃんのことしか見てないんだけど」

「あー、ごめんごめん。2人は知り合いなの?」

「あたしも皐月ちゃんも葉月グループで仕事してるの」

「へぇ~。じゃあさ、今度3人で遊びに行こうよ」

「さ、3人?」


 きょとんとしながらエマまで戸惑いの顔を見せる。


 エマをデートに誘うならともかく、皐月まで誘うってことは、候補を増やそうと思っている証だ。


 仮交際中はいつお別れになってもおかしくない。正式な交際ではないため、何人いてもOKなのだが、このルールの穴を突き、仮交際の相手をたくさん作ってから、意中の相手を選ぶのが基本であると柚子は言った。1人に絞ることを良しとしないなら説明がつく。


「でも私がいたら、邪魔になると思いますよ。2人で行った方が――」

「水族館のチケットが3枚もあるからさ、来年にでも行こうよ。確か葉月グループは12月と1月を挟んで2週間ほど休むって聞いたよ」

「……考えときます」

「行ってやったらどうだ?」

「えっ、何であず君まで勧めるの?」

「せっかくの機会だ。エマや皐月ほどのバリスタと水族館デートをすれば、良い思い出話にもなる。皐月もずっとプロモーションの撮影とかで忙しかっただろ」

「……じゃあ、来年行きましょうか」


 渋々とした顔を僕に向けると、今度は北島さんに笑顔を向け、デートに応じる皐月。


 済まんな。エマに相応しい男か確かめてほしいって言われてるもんでね。


 ただ話しているだけで人となりが分かるほど、相手を把握するのは簡単じゃない。デートでこそ人の本性が表れるってもんだ。来月のデートでこいつの本性が分かるといいが。


 しばらくしてエマと北島さんが帰っていく。皐月は冷や汗をかいている。


「あの北島さんって男だが、本当は私と水族館に行きたかったようだ。エマの顔ほとんど見てなかった。一体どういうつもりなんだろうな」

「心配すんな。僕に考えがある。デートの日が決まったら教えてくれ。あいつがエマとつき合うに値するかどうかを確かめる必要がある」

「そのために私を巻き込んだのか?」

「今度サポーターやってやるからさ」

「約束だぞ。私はコーヒーと結婚している。コーヒーを究めるまでは……誰ともつき合わない」

「さっきそれを伝えれば良かったのに」

「私にも立場がある。今のあず君が簡単に失言できないのと一緒だ」

「残酷な優しさだな。それじゃ相手の時間を無駄にすることになるぞ。大半の人はその気があるかどうかくらいすぐに分かるけど、時々分からない奴がいる。分からない人たちが、今婚活をやっているわけだ」

「迷惑極まりないな。どうりで売れ残るわけだ」

「うっ、売れ残りって」


 遠慮のない言葉を吐き出す皐月に若干引いている伊織。


「皐月、今度のクリスマスだけど、もし空いてたら弥生と一緒に来るか?」

「是非行かせてくれ。もちろん暇だ。こういう時のために予定を開けているんだ」

「皐月さん、さっきよりも食いついてるね」

「当たり前だ。アジア人初のバリスタオリンピックチャンピオンのクリスマスパーティー限定コーヒーが飲めるんだぞ。最愛の恋人をより深く知ることができるんだ。そのためなら何だってやる」

「なんかあず君みたい」


 千尋が笑いを堪えながら言った。釣られるように伊織たちまで笑ってしまう葉月珈琲であった。


 後日、葉月珈琲でクリスマスパーティが開催され、メジャー店舗からマイナー店舗のマスターたちを始めとしたメンバーが集まり、一緒に過ごせる数少ない一時を堪能した。小夜子たちはマイナー店舗のマスターに就任してからすっかりと定着し、多忙ではあるが、充実した毎日を送っている。親戚たちの多くは正月に会えるために集まらないが、各店舗の状況もよく分かる。


 皐月はクリスマスパーティーでも話題を独占し、選考会で内定を貰っている伊織たちに良い意味で危機感を与えている。ルイもこの年の4月に結婚し、9月には結婚相手との間に子供が生まれている。こうしてみると、僕は自分自身が成功するよりも、誰かを成功させる方が向いているのかもしれない。


 子供たちを寝かせた後、伊織は湯船に浸かり、ようやく落ち着いた。


 唯に全身を洗ってもらい、時々背中に柔らかい感触が伝わっている。


「ふぅ、やっと終わりました」

「伊織ちゃん、お疲れ様です。あまり食べてなかったみたいですけど、どうかしたんですか?」

「いえ、大したことじゃないんですけど、私のサポーター、かなり凄腕のバリスタみたいで」

「次の選考会で戦うことになれば、もう勝てそうにないとか思ってるんですか?」

「勝てないとは思いません。むしろ、バリスタ競技会以外で勝てる要素がないです」

「だったら、今回のバリスタオリンピックで優勝を決めるしかないじゃないですか。そうですよね?」

「ああ。伊織ならできる。最悪でもファイナリストになれば、トップバリスタとしての地位は一生揺るがないものになる。伊織はそのためにトップバリスタを目指してきたんじゃねえのか?」

「それもありますけど、本当にやりたいことならもう見つけました。今までのバリスタオリンピックを見てきたことで、本当にやりたいことが分かりました」


 伊織の言いたいことも分からなくはない。僕もバリスタの仕事を通してやりたいことを見つけてきた。


 その結果、本気でバリスタを究める気のある人だけが僕の周囲に残るようになった。他にやりたいことが見つからなかったらバリスタを目指せと言えるくらいにはこの職業を熟成させたい。誰もが生きる意味を持っているわけじゃないが、どうせ生きるなら、楽しい生き方がしたいのだ。


 年末まで唯と伊織の相手をすることとなり、快楽に明け暮れるのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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