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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第15章 最果てのバリスタ編
355/500

355杯目「残された希望」

 選考会が終わった翌日、この日は朝は特別だった。


 昨日帰った直後、一緒に風呂に入り、お互いに相手の全身を洗ってから痛みを共有するように伊織と自室に入ると、時折同じ辛酸を舐めるようにキスを交わした。


 しばらく寝てから朝を迎え、目を開けてみると、僕のすぐ隣で正座をする伊織が発情しながら僕を見下ろしている。パジャマの下から手を入れ、伊織の小さな膨らみを掴むと、気持ち良さそうに目を瞑りながら口を開けた。無抵抗のまま変形する柔らかさを堪能するが、僕らの時間はすぐに終わりを告げた。


「楽しそうですね」


 不意にねっとりした高い声が僕の鼓膜を揺さ振った。


「……唯かよ。脅かすなよ」

「私の胸も揉んでくれませんか?」

「後でな。今は伊織に寄り添ってあげたい」

「選考会で負けてショックを受けているのは分かりますけど、そんなことをしても、本当の意味で伊織ちゃんの傷が癒えることはないんですよ。敗北の傷を癒せる薬は優勝じゃないんですか?」

「……そうですね」


 伊織は僕から離れると、部屋から出ていってしまった。


 さっきまでの柔らかい感触がまだ右手に残っている。


 形は凄く良かったし、もっと評価されていい。顔がニヤニヤしたまま元に戻らない。うん、もう間違いなく病気だな。これは恋の病だ。僕はこれを2つも抱えている。


「そんなに気持ち良かったんですか?」

「かなりな。小さい方も結構好きなんだよなー」

「ふふっ、みんながあず君を好きになるのがよく分かります。ありのままの相手を受け入れるって、なかなかできることじゃないんですよ。みんな自分と違うところを見つけたら、無意識の内に自分を否定された気分になるんです。だから紛争が起きたりするわけですよ」

「唯だってさ、こうして堂々と事実重婚を受け入れてるだろ」

「だってこうでもしないと、いつか本当に寝取られてしまいそうで怖かったんです。ならいっそのこと、自分から認めてしまおうと思ったんです。ただでさえ妾の候補がたくさんいるんですよ。結ばれた後もずっと不安だったのは本当ですけど、伊織ちゃんを認めてからは不安がなくなりました。伊織ちゃんの方からあず君を寝取ったのは意外でしたけど、あれだけ何度も人生を救われたら、心動いちゃいますよ」

「――あいつには悪いことをしたな」


 僕が何もしなくても、伊織はそれなりの人生を送っていたかもしれない。


 トップバリスタへの道に誘ってしまったばっかりに、僕は伊織の平穏を壊してしまったような気がするのだ。無敵の人事件の時だってそうだ。伊織を誘っていて正解だったと、自分自身を正当化したかっただけで、彼女のことなんて……考えてなかった。


 次世代トップバリスタとしての才能はあるが、まだ本当の意味で花開いてはいない。こんな目に遭うことを知っていたら、伊織はどんな決断をしていたのだろうか。


 10月上旬、選考会が終わってから2週間が過ぎた――。


 千尋と黒柳は無事に選考会通過を決め、日本代表となっていた。


「もう10月か。今年も早いねぇ~」

「そうですね……伊織さんにとってはかなり遅いようですけど」

「……はぁ~」


 テーブルの拭き掃除をしている伊織がため息を吐いた。


 客が大勢いる時こそ元気に振る舞ってはいるが、伊織はまだ結果を受け止められずにいる。次の選考会のためにプレゼン内容を見直してはいるものの、彼女にとっての4年後はあまりにも長すぎる。メジャー競技会の予選も終わっているため、来年のコーヒーイベントまでは実質フリーの状態だ。


 平和な時代に力を持て余している武将のような心境の伊織にとって、この日々は退屈でしかない。


 ここにいる誰もが伊織に哀れみの目を向ける。


 バックヤードにいた千尋が手にスマホを持ち、慌てて伊織の元に駆け寄ってくる。


「ねえ、これを見て」

「どうかしたんですか?」

「いいからほら、伊織ちゃんが通過してるんだよ!」

「――ええっ! 私が通過って、どういうことなんですかぉ~!?」


 青天の霹靂の如く、この土壇場で奇跡が起きた。


 営業開始前、千尋が協会のホームページを見ると、各国代表の通過人数が追加されていたのだ。


「ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、東ヨーロッパの選考会が中止になったでしょ。そこで今回だけ特別に通過人数を拡大する目的で、選考会4位までのバリスタから通過者を選ぶことになったわけ。この仕様変更で、世界各国から合計4人までが通過できるようになって、伊織ちゃんが通過してたんだよね」

「やはり影響は出ていたか。伊織は選考会4位で、しかも3位の黒柳とかなり良い勝負していたな」

「総合スコアも500点を超えてましたよね。でも通過人数でしたら、3位までで足りるはずですけど、どうして4位まで拡大したんでしょうか?」

「参加を辞退する国が多かったんだよ。59ヵ国中の8ヵ国が参加を辞退して、通過者候補に空きが出たから、残った国から通過する人数を増やした。それに3位までにしちゃうと、レベルが低い国の2位や3位まで通過するし、大会のレベルを保つ目的もあるだろうね。まあでも、開催場所がダブリンのままでよかったよ。今年のワールドコーヒーイベントみたいに開催地を変更されたらたまったもんじゃないよ」

「……良かった」

「えっ?」


 伊織が小さな声で何かを呟いた。


「良かった……私、来年のバリスタオリンピックに行けるんですよね?」

「そうだよ。本当に良かったよ。ライバルがいなくて退屈してたし――」

「良かったぁ~~~~~! あああああぁぁぁぁぁ~!」


 伊織が千尋に抱きつきながら子供のように泣き叫んだ。


 千尋は伊織の頭をそっと優しく撫でた。コーヒーは伊織のことを見捨ててはいなかった。あのコーヒーからは無限の可能性を感じた。コーヒーは伊織がどこまで登っていけるのかを見たがっているようにも思えた。何という皮肉だろうか。世界を揺るがす出来事が、奇しくも伊織を救う形となった。


 世界ってやっぱり――繋がってるんだな。


 今度は伊織が僕の胸に飛び込んでくる。


「良かったな。また挑めるぞ」

「はい……私、死ぬ気で頑張ります」

「伊織、これはコーヒーが君に与えたチャンスだ。無駄にするなよ」

「もちろんです。あっ、そうだ。前々から試したいアイデアがあったんです。またクローズキッチンに引き籠ってもいいでしょうか?」

「いいぞ。一応通過者だし」

「はいっ!」


 水を得た魚の如く、伊織に満面の笑みが戻った。


 さながら、雲の中からちょっこりと姿を現した太陽のようで、僕にはとても眩しかった。


 これでやっと始まったんだ。伊織が集大成を完成させる時が。


「ねえ、那月ちゃん遅くない?」

「確かに遅いな。いつもならとっくに着いてるはずなんだが」

「また事件が起きたりして」

「まさか、実家の件なら解決しただろ。那月にとっては不本意だろうけど」

「結婚は阻止したけど、実家はカジモール計画の犠牲になったもんね」

「そうだな――ん? カジモール計画? ……なあ、カジモール計画って、いつ始まる予定だっけ?」

「確か那月ちゃんの実家を買い取って、更地にしてから始める計画だったはず」

「それならお見合いが失敗して、すぐ更地になったから――!」

「「……まさかっ!」」


 僕らの嫌な予感が脳裏を過った途端、葉月珈琲の扉が勢いよく開き、悲しそうな顔の那月が見えた。


「あずく~ん!」

「那月、どうした?」

「パティスリークリタニが……更地になっちゃったよぉ~!」

「「「「「!」」」」」


 そんな……那月の思い出がたくさん詰まっている場所を、彼女はこの数ヵ月で失ったというのかっ!


 那月に歩み寄り、彼女の震える体をそっと優しく抱いた。その体は冷たく、これから寒くなる季節にもかかわらず、上着が薄い。これは多分急いでたな。


「話を聞かせてくれ」

「……うん」


 那月から全ての話を聞いた。パティスリークリタニもまた、カジモール計画を実行する上で邪魔であったらしく、どちらかを更地にできればそれで良しというのは、鍛冶社長が吐いた嘘だった。


 国道沿いにある建物を全て買収され、カジモール計画が思ったよりも早い段階で実行に移されたのだ。パティスリークリタニは荷物が全て栗谷家に送られてから潰され、那月は移り住んだ家のすぐ近くに店舗となる場所を借りた。栗谷社長は起業して再び社長になったが、合併先の会社を追われ、スイーツ部も解体された。理由はお見合いが不成立になったからで、那月には全く落ち度がなかった。


 ――これじゃ約束が違う。片方だけでいいと言ったのにっ!


「お父さんが持っていた商標権も全部鍛冶社長に取られちゃって、お父さんはもう用済みと言わんばかりに捨てられたの。お父さんは今はスイーツ部にいた人たちと一緒に岐阜まで引っ越したんだけど、心労で倒れちゃって、今病院にいるの……こんなの酷すぎる……ずっと安堵するって約束したのにっ!」

「欲しいもののために、そんなことをするなんて」

「やりたいことをやるにしたって限度というものがある。奴は超えてはならない一線を越えてしまった」


 大粒の水滴が那月の両頬を伝う。桜子はそんな彼女に寄り添い、テーブル席に座らせた。


「……してやられたね」

「僕が那月と組んでることはとっくに鍛冶社長にバレてる。みんながコーヒーイベントに夢中になっている隙に計画を実行に移したんだ。あの野郎は最初っから国道沿いの家を全部買収するつもりだったんだ」

「お店をスイーツ部として安堵することも、お店をカジモールに移すことも、全部嘘なんですか?」

「だろうな。今更カジモールにパティスリークリタニを移し替えろなんて言っても、知らぬ存ぜぬで誤魔化されるのが目に見えてる。受け入れるメリットなんてどこにもないからな」

「強引な方法で色んな取引先を疲弊させて潰してきたとは聞いていたけど、本当みたいだね」

「次の狙いは恐らく穂岐山珈琲だ。穂岐山珈琲には鍛冶社長の息子である根本がいる。スイーツ業界に手を出さないことは分かったけど、コーヒー業界には手を出す気満々のようだ。穂岐山珈琲の株を買っているのは、コーヒー業界が発展していることに気づいているからで、ここに大きなビジネスチャンスがあると思ってるはずだ。僕らがコーヒー業界を発展させてきたのは、経営者たちの私腹を肥やすためじゃないってことをハッキリ示さないとな」


 奴の本当の狙いも、手段を選ばないこともよく分かった。


 このままじゃ、あのろくでなし1人のために、コーヒー業界が滅茶苦茶にされてしまう。


 奴は僕の逆鱗に触れた。我が珈琲帝国に憲法9条はない。故にやられたらやり返す以外にも、やられる前にぶっ潰すという選択肢がある。戦う気満々な態度を示された時点で、先制攻撃を受けているようなものだ。宣戦布告された国家が行うべきことはただ1つ。


 鍛冶社長には何が何でも、我が領土(コーヒー業界)から撤退してもらう。


 そのためなら徹底的に叩き潰すことも厭わない。


「もし乗っ取られたら、育成部は廃止されるんだよね?」

「その可能性は高い。穂岐山珈琲の育成部がなくなったら、バリスタのプロ契約市場が一気に縮小してしまう。そうなったらうちの利益にも少なからず悪影響が出る」

「じゃあどうするの?」

あいつ(鍛冶社長)に一泡吹かせてやる。人を殴ってもいいのは、殴られる覚悟のある奴だけなんだからな。僕らに戦いを挑むことが、如何に愚かなことか、ハッキリと思い知らせてやる。葉月グループは穂岐山珈琲と業務提携を結んでいる。つまり同盟国だ。同盟国が攻撃を受けたという名目なら、株式会社鍛冶をぶっ潰す正当な理由になるってわけだ。那月、君の敵は僕らの敵だ。仇は必ず取ってやる」

「……ありがとう。あたしも協力する。鍛冶社長を止めないと」


 カジモール計画の詳細を調べるよう美羽に伝えた。


 父親がピンチとなっている美羽にとっても他人事ではない。鍛冶社長の陰謀を伝えると、気が立った様子の美羽は迅速に調べ上げてくれた。美羽は吉樹に仕事の一部であった葉月珈琲塾社長の座を譲り、自らは葉月グループ人事部長の仕事に専念していた。2つの仕事を同時進行でこなすのは至難の業だ。


 葉月珈琲塾はこの年の1月から分社化し、『株式会社葉月珈琲塾』となった。


 文字通り葉月珈琲に入る候補生を決めるための塾だ。バリスタを育てるのが目的ではあるが、第一の目的はあくまでもコーヒーを通して生きる力を育むことにある。主体的にバリスタを育てるのは店舗の役目であることを強調する意味でも分社化の意味はあった。


 数日後、久しぶりに葉月珈琲を訪れた美羽がドリップコーヒーを飲み、一息吐いた。


「まさかお父さんの会社が狙われるなんてねー」

「美羽、もし穂岐山珈琲が乗っ取られたらうちにも被害が出る。うちとしては鍛冶社長の計画を何としてでも阻止するつもりだ」

「あたしはどうすればいいの?」

「鍛冶社長の弱みを握ってくれ。カジモール計画を天秤に乗せれば、流石の鍛冶社長もコーヒー業界を諦めざるを得なくなる」

「あず君にとっては神聖な領域だもんね。分かった。可能な限りやってみる。お父さんの穂岐山珈琲を守るためだもん。探偵に調べてもらったけど、鍛冶社長は乗っ取った会社で漏れなく大規模なリストラと、不要と思った部署の廃止を行ってるんだって。でもコーヒー業界がこれだけ盛り上がってるのに、何で育成部を廃止するなんて思うわけ?」


 ポニーテールの先端を指でクルクルと回しながら尋ねる美羽。


「理由は根本だ。育成部を廃止することで、バリスタを諦めさせようとしていると考えれば説明がつく。鍛冶社長は根本に後を継いでもらうことをまだ諦めてない」

「親子喧嘩のために、コーヒー業界を巻き込まないで欲しいなー」

「根本は育成部の連中から疎まれてる。つまり内部の連中には事情を知られている。根本が穂岐山珈琲を辞めて会社を継ぐと言えば、鍛冶社長は穂岐山珈琲の株を売るかもしれない。はなっからコーヒー業界に興味がないんだとすれば、根本は鍛冶社長に抗おうとしているってことだ。そして根本を後押ししているのは穂岐山社長と松野だ。じゃなきゃ会社安泰のためにクビを告げられていても不思議じゃない。協会に根本を落とした理由を聞いたら、世界大会での実績で他の候補を下回ったからと答えてる。世界大会で優勝したかどうかは結構でかいんだとさ。他の候補はマイナー競技会で優勝した実績があるし、他のコーヒー会社もプロ契約制度が始まってから成果を上げてるし、これは信じてもいいと思う。美羽、穂岐山社長から何か重要な話を聞いてないか?」


 根本もマイナー競技会で優勝しているが、いかんせんファイナリスト率が低い。


 バリスタは最初から決勝である場合を除き、大会でのファイナリスト率が詳細に記録される。


 伊織も千尋もファイナリスト率はかなり高い。根本は国内予選でのファイナリスト率は100%だが、世界大会ではまだ優勝していない無冠の帝王だ。


「連絡はしたけど、俺のことは心配するなだって。何考えてんだか」

「穂岐山社長と松野が根本を庇うのは、あいつの夢を叶えてやりたいからだ。選考会を2連覇するって、かなりの鍛錬を積まないとできない偉業だ。僕でも達成したことないし」

「あず君なら5連覇くらいできそうだけど、本戦を一発クリアしちゃったからねー」

「もうあんな刺激、味わえないんだろうな」

「そうでもないよ。じゃあ来年も大会に出てみる?」

「美羽、今年のWBB(ダブリュービービー)に僕を誘導したよな?」

「あっ、ばれちゃったかぁ~。じゃあ全部話すね。あたしが響ちゃんにあず君と那月ちゃんを連れていかせるように言ったの。可能性溢れる3人が手を組んだらどうなるのか、すっごく楽しみだったけど、ここでも優勝しちゃうんだから凄いよねー」

「まあでも、退屈はしなかったよ」


 僕がチーム戦に出るきっかけは美羽だった。いつも1人で戦っているように見えたのか、目に見える形で味方がいるチーム戦を勧めたんだとか。もっとも、個人戦もバックには多くのサポーターがいる。


 完全なる個人戦なんてないに等しい。参加者は誰かの支えがあり、サポーターは離れていても、心はそばにいるつもりで応援している。どうすればいいのか分からない時、味方がそばにいてくれる心強さを僕は知った。どの戦いも、僕1人では成し得なかった。


「美羽」

「何?」

「僕がバリスタ競技会を引退する時まで、世界大会を紹介してくれないか?」

「ふふっ、いいよ。あたしもずっとあず君の競技を見ていたいし、できるだけ長くやっててほしいなー。50歳過ぎて出てる人もいるんだし」

「そんなに出たくねえよ。結構疲れるんだぞ」

「知ってる。あたしも大会は御免かなー。今は子供たちもいるから出られそうにないし」

「美羽は大会で活躍したかったのか?」

「もちろん。あたしもあず君みたいに、ちやほやされたかったんだけどなー」


 可愛げのある口調で僕の肩を指でツンツンとつついてくる。仮交際をしていたあの時に戻ったようだ。


「あたし、あの時は何の目標もなかった。常にハッキリした目標を持って仕事に努力するあず君がすっごく羨ましかった。だからかな、バリスタになりたいって思うようになったのも、あず君がきっかけだし」

「僕は好きなことをひたすら追求しただけ。努力したとは思ってない。まあ経営に関しては、努力したかもしれないけどな。でも僕がやってることは至ってシンプルだ。子供がゲームにひたすら没頭して、大人よりもずっとうまくなるのと同じ、没頭こそが人生を謳歌するコツだ。でもみんな、大人たちの言葉巧みにやりたくもない競争に駆り出されて、好きなことに没頭することを忘れていく。僕はみんなに思い出してほしいんだ。没頭する楽しさを……葉月珈琲塾は、没頭の楽しさを思い出してもらうためにある」

「大人になるっていうのは、現実を見るようになって、夢を見失うことなのかもね」

「感情のコントロールさえできれば、別に子供のままでいい。年相応なんて疲れるだけだ。無理に年相応の人間になろうとして変に見栄を張ったり背伸びしたりするから、自分が何者なのかさえ分からなくなるんだ。いつもの自分でいていいんだ。葉月珈琲塾を通して最も伝えたいメッセージだ」

「吉樹にちゃんと伝えておくね。今年から葉月珈琲塾の社長だし」


 美羽は勘定を済ませ、腕にかけてある黄土色のコートを着用して帰っていく。


 今年から葉月商店街教室塾長にはエドガールのおっちゃんに就任してもらったが、やはり外国人なだけあって発想が柔軟だ。状況に応じて細かいルール変更を行うことが当たり前であるためか、それぞれの生徒の個性に合った教育方針を考え実行していた。身につく英語を教えてくれたのが懐かしい。言い間違いを恐れない強いメンタルを持つことが語学習得において最も重要であることを教えてくれた。


 エドガールのおっちゃんを塾長に抜擢したのは美羽だった。最適なポジションは人によって異なるが、美羽は人の適性を見極める能力が非常に高く、人事部長になったのは必然と言える。本当は璃子や柚子に任せたかったが、人事が最もやりたいことであると気づいた美羽には及ばない。


 美羽が人事の仕事に専念したのは正解だった。人を見極めるのは骨が折れる。

読んでいただきありがとうございます。

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