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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第14章 コーヒー業界転換期編
332/500

332杯目「拡大する機会の裏で」

 2月上旬、那月も響もうちの営業に段々と慣れてきた。


 ただそれだけに、響は葉月珈琲での営業と、カフェ&バー棚橋の温度差に虚しさを感じている。


 一度ブランドを確立してしまえば、後は放っておいても客が勝手に客を呼んでくれることは分かった。商売って軌道に乗ると、案外容易いものと感じる。軌道に乗るまでの時間は長かったが、それは他の連中と差別化を図ることが如何に困難であるかを物語っていた。


 響はうちで稼いだお金を実家の店に充てるだけでなく、葉月珈琲の営業時間とカフェ&バー棚橋の営業時間がバラバラであることを理由に、葉月珈琲で営業を終わらせた後は実家の店で働いている。葉月グループが副業を認めているのも、うちにやってきた理由なんだとか。


 みんな同じをモットーとした社畜量産化計画につき合わされた時、最初は小さな差だった。


 しかし、今は覆しきれないほどの大きな差となって表れている。


 世間の声を無視しながら、好きなことだけをやり続けた結果、僕は夢を叶えることができた。だが世間に賛同しながら自分を押し殺してきた連中は、魂と知性の抜け殻のように、地面を這いつくばっている。そりゃそうだろ。自分を押し殺すというのは、自分が何が好きで、何がしたい人間なのかという、人生における最も根本的な疑問を無視することだからだ。


 大人になった時、自分は一体何がしたいんだろうという疑問を無視できないまま、とりあえずの就職を迫られてしまい、やりたくもない仕事を一生にわたってやらされ、集団生活に耐えられなければニートになる。そして寿命が尽きる直前になって、あの時世間なんか無視して、もっと好きなことをやっておけばよかったと、後悔しながら死んでいく罰を受ける。


 それは他でもない――自分自身の心に嘘を吐いた罰である。


 名を残すことはあれど、悔いだけは残したくなかった。


 この歳になって、改めて思い知った。


 人生は労働からの脱出ゲームだ。みんな同じにつき合わされた時点で事実上詰んでいる。少なくとも、周りに合わせることが不本意であるならば、まずはみんなからの脱出を図るべきなのだ。


「ねえ、WBB(ダブリュービービー)って、具体的にどうすればいいの?」


 クローズキッチンに行くと、那月がもっともらしい疑問を投げかけた。


「一応ルールを読んでみたけど、まずは参加者全員の実績を書いてWBB(ダブリュービービー)に提出することになる。3人の実績の合計値が上位3組に入れば出場決定だ。バリスタ担当は注文を受け付けながらコーヒーを作る。バーテンダー担当はアルコールの入ったドリンクメニューを注文されたらカクテルを作る。コーヒーカクテルが注文された場合はどっちが作ってもOKだ。パティシエ担当はテーマに沿ったスイーツを作ってセンサリージャッジに提供する。担当は必要があれば、競技中に途中交代してもいいんだとさ。これはかなり助かるな」

「採点基準はどうなってるの?」

「見た目、味の美味さ、多種多様なメニュー、コミュニケーション能力、ホスピタリティ、魅力溢れる調理技術、アバウトな注文との一致率、衛生管理能力が採点基準になる。センサリージャッジ全員に、コーヒー、カクテル、スイーツを一通り提供したら競技終了だ。予選に参加するのは48ヵ国から3組ずつ、合計144組が参加する。開催場所はウェリントン。4月になったら出発だから、準備しておけよ」

「それはいいけど、響さんは6月にWCIGSC(ワシグス)があるよね?」

「問題ない。使う作品はもう決まっているし、WBB(ダブリュービービー)が終わったら、WCIGSC(ワシグス)に照準を絞る」

「要領良いんだねぇ~」


 響に懐くように擦り寄る那月。2人を見ていると、馬に乗っている姫と騎士のように見える。


 凛々しいとも言えるカッコ良さを持つ響は、時折美男子のように見えてならない。


 那月は白馬の王子様のような響きに、惚れ惚れとしながらも雑談を続けている。客足が落ち着いた頃になると、響が那月のスイーツを食べに来るのが日課となっている。


「当然だ。那月はどうするんだ?」

「あたしは……バリスタオリンピック選考会に集中かな」

「パティシエの大会には出ないか」

「選考会に出るんだったら、準備も必要だからねー。あっ、葉月珈琲の代表っていつ決まるの?」

「葉月珈琲代表は6月末に決める。上半期の社内貢献度上位2人までだ」


 そんな話をしていると、千尋がクローズキッチンに入ってくる。


「あず君、それなんだけどさー、書類選考は参加希望者全員できるようにしようよ」

「何で戦力を分散させる必要があるわけ?」

「うちからの参加者を優勝候補に絞るのは良い作戦だと思うけど、どうせなら選考会に参加する人を葉月珈琲勢10人で固めちゃうのも、1つの手だと思うんだよねー」

「それだと実質社内予選じゃねえかよ」

「あれっ、あず君はルール変更見てないの?」

「ルール変更?」


 千尋の言葉に誘われるようにスマホをポケットから取り出した。


「選考会のルールに変更があったんだって。美羽さんがメールで教えてくれたよ」

「……おいおい、マジかよ」


 突然のルール変更に戸惑った。バリスタオリンピック選考会の参加者にまつわるものだった。


 選考会に参加できる書類選考通過者が大幅に増えたのだ。


 前回大会までは実績上位10人までだったが、プロ契約制度を利用しているバリスタや、実績を残したバリスタが増えてきたことを理由に、今回から書類選考通過者が30人にまで増えた。コーヒーイベントの一環で行われるため、日数をかけても問題ないことも、通過者の増加に拍車をかけた。


 有力なバリスタはみんな選考会に参加する。


 この時だけは他のバリスタ競技会のレベルが落ちるため、新人バリスタにとってはチャンスでもある。30人ってことは、葉月珈琲勢が2人だけで参加した場合、残り28人よりも上位になる必要がある。


 千尋はそのことを指摘しているのだ。


 伊織たちのレベルを考慮しても、レベルが上がった状態の選考会を上位で通過するのは難しい。


「書類選考通過者30人って……」

「あーあ、ライバル増えちゃったねー」

「でもさー、4年に一度しかない大会だし、これくらいのチャンスは与えてもいいと思うよ。バリスタの勢力図って、4年もあれば結構変わっちゃうからねー」

「中には一度きりのチャンスしかない奴もいる……か」

「葉月珈琲勢2人だけだと厳しいかもねー。僕はともかく、他の人はついてこれるか怪しいし」


 随分と自信家だな。まっ、自信喪失しているよりずっとマシか。


「伊織」

「はい」

「全メジャー店舗に伝えてくれ。参加希望者を厳選する必要がなくなったってな」

「分かりましたっ!」


 意気揚々とスマホを取り出す伊織。


 ここにいるみんなと争う必要がないと分かり、急に気が大きくなっている。


 戦力を散らすのはどうかと思ったが、そもそも誰も通過しないんじゃ意味がない。選考会はバリスタオリンピック本戦と違い、一発勝負で全てが決まる。うちから日本代表が決まってから全力でサポートする作戦に切り替えることにしよう。つまり葉月珈琲からの参加者は4人か。


 他のメジャー店舗を含め、うちから書類選考に参加するのは15人程度。


 仮に全員が通過すれば、選考会に参加するバリスタの2人に1人は葉月珈琲勢になるが、そんなうまくいくはずがない。以前は穂岐山珈琲にしてやられたが、今の内から全員に参加する機会を与えておけば、選考会が始まる頃には、バリスタ全員のアイデアも固まるだろう。


 昔のように少数精鋭のみで勝負できないなら、誰かに絞る作戦は通用しない。


「あぁ~、また戦略考え直しだぁ~」

「直前変更じゃなくてよかったね」

「結局、全員が書類選考を通過していることを祈るだけになりましたね」

「今から受かった時のことを考えとけよ」

「分かりました。私はバリスタオリンピック選考会に絞ります」

「じゃあ私は伊織さんが使うコーヒーの焙煎を手伝います」

「今からやりましょう!」


 覇気が戻った伊織は早速コーヒーの研究をし始めた。


 どうやら他の大会に参加する気はないらしい。


 僕も選考会がある時は他の大会に出る余裕はなかった。伊織はそれに倣いたかったように思える。どうも今年は大会に出たくなさそうな感じだったし、これが吉と出るか凶と出るか見ものだ。彼女にとっては良い結果だったように思えるが、問題は千尋である。


WBrC(ワブルク)はどうすんの?」

「ブリュワーズ部門に使う予定のコーヒーを試そうと思ってる」

「世界大会を踏み台に使う奴は始めて見た」

「バリスタオリンピック以外の大会って、どれも各部門を細切れにしたようなものだし、練習台として使っている人もいたと思うよ。本命がバリスタオリンピックだったら尚更ね」


 さも当たり前のように千尋が言った。こういうドライなところは好きだ。


 千尋も全ての部門の実験を始めているし、当分の間はクローズキッチンが狭くなりそうだ。


 桜子の練習の機会も増えるし、それはそれで良いことだが、WBB(ダブリュービービー)のルールはかなり複雑で、用意するべきものがかなり多くて困る。食材は自前で用意しないといけないが、定番の食材は大会の運営側が用意することになっている。


 スイーツは作るのに時間がかかるため、競技開始3日前から作ることを許されている。


 ――ん? ……待てよ。このままだと全員が練習に時間を費やすことになるんじゃね?


「伊織、実験で作ったドリンクだけど、味見をしてから客に試飲という形で提供してくれ」

「いいんですか?」

「構わん。余らせて捨てるのも勿体ないだろ。味に問題がなければ、舌の肥えた客に提供して、味の感想と改善点を言ってもらえ。客は僕らが思っている以上に味にうるさい。あの連中を納得させることができれば、センサリージャッジに出しても恥ずかしくないドリンクができるはずだ。まだ半年以上ある。それまでに何としてでも完成させろ」

「はい。必ず完成させてみせます」


 伊織の士気を上げたところで、オープンキッチンに戻る。


 みんながみんな選考会や他の大会の準備をするなら、最悪客席制限もやむなしか。また美羽に頼んでユーティリティーを派遣してもらうか。まあでも、ラッシュの時間を過ぎれば、研究に費やす時間は確保できる。伊織に至ってはうちに泊まりながら研究を進められるわけだし、今は見守るしかないか。


 接客をしている那月を見守っていると、那月が怯えたような顔で歩み寄ってくる。


「あず君、ちょっといいかな?」

「別にいいけど、どしたの?」

「お父さんから連絡があったの」

「! ……話を聞かせてくれ」


 那月と並行しながらバックヤードへと向かう。ただならぬ様子に緊張が漂った。制服が壁に飾られているバックヤードに着くと、那月は寂しそうな顔で栗谷社長の話をし始めた。


「実はあたしの実家が、地元の大手企業に買収されようとしているの」

「相手は株式会社鍛冶だろ?」

「なっ、何で分かったのっ!?」

「栗谷社長に教えてもらった」

「そ、そうなんだ……正月に実家に帰ってたんだけど、鍛冶社長がやってきたの」

「鍛冶社長は何て言ってた?」

「……お父さんの実家を買い取らせてほしいって言ってきたの。もちろんお父さんは断ったけど、ここにショッピングモールを建てる計画みたい。あの場所は国道沿いだから人通りも多いし、ショッピングモールを建てたら間違いなく売れるって自慢げに語ってた」


 今にも泣きそうな那月が訴えるように実家の惨状を話した。


 実家の固定資産税が重くのしかかる中、パティスリークリタニの売り上げも芳しくない。この状況で栗谷社長が代々続いた実家を守り抜くには、悪魔の契約にサインするしかなくなる。


 那月を名無しの御曹司に嫁がせること。これだけは断固阻止しなければならない。


「鍛冶社長はあたしに前の奥さんとの息子と結婚してほしいって言ってきたの。そうすれば悪いようにはしないって言ってた」

「嘘だな」


 確信を突くように言った。那月にこの手の駆け引きは不得手のようだ。


「どうして嘘って分かるの?」

「君が名無しの御曹司に嫁いだところで、状況が改善するわけじゃない。期限を延ばしてくれるだけで、計画そのものは実行されるぞ。鍛冶社長にとって、名無しの御曹司はただの保険だし、実家の固定資産税を払えないなら出ていくことになる。やむを得ず実家を売ったところで買収すれば、鍛冶社長は栗谷社長の実家と那月、両方を手に入れることができるわけだ」

「じゃあどうすればいいの? あたしこのままじゃ、大会に集中なんてできないよ」

「何でもっと早く言わなかったんだ?」

「だって……あず君の邪魔をしたくなかったし、今年は当分大会に出ることはないって思ってた。響さんが一緒に大会に出ようって言ってきて……個人的な事情を説明するわけにもいかないし、みんなの士気を下げたくなかったから、もうどうしていいのか分からなくなって……」


 追い詰められたように震える声が僕の同情を誘う。


 那月のことだ、実家のために嫁ぐことも十分あり得る。


「響が那月を大会に誘ったのは、那月にも選考会に参加するチャンスを与えるためだぞ」

「うん……分かってる。みんな自分が1番活躍したいはずなのに優しいから……それが余計に辛くて」

「うちには自分のために誰かを蹴落とそうとするような奴はいない。みんな日本代表を葉月珈琲勢で埋めたいと思ってる。身近にいる人が代表だったら、自分が落ちても希望を託せるだろ」

「……あたしにそんな余裕はないよ。それに鍛冶社長が契約書を渡してきたの」

「契約書?」


 那月がバッグから折り畳まれた1枚の紙を広げた。


 じっくりと読み込んでみると、契約書には詳細な契約内容がびっしりと書かれている。


 パティスリークリタニを買い取り、更地にしてからショッピングモールを建てる代わりにショッピングモールの利益の一部を30年間栗谷家に渡すというもの。


 しかもパティスリークリタニをショッピングモール内に移動させることで売り上げを伸ばし、更には儲けさせてやろうという、相手側の譲歩とも言える契約書だった。だがその条件として、那月を前妻の息子に嫁がせること、つまり、名無しの御曹司に嫁がせることまで書かれていた。


 ――ここから見える意図はいくつかある。


 那月を嫁がせ、名無しの御曹司との間に生まれた子供に栗谷社長の実家を継がせてから買収し、更地にしてショッピングモールを建てる経由作戦。那月を専業主婦とすることで後継者を事実上無力化し、栗谷社長が死んだところで実家を買収する持久作戦もある。後は単純に将来的な後継者を増やす繁栄作戦くらいか。いずれにしてもうちにとっては有害である。才能を守るのも葉月グループの責務だ。


「那月はどうしたい?」

「あたしは……夢を叶えたい。でもそれ以上に家を守りたい。だから最悪――」

「だったらどっちもやればいいじゃん」

「えっ? ……どっちもって」

「欲張ってもいいんだぜ。那月は多くの夢破れた者たちに、それは違うってことを示す義務があるんだ。みんなそうやって諦めていく。世間と家の事情でな。栗谷社長は君を家を守る道具だと思ってるのか?」

「道具とは思ってないだろうけど」

「分かってるなら、行動あるのみだ」

「そうだぞ。そんな重要な事情があるなら、早く言ってくれれば良かったんだ」

「響さん! それにみんなまで」


 気がついてみれば、那月の後ろには伊織たちが佇んでいる。


 僕は一計を案じた。これは那月だけの問題ではない。


 夢に向かって挑戦していく全ての人間の問題だ。みんなだったら那月の思うところは分かるはずだと思って那月から全てを聞かせてもらった。()()()と一緒に。


「さっきあず君のスマホが通話モードのまま、カウンター席に置かれていたんです」

「あず君も人が悪いなー」

「ど、どうしてみんなにばらしちゃったの?」

「那月さん、もう自分1人で抱え込む必要なんてありませんよ」

「そうですよ。私たちはチームなんですから、もっと頼ってください。那月さんの問題は私たちの問題でもあるんですよ。そういうことなら、私たちも協力します。私たちにも詳細を教えてください」

「みんな……」


 那月の涙腺が再び刺激される。今度は悲しさではなく、嬉しさが溢れていた。


 桜子にハンカチを貸してもらい、礼を言いながら涙を拭いた。


 ようやく落ち着くと、那月は今までの事情を説明する。キッチンに唯を呼んでおいて良かった。那月の様子がおかしいことを気にかけていた唯にスマホを借り、ずっと通話モードにしていたのだが、ようやく那月が話してくれたお陰でみんなに共通の課題意識を持たせることができた。


「つまり鍛冶社長の目的は、栗谷社長の収入源であるパティスリークリタニを潰して、実家を乗っ取ろうという魂胆なわけだ。でもよく考えたねー」

「那月にも知れ渡ってしまった以上、もう秘密にしておく意味はないからな」

「でもこれからどうすればいいんですか?」

「どうするも何も、まずは大会に集中しろ。那月はうちと契約を結んでいる。簡単には離れられないようになってるから何の問題もない。まずは名前を残すことだ」

「那月、今は大会のことだけを考えろ。このことはあず君に任せればいい」

「……うん」


 不安そうに答える那月。今後も何か連絡があれば伝えるように言ったが、まずは名無しの御曹司を特定しないことにはどうにもならない。一度鍛冶社長に会いにいく必要がある。


 アポを取ってから本社に赴くことにしよう。


 これは那月だけじゃない。栗谷社長のためでもある。


「那月、今度鍛冶社長に会って文句言ってくる」

「ええっ! そんなことして大丈夫なのっ!?」

「問題ない。どんな理由かは知らんが、うちから戦力を引き抜こうとしているのは確かだ。これはうちに対する宣戦布告と言っていい。那月がいなきゃ、僕らは世界大会に出ることもできなくなるし、女を政略結婚の道具に使おうとする根性が気に入らん。そんな不届きな連中は、元の時代に送り返してやる」

「まずは那月ちゃんの実家にあるお店を立て直さないと、どの道土地を売ることになるんじゃないの?」

「その時はその時だ。それよりあいつらの最重要目的が分からない。ショッピングモールを建てるだけだったら那月を結婚させる必要なんてないし、手段なんて他にいくらでもあるんだけどな」

「確かに言われてみれば、不可解な言動が多いですよね」

「とにかくだ、那月は僕が必ず守る。だから今は……僕を信じてついてきてくれ」

「――うん」


 雌のような顔でコクリと頷く那月。今度は納得を得ることができた。


 伊織たちはムスッとした目で僕を見つめた。千尋に至ってはニヤニヤと笑っている。


「……みんなして何だよその目は」

「何でもないです。行きましょう」


 伊織たちがぞろぞろとオープンキッチンへと戻っていく。


「いけないなー。そうやって愛人を作ってきたのか?」

「んなわけねえだろ。ていうかどこで聞いてきたんだよ?」

「この前のクリスマスの時、優子さんに教えてもらった。天然の女たらしだとな」

「何とでも言え。当たり前のことをするだけだ。社員1人守れない社長なんて、いない方がマシだろ」

「まあでも、何でみんながあず君についてくるのか、少し分かった気がする」


 クスッと笑いながら響も去っていき、廊下には僕1人だけ取り残された。


 那月を説得し、どうにかこの場を収めた。彼女がいなければ、WBB(ダブリュービービー)にも参加できない。響も実家の店や祖国の蒸留所を宣伝し、売り上げに貢献できない。


 故に、響にとっても那月の問題は決して他人事ではないのだ。

読んでいただきありがとうございます。

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