315杯目「歴戦の仲間」
花音は思ったことがそのまま口から出ることがある。
それが元でトラブルになったり、相手を怒らせてしまうことがあったが、不思議なことに、そんな特徴を可愛いと思える人もいるのだ。蓼食う虫も好き好きだ。
どちらかと言えば、真由の方がずっと大人だ。感覚的には年上の妹みたいなものだろうか。
「真由さんは夢の国とか行ったんですか?」
「はい。僕が1番好きなテーマパークです。宣伝広告塔もやってるんです」
「私も夢の国好きなんです」
「奇遇ですね。どんな作品にハマっているのか、色々聞きたいですね」
「じゃあデートしましょうよ!」
「えっ……」
2人の間に漂う空気が瞬間凍結する。真由は動揺しているが、嫌がっている様子はない。
それにしても大胆だ。いきなりストレートに誘うのが花音らしい。このドジっ子カノンは相手にどう作用するか分からない。花音は30を迎えるが、恋愛経験のなさが諸に表れている。接客は問題ないのに、恋愛となると急にコミュ障になる。これが一般的な女の対応なんだろうか。
「あっ、ごめんなさい! 駄目ですよね。千葉から来てるんですし」
「いえ、しばらくはここにいますから大丈夫ですよ。僕の仕事は基本的にパソコンなので、どこにいても仕事はできます。たまに本社に出向く必要があるというだけで、普段はどこにいてもいいんです」
「テレワークなんですねー」
「はい。9時5時の仕事をわざわざ職場でやるような企業は潰れていくって、誰かさんが言ってくれたお陰で、自由に働けるようになったんです」
「――それって、あず君のことですか?」
「はい。コーヒー業界のみならず、他の業界にも影響を与えています。岐阜市を『未来都市』にしようと考えているところも興味深いですし」
「未来都市?」
真由も知っていたか。僕の崇高なる計画を。
葉月グループはコーヒー事業以外にインターネット事業にも手を出している。誰も注目することのない地方都市なら改革がやりたい放題だ。大都市は既に既得権益を持った者たちが充満していて、改革なんてしようものなら、必ず邪魔をされるのが目に見えている。
今年から再開した岐阜コンは実験の1つだ。全てをオンライン管理し、どの店にどれだけ人が集まっていたか、どの商品がどれだけ売れていたかを把握すれば、人々のニーズが手に取るように分かる。無論、どんな人間がモテやすいのかも丸分かりだ。カップリングの時にもインターネットを活用している。
集計したデータを元に、初参加した人のカップリング率を把握することもできる。岐阜コンなどの商店街イベントを通して人々のニーズを把握することは、将来的に飯を食える大人を育成することにも繋がっている。どうすれば飯を食える大人になれるか、それを把握することが今の葉月グループの目的だ。
中部地方と近畿地方を中心に葉月珈琲塾が普及すると共に不登校児たちが通い始めるようになった。
僕が育成してきた中で伊織は初めての成功例と言える。
伊織にしてきた教育を葉月珈琲塾に導入していることにみんなが期待を寄せているのだ。
「まあそんなわけで、みんなあず君の改革を楽しみにしているんですよ」
「へぇ~、つまり、岐阜から無敵の人をなくすための未来都市計画なんですねー」
「もしそうなったら、夢の国に遊びに来る人も増えたりして」
「そうなるといいですよねー。私、一度行ってみたいアトラクションがあるんですけど――」
その後はずっと夢の国の話で盛り上がっていた。
自然な形で共通の趣味に持ち込むとは、意外と策士だな。
葉月商店街の大規模イベントは1ヵ月に1回である。1月は冬祭り、2月はショコラティエ大会、3月は雛祭り、4月は岐阜コン、5月は鯉登祭り、6月はラテアート大会、7月は夏祭り、8月は岐阜コン、9月はマラソン大会、10月はバリスタ大会、11月は文化祭、12月は岐阜コンである。
パティシエ大会はショコラティエ大会に統合し、バレンタインデーに向けたチョコレートの創作を目的としているが、これは璃子の発案である。この年からは予定が全て固定化され、その他のイベントは小規模イベントとして、1週間に1回行われることとなった。あの頃のシャッター街はどこへやら。
6月を迎え、僕は31歳の誕生日を迎えた。
もうここまでくると、祝ってもらっても一向に嬉しくない年だ。
子供たちは順調に育っている。4人もいる分世話が大変かと思いきや、唯が上の子を面倒見の良い正確に育てているお陰か、見事なまでに負担を分散できるようになっている。実に洗練された子育てだ。母親が余裕を持ってこそ、子供は安心して学習することができる。
「今日は花音休みか?」
「はい。花音ちゃんは真由さんとデートに行くみたいです」
「行動が早いな」
「なので、今日は私が出勤します」
唯が意気込みを語りながら両腕の握り拳を見せた。
6月はメジャー競技会が行われる時期。
こんな時期にモニターすら起動しないのは、葉月珈琲勢からチャンピオンが誰1人として出なかったからである。伊織たちはそんな不甲斐ない自分に打ちひしがれるように下を向いている。
いつもと様子が違う伊織を見た桜子が、伊織のそばへと足を進めた。
「伊織さん、どうかしたんですか?」
「いえ、昔だったら、この時期は大会で忙しいはずですけど、誰も去年のコーヒーイベントで優勝できなかったんです。誰も抜けていないのは、お店にとっては楽ですけど、私の不甲斐なさが招いた結果です」
「3月のチーム戦で優勝したこと、忘れてませんか?」
「忘れてませんよ。でもあの大会は、ほとんどあず君の力で勝ったようなものです。私は自分の力で優勝を勝ち取りたいです。チーム戦なら、おんぶにだっこじゃなく、主力にならないと」
「伊織さん、焦ってばかりじゃうまくいきません。私が何のためにアイデアを提供したと思います?」
「何のためって言われても……」
「私にも先代にも、新しいコーヒーを作る才能はありませんでした。でも自らのアイデアで大会を制した経験のある伊織さんなら、このローヤルシロップを使った新しいコーヒーを完成させられると思ったからです。伊織さんにも味を描く才能があります。今の伊織さんは、WBrCで優勝した時の伊織さんから遠ざかっています。あの時の感覚を取り戻せば、次はきっとうまくいくはずです」
桜子が折れかかっている伊織の心を支えるように言った。
あんな子がそばにいてくれれば、人生を救われた人も多いだろう。
伊織は自分を見失っている。WBTCが終わってからずっとだ。
自分1人で成し遂げたことなんて何1つない。僕が制覇した大会は、いつも誰かの助けがあった。伊織も理解できる時が来る。伊織は自分の力だけで戦おうとしている。でもそれじゃ駄目だ。参加者は仲間や企業の力を借りている。
「桜子、ちょっといいか?」
「はい。どうかしました?」
「今の伊織だけどさ、ぶっちゃけどう思う?」
「バリスタとしての腕は特に問題ないと思います。ラテアートが苦手みたいですけど、新しいアイデアを思いつくことは得意みたいです」
「気づいてたか」
「半年近く一緒に居たんですから、流石に分かりますよ。伊織さんの実験を見ていたんですけど、いつまで経っても意欲がなくならないのは才能だと思います。何日も続けているのに、全く苦にしていないようでした。JBCが楽しみです。あれなら新しいコーヒーを作れるかもしれません」
桜子は胸の内を正直に明かしてくれた。
伊織は決められたものを作るよりも、自分で作った作品を輝かせるほうが得意と見た。
JBC予選まであと1ヵ月、予選は全て7月から8月に固定化された。
参加者が大幅に増えたこともあり、今年からは1000人までのバリスタが各バリスタ競技会に参加できるようになった。そのため予選が改定され、7月に大人数での地方予選が行われた後、生き残った200人が8月に最終予選を戦い、シード権を獲得した5人と合わせ、上位20人が準決勝進出となる。
準決勝進出者20人は9月に行われるコーヒーイベントで競技を行うこととなり、生き残った5人が決勝進出となる。今年からはメジャー競技会もバリスタオリンピックと同様、上位5人までしか決勝進出を果たせなくなってしまった。バリスタオリンピックに合わせてルールが統一されたのだ。
予選の人数が多くなったことは喜ばしいことだが、今まで以上に厳しくなったことは間違いない。
「どうしてファイナリストが5人に減らされたんでしょうね」
「5本の指に入るからってことじゃねえの」
「葉月珈琲からの参加者で、シード権を持っている人って千尋さんだけでしたっけ?」
「花音はJLACの前回大会ファイナリストだけど最終6位でシード権を逃してる。最終5位までしかシード権を得られない。ファイナリストが今年から5人までになった理由の1つだ」
皮肉にもこれでシード権を失ったことが、花音から出場意欲を奪うこととなった。
それに椿も花音もバリスタ競技会どころじゃないみたいだし、今年は大会に参加しない方針だ。次の店舗に異動するまでの繋ぎとしては十分な役割を果たしてくれている。花音はもう大会に飽きたようだし、椿も家庭の問題で、出勤すらできなくなっている状況である。
しばらくつき合ってみて分かった。この2人は競争には向かない。
「そこは割とシビアなんですね」
「桜子はどの大会に出るんだっけ?」
「私はJACに出ようと思っています。エアロプレスは昔から好きでしたし、シンプルなレシピで勝負できるところがとても楽しいです。メジャー競技会ではないので、コーヒーイベントと日程が重なることもありませんし、伊織さんを手伝いながら出るには丁度良い大会です」
「なるほど、まあ別にいいけど、来年にはメジャー競技会にも参加登録してくれよ」
「はい。新しいコーヒーを作ることには向かないことがよく分かりました。なのでもうJBCに出ることはないと思います。そこは伊織さんに託しますから」
「分かった。じゃあ今年はサポーターに徹してみろ」
「ふふっ、そうします」
桜子が何かから解放されたかのように、意気揚々とオープンキッチンへと向かった。
しばらく時間を与えてやるか。サポーターとしては優秀な部類だ。3月に行われたWBTCでの実績が証明している。桜子は紛れもなく、チーム葉月珈琲のサポーターだった。
そんなことを考えていると、今度は拓也が葉月珈琲の扉を開けた。いつものように短パンにTシャツ、黄緑色のパーカーでやってきた真由よりもよく似合っている。空気なんて読んでたまるかって感じだ。
「おっ、相変わらず流行っとるな」
「えっ、また来たの?」
からかうように言った。いつものやりとりだ。拓也はチャンネル登録者10万人を誇るニート系動画投稿者としてそこそこの人気を博している。主にゲーム実況や社会不適合者ラジオなどを投稿している。
稼ぎにはなっているが、親は相変わらず定職に就けとうるさいらしい。動画投稿者は子供に大人気の職業だが、上の世代の連中にとってはただの引き籠りと変わらないらしい。
不安定ではあるが、そもそも就職レールが拓也に合っていないのだ。ニートはサラリーマン教育を受けたが、サラリーマンに向いていない人に多い。希望にそぐわなかったことを親自身が受け入れない限り、ずっと子供を苦しめ続けることになる。言いたいことを言い合える数少ない相手だ。
「酷っ! ホンマ偉なったなー」
「あず君、そういう扱いは良くないですよ」
「ええねんええねん、こいつとは普通の仲ちゃうから」
「いつもコラボしてるのは知ってますけど、今はお客さんなんですからね」
「へいへい、唯はお客様第一主義だもんな」
「主義じゃなくて、当たり前のことを言っているだけです」
目を半開きにさせながら、呆れたように階段を上がっていく唯。
僕がどう思われているのかを、自分のことのように気にしている。
別に嫌われても一向に構わんが、唯は僕の評価が下がることを良しとしていない。尽くすタイプというのは、相手を保護するタイプということだ。最近は僕への依存が強くなっている。朝起きた時は、いつも僕の腕にしがみつき、豊満な柔らかさを押しつけてくる。これで何度一気に目が覚めたことか。
「めっちゃ愛されとるなー」
「あれが唯の良いところでもあるんだけどな」
「たまにはデートしたったらどうや?」
「デートねぇ~。そういう拓也は相手できたの?」
「俺は生涯独身でいたいからなー、彼女は作りたくないな」
「賢明な判断だ」
「どういう意味やねん!?」
笑い飛ばすように言いながらコーヒーを飲む拓也。
たまにゲイシャを飲めるほどの稼ぎがあるなら、十分生きていけるだろう。
昔の拓也はニートながらに結婚願望があった。
「昔は唯とつき合いたそうにしてたのに、どういう風の吹き回しかな」
「お姉ちゃんから婚活パーティを勧められて行ったんやけど、相手が俺が動画投稿者やってことを知った途端に余所余所しくなって、俺が狙ってた子なんか、役職付きの大手正社員とカップリングして帰っていったわ。しかもその男からここは君みたいな無職が来るところじゃないとか言ってきて、それでぶちぎれて取っ組み合いになって、何故か俺だけ追放されたわ」
「ふふふふふっ! ていうかカップリングが決まるまで外にいたのかよ」
「発表直前やったからな。ホンマ痛い目見たわ」
椅子にもたれながら天井を見上げる拓也。
曲がったことが嫌いな性格は昔から変わっていない。
拓也が引き籠りになった頃、両親に連れられて病院に行くと、発達障害の1つ、ASDと診断された。拓也の両親がそれを知りながらも、ずっと隠し続けていたことに腹を立て、一時はかなり揉めたらしい。
世間からも親からも裏切られたと思った拓也は人間不信に陥り、それまで持っていた結婚願望は綺麗さっぱりなくなってしまった。大人になる前に分かっていれば、もっと確実な対策ができたと思いたいのは分かるが、どの道就職は絶望的と思われる。拓也はすぐに人を信用してしまうところがあり、某ブラック居酒屋チェーンに入社してしまった時点で敗北確定だった。
ずっと耐え続けた反動で、もはや就職する気はなくなっている。
「姉貴の方はどうなの?」
「今もずっと独身や。お姉ちゃんは氷河期世代やからな。老後の心配が人一倍強いんや。もう40やのに今でも結婚相談所で高年収の男を求めては振られることの繰り返しや」
「結婚相談所はしめしめと思ってるだろうな。身の程知らずが1番儲けさせてくれるわけだし。でも何でそこまで不安強いのかな?」
「うちの親は遺産を残す余裕なんてないし、俺は収入不安定やし、頼れる相手がおらんねん。お姉ちゃんはこの前の令和恐慌で派遣切りになってもうてな。失業保険が切れる前に相手を探すゆうてたわ」
「何かと大変だな」
拓也の実家である鉄板焼き屋は令和恐慌の影響で潰れてしまい、親はアルバイトをしながら生計を立てている。これは定職に就いてくれと希望する気持ちも分かるが、ニートは教育の成果だ。そこはちゃんと受け止めてしかるべきだろう。つまりこの一家で1番稼いでいるのは拓也だ。
令和恐慌の影響でこんな状態になっているのは拓也だけではなかろう。
うちの親戚も葉月グループがなければどうなっていたか。
「就職したらしたで、すぐにやめそうだけどね」
割って入るように千尋が言った。エスプレッソマシンで作業をしながら話を聞いていたらしい。
「ん? あんた誰?」
「村瀬千尋。未来のトップバリスタだよ」
「めっちゃビッグマウスやな」
「さっき拓也さんのことを小耳に挟んだんだけど、投資とかはしてるの?」
「いんや、投資はしてへんわ。ていうかそんな余裕ないって」
「それだと貧困から脱出するのは厳しいかもねー。拓也さんが両親を支えてあげたら?」
「うちの親は俺を裏切った。ありえへんわ」
いなすように拓也が言った。一歩間違えば家庭崩壊の危機だ。
しかも定職に就くようにいつも言われているとなれば、一触即発と言っていい。
千尋には貧困者の気持ちなんて全然分からない。千尋は村瀬グループの株を手放したが、先見の明を活かし、再び投資によって財を築いた。金持ちの家に生まれると、自然な形で稼ぐ方法を学べてしまう。
これが各家庭の格差として表れている。しかも氷河期世代特有の問題を抱えていては、どうすることもできない。真顔で現状を突きつける千尋だったが、拓也は千尋の提案を断るのが精一杯だ。
「なあ、葉月グループって、大阪進出するってことはないん?」
「ない。うちは地方都市でやりたい放題するのが目的だし、大都市だとやりたいことがやりにくい。実家は道頓堀だろ。一極集中しやすい場所に店を構える気はないし、コーヒーに精通しているくらいじゃねえと採用もできない。うちは少数精鋭だし、給料が高い代わりに仕事を本気でやらせる会社だ。君の親が耐えられるとは思えない。バリスタに転職するってんなら、助けてやらんこともないけど」
「転職は無理やわ。バリスタって、今じゃもうプロの仕事やろ」
「じゃあ生活保護を受ければいいじゃん」
「うちは世間の目が厳しいから、受給は実質不可能やねん」
しばらくは拓也の愚痴を延々と聞き続けた。
アイリッシュコーヒーを飲むと、その勢いは増すばかりだ。経済的自立は果たしているようだが、拓也が自立でもすれば、拓也の両親と姉は、一生働いて生きていくことになるだろう。
普通と呼ばれる人生には程遠いものだった。
「何で鉄板焼き屋やってたの?」
「うちの親父は我が強くてな。昔っからトラブルメーカーで、会社勤めをするも、そこで上司に責任転嫁されてクビになった後、実家の近所にあった鉄板焼き屋で修業して、そこの大将の娘がうちのおかんや」
「つまり、義理の親父さんから受け継いだわけだ」
「でも不況の波には勝てんかったわ。おとんもおかんもお姉ちゃんも一斉に失業してもうてな。一度は生活保護を受けようとしたんやけど、断られたんや。しかもその断られた原因が俺やったっちゅうわけや」
「じゃあ独立したら?」
「独立できるほど稼いでるわけとちゃうからなー、それは難しいで。しかも家賃を払えんかったら、追い出されてまうからなー」
呆れるように言うと、ポケットから青いスマホを取り出した。
すると、拓也の顔が瞬く間に真っ青となり、画面から一向に目を離そうとしない。
嫌な予感が僕の脳裏を過った。こういう時の直感は外れた試しがない。
「どうかしたの?」
「……おとんが倒れて病院に搬送された」
「早く行ってあげなよ」
「ええねん。行ったところで状況は変わらん」
拓也がコーヒーを飲み干した。親の緊急時にさえ動かないか。
これはきっと……拓也なりの復讐かもしれん。
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