312杯目「伴侶の重荷」
午前12時、葉月商店街主催の岐阜コンが遂に始まった。
合図として、多くの参加者が路上でも店内でも大きな声で話している。
葉月マリッジカフェは婚活の推進を目的としているため、この時は運営側として活動する。柚子は瑞浪たちと交代で運営スタッフを務め、出番のない者は外で見張りをしている。参加者たちにとっては未来を左右する真剣なイベントだが、個人的にはただのお祭りにすぎない。
出会いを求めるだけじゃなく、友達作りのつもりで来ている人もいるんじゃなかろうか。それならカップリング率が低いことにも説明がつく。顔は笑っているが、誰にも悟られないように、その心眼をギラギラさせ、水面下で人気者を奪い合う争いが既に始まっている。
「あっ、始まったみたい」
「昔の岐阜コンのカップリング率ってどれくらいなの?」
「これは婚活パーティじゃないから、カップリング率は分からないけど、メアド交換をしてからデートに行くところまでをカップリングと考えると、大体1%くらいかな」
「え~、そんなもん?」
「それが現実……」
「でも今日は1000人来てるし、期待値で言えば、10人くらいはカップリングするわけか」
「500人の異性の内、同じ席に座って喋るのって、何人くらいなのかなー」
「20分経過で席替えして、1時間経過したらそのお店を出ないといけないルールになってるの。1時間あたり10人として、この6時間で話せるのは、60人くらいかな」
「少なくない?」
「言うと思った。確かに試行回数を重ねることが大事ではあるけど、あんまり人数が多すぎても、誰が誰だか分からなくなっちゃうでしょ。岐阜コン以外にも、定期的に婚活パーティをやってるけど、回転寿司タイプだと同じことが起こるから、立食パーティタイプの婚活イベントもやってるの」
柚子が言うには、様々なタイプのイベントを開催し、コミュ障による不利を埋めることや、飽きさせない工夫になるんだとか。楠木マリッジ社長の時にはできなかった戦略だ。柚子が考える戦略を実行するには経費がかかる。うちなら問題なく行えるわけだが、実力こそあれど、資産を確保できない人は意外に多くいるものだ。柚子とは長年のつき合いだ。故にどこにどんな才能があるのかが分かるのは大きい。柚子がカップリングできないのは、人をカップリングさせる才能の裏返しとも言える。
スタンプラリー方式が再び日の目を見たことで、多くの店舗に自動的に客が回るのは大きい。葉月商店街に所属しているというだけで客の方からやってくる。
つまり、これは葉月商店街そのものがブランド化したことを意味する。さながら銀座に立ち並ぶ店舗のようにそこに居座るだけで、一流の証明のような空間が出来上がりつつあることを僕は確信していた。
「葉月商店街って、元からこんな感じだったの?」
「いや、そうでもない。ここができたのは1950年頃で、おじいちゃんが近所に住んでいた自営業の連中を集めて、10年くらいかけて今の規模にまで拡大した。2000年頃までは、自営業の連中でお金を回して、お陰で何とか食い繋いできたってわけだ。あの頃はみんな貧しくて、スーパーもコンビニもなかったからな。商品を出せば売れる時代からバブルにかけてはどこも売り上げ上々だったけど、バブルが崩壊してからは、次々店が潰れていって、数年前までシャッター街って言われてた」
「へぇ~、苦労してたんだ」
「でもあず君がバリスタの世界大会で結果を残す度に、あず君が生まれ育った場所としてここが注目されるようになって、あず君がバリスタオリンピックを制覇してからは、日本中のバリスタが集まってくるようになって、今じゃ日本有数のカフェ激戦区になったの!」
柚子がハキハキとした声で千尋の前まで闊歩する。
勢いに押されるように、千尋が足を一歩後ろに下げた。
――そういえば、柚子の夢は葉月商店街を盛り立てることだったな。柚子は不況に喘ぐ商店街の行く末を憂いており、段々と衰退していく様を見届けるしかなかった。
人に歴史あり、場所に歴史あり。
僕がいなかったら、どうなっていたんだろうか。非常事態に何もできない人間ばかりを作る教育って、一体何なんだろうか。柚子には懸念こそあれど、行動力はなかったし、僕が何も言わなければ新卒でOLになっていた可能性が高い。大手からいくつも内定を取っていた柚子だが、このことからも柚子が就職に向いてることが見て取れる。新卒で難なく就職していた世界線が見たい。
無難に生きる価値観に更なる磨きがかかっていたことは予想できる。
しかし、バリスタ競技会に挑む姿勢を身につけられていたかと言われれば、答えはノーだ。
「ねえ、伊織ちゃんは来てないの?」
「伊織はうちで桜子と一緒に新しいシグネチャーを作ってる。あれは婚活なんてしないだろうな」
「コーヒーに恋してるわけだ」
「でもそれ分かるなー。私もコーヒー好きだし」
「柚子さんは今年のJCTCには出るの?」
「もちろん。最初はもう引退しようかと思ったけど、あず君の活躍を見て考えが変わったの。できる限りで続けて実績を残して、バリスタとしても仲人としても一流になりたいの。それが仲人バリスタだから」
「それが柚子さんの結論なんだ」
「経営者も会社員も両方やったけど、結局、どっちも私の求めていた自分じゃないって気づいたの。でも仲人とバリスタはどっちもしっくりきたし、色んな経験をしたから、今こうして仲人バリスタという天職を手に入れられた。婚活をする前から、自分は結婚に向いてないって決めつけるのは、どうかと思うの」
柚子が下を向きながら呟くように言った。言いたいことはよく分かる。経験する前から向き不向きを決めつけるのは、自分の中にある可能性を否定することと同じだ。経験とは挑戦である。
失敗は駄目だと教えれば、挑戦することもなくなり、貴重な経験を得る機会がなくなる。
だからこの国は経験値の平均が低いのだ。
「あっ、伊織ちゃんと桜子ちゃんがいる」
瑞浪が外の方を指差すと、耳を疑いながら外を見た。
「えっ……何で伊織がここにっ!?」
比較的大きな声でツッコむと、2人が顔をこっちに向けた。
「あれっ、あず君に千尋君?」
「何で伊織ちゃんたちがここにいるの?」
「シグネチャーの材料を買いに来たんです。お店の方は唯さんが復帰したのでちゃんと回ってます。今は岐阜コンでお客さんがこっちに集まってるので、葉月珈琲にはあんまりお客さんがいない状態なんです」
「今は唯ちゃんと椿さんと花音ちゃんの3人なんだ」
「はい。皆さんから業務の基礎から応用まで、色々と勉強させてもらっています」
桜子が丁寧な口調で説明をしてくれた。今年からは日曜日も営業だ。
定休日がなくなってからは大忙しだが、シフト制でどうにか対応している。
岐阜コンを優先するということは、それだけ注目度が高いということだ。参加者はプロフィールカードを首から下げているためすぐに分かるが、その意味を失わせる出来事が起こった――。
「ねえ、ちょっとそこで飲まない?」
桜子が外に出ると、1人の男が葉月マリッジカフェ入り口付近にいた桜子に声をかけた。
脊髄反射の如く、一歩後ろに下がった。周囲からの注目を浴びているのか、体に震えが走り、あがり症が彼女の心に疼く中、相手はそんなことも知らずにずかずかと桜子との距離を詰めた。
「あの……えっと……私は岐阜コンに参加してないんですけど」
「いいじゃ~ん。君って今まで見た中で1番可愛いんだよねぇ~」
「……私よりも良い人がいると思います。それじゃあ――」
桜子が愛想笑いを見せながらやんわりと断ろうとする。
しかし、男は引き下がることなく桜子の腕を掴んだ。
「待てよ。そんなこと言わずにつき合ってくれよ。近くに良い店があるんだよ」
「やっ、やめてください」
「あの、そういうの、良くないと思います」
「何君? 小学生?」
桜子の前に出た伊織が相手を見上げながら注意するが、伊織のことを子供だと思っているのか、一向に引こうとはしない。思った以上に年下に見られた伊織が呆れた顔で相手を睨みつけた。
長身に加え、そこそこ鍛えている黒と灰色の服装が大人の男性を彷彿とさせる。これは立派なルール違反だが、伊織以外に楯突く者がいない。様子がおかしいことに気づいた柚子が不思議そうに外を眺めた。
「ねえ、どうなってるの?」
「桜子が岐阜コンの参加者に声をかけられてるとこだ」
「あぁ~、桜子ちゃんモテるもんねぇ~。絵に描いたような美人だし、胸も大きいし、性格も優しそうに見えるから、そりゃ声もかけられるわ」
「感心してる場合じゃないでしょ。助けに行かないと」
「待って。ここは伊織に任せてみよう」
「えっ?」
昔の伊織ならこんなことはせず、景色に溶け込んで見守る側だっただろう。
僕と出会ってから大きく成長した気がする……体型以外は。
「おいおい、その子よりも年上って、冗談だろ」
「冗談じゃないです。一応私、この人の先輩なので」
「どけよ。俺の方がその子を守ってやれるぜ」
「あなたに守られなくても、彼女は立派に生きています。これ以上私たちの邪魔をするというなら、岐阜コンの運営に報告しますよ」
「お前こそ邪魔すんなよ。俺はその子を気に入ったんだ。それに岐阜コンから脱退すれば、それこそ参加者以外の人にも声をかけたって俺の勝手だろ」
――防戦一方だな。伊織は男に押されている……。
WBTC以来、伊織と桜子の仲は急速に深まった。
共に勝利を喜び、共に敗北を嘆き、共に時を過ごしたことで、2人は確かな戦友となった。伊織が桜子の持っている未完成のシグネチャーを共有したあたり、桜子と共闘する意思が見て取れる。バリスタ競技会において、アイデアの共有は共闘することである。
……そうか、2人は一緒に戦いたいんだ。伊織は僕のサポートがあったとはいえ、いつも大会では1人で戦っていた。そんな伊織にとって、やりたいことが分からない桜子はパートナーに相応しいと言える。伊織は無意識の内に自立しようとしている。自らサポーターを選ぶところに伊織の成長を感じた。
「あの、言い争いなら、商店街の外でお願いできますか?」
痺れを切らした柚子が、入り口付近にいた伊織たちに混ざり、桜子にナンパした男に食ってかかった。男は最初こそ強気だったが、柚子が運営側の人間であることを思い出すと、この場を離れていった。
この光景は多くの人が目撃していたため、あの男がカップリングすることはないだろう。
婚活をしている時点で条件の悪い問題児という事実を思い出した。条件の良い人は婚活せずとも、さっきのように相手の方から勝手に寄ってくる。それが良い人であるとは限らないが、桜子も一昔前であれば問題なく結婚できていた部類であることが見て取れる。
「ふぅ、あの人イケメンだけど、何で彼女がいないのかがよく分かった。大丈夫だった?」
「柚子さん……柚子さぁ~ん。怖かったですぅ~」
母親に甘える娘のように、伊織が小鳥の囀りのような小さい声で泣きついた。
柚子は母性を擽られ、伊織の頭をよしよしと言いながら撫でた。
怖さを我慢していたのか、桜子の前でカッコつけたかったのか、全然見分けがつかなかった。どちらにしても、思ったことを表に出せるようになったという事実に変わりはない。柚子に甘えている姿はまるで子供のようで、さっきまでの行動とのギャップを感じさせる。
「伊織ちゃんも子供だなぁ~」
「人のこと言えないでしょ」
「伊織さん、柚子さん、さっきはありがとうございました」
「いいのいいの。婚活って、自分の抱えている問題点に気づかないままの人が多いから、度々こういうことが起こっちゃうの。無理に婚活しろとは言わないよ。1人で生きていくなら、それでもいいけど、結婚願望がちょっとでもあるなら、お勧めしたいかな。最終的に幸せになってくれれば、それでいいからね」
「……柚子さん」
伊織は桜子と共感するようにお互いの顔を見つめた。
今の時代にそぐわないと言ってしまえばそれまでだが、老後の不安が理由になっているのは、申し訳程度の脅し文句と言えるかもしれない。何か1つ不安を取り除いたところで、また別の不安が補充されるだけだ。結局どんな道を選んだとしても、それなりに後悔するのが人間なのかもしれない。
ならば、後悔も含めて楽しめるようになれれば、人として達観したと言えるのかもしれない。
それが人生を謳歌するということじゃなかろうか。
「伊織、桜子、一度だけ参加してみたらどうだ?」
「あず君まで何言ってるんですか」
「僕は1回柚子に誘われて参加したことがあるし、恋人ってほどじゃないけど、何人もの女とつき合ってきた。その上で結婚は向いてないってことが分かったし、こうして誰かの結婚を見守る側でいるわけだ」
「高みの見物って言えばいいのに」
「柚子がいなかったら、見物することもなかったけどな」
「でも無事に唯ちゃんと結ばれたんだから、結婚と全く縁がないわけではないと思うけど」
「形に拘る必要なんてねえだろ。そもそも結婚は長男が確実に世継ぎを残すためにできた制度なんだし、独身でも生きられるようになった時代に、わざわざ結婚のために活動する意味がよく分からん」
「確かにそうかもねー」
両手を頭の後ろで結んでいる千尋が言った。
立ち姿はさながらお転婆娘のようで、下手をすれば男から声をかけられかねないくらいに可愛らしい。ていうかもう何度か男に声をかけられていたんだが……本質的には女に向いているかもしれんな。
「そういえば、千尋君は何で事実婚を選ばなかったの?」
「うちはそこまで自由な家風じゃないし、あず君みたいにやりたいことをそのまま実行するわけにもいかないんだよねー。それに結婚してなかったら、子供が色々と不便な思いをするんじゃないかって思うし、僕はそこまで拘りとかないからさ、子供を持ちたい人だけ結婚すればいいんじゃないかって思うよ」
「子供のための結婚か。僕はてっきり減税のためだと思ってたけど」
「減税のための結婚って……それだったら相手誰でもいいじゃん」
「社会不適合者でもか?」
「明日香はこんな社会不適合者の僕でも受け入れてくれたから、一生守っていくよ。結婚って、背負うことなんだよ。立派な人間だと認められるとかじゃなくて、何かを守る立場になるから、全力で生きられるようになる。だから結果的に立派な人間になれるってことじゃないかな……多分」
葉月マリッジカフェのカウンター席に座り、注文したコーヒーを飲み始めた。
自分にブーストをかけるための発火装置か。千尋の結婚観は的を射るように秀逸なものだった。
もしくは大人になった証と考えれば、この国の婚姻率が下がっていることにも説明がつく。リアルネバーランドの住民が何かを背負ったり守ったりするなど、本来であれば不可能だからだ。ずっと守られる立場である方が楽だからな。その部分については、既婚者の立派なところと言えるのかもしれん。
「だったら、うち以外の収入源も確保しないとな」
「それなら心配ないよ。村瀬グループの株を全部売った時のお金で、別のグループの株を買ったからさ。子供10人くらいだったら、大学まで行かせられると思うよ」
「そこはしっかりしてんだな」
「明日香ちゃんが羨ましいなー」
「葉月珈琲じゃなかったら、就職もできなかったけどね」
「確かに葉月珈琲って、社会不適合者を受け入れる土壌がありますよね」
「創業者本人が社会不適合者だし、やりたいことに反対されにくいからねー」
うちのやり方なんてあってないようなもんだ。やってみてうまくいけばそれで良し。僕は過程を重視してきた人間だが会社は結果が全ての世界だ。結果を出すには時として冷酷な判断を下す必要もある。だから世のニートたちに働けとは言えない。誰かに働けって言えるような生き方をした覚えはない。
リスクを背負ってきた結果が今だ。リスクを背負わないことのリスクは徐々に衰退することだ。
今のこの国の状態が全てを物語っている。
葉月マリッジカフェはカフェ兼結婚相談所の二刀流、そして婚活イベントまで担当する三刀流だ。
6時間後――。
こうして、岐阜コンは無事に終わった。
1000人を数えた参加者の多くが、ぞろぞろと商店街から散るように離れていく。その内の何割かは手を繋いでいる。伊織、桜子、千尋は帰宅し、僕は柚子たちと葉月マリッジカフェに残っていた。
みんな予想外に忙しかったのか、反動でぐったりと机に這いつくばっている。
「やっと終わったぁ~」
「ずっとやりたいんじゃなかったのか?」
「そりゃそうだけど、こんなに集まるとは思わなかった」
「それだけ有名な商店街になったってことだ。うちの企業戦略がようやく花開いた」
「企業戦略?」
「知名度を上げることだ。どんなに良い商品を作っても、どんなに良いアイデアを思いついても、それを知ってくれる人がいなかったら、何も価値を生み出してないのと一緒だ。僕が今まで何のために大会に出てきたのか覚えてるか?」
「影響力を持つため?」
「正解。この国は全体の2割を動かせば、残りの8割が勝手についてくる。2割を従わせるには、影響力が必要と考えた。この国は正しいことをしている人が負けるようにできてる。国全体じゃなくてもいい。うちの地域だけでも変えていけば、全国各地がうちを見習うようになるはずだ」
柚子が首を傾げた。僕がこれからしようとしていることは崇高な試みである。みんなにはまだ知らせていない。これを知ったらビックリするだろうが内緒だ。
しばらくして家に戻ると、唯と子供たちが僕の帰りを今や遅しと待っていた。父親は嫌われるものだとばかり思っていたが、それは多くの男が亭主関白を演じなければならない時代が長く続いた影響だろう。だが父親という型にはまる必要はない。一家の大黒柱なんて聞こえはいいが、それは無条件に1人で責任を背負っていることの裏返しだ。子育ての責任を負うべき犯人を捜しなんて不毛でしかない。親も周囲も国も、社会全体が責任を持って育てるべきだろう。そうでなければ、何のための社会だ。
「ねえお母さん、婚活ってなーにー?」
「結婚活動の略。世の中には結婚したくて相手を探す人たちがいて、お父さんはそのお手伝いで、柚子お姉ちゃんたちの所に行ってたの」
「ふーん、好きな人のために結婚するんじゃなくて、結婚のために好きな人を探すんだー」
「ふふっ!」
雅の痛快な言葉に、思わず口を塞いだ。うっかりみんなの前で大笑いしそうになった。
伊織たちがいたら、ここは今頃、笑いの渦に包まれていることだろう。
手段と目的が逆転してしまっていることに子供たちが早くも気づいたのだ。大人になると、知識と引き換えに大切なものをなくしていく。知識を得るとは、固定観念を持つことだ。
カウンター席に座っている僕の膝に雅が座った。
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