3杯目「戦犯の代償」
小1の時の夏休みは楽しい日々だった。
学校がなかったためか、日記にはほとんど書かれていない。
小1の1学期からは何か出来事がある度に日記を書いていた。毎日書くのは辛いため、主に問題が起こった時だけ書いた。日記は今も僕の家に残っている。
実家から独立した時に持ってきたからだ。何故持ってきたのかといえば、昔で言うところのしかみ像のような感覚だ。過去の苦労を書き綴った日記を持つことで、自分への戒めとしていた。そのためこうして鮮明に思い出せるわけだ。僕の幼少期の話は主に親から聞いていたため覚えていた。夏休み中はおじいちゃんの家に遊びに行ったり、プールに行ったりしていた。
プールに行く時は度々更衣室で女子と間違われ指摘されることもあったが、その時は親が説明してくれたため、そこまで苦じゃなかった。見た目が中性的だと、こういうところで苦労を強いられる。プールは夏に行くものだが、他の人も同じことを考えているせいで混雑する。
みんなと同じことをすると確実に損をする。市場がレッドオーシャンになったり、渋滞に巻き込まれたりして、押し競饅頭をするために外を出歩くことになる。僕はそのことを思い知ると、新たな問題が起こった。日光で皮膚が火傷を起こしてしまったのだ。皮が捲れたりして、最初は脱皮かと思った。
僕にはいくつか苦手なものがある。
乾燥肌のため日光が苦手だ。僕が運動場で体育の授業をしたくない理由でもある。乾燥肌の人は日光を浴びているだけで火傷の危険性があり、最悪肌も荒れるから良いことなしだ。苦手な食べ物は野菜全般であり、特にニンニクが苦手だ。ニンニクは味も臭いも生理的に受けつけない。通常であればニンニクを入れる料理にはニンニクを入れず、別の手段でカバーしている。
こればかりは夜行性人間の典型というか、宿命というか……。
学校に行かなくなってからはすっかり家に引きこもるようになってしまった。
元々外には向いていない。しかし、両方とも大人になるにつれて克服していった。
しばらくはプールで遊んだ。うちの親は早くから僕の乾燥肌を知っていたため、次からは屋内のプールに行くことに。プールは親戚と一緒だったが、うちの親は運転免許を持っていなかった。
電車で行こうにも、入場料と重なって費用が嵩む。そのためどこかへと出かける時はどうしても親戚頼みになる。僕はプールから上がると、すぐに着替えて帰宅する。
「さっぱりしたぁ~!」
「ふふっ、あず君ってこういう時は笑顔だよね。生き生きしてるっていうか」
「だって学校の外の方が伸び伸びできるし、凄く楽しいじゃん」
「じゃあいとこたちの学校に転校する?」
「どこに行っても結果は同じだ。学校自体向いてないし、早く卒業したいもんだ」
早い内から水泳や柔軟体操をしていたこともあって体が柔らかい。今でも余裕でI字バランスができるくらいだ。プール自体は楽しかったから嫌な思い出ではないし、行動のリターンが見込めるなら苦痛ではない。学校はリターンがない。完全に時間の無駄だ。個人的に小中学校時代は無駄と思っている。夏休みは思いっきりコーヒー作りに没頭していたし、ペーパードリップは淹れられるようになった。
僕はおじいちゃんに沸騰してもらった熱湯が入ったケトルを持って、小さい渦巻を描くように、熱湯をペーパーフィルターに入ったコーヒーの粉に注いでいった。
この作業が楽しすぎてずっと没頭していた。
ブラックのまま飲むことはできず、砂糖と牛乳を入れたカフェラテにして飲んでいた。いっぱい遊んだ後は、自分で淹れたコーヒーを飲むのが楽しみだった。
今更言うまでもないこととは思うが、友達は全くできなかった。
好きで1人でいたために孤独感はなかったし、1人で遊ぶ方が好きだった。あんな連中に合わせてまで友達を作ろうとは思わない。コーヒーがあれば十分だ。最愛の恋人のルーツが気になった。この時からいつかはコーヒー農園を訪問してみたいと思っていた。
夏休みが終わると、僕は再び学校にぶち込まれることに。
2学期の初登校は何故か憂鬱だった。元々毎週月曜日がやってくるのが恐怖でしかなく、月曜日なんか消えてしまえとさえ思った。長期休暇が長引けば長引くほど学校へ行くのが辛くなる。いかんせん楽しかった夏休みとの落差が大きすぎた。長期休暇明けの自殺が多いのは間違いなく学校や会社が辛いからだ。楽しい所だったら、そんなことはまず起きない。
髪の毛はロングヘアーにしたかったが、親に定期的に髪を切られては泣いていた。子供の髪型を誰かが決めるのは人権侵害だ。男に生まれたら無茶ばかりをさせられ、女に生まれたらどんなに頑張っても社会的地位が低いままだし、もはや無理ゲーである。
「何で髪の毛を切らないといけないの?」
「男の子だから。本当なら坊主の方がいいのに」
「やだよ。ハゲなんて面白くない」
「えー、私は似合うと思うけどなー」
「それは僕が決めることだよ」
「そーゆーことは大人になってから言うもんだよ」
何でも性別で判断するんじゃねえよ!
そう思わずにはいられなかった。
夏休みの宿題は一切手つかずだったが、担任は悟っていたのか何も言わなかった。学校へ行っていない期間に勉強させられる意味が分からなかった。その意思がハッキリ伝わっていたようだ。授業は相変わらずつまらなかった。授業そっちのけで料理本やスイーツ本を読んで過ごしていた。料理やスイーツを作ることに興味があった。家で何度か親と一緒に作ったことがある。その経験は大いに役立った。
親と買い物に行く時はお強請りしないことがお約束となっていた。
お袋と一緒に商店街の中で買い物をしていた。
20世紀までの『葉月商店街』はそれなりに賑わいがあった。
実家が商店街ということもあり、商店街の人全員が知り合いだった。
僕は人見知りで、人と目を合わせて会話ができない。いつもお袋の後ろに隠れてやり過ごした。近所の人からも暗い子と見なされていた。1学期の時に担任から将来の夢をプロフィールカードに書くよう言われたことがあるが、僕は将来の夢は何も書かなかった。正直に言うと、働きたくなかった。自由に決めていいと言われたからこそ書かなかった。
自由だと言うなら、何も夢を持たないのも自由なはずだ。
男子の夢はアスリートや宇宙飛行士、女子はパティシエや花屋が多数を占めていた。
――まっ、どうせ8割の生徒はサラリーマンになるんだけどな。
夢もへったくれもない。社畜養成所である時点でかなり選択肢狭まってるし、それでよく夢を聞こうなどと思えたものだ。茶番としか言いようがない。
この頃、体育の時間に変化が生じるようになる。
体が弱いために体育は毎回休んでいたが、運動会が近づくと、体育の時間が運動会の練習時間になったのだ。僕がいつも通りに体育を休むとこう言われる。
「お前がいないと勝てないんだから出ろよ」
拒否したが無駄だった。大縄跳びや徒競走などがメインで、練習に駆り出されてしまった。元々体力がなかったこともあってすぐに風邪を引き、何日か学校自体を休むことに。
「お前やる気あんのか!?」
「やる気ないし、運動もできないからやりたくない」
「甘えんなっ! その腐った根性を叩き直してやるっ!」
「僕が参加したら足手纏いになると思うんだけど」
「そんなのお前の責任だろ」
「参加させた方にも責任あると思うけど」
家に帰ると、体育の時のことを伝えて、運動会には出ないと言ったが、親からは今の内に出とかないと後で後悔するよと言われ、結局参加させられる破目に。
体育の授業がある日を迎える度に気分が暗くなる――また走らされるのか。額に貼る冷却シートをまた消費することになるな。今は体育祭と呼ぶらしいが、僕が子供の頃は運動会と呼ばれていた。炎天下の中を軍隊のように行進させることのどこが教育なのか。明治時代から何も変わってねえ。
――運動会当日――。
主に保護者の人がやってくるメインイベントであるため、子供の貴重な休みである日曜日を犠牲にして行われた。この時は毎回月曜日が休みだった気がするが、それでも急にこんなことをされたら休日のルーチンが狂うのだが。小学校低学年の頃は土曜授業があったが、土曜は休むものと体が覚えていることもあって休んでいた。急に予定が変わったりすると、強烈な嫌悪感を覚える。だからなるべく予定通りにしようと心掛けていたが、思い通りにいかないとキレることもよくあった。
運動会は紅組と白組で合計点を競う形式だ。僕は紅組所属になってしまった。
「僕が出たら確実に足を引っ張るぞ」
「参加することに意義があるんだよ」
「じゃあ足を引っ張っても責任取らないぞ」
「それでもいいから」
そう言われると、当日は僕が逃げないよう、親も一緒に登校させられた。運動会は運動の苦手な子供にとっては、無能を晒す場でしかない。素人を無理矢理オリンピックに出すようなものだし、大人だったらブーイングものだ。保護者たちや生徒たちが盛り上がる中、僕はたった1人運動会が早く終わることを望んでいた。運動のできる人だけが出ればいいのに、何故全員が強制参加させられるんだ?
行き場のない憤りを隠しながら時計ばかりを見ていた。
運動会の日は教室でのんびり本を読むこともできない。
運動の得意な同級生が声援を浴びながら走っている――しかし全くと言っていいほど、憧れも嫉妬も抱かなかった。ここはもはや僕の居場所ではないことを悟っていた。
本来であれば、最初に参加したい人を確認するところから始めるべきだが、何故かどの競技に出るかを決めるところから話が始まっているのがアホらしい。不参加の権利も認めるべきだろう。最初から全員参加するものとして考えてる連中の思い上がりだ。子供の選択権を認めない時点で、子供の人権を踏み躙っているという自覚があいつらにはない。僕は徒競走などに出たが、基本的に全部ビリ。綱引きでも紅組が負け越して白組がリードしていた。
リレーは僕が最初に走った。けど僕の足が遅いのか、最下位になってしまった。
さっき言われた言葉を思い出す――。
「まっ、こんなもんか」
すると突然、紅組の男子から声をかけられる。
「お前、次ミスったらぶっ殺すぞ!」
――えっ!? 何で僕殺害予告されてんの? これ普通に通報していいよね?
「それでもいいからって言ったよね?」
「そんなもんかんけーねーよ!」
ここでようやく、あの言葉が僕を参加させるための罠だったことに気づく。
「はぁ~、しまった」
嘆いた時には手遅れだった。一度参加させてしまえば、足手纏いになることを許さない空気になる。この炎天下の運動場に来た時点で、蟻地獄に片足を突っ込んでしまっていたことを悟る。間もなく最も苦手だった大縄跳びが始まった。途切れたらそこで終了という形式だ。飛べた回数の順位に応じて得点が決まる。僕は失敗した時の殺害予告を受けていたため、かなり緊張していて冷静さを保てなかった。すると、大縄が動き始め、みんなはジャンプの構えを見せていた。
冷静さを失っていたためか、大繩に気づくことができなかった。
気づいた時には足を引っ掛けてしまい、一度も飛べずに記録0回に終わる。
――やっちまったぁー!
ここでやり直しが利けば良かったが、他のクラスの紅組白組もやり直しがなかったこともあり、結果的に僕が足を引っ掛けたことで致命的な差がつき、紅組の敗北が確定した。運動会は白組の勝利に終わったのだ。紅組の生徒は僕以外みんな悔しそうな顔をしていたが、白組の生徒からは感謝された。
「ありがとう。お前のお陰で助かったよ」
「まさか敵に助けられるなんてなー。あはははは!」
もうこの時点で嫌な予感しかしなかったが、ここは存在感を消してこっそり帰るしかない。でも門は閉まってるし見張りもいる。どうやって帰れと言うんだ? 僕が物理的に1人で帰れないことに気づいた時はもう手遅れだった。後ろから紅組のクラスメイトに肩をガシッと掴まれる。
「後で教室に来い」
死刑宣告とも受け取れる言い方に命の危険さえ感じた。
僕が一体何をしたって言うんだ?
参加して足を引っ張るのが罪だと言うなら、足を引っ張るような人を参加させた人は重罪に問うべきだろうと思うが、戦犯である僕は紅組のクラスメイトに呼び出される。あっという間に囲まれ、10人くらいの男子から集団リンチを受けた。全身を袋叩きにされ、あらゆる部位から激痛が走る。
「がはっ! ぐうっ、ぐっ、ううぅ! あああああぁぁぁぁぁ! やっ、やめて! 僕がっ、僕が悪かったから、ぐふっ、もう……許して」
「お前のせいだ!」
「お前なんか死んでしまえ。この役立たず!」
「茶髪野郎!」
押し倒され、罵倒されながら全方向から蹴られた。必死に許しを請い、ひたすら蹴られ続けた。あの時はマジで死ぬかと思った。蹴られた部位の激痛を必死に堪え、大声で泣いていた。クラスメイトで止める人はいなかった。僕が戦犯なのを知っていたからだ。それでもいいからとは何だったのだろうか。
全身に打撲を負い、内出血を起こしている部位もあった。それほど負けたのが悔しかったんだろう。僕は敗北によるフラストレーションの捌け口にされた。こうなるのは分かっていたはずなのに。もしかしたらこのために参加させられたのかもしれないと思うと恐ろしい。
でも集団リンチはないと思うな。これ学校の外でやったら間違いなく逮捕だ。当時の学生時代の環境を一言で述べると、世紀末。これ以上に適切な表現があるだろうか。倒れてぐったりしたまま動けなかった。体のどの部位も思うように動かないし、動かすとズキンと痛みが走る。
「何やってるのっ!?」
集団リンチを聞いて駆けつけた担任が止めに入ったが、担任から信じられない一言を言われた。
「みんなも悪いけど、葉月君も男の子なんだから泣いちゃ駄目!」
僕は耳を疑った。これが大怪我を負った子供に対して言う台詞か? 担任までもが集団の味方とは。
今まで担任を敵に回していたツケがここで回ってくる。元はと言えば参加者を厳選しなかったてめえの責任だろうが。なのに泣いちゃ駄目とか鬼かお前は?
僕はまたしても保健室の世話になった。
「うわー、酷い! 誰にやられたの!?」
「……みんな」
「みんなって、クラスのお友達のこと?」
「あんなの友達じゃない。殴ったり蹴ったりする奴らのことを友達って呼ぶなっ!」
「ご、ごめんね」
「もう学校行きたくない」
「分かった。じゃあ傷を見せて」
「痛っ! 何すんだよ?」
「消毒するから。少し痛むけど我慢して」
「もう我慢なんてうんざりだ!」
保健の先生がクラスのお友達と言った瞬間に癪に障ったのか、怒鳴り散らしてしまった。
これから治療をしてくれる人に感謝をする余裕など、どこにもなかった。担任の門真先生は見て見ぬふりの態度で、僕は包帯姿で家に帰るしかなかった。
「どうしたのっ!?」
お袋が僕を見て驚きの声を上げる。
うちの親は基本的に運動会にも授業参観にも来ない。共働きの親にそんな暇はない。だから僕が帰ってくるまで気づかなかった。もう学校に行きたくないことを告げて不登校になった。流石にうちの親もこの事態を重く見たのか、担任に抗議した上で、僕の不登校を受け入れてくれた。
冬休みが明けるまでずっと学校へ行かなかったからだ。しばらくの間、憂鬱な気分で部屋に閉じこもっていた。僕が部屋で座っていると、お袋がカフェラテを持ってくる。
この甘くて美味い味を楽しんで、余韻に浸っている時は痛みが飛んだ気がした。コーヒーは嬉しい時に僕を楽しませてくれるだけじゃなく、辛い時に僕を励ましてくれた存在でもある。
「んぐっ、んぐっ、ぷはぁー! この1杯のために生きてるんだぁー!」
カフェラテを飲み干すと、コップを机の上にコトッと置いた。
「ふふっ、何ビール飲んだ時のお父さんみたいなこと言ってんの?」
「えっ……いたの?」
「そりゃ家だからね」
僕は見た目こそ女っぽいが、この言動を指摘されたことで、中身は男なんだと自覚させられた。コーヒーのお陰ですぐに元気が出た。この頃にはエスプレッソやカプチーノなんかも飲めるようになっていた。案外簡単に飲めるものだ。僕の味覚に合っていたのもあるが、それまでは何度もおじいちゃんの家に遊びに行っていた。おじいちゃんもおばあちゃんも璃子も、僕の全身の傷を見て驚愕していた。運動会戦犯の代償はかなり大きいものだった。個人的には集団リンチを受けたことよりも、男であることを理由に泣くことすら許されなかった方が辛い。担任はうちの親と変わらないくらいの年で、親世代は戦争を経験した世代から教育を受けているため、男が泣くことは考えられなかったんだろう。
男というだけで、弱音を吐いたり泣いたりできず、無理ばっかりさせられるというなら、僕は男にはなりたくない。そんな性別……いらない。男だから雑に扱ってもいいという考えからは卒業するべきだ。全ての男が女より強いわけではない。これが性差別大国、日本の実態だ。実際、男の自殺者は女より多いのだ。男だからと無理をさせられる弊害が数字にも表れている。いつになったら学ぶのだろうか。
この時点で学校=嫌な場所という考えが決定的になっていた。少しでも周囲とズレた人間から制裁を受ける。多分他の生徒もピリピリしていたんじゃなかろうか。あんな光景を見せられたら、少しでもみんなと違うと、世間からいじめられると思うようになる。だからこそみんなに合わせなきゃ、みたいな思考になってしまうんじゃないだろうか。進学、就職、仕事といった面でも弊害を生んでいる。僕はみんなにそう思わせるためのスケープゴートにさせられたのだ。
以降、しばらくは運動会に出ていない。時期が近づく度に集団リンチの件を話していた。
冬休みは充実していた。どちらかと言えば病弱だったが、不登校期間は風邪を引いていない。だが学校へ行かされていた時期は度々風邪で休んでいた。無理をするとすぐにダウンする体なのに、男だからと無理をさせられ、ダウンから回復の繰り返し。これに気づいたのは義務教育から離脱してからだ。
もし1人1人の個性に合った教育だったら、僕はここまで日本人に対して嫌悪感を持つことはなかっただろう。こんなクソシステムをアップデートもせず放置した日本社会も悪いし、同じく放置してきた日本人も同罪だ。僕は何も悪くない。
正月には親戚の集会があった。
中でも特に仲が良く、いとこの1人、楠木リサと話した。リサはお袋の姉の子供で父親はドイツ系フランス人。4人兄弟の1番上の長女で僕より2歳年上だ。お調子者で面倒見が良い反面、おっちょこちょいなところもある。リサに会う度に、体をもふもふと触られていた。
リサが言うには、僕は外見も体臭もあらゆる女子との相性が最高に良いらしい。
言ってる意味が分からないんだが……。
リサに体の傷を指摘され、恐る恐る運動会での集団リンチの件を話した。
「その傷どうしたの!?」
「運動会に無理矢理参加させられて、僕のせいで負けて、集団リンチを受けた。全く酷い連中だ。もう行きたいとは思わない」
「えー、嘘でしょ? 通報はしたの?」
「通報なんてさせてくれなかった。担任も見て見ぬふりだし、みんな僕が殴られて当然だと思ってるみたいだから、運動会には出ない」
リサたちは酷く驚いている様子であった。
僕と違う学校だが、幸いにもリサは迫害を受けなかったようだ。それ故僕が受けた迫害を信じられないらしい。僕だってこんなことは信じたくないが、この件で親戚一同からは同情を買うことになった。
無理もないことだ。傍から見れば異常なことなのだから。
シリアス回となっております。
ナイーブな方はご注意ください。
楠木リサ(CV:仲谷明香)