296杯目「変化を受け入れる覚悟」
11月中旬、僕が自室でネットニュースを覗いている時だった。
隣からは唯が顔を覗かせた。花のような良い香りが明るい茶髪から漂ってくる。
令和恐慌の影響は凄まじいものだった。2019年の11月あたりからは株価が下がり始め、同時に強いインフルエンザが襲ってきたせいか、全国の飲食店がバタバタと倒れていった。うちの近隣に合った店も養分を吸い取られるように売り上げが下がっていき、葉月珈琲や葉月ショコラにも客を奪われ、倒産していった。近所の人の一部が生活保護を受けたという噂を聞いた。
これが競争社会における負の側面と僕は痛感する。
革新的な考えを持つ経営者経験のある人たちを雇い、うちの役員として働いてもらうことに。来年には遂に持株会社ができる。今までなかった本部ができる。だが某コンビニチェーンのように本部だけが儲かる仕組みにはしたくない。常に革新を求める人だけが生き延びられる時代、保守派は即刻クビにするくらいが丁度良い。うちでは保守的な考え方は犯罪である。時代の流れを塞き止めようとするような奴は仕事ができるなら他の会社にトレードで放出し、仕事ができないならクビにしてやる。
「はぁ~」
自室の椅子に座りながら息を吐いた。
「またため息ですね」
達観した苦笑いをしながら唯が言った。
「だって僕が気に入ってた店、みんな潰れちゃったんだもん」
「また新しいお店が出てくるまでの我慢ですよ。お店は潰れることも多いですけど、新しくできるお店も多いんですから。潰れたお店のスタッフをうちで雇ったりはしないんですか?」
「有能だったら採用する。バリスタとしての経験がない人も多いし、最初は葉月セルフカフェに回す」
「最近人気ですよね。基本何でも持ち込めますし、大会の観戦場所としても使われているようで」
「何でもありのフリースペースって意外と少ないし、入場だけでお金が取れるし、客が飯を食おうと思えば更に料金が取れるし、いつでも自分で作れるようにキッチンまで置いてあるからさ、交流の場としても、外食の手段としても、遊び場としても使える」
うちの店の中でも特に売り上げが高かったのは、意外にもフリースペースの提供をモットーとした葉月セルフカフェだった。今や中部地方や近畿地方を中心に展開されているこの店は、自由を求める今の若者のニーズにピッタリとハマり、1人で過ごせる場所としても人気を博している。
日本は同調圧力の強い国であるため、孤独になれる場所が多いのだ。普段は厳しめの集団生活を強いられている分、自分の時間を確保できる場所が求められている一方で、気軽に人との交流を求めている側面もある。これらのニーズ全てに合致したためか、年間パスを買う人が思いの外多かったのだ。
人と接するのが苦手なら、話しかけない限り1人でいられる。
誰かと話して過ごしたいなら、客に話しかけてもいい。この場所がきっかけでカップリングした人も何組かいたのだ。ある意味そこらの結婚相談所よりも貢献しているかもしれない。
「便利な世の中になりましたね」
「お気に入りの店がない時は真理愛の店に行くだけなんだけどさ、真理愛の店も人気があって全然1人になれないんだよなー。予約は絶対必須だし、うちの系列はどこもそうだ」
「葉月コーヒーカクテルも人気みたいですね。ゆったりと過ごすなら、あんまり人がいないお店がいいですけど、そういうお店って、次行った時には潰れていたりしますから、バランスが難しいですねー」
「いっそのこと、客が全然集まらない隠れ家風の店とか近所に作ってみようかな。串カツ屋とか」
「それいいですねー。でもそれをやるなら、店長は身内の人がいいですね」
「身内はみんな別の店に就職しちまうからな。人気の店ってさー、店にとっては嬉しいけど、客という視点で見ると落ち着かなかったりするから、1人好きの平和主義の人とか全然来ないんだよなー。うちも昔は引き籠りで落ち着きのある客が来ていたけど、今は唯みたいな性格の客は全然来なくなったな」
「お客さんがいっぱいいると、気にする人は気にします。引き籠りの人にとっては敷居が高いですし、うちが法人化する前と後で客層が変わりましたね」
唯が人差し指を顎に当てながら言うと、椅子に座っている僕の上に座った。
「どしたの?」
「会社のことを心配するのもいいですけど、そろそろ家の心配もしてください」
「あー、来年の紫のことだろ」
「はい。気づけばもう小学生です。それに紫の髪はあず君と同じ茶髪。嫌な予感しかしませんよぉ~」
「うちから1番近い学校は僕が通わされていた場所だ。昔のまんまだったら不当に差別を受ける」
「――私も茶髪のことで散々言われました。紫が入る予定の学校に問い合わせてみたんです。今は茶髪を取り締まることはしていないそうです。地毛証明書は必要ですけど」
「地毛証明書なんて別にいらねえだろ。僕は生徒の髪色が黒髪だろうと、茶髪だろうと、縞模様だろうと一向に構わん。それで風紀が乱れるって言うなら風紀の方が間違ってる。あそこは1人1人の違いに不寛容で行動力のない差別主義者を生み出す温床だ。子供が高校や大学に行きたいって言った時のオプションは残しておく。高卒認定試験だったら、通常の15%程度の勉強時間で取れるし」
「ふふっ、あず君らしいですね」
子供たちが強制入学させられる予定の小中学校、つまり僕が通わされていた学校を調べてはみたが、昔とまるで変わっていないようだ。一度見学させてもらうことってできないのかな。
今の校長と連絡を取り、交渉してみたところ、1日だけ授業参観をさせてもらうことに。
ここ20年で校長が何度も交代し、学校の雰囲気は変わったようだ。念のために昭和生まれの代表である大輔も連れていくことに。元々は公務員、つまり教師を目指していた大輔は、この手の事情には詳しいため、どうしても連れていく必要があったのだ。
授業参観当日の朝、僕と大輔の2人はかつての社畜養成所へと入った。
校長室へと向かうまでの間、大輔は建物をキョロキョロと見回していた。
「大輔は僕と同じ、この学校の出身だろ。これから大輔には重要な仕事をしてもらう。30年前と比べて変わったところと全然変わってないところをピックアップして教えてほしい」
「それはいいけど、何で俺なんだよ?」
「教師を目指していたなら教師の立ち振る舞いをよく見ていたはずだ。その分学校の体質にも敏感だっただろうし、30年前と変わってるかどうかはかなり重要だ。これから僕らの子供たちを預けるに値するかどうかくらいは見極めていても損はないと思うぞ」
「あず君はここに合わなかったからPTSDになったんだよな?」
「そうだな。来年子供が入学するからちょっと心配になってな。もし昔と変わってないようなら、うちの子が迫害を受ける可能性が非常に高い。あんな思いを子供の世代にまで引き継ぎたくない」
「不合格だったらどうするんだ?」
「その時は行かせない方向で検討する。今は勉強するだけならいくらでも手段があるし、引き籠りでも仕事ができる。人づき合いだって無理にする必要がない。学校に依存する時代はもう終わった。レールは平気で裏切る。だからこそ、レールに頼らなくても生きていける人間を作るべきだ」
「――俺もその気持ちはよく分かる」
覇気のない声で大輔が言った。大輔の過去は氷河期世代そのものだった。
レールの上を歩いていれば、安心安全と神話のように教えられたが、社会に出てみれば、途中でレールが途切れ、不況の影響で職を転々とし、実力とは関係のない部分で出世の機会が縮小された。
無論、世間の言うことを真に受けてきた奴らにも責任はある。無事に就職できなかった連中は、その代償を自らの悲惨な将来という形で支払ったのだ。大輔はそれを嫌というほど思い知った。信じていたはずの学校に生きる力を摘まれ、社会にも裏切られた氷河期世代の男は今、何を思うのだろうか。
この令和恐慌の中、またしても就職できなかった学生が数多くいるというニュースを聞いた。あいつらの辿り着く先にあるのは氷河期世代と同じ末路。あいつらは第二氷河期世代と呼ばれるに違いない。正社員になれなかった連中は結婚どころじゃないし、ますます少子化になっていくだろう。
レールにも景気にも振り回されないような生きる力のある人間をちゃんと育ててこなかったツケは、やがて国が支払うことになる。大量の利子付きでな。
「まっ、今まで受けてきた教育の欠陥に気づけただけでも進歩だ」
「確かに俺は自分の頭でちゃんと考えてこなかった。学生の時は自分のやりたいことよりも、親が決めた枠組みに入ろうとしてた。うちの親は不安定なおじいちゃんの下で育った反動なのか、正社員至上主義になってた。何が何でも俺と優太を正規雇用の枠に入れようと必死だった」
「うちの親父と一緒だな」
「でもあず君に雇われてようやく目が覚めた。投稿部のみんなは楽しそうに動画投稿の仕事をしてる。誰かが決めた道じゃなく、自分の人生を生きてる。俺も親父も間違ってたんだな。安定なんてどこにもないって……もっと早く気づくべきだった」
「僕は子供たちにそんな想いをさせたくない。だから学校が時代遅れな教育をしていないかどうかを見極めるのは重要な任務だぞ」
「分かった。やってみる。たとえそれが……結果ありきでもな」
大輔は僕の意図を見抜いているようだった。僕は確認がしたいだけだったのかも……。
自分よりも過去の人間にとっても、全く変わらないものがあるということを――。
校長室に入ると、校長が笑顔で出迎えてくれた。まるで神様のような扱いだ。
「いやー、世界一のバリスタがうちの生徒だったとは、誇り高いですねー」
「ああ、良い勉強になった」
――人間の愚かさを……嫌というほどな。
校長はとても落ち着きがある人で、白髪に眼鏡をかけた老人だった。
昔ながらの調整型老人タイプのリーダーだ。
村社会では最適なタイプと言っていいが、今は経済的先進国に村社会なんてどこにもない。どこもかしこも国際社会になりつつある。違う職業であれば間違いなく埋もれていただろう。公務員は化石のように保守的な人間を首の皮1枚繋がった状態で守ってくれる最後の砦だ。
「そちらの方は?」
「葉月大輔です。梓のいとこで、私も昔はここにいたんですよ」
「あー、あなたもでしたか。どうしてここに?」
「梓に頼まれて、付き添いで来ました」
「子供たちの待遇が30年前と変わったかどうかを調査しに来た。大輔は昭和時代のここを知ってる」
「うちは30年前からほとんど変わってませんよ」
何かを悟ったような顔で校長が言った。
ソファーから立ち上がり、昔を思い出しながら後ろを向き、自分の席へと戻っていく。
「どういうことですか?」
「私は教師一筋40年、ずっとこの学校を見守ってきました。今私が校長の職に就いているのは実力でも何でもなく、ただ単に私が1番年上だからというだけの理由で、教頭だった私が急に繰り上がりで校長になっただけです。要は年功序列です」
「繰り上がりってことは、何かあったの?」
「ええ……前の校長が不祥事で辞めたんですよ。1人の生徒の横暴を事実上見逃したという理由で」
「それって……5年前のことだったりする?」
一瞬だが動揺の色を見せた。この人は何かを酷く悔いている様子だ。
「はい。葉月さんもご存じの通り、旧虎沢グループの御曹司が1人の生徒を自殺に追いやり、それを我が校は隠し続けていました。しかし、5年前にあなたが我が校に謝罪を求める声明を出した時、私は今までの我が校の過ちを正すべき時がやってきたと思い、名前を伏せて不祥事を告発しました。虎沢君が我が校にいた当時の校長は旧虎沢グループから多額の寄付金を貰っていて逆らえなかったのです」
「やっぱりな。そういうことだろうと思った」
――噂によれば、虎沢は3年ほどで保釈されたものの、今までの不祥事から批判と憎悪の的にされ、一歩も外に出られない状況になっていた。グループが潰れて多額の借金を背負い、親子共々生活保護を受けながら貧乏暮らしをしていたらしい。最初は結果で見返すだけで十分と思ったが、後で余罪が判明してから気が変わった。少なくとも1人の命を奪ったんだ。その罪を一生を懸けて償うことだな。そう思っていた。だが虎沢は批判の声に耐え切れず、3年ほど前、自ら命を絶った。
虎沢に同情する者は誰1人としていなかった。
僕の学生時代に君臨し、最恐最悪と呼ばれたいじめっ子の最期は……呆気ないものだった。
今にして思えば、それがあいつにできる精一杯の謝意だったのかもしれない。
「校長先生が梓を助けてくれたんですね。感謝します」
「いえいえ、私は当然のことをしたまで。私も不祥事を見過ごした加害者です。葉月さん、あなたがお子さんを学校に行かせたくないと表明していたことは以前から存じていました。我が校を好きなだけ見ていってください。それでもし気に入らなければ、お子さんを無理に登校させなくて結構です。必要があれば不登校という形で処理させていただきます」
「理解が早くて助かる」
「お前なー、子供の将来に関わることだぞ」
「学校なんて選択肢の1つにすぎない。食事や睡眠みたいな生理でもないんだし、学校がなくても人間は生きていけるってことを証明してやる。みんな学校に行くべきだって思い込んでるけど、それはあくまでも学習手段が乏しかった時代の話だ」
「教師がこんなことを言ったらおしまいですが、学校はもう……歴史的役割を終えたのかもしれません」
全ての本音を吐き出すかのような清々しい顔で校長が言った。
ここまで潔いと逆に裏を感じるんだが、ここまで理解がある教師は初めてだ。
「どうしてそこまで梓に賛同するんですか?」
「私も学校嫌いだったからです。私が子供の頃は、些細なことですぐ頭を思いっきり殴るのが当たり前でした。そんな現状を変えたくて教師になり、私が主任になってからは体罰を禁止にしたんです」
「……子供を学校に行かせるかどうかは子供に決めさせる。多分入学式以外でここに来ることはないと思うけど、もしうちの子が通学を希望するようなことがあれば、その時はよろしく頼む」
「はい。いつでもお待ちしております」
頷きながら校長が返事をする。どうやら僕の想いは伝わっていたらしい。
僕の学校批判があまりにも過ぎたのか、委縮しているようにも思えた。全国のファンたちは二度と僕と同じ悲劇を繰り返さないよう、ブラック校則禁止やオンライン授業に力を注いできた。
この校長が僕のファンであることを知るのは簡単だった。
挨拶を済ませてから校長室を出ると、僕らは校門の外へと歩いていく。
「なあ、授業参観をしなくてもよかったのか?」
「校長が言ってただろ。30年前とほとんど変わってないって。ずっと学校にいて、学校を知り尽くした人が言うんだから間違いねえよ。授業参観をする前に答えを教えてくれたんだ。お陰で仕事がなくなっちまったけどな。原則子供の気分次第では行かせない方針に決まった。でもさ、当時の僕が教師から体罰を受けなかったのは……あの校長のお陰だってことはよく分かった」
「なんか嬉しそうだな」
「そりゃ嬉しくもなるよ。教師の中にもまともな感性を持っている人がいたんだからさ」
「俺はこの学校になら子供を行かせたいと思った。もちろん、悪魔の洗脳とやらを受けすぎないよう釘を刺すつもりでいるけどな」
大輔が自慢げな顔で言った。保育園代わりに預けたいだけな気がする……。
でもそれが大輔の答えだというなら、僕はそれを尊重しよう。
授業参観は中止となり、思っていたよりも早く仕事が終わってしまった。大輔と別れ、昼までに葉月珈琲へと戻ってきてしまった。結局、この日も僕は通常営業だ。帰ってきた時には早めに来ていた伊織が千尋からシグネチャーの作り方を教えてもらっていた。
学校訪問の件を真っ先に唯に報告すると、意外な回答が返ってくる。
「それが真相でしたか。でもそれはあず君の子供を学校に行かせるための作戦かもしれませんよ」
「そうだとしても、あれだけ包み隠さずに物を言える教師は初めてだ。もし子供が行きたいなら行ってもいいけど、必ず釘は刺しとけよ」
「分かってます。先生や他の生徒の言うことなんて真に受けなくていいと言っておきます。でも子供たちはちゃんと分かっているみたいですよ。学校が何のためにできたのかも知らせておきましたし、それを分かった上で行くというなら止める理由はありませんよね?」
「……そうだな。それが原因でニートになったら僕のアシスタントをやってもらう。ゲームの遊び相手になってくれるだけでも十分だ。道はいくらでもある。それを子供たちに示すのが、大人たちの役割だ。お金がなくても生きていけることを示せるだけでもだいぶ違う」
「子供たちもあず君からのメッセージを敏感に受け止めてますよ。子供ってああ見えて、ちゃんと親のことを見ているものなんですよ」
唯の言うことも分かる。親の価値観はある程度子供にトレースされる。
どうせトレースされるんだったら、時代が変わっても生きていける価値観を授けたい。僕は平成生まれだが、令和でも、その先でも、変化を受け入れられる人間でいたい。
うまく引き継いでいけば、僕や唯がいなくなっても生きていける。生きる力を授けることが教育の役割だとすれば、この国がしていることはただのお飯事だ。無理につき合う必要もなければ、一切関わる必要もない。僕にできることと言えばこれくらいだ。成人してからは全てが子供次第である。
後は野となれ山となれ。それでも駄目なら社会のせい。
「子供の人生は子供が決めるべきだ。十分な知識と選択肢を与えた上でな」
「私は最初っから子供のことは子供に一任してますよ。どうせ干渉したところで、それやる意味あるのって反発しますから。誰かさんに似たんでしょうね」
唯が僕の体の上に座ったまま、小さな頭を後ろを向けた。
可愛らしくもニヤリとした笑顔が至近距離から子犬のように擦り寄ってくる。そんな唯の体を強く抱いた途端、花のような香りがより強く漂ってくる。まるで擬人化したコーヒーを抱いているようだ。
「唯、通学は子供たちに決めさせてくれ。家に居たいならそれでもいいし」
「分かりました。でもみんな家がいいって言ってますよ」
「ちょっと誘導しすぎたかな」
「入学式だけ行かせてみますか?」
「そうだな。つまんなかったら二度と行かないだろうし」
「ふふっ、反応が楽しみですね」
今年の終わりが見えてくる。時間が途轍もなく早いと感じる。人生が充実している証だろうか。だったらこれからも、楽しい時間だけで人生を満たしたい。
そんな想いが子供たちにもちゃんと伝わっているようで何よりだ。
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