29杯目「起業の決意」
中学校追放処分になってから少しの時間が経ち、15歳の誕生日を迎えた。
個人的に15歳はほとんど大人だと思っている。経営者にもなれるし、労働だってできる。なお僕の外見は15歳を迎えてからほぼ変わっていない模様。
中3の時の日記も、学校生活についてはここで途切れている。未だにロリ顔で茶髪のロングヘアー、痩せ型の低身長ということもあり、よく女子と間違われる。他の人からは女子中学生のように見えているらしい。僕はこの頃から毎日スカートを履くようになった。私服は至って可愛いピンクが基調のデザインのものが多い。めんどくさい時はTシャツで済ませる。
この時、誕生日プレゼントに親戚から最新式のペーパードリップの器具を貰った。僕がバリスタを目指していることを知って買ってきてくれたらしい。
今までで最高のプレゼントだった。
しばらくして落ち着いてから、璃子にだけは日本人恐怖症のことを話すことに。
誕生日の夜、パジャマ姿で璃子と向かい合うように座った。
「璃子、話がある」
「何? どうしたの?」
「僕が学校で暴れた次の日、近所の人を怖がっただろ?」
「あー、そういえばそうだね。あれって結局何だったの?」
どうやら璃子も気になっていたようだ。
だが僕を気遣ってくれていたのか、気にしないふりをしていた。
「僕、身内以外の日本人が怖いみたい」
「何で身内以外の日本人なの?」
「身内と外国人は平気だったから、拒否反応を起こす範囲を絞れた」
「やっぱりいじめっ子のせいなの?」
「……僕は毎日のように迫害を受けた。あの時学校で大暴れしたことで、今までに受けたストレスの反動が一気にきたらしい。お陰で日本人を見ただけで過剰適応してしまう」
僕はこの時も冷静だった。何故自分がこんな状態になったのかをすぐに見極めた。
学校に行かずに済んだことで、症状は少し改善された。
「信じられない話かもしれないけど、璃子には話しておきたかった」
「……信じるよ」
「えっ? ……ほんとぉ?」
僕は顔を赤くしながら心配そうな声で聞く。
「そんな可愛い声で言われても困るんだけど」
「だって信じるって言うと思わなかったから」
「お兄ちゃんが嘘吐かないの知ってるから」
璃子はそう言って笑った。信じてもらえないと思っていたが、やはり持つべきは妹である。時々傷だらけで帰って来たことを知っていたためか、おおよその理由は察してくれた。
翌日には親にもこのことを話した。
小1の時から日本社会や日本人の理不尽に対して少しずつストレスが蓄積されていたこと、学校を追放された日に今までの反動が一気にきたこと、後遺症によって身内以外の日本人を見ただけで強いストレスを感じるようになったことを全て話した。
うちの親は半信半疑だったが、今までの経緯を考慮してくれたのか、最終的には信じてくれた。
璃子は僕の病気が治るまでの間、身内以外の日本人との接触は極力避けた方がいいんじゃないと助言をくれた。日本人嫌いとは言っても、全員が嫌いというわけじゃない。
好きな人物もいる。全員死人なのが残念だが。
ずっと学生をやっていると、どうしても視野が狭くなってしまいがちだ。学校の中の出来事が世界の全てであると、僕自身が錯覚してしまったのだ。固定化された環境に居座り続けることで、世界の広さに気づけないのは、何とも嘆かわしいことである。
ある日のこと、うちの親が信じられない一言を放った。
「高校はどこ行く?」
言ってる意味が分からなかった。まだそれを言うか。小中学校時代にあれほど痛い目を見て、学校教育との相性が最悪だってことはもう証明したはずなのにまだ行かせるのか?
高校はどこ行くという言葉もおかしい。せめて高校は行くのかと聞いてほしかった。どこと言っている時点で、進学以外の選択肢が閉ざされていることは言うまでもない。
「学校は行かないって言ったよな?」
「あの中学にはもう行かなくていいけど、高校だったら良い友達が見つかるかもしれないでしょ」
「今度僕を学校に行かせたら死人が出るぞ!」
お袋に至近距離まで近づき、威嚇するように言うと、言い争いになった。お袋はこのまま僕が引き籠りになることを心配して高校を勧めていたらしいのだが、進学も就職も絶対にしたくなかった。
よくテレビで過労死のニュースや企業の不祥事といったニュースを見ていた。日本の企業=ブラック企業だと思っていたからこそ、僕にとっては進学も就職も地獄行きも同じだった。
そもそも僕みたいな社会不適合者を雇う企業なんて存在しない。
「高校に行かなかったらどうやって生きていくの?」
「――起業する」
「起業って物凄くお金がかかるんだよ」
「借金すればいいじゃん」
「馬鹿なこと言うんじゃないの。もう入学費用だって借りてるのに」
この年の春休み、うちの親は親戚一同から僕の高校入学費用として300万円を借りた。そこまでしてあの地獄のような日々を継続させたかったのか?
最初は呆れて物が言えなかったが、あることを思いつく。
「それを起業資金に使えばいいじゃん」
「何言ってんの。高校の入学費用で貰ったんだから」
「親戚には黙っておいて、後で返せばいいんだ」
「そんなことできるわけないでしょ。何考えてんの?」
「僕は絶対高校には行かない」
真剣な眼差しで言うと、しばらくお袋と言い争いになり、帰って来た親父にも同じ話をした。親父もこの案には反対だったが、崩すのに時間はかからなかった。
この頃から親のことは、親父、お袋と呼ぶようになった。理由は不明のままである。
「あず君のためを思って言ってるんだぞ!」
「じゃあ親父は僕が高校で失敗したら責任取ってくれるの?」
「それはあず君の責任だろう」
おいおい、進学しても起業しても僕の責任かよ。
だったらどっちを選ぼうと自由だろ。就職ありきで考えるから進学で頭がいっぱいになるんだ。
「どの道僕が責任を取らないといけないんだったら好きにさせてくれよ! 責任は僕が取るから」
「……勝手にしろ!」
「そうさせてもらう」
もし事業が失敗したら、一生親父とお袋の言いなりになると約束した。それでようやく、渋々ではあるが納得してくれた。僕はとんでもない約束をしてしまっていた。
親父とお袋に300万円を貸すように頼んだ。所謂又貸しというやつだが、これは絶対にマネしちゃ駄目だ。何の計画もなしに借金なんてするとロクなことにならない。とりあえず店を開くために必要なことを片っ端から始めたことは覚えている。
まずは僕用の銀行口座と印鑑登録をした。印鑑登録ができるようになるのが丁度15歳だ。
カフェを開くには飲食店登録をする必要がある。飲食店を開くにはまず食品衛生責任者の資格を取らないといけない。もしくはこの資格を持った人を1人店に置けばいい。人を雇う余裕はないため、僕が直々に資格を取ることに。資格を取るために講習を受けないといけないのだが、もし義務教育云々で門前払いにされた場合は最終手段として来年の4月まで開業を延長し、その時改めて取りに行けばいい。インターネットで色々調べている内に、僕は岐阜市内の施設までこの資格を取りに行くことを決めた。東京の場合は17歳以上かつ学生以外が条件だが、ここは日本語を理解できればそれでいいらしい。
地域によって基準がガバガバなのがラッキーだった。
お袋に頼んで保健所に相談し、講習を受けられるよう応募してもらった。
夏休みの時期を迎えると、講習を受けるため、施設へ行くことになり、朝早く起こしてもらい、お袋同伴で行くことになったのだが、学ぶ内容はインターネットでお浚いしたから問題ない。外にいる日本人が怖かったが、何も行動を起こさなければ、一生貧乏のままだ。僕はそれを分かっていたからこそ、一歩前へと踏み出すことができた。お袋の後ろに隠れながら目的地まで赴く。身内以外の日本人の顔を見る度に、僕はありのままの自分を全否定されている気がした。
それほどにまで……奴らから受けた迫害のダメージが大きかったのだ。
しばらくすると会場に着いた。お袋を通して講習を受けることができた。講義に明け暮れ、無事に資格を取ることができた。講習を受けている間、お袋はショッピングをしていた。その時に買った神戸産のお土産を家で食べたが、これがもう滅茶苦茶美味かった。
これがきっかけで、いつかは神戸に行ってみたいと思った。起業は費用がかかると言われているが、半分本当で半分嘘だ。全部真面目に仕入れたりすれば相当な額になる。椅子とか机とかを持ってはいても全然使っていない人から譲ってもらったりすれば、経費を大幅に削減できるし、サイドメニューを豊富にするならそれなりに費用がかかるだろうが、コーヒーを出せればそれで十分と思っていた。
サイドメニューは余裕があれば出す。生き残れるかどうかの問題じゃない。学校も就職も拒否する。ニートになることも許されないなら起業しかない。うちの家は貧しかったし、ニートを養い続ける余裕などなかった。進学なんぞに金をかけるくらいなら、やりたいことに金をつぎ込んだ方がマシだ。
最悪売れなくても最小限の消費で済ませて、誰にも従わずに細々と生きていこうと思っていた。僕にとっては生きていくための起業ではなく、世間から解放されるための起業なのだ。親父に頼んで店舗化できる場所を探してもらった。店は狭くてもいいからと、家賃の安い所を希望した。幸いにもすぐに見つかったが、人通りもあまりない場所だ。カウンター席もある。個人客を想定してるし、カウンター席だけでいいかな。後はここに机や椅子を運ぶだけだ。璃子にも親にも店の宣伝はしないように言った。
主なターゲット層は外国人観光客だ。身内以外の日本人は日本人恐怖症が治るまで入店禁止だ。あいつらに怯えながら店の経営なんてできない。僕は場所を決めると、来年からの起業を目指し、店舗用の家具を揃えることに。璃子は使っていない椅子や机を譲ってくれそうな人に片っ端から当たった。
問題はこの次である。僕はおじいちゃんの家まで赴き、将来本気でバリスタになりたいからと、練習のためにエスプレッソマシンを譲ってくれるように頼んだ。おじいちゃんが持っていたのは業務用だ。本来であれば、業務用のエスプレッソマシンは高級品で、買える気がしなかった。
無理な場合はペーパードリップやサイフォンでコーヒーを出すカフェにしようと思ったが、おじいちゃんはあっさり承諾してくれた。ペーパードリップもサイフォンもお年玉で買った物だ。毎年親戚が僕と璃子にお年玉をくれる。でもうちの親が親戚にあげるお年玉は比較的少ない額だし、うちの親は申し訳なさそうな顔をしていた。貧富の差はどうしようもないと思うよ。
おじいちゃんには家を整理したら持っていくことを伝えた。家とは言っても、引っ越し先の店舗だ。無論、このことはうちの家庭だけの秘密だ。親戚一同は僕が高校に行くものだと思っている。親戚の集会の時だけは話を合わせるようにしなければ。
店舗の家賃については、店が成功するか潰れるまでは親父が負担してくれることに。僕1人だけでは限界があると思ったのか、すぐに潰れると思ったのかは分からない。
季節は流れ、夏休みがやってくる――。
僕は親戚の集会に参加し、いとこからは学校での様子を聞かれた。
「いじめっ子がしんどすぎて辛かった」
困った顔で言うしかなかった。嘘は言っていない。
もちろん、みんなは僕が中学を追放されたことを知らない。そんなことがばれれば高校に行かないこともばれると思った。もしそれで300万円を返してくれなんて言われたら全てが水の泡だ。
せっかくのチャンスを逃す手はない。起業してからしばらくはバレないだろうと思い、切りの良い時に話そうと思った。将来への不安はなかったわけじゃない。失敗した時のリスクは覚悟していた。就職レールから外れることよりも、自分が自分でなくなる方がずっと怖かった。
親戚の集会がお開きとなり、商店街にある自宅へと帰宅する。商店街の中は日が沈んだ後、しばらくは多くの店にとって営業時間となる。しかし、それにしては店の数が少ないような気がした。
――あれっ、以前よりもシャッターが増えているような。
葉月商店街を久しぶりに見回すと、うちからそう遠くないお気に入りのラーメン屋までもが時代の波に飲まれて閉店している。休日は家族で食べに行くこともあったが、二度と行けないと思うと、余計に行きたい気持ちが込み上げてくる。これも時代の流れなのかと悟るしかなかった。
それは無理もないことだった。岐阜市は2005年から路面電車を廃止した。岐阜市内の交通量が大幅に下がってしまい、商店街へ来る人も大幅に減少した。客が少なくなれば、その分売り上げも下がるために店の倒産率も上がる。僕にとってこの商店街は庭のようなものだ。
目に見える形で衰退していくこの光景が、僕の心を一層虚しくさせる。
僕はそんなことを考えながら帰宅するのであった――。
夏が終わりに近づくと、飛騨野と美濃羽が遊びに来てくれた。
だが僕は日本人恐怖症の影響からか、彼女たちと目を合わせることができなかった。
比較的仲の良い相手とは話すくらいはできるが、やはり反射的に距離を置いてしまう。飛騨野は髪形が断髪式前の状態まで戻っていた。転校先ですぐに友達ができて、中学校生活を満喫していた。美濃羽は私立で居波とうまくやっているらしい。今は高校受験のため勉強中で、やっと休みが取れたらしい。居波も僕に会いたがっていたらしいが、受験で忙しいとのこと。
子供の時期ってそんなに長くないのに、何故みんなはその貴重な時期を受験に費やしてしまうのかが理解できないし、もっと楽しいことに没頭すればいいのに。勉強して良い学校に入っても、その後で食うのに困ってる人なんかいくらでもいるというのに、やはりみんな世間には逆らえないのだろう。
2人は僕の事情を全く知らない様子だった。恐らく粥川も噂を広めないように言われたのだろう。
「――梓君、全然目を合わせてくれないね」
「うん、なんか以前と変わった気がする」
「もうちょっとこっちに来たら? 今度は学校でどんなことをしたのかも聞きたいし」
「いや、いいんだ。僕はここで十分だから」
僕は部屋の隅っこにいるが、飛騨野も美濃羽も痺れを切らして僕に近づいて来る。
「来ないで」
「えー、いいじゃーん」
「そうだよ。あっ、そうだ。一緒に散歩しようよ」
「それいいねー。いい天気だし、ほら、梓君も一緒に――」
「来るなって言ってるだろっ!」
「「ひいっ!」」
恐怖のあまり、思いっきり叫んでしまう。
2人共ビビっていた。普段の僕はここまで大きな声は出さない。
「……済まない」
「梓君のことだから、何かあったんだよね」
「――ごめん、今はまだ話せない」
「無理しないでね。何があったかは知らないけど、私は梓君の味方だから」
「あっ、小夜子だけずるい。私だって梓君の味方だからねっ!」
「飛騨野も美濃羽も全然変わってないな」
相も変わらず僕の味方をしてくれる2人に、少し笑みが零れた。何だか少し気持ちに余裕が持てた。ずっと砂漠を歩いていたら、久しぶりにオアシスにありつけたような……そんな気分だ。
「あのさ、もう同じ学校じゃないんだし、名前で呼んでほしいな。私のことは小夜子って呼んでよ」
「私もそれずっと思ってた。私のことも美咲って呼んで」
ずっと名字で呼ばれることに抵抗があったようだ。
彼女たちを呼んだ時、少し硬い表情になってた訳が分かった。
「……じゃあ……小夜子」
呟くように呼ぶと、小夜子は顔が赤くなる。
「……美咲」
美咲も僕の呼びかけに反応すると同時に顔が赤くなる。
「恥ずかしいなら呼ばせなきゃいいのに」
「恥ずかしくなんかないよ。ずっとそう呼んでほしかったから」
もう学校で会うことはない。何も遠慮する必要はないんだ。
小夜子たちが個別に遊びに来た時も、高校に行くことを装っていた。
小夜子たちは安心していたが、本当に高校に行くことになっていたら悲惨だっただろう。うちの学校から僕が追放されたことが、もしかしたら噂好きな連中のせいでばれるかと思ってはいたが、ここまで全く噂が広まっていないということは、学校が生徒たちに口止めしたと見て間違いない。
散々嫌っていた事なかれ主義に救われることになるとは……何とも皮肉な話だ。
夏休みは遊びに来てくれたが、9月になると2学期が始まったのか全然来なくなった。僕はそれを見計らって引っ越しを始めた。親父に頼んで店舗用の家を僕名義で借りてもらい、店舗用の皿やコップは経費で賄い、引っ越し先まで僕の荷物だけを業者に運んでもらい、ついでにピアノも運んでもらった。
「私もついてく」
「えっ、別にいいけど、何で?」
「お兄ちゃん1人だけじゃ心配だもん。それに誰かさんのせいで、普段は家事と趣味以外はやること全然ないし、責任取ってよね」
「まるで弟扱いだな」
「学校を追い出された時も、お兄ちゃん1人だけだったでしょ?」
「そうだったな。分かった」
独り暮らしをするつもりでいたが、璃子が僕についてくることに。
9月を迎えると、僕と璃子の2人暮らしが始まった。
狭い家だし、自分の部屋なんてあるはずもなく、もしここで成功したら、自分用の部屋と璃子用に部屋がある広い家を借り、引っ越せたら御の字だと思っていた。
僕はどちらかと言えば賃貸派だ。いつでも手放せるのが最大のメリットだし、物を所有するのがあまり好きじゃなかった。必要な時に必要な物を借りられればそれでいいと思っていた。よく若者の車離れとか酒離れとか言われるが、個人的には至極当然だ。僕に言わせれば、車は金食い虫だ。持っているだけでお金が吸い上げられていくし、飲み会は時間もお金も取られる。
人を雇う立場になったら、飲み会は絶対にやらないと心に決めていた。どうしても飲み会がしたいっていうなら労働時間内に会社の経費でやるべきだ。それができない企業は問答無用でブラック認定だ。そんな配慮もないくせに、労働時間外に時間もお金も奪われて上司の愚痴を聞かされるのは、罰ゲーム以外の何物でもないだろう。車の免許もなく、飲み会に参加しない若者が増えるのは、当然としか言いようがない。企業に勤めたことはないが、親父から会社員時代の過去の栄光を聞かされる度に、会社という存在が段々と嫌になっていった。しかも自慢の内容が上司の叱責に耐えた話とか、部下のミスをカバーした話とかばっかりで、何故こうも我慢を自慢する連中ばかりなのか、理解に苦しむ。
こういった話を聞いている内に、会社=我慢大会と考えるようになっていった。
僕の会社嫌いの原因は他でもない親父である。昔は凄かったなんて言ってる暇があるなら、まず真っ先に今の自分を成長させるための行動をするべきだ。
人生は限られた時間なのだから。
無理にみんな仲良し教育につき合わせ続けた結果、
取り返しのつかないレベルの人間不信が生まれました。