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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第11章 飛翔編
275/500

275杯目「篩にかけられたバリスタたち」

 1月下旬、JCC(ジェイシーシー)前日――。


 僕、伊織、柚子、千尋はJCC(ジェイシーシー)に参加するべく、夕方から東京へと赴いた。


 リサ、ルイ、レオ、エマを臨時スタッフとして葉月珈琲に補充し、吉樹にマスター代理を任せ、大会中は6人体制で店を営むことに。リサたち4人も今年から導入されたユーティリティー社員に属しているため、どの店舗の臨時スタッフとして勤務することが可能である。


 ユーティリティー社員に属している者は、給料が通常の社員よりも高い代わりに、大会などで人員不足となった店舗に一時的に配属される役回りとなる。マルチな才能を持つ人、マルチな才能を開拓する目的で導入されたこの制度は好評だった。人員に余裕のある店舗や部署から派遣されるのが特徴だ。


 働いた日数分の『ユーティリティーポイント』が給料に加算される仕組みだ。


 本来、守備範囲の広い仕事をこなす人は高給であるべきなのだ。


 なのに日本の企業ときたら、マルチスキルの持ち主を便利屋としてしか見ておらず、色んな仕事をやらせておきながら給料も低い。日本ではマルチスキルの価値が過小評価されている。うちではそんな連中を高く評価したことで、結果的に多くのマルチスキルを持った社員がうちに転職してくれたのだ。


 例えばバリスタの仕事ができて、尚且つスイーツにも精通している人がいれば、璃子や優子の店に臨時スタッフとして配属させることもできる。今は1つの仕事だけで食っていく時代じゃない。マルチスキルを組み合わせ、複数の仕事をこなしていく時代なのだ。


 柚子は行く所があると言って、急いで僕らの一行から離れた。


 夜にホテル内のレストランで待ち合わせをすることに。


「東京に来るの、もう何回目かな」

「数えきれないでしょうね。大会に出るようになると、必然的に東京に来る機会が多くなりますね」

「東京で開催した方が設備を整えやすいし、人口的に集客も多いからな。僕としてはもっと色んな場所で開催してほしいところだけどな」

「無理無理。そういうのは利権も絡んでるし、わざわざ田舎で開催するメリットがないし、頻繁に東京に来るような人は、いっそ東京に住んだ方が便利かもね」

「その結果がこの有り様だ。みんな出世のチャンスを狙って引っ越してきたんだろうけど、結局ほとんどは満員電車に揺られながら消耗する毎日だ。ただ生活するだけなら田舎で十分だというのに、それが分からない人が多数派なのもどうかと思う」

「全くだよ。世の中馬鹿ばっかり」

「あず君と千尋君が賢すぎるだけですよ。千尋君は狡賢いと言った方がいいかもしれませんけど」

「狡賢さも才能の1つだよ」


 千尋が伊織の目を見ながらドヤ顔で言った。そんなことも分からないのと言わんばかりの目で。


 IQが高いと周りが馬鹿に見える。千尋も間違いなくこっち側だ。もしうちが大会を開催する側になった時は、色んなマイナー都道府県で開催してみたいものだ。


「お願いですから刺されないようにしてくださいよ。千尋君は無駄に挑発的なんですから」

「はいはい。でも葉月珈琲に来てからは本当に快適だよ。僕の言ってることがちゃんと分かる人ばっかりだし、常に新しい価値を生み出す場所としては、この上なく良い環境だよ。ここが僕の居場所だと思ってるし、いつかは僕の店も開いてみたいな。まずは葉月珈琲で修業を重ねて、最低でもあず君くらい名の知れたバリスタになるつもりだよ」


 ちゃんと自分の目標があって何よりだ。元々は起業家を作る目的で今の葉月珈琲を法人化させたのも大きい。最終的にうちから完全独立するも良し、うちの傘下で店を構えるも良しだ。


 うちではできないことでやりたいことがあったり自由になりたいなら完全独立でもいい。


 自分で全てを管理した上で食べていく自信がないならうちにいてもいい。才能を活かして目立つこともなく生活がしたいだけの人生を否定するつもりはない。悔いなく死ねるなら、それはそれで成功した人生だ。生まれてきたからには才能を活かさなければならない発想自体が生き辛さの根幹である。


「踏み台にする気満々ですね」

「会社だって社員のことを歯車みたいに使う気満々だし、社員だって会社を踏み台にするくらいのつもりでいかないと、使い捨てにされるよ」

「あず君はそんな酷いことしないです」

「葉月珈琲はそうだろうけど、他の企業じゃそうはいかないよ。多分、僕らは他の企業じゃ通用しない部類だよ。村瀬グループには育児休暇なんてないし、1人1人の才能を活かす土壌もない。うちがそんなことをする余裕があるのは、葉月梓というブランド一本で稼げてるからだよ。うまく稼げなくなった時に企業の本性が出る。僕はそれで真っ先に人を切り捨ててきた企業を嫌というほど見てきた」

「そんな言い方しなくても!」


 伊織が顔を顰めた。彼女は葉月珈琲の恩恵を受けた1人だ。


 会社を否定されると、まるで自分を否定されたように感じるほど、うちを愛してくれているのが手に取るように分かる。僕は嬉しいぞ。そんな社員を持ててな。


 力が入っている伊織の肩に手を置いた。


「伊織、千尋は何も間違ったことは言ってないぞ。作業のリモート化が進んだら、スタッフがいらなくなって、ワンオペで回すような店が出てくるかもしれないし、僕がいなくなっても会社が続くように、後継者となる次世代トップバリスタを育成する土壌を整えているわけだ」

「そうそう。第2第3のあず君を作ればいいの」

「そう簡単に代わりが見つかるような存在じゃないと思いますけど」

「代わりができなくても、みんなの中から1人でも、うちの看板となる人気者を輩出できれば勝ちだ。ここは必ずやり遂げてみせる。先駆者としての業を背負うことには慣れたし、後から続く人は僕みたいな目に遭わなくて済むだろ」

「あず君はどうして会社を長く続けたいんですか?」

「自分が生きた証を後世に遺したいのかもな。それにうちに入って飯を食える大人になれば、貧困を減らすこともできる。国はあいつらを助けてはくれない。だからせめて、あいつらに飯を食える大人の生き方ってやつを教えてやりたい」

「学校じゃ教えてくれないからだよね?」

「ああ。大人になったら自分で考えて生きていかないと貧困になる。でも学校は肝心なことに限って教えてくれない。尻拭いってわけじゃないけど、葉月珈琲での活動を通して、目を覚まさせてやりたい」


 皮肉を言いながら笑みを浮かべた。貧困問題は早めに解決しないとな。自主的に学ばないといけないのは分かってる。でもそれができないからといって、自己責任で済むほど世の中は単純じゃないのだ。


「ふーん、あず君は優しいね」

「社会は僕に苦痛を与えた。でも僕をここまで導いてくれたのも社会だ。だからそれなりのお礼はするってだけだ。世間を見返すという願いも叶ったからな」


 そんな話をしながら、JCC(ジェイシーシー)が行われる会場へと向かった――。


 JCC(ジェイシーシー)のルールは簡単だ。200人の参加者が1組ずつ順番に各部門を行い優勝を目指す。1回戦のエスプレッソ部門、2回戦のフリーポアラテアート部門、3回戦のドリップコーヒー部門、準決勝のカッピング部門、決勝のロースティング部門の合計5つの部門をこなしていく。


 但し、1回戦毎に規定上位人数が設けられ、規定上位人数に満たない者は全員その場で失格となってしまうのだ。1回戦で200人から100人に、2回戦で100人から50人に、3回戦で50人から25人に、準決勝で25人から5人に参加者が減っていく。加点方式でスコアが加算されていき、最後に生き残った5人の中で決勝終了時点の総合スコアが最も高い者が優勝となる。


 優勝すれば、5月に開催されるWCC(ダブリューシーシー)の出場権を得る。


 この大会の良いところは1日で終わるところだ。今までのバリスタ競技会にはないルールだが、脱落者がすぐに明確化するし、コンスタントに大会が進むのも、体力がない僕にとっては都合がいい。


 バリスタオリンピックを模しているだけあって、5つの部門が存在するが部門賞はない。1人しか世界に行けないのは他のバリスタ競技会と同じだ。以上のルールをスマホで確認し、僕らはホテルで夕食をとった。部屋は僕と千尋、柚子と伊織という組み合わせで2部屋となった。


 最も早く起きた者が他の人全員を起こすことを義務付け、1階のホテル内のレストランまで赴くと、ピースを集めるようにバイキング料理を取り、近くにある空席の椅子に腰かけた。


「ここの料理美味しいですね」

「ふーん、ホテルの飯にしては美味い方だね」

「千尋、もし君が優勝してWBC(ダブリュービーシー)WCC(ダブリューシーシー)の大会期間が被ることになったら最悪どっちかはリタイアして、準優勝者に日本代表の出場権を譲ることになる。当然知ってるだろうが」

「もしそうなったら、WBC(ダブリュービーシー)を優先するよ。僕はあず君に勝ちたくて出場したわけだし。優勝してもあず君が2位だったら譲ってあげるよ」

「千尋君は自身家だね」

「というより、自信過剰かもね」

「――柚子っ!」


 ふと、横を見てみれば、料理を取りに行ったはずの柚子がさっきから一緒にいたかのように席に着いている。ホラー映画の幽霊登場シーンくらいビビったぞマジで!


 ――思ったより戻るのが早かったな。


「そんなに驚くことないじゃん」

「いきなり音もなく隣にいたらビビるって」

「それより、何でそんな心配するわけ?」

「いつ抜かれてもおかしくないくらいの危機感があるからな。去年はバリスタのプロ契約制度が世間に広まったから、多分来年あたりから凄腕のバリスタが続々と現れて、物凄い勢いで僕らの席を奪いにくるだろうよ。今までのバリスタはマイナーな職業と見なされていた。才能があっても、なかなか世間が究めることを認めてくれなかった。でもそんな時代はもう終わる。来年には他のコーヒー会社もプロ契約制度を導入する動きだ。プロ契約が進めば確実に競争は激化する。うかうかしてる余裕なんてない。過去の栄光を自慢する暇があったら、君らも抜かれないよう練習することだな」


 これからのコーヒー業界の可能性を説いた。これには3人共真剣に耳を傾けている。今までは僕の身内だけで独占してきた優勝も、来年以降は過去のものとなるだろう。


 この大会にもプロ契約を結んだバリスタが数多く参加している。


 油断なんて微塵もねえ。僕はこういう血が沸騰するような戦いがずっとしたかったんだ。


 ――歴戦の猛者たちと、鎬を削る戦いがな。


 しばらくの間、僕は伊織たちと大会の話をしながら、食事を楽しむのだった。


 翌朝を迎え、僕らはJCC(ジェイシーシー)の会場へと急いだ。


 最終登録を済ませ、午前9時から開会式が始まった。


 1日で終わる競技は夕方には結果発表を終えなければならないため、開始時間が早いのだ。会場にいた人たちから応援のエールを貰い、全国から集まったバリスタたちに紛れると、そこで紐つきのエントリーカードを渡されて首から下げた。組み分けされると、僕は自分たちの番が来るまで待ち続けた。


 1回戦はエスプレッソ。シンプルだが、バリスタとしての実力差が表れる競技だ。


 この大会ではプレゼンの必要はない。問われるのは実技のみ。


 エスプレッソ1つとっても、品種、粉の分量、温度によって味が変わるのだ。使うコーヒー豆は一緒であるため、適切な粉の分量や温度を把握できるかどうかがポイントだ。タンピングもオートタンパーではなく手動で行われるため、ちゃんとタンピングができているかによってもフレーバーが変わる。


 僕の番がやってくると、会場から大きな拍手が送られた。


 200人のバリスタが1組10人ずつ10台のエスプレッソマシンの前に立ち、5分以内にエスプレッソを4杯抽出する。制限時間を過ぎれば失格である。競技開始と同時にパック詰めされたコーヒー豆の形、大きさ、フレグランスなどを確認し、そこからおおよその品種を当て、山を張った品種に最も合った温度に設定すると、グラインダーで粉々にしてから粉の分量を調整する。


 ――これはコスタリカ産ブルボン種のコーヒーだな。


 爽やかなハーブのような香りがする。


 だったら少し温度を上げて分量を20グラムにして抽出するのが1番だろう。フレグランスからコーヒーの声を聞きとり、仰せのままにエスプレッソを抽出する。今のエスプレッソマシンは温度も自由に変えられるし、グラインダーも分量を調節しやすい。本当に僕でなくてもできてしまうくらい簡単だ。全員がエスプレッソを淹れ終えた人から、順番に色の違うカップが次々とセンサリージャッジの元に送られた。一度に多くのテイスティングを行うためか、センサリージャッジの数がかなり多かった。


 控え室の椅子に座っていると、疲れた様子の柚子が僕の隣に腰かけた。


「ふぅ、やっと終わった」

「ご苦労さん。吉樹は参加しないんだな」

「今年のJCRC(ジェイクロック)に専念するためなんだって。でもあそこまで本気になるなんてホントに不思議。以前は何事も中途半端だった吉樹が、コーヒーの焙煎にあんなに夢中になるなんて思ってもみなかったなー。誰かさんのお陰かもね」

「楠木家はどっちが先に世界大会を制覇するんだろうな」

「何言ってんの。リサたちだってバリスタ競技会に参加するようになったんだから、ライバルは吉樹だけじゃないよ。大輔も優太も以前からバリスタ競技会に参加してるみたいだし」

「身内がみんなライバルか。結婚相手もバリスタかその関係者だし、影響されるのは当然かもな。でも参加する大会が綺麗に別れたな」

「そりゃそうだよ。みんな得意分野が全然違うんだから。それを考えると、色んな道で成功してるあず君はバリスタ競技会がうまいとかゲームがうまいとかじゃなくて、努力自体がうまいのかもね」

「僕とあいつらの違いは、才能の差でもなければ努力の差でもない。失敗しても何かしら得るものはあるんだからさ、失敗を恐れる必要なんてないんだ。失敗を恐れずに行動したかしてないかの差だ」

「ふふっ、あず君らしい見解だね。昔と全然変わらない」

「まあな。変わったところもあるけど……」


 かつての僕以外の身内はみんな学歴とレールに縛られていた。


 僕には自分を守ってくれるものがなかったからこそ、我武者羅に生きてこられたのかもしれない。


 みんなと同じ人間になってしまえば、足元を見られて失敗を恐れる人間になってしまう。そんな人間にだけは絶対になりたくなかった。何も持っていなくても生きていける人間になりたかった。でもずっと生き抜いてきただけあって、何も持ってなくても生きていけることを知ることができたし、だからこそ失敗を恐れることがなくなった。いや、恐れを支配できるようになったと言った方が適切だろうか。


 僕らは無事に2回戦へと進出した。ここで200人から100人に絞られた。


 控え室から参加者の半数が荷物をまとめて出て行ってしまった。1人で早々に立ち去る者、生き残った身内に希望を託す者、ここにいる参加者の1人1人にも、それぞれのドラマがあるのだ。


 順位とスコアは最終結果発表までは公開されないが、途中で脱落していった者たちについては最終順位とスコアを領収書感覚で受け取ることができる。これは他の大会と同じだ。所謂順位証明書というものである。プロ契約を結んだ者たちにとっては重要なものとなるだろう。


 そんなことを考えていると、伊織と千尋が話しながら近づいてくる。


「2回戦のフリーポアラテアート部門は、5分以内に4杯のカップに2種類のラテアートをフリーポアで描いて、その場に置いておけばいいそうです。これもさっきのエスプレッソマシンを使って、10人1組で行われるみたいですけど、プレゼンがいらない分制限時間が短いですね」

「ラテアートかぁ~。僕苦手なんだよなぁ~」

「千尋君、葉月珈琲のバリスタは苦手分野を持っちゃいけないんだよ」

「そうは言ってもさー、WBC(ダブリュービーシー)の準備であんまりできなかったし、ラテアートはミルクビバレッジでおまけ程度にやるくらいだし、無理にラテアートを作る必要もないんだよねー」

「だったらここで落ちろ。僕にはどうしても勝たないといけない理由がある。ライバルがいなくなってくれるんなら、これほど楽なことはない」

「あず君、そういう言い方はないと思うよ」

「いいんだ。中途半端な奴はいらない。それじゃ続かない」


 だが千尋がここで落ちることはなかった。


 2回戦も無事に突破し、ここで100人から50人にまで絞られた。


 流石に見ない顔は見なくなった。奇しくもプロ契約を結んだバリスタばかりが生き残った。


 この大会自体がバリスタフィルターであり、参加した全てのバリスタが篩にかけられ、実力不足のバリスタが粗として取り除かれてしまうのだ。この厳しい競争を勝ち残るには、かなりの鍛錬が必要であることをみんな学習していると、控え室を去っていく者たちを見ながら思った。


 松野、根本、沙織の3人が歩み寄ってくる。


「おっ、お前らも生き残ってたか」

「お久しぶりです。松野さんも参加してたんですね」

「ああ。今年から穂岐山珈琲でプロ契約を結んだ連中のマネージャーを務めることになったから実力を示すために大会に復帰した。やっぱ現役じゃないと、現役の気持ちなんて全然分からねえからな。今後もお前らと当たることになるかもな」

「またあず君にやられに来たの?」

「ぐさっ! ハッキリ言うなよ! 俺がマネージャーを満足にやるには全然実績が足りないって思ったんだよ。だから負けるつもりはねえ」


 松野の目は真剣そのものだ。熱意に訴えかけるように参加の抱負を語っている。


 かつて松野が大会に参加していた時期は、僕も各大会に参加している時期だった。


 僕が順調に優勝を重ねていく中で、彼は焦りを感じながらも参加し続けたが、バリスタオリンピック選考会での優勝を最後に、大会では振るわなくなってしまった。しかもこの優勝でさえ、僕が出ていれば負けていたと周囲から言われ続けた。故にずっと荒れていた時期もあった。


 あの不正によって人生を狂わされたのは、僕だけではなかったのだ。


「でも松野さんって、5年も参加してないよね?」


 千尋が僕の代わりに聞いてくれた。やっぱそこは気になるよな。


「ああ。でも基本なら覚えてるぞ。松野珈琲塾はカフェにもなってる。実戦訓練にも丁度良い場所だ」


 言い訳をするように松野が言った。だが言い訳はそれ以上の意味を持たない。営業と大会は別物だ。大会特有の雰囲気に加え、営業以上にミスが許されない状況で生き残りを懸けた戦いを勝ち抜く重圧に耐えられるだけの慣れが必要だ。ブランクはあるが、それでも生き残っているあたり、流石は松野だ。


「あっ、そうだ。3回戦は昼休みの後だからさ、これから一緒に飯行かねえか?」

「そうですね。じゃあ皆さんで行きましょうか」

「この近くだと、韓国料理とか中国料理が多いから、そこで店でも探すか」

「行きたきゃ勝手にどうぞ」

「僕もここにいる」


 千尋が僕に続くように口を揃えて断った。


 伊織は必ず僕についてくるため、この時点で伊織も参加しないことになる。


「お前らアジア料理は苦手か?」

「あのなー、こちとら準決勝でカッピング部門があるんだぞ」

「それがどうかしたんですか?」


 行く気満々な沙織もだが、何の躊躇いもなく聞いてきた根本にも呆れた。


 こいつらにはプロとしての意識が欠けている。


「カッピングは味覚の格闘技だぞ。もしコーヒーの味が分からなくなったらアウトだ。味覚が必要な大会の前は味の濃い刺激物を食べないようにしてる」

「だから昨日も味の濃い料理は避けてたんですね」

「――やっぱり葉月珈琲の人たちは、僕らと全然違いますね」

「エントリーしようと思った瞬間から結果発表が終わるまでが大会だ。それを肝に銘じておけ。僕は会場でコーヒーブレイクしてくる」


 忠告の言葉を残し、僕らは会場のフードコートへと去っていった。


 松野たちは意識レベルの差を思い知らされたような顔で、この場に佇んでいた。

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