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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第11章 飛翔編
266/500

266杯目「育児休暇」

 翌日、今年度の大会が全て終わった僕らは、いつもの日常へと戻っていった。


 昨日の祝勝会は観光客を巻き込んで大いに盛り上がった。これから別々の人生を歩んでいく者たちにとっても、かなりの刺激になっただろう。


 だが僕は1月からの大会に向け、また練習をしなければならなくなった。


 かと思いきや、作業は全て基本的なものであるため、業務の中で練習が可能であることがすぐに分かってしまった。これはWCC(ダブリューシーシー)の利点かもしれない。


「じゃあ練習はしないんですか?」

「全部業務の中でできる範囲内だし、今までやってきたことを今まで通りこなせばいい。今回はシグネチャーとかもないし、1日で終わる大会だから気楽だ」

「私や千尋君だけじゃなく、他の葉月珈琲勢も参加するみたいですよ」

「他に焙煎できる人っていたっけ?」

「あず君は知らないかもしれませんけど、皆さんはかなり前に、あず君のお父さんからロースターの基本を教わっていたんですよ」

「親父の奴、また勝手なことを……」

「勝手に動くところは、あず君にそっくりですね」

「いや、多分おじいちゃんから続いてる」


 こういうところは、先祖代々変わらんかもしれんな。


「伊織、来年の大会が終わったら、育休取るわ」

WCC(ダブリューシーシー)が終わるまでですか?」

JCC(ジェイシーシー)で勝てたらそうなるけど、そこで負けたら育休だ」

「なら当分は唯さんに負担がかかりそうですね」


 伊織がクスッと笑いながら言うと、モニターにエスプレッソの文字が表示されたのを確認して業務へと戻っていった。いつものようにエスプレッソを淹れると、それを客席へと持っていった。


 タブレットに番号を振ることで、どの席からの注文であるのかがすぐに分かるし、いちいち注文確認をする必要もない。実に効率的ではあるが、技術が進めばスタッフはいらなくなり、やがてワンオペだけで十分になってしまうのだろうか。まっ、その時はその時だ。それに一緒に働きたい相手がいれば、一緒に働いてもいいわけだし、無理をする必要はない。この頃ずっと未来を予測することばかりを考えている。つまり暇になったということだ。来年に新たな大会が開催されることは、今の僕にとっては良い薬かもしれない。大会に生きるのはいいが、そろそろ出たことのある世界大会が尽きそうだ。


 バリスタ競技会の効果もあり、観光客は尽きなかったが、僕は休みを取った。他にバリスタ競技会がないかパソコンで調べてみた。バリスタの世界大会自体はマイナー競技会を含めれば数多くある。主に僕の影響なのか、数年ほど前から様々なバリスタ競技会が世界各地で開催されている。


 ――こんなにあるのか。なら当分は困らないかもな。


「何を調べてるんですか?」


 自室に引き籠り、ゲーマー御用達の背が高い椅子に座っていた時だった。


 唯が後ろから不意に現れ、可愛らしく胸を押しつけながら話しかけてくる。


「うわっ! ――ビックリしたぁ~!」


 まるで敵襲のようにビビると、また腹が大きくなった唯の姿があった。豊満な胸が露骨に分かる軽装で僕の膝に後ろ向きで座ってくると共にサラサラとした茶髪の香りが僕の鼻を吹き抜けるように漂ってくる。髪は以前よりも長くなり、腰にまで伸びていた。この頃美容室に行ってないからなー。


 あっ、そうだ。今度明日香の美容室に行ってみるか。


 千尋にまだ空いてるか聞いてみよう。


「そんなに驚くことないじゃないですかぁ~」


 冷静な呆れ顔に顔を近づけ、油断しきっている唯とキスを交わした。


「子供たちは?」

「もう寝てます」

「この前より重いな」

「2人分ですから。もしかして、バリスタ競技会を調べていたんですか?」

「うん。当分は大会に困りそうにない」

「大会もいいですけど、あず君も育児に参加してくれませんか? このままだと、子供たちから父親じゃなくて、同居人として認識されますよ」

「あぁ~、有名人とかが出張続きで家に帰れなくて、生で見た回数よりも、テレビで見た回数の方が多くなって、他人みたいに見えちゃうやつだろ。来年からはさ、大会が終わったら、育児にも参加しようと思ってる。だからさ、安心してくれ」

WCC(ダブリューシーシー)が5月に終わりますから、あと半年待たないといけませんね」

「何で僕が世界に行く前提なんだよ?」

「今のところ、勝率100%ですから」


 唯が嬉しいのか嬉しくないのか分からない声で言った。後頭部が至近距離にあるし、表情まで分からないけど、唯は国内には僕に勝てる人がいないと本気で信じている。実績故の信頼だろうか。


「今だけかもしれねえぞ。もしかしたら、僕を上回るバリスタが出てくるかもな」

「あず君はそうなった時の悔しさに耐えられるんですか?」

「そりゃ畜生って思うことはあるだろうよ。でもやっと出てきてくれたかって思うだろうな。僕は勝つために全力を尽くす。それだけだ」

「あず君の全力は、大気圏すら突破して、宇宙レベルですからね」

「みんな本当は飛べるはずなのに、大気圏に突入する方法すら知らない。確かに情報の差と経験の差が露骨に出てるって思う時はある。僕はみんなが将来役に立たない勉強をさせられている間――」

「ずっとコーヒーの研究をしていたんですよね。もう何度も聞きました。耳に胼胝ができそうです」

「今日は辛辣だな。なんか嫌なことでもあったか?」

「特に何も。ただ……子供たちが色んなことに興味を持って、すぐに触ったり口に入れようとしたりするんで、目が離せなくて疲れちゃったんですよ」

「そうかそうか。今日もお疲れさん」


 労いながら肩を揉み、ついでに肩の下へと手を回し、後ろから唯のダブルメロンを鷲掴みにした。


「あっ、あず君……そこは全然凝ってないんですけど」


 唯が恥ずかしそうに赤面しながら言った。この柔らかい感触、やっぱやめられない。


 ちょっと変な気分になりつつ、指が溶けるような感触を楽しみながら会話を続けた。唯は体をビクビクさせながら若干興奮気味だが、最終的には落ち着きを取り戻し、スキンシップを受け入れた。


 唯は自らの腹を擦りながら、安静に冷静にと、まだ見ぬ子供に言い聞かせているようだった。


「あっ、そうだ。今から子供たちを連れて散歩しに行くか?」

「いいんですか?」

「うん、いいぞ。今日は育休するって言ってある」

「近くなら全然大丈夫ですよ」

「この頃全然構ってやれてなかったし、子供たちに外の世界を教えたいと思ってた」

「分かりました。ところでホームスクーリングって、何をやるんですか?」

「学習は家でスマホのアプリを使ってやればいい。子供の学習能力だったら、一度興味を持てば、すぐに覚えられるだろうし、後は興味を持ったスポーツのクラブチームに入れるくらいかな。何をやっても駄目なら、一生引き籠りでもいい。今はそういう時代だ」


 集団生活に慣れさせるんじゃない。集団生活に向いているかどうかを確かめるのが目的だ。これに向いてるかどうかは9年も学校に通わせなくても分かる。人と出会う手段なんていくらでもあるし、子供が大人になる頃には、現場仕事以外の仕事はリモートワークになっている可能性が高い。


「あず君が言うと説得力ありますね。でもみんながあず君みたいにはならないんじゃないですか?」

「なるわけねえだろ。クローンじゃないんだから。でも全ての人間には、必ず何かしら才能がある」

「才能に気づかない人と、埋めてしまう人がいるだけ。あず君はそう言ってましたね」

「僕が子供を学校に行かせたくない話をした時、ファンの中には反対する連中もいた。でも通学している奴らの10倍、いや、100倍は稼げる人間にしてやれば、あいつらも黙るだろうよ」

「子供たちが実績を出すまでの辛抱ですか」

「本当は実績なんていらないんだけどな。何の取り柄もなくったっていいし、無事に生きているだけでもいいし……でも何らかの取り柄か実績でもないと、生き辛い世の中だ。だったら才能を埋もれさせないように最善の選択をするだけだ。僕らの決断が正しかったかどうかは今の人じゃなく、後世の人に評価してもらえばいい。未来人にとっちゃ、過去の出来事なんて結果が全てだからな」

「実にあず君らしい判断ですね」

「もし間違っていたなら、その時は責任を取って一生分の年金でも払って、後は好きにさせる」

「せめて自分の力で生きていけるようにしたいですね」


 唯がやや上を向き、何かを考えているような仕草を見せた。これは地動説と天動説の戦いだ。正当性を証明しながらも、少数派であるが故に叩かれる人は過去にも大勢いた。少数派とは挑戦者だ。


 こればかりは長い目で後世に評価してもらうしかない。1番上の子は来年で5歳になる。あと15年も経てば立派な女性だ。その時になってやりたいことの1つも言えないようでは子育て失敗と見なされてもしょうがないと思っている。生まれてから20年までが勝負だ。20歳(はたち)を迎えた時の人間力の質でその後の人生がほとんど決まるという僕の自論が正しければ、子育ては絶対に手を抜いちゃいけない。三つ子の魂百までとは言ったものだが、まさにその通りである。


「きっとできる。要は通学しなくても、通学してる連中より、世の中に対して通用する人間になれば誰も文句は言わないはずだ。大学まで行ったはいいが、内定1つ取れないようなポンコツにしてしまった時点で教育失敗だと思ってる。Fラン大学の連中が全てを物語っていた」

「教育の犠牲者ですか?」

「あいつらは良いお手本だ。子供たちをあいつらの二の舞にだけはしたくない」

「通学させた世界線の子供たちですか?」

「ああ。あそこまで生命力が落ちたら、もうお手上げだ」


 飯を食えないを過去のものにするには、あまりにも時間がかかりすぎる。せめて子供たちには力強く今の時代を生き抜き、後世の者たちが見習いたくなるようなお手本になってほしい。願望を子供に押しつけるのが野暮だってことくらい分かってる。だが今の内から脱学校をしなければ、また悪魔の洗脳の餌食になるのがオチだ。脱サラをする奴がいるんだったら、脱学校をする奴がいたっていいだろう。


 これはパンドラの箱だ。最初は試練が待っているだろうが、最後には希望が残るはず。


 午後5時、暗くならない内に僕は唯と子供たちと外に出た。


 店は璃子たちに任せている。来年からは伊織がマスター代理だ。4人用の少し大きめのベビーカーに3人の子供を乗せた。子供たちは見るもの全てに興味を持ち、笑いながら燥いでいる。我ながら自分の子供の頃のような好奇心の塊だ。この状態を維持しながら大人にしていくことが何より大切だ。


 公園まで連れていくと、しばらくは子供たちが追い駆けっこを楽しんでいる。


 遊具の数が少なくなっているのが気掛かりだが、大人の事情ってやつだな。


「あっ、あず君」

「えっ、あず君いるの?」


 たまたま吉樹と美羽が公園まで遊びに来ていた。僕らに気づくと子供たちの方を見ながらもすぐに近寄ってくる。僕の子供たちは吉樹の子供ともすぐ仲良しになっている。みんな仲良し教育なんかしなくったって、一部の人と仲良くするくらいできる。そのことを子供たちから逆に教わった気分だ。


「おっ、久しぶり」

「昨日会ったばっかじゃん」

「今日はどうしたんですか?」

「あたしたち、子供を幼稚園から連れて帰る途中だったの」

「あっ、そうなんですね。私たちは散歩で来たんです」

「へぇ~。ねえあず君、子供を幼稚園に入れなくてもいいの?」


 吉樹が遠回しに同調を求めるように言ってくる。


 誰が行かせるかよあんなとこ。こちとら好奇心を育てたいんでね。


「幼稚園も保育園も、社畜養成所の初歩の初歩、言わばルーキーリーグだ」

「ルーキーリーグ?」

「メジャーに上がったらどうなるの?」

「世の中の仕組みに一切の疑問を持たない社畜の完成だ。この前言っただろ」

「そんな大袈裟な」

「大袈裟なもんか。子供が社畜に向いているかどうかを試す場所だ。社畜に向いた子供ほど進学する」


 もはや通学させている時点で、貧乏になることが決まっていると言っていい。


 会社は段々と少数精鋭になってくるし、学歴の価値も下がってくる。起業することすら当たり前になっているだろう。そんな時代に就職して、上司にペコペコと頭を下げることしか能がない社畜を育てたところで、時代と全く噛み合わない人間になっていることは言うまでもない。


 ただ従うだけの人間はロボットやAIに淘汰される。


 古い体質の人間が時代の変化に対応できずに貧困化することは、氷河期世代の連中が証明済みだ。


「幼稚園で色んな人にあず君の話をしたんだけどね。保育士の先生たちが言うには、やっぱり子供は学校に行かせた方がいいみたいだよ。常識の違いで困るだろうし」

「そいつらのポジトークだ。通う子供が多いほど儲かるからな。教師や保育士が口を揃えて学校や集団生活が大事だって言うのは、情弱の家庭からお金を毟り取るためであって、子供たちの将来なんて微塵も考えてない。同窓会で僕の元同級生が人生相談をした時、元担任教師は他人事の反応だ」

「子供たちの将来を考えるような人だったら、そういう反応はしなかったってことですか?」

「その通り。卒業したら赤の他人。その後どうなろうと知ったこっちゃない。それが教育者の本音だ」


 ――吉樹の子供たちは良い比較対象になるだろう。


 恐らく大学まで通わされる。身内相手にこんなことを思いたくはないが、僕の忠告の意味を知った時の反応が楽しみだ。僕と璃子以外の親戚はいずれも高卒以上だが、収入は僕らよりもずっと下だ。


 不登校ならそれでいいってもんじゃないが、僕と璃子がここまでやってこれたのは、やりたいことに没頭できた結果である。いずれみんな思い知るだろう。学校に苦行をしに行っている暇はなかったと。


「ねえあず君、あんたは子供を通学させないことで何を証明したいの?」

「美羽、僕らの祖先は子供たちが好きだと思うか?」

「それどういう意味?」

「いつか僕らが祖先の元へ行くことになった時、祖先たちから何故子供たちを飯を食える大人に育てられなかったのかと聞かれて、時代に合わない教育を押しつけてしまったからだと答えたら、答えとして十分とはとても言えんだろ!」

「「「「「……」」」」」


 立ち上がって美羽に詰め寄り、柄にもなく怒鳴りつけるようにそう言うと、周囲が氷のように固まってしまった。吉樹たちだけじゃなく、子供たちに通行人までもが。


 つい感情的になっちまった。いかんなぁ~。これじゃ駄目だ。


 一緒になったのが唯じゃなかったら毎日のように喧嘩だ。それでやっていけるはずがない。


 他人の子供はともかくとして、自分の子供にだけは良い人生を送ってほしい。それはどこの家の親だろうと同じはずだ。駄目になりたくてなった奴はいない。


「――あず君が学校でボコボコにされたのは知ってる。でも悪い人ばかりじゃないよ」

「そういう問題じゃない。あいつらが作っているのは従順な労働者だ。でもこれからは従順性だけが取り柄で就職する以外の発想を持たない労働者は居場所がなくなっていくぞ。吉樹も、柚子も、大輔も、優太も、リサたちも、あの悪魔の洗脳を受けた結果どうなった? 結局大人になっても、やりたいこと1つまともに言えない人間になっちまったじゃねえか。就職に頼る以外の生き方すら選べない。僕がいなかったら、どうなってたんだろうな」

「うぅ……面目ない」

「あず君は通学しても個性を摘まれるどころか、むしろ尖っていったじゃん。それに通学したくらいで潰れるような個性なんて、最初っからなかったのと一緒だと思うけど」

「それは芽が出る前に、個性も才能も地面の奥深くに埋められてしまったからだ。埋まっている状態のままだから、誰も功罪に気づかないし、自分たちが埋めたという自覚すらないままニートにでもなったら、自己責任の一点張りだ。かつての伊織も、僕が掘り返さなかったらどうなっていたか。もし本気でそれを言い切るんだったら、今後日本から天才が現れた時、君にそいつを称賛する資格はないぞ」

「……どうして?」

「個性や才能を潰す教育に事実上加担してきた連中に称賛なんかされたって、事情を知っている相手からすれば、手の平がドリルでできた悪党だ。お前が言うなと言い返されても何ら不思議じゃない。今夜寝る前にちゃんとこのことを考えておくんだな」


 皮肉を言い残し、公園から立ち去った。


「待ってくださいよ~」


 唯が慌てて子供たちをベビーカーに乗せて追いかけてくる。


 公園からかなり離れたところで、ベビーカーを押している唯が僕に追いついた。妊婦ということもあってかなりバテていた。こりゃ相当な負担がかかっているな。


「はぁはぁ……もう、どうしちゃったんですか?」

「なあ唯、才能を摘まれるのは自己責任か?」

「私はそうは思いませんけど、美羽さんはきっと……通学は才能が世に出るに値するかが試される試練だって言いたかったんだと思います。それにあんな言い方ないと思います。あず君の才能だって、美羽さんが手伝ってくれたから花開いたんじゃないんですか?」

「……」


 何も言い返せなかった。僕は頭の螺子が1本足りないのかもしれない。あいつらとは違う意味で。


 足りないから奴隷に相応しくないと捨てられた。捨てられて縛るものがなくなったからこぞ、自力で立ち上がれたのだとしたら……無駄な経験なんてないのかもしれない。


 ただ認めたくなかった。僕を散々否定してきた存在を、僕とは対極の位置にいる連中の野次を、僕から全てを奪おうとした社会を。いつの時代もノアの方舟に乗ってくれる人は少ないらしい。何も言わないまま、道のど真ん中に佇んでいると、唯がそっと卵を掴むように、僕の背中を優しく抱擁する。僕にはとても温かく感じた。僕がずっと子供でいる中、唯はただ1人、良妻賢母となっていたのだ。


「あず君の決断が正しかったかどうかは、後世の人に評価してもらえばいいんですよ。さっきそう言ってたじゃないですか。今は自分の信じた道を進めばいいんです。私も、全力であず君の背中を押しますから、あず君はもっと堂々としてください」

「唯――」


 唯のしなやかで光るように綺麗な白い手を握った。


「あず君は人間が学歴や就職に頼らなくても、生きていけることを証明したいんですよね?」

「うん。もしこれが証明できなかったら、現代人が近代までの人より、生命力で劣っていることが証明されちまうだけなんだけどな。別に何も持たなくても生きていけるのに」

「不思議なものですね。つい最近まで、トラウマからお店にも入れたくなかった人たちの将来を心配するようになるなんて。変わりましたね」

「この状況を放置し続けたら、飯を食えない大人たちの中から無敵の人が現れて、僕らに牙を剥くかもしれない。それが怖いだけ。失うものが何もない人の気持ちが理解できるからこそ、教育に投資しているわけだ。あいつらは親と学校が飯を食えない大人を量産していることに気づいちゃいない」

「あの貧困生活も、無駄ではなかったんですね」

「……そうかもな」


 唯が安心した笑みを浮かべながら言葉を告げると、僕も唯に応えるように笑顔で返した。


 空は黒い雲で埋まっていき、雨がポツポツと降り始めると、鼻先に水滴が落ちた。冷たさを確認した僕は、手の平を上に向け、ゆっくりと空を見上げた。


 僕らはベビーカーを押しながら、急いで帰宅するのだった。

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