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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第10章 バリスタコーチ編
252/500

252杯目「準備期間」

 バリスタオリンピック4日前、ようやく参加者全員が足並みを揃えた。


 それぞれが念願のバリスタオリンピックチャンピオンの座を狙うべく、調整に入ったところだった。


 真理愛、ディアナ、アリスの3人はスペースに余裕のあるオープンキッチンで味の確認をしているところだ。長丁場で日本製の『牛乳』を使うことは難しいため、現地の牛乳で調整を重ねることとなる。


 ヨーロッパの牛乳は日本製より脂肪分が多く、アイリッシュコーヒーなどに使われる生クリームに適しているが、ラテアートが困難になる。素直さがなく粘性が強いため、念入りに温める必要がある。


「真理愛、ラテアートは描けそうか?」

「何とか絵は描けるようになりましたけど、コントラストがまだまだですね。やはりここの牛乳は粘性が強いので、ラテアートが難しいです」

「前回あず君が参加してた時は、日本の牛乳を使ってたんですよね?」

「外国での開催だったら、穂岐山珈琲に頼んで、高い金を払ってでも運ばせたと思うけど、それはそれで貴重品になるから、本番以外はなかなか使いにくいんだよなー」


 前回大会が東京開催で本当に良かった。


 何だかんだ言っても、慣れ親しんだ場所でのホームゲームは有利だ。


 僕は運が良かった。やっと参加できると思ったあのタイミングで行われたんだ。もうあんな奇跡は二度と起きないかもな。あれだけで一生分の運を使い果たした感がある。


「オーストリア代表にとっては優勝のチャンスですね」

「何言ってんだ。近隣諸国にとっても有利な条件だぞ」

「そうなんですか?」

「ヨーロッパはEUに加盟している国であれば国境を無視して通れるので、オーストリアの隣国にとっては隣の都道府県に遊びに行く感覚なんです。あず君が岐阜から東京まで行くような感覚で、フランスやイタリアからも代表が集まってくるんです」

「つまり、オーストリアと近隣諸国にとってはヨーロッパでのホームゲームなんですね」

「そゆこと。移動の負担も他の地域より軽いだろうし」

「だから早めに来て現地に慣れておく必要があったんですね」


 伊織は世界大会というものを熟知しつつあった。早い内からトップバリスタに囲まれ、それに刺激されてか、自身も大会の雰囲気やルールに対して息を吸うように順応している。


 それにしても、一度もテイスティングをしていないのに、あれほど美味いアイリッシュコーヒーを淹れられるとは、やはり彼女は味を描く才能に溢れている。早めに学校から解放して正解だった。千尋は真理愛たちのサポートをしながらもシグネチャーを学んでいる。


「伊織、アイリッシュコーヒーを飲んでみるか?」

「えっ、いいんですか?」

「ここはウィーンだから、18歳から酒が飲める」

「じゃあ僕も飲もうかな」


 千尋が言いながら、真理愛の淹れたアイリッシュコーヒーに手を伸ばした。


 伊織も釣られるようにアイリッシュコーヒーを口に含み、口の周りには生クリームがべったりとついていた。すぐに生クリームを舐める仕草も可愛い。


「美味いか?」

「はぁ~い。美味しいでぇ~す」


 いつもの伊織らしからぬハイテンションな受け答えだ。


 伊織の顔は少しばかり赤く染まっており、この反応を見て、彼女が下戸だとすぐに分かった。


 僕ぐらい年を取れば多少は体が慣れてくると思うが、これは成人してもコーヒーカクテルに限っては味見をカッピングに留めた方が良さそうだ。


「あずく~ん、だぁ~い好きっ!」


 抱きつき魔に豹変した伊織が僕の胸に横顔を押しつけ、腰回りをベルトのように彼女の両腕が強く巻きつき、なかなか離れようとしない。


 ――かっ、可愛い。思わず抱き返してしまった。


 酒は人の本性が出ると言うが、本当の伊織はとても人懐っこくて、甘えたがりなんだな。


 さっきから柔らかい頬を僕の胸にすりすりと押しつけてくる伊織。


「あず君、しばらく3階で休ませておいた方が良くない?」

「そうだな。ちょっと寝かせてくる」


 抱きついたままの伊織を2階の部屋まで運び、ベッドに横たわらせた。19歳とはいえ、見た目がまだ10歳くらいであることもあり、何だか危ないことをしている感じがする。後で伊織が飲んだアイリッシュコーヒーのカップを見てみれば、1杯分の量を全部飲み干してしまっていたのだ。


 下戸があれだけ飲んだら、そりゃ酔うに決まってるだろ。千尋は伊織とは対照的に、何杯飲んでも一向に酔わない。流石は酒造グループの御曹司だ。多分何代も前から酒には滅法強いんだろうな。


「この中だと、真理愛さんのアイリッシュコーヒーが1番美味しいかな」

「やっぱ経験者は違うな」

「元々は私の国発祥のコーヒーカクテルだし、ちょっと複雑かな」


 ディアナもアリスも、真理愛のアイリッシュコーヒーの実力を素直に評価する。


 真理愛はコーヒーカクテルに愛されてるな。


 かれこれ10年以上もコーヒーカクテラーとしてのキャリアを積んでいるわけだし、これだけなら誰にも負けていない。完全なる十八番だ。真理愛の代名詞と言っても過言ではない。千尋も千尋だ。10代の内からこんなに適切な評価ができるあたり、バリスタだけじゃなく、ジャッジにも向いているな。


「あず君、一度私の競技を見てくれないか?」

「うん、いいよ」


 ディアナが自信満々に懇願し、僕は二つ返事で快諾する。


 彼女が準備をしている間、僕はカウンター席から店内を見渡した。


 鈴鹿とオットーの家でもある建物の表の看板には、『カフェ・ユートピア』と書かれている。


 このライブハウスもまた、文字通りカフェに通う町の常連たちの理想郷と言っていい。


 元々はただのカフェだったらしいが、鈴鹿がここで演奏をするようになってからは、多くのミュージシャンやロックバンドが度々集まってくる憩いの場所となり、水道の蛇口から落下する水滴の音さえ聞こえていたカフェが一転してライブハウスへと生まれ変わった。


 音楽の都ウィーンでは、音楽が生活の一部となっている。


 多くの著名な作曲家が活躍したことでも知られており、予てから音楽好きの鈴鹿とは相性抜群の場所と言っていい。翼を得た鳥は……ようやく巣を見つけたようだ。


「じゃあ今から1時間で10種類のコーヒーを淹れるね」


 ディアナが所々に説明を淹れながらコーヒーを提供する。


 マリアージュ部門で使われる予定のフードとスイーツは、この日の昼食とおやつにもなった。10種類のコーヒーは僕がテイスティングした後、千尋たちも飲んでいる。当日のセンサリージャッジは大変だろう。交代しながらバリスタたちのコーヒーを1人あたり5杯は飲むことになる。


 それもあって1杯あたりの量自体は少なめである。飲む量は一口程度で多くはないが、塵も積もれば山となるように、何杯も飲んでいれば、腹がタプタプになってくる。


 余程のコーヒー好きでなければ、まず耐えられないだろう。


「あず君、どうかな?」

「どうって言われても、どれも卒なくこなしてるって感じ」

「欠点らしい欠点は全然ないよね」

「そうかもね。私としては、ずば抜けているほど得意もないって感じだけど」

「選考会の総合スコアを見たけど、真理愛はコーヒーカクテルが得意なタイプで、ディアナは部門別1位を取れそうにないオールマイティタイプで、アリスはエスプレッソが得意なタイプって感じかな」

「部門別に見ると、どれが得意なのかがハッキリしますね」

「この中で1番優勝に近いのは……アリスだな」

「えっ、私?」


 アリスが笑みを浮かべながら嬉しそうに尋ねた。


 あくまでも参考記録だが、選考会での総合スコアは、この中だとアリスがトップであり、次いで真理愛が高かったのだが、飛び抜けた得意分野があることによる恩恵だ。ディアナはオールマイティだが、同時に器用貧乏でもある。僕やマイケルのように全部得意ではなく、あくまでも全部並み以上なのだ。


 予選はともかく、準決勝からはレパートリーポイントが入るため、結果次第で得意分野の伸び幅が大きく変わる。苦手もないが得意分野もないディアナが1番不利だ。前回こそワイルドカードで準決勝まで進出したが、ワイルドカードの仕様変更により、ラッキーで進出するパターンはほとんどなくなる。


「言っとくけど、あくまでも上位10人に入るつもりでやるぞ」

「ワイルドカードに頼らないところがあず君らしいな」

「昔は総合スコアが1番高かったチームから、5人のセミファイナリストが決まってたけど、今回からは上位10人以外で、5つのチーム内での総合スコアが1番高い人がそれぞれ5人選ばれる仕様に変更になったから、ハードルは更に上がるわけだ」

「得意分野は極力レパートリーポイントで稼げるようにな」

「……」


 ディアナが何かに押さえつけられるかのように黙った。彼女には得意分野がない。多分、この中で最も頑張らなければならない位置にいる。ディアナにとっては残酷な現実だろう。今までにない苦難と言ってもいい。この前のような順位では、準決勝進出も厳しいと言わざるを得ない。


「あず君、ちょっといいかな?」

「別にいいけど」


 ディアナに呼び出されて彼女の部屋まで赴いた。


 誰もいないことを確認したディアナがそっと扉を閉じた。


「何か話でもあるの?」

「今は2人きりだから遠慮なく言えるよな」

「……何のこと?」

「私がオールマイティなんて嘘ばっかり。ちゃんと本当のことを言ってくれ」

「……今のままだと、予選突破は厳しいだろうな」


 彼女が最も聞きたくない言葉を言ってしまった。


 ディアナはその場に立ち尽くしながら僕の次の言葉を待っている。


 助けてあげたい。だが本音を言えば、真理愛に優勝してもらいたい。助ける方法が全くないわけじゃないが、これは世間的に言えば邪道の域を出ない。


「優勝したいか?」

「ああ。アイデア自体はたくさんあるから、予選さえ突破できれば、後はレパートリーポイントで何とかなる。頼む。私を助けてほしい。本命は真理愛だと思うが、そこを何とか」

「ディアナが優勝したい理由は何?」

「実は――」


 ディアナはスラスラと事情を話してくれた。


 聞けば彼女の実家は、廃業の危機にあるという。ディアナは実家のスイーツショップの広告塔として戦っていたのだ。不況は何も日本だけの専売特許ではない。彼女は実家を助けるため、大学卒業後に就職する予定であったが、僕への憧れを捨てきれずにバリスタとなった。親からもお前の好きな道を行けと言われ、涙ぐみながらも、ずっとコーヒーに向き合ってきたのが見て取れる。


 仕方がない。元々は真理愛がアイデアで詰んだ場合に使おうと思っていた禁じ手だが、ここは彼女を確実に予選突破させてやりたい気持ちもある。


「ディアナ、君の事情は分かった。でも1回だけだぞ」

「……?」


 ディアナが首を傾げ、そんな彼女に渋々禁じ手を教えた。最初こそ驚いたディアナだったが、他に予選を突破できる有効な方法がないため、最終的には承諾してくれることとなった。


「念を押して言うけど、マジで今回だけだからな。準決勝まで進出したら、後は全部ディアナ自身の実力で勝負しろ。いいな?」

「分かってる。予選を突破するまででいい。後は任せてくれ」

「本当はこんなこと……したくないんだけどな」


 いつもより小さい声でボソッと呟いた。


 僕はディアナと悪魔の契約を交わしてしまった。


 ルール違反をするわけじゃない。一時的に()()()()()になってもらうだけだ。そうでもしなければ、彼女がこの予選を突破できる確率は非常に低い。ワイルドカードにも頼れない以上は仕方がない。バリスタオリンピックは予選が最も難度が高いのだ。予選はレパートリーポイントがなく、素の状態で勝負しなければならない。ある意味では最難関だ。ワイルドカードが実装されたのもそれが理由だった。何でこんな手助けをしてしまったんだろうか。


 ディアナの話を聞いた時、かつての自分とディアナを重ねてしまった。彼女はWBC(ダブリュービーシー)に参加した頃の僕と同じく、背水の陣と言っていい状況だった。


 こんなことは一度きりだ。二度とやらねえからな。


「あず君、ありがとう。じゃあ早速教えてくれ」

「メモを持ってきてあるから、後でバレないようにオランダ語で書き写しとけ」

「……分かった」


 翌日、真理愛とディアナを千尋と伊織に任せ、今度はアリスのコーヒーをカッピングすることに。


 前回大会最年少参加者なだけあって、以前よりも格段にコーヒーが洗練されている。


 意欲ある若者は成長が恐ろしく速い。エスプレッソマシンを扱うアリスの様子を見ていると、僕もうかうかしてられないと、つい思ってしまうのだ。


「どうかな?」

「美味い。コスタリカゲイシャのパパイヤのフレーバー、バナナのアフターテイスト、ヨーグルトのホエイを投入したのは良いアイデアだ。確かにチョコバナナクレープの味がする」

「ありがとう」

「あず君がそこまで褒めるなんて珍しいね」

「鈴鹿も飲んでみろよ。めっちゃ美味いから」

「うん。じゃあ頂くね――美味しい。コーヒーなのに、とてもフルーティ」


 アリスの大会用シグネチャーを酒を嗜むように飲んだ鈴鹿が思わずうっとりする。


 鈴鹿のライブハウスはバリスタオリンピック参加者である真理愛たちの試作品を飲む権利を1杯10ユーロで売っている。ただでキッチンを貸してもらうだけじゃ悪いと思い、他の客にもウケるかどうかを確認する意味で提案したが、鈴鹿もオットーもあっさり僕の案を受け入れてくれた。


 僕に今までの恩義を少しでも返したいらしい。学校に行かされ続けたことで、日本人に対して心を閉ざすことがなければ、僕は彼女とつき合っていたのかもしれない。


「鈴鹿もコーヒー分かるんだね」

「まあね。ヨーロッパはどこにでもコーヒー好きがたくさんいるから、知見を広げる意味でも、学んでおく必要があったの。近くにある本格的な高級カフェが葉月珈琲しかなかったから、そこで世界のコーヒーをたくさん勉強したわけ。あなたも一度葉月珈琲で働いてみたら?」

「えっ、でも私が行った時は、スタッフでいっぱいだったよ」

「あず君って、今はスタッフどうなの?」

「絶賛募集中だ」


 璃子、優子、真理愛が別の店舗に異動することを話した。


 今のところ、その後継となっているのは千尋のみ。


 残り2人も相応の実力者を雇いたいところだが、トップバリスタが転がっているはずもなく、このままでは客席数を減らすことになってしまうのだが……。


 事情を聞いた途端、アリスの目がキラキラと輝き、僕に詰め寄ってくる。鈴鹿はクローズキッチンを手伝うために裏へと引っ込んでいた。


「アズサ、本当に募集中なら、入社テストを受けさせてもらってもいいかな?」

「入社テストを受けるまでもなくバリスタオリンピック出場実績がある時点で十分合格と言っていい。アリスが良ければだけどな」

「じゃあ私、来年からアズサの店で働く」

「いいけど、地元の店はどうすんだ?」

「私はトラリーっていうアイルランドの端っこの田舎に住んでいるの。何もなくて退屈というか。普段はそこで親戚が営んでいるレストランで働いてる。後を継いでくれって言われたけど断ったの」

「親戚って、確かダブリンにいるスティーブンのことだろ?」

「あー、それはお父さんの方の親戚。地元にはお母さんの方の親戚が近所に住んでるの。スティーブンおじさんはここじゃつまらないと言ってダブリンに引っ越して、今じゃ国で1番有名なバリスタなの。なんかそういうところがアズサに似てる気がする」

「そりゃどうも」


 レストランの後継者をあっさり断ったのか。真理愛や千尋とは違うところだ。


 西洋人は自分で決めることには滅法強い。というかアリスの地元アイルランドはマーケットが小さいために、国内相手のみの商売では食っていけない。小さな国家ほど外に出て外国を相手に商売をする形で、グローバリズムにならざるを得ないのだ。


 彼女にもその意識は根付いていた。地元がつまらないと思えばすぐに移動する。


 多分、日本ではこういう意識を持たないように、小さい時から組織への帰属意識というものを強く植えつけられるんだろうな。そうなってしまえば、行動するのに周囲の許可が必要となり、勝手に自分の行動力にブレーキをかけてくれるようになる。


「来年までに日本語の勉強をしておかないとな」

「うちは外国人観光客の割合が高いから、そこまでできなくても大丈夫だ。注文とか全部タブレットでどうにかしてるし、日本に来るんだったら、言葉を勉強するよりも、話が通じる人を選んで喋った方がいいと思うぞ。恥ずかしい話だけど、日本って言葉は通じても、話が通じない人は滅茶苦茶多いんだ。識字率は99%だけど、読解力が大人の域に到達している人は7割くらいしかいない」

「何でそんなに少ないの?」

「だって留年ないもん。だから全然勉強してなくても卒業させちゃうし、読み書きは知っていても肝心の生き方は全く教えられず、世の理を何1つ知らされないまま、社会で通用しない変な常識だけを詰め込まれて、社会の荒波へと放り込まれて、自然淘汰される人が後を絶たない事態になってるわけ。だから僕はこれ以上生きる力のない大人が出てくるのを防ぐために、事業拡大をしながら、地元に教育改革を呼びかけているってわけだ」

「……結構大変なんだね」


 アリスが苦笑いしながら、残りのコーヒーカクテルを水を飲むように口に含んだ。


 僕は今、途轍もなく酔っぱらっている。アリスのアイリッシュコーヒーは、評価をすることさえ忘れさせてくれる濃厚な味だった。コーヒーと生クリームの相性も良い。アイルランド人らしく、アイリッシュウイスキーを使っている。本番ではアイリッシュコーヒーを作る際に、ウイスキーの種類は問われない。だが彼女はあくまでも本場の味に拘った。これが吉と出るか凶と出るか。


「あず君、そろそろ休んだら?」


 僕の様子がおかしいことに逸早く気づいた千尋が言った。


 既に夕刻を過ぎていた。外は薄暗くなり、通行人の姿が段々と少なくなってきた頃だ。


「……そうする」


 のっそりと立ち上がり、階段方向へと歩み始めた時だった――。


「バーボンをくれ」


 僕の後ろから誰かが入ってくると、聞いたことのある低い声の英語が聞こえた。


「いらっしゃい。バーボンね、ちょっと待ってて」


 オットーがカウンター席の向かい側から気軽に応答すると、透明なグラスに氷とバーボンを投入し始めた。僕は足音も立てずにそっと立ち去ろうとするが……。


「久しぶりだな。アズサ」


 恐る恐る後ろを振り返ると、2011年シアトル大会の覇者にして、2015年東京大会で準優勝となったマイケルの姿があった。会うのは実に4年ぶりだった。以前よりも痩せており、圧倒的ナンバーワンバリスタの姿から一転して迫力がなくなり、性格も頭もすっかり丸くなっている。


「やっぱりあんたも来てたか」

「アズサがここにいると聞いてな。何故連覇を懸けて参加しなかった?」


 一瞬顔を顰めた。聞かれたくなかったから立ち去ろうとしたってのに。


 まあいいや。聞かれてしまった以上、そんなことはどうでもいい。


「優勝なんて一度できれば十分だろ……もし前回大会であんたに負けていたら、今回はあんたの3連覇を阻止するために、寿命を削ってでも参加してただろうな。あんたに負けるのは、あれで最後にしたい」

「私に負けたことなんてないだろう」

「あるぞ。前回大会の予選と準決勝だ。あんたに総合スコアで負け越していた。決勝が始まった時点で僕はあんたに2回負けていたんだ。3回も同じ相手に……負けるわけにはいかない。そう思えたからこそ自分を縛っていたしがらみを解くことができた。それができた今、僕がこの大会に参加する意味はなくなったってわけ。ただそれだけ」


 言いたいことだけ全部言ってやった。マイケルは不敵な笑みを浮かべた。


 後ろを向き、2階へと続く階段を上がるのだった。

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