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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第10章 バリスタコーチ編
242/500

242杯目「戦力は育つもの」

 ――大会3日目――


 遂にWLAC(ワラック)決勝の日がやってくる。


 この日、僕は29歳の誕生日を迎えた。


 奇しくも璃子の決勝が僕の誕生日とは……これも運命かな。


 20代最後の1年だ。思いっきり暴れたい。人間とは弱いもので、年を取れば取るほど、自分でも気づかない内に段々と行動力がなくなってくる。若い内から行動力がない人間を作る教育は、控えめに言って重罪であると早く気づいてもらいたいのだが、まずは地元から変えていくしかない。


 地元から不登校児を積極的に増やし、そいつらが大卒組より活躍するケースが目立ってくれば、流石に頭の固い奴らも、旧態依然とした学校教育の限界を認めざるを得なくなる。まずは岐阜から脱義務教育を果たし、オルタナティブ教育へと移行するのだ。


 地元から世界を変えていく。30代以降の使命は決まっている。


「いよいよ決勝ですね」

「今までの苦労が報われるといいな」

「はい。璃子さんほど応援したくなる人はいないと思います」


 今までの璃子を間近で見てきた伊織が言った。心配をしながらも自分はちゃっかりとサイフォンで淹れたコーヒーを入念にカッピングしている。サイフォンの淹れ方もすっかり板についたようだ。エアロプレスの時といい、本当にドリップコーヒーと相性が良いな。


 来週にはJSC(ジャスク)予選が始まる。


 開発に時間のかかるシグネチャーが予選にないのは大きい。彼女の表情からはそんな言葉が咄嗟に読み取れるほどリラックスしていた。伊織がシグネチャーのある大会に出場するのは初めてだったな。


JSC(ジャスク)は7分でブレンド2杯を淹れるだけでいいのが本当に助かります」

「今までやったことのない課題がそんなに辛いか?」

「……はい。予選を突破した後のことを考えただけで……」


 伊織はさっきまでの強がりな顔から一転、不安そうな心の内を表情に表した。


 初めてのことに挑戦するのは誰でも勇気がいることを彼女が示してくれているようだ。複雑さを内に秘めながらサイフォンコーヒーを見つめると、喉の渇きを誤魔化すかのように飲み干した。僕がシグネチャーに初挑戦した時は、とてもワクワクしていた。


 予算とかほとんど気にしなかったし、後で大変なことになっちゃったけど、お金がなくてもとりあえず生きていくことができることが分かってからは、安心して実験に没頭できるようになった。


 僕はそんな伊織を後ろから優しく抱きしめた。


「! ……あず君」

「伊織、そのことは予選が終わってから考えろ。今は璃子を応援してやってくれ」

「……はい」


 不安なんて先送りでいい。その時になって全力で対処するしか方法はないのだから。


 しばらくモニターを見ていると、ファイナリストたちが次々と競技を始めていく。この場にいる誰もが覚悟の目つきでラテアートを描くことにのみ集中している。この中からワールドラテアートチャンピオンが決まる。栄冠のすぐそばにまでやってきたのだ。ここまできたら、もう知識とか技術とかは関係ない。自分の全てを懸けた総合力勝負だ。実力の全部を放出しろと言わんばかりに気合が入っている。


 気分はまさに背水の陣。次はないと思っている人間は強い。


 璃子には前日、競技中はあまり喋らないよう言った。何かを宣言したところで、描くモチーフが決まっている以上、ラテアートを描くことにのみ尽力すべきだ。璃子は妙に真面目なところがあり、そこが心配だった。璃子は終始冷静だった。僕の助言通りに喋るのは必要最低限だった。


 時間を僅かにオーバーしてもなお予選と準決勝のスコアは高かった。


 舞台は整った。後は璃子次第だ。


 僕らは手も動かさず、客たちは注文そっちのけで璃子の活躍を固唾を飲んで見守った。璃子は一度もミスをすることなく、今度は制限時間内に伊勢海老、達磨、歌舞伎役者の浮世絵を2杯ずつ提供した。


「今までで1番うまいですね」

「うん。コントラストもハッキリしてるし、再現性もあって難度も高い」

「あの子って、あず君の妹?」


 アリスが僕のそばに駆け寄って尋ねた。


 僕はてっきり知られているものと思っていたが、()()()()()と呼ばれている内は、まだまだ知名度が低いということだ。


 スイーツ業界だったら、割と知られているんだけどな。


「うん。めっちゃ可愛いだろ」

「ふふっ、確かに。結構モテてるでしょ?」

「それで何度か苦労してる。本当は誰よりも対人関係が苦手なのにさ、仲間外れにされるのが怖くて、普通の人のふりをしてきた」

「なんか分かる気がする。私も対人関係が苦手だったけど、コーヒーのお陰で人と打ち解けたことが何回もあって、それでバリスタを目指そうと思ったの」


 人は共通の趣味で知り合い、共通の目的で争い、共通の敵で団結する。


 僕にもそんなことは何度もあった。僕が誰かと打ち解けるきっかけはいつもコーヒーだった。みんながうちのカフェみたいな雰囲気で出会えたら、さぞ平和な世の中になっていただろう。


 ディアナはそんな僕らを見て微笑みかけてくる。


「結局、私たち3人で一緒に決勝を目指すことになったんだけど、もし良かったら、アリスにも色々と情報共有してもいいかな?」

「別にいいけど、もしうちの豆が使いたくなったら、いつでも言ってくれ」

「えっ、いいの?」

「当たり前だろ。今回だけじゃなくて、前回のバリスタオリンピックでも何人かのバリスタがうちの農園で採れたゲイシャの豆を使ってたし、今回からはシドラの豆も一般開放してる」

「それもコーヒー業界のため?」

「うん。情報も食材も共有した方が、誰かが新しいアイデアを生み出してくれる確率が高い。コーヒー人気が伸びていけば、結果的にうちの利益にもなる」


 指で髪の毛の位置を調整しながら、情報共有の重要性を語った。


 情報は大会まで秘密にしておいた方が有利だった時代もあっただろう。だが自分から公開すれば相手からも情報を貰いやすくなる。競争相手ではなく、競争仲間としてつき合うことが重要なのだ。


 WLAC(ワラック)の結果発表が行われ、順位の低い順に名前と国名が発表されていく。


 残ったのは璃子とイタリア代表の2人だけだった。この時点で準優勝は確定だ。葉月珈琲のスタッフ全員が次にイタリア代表の名前が叫ばれることを望んでいる。


 そして――。


『第2位は……イタリア代表――』


 璃子と同時に僕も両手でガッツポーズを決めた。モニター越しの璃子はぽかーんとしながらも泣いて喜んでいた。5年間もずっと目標にしていながら叶わなかった想いが溢れ出ている。


『今年のワールドラテアートチャンピオンシップ優勝は、日本代表、リコーハーヅーキー!』


 会場の中も葉月珈琲の中も歓声と拍手の渦に飲まれた。この優勝には僕ら全員が勇気を貰った。地道に努力を積み重ねてきた結果であると、うちのスタッフの誰もが感じている。


 諦めなければ夢は叶う。その例に取り上げられることだろう。


「璃子さんやりましたね」

「ああ……自慢の妹だ」

「璃子さんと柚子さんが帰ってきたら祝勝会ですね」

「ある意味ワンツーフィニッシュだな」

「できればダブル優勝を祝いたかったですね」

「それは言わない約束だろ」


 この中に1人、祝勝会に参加できない者がいる。もうそろそろ帰る頃だ。手にはスーツケースを持っているし、昨日までは見られなかった寂しそうな顔も見せている。


 インタビューと記念撮影が終わり、モニターが待機画面へと戻っていく。葉月珈琲はいつもと変わらぬ雰囲気に戻り、客たちは心からの寛ぎを感じながら他愛もない会話を続けている。


「アリスさん、もう帰国するんですか?」

「うん。葉月ローストに寄って帰るけど、ここでみんなから貰ったアイデア、バリスタオリンピックで活かさせてもらうね。ウィーンでまた会いましょ」

「はい。楽しみにしています」

「3人で打倒マイケルだぞ」

「もちろん。彼と戦えるのは、これで最後だからね」


 アリスは勘定を済ませ、笑顔を絶やさずに去っていった。


 葉月珈琲の扉が閉まると同時に、僕はまたしても時代の変化を感じた。


 マイケルがバリスタオリンピックで戦うのが、今回でもう最後だってのか。


「ディアナ、マイケルが最後ってどういうこと?」

「知らないのか? マイケルは今回でラストって言ってたぞ」

「――知らなかった。あの人なら限界まで出続けると思ってたけど」

「その限界が近づいてるってことだ。昔は湯水のようにアイデアが出てきたけど、今は年もあって枯渇しかけているんだってさ。マイケルは今回を最後にバリスタ競技会からの引退を発表してる」

「……」


 何かが喉につっかえたように言葉が出ない。連覇を目指して参加しなかったことを初めて悔いた。


 マイケルはバリスタオリンピック参加者の中でも1番の古巣だ。僕がデビューする前から出場し続けていた彼でも……アイデアが枯渇するなんて台詞を吐くんだな。


 創造性が衰えるとは老いることと同義だ。史上初の複数回優勝を狙えるラストチャンスってわけか。前回大会で死闘を繰り広げた歴代最強のライバルの引退が迫っていた。


 ここにきて彼に最後のチャンスをものにしてもらいたい気持ちが僕の顔に滲み出ていた。


 恐らく、決死の覚悟で優勝を勝ち取りにくるはずだ。


 真理愛たちにとっては、最大の壁として立ち塞がることになるだろう。


「そっか……もう引退か」

「私たちは幸せですね。みんながテレビに釘づけになるほどあず君と優勝争いをしていたマイケルさんと同じ舞台で戦えるなんて……絶対に悔いのない戦いにしたいですね」


 すると、会話を遮るかのように、業務用モニターに新たな注文が入った。


 エスプレッソ2杯のオーダーに応えるべく、すぐさまエスプレッソを抽出する。手順の機械化が進んだことで、昔よりもスムーズに抽出が完了する。エスプレッソをプレートに乗せて伊織に運ばせると、僕は璃子の優勝の喜びを噛みしめるべく、余韻に浸っていた。身内の優勝って、こんなにも嬉しいものなんだな。この瞬間を味わうためだけでも大会に出る価値がある。


 数日後――。


 璃子、柚子、蓮が帰国する。営業時間が終わった頃、璃子たちがぐったりした様子で、扉をゆっくりと空けた。クラッカーの音が店内に鳴り響き、璃子たちが一斉に歩みを止めた。


「璃子、柚子、優勝と準優勝おめでとー!」

「「「「「おめでとーーーーー!」」」」」


 歓迎の声と共に、緊張気味だった3人の顔が解れていく。


 璃子はクラッカーの音に耳を塞いでしまっている。きっと今頃は、散らばったクラッカーの紙吹雪を掃除する大変さに気が滅入っていることだろう。だがそれがいい。


「あず君も璃子も、毎年こういう歓迎されてたんだ」

「私は毎年じゃないけどね。でも悪くないでしょ?」

「去年までは歓迎する側だったけど、歓迎される側ってこんなに嬉しいんだ。なんか凱旋してる気分」

「私も最初はそう思ってたよ。お兄ちゃんが言うには、凱旋気分に慣れてきたら一流の証なんだって」

「あず君らしい」


 柚子がクスッと笑いながら口に手を当てた。


 帰ってもいい時間ではあるが、伊織も優子も喜んで残ってくれている。


 というか帰るという発想がない。葉月珈琲のスタッフ全員にとって、仕事=遊びの方程式が成立しているからだ。こんなめでたい時くらい、給料とかなしで祝いたい。さっきまで外国人観光客が独占していたテーブル席には、親戚や璃子と柚子の友人も集まり、総勢50人を超える祝勝会が始まった。


 元を辿れば、穂岐山珈琲発祥の祝勝会文化も今じゃすっかりと葉月珈琲に違和感なく馴染んでいる。だが肝心の穂岐山珈琲にはチャンピオンが現れても、盛大な祝勝会を行う余裕がなくなっており、根本が優勝した時でさえ、祝勝会が質素に行われる始末だった。


 しかも根本がバリスタオリンピック選考会に優勝して以降、穂岐山珈琲からはチャンピオンが1人も現れておらず、根本は穂岐山珈琲にとって最後の砦となっている。穂岐山珈琲勢のバリスタが各競技会に熱意を燃やしているが、こちらとて負けるつもりは全くない。


「良かったですね。2人共あれだけの成果を上げたんですから」


 妊娠中の腹を擦りながら、唯が僕の隣に腰かけた。


「璃子はともかく、柚子はそうでもないみたいだよ」

「そうなんですか?」

「もし優勝できなかったら今年のJCTC(ジェイクトック)にエントリーするって言ってたし、あの目はまだ諦めてない。僕らぐらいになると、準優勝じゃ満足できねえんだよ」

「ますます結婚から遠ざかりそうですね」

「かもな。そこそこ有名になったとはいえ、まるで戦闘民族みたいに色んな大会に出るようになったら忙しい女に見えちゃうからなー」

「忙しい男性はモテるのに、何で忙しい女性はモテないんでしょうね」

「女が女の足を引っ張る構造もあるし、男から見ても生意気に映る」

「……二重に邪魔ですね」


 呆れ顔で唯が言った。無理もない。


 これだけ男女平等が叫ばれるようになっても格差があるってことは、まだまだ根強い性別役割分業が残っていることを意味している。もはや男女同権が限界にして妥協点ではなかろうか。


 柚子とは対照的に、千尋はJBC(ジェイビーシー)で準優勝してから多くの女性に声をかけられるようになったんだとか。千尋もまた、璃子たちの奮闘をパソコンから見守っていた。


 葉月珈琲のスタッフを始めとした日本勢の快進撃が凄まじく、海外どころか国内のバリスタも偵察目的でうちにやってくるようになった。無論、うちが提供できる情報は好きなだけ提供する。


 女性たちから抱き枕のような扱いを受けている千尋に声をかけた。


「千尋、今回は僕にコーチをやらせてくれないか?」

「えっ……あず君が?」


 千尋にとっては意外な言葉だったのか、ミサイル攻撃でも受けたかのような衝撃が耳の奥まで届き、戸惑っている。周囲は僕と千尋の2人が揃って話している様子を見守っている。


 千尋の過去を調べた。かつて僕が出場したこともあるワールドシグネチャービバレッジカップに16歳の若さで出場し、3位に輝いていることからもセンスが窺える。3位に輝いた彼のシグネチャードリンクも完成度こそ高かったが、どこか小さな枠の中に納まっているような感じがした。


 自分の殻を破れずにいるのが、彼のコーヒーの風味に表れていた。


 だったら背中を押してやれる人が必要だ。誰もやらないなら僕がやる。


「今のままじゃ、千尋の本来の味が出せない。一度飲んだから分かるけどさ、今の千尋のシグネチャーには決定打がないんだよ。それは分かるよな?」

「……気づいてたんだ」

「でも誰かに聞こうにも、シグネチャーに詳しい人なんてそうそういないし、自分で考えてなんぼの課題を人に聞くことに抵抗があった。そうだろ?」

「うん。僕にしか分からないって思ってた」

「だったら分かるまでつき合ってやる。僕もさ、シグネチャーで迷った時は遠慮なく人に聞くし、外に出てアイデアを拾いに行くこともある」

「ホントにっ!?」


 真剣な眼差しで僕の両肩を両手で強く掴んだ。


 おいおい、こういう場でそんな乙女みたいな顔で迫られたら誤解されるぞ。


 両方共女っぽい顔で、ロングヘアーで可愛い服装であることもあり、周囲からはこの光景が女同士のカップルのように見えていることだろう。


「ああ、本当だとも」

「……分かった。じゃあお願いしようかな」

「まずは予選を突破してこい」

「うん、いくつか気になってるコーヒーがあるから、後で資料送るね」


 千尋は可愛らしいロングヘアーとフリルの服を靡かせながら元の位置へと戻った。すると次の瞬間、僕は璃子や柚子の友人たちに取り囲まれ、しばらくは彼らの問答に応じることに。


 僕も例に漏れず、抱き枕のように扱われ、縄張りのマーキングのようにもふもふと触られた。


 祝勝会は終わり、午後9時頃には散り散りになった。僕と璃子が後片づけを担当し、2人だけで静寂が支配するオープンキッチンの掃除をしている。辺りはすっかり暗くなり、この日の終わりを告げた。


「お兄ちゃん、私、ずっとラテアートを続けて良かった」

「もう悔いはないって顔だな」

「うん……だから私、今年限りでバリスタの仕事から卒業する。バリスタの世界でやりたかったことは全部やったし、これからはずっと引き籠りのショコラティエとして生きていく」

「本当にやりたいことを見つけたか」

「色んな道を模索してたし、何度か他の道に行くことも考えたよ。でもお兄ちゃんの最愛の恋人がコーヒーであるように、私にもチョコレートという最愛の恋人がいるって気づいたから」


 璃子が僕の目を見ながらドヤ顔で言った。璃子もまた、試行錯誤を繰り返していた。だが他の道を考えれば考えるほど、チョコレートが頭から離れなくなる。一度はこれ以上はもう上がないっていうくらいにショコラティエの道を究めた。それからは暇潰しのように、バリスタの大会やゲームまで究めた。


 結局、璃子は何をやっても、自分が心底チョコレート好きであることばかりが浮き彫りになることに気づいたのだ。僕からの独立と共に、璃子は真の自由を得る決意をした。


 これからはチョコレート一筋に生きるわけだ。優子もコーヒースイーツの開発に携わるべく、新しい店舗のマスターとして栄転するわけだし、璃子にとっても良い機会だろう。


「お兄ちゃん、私たちが抜けた後はどうするの?」

「一応1人は決まってる。千尋はうちにとって貴重な戦力になると思うけど、あと2人欲しいな。唯は子育てがあるから、当分戻ってこれないし、めっちゃ困ってる」

「この半年間で2人見つけるのが、そんなに難しいのかな?」

「他の店舗はともかく、うちで働くならそれなりの戦力じゃないとな。うちの店はメジャーリーグみたいなもんだし、ファイブツールを満たしていないと」

「ファイブツール?」

「知識、技術、創造、芸術、意欲が全部揃ってる人だ。うちのスタッフはみんな持ってるし、そういう人じゃないと、大会を制するなんてできない」

「お兄ちゃんが好きそうなタイプだね。でもみんながこうして結果を残せるようになったのは、間違いなくお兄ちゃんの影響だと思うよ」


 璃子がにっこりと笑いながら言った。手に持っている最後のコップを拭き終えた璃子はコップを優しく定位置に被せるように置き、両手を背中の後ろで繋ぎながら上半身を前に倒した。


 でかい……目が勝手に吸い寄せられてしまうっ!


 これには思わず顔を横に向けてしまった。


 それでもすぐに正面を向き、璃子の大きな膨らみに再び目を奪われた。


「即戦力なんていない。だから育てるの。真理愛さんも伊織ちゃんも、お兄ちゃんが育てたお陰でご飯を食べられる大人になれたんだよ。即戦力を雇うよりも、お兄ちゃんが面倒を見て、つきっきりで育てた方が早くトップバリスタになれると思うよ。千尋君も……多分お兄ちゃんが思ってるような即戦力にはならないと思う。だから焦る必要なんてないよ」

「……璃子がそう言うなら……そうなんだろうな」


 窓越しに夜空を見上げた。璃子の言葉は親父と同じだ。この冷静さは親父に似たな。


 言われてみればそうだ――うちのスタッフは全員が手探りの中成長してきた。


 優子でさえ、うちに馴染むのに時間がかかっていたし、即戦力だった人は誰1人としていなかった。うちの歴代スタッフが全員僕に感化されて成長しているのだとしたら……。


 やはり僕が精鋭として育てるっきゃないか。


「あず君、お風呂湧きましたよ」

「ああ、歯磨きしてから入る」

「じゃあ待ってますね」

「お兄ちゃんは愛されてるね」

「お互い様だ」


 璃子を追いかけるようにしながら後をつけた。


 僕らは日常を語りながら、2階へと上がっていくのだった。

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