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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第9章 次世代バリスタ育成編
213/500

213杯目「しがらみからの卒業」

 3月上旬、動画で宣伝した春限定メニューが飛ぶように売れた。


 理由は他でもない。うちの店で人気ナンバーワンの伊織が開発したメニューだった。


 レモンのフレーバーを楽しめるパナマゲイシャ、ナチュラルプロセスのコーヒーにレモンティーと蜂蜜を混ぜたシロップを投入してブレンダーに投入し、クリーミーな質感をもたらす。更にフレーバーを底上げしながらボディを強化することを意識した伊織の新作だ。


「伊織ちゃん凄いじゃん」

「えへへ、ありがとうございます」


 優子の言葉に顔を赤くしている伊織が言った。


 JBC(ジェイビーシー)に出るわけでもないのに、積極的にシグネチャーの開発をやると言った時はどういう風の吹き回しかと思ったが、伊織は本気でバリスタオリンピック優勝を目指している。


 確かに考えてみれば当然かもな。真理愛も伊織に刺激されてシグネチャーをコーヒーカクテルで開発してたし、店にも客にも良い影響を与えている。


 試しに両方共飲んでみる。


 ……うん、コーヒーの個性を崩さずに新たな味を作り出している。


 僕のシグネチャーの開発を何度も目の前で見てきただけあって、経験が見事に反映されている。これが伊織の味なんだな。何だか優しく包み込むような味だが、まだ僕の模倣と言っていい段階だ。


 真理愛のコーヒーカクテルも今までとは比べ物にならないほどレベルが上がっている。僕のコーヒーカクテルより美味いまである。真理愛の味はオーラに守られているような安心の味だ。


 ――僕も負けていられない。


「伊織、今年出るのはJHDC(ジェイハドック)だけか?」

「いえ、特に何もなければJBrC(ジェイブルク)にも出る予定です」

「じゃあさ、JBrC(ジェイブルク)が終わったら、ロンドンの唯の実家に行ってみるか?」

「唯さんの実家ですか?」

「ああ。バリスタオリンピックで優勝目指すんだったら、早い内からコーヒーカクテルに慣れておいた方がいい。ヨーロッパは大体18歳から全種類の酒を飲めるようになるから、唯の実家のキッチンを借りてコーヒーカクテルのプロに指導してもらう」

「つまり、バリスタ留学ってことですか?」

「そういうことになるかな」

「期間はどれくらいですか?」

「伊織がホームシックになるまで」


 周囲が暗黒のように黙った。割とマジで言っている。


 伊織は年齢制限により、2019年のバリスタオリンピックには出場できない。


 各国の代表を決める選考会が行われる時点で各国においてアルコールを扱える年齢に達していることが出場の条件となる。日本代表として出場する場合、20歳(はたち)に達しているのが条件だ。この時点で伊織が出場できる最寄りのバリスタオリンピックは2023年大会となる。


 2022年の選考会までに少なくとも5年の期間がある。5年もあればコーヒーカクテルを究めるには十分だ。アジア勢の弱点とも言われているし、今の内から弱点を埋めておくべきだろう。


 この時を待っていた。アイリッシュコーヒーに必要なウイスキーを飲める18歳に達した。バリスタ留学させた方が良い気がする。真理愛は忙しいし、20歳になるまで日本では酒を飲めない。


「お兄ちゃん、まさかとは思うけど、コーヒーカクテル部門を究めさせるため?」

「そゆこと。本気で夢叶えたきゃ、覚悟を決めることだな。僕は運良く18歳にして酒を飲める機会に恵まれてきたお陰で、早い内からコーヒーカクテルを究めることができた。下戸だけどな」

「ふふっ、分かりました。でも……しばらく考えさせてください」

「伊織、チャンスは人を待たない。JBrC(ジェイブルク)が終わるまでに決めておけ」

「……はい」


 伊織は自信のない小さな声で返事をしながら頷いた。


 明らかに迷ってるな。この性格だとホームシックになりそうだ。僕は一度もならなかったけど、外国に行って初めて日本の生活環境の良さに気づいたからなぁ~。安全な水が飲めて、飯が美味くて、治安が良くて、インフラが整っていて、衛生管理ができている国が、この世界にどれほどあるだろうか。


「あー、それと、これだけ言っておく」

「……はい」

「母親には酒を飲むことは黙っておけ」

「それくらい分かってますよ。それに反対されても関係ないです。この前あず君と一緒にロンドンまで行った時も快諾してくれましたし」

「伊織……」


 思わず彼女に抱きついてしまった。自分で決められる人間になれたのが本当に嬉しい。


 本来であれば、自分で自分の行動を決めるのは当たり前のことだが、この国ではそれが難しい。


 ここまでできてやっとスタートラインだし、焦らずにはいられない。


「あ、あず君……恥ずかしいです」

「あー、わりいわりい、つい嬉しくなっちゃって」

「……あず君」


 声がする方へと向いてみると、柚子が僕に嫉妬の目を向けている。


「! どっ、どうしたの?」

「伊織ちゃんだけズルい、私も抱いて」

「柚子、その言い方は誤解を生むぞ――」


 僕が言い終えるのを待つことなく、柚子が僕に抱きついてくる。


 まるで胸を抉られているような表情、この温かみ、でも柚子の気分は冷たそうだ。リサたち4人にはエマを除いて相手がいるし、置いてけぼりにされている。


 心配すんな。柚子ならきっと良い相手が見つかるって。


「じゃあさ、今度私の母校の大学が卒業式やるから、卒業スピーチしてくれない?」

「何で僕が!?」

「教授から卒業スピーチにあず君を誘ってほしいって頼まれたから」

「誰が言っても変わりねえだろ。いくらでも替えの利く仕事はしない。それに柚子が通っていた大学ってどうせFランとかだろ?」

「よく分かったね」

「分かるよ。柚子の元同級生の連中は全然仕事できてなかったし、資料を見せてもらったけど、とても大卒が書いた文章とは思えなかった。何でもっと頭の良い大学にしなかったわけ?」


 柚子の元同級生は、誤字脱字はもちろんのこと、句読点があり得ないくらい多かった。


 ああいう連中は正解のない問題を解く能力が著しく低いのだ。正解はないけど他者から見て不自然であれば不正解だ。それを客観視できない時点で終わってる。Fラン卒とは言っても、ほとんどは自分の取り柄が分からないまま卒業しているわけで、頭の中は義務教育すら卒業できていない。


 そんな連中の卒業を歓迎しようとは到底思えないのだ。


「……うちにお金がなかったから」

「お兄ちゃんに卒業スピーチなんてさせたら、就職よりもまず文法を勉強した方がいいんじゃねえかって言っちゃうと思うよ」

「くれぐれも失言は回避してよ。インターネット上にも流れるんだから」

「何で僕がスピーチする前提になってんだよ?」

「吉樹の大学には行ったのに……」


 柚子が後ろを向いて泣き出した。また女の必殺技が出たよ。


 女の涙は相手に罪悪感を植えつけ、周囲も何故か泣いた方を被害者だと思い込むチート技だ。これが罷り通っている内は男女平等なんてまず無理だな。男女同権が限界かも。


「はぁ~、しょうがねえな」

「えっ! 行ってくれるの!? じゃあ後で日程伝えるね」


 嘘泣きかよ。どうしてこうも演技力だけが上達した連中になったんだか。


 またしてもFラン大学まで赴くことに。


 文化祭での特別講義の次は卒業式でスピーチか。なかなか忙しくなったもんだな。


 この日の夜、いつものように唯と一緒に風呂に入った。


「はぁ~」

「さっきからずっとため息ばかりですね。1階で何かあったんですか?」

「柚子にFランの卒業スピーチしてくれってごね通された。スピーチしたことないし、全然分からん」

「ありのままを言えばいいじゃないですか。多分卒業式の出席率を上げるためでしょうね」

「だろうな」


 日本人規制法を解除して以来、うちには様々な日本人客が来るようになった。


 大学教授も来るようになり、Fラン大学の事情を意図せず知ることになったが、それはもう酷いの一言では済まされないものだった。授業中に寝るのは当たり前、しかも文系を専攻してきたはずの学生が簡単な単語の意味すら理解できずに文法で躓き、授業時間の大半を文法や単語に費やすんだとか。


 授業に来なかったり、テストを前に出席日数不足で単位を落とし、大学によってはかなりの御膳立てをした上で、100人以上が受けても数人しか通過できなかったりする授業もあるらしい。


 もはや実力以前にやる気がなさすぎる。


 自分が何のために学歴を重ねに来ているのかすらロクに理解してないんだろうな。


 施設やFランに行く度に思うのだが、ああいう所にいるだけで、日本の知的レベルが一気に下がったように感じるし、どうやったらあんな魂と知性の抜け殻みたいなポンコツばかりが量産されるのかが興味深い。唯がバリスタの仕事をしていた時にも同様の話を聞いていた。


「まっ、小学校低学年の卒業式と思ってやってみるか」

「ふふっ、それ外で言ったら怒られちゃいますよ」

「レベル相応だ。実力以前の問題だし、あのどうしようもない無気力体質をどうにかしない限り、社会に出たとしても、ずっと負け続けるぞ」

「いっそ思ったことをそのまま言って、度肝を抜いてやるとか?」

「そうだな。インターネット上にばら撒かれるってことは、他のFラン大生も聞いてる可能性がある。何人かの目を覚まさせる意味で言ってやるのもいいかもしれない」

「冗談で言ったんですけど……」


 唯がジト目で言った。どっちにしても、これは良いヒントになった。


「どうせ何言っていいのか分からないんだし、やれるだけのことはやってやる。柚子にも僕を選んだことを必ず後悔させてやるよ」

「目的変わってません?」

「嘘泣きの仕返しだ」


 スピーチの内容を考えつつも、焙煎の練習もかなり重ねた。


 ミリ単位どころかミクロ単位で焙煎度をコントロールできるようにならないと、一流のロースターとは言えない。コーヒーと感覚を一体化させるんだ。


 3月下旬、僕は柚子と一緒に彼女の母校であるFラン大学へと赴いた。


 吉樹の大学とは別だったけど、僕に言わせればどれも同じだ。


 僕はFランが大嫌いだ。これが普及したせいで大卒1人当たりの質が下がり、結果的に大卒をタダでは信用できなくなってしまった。まさに現代版アントニヌス勅令だ。そのくせやっていることは義務教育でしてきたことの繰り返しだ。もはや子供の人生を4年奪うだけの機関と言っていい。


 学歴フィルターという言葉があるが、これも人事目線で考えれば理解できないこともない。Fラン卒を雇うことは、崖から飛び降りるくらいの勇気がいる。何のリターンも期待値もないのに雇える方が不自然というものだろう。皮肉なもんだな。社会では学力以外の部分が必要だというのに、今の学生は学力すら満足に伸ばせないのだから……いや、親と学校がやる気を潰してるんだ……しかも良かれと思ってやったことが、結果的にあの連中を量産しているのだから驚きだ。


 既に課題になっている7040(ななまるよんまる)問題の予備軍と思うと怖気が走る。


 70代の親が40代の飯を食えない子供を養う姿が容易に想像できてしまう。


「うぅ~、手が動かねえ」

「そりゃあんなに焙煎の作業を繰り返したらそうなるって。あれだけやってよく飽きないよね」

「それだけコーヒーが好きってことだ。種類は同じはずなのに、毎回違った良さを持つコーヒーができるんだぞ。人間と同様に、コーヒーも1粒として同じものはない。だから面白いんだ」

「でもあず君にとって、施設やFランの人たちは欠点豆なんでしょ?」

「欠点豆にも使い道はある。うちでも欠点豆を集めてコーヒーの香りがする消臭袋にして売ってるぞ。その言い方は欠点豆に対して失礼だ。あいつらのほとんどは欠点豆にさえなれねえよ。そもそも豆どころか種にすらなってないんだからさ」

「……酷い」

「えっ……」


 柚子が手にハンカチを持ち、顔を下に向けて泣き始めた。


 あれっ……何で柚子泣いてるんだ? もしかして……まずいこと言っちゃったか?


 言ってることは何も間違ってないはずだ。俳優で言うならエキストラどころか応募すらしなかった人たちだし。チャンスがあるのに活かさない。改善すれば良くなるのに改善しない。そうやって惰性で何もしないを選択してきた代償だ。文句を言う方が烏滸がましい。


「私の知ってるあず君はそんなんじゃなかった。クールだけど、冷酷じゃなかった」

「本当のことを言っただけ。冷酷なのは僕じゃなくて現実な。柚子、ワールドカップ日本代表のレギュラーに長子がほとんどいなかったんだけどさ、何でか分かるか?」

「……知らない」


 柚子は機嫌が悪いのか、プイッとそっぽを向いてしまった。


「親は長子を過干渉に育てすぎだ。僕自身が長子だから分かるんだけどさ、放っておけばいいのに過干渉になるせいで、段々と従順になっていく一方で主体性も好奇心もなくなっていく。だからニートは長子が多いんだ。柚子も心当たりあるよな?」

「確かにお母さんからよく干渉されてた気がするけど……」

「2番目以降は放置されがちだ。アスリートは末っ子に多い。これが何を意味しているか。自由に放っておかれた子供の方が伸び伸び育ってるってことだ」

「あず君は何でニートにならなかったの?」

「僕にはおじいちゃんがいたからな。おじいちゃんの元で伸び伸びと自由にコーヒーの研究に没頭していたのが大きかった。自由時間は財産だ。散々失敗させてくれた経験もな」


 おじいちゃんがいなかったら、多分僕は飯を食えないニートとして、段々年を取っていく親父やお袋に養われながら、働くでもない学ぶでもない状態になっていたのは間違いない。


 自由にしてくれる居場所の有無が僕とあいつらの明暗を分けたと言っていい。もちろん勉強はできた方がいいけど、あれやりたいこれやりたいという主体性や好奇心を育てた方が後で大いに役立つ。


「私が吉樹を雇ってなかったら、どうなってたのかな」

「あいつも飯を食えない大人の予備軍だったからな。でも今は美羽がいるから大丈夫だ」

「――身内の場合だと、吉樹とルイは結構弱々しくて、主体性も好奇心も全然なかったかも」

「これは長子というより、長男の宿命と言っていいだろうな。恐らくここの連中も多くは親と学校に生きる力を奪われてきた連中だ。ただモラトリアムの期間を消化しただけの連中が卒業していくのを素直に祝える気がしないというか、中身が学生を卒業しきれていない」

「ならあず君に任せる。内容は好きにして」


 柚子は呆れるように言いながら、たった1枚の台本を破り捨てた。


 僕のために作ってくれたみたいだけど、内容は多分、卒業を祝うことや、社会へと羽搏いていった後のアドバイスなどが書かれていたんだろうが、そもそも彼らには翼がない。


 柚子は気づいてしまったのだ。翼のない鳥に羽搏くと言ったらショックになることを……。


 就職が当たり前の世の中ではなくなりつつあるんだし、本来は羽搏く必要もないのだが。


「それでは卒業スピーチに招待している世界的バリスタに登場してもらいましょう。株式会社葉月珈琲社長、葉月梓バリスタです。拍手でお迎えください」


 発表が終わる前にホールの裏から現れ、ステージ中央まで歩くと、目の前には拍手と歓声を鳴り響かせている学生たちが大勢いた。僕がいなかったら来なかったのかな。


 こうでもしないと、卒業式の魅力を提供できない大学側の責任だ。


「それでは葉月さん、卒業生たちに向けてスピーチをお願いします」


 司会者に言われるまま、ステージ中央にあるマイクの前に立つ。


 学生たちの後ろには報道陣が駆けつけ、一大イベントのような扱いだ。


「まず最初に聞きたいんだけど、今の時点でやりたいことがある人は手を上げてくれ」


 数人の卒業生が恐る恐る手を挙げた。


「おいおい、もう卒業だってのに、まだやりたいこと見つからねえのかよ」


 ステージ近くの席から大きな笑い声が飛び出した。これ、笑い事じゃねえんだけどな。


「だってやりたいこと見つからないんだもん!」


 ステージ近くの席に座っている卒業生の1人が言った。


「じゃあ何でここにいる卒業生のほとんどがやりたいことを言えないか教えてやるよ。今まで君たちが受けてきた日本の教育ってのは、主体性や好奇心を削いで、従順性や協調性を植えつける奴隷製造教育だからだ。今の君たちは、ある意味その成果と言っていい。無論、今まで学んできたことのほとんどは社会に出てから通用しないと思っていい。全部ゼロからやり直しだ」


 意外な言葉だったのか、さっきまで騒いでいた連中が一斉に黙った。


 柚子は奥の方の席で、何てこったと言わんばかりに、頭を抱えながら赤面している。


「さっきやりたいことが見つからないって誰か言ってたけど、まず何でもいいからさ、人に言われたことを200%こなしてみろ。与えられた仕事だったら、うまくいかなくても仕事を振った奴のせいにすればいい。仕事を我武者羅にこなしていけば、それが生き甲斐になっていく。与えられた仕事を片っ端から全力でやってみろ。ずっとやっている内に、やりたいことが見つかってくるはずだ」


 僕とて色んなことをやらされた。コーヒー以外にも色んな飲み物を飲んだし、勉強も運動も一通りやらされた。最初は全部全力でやったけど、ずっと興味を持ち続けられたのはコーヒーだけだった。


 試行錯誤に勝る経験はない。必ず得るものはある。全力で色んなことにトライして、これは自分に向いていないという発見をひたすら繰り返せばいい。誰かに頼まれるでもなく、いつの間にか意欲がずっと続いている分野こそ、本当にやりたいことだと思う。


 今までの人生で得た教訓を彼らに伝えた。それを彼らが活かせるかどうかは分からない。


「僕は今でこそカフェを経営してるけど、最初はやりたいと思わなかった。進学も就職もしたくなかったし、どっちを選んでも反りが合わずに追い出されるのが目に見えてた。それでカフェを始めたはいいけど、まあ客が来ない。今にして思えば、とんでもない縛りで経営してたからな。身内だけだと限界があったから、そこで外国人を呼ぼうとあの手この手を使って、動画投稿とか外国語とかを覚えていったわけ。大好きなコーヒーにずっと触れていたいと思ってた。だから仕事自体は全然苦痛じゃなかった」


 ラテアート動画を宣伝している内に遠い異国の地から大会に招待され、それが元でバリスタ競技会に出場するようになった。最初は競技会への参加に対して気が進まなかった。でもやってみたら案外楽しかったし、それが生き甲斐になっていた。気がつけば毎年何かしらのバリスタ競技会に出場していた。


 競技会への好奇心は僕を悩ませていたPTSDをも克服するきっかけとなった。元々は遊んで暮らしながら世界中のコーヒーを飲めればそれで良かったけど、消去法で選んだ仕事や宣伝のために参加した大会を全力でこなしていく内に、やりたいことが段々と定まっていった。


 やりたいことはいっぱいあるけど、1番はやっぱり……コーヒー業界をメジャー業界へと押し上げるこである。全ては僕を成長させてくれたコーヒーに恩返しをするために。結果的に遊んで暮らしながら世界中のコーヒーを飲む夢も叶った。これ以上ないくらい幸せだ。


「僕は今死んだとしても全然悔いはない。やるべきことは一通りやった。バリスタオリンピックで優勝してからそう思えるようになったし、お金も貯まって本当にやりたかったことができるようになった。20代の内は全力で仕事をこなして、できれば一生分稼いでほしい。よく若い内に色んなことをやりたいって言う人多いけど逆だよ。バイトでもいいからさ、仕事に全力で没頭して財産を形成してからやった方がいい。脅すわけじゃないけど、中年を迎えた時点で財産もスキルもなかったらマジで悲惨だぞ。選択肢がないから。内定貰ってる人は会社に捨てられる前に生きていくスキルを身につけてくれ。もう終身雇用の時代じゃない。死ぬ時になって悔いを残すような生き方だけは絶対にするな。これから君たちを待ち受けているのは地獄だ。でも乗り越えれば天国だ。そこで待ってるからな。以上」


 終わりの合図と共に、惜しみない拍手と歓声が送られた。伝えるべきことは全部伝えた。後は彼ら次第としか言いようがない。これだけ言って行動しないならその程度の人生だったということだ。


 最終的に自分の人生の責任は自分で取らないといけないけど、それは裏を返せば、自由に生きていいということでもある。今までの縛りが嫌なら自分で解いてもいいが、そこから先はもう誰のせいにもできない世界だ。彼らはそれを知らないまま生きてきた。


 自由は与えられるものとさえ思っている者もいるだろうが、そんなことはない。


 国は守ってくれないのだから、自分の身くらい自分で守れるようになるしかない。

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