205杯目「滑稽な杞憂」
あっという間に時間が過ぎていった。
5月のゴールデンウィークを皮切りに、6月に行われるWCIで使うジェズヴェコーヒーの研究を本格化させた。研究自体は1年も前からしてきたことだが、大会が近づいてきたために優先順位を上げた。中津川珈琲の中津川社長にも協力してもらい、日本代表初の優勝を目指し、新しいジェズヴェコーヒーを開発しているところであった。
6月上旬、大会2週間前になると、店の仕事の内、コーヒーに関する仕事の全てを伊織に任せた。
焙煎だけは未収得だが、浅煎り、中煎り、深煎りの違いくらいは理解できる。
「世界大会って、どこで開催なんですか?」
「ブダペスト。中央ヨーロッパ最大級の都市で、旅行者も多い観光地だ」
「またヨーロッパまで遠征するんですか?」
「僕はもう慣れたけどな。今度はコーチとしてじゃなく、サポーターとして一緒に来てほしいとは思うけどさ、リミニまで行った後、時差ぼけ起こしちゃっただろ。生活リズムを元に戻すのに苦労したみたいだから、無理に来いとは言わない」
リミニ遠征から帰ってきた後、伊織が不慣れな遠征の反動で、しばらくの間は夏風邪で寝込んでいたことからも、日本でのバリスタオリンピック開催が僕らにとって如何に大きなアドバンテージであったかが窺える。自国開催は単なるホームゲームではない。遠征による体力消耗を最小限に抑えられるキーポイントでもあるのだ。日本以外での開催だったら、果たして僕は勝てていたのだろうか。
2011年のシアトル大会でもアメリカ代表のマイケルが優勝しているし、自国開催がある程度有利なのは確かだろう。だが僕はそのハンデを乗り越えた経験が何度もある。
対策方法が存在する以上、言い訳にはならない。
「行きます。行かせてください。あず君のサポーターとして」
僕と対面するように立っている伊織が力強い声で言った。唯は既に育児休暇を終えた後も2人の子供の面倒を見ているが、柚子と入れ替わりで店での勤務をするところまでは融通が利く。
僕と伊織が同時に店を空けるとなると、また1人当たりの負担が増えてしまう。でもそのために料理を簡易化したわけだし、そこまで心配はいらないか。
「この頃ずっとお客さんが増えて大変なんだよ。お兄ちゃんが不在ってだけでも十分大変なのに、伊織ちゃんまでいなくなったら、みんなの負担が重くなっちゃうよ。伊織ちゃんは立派な戦力なんだから、同時に2人いなくなるのはきついかな」
「忙しすぎて客を捌ききれないようなら最悪休みにしてもいい。僕がいない時は、璃子がマスター代理なんだからさ、しっかりしてくれよな」
璃子が反論したのには訳がある。ただでさえうちの営業時間は他のカフェよりも短い。故にうちを訪ねてくる客は短い営業時間内に濃縮される形で押し寄せてくる。ラッシュになった時は全員がキビキビ動かないとスムーズに注文の品を出せなくなる。サービスの遅い店になるのは御法度だ。
この日の夜、僕はいつものように唯と一緒に風呂に入った。この男を誘うように設計されたくびれ、何度見ても全然飽きない。光沢を放っている白くスベスベしている美肌も、僕を誘惑するには十分だ。
「この頃ずっと伊織ちゃんと仲良いですね」
「何? 嫉妬してるの?」
「あんなに仲良くされたら、妬いちゃいますよ」
「僕は唯だけだぞ」
唯の背後から抱きつき、頭を撫でた。仲が良いように見えるのは愛弟子だからかな。可愛くて小動物みたいにくりくりした目が僕だけじゃなく、うちにやってくる他の客までをも寄せつけてしまうのだ。
「とか言ってる割に、店内女性ばっかりですよね」
「たまたま男で優秀な人がいなかっただけだ」
「トラウマですよね?」
「何でトラウマなんだよ?」
「あず君が身内以外の男性と会話してる時、無意識に一歩下がっちゃってましたよ。きっと学生の時に怒鳴られたり、腕を引っ張られたりしているのが効いてるんだと思います。それが無意識の内に女性ばかりを採用する方向に結びついているんじゃないかって。他のお店には普通に男性がいますけど、うちのお店には、身内以外の男性がいたことがありませんから」
「自分では平気なつもりだけど……やっぱり怖いのかな」
唯は僕の全てを見透かしていた。男が信用できないわけじゃない。
もし本当にそうなら他の店舗ですら採用はしなかった。きっと人と接すること自体があまり向いていないのかもしれないし、変に記憶力が良すぎるのも問題だな。接客を極力人任せにするのも、ファンサービスをしないのも、根底には人嫌いがあるからだ。昔よりマシになったとはいえ、僕と他人の距離感はインターネット上で会話するくらいが丁度良いのかもしれない。
「何で愛梨ちゃんがあず君にだけ心を開いたのか、ちょっと分かった気がします」
「僕もあいつも人嫌いだから、意気投合したとか思ってる?」
「それもありますけど、清々しいくらい自分に正直に真っ直ぐ生きてるからだと思います。あず君の日本人嫌いも、曲がったことが嫌いな性格に起因してますから」
「皮肉なもんだな。真っ直ぐな人ほど、社会を嫌ってるんだからさ」
「それだけ社会が捻じ曲がっているんです。それに慣れるのが大人になることです。今は社会につき合わなくても……生きていけるのが幸いですけど」
「何でそこまで分かるの?」
「分かりますよ。だって……私も曲がったことが嫌いですから」
「……」
唯の言うことはもっともだ。僕は大人になれなかった。理不尽を受け入れられないのが幼稚だというならそれでもいい。世間が僕に合わなかっただけの話だ。
世間が個人を見放す権利があるなら、個人が世間を見放す権利もある。
日本から優秀な人が流出してしまっているのは、閉鎖的で時代の波に取り残されていくこの国を見ていられないからだろう。自分が巻き込まれるのも嫌なんだろうし、いくら便利でも世間に縛られ、やりたいことの1つも言えないのは、きっと貧困暮らし以上の不便なんだろう。
6月中旬、僕、伊織、真理愛、俊樹の4人でブダペストまで赴いた。
真理愛が一緒なのは、彼女が出場するWCIGSCもブダペストで行われる予定だからである。複数の世界大会を一斉に行うのがワールドコーヒーイベントの方針である。同じ場所で行うというだけで経費も浮くし、一斉にやった方が効率が良いからだろう。
俊樹は真理愛のサポーターとしてやってきた。
サポーターはいずれも荷物持ちだ。大会当日は参加者が1番大変なんだから当然だ。伊織も俊樹もスーツケースを重たそうに引き摺っている。一度出場したから分かるのだが、WCIGSCはコーヒーカクテルを扱うだけあって、必要なものが非常に多い。
WCIはそこまで必需品が少ないのが幸いだけど。
「ここがブダペストですか。とても綺麗ですね」
空港から出たばかりの真理愛が余韻に浸り、中世ヨーロッパ風の建物が立ち並ぶキラキラした町並みに目をやると、憧れの目を輝かせ、夜景を見つめながら言った。この時はもう夜だった。
赤と黒を基調とした私服がとても似合っている。
スタイルの良さが分かる服装ということもあり、思わず目を奪われた。
「真理愛は世界大会2回目だっけ?」
「はい。前回は優勝を逃しましたから、今回はやり遂げてみせます」
意気込みを語りながら長くサラサラとした黒髪の姫カットを靡かせ、ガッツポーズで応えた。さりげなくこんなことができる真理愛って……なんか可愛い。店は璃子に任せた。璃子は客席制限を設けた上で店の営業をするそうだが、3人だけでも20人くらいなら捌ける。
「WCIもルールは一緒なんですか?」
「そうだな。15分で伝統的なジェズヴェ2杯とジェズヴェコーヒーを使ったシグネチャー2杯を提供して、上位6人が決勝進出だ」
「参加人数を見たんですけど、10ヵ国だけなんですね」
「WCIGSCも20ヵ国くらいですから、こっちもこっちでそんなにコーヒーカクテルが世界的に広まってないんですよねー」
真理愛が肩を落としながら言った。コーヒーカクテル好きの彼女としては、競争率がそこまで上がらないコーヒーカクテルの現状を嘆いている。これがもっと広まっていけば、コーヒーとアルコールの可能性が深まっていく。でもどちらかを究めている人自体が稀なのだ。
両方究めている人がめっきり少ないのは当然である。
「ジェズヴェは世界的に見てもマイナーな抽出器具だから、中東と東ヨーロッパくらいしか本気でやってる人がいない。つまり多くの国はジェズヴェの魅力に気づいていない。まさにブルーオーシャンだ。僕が出場するのはジェズヴェの宣伝も兼ねてんだよ」
「ブルーオーシャン?」
「競争が少ない市場って意味だ。あず君は多くのコーヒー会社がジェズヴェを売っていない今のタイミングでジェズヴェを宣伝して、みんなの購買意欲を煽ったところでジェズヴェをたくさん売る作戦だ。この前雑貨葉月の店長から聞いた」
俊樹が自慢げに葉月珈琲のプロジェクトを解説する。
稼ぐのは簡単だが、稼ぎ続けるのは簡単じゃない。多くの会社が幾度となく取引を繰り返すのは相互利益のためだ。僕がつき合うことになるのは予想外だったけど。
「プロジェクトを成功させるには、中津川珈琲の協力が必要不可欠だ。大会が終わったら、ジェズヴェを中津川グループ系列の会社から大量に仕入れて、うちにやってきた客に売る。中津川珈琲も本命の商品を売れるから、WINWINってわけだ」
「あず君は商売の才能もあるみたいですね」
「コーヒー業界のためにやってるだけだ」
「コーヒー業界のため……ですか」
「僕はコーヒーに人生を救われた。だからコーヒーに恩返しがしたい。今こうやって色んなことに挑戦できるのも、飯を食える大人になれたのも、全部コーヒーのお陰だ」
「私にも手伝わせてください」
伊織が真剣な眼差しで僕の目を見ながら言った。
独立を促すか、一生ついてくるか、ここは一度ちゃんと話し合った方がいいのかも。
伊織をトップバリスタにしようと思ったのはコーヒー業界発展のため。行く行くは独立してもらい、自分の店でも構えてもらうのが、おおよその目標になるだろうと考えていた。
なのにずっと僕についてくるのはどうなんだろうか。
「もう十分手伝ってもらってる」
手伝いたいのは僕の方だ。彼女は段々僕に似てきている。
だが独立志向がないところは、明らかに僕との相違点だ。
ブダペスト市内のホテルに着くと、僕は俊樹と同じ部屋に、伊織は真理愛と同じ部屋だ。
いつものようにガールズトークを聞けないのがちょっぴり寂しく感じるな。かといってこいつとのボーイズトークが盛り上がるとも思えないし、あまりよく分からない相手ではあるが、こいつを知る良い機会でもある。少し広めのベッドが2つある寝室に入ると、僕は早速ベッドに横たわった。
「随分と色んな女に好かれてんな」
「理由はよく分からないけど、昔から女には困らなかったな」
「そりゃそうだって。可愛い顔で世界一のバリスタで楽器も得意でゲームまで究めてんだし、モテるのも無理ないって。女は本能的にスペックの高い男を求めるようにできてんだよ」
「一応僕、昔は劣等生だったんだぜ」
「あくまで学校の成績の話だろ。あず君を見てるとさ、満遍なく点数を取る奴よりも、何か1つの分野に特化している人の方が人生うまくいくんだってつくづく思うんだよなー」
「中途半端に満遍なくやるのは駄目だけど、得意はなるべく多く作った方がいいぞ。1つだけだとその道で生きていけなくなった時に詰むからな。あんまり人のこと言えないけど、一か八かよりも無難な道で済むなら、それに越したことはねえぞ」
今思うと、無難な道を選ぼうと思えばできたかもしれない。
でもそうしていたら、きっと今よりもつまらない人生になっていたと確信を持って言える。僕には合わなかったというだけだ。公務員も正社員も聞こえはいいけど、外に出て人に会いに行くような仕事ばかりで、僕のワークスタイルとは全く別物だ。みんながやっていることを無理なくこなせる人、もしくは無理してやってのける人、この2つのパターンに属する者を普通の人と呼んでいる。
僕に言わせりゃ、普通の人なんて1人もいないけどな。
俊樹は実家がカフェで、最初はバリスタになりたくなかったんだとか。
大学を卒業した時点で特に技能もなく、就活をするも100社以上受けて全部落とされた。しばらくはカフェのアルバイトとして各地のカフェを転々としていたんだとか。そしてやっとの思いで正社員として就職したコーヒー会社からJHDCに初出場し、見事優勝した。
「100社も受けてよく飽きないな」
「受からないと実家に就職だったからな。でも全部落ちたから、とりあえずカフェのバイトとして雇ってもらって、親には就活受かったって嘘吐いたんだよ」
「結局カフェに落ち着いてんのに、実家に就職しなかったんだ」
「親と一緒にいると嫌なことばっかりやらされるから、比較的自由なとこを選んだんだけどさ、周囲があり得ないくらい接客も抽出も下手で、なんか物足りねえなと思って、新人なのにずっとカフェに居座っている連中にコーヒーの淹れ方を教えてやろうと思ったら顰蹙を買っちまった」
「だから居られなくなってカフェを転々としていたわけか。まっ、人の価値観を変えるのはそう容易くないからな。みんなぬるま湯にいたかったんだ」
ほとんどのバリスタは生きていくために仕方なく働く『労働者』としてのバリスタだ。
好きでやっているわけじゃないし、当然仕事のパフォーマンスも低い。僕が1番仕事をしてほしくないタイプであり、バリスタに限らず、労働者の大半がここに属している。
一方で僕らは本気でトップを目指しながら働く『職人』としてのバリスタだ。
本気で、しかも好きで仕事にしている。だからこそ妥協なんて許さないし、そんな奴がいたら説教するかクビにするかを考えたくもなるが、アルバイトの場合は労働者タイプのバリスタがいてもどうにもならないし、逆に上司に通報されて咎められる可能性もある。
うちには職人タイプの人間しかいない。俊樹は葉月珈琲に来るべくして来たわけだ。
「僕の人を見る目に狂いはなかった。君を見て確信した」
ベッドに横たわりながら言った。俊樹も隣のベッドに横たわっている。不慣れな環境に辿り着いただけで体力をごっそり持っていかれている様子だ。
「そりゃどうも。あんたの親父さんもお袋さんも仕事に本気だし、美月ちゃんたちもお互いに切磋琢磨し合っててさ、まさに俺が求めてた場所って感じだ」
「それは嬉しいけど、独立とかは考えてんのか?」
「いや、まだそこまで考えてねえよ。親父さんから聞いたぞ、行く行くはみんなを起業させていくことを考えてるんだってな」
「そうだけど」
「起業ができるくらいに、生きる力を身につけさせたいのは分かるけどよ、生きる力を身につけるのは各個人の課題であって、どう生きるかはそれぞれ個人が決めるべきだと思うぞ。全員が全員就職に向いてないのと同じように、起業に向いてない奴だっているし、俺の知る限りだと、みんなあず君が好きで一緒に働いてるみたいだぜ」
「……」
言われてみればそうだ。伊織も真理愛もどこか隷属的で、今でもそこまで主体的に生きているようには見えない。元々は僕が誘って、結果今うちで働いているわけで。
みんなに起業を勧めるのは、うちが潰れても飯を食っていけるようにするためだ。
最初は上手くいかないだろう。
僕もそうだったし……でも何度か試行錯誤をしていれば、誰だっていつかはうまくいく。起業した人の成功率が低いのは、才能以前に試行回数の絶対数が少ないからだ。安定しない生き方はNGであると教えられた影響である。うちに依存している内は心配なのだ。もしうちが潰れたらどうするのだろうか。最終的には自分の頭で考えて生きていける人間にならなければ、大人になったとは言えない。
「じゃあさ、丁度2人共隣の部屋にいるんだし、聞いてみるか?」
「そうするか」
俊樹に背中を押される形で、伊織と真理愛の部屋まで赴いた。
ホテル特有のロックされた部屋のドアを指でコンコンとノックする。
「はい」
「今話せるか?」
「はい、大丈夫ですけど……」
ドア越しに伊織と話して中に入れてもらった。伊織も真理愛もパジャマに着替えている。長旅でずっとシャワーをロクに浴びられなかったのが余程きつかったと見える。
伊織のパジャマ姿があり得ないくらい可愛い。女子高生と一緒に泊まったら、こんな感じなのかな。
部屋に入ると、2つあるベッドの内の1つに真理愛が座りながら本を読んでいた。
「どうかしたんですか?」
「実はさ、どうしても2人に確認しておきたいことがある」
僕は自分が思い描いている葉月珈琲の方針を話した上で2人に聞いた。
話の内容は将来起業する気があるかどうかだ。
「葉月珈琲がなくなったらどうするかなんて、今考えてもしょうがないと思いますよ」
「私たちの将来を考えて下さってるのは嬉しいですけど、島塚さんが仰った通り、私は起業するよりもあず君と一緒に仕事がしたいです」
「私も起業したい気持ちはありますけど、今はあず君のそばで学びたいです。言い忘れてましたけど、私の両親が後継者を見つけたみたいなので、もう好きに生きろって言われちゃいました」
「あっ、そうなんだ。良かったじゃん」
やっと親から解放されたか。これで真理愛は親の会社を継ぐ必要もなくなった。
両親から施されたソムリエ修業はコーヒーカクテルという才能を彼女にもたらした。きっかけは親の刷り込みだけど、誰かに言われたことを一生懸命こなしたことで本当にやりたいことを見つけたのだ。
才能はバリスタ競技会で花開いた。周りの評価がついてくれば、それが生き甲斐になる。
真理愛を見ていれば分かる。バリスタだけじゃなくバーテンダーまでもが真理愛から学ぼうと葉月珈琲を訪れるようになった。彼女と接した客は例外なく満足な顔で帰っていく。
目の前にいる人を幸せにできる人こそ本当に魅力のある人なのだ。
「私、ソムリエは目指さないことにしました」
「えっ、どうしてですか?」
「コーヒーカクテルを究めている内に、ワインだけじゃなく他のお酒にも興味が湧いてきてしまって、あず君の言葉を借りるなら、今夢中になっていることに没頭しないと勿体ないですから。今はコーヒーカクテルを究めることが、私の1番やりたいことです。コーヒーカクテルで世界一を達成したあず君の元で働くのが1番と思ったことが応募理由なんです」
「じゃあ将来については分岐点が生じた時点で決めるってことでいいのかな?」
「はい。というかあず君の人生だって行き当たりばったりじゃないですか」
「ふふっ、そうだな」
思わず笑ってしまった。将来のことは将来になってから決めればいいんだ。
こんな大事なことを忘れてしまっていた。行き当たりばったりでも、最高の結果を残してきた僕が誰かの将来を心配するなんて……滑稽にもほどがあるわな。
杞憂だったようだ。うちが潰れた先のことはそれぞれに任せればいいか。
「私はずっと葉月珈琲にいたいんです。特に私の人生を救ってくれたあず君に一生を捧げるつもりですから……あっ! いっ! 今のは忘れてください!」
「あー、伊織ちゃん、顔赤くなってますよー」
「き、気のせいですっ! 別に変な意味はありませんから!」
真理愛が緊張気味の伊織をからかうような口ぶりだ。
うちに一生を捧げたいか。だったら……潰すわけにはいかないな。
他愛もないトークはブダペストの夜に花を咲かせた。
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