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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第1章 学生編
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2杯目「絵の具事件」

 僕が小学校に強制入学させられてしばらく時間が経つ。


 しかし、本当の苦境はまだまだ先であることを忘れてはならない。日本人の茶髪狩りは、まだ始まったばかりなのだから。授業がつまらなくて毎回寝ていた。これはどの学年の時も同じだった。


 1時間目と2時間目は朝起きたばかりで眠い。3時間目と4時間目は腹が減って眠い。5時間目と6時間目は腹がいっぱいで眠い。どうも朝とは相性が悪い。終礼が終わって下校する頃にようやく目が覚めるような、根っからの夜行性人間だった。何故学校は朝から夕方までなのか。それはサラリーマンが平日行っている9時5時の仕事に慣れされるためだ。授業はルーチンワークの訓練、みんな仲良しの押しつけは営業の訓練、修学旅行や遠足は社員旅行や出張の訓練、給食は定食に慣れさせるための訓練、部活は残業に耐える訓練、宿題は会社の仕事を持ち帰る訓練。


 こう考えると、全ての行事に対して説明がつく。つまるところ、学校は上の言うことに黙って従う大人を育てる社畜養成所なのだ。明治の頃は兵士として、戦後からしばらくは社畜を作るための教育として機能した。均質性の高い人間を量産して成功した経験が忘れられないんだろう。


 日本人は時間を守るとよく言われる。これは半分正しいがもう半分は間違いだ。遅刻には厳しいくせに定時は全く守らない。僕が学生の時もそうだ。よく遅刻をして担任から怒られた。時間を守れない奴は駄目人間であるとさえ言われた。だが担任が終礼を延長する時に僕が同じことを言うと、激怒されてビンタを食らった。子供に論破されたのが気に入らなかったんだろう。


 20世紀までは当たり前の光景だった。今では体罰と呼ばれているらしいが、当時は教育的指導であるとして何のお咎めもなかった。うちの親ですら学校の味方だ。


「周りに合わせられないあず君が悪いよ」


 お袋が嗜めるように言った。何故ここまでしてみんなに合わせることを強制させられるのか。それは当時の人間が学校と会社くらいしか居場所がなかったからだ。学校にも会社にも必ず嫌な人間がいる。


 某人気アニメのガキ大将のように暴力に訴える者や、ずる賢い下っ端の奴のように狡猾に陥れてくる者もいる。そういった連中と出会っても無難に過ごせるようにするためとしか思えない。当時はたった1つのコミュニティにしか属せない人が多かった。


 子供にとって唯一のコミュニティから出ることは死を意味していた。


 学校の場合は不登校になればゲームオーバー。会社の場合も有能以外は中途採用すらされないため、やはりゲームオーバーしかない。一度レールから外れると、ゲームオーバーだと思い込まされているからこそ、みんなレールから外れるのが怖いのだ。だから死ぬ以外の逃げ道がない。


 居場所を失うのが怖い。だが居場所にいるのも怖い。そりゃ死にたくもなる。だが多くの人は死ねないため、目立たないように立ち回って流されてしまう。学校では担任の言うことが絶対で、生徒はそれに従うしかない。まるで羊飼いと羊のようだった。もうあんな所には二度と行きたくない。


 しかし、当時の僕は不登校になれなかった。親が義務教育を絶対に通学させる義務と勘違いしていたためである。僕自身、そういうものだと思い込まされていた。


 この時点で不登校になっていれば……どんなに良かったか。


「何で学校に行かないといけないの?」

「学校に行かないと、立派な人になれないからだよ」

「お母さんは学校に行ったの?」

「行ったよ。みんな学校行ってたんだよ」

「嘘だよ!」

「何で!?」

「だってみんな全然立派じゃないもん!」

「……そんなことないよ」


 お袋の言葉には疑問を持っていた。学校に行ったはずの大人たちに立派な人が全然いない。むしろ立派な人ほど学校に行ってないのではないかとさえ思った。


 茶髪を黒に染めるのを断り、断固として戦い続けることを心に決めた。ただでさえ髪の染色が禁止されているのに、黒に染めるのはOKとか意味が分からん。


 ――ギャグが言いたいなら、もっと面白いことを言ったらどうだ。


 平日は学校に耐え、帰宅後は本を読み、休日はおじいちゃんの家に遊びに行った。学校にいる時は内側からつつかれたように腹が痛くなるが、下校すると一気に痛みが引く。特に辛いのは体育の時間だ。経験者なら分かると思うが、あの時間は僕みたいな運動音痴にとっては無能を晒す場でしかない。


「早く帰りたいよぉ」


 嘆きながら最初は頑張っていた。しかし体はそれを許さなかった――。


 体育の時間中に無理が祟って倒れてしまった。夏に近づくほどに暑くなる炎天下の運動場だ。周りが僕を見ながらざわつく。この時凄く気持ち悪かったのは覚えてる。ぐったりしていたため、すぐ保健室に運ばれた。こういう時の対応は早い。見殺しにした時に責任を取りたくないからだ。


 目を開けると、保健の先生に声をかけられた。どうやら応急処置を受けていたらしい。


「あっ、起きた」

「……ここは?」

「保健室。葉月君熱中症になってたんだよ」

「ねっちゅーしょー?」


 もう少しで学校に殺されるところだった。保健の先生が言うには、僕は虚弱体質とのこと。ざっくり言えば、一般の人より体が弱い。担任には保健の先生を通して僕の虚弱体質を伝えてもらった。このまま次の授業に戻るのも億劫だし、ベッドから立ち上がろうとした時にわざと体をよろけさせた。


 すると、案の定保健の先生に止められた。


「まだ寝てた方がいいよ」


 保健の先生が心配そうに僕の体を支えながら言った。保健室に度々来るための免罪符を得た。その日は給食も保健室で食べ、終礼になった頃に教室に戻り、ランドセルを背負って帰った。


 この日以降、体育の時間は見学ばかりになった。


 しかし、体力がないのがばれたことで、男子からは不評を買った。


「男のくせに根性なしだな」


 同級生の1人が呆れるように言った。家にいる時はテレビもあったが、僕はコーヒーを淹れる作業の方がずっと楽しいことのように思えたし、他が見えないくらい作業に集中していた。


 僕の初恋の相手は間違いなくコーヒーだ。コーヒーを淹れてから飲むまでの作業は目をキラキラと輝かせながら夢中になってしまうほどに、他のことを忘れてしまうくらいには楽しかった。


 今でも飽きないほどにコーヒーを愛してる。毎日コーヒーを飲めるだけで僕は幸せだ。コーヒーを飲んでいる時は嫌なことを忘れられるし、四六時中ずっとコーヒーのことばかりを考えているほどだ。


 それはまるで、遠くで暮らす恋人のようだった――。


 夜にコーヒーを飲むことは禁止された。眠れなくなってしまうからだ。どうせ学校では寝てばかりいるから一緒なのだが。簡単なコーヒーの作り方から始めると、徐々に複雑な技も覚えるようになっていった。特に夢中になったのが、牛乳で様々な絵を描くことができるラテアートだった。最初はできなかったが、コーヒーにミルクを注いでアートを描くカプチーノは遊び心に富んだドリンクだ。牛乳をエスプレッソに注ぎ、絵が浮かび上がる現象に心を奪われた。このトキメキは常に持ち続けている。


 平日は下校後にテレビを見て過ごし、女の子向けのアニメばかりを見ていた。クラスメイトに聞かれた時に正直に答えるが、何故かドン引きされてしまった。


 男の子なのにそんなの見るんだと言わんばかりの目だった。


 引き攣った顔で誤魔化すしかなかった。


「へぇ~……そういう趣味なんだ……」

「お、おう、そうだな」


 好きなものを好きと言っているだけなのに……何でこんなに辛いんだ? 昔から可愛いものが好きで、カッコ良いものには全く惹かれなかった。僕が見るアニメは女の子向けのものばかりだ。


 学生の頃はマグカップから出てきた妖精に魔法で願いを叶えてもらうアニメ、劇団の一員として劇をしながら母親を探すアニメ、5人組の女の子が怪人を集団リンチするアニメが好きだった。元々は璃子が見始めたものだったが、璃子は僕とは対照的に男の子向けのアニメが好きだった。以降は趣味を聞かれても一切答えないようにした。多数派と違う意見を言うことは、教室内における死を意味していた。


 学校とは、多数派でないと殴られるゲームである。


 殴られるのを防ぐには、少数派にならないよう自分を押し殺して立ち回るしかない。ここで教えられる常識は、とにかく多数派のふりをすることだ。これが社会に出てからも幅を利かせているから困る。


 そんな時、不可解な事件が起きた。


 いつものように嫌々登校すると、みんな明らかに普段とは違った様子だった。誰もいない空き家教室に人だかりができていた。みんなが空き家教室に集まっていたのを見て僕も覗いた。その空き家教室の後ろの壁に、クラスメイトの絵の具がぶちまけられていた。少子化の影響でいくつかの教室に空きが出るようになっていた。その空き家教室の後ろの壁が絵の具で塗りたくられた状態だったのだ。


 そばには絵の具セットがあった。誰の絵の具セットかはすぐに分かったものの、犯人は分からず仕舞いだった。絵の具セットの持ち主は落ち込んでいる様子だ。


「誰が絵の具でこんな悪戯をしたの?」

「「「「「……」」」」」

「この中の誰かがやったのは確実なんだから、正直に手を上げなさい。嘘を吐く子は悪い子だよ」

「誰か言えよー」

「そうだよ。終わらないじゃん」

「梓君がやりましたー」


 クラスメイトの1人が僕を指差しながら言った。


 ……えっ? マジか!? 僕じゃないんだけど。こいつ、以前班を決める時、僕と班長争いをして言い合いになったことをまだ根に持ってんのか?


 もちろん僕はやっていない。他人の物には一切興味がない。


「えっ! いや、やってないって!」

「いや、梓君がやりました」

「おい、ふざけんなよ! 証拠でもあんのかよ!?」

「梓君がやってるところ見たもん!」

「じゃあいつやったか言ってみろよ」

「今日の朝やってたじゃん」

「今来たばかりだ」


 対立するように向かい合うが、担任はその言葉を真に受けて僕を疑った。


 抗議はしたが、次第に他のクラスメイトも偽りの告発者に同調し、僕が犯人扱いされることに。僕と同じ班の班長が執拗に僕を犯人扱いしてくる。まるで見てましたと言わんばかりだ。僕が登校させられた時点で、既に空き家教室は絵の具塗れだった。


 ――何か恨みでもあんのか? どいつもこいつも些細な違いを盾に攻撃してきやがって。


 集団登校の時もそうだ。僕だけ青いランドセルで、他の男子は黒のランドセルだった。そいつらは僕のランドセルの色が違うことを理由にいちゃもんをつけてくる。


「お前だけ青いランドセルなんて変なのー」


 あいつらは僕を罵った。心の狭い同級生にとって、いつ如何なる時も、少数派に属することはタブーなのだ。何も悪いことはしていなかったが、悪者扱いされて泣きそうだった。あの告発者は笑いを堪えるのに必死だったかもしれない。あの陰謀にはいくつかの説がある。


 偽りの告発者が早く事件を解決するためにやった説、担任がクラスメイトの1人に偽りの告発をさせた説、被害者と告発者がグルになって僕を罠にかけた説。


 恐らくどれかだと思うが、理由はどれも同じと思われる。茶髪にしていた僕に社会的制裁を加えるためだ。今思えばあれが人間不信のきっかけになった。こんなことが許されていいはずがない。僕の抗議も空しく、このことは担任からうちの親に伝えられ、親が絵の具セットを弁償することに。


「ちくしょうっ!」


 下校中、誰もいない所で啜り泣きしていた。男は涙を見せてはいけない。そう言われてきた。人前で泣くことは極力避けていた。もちろん親にもやってないことを伝えたが、目撃者がいるという担任の言葉を信じていたのか、全く信じてもらえずに嘘吐き者扱いされた。


 このことをおじいちゃんと璃子に伝えた。


 幸いにも2人は僕の証言を信じてくれたし、僕が他人の物には興味を示さないことを知っていた。


「学校なんてもう行きたくない」

「今行かなくなったら、それこそ自分がやったって認めることになるよ」

「行っても気まずいだけだし、何もやってないのに悪い人扱いだぞ」

「これくらい耐えられるようにならないと、立派な大人にはなれないよ」

「じゃあ立派じゃなくていいよ」

「どうしても行かないなら家を出る?」

「……」


 そう言われた僕は、渋々登校するしかなかった。


 次の日からはクラスメイトにからかわれるように犯人呼ばわりされた。


「だからやってないって」


 同級生からの尋問に怒りを覚えながら脊髄反射で答えた。何度言わされたことか。


「茶髪の子はロクな子じゃないって親が言ってた」


 僕を犯人呼ばわりしたクラスメイトの1人が言った。周囲にいたクラスメイトが一斉に僕に罵声を浴びせてくると、たまらず泣き出してしまった。クラスメイトの1人が軽く押すように殴ってくる。僕はぶちぎれて殴りかかり、気づけば相手の生徒は泣いてしまっていた。


「泣きたいのはこっちだこの野郎!」


 しかしこの暴行によって、茶髪=悪者という方程式がクラスメイト全員の脳裏に焼きついた。


 冷静に耐え忍んだところで結果は同じだ。小1の1学期からこれだから先が思いやられる。僕は自分からは手を出さないタチだが、相手が攻撃してきたら反撃をする。


 この日も宿題を出されたが、僕はいつも通り宿題を拒否してテレビを見ていた。親は気にしなかったみたいだったが、担任からは咎められた。


「何で宿題をやってこないの?」

「宿題なんてやりたくない。何で宿題をやらないといけないの?」

「勉強ができるようになるため」

「勉強なんかして何の役に立つの?」

「役に立つよ」


 具体的な回答がなかったため、以降も宿題を無視し続けた。担任から他の生徒と何度も比べられるのも苦痛だった。僕はどの科目も苦手だったが、特に算数が苦手だった。


 すると担任がまたしてもくだらない質問をぶつけてくる。


「何であの子は計算ができるのに、葉月君はできないの?」


 言っている意味が分からなかった。


 人によって得手不得手が異なるのは当たり前のことだと思っていたからだ。しかし、当時の僕は何も言い返せず、できない自分が悪いと思っていた。授業中に寝るようになったのはこれがきっかけだ。


 元々朝に弱いのも原因だが、決定打になったのは拷問のような授業スタイルそのものだった。授業でできないことがあると、すぐに指摘されてしまう。だから授業自体を拒否して、逃げるように眠るようになってしまった。学校は寝に行くものだと思っていた。


 退屈だと思った時は寝るのが1番だということをこの時に覚えたが、担任はそれさえ妨害してくる。起きるように何度も言われたが、僕は授業つまらないことを理由に断って寝続けた。給食の時は起きていたものの、クラスメイトは給食の時だけ起きていたのが気に入らないのか文句を言ってくる。


「眠たいんだろ? 寝ろよ」

「じゃあ家に帰って食べる」


 そう言って帰ろうとすると、担任が大慌てで僕を止めた。帰らせたら担任が怒られることを知っていたからだ。給食もクソまずかったが、基本的に野菜中心で食べ合わせも悪い上に、まるで鶏の餌のようだった。米に牛乳とか拷問だろ。米を出すなら飲み物は緑茶にしてほしかった。


 僕は後にバリスタとなるが、牛乳を飲むと腹痛を起こす体質だ。


 他にもそんな人は複数いたが、みんな我慢して飲んでいる様子だった。最初こそ飲んでいたが、次第に耐えられなくなり、牛乳を拒否するようになる。野菜も残そうとすると担任から咎められた。


「好き嫌いしてたら大きくなれないよ」

「先生が小さいのは好き嫌いをしてたからなんだね」


 思ったまま言葉を口にすると、担任はカッとなって僕を廊下に立たせた。1年の時の担任は門真(かどま)先生という小柄の男だった。身長が低いのを気にしていたんだろう。僕はタブーに触れてしまったらしい。思ったことをついそのまま言ってしまうところがある。言われた時の相手の気持ちを想像できず、これで何度かトラブルを招いたことがある。良くも悪くも正直、いや、馬鹿正直な子供だった。


 以降、担任は僕が給食を残しても何も言わなくなった。


 すると他のクラスメイトも苦手な給食を残すようになったのだ。


 そんなある日のこと、食育指導の先生が給食の時間にやってきた。そいつは僕が給食を残そうとすると怒鳴ってきた。野菜を無理やり口の中に入れられると、気持ち悪くなって吐き出した。そいつは僕の近くに居座り続けて、拷問のような完食指導が続いた。


 昼休みになるとみんなが遊びに行き始めたが、僕は先生に監視されていたから動けなかった。僕は最後の抵抗として、先生に容器を投げつけて逃亡した。これによって野菜嫌いが悪化し、野菜を見ただけで嫌悪感を持つほどに症状が悪化していた。流石にやりすぎたと思ったのか、次の日には別の子供を見るようになった。僕以外のクラスメイトが完食をする中、僕は野菜や牛乳を残し続けた。


 別の日、クラスメイトの1人が、みんな食べてるんだからと、僕にも食べるように言ってくる。これが日本で多くの個性派を苦しめてきた伝家の宝刀、同調圧力だ。


 食育指導の先生が怖いのか、みんな完食を強いられていた影響が如実に表れていた。大人は好きなものを食べているのに、何故子供には好き嫌いをなくすように言うのだろうか。


「じゃあお前も残せばいいじゃん!」


 クラスメイトの言い分を一蹴してやった。中には給食を吐き出す子供もいた。これのどこが食育なんだろうか。やってることはただの拷問じゃねえか。僕だけが抵抗を続けたことで、僕には完食指導がされなくなったが、クラスメイト全員から顰蹙を買うことになった。


 周りに合わせて我慢するなんてクソくらえだ。


 僕は毎日のようにいじめを受けた。しかし、自分からは手を出さなかった。担任からは咎められたが、ちょっと人と違うくらいですぐ攻撃してくる野蛮人共と仲良くなんかできるか。


「みんなと仲良くしなさい!」

「嫌だ。あんな奴ら大嫌いだ!」


 夏が近づくと、僕は学校行事の1つである遠足につき合わされていた。僕は喉が渇いてお茶を飲もうとしたが、何故か担任から咎められた。目的地に着くまで飲んではいけないとのことだった。


 ――喉が渇くのは当たり前のことなのに、何故飲んじゃいけないんだろうか。


 熱中症でも起こしたら責任を取れるのだろうか。いじめ自殺や熱中症で学校に殺された人数は相当なものだろう。社畜教育に適合できないなら死ねと言わんばかりだ。あいつらがしていることはナチスの迫害と変わりない。日本の教育が少数派や個性派に対してしていることと、かつてのホロコーストとの違いが分からない。どちらも自分たちと異なる者への嫌悪から生じたものだからだ。あれは間違いなく教育という名の迫害であると断言する。


 遠足が無事に終わり帰宅したが、授業がないのに通学する意味が分からなかった。遠足も修学旅行も自分たちで勝手に行けばいい。そっちの方が良い経験になるはずだ。誰かに行かされるものを旅行とは言わない。出張の方がしっくりくる。初っ端からこれだし、我ながら酷いもんだ。


 この後は夏休みに入り、しばらくの安定期だ。


 長期休暇がなかったら、マジで鬱病になっていたかもしれない。小1の1学期は気休めにすぎない。学校の本当の恐ろしさを、当時の僕はまだ知らない。夏休みの宿題などそっちのけで遊んだ。僕はおじいちゃんの家に滞在していたが、この日々だけは平穏を保つことができた。


 コーヒーが作られていく工程を目を輝かせながらジッと見つめるのだった。

絵の具事件は僕の経験が元になっています。

無実の罪でうちの親が絵の具を弁償させられた実際の事件です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 苦い。あまり読んでこなかった雰囲気の作品です。 共感するところもあり、疑問に思ったところもあり。今まで読んできた小説の中で、主人公がそこに存在するのではないか、と一番感じる作品ですね。 企…
2020/10/02 17:32 退会済み
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