189杯目「雪辱を誓った日」
時は流れ、早くも5月が到来する。
ゴールデンウィークの日曜日、親戚がうちへと集まってくる。親戚の多くは豪華料理にアルコールまで持ち込んでくる。穂岐山バリスタスクールの様子を尋ねる良い機会だ。
まずは吉樹と話すか。表情を見る限りだと、美羽とはうまく関係を築けている様子である。僕と似てはいるが、大きく違うのは誰とでも仲良くできるところだ。
「美羽ちゃんとつき合ってるんだってねー。バリスタスクールはどうなの?」
吉子おばちゃんが吉樹に話しかけた。
丁度僕が聞こうと思っていたところにタイムリーな話題を振ってくれた。
「生徒はみんな一生懸命やってるよ。ただ、生徒の数が少ないんだよね」
「じゃああず君に講師やってもらったら?」
「絶対やだ。講師とか向いてないし、集団組織はお断りだ」
「バリスタスクールを卒業したらどうなるの?」
「特に成績優秀な人は穂岐山珈琲に紹介してもらったりできるようになるよ。他の卒業生も大手のコーヒー会社に推薦してもらえるようになるし、技能も身につくから、通って損はないよ」
額に汗をかきながら吉樹が必死に説明をするが、個人的には行かないのが正解だ。成績優秀な人は自習ができるし、僕の動画を見てバリスタ修行を自宅で始めた人も多くいる。わざわざお金を払ってまで学校に通うメリットがないのだ。こんなことをしなくても、優秀なバリスタは確実に育っている。既にうちの法人チャンネルではバリスタの講座動画がアップされている。既にこの動画でバリスタ修行を重ねた人がバリスタ競技会に参加するに至っている。
直接通うよりも動画教材の方が圧倒的に集中できる証拠だ。
コツコツ単位を取ったところで、今いる生徒たちが卒業する頃には、動画教材で学んでいる連中は知識量だけで言えば、バリスタスクール卒業までにカリキュラムを3週はできてしまう。できる人ほど習得スピードが早く、次から次へと課題をサクサクこなしていくからだ。
授業形式だと優秀さに関係なく、全員同じスピードでしか進まない。僕の動画に至ってはカフェを起業する方法まで全て公開している。これで1人でも飯を食える大人が増えてくれれば御の字だ。
「この前生徒の1人が早くも退学しちゃってさー、授業を受けるよりも、あず君の動画を見て練習した方が早いとか言って、やめちゃったんだよねー。一体何しに来たんだか」
「そいつを穂岐山珈琲に紹介すれば良かったのに」
「卒業してない人を紹介するわけにはいかないよ」
「退学もある意味卒業みたいなもんだ。インターネットで調べたら分かるような知識はページだけ紹介するに留めて、現場力を高めるような授業をすることだな。例えば実際にカフェを建てて、そこで勤務させながら指導するとか。特に貧困で自習が困難な人には、まだ学校の需要があると思うから、貧困者を優先的に入れた方がいいと思うぞ」
そう言った途端、周囲が一斉に固まってしまった。
駄目だ。みんなの脳が理解することを拒否している……ちょっと難しすぎたか?
「現場力って言われても分かんないよ」
「吉樹、確か大学の時、バイトを1年で追い出されたことがあるって言ってたよな?」
「うん。何にも悪いことしてないのに、もう来なくていいって言われたよ」
「それは吉樹がバイトだと思って最低限の仕事しかしなかったからだ」
「何で分かるの?」
「何年のつき合いだと思ってる? 雇う側の立場で考えてみろよ。同じバイトでも最大限頑張る奴と、言われたことしかやらない奴だったら、頑張る奴を好きになるだろ」
「でもバイトはバイトでしょ?」
「バイトだろうと、人からお金を貰ってやる以上は立派な仕事だ。そこで最大限やり抜いて、誰よりも成果を上げて、就活してるんだったら正社員としてうちで働かないかって店長に言われるくらいの現場力がないと、社会じゃやっていけねえんだよ。就活の時にも志望動機を聞かれて、働かないと恥ずかしい目で見られるからとか言ってたんじゃねえの?」
「お姉ちゃん、僕のこと話した?」
吉樹が少し離れた席に座っている柚子に焦り顔で尋ねた。今までの吉樹のやり方を見ていれば、過去を聞くまでもなく分かることだ。発想が施設の連中そのものだからな。
「そもそも話題になるほど目立ってないでしょ」
まるであしらうように柚子が吉樹の疑問を一蹴する。
「ぐさっ! 地味に傷つくなぁ~」
「少しはあず君を見習ったら? 私の知る限りだけど、あず君は仕事中に手を抜いたことは一度もなかったよ。どんなに忙しくてもね。私があず君のお店でバイトしてた頃だけど、あず君はヘトヘトの時にカプチーノの注文が入った時も、一心不乱に最高のカプチーノを淹れることに集中して、簡単にはマネできないようなラテアートを素早く正確に描いて、お客さんを楽しませる努力を怠らなかった。仕事への情熱があるからこそ、毎年高いパフォーマンスで大会に臨めるの」
「……」
吉樹がシュンと落ち込むや否や、目の前にあるビールを飲み干した。
「えらそーなこと言ってるけど、お姉ちゃんが会社を潰したのだって、お客さんを楽しませる努力とやらを怠ったせいじゃねーの?」
「「「「「!」」」」」
いかん、完全に逆上しちゃってる。
「それ、どういう意味?」
穏やかだった柚子の声が低くなり、表情に怒りが見えた。半分は呆れ、もう半分は屈辱だ。
「そのまんまの意味だよ。あず君はともかく、お姉ちゃんに言われたくないね」
「私は全力で会社を支え続けた。あんたは全力で何かをやったことあるの?」
「全力でやって駄目だったパターンよりずっとマシだろ!」
「じゃああんたが全力で何かをやったら、うまくいくとでも言うわけ?」
「全力を出せると思える何かを見つけたらね!」
「その何かって……いつになったら見つかるの?」
「知らないよ。とにかく、お姉ちゃんが言っても説得力ねえから」
「……そう。じゃあ勝手にすれば?」
サイテーと言わんばかりの冷たい声で柚子が言うと、かなり離れた席まで移動し、吉樹に背を向けるように座った。これが姉弟喧嘩というやつか。実際に見るのは初めてだ。
璃子とは一度もロクに喧嘩したことがなかったからなー。
拘りが強い僕に対して、璃子は徹底して拘りを持とうとしないため、ぶつかりようがないのだ。
「なるほどねー、だから柚子と喧嘩したわけか」
数日後、穂岐山バリスタスクールへと赴いた。
アポを取ってから放課後の校長室でデスクワークをしている美羽が立ったまま壁に凭れかけ、腕を組んでいる僕の話に応じてくれた。どうしても気になることがあり、会いに行ったのだが、逆に吉樹と柚子の仲が悪くなっている理由を聞かれてしまった。よく懇切丁寧に答えようって気になったな。でも美羽に質問返しをするための良いきっかけにはなった。
美羽は吉樹と婚約し、すっかりラブラブと言える仲だ。
柚子にとっては年上のお姉さんのような存在である。吉樹とのいざこざも柚子から聞いていた。
柚子と仲直りもしないままつき合うことに抵抗がないのは離れて暮らしているからだろう。昔だったらすぐ仲直りしていたはずなのに、距離が離れると、こうも簡単に疎遠になるものなのか?
「美羽、この前紹介してくれた2人だけど」
「何か問題あったの?」
「いや、親父が言うには、立派に働いてくれているみたいでさ、4月からうちに転職して葉月ロースト初のトップバリスタを目指すって言ってた」
「なら良かったじゃん」
「何であの2人なの?」
ようやく聞けた。美羽に人事の経験はない。だが人を見る目はある。
「2人共立場が悪かったの」
「立場が悪い?」
「うん。桃花ちゃんも陽向君もあたしの知り合いでね、2人共高卒と共に育成部2軍に入ったの。当初から1軍に上がってくるほどの実力でね、お父さんからも注目されていたの」
「だったら何で別の部署に?」
「――恥ずかしい話だけど、社内でパワハラがあったの」
パワーハラスメント、日本企業の代名詞と言っていい単語だ。
もっとも、今は部下から上司、同期から同期へのパワハラもあるらしい。
何故あいつらは仲間同士で削り合いをせずにはいられないのか、理解に苦しむ。仲良く仕事をした方が業績が上がることくらい、小学生でも分かる理屈だ。みんな仲良し教育の結果がこれとは情けない。
「穂岐山珈琲でもあるんだな」
「企業だったらどこでもあるよ。桃花ちゃんはシグネチャーが得意でね、松野君がバリスタオリンピックで使う予定のシグネチャーも、桃花ちゃんのアイデアが採用される予定だったの」
「えっ!? あれ松野が作ったやつじゃなかったの!?」
驚きを隠せなかった。松野のシグネチャーの大半は、穂岐山珈琲の育成部スタッフが総出で開発したものだった。どうりで所々他人が作ったような一貫性のなさがあったわけだ。
えっ……ちょっと待てよ……じゃあ……あのシグネチャーは。
「うん。エスプレッソ部門で炭酸コーヒーを作ってたでしょ。あれ、結城君のアイデアなの。ところが育成部の部長が結城君を贔屓にしていて、最終的に部長のごり押しで決まったシグネチャーだったの」
「美羽はぶっちゃけどう思ってたわけ?」
「炭酸コーヒーは美味しいけど、結局、エスプレッソの味が支配的じゃない課題を克服できないままだったの。今だから言える話だけど、あれが選ばれた時、予選突破は無理だと思った」
美羽はその後も松野のバリスタオリンピック秘話を話してくれた。
何でも、育成部の部長は穂岐山社長と仲が良く、コーヒー通と呼ばれる舌の持ち主らしいが、傲慢で贔屓の激しいところがあり、当時の松野たちにとっては目の上のたんこぶでしかなかった。部長なだけあって大会にどんな人を出場させるか、どんなコーヒーを競技に使うかまでの全ての権限を持っていたのだ。僕も何度か会ったことはある。肉が腐ったような加齢臭で近づけなかったけど。
特に松野や結城を贔屓にしており、他のバリスタにはチャンスを与えようとしなかった。桃花はシグネチャーの課題を全員に与えられた時は奮闘し、最終選考まで進出したのだが、問題の部長によって採用のチャンスを握り潰されてしまった。桃花はかつて部長に意見したことがある。それが部長の気に障ったのか、桃花が作ったものというだけでアイデアを全て否定されたらしい。しかも桃花を才能がないと見なし、別の部署へ異動させた。美羽はこのことに気づいていたが、何の証拠もなく、あからさまに怒鳴ったわけでもないために、なかなか穂岐山社長には言えずにいた。
「その部長クビにした方がいいんじゃね?」
「そうしたいところだけど、どこにも証拠を残さないのが、あの部長の長所でね。松野君には内緒にしろって言われてたけど、松野君が穂岐山珈琲を辞めたのは、独立志向があったというだけじゃなくて、桃花ちゃんへの仕打ちに対する部長への抗議でもあったの」
「桃花の作ったシグネチャーを松野も認めてたんだろ?」
「うん。もしあのコーヒーを採用していたら、決勝はともかく、予選突破はしていたと思う。あたしが穂岐山珈琲を辞めたのは、事態を知りながら、見守ることしかできなかった自分への戒めでもあるの」
「穂岐山社長には話したの?」
「最後に松野君が全部話してくれたの。結局部長は指導力不足を理由に異動と降格処分にされたけど、もう全てが遅かった」
「それで桃花に責任感じてたわけね」
「……うん」
言いたいことは分かった。一度異動になった人が再び戻ってくるのは稀だ。そこで美羽は僕から人材派遣の話が出た時、真っ先に桃花を推薦することを決めたんだとか。本当に優しいんだな。
「陽向を推薦した理由は?」
「陽向君も育成部2軍だったんだけど、当時の同僚から参加する予定だった大会へのエントリーを取り消されたことがあったの。穂岐山珈琲の洗礼ってやつ」
「随分と幼稚な洗礼だな。頭ん中が小学生で止まってんじゃねえのか?」
「穂岐山珈琲は実力トップの人じゃないと、なかなか大会に出場できないの。同時に周囲から気に入られるような人じゃないといけないわけ」
「どうりで1番無難そうな奴しか出てこれないわけだ。何であの会社からワールドチャンピオンが出てこないのか、よーく分かった気がする」
やはり僕が思っていた通り、組織の構造に明らかな問題があることが発覚した。
好きにしていいと言いながら、やっぱり規制だらけじゃねえか。
入社しなくて良かったぁ~。結果論だけど、誘いに乗らなかったのは英断だったな。
「――あず君、今入らなくて良かったって思ったでしょ?」
「何で分かったの?」
「顔を見れば分かる」
「組織の中では色んな問題が起きる。でも仕組みさえ良ければ人間関係の問題はほとんど解消できる。うちはスタッフみんなが相互評価し合う仕組みで、あまりにも評価が悪い人は最悪クビになるからさ、嫌がらせとか絶対できないようになってる」
つまり、美羽にとって2人は瓦礫の天才ってわけだ。その瓦礫の天才を穂岐山珈琲に代わって僕に育ててほしいということか。今の穂岐山珈琲は腐りかけている。だが誰も指摘しようとはしない。故に組織における欠陥を埋めることができないままでいる。
先月、久しぶりに育成部へと赴いた時を思い出した――。
松野と美羽が同時にいなくなった部署は明らかに層が薄かった。当たり障りのない人ばかりが1軍に昇格しているため、シグネチャーに全く面白味がなかった。
「美羽の言いたいことはよく分かった。とりあえずしばらくはうちで面倒見る」
「ホントにっ!?」
「ああ。才能があるのは分かってたけど、うちで才能開花したら穂岐山珈琲の立場がなくなるかもな」
「――いっそのこと、そうしてくれると助かるかも」
美羽は窓の外を眺めていた。きっと穂岐山珈琲の目を覚まさせてくれというメッセージに違いない。僕はまだ知らなかった。この時から穂岐山珈琲の衰退が始まっていることに。
5月中旬、僕は伊織と共に東京へと赴いた。
JHDC決勝が行われた。ドリップ競技とプレゼン競技の総合スコアによって勝負が決まる。会場にはそこまで人がいなかったが、これならプレッシャーが少なくて済む。
大きな大会ではないためか、観客席もあまり用意されていなかった。
「じゃあ行ってきます」
「ああ、伊織だったらきっと大丈夫だ。信じてるぞ」
「はいっ!」
伊織は笑顔で競技者控室へと去って行く。
ここから先は伊織1人の戦いだ。僕は黙って応援することしかできない。
「次の競技者です。第11競技者、株式会社葉月珈琲、葉月珈琲岐阜市本店、本巣伊織バリスタです」
伊織の名前が発表されると同時に会場がドッと沸いた。伊織は拍手に応え、ペコリと頭を下げた。
葉月珈琲の名を聞いた全員の目の色が変わった。今や葉月珈琲を知らないコーヒー通は存在しない。
ここにいる全員が伊織の活躍に注目している。
「なあ、あの子、葉月珈琲の子だよな?」
「ああ、間違いねえよ。葉月梓が見込んだ子らしい」
競技が始まるまでの間、周囲の観客が伊織の噂を始めた。15歳でデビューした伊織はこの年のテレビでも取り上げられ、デビューするまでの経緯まで聞かれていた。
伊織もちょっとした有名人だ。既に何人かファンがいる。
「始めます。私がコーヒーを淹れる時に最も大事にしているのはコーヒーが持つ個性です。世界中にあるコーヒーが持つ1つ1つが個性を引き出し、お客様の元にお届けするのがバリスタの役割です」
いつものようにドリップコーヒーを3杯抽出しながら抽出メソッドの説明をしている。集中力が昔とは桁違いだ。修行の成果がしっかり出ている。うちでやってきたバリスタ修行は、集中力を徹底して鍛える訓練だ。時間割ベースでやると、ルーチンワークは鍛えられるけど、集中力はどうしても散ってしまう。納得のいく味を出せるまで、ひたすら練習を繰り返した。
だが競技者としてはまだまだだな。声に熱が込められていない。
プレゼンをする時は、通りすがりの人が思わず足を止め、集中的に耳を傾けるくらいの迫力や存在感を出さなくてはならない。誰も聞きたがらないものをプレゼンとは言わない。ただの独り言だ。何度かバリスタ競技会で全然勝てませんみたいな相談を受けたことがある。
そいつらときたら、揃いも揃って声が小さいし、これだけは聞いてくれみたいな覇気がない。本当にプレゼンする気あんのかと思った相手もいる。特に女性にこの傾向が強かったが、女性たるもの、声は控えめに、お淑やかにと、幼少期から言われ続けてきた教育による影響だろう。
今度はメンタル教育をやり直すことになりそうだ。
「本巣バリスタはどんなバリスタを目指していますか?」
「世界一のバリスタになりたいです」
「世界一ということは、やっぱり目指すところは、バリスタオリンピックですか?」
「はい。いつか必ず出場して、優勝を目指したいと思います」
伊織が長いインタビューに辛抱強く答えている。
ある意味本番よりも神経を絞られる時間だ。しかも日本人インタビュアーの質問ってつまんないんだよなー。内容に踏み込んでこないというか、何かの感想を言う時でさえ、内容に一切言及しないのが標準化しちゃってるし、これは国民病なんだろうか。
「あいつ、世界一になるってさ」
「無理無理、いくら葉月梓の店で働いてるからって夢見すぎだって」
ガラの悪そうな連中が伊織の批評を始めた。何も知らねえ奴が偉そうに。
昔の僕だったら黙って見過ごしているところだが、この時は自然に体が動いた。
「そういうお前らは、人に無理って言えるほどチャレンジしたことあんのか?」
「えっ、もしかして葉月梓?」
「そうだけど。で? どうなの?」
「どうなのって言われてもなー、世界に行けるのはあんたくらいだよ」
「みんながそう思っている内はな」
「あいつだったら優勝できるとでも?」
「可能性はある」
参加せずに外から批評ばっかしてる連中よりはな。
外野は黙ってろって言葉があるけど、本当にその通りだと思う。現場の人間にしか分からないことは山のようにある。この感覚、いつ以来だろうか。こんなムカつく奴らに突っかかるなんて……何だか学生の頃に戻ったみたいだ。おかしいことをおかしいと言っては、周囲から顰蹙を買っていたな。でも悪い気はしない。どうやら僕に我慢は似合わないらしい。
「それでは今から結果発表となります。順位の低い順から発表していきます」
しばらくして結果発表の時間がやってくる。
競技者じゃないのに、まるで自分のことのように緊張する。さっきの連中は余裕の顔だ。参加したことのない人間にはまず分からないだろうな。
順位の低い順に結果が次々と発表されていく。18人もいるのだから無理もない。
「第7位は……株式会社葉月珈琲、本巣伊織バリスタです」
会場から惜しみない拍手が送られるが、伊織は作り笑顔で応じてからは全く笑顔がない。
200人が参加する大会に初出場で7位はかなり上出来だ。
結果発表が終わり、何も手にしていない伊織が僕の元へ戻ってくる。入賞は6位からだ。伊織はギリギリのところで入賞を逃す結果となってしまった。
「あず君、負けちゃいました」
「次の競技会で勝てばいい。負けた経験は無駄にならない」
「そうですね」
伊織を励まして帰ろうとした時だった。
さっきのガラの悪い連中が僕らに背を向けたまま、少しばかり大きい声で話しているのが聞こえた。
「あの本巣っていう子、葉月珈琲のバリスタの割に大したことなかったな」
「ああ、葉月梓も人を見る目がなかったってことだよ」
こいつらまだいたのかよ。気づいてないとはいえ、伊織には嫌なものを見せちゃったな。
「「……」」
さっきの連中は1人の幼気な女子を傷つけたことにも気づかずに去っていく。
下を向いている伊織の目からは透き通った大粒の水滴が流れ、悔しさを噛みしめていた。
――負けるってこういう気持ちなのか?
これを回避するために全力を尽くしていた。全力を尽くせば勝てるかと言えば、そんな単純なものでもない。全力の差がスコアに表れてしまっただけだ。
「見返してやろうな」
小さな肩にそっと手を置いて言った。伊織は黙ったままコクリと頷いた。
伊織には悔しさをエネルギーに変える力があると、僕は確信するのだった。
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