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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第7章 バリスタオリンピック編
169/500

169杯目「最大の壁」

 ――大会5日目――


 遂に予選最後の日がやってくる。


 午前8時、すぐに会場に赴こうと、早めに起きて朝食を食べ始めた。


 僕が会場に急ぐのには訳がある。10時からバリスタオリンピック史上初となる2連覇を狙う優勝最有力候補、マイケルの競技が始まるからだ。僕、唯、伊織の3人でシリアルやトーストを食べている。


 璃子、優子、真理愛は昼からのリハーサルのために穂岐山珈琲のオフィスビルにいる。


 遠くから金髪碧眼のロングヘアーの顔が見えた。正体は静乃だった。彼女は僕に気づくと、慌ただしい様子でスタイルの良い体を動かしながら僕の元へとやってくる。


 やや駆け足で急ぐように近くまでやってくると、僕の隣へと腰かけた。


「あず君、ちょっといいかな?」

「どうかしたの?」

「莉奈のことなんだけど……」


 静乃は莉奈の将来を心配していた。母子家庭である上に母親が働けなくなり、生活保護を申請中とのこと。今は静乃の親が莉奈の学費を負担しているが、莉奈は知ってか知らずか、大学には行かずに就職することを決めた。だがどこに就職すればいいのかが分からないでいた。


 やはり僕の思った通りだった。莉奈の人生は詰みかけていた。


 別れた元夫は何をやっているのやら。こういう時のための養育費じゃねえのかよ。


「母子家庭だったら、元夫が養育費を払うものじゃないんですか?」

「日本の法律だと、両親が子供を育てる前提の欠陥システムだから、別れた後に養育費を払う義務がないんだ。社会保障制度自体はあるけど、どれも笊法で、行政側が拒否する手段がいくらでもある。わざと欠陥を作って、社会保障を受けられないようにしてる。そのくせ自己責任論が強いせいで誰も助けようとしないし、極端な迷惑アレルギーのせいで、自分から助けを求めることも困難になってる」

「このままだと莉奈が可哀想だよ。莉奈は何も悪くないのに」

「僕が日の丸を背負いたくない理由がよく分かっただろ?」

「……はい」


 唯が頷いた。半分は仕方ない、もう半分はやるせない気持ちだ。


 やはり結婚はギャンブルだ。しなくてよかった。唯を信頼できないわけではないが、後々何が起きても全く不思議ではない。それは誰が相手だろうと同じことだ。どうせいつでも離婚できたり、責任を取らなくても良かったりするなら、最初から結婚制度がなくてもあんまり変わらない気がするのだ。


 生活保護を受給できないなら莉奈が就職するしかない。だがやりたいことが分からない。これは紛れもなく教育の成果だ。世間に責任を負わせる方法はないのだろうか。


「あず君、どうにか莉奈を助けてやってくれませんか?」


 伊織が僕の隣から目をうるうるとさせながら、甘えるように懇願する。


「しゃあねえな。柚子に相談してみる」


 予定よりも早く柚子宛にメールを打った。


 今、楠木マリッジは火の海だ。飯を食えない、仕事ができない、学習ができない、この3拍子が揃った連中を雇いすぎた結果だ。雇っているというより、養っている状態だ。


「静乃の会社で雇うことはできるか?」

「うちも今は人手が十分足りてるし、一部の仕事がオートメーション化したから、ますます人を雇う必要がなくなっちゃって、それで困ってたの。それに私、今度結婚することになったから、尚更相手には親戚のことで迷惑をかけられなくなったの」

「へぇ~、おめでとう。相手はどんな奴?」

「とても良い人だよ。岐阜コンで知り合った人なの。つき合ってる内に段々好きになってきちゃって」

「それは良かった」


 こいつ、いつの間にか就職先も結婚相手も手に入れていたとは、なかなかに強か。


 でも静乃は美人で性格も明るいし、めっちゃモテるんだよなー。


 蓮の近況も聞いた。あいつとも相変わらず友達で居続けているようだ。蓮は就職して働きながらプロゲーマーを目指している。そういえばあいつ、ゲームの大会にもアーサーのハンドルネームで出てるって言ってたな。あいつもようやくやりたいことを見つけたか。いや、とっくに見つけていた。僕があだ名をつけたんだからきっと活躍できるはずだ。蓮をゲームの世界大会配信で見られる日が待ち遠しい。今は遊びが仕事になる時代だ。やりたいことなんて遊ぶとかのんびり過ごすとかでもいいんだ。そこに辿り着くために、今の自分に何ができるかを考えなかったら、そりゃ見つからねえよ。


 富む者はますます富み、貧する者はますます貧する。


 社会に殴られるって、こういうことを言うんだろうな。


「あず君、唯、久しぶり」


 聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。僕らが後ろを振り返ると、声の正体がジェフであることに気づいた。隣には咲さんもいた。唯は久しぶりに親と再会したのだ。


「お父さん! お母さん! 何でここに?」

「驚かせようと思ってな。黙ってここまで来た。今日は義理の息子の結果発表だ。孫はどうしたの?」

「紫だったら、家でハウスキーパーに面倒を見てもらってる」

「自分で面倒見ないの?」

「それだと大会に出られないってあず君が言うから、ハウスキーパーを雇うことにしたの」

「親だからって、そこまで人生を縛られる必要はないからな」

「せっかく孫の顔を見に来たのに」

「我慢してくれ。大会が終わったらうちに寄ればいいだろ」


 子供がいるとはいえ、これは世界トップクラスのバリスタたちと戦える数少ないチャンスだ。一生の間に何回出られるか分からないし、出られる内に出ておくのが僕のポリシーなんでね。


 ジェフたちと色々と積もる話をした。特に盛り上がったのは子育ての方針だった。


 学校に行かせない方針に咲さんは反対だったものの、ジェフは快く賛成してくれた。あの硬直しきった教育制度の中に放り込んだところで、不当に差別されまくって自己肯定感をぶっ壊され、時代に合わない人間になってしまう可能性が非常に高いからだ。


 学校に行かせないことが実験だというなら、学校に行かせることもまた実験である。


 臨床結果のデータは十分に取れたはずだ。


 勉強はできるけど仕事ができず、知識はあるけど活かせる場所がないという人間が物凄い勢いで増えているわけだし、僕としては自分の子供がそうなると分かっていて学校に放り込む気はない。


「でも学校に行かせなかったら、社会性が身につかないよ」

「今は僕みたいな引き籠りでも稼げる時代だ。社会性なんて無理をしてまで身につける必要はないし、何なら家にいても勝手に身につくから問題ねえよ」


 子供とは先進的なもので、時代遅れなものにはつまんないと言ってしまう。


 うちの子に至っては、まずあんな刑務所みたいな場所には馴染めない予感しかしない。今の僕にできることは、積極的に不登校の子供を増やすことだけだ。


「僕は自分の子育て方針で子供が駄目人間になったら責任を取る。でも学校は学習指導要領が原因で子供が駄目人間になっても責任を取ってくれない。うちが日本人規制法を始めたのは、僕に不適切な教育を受けさせた挙句、責任を取らなかった世間に対する制裁でもある」

「じゃあどうすれば日本人規制法を解除するの?」


 咲さんが核心を突いた質問をする。僕はその回答の用意ができていた。


「そうだな、世間の代表である文科省が、あの時の迫害を不当だったと認めたら考えてもいい」

「それ、本当なの?」


 静乃が真剣な眼差しで僕に問いかけた。どうやら彼女も心配していたらしい。


「まっ、どうせ認めないだろうから、解除は一生ないだろうけど」

「どうして不当を認めさせることに拘るの?」

「僕は過去の自分の仇を討ちたい。僕のしていたことは間違ってなかった。過去の自分の正当性を証明するには、世間に負けを認めさせる必要がある。やられたらやり返すのが僕の流儀でね、ここだけは絶対に譲るべきじゃないと思ってる」

「あず君は良くも悪くも妥協知らずですから。今までずっと結果を残してこられたのも、良くも悪くも妥協知らずの性格が理由なんですよ」

「……」


 唯が僕の代わりに捕捉してくれた。この時点で全面的に僕の方針に賛成していると宣言したようなものだが、世間が自らの非を認めないとなれば、葉月珈琲は僕が引退するまで絶海の孤島だ。


 個人に対してやり返すことはしなくなったけど、世間にはどうしても倍返ししてやりたい。


「復讐なんかしたって……何も解決しないよ」

「やり返すだけならその通りだ。でも何もしないのも違うと思うぞ。もしこのまま世間が一度も敗北を認めなかったら、やがて僕らの子供や孫の世代が……あの腐った教育を受ける破目になる。そうやってまた世間を恨む大人が出てきた時、君はそいつらにどの面下げて向き合うつもりだ?」

「そ、それは……」

「僕が恨んでるのは世間だ。僕にとって身内以外の日本人は世間の代行者。あいつらが社会からの不当な迫害を容認したことで、数多くの人生を潰してきた。なのにあいつらときたら、落伍者に対して自分たちの罪を回避しようとしているかのように、自己責任の一点張りだ」


 僕は自分のしたことに責任を取れない奴が心底嫌いだ。


 学校からの会社勤めみたいなルートの決まった生き方を勧めるんだったら、せめてその道が向いていないことが分かった時点で一生分の生活を保障してやるくらいの責任を負う覚悟をしてから勧めろってんだ。なのにあいつらは責任を取らないばかりか、何のケアもなしに、うまくいかなかったら自己責任自己責任と、馬鹿の1つ覚えみたいにほざきやがって!


 あいつらは無敵の人に刃物を向けられても文句を言える立場じゃねえんだよ!


 うまくいかなかったらすぐ人生が詰むような人間を量産してきたんだからな。


 これはもはや社会的責任を通り越して、僕ら1人1人の責任だ。


「僕はあいつらの顔を見る度に、自己責任論の矛盾点をつい考えちゃうわけ」

「……世間に……負けを認めさせればいいんだよね?」

「世間に頭を下げさせるのは簡単じゃないぞ」

「私に良い考えがある。この大会が終わった後で教えるね」


 僕は首を傾げた。静乃は何かを思い立ったような笑顔だった。大した期待はしなかったけど、僕らの話を聞いていた周囲も協力的だ。一体何を企んでいるのやら。


 午前10時、僕らは会場のブースへと赴いた。


 流石は優勝候補なだけあって満席だった。僕らはずっと立ち見をすることになったが、唯も伊織も立ち続けたことによる足の痛みより、世界トップレベルの競技を優先したいらしい。


 まるで人気映画の公開初日のような雰囲気だ。


 ステージ上ではマイケルが同僚たちと共に競技用のコーヒーやステージの設置を行っている。


「アズサ、久しぶり」

「もしかして……アリス?」


 現れたのはアイルランド代表のアリスだった。


 金髪碧眼のゆるふわなロングヘアーの細身な女だ。僕がコーヒーカクテルを究めるためにダブリンに滞在していた時に出会った。彼女は僕の熱烈なファンであり、スティーブンのいとこにあたる人物だ。


 彼女は僕がダブリンまで来ることを聞きつけると、遥々トラリーから駆けつけてくれたのだ。僕のために遠くから会いに来てくれたのが嬉しいと思えた初めての瞬間だった。


「久しぶり。私も代表として来たの」

「ラストチャレンジの時もいたよね?」

「うん。私は昨日競技の日だったけど、アズサはいた?」

「別の場所で準決勝のリハーサルをやってた」

「そりゃ残念。私の競技見てほしかったなー」

「君が準決勝まで上がってきたら見に行くよ」

「……約束だよ」

「ああ、約束だ」


 本当に可愛くなったな。まだ21歳で、大会史上最年少の参加者だ。


 アリスは間違いなく、これから伸びていくだろうな。


 しばらくすると、遂にマイケルの競技が始まった。


 まずはエスプレッソを抽出してそれを冷やし始めた。3つのポルタフィルターを使って全部で6ショット分、いや、10ショット分も抽出して最初の6ショット分を氷水で冷やしている。2週目を終えるまでが恐ろしく早い。しかもその間に使っているコーヒー豆の説明までできている。マルチタスクの得意なトップバリスタが作業とプレゼンを同時に行うとこうなるのか。見ているだけで惚れ惚れする。


 コーヒーはエチオピアの『エアルーム』という品種であり、『ウォッシュド・カーボニック・マセレーション』という特殊なプロセスだった。名前は聞いたことがあるけど、マイケルがこれを使うのは相当美味いからだろう。今度仕入れてみるか。エアルームはコーヒーノキの中でも白い花の品種であり、コーヒー栽培地として新しい場所に新鮮な土壌に若いコーヒーノキが植えられている。濃厚なイエローフルーツの風味と並外れた甘味、更に2000メートルを超える標高も素晴らしい甘味をもたらす。


 ウォッシュド・カーボニック・マセレーションは、パルピング後にタンクに入れてから二酸化炭素を投入して密閉し、全ての酸素をタンク内から排除する。これによって乳酸菌の生成を促すことになり、クリーミーなマウスフィールをもたらしている。ステージをよく見てみると、このエアルームのみが用意されている。どうやら予選はたった1種類のコーヒー豆で挑むらしい。


「マイケルはあのコーヒーだけで勝負する気だな」

「用途に応じてコーヒー豆を使い分けるあず君と、1種類のみのコーヒー豆をとことん追求したマイケルさん。2人共対照的ですね」

「でも同じところもあるよ。あず君もマイケルさんも世界一のコーヒーを淹れようとしてる」

「全く違うタイプのバリスタなのに、目指すところは同じなんですね」

「それが大会というものだ。正解のない課題に色んなプレイスタイルで挑んでいく。そうやって鎬を削ることで、次に出場する人のレベルがどんどん上がっていく。僕とて何度大会に出ても勝てるかどうか分からない。だからいつも全力を出してる」

「その気持ち、何だか分かる気がします」


 伊織が笑顔で共感する。何だか自分も早くあの場に立ちたいと、うずうずしているように見えた。


 彼女も大会に出たそうな顔だ。エスプレッソ2杯分を提供すると、今度はエスプレッソ2ショット分に牛乳から乳糖だけを取り出して発行させた乳糖発酵シロップ、同じ豆から水蒸気蒸留器で取り出したコーヒーオイルを投入して混ぜたものを提供した。


「コーヒーオイルって、あず君も使ってましたよね?」

「言っとくけど、あれはパクリじゃねえぞ。僕のプレゼン内容は直前まで伏せてるし、コーヒーオイルは旨味の塊だ。より多く投入することを思いついても不思議じゃない」

「天才同士はよく発想が被ると言いますけど、本当なんですね」


 次はペーパードリップでドリップコーヒーを6杯分淹れると、その内2杯を提供し、残り2杯はシグネチャーにする模様。ドリップコーヒーに冷やしておいたエスプレッソ2ショット分を混ぜ、冷やした種無し葡萄の果肉の部分だけを1個ずつ投入していった。これによってコーヒーの温度が下がりにくくなり、新たなフレーバーが追加される。コーヒーの中に食べ物を投入するバリスタはWBC(ダブリュービーシー)にもいた。確かコーヒーの中にムースケーキとチョコレートを乗せ、エスプレッソをかけたデザートのようなものだったが、今回は完全に混ぜるよりはアクセントをもたらす程度のものだ。


 次はオリーブオイルのかかった生ハムとチェダーチーズを組み合わせたもの、さっきのドリップコーヒーを冷やしてからチェリーシロップを泡立てたものを加えて混ぜたものを提供し、その後にレーズンの盛り合わせ、さっき冷やしたエスプレッソ2杯分から作ったカフェオレと共に提供した。生ハムもチェダーチーズもしょっぱい食べ物である。チェリーシロップを加えることで、赤ワインのフレーバーに変わる。生ハムやチーズといったしょっぱいものにはワインがよく合う。


 ワイン系統のフレーバーなら、それらの食材と相性が良いことも頷ける。レーズンには程良い甘さのコーヒーが合う。カフェオレにすることでミルクチョコレートのようなフレーバーとなり、それがレーズンとのシナジーをもたらし、最高の一時を提供してくれるんだとか。どちらもコーヒーブレイクをする前提のもので量も多くなかった。コーヒーを何度も飲み続けるジャッジへの配慮が行き届いている。


 もし僕がジャッジだったら――思わず競技中であることを忘れてしまいそうだ。


 残る2ショット分のエスプレッソ、ジン、チェリー・ブランデー、搾りたてのレモンジュースを混ぜて作ったエスプレッソスリングを2杯完成させ、最後にマラスキーノ・チェリーをガーニッシュとしてタンブラーグラスに添えて提供した。だからエスプレッソをあんなに冷やしてたのか。


 通常のスリングは炭酸も使うが、それを使わなかったということは、飲みやすさとさっぱり感を重視したからだとか。やはり炭酸はリスキーか。粒々があると違和感を感じる人も少なくない。あのドリンクは飲む人の気持ちを計算し尽くしたコーヒーカクテルだ。さっきもチェリーシロップを使ってたし、あのコーヒーのメインフレーバーは恐らくサクランボだ。さっき余分に作っておいたドリップコーヒーが既に冷えきっている。ということは両方共コールドドリンクにするつもりだ。


 マイケルが作ったのは、イタリアン・クラシコというコーヒーカクテルであり、コーヒー+ストレーガという組み合わせで作られたコーヒーリキュールで構成されたもの。彼は全く同じ品種のコーヒー豆を元にした自作のストレーガを使ったものを2杯作り提供した。


 自作の酒まで用意していたとは恐れ入った。


 ここまでで45分、余裕を持ったままラテアートの準備に入った。


 なるほど、ここも考えることは一緒か。ラテアートにかける時間を長くするために他の部門にかける時間を短くし、この部門で大差をつけようってわけか。ここまでで多くの参加者の競技を見てきたが、やはり残り時間との兼ね合いで焦るバリスタが後を絶たなかった。最初こそマリアージュ部門が鬼門だと思っていたけど、どうやら僕は大きな思い違いをしていたようだ。


 このラテアート部門こそが最大の鬼門だったのだ。ここは時間をかければかけるほど最高の作品に仕上がるが、それを知ってか知らずか、残り時間が少なくなってから慌ててしまい、所々ミスをしたまま最後の部門の作品を提供するバリスタも多々見られた。あそこでミスをしたバリスタは、恐らく予選で姿を消すだろう。やはりこの大会攻略の鍵は、ラテアート部門にかける時間をいかに長くするかだ。


 恐らくマイケルはこの法則に気づいていただろう。


 じっくりと時間をかけ、フリーポアで天使、デザインカプチーノで悪魔を詳細に描いていた。まるで本物の絵を描いているかのようなリアリティーのあるかなり複雑なラテアートだ。提供するのはそれぞれ2杯分だ。マイケルはそれぞれのラテアートを4杯分描き、特にうまく描けた2杯を選び提供した。制限時間内であればいくらドリンクを作ってもいいのが、この大会のルールである。このことからも、マイケルがバリスタオリンピックを知り尽くしていたことが窺える。


「この最高の舞台で私のコーヒーを味わってくれた皆さんを光栄に思います。タイム」


 マイケルの競技が終わった。間違いなく準決勝進出確定だ。僕には彼が5つの部門を1つの長い部門としてこなしているかのように見えた。プレゼン、スピード、オリジナリティ、どれも全く隙がない。


 これが……世界一のバリスタか。僕は思わず息を飲んだ。


 良いもん見させてもらったよ――ずっと僕の記憶に残るだろう。


「凄い競技でしたね。ずっと立っているのが苦痛にならないくらい夢中になってました」

「伊織ちゃん、全く目を離しませんでしたね」

「はい。私もいつか……あの舞台に立ってみたいです」

「またやりたいことを見つけたな」

「はい。あず君のお陰です」

「僕はきっかけを与えただけ。自分の道を決めるのは、いつだって自分なんだからな」

「きっかけを与えてもらっただけでも十分です」


 伊織は輝いた目で僕を見つめた。眩しすぎるくらいの笑顔だった。


 この笑顔を守るためにも、僕はずっと戦い続ける。

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読んでいただきありがとうございます。

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