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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第1章 学生編
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16杯目「持久戦略」

 小5の冬休みが終わると、また学校に投獄される日々が始まった。


 掃除事件以降、僕は腫れ物扱いを受けていた。しかし、今までの腫れ物とは訳が違う。僕がどんな人間かを知らない担任からは、授業前後に起立を促されていた。


 腫れ物認定されると放置してくれる。故に僕は腫れ物扱いを甘んじて受け入れた。


 小5の3学期の最初の登校日に転校生がやってきた。毎年定期的に転校で人が入れ替わる。朝の会の起立の時も、いつも起きたばかりなのか凄く眠い。


 いつも定期的に欠伸を繰り返しては、机の上に腕を置き、腕の上に頭を置いて熟睡している。本当はふかふかの布団で寝たいが、この習慣は小1の時から繰り返しているために慣れている。学校は寝に行く場所とでも思わないとやってられない。


 そんな時だった。いつものようにみんなが起立した時に転校生が僕に気づく。


「先生、あそこの女子がまだ寝てるよ」

「「「「「あはははは!」」」」」


 クラス中が爆笑する。転校生以外は僕のことは放置してくれた。


「いいのいいの、葉月君はそういう子だから」

「葉月君? えっ? 男なの?」

「そうだよ。全然男らしくないけど」


 担任の大中先生は諦め気味な表情で説明すると、またみんなが笑った。


 既に僕を従わせることを諦めていた。


 僕は挨拶が大嫌いだ。挨拶はコミュ障殺しであり、いくら言われても席を立たなかった。握手だって相手に触りたくない人もいるし、お辞儀は腰に負担がかかる人もいるし、生まれつきうまく喋れない人もいるのだから、挨拶を強制した時点で強要罪に問われてもいいと思っている。


 挨拶のできない人は駄目人間だとよく言われるが、いつもこう答えている。


『駄目人間で結構』


 1学期や2学期は起立しろとよく声をかけられる。毎回嫌だと言って拒否していたが、掃除事件以降は注意する人さえいなくなった。個人的にはラッキーだが、これなら僕がいなくてもいいんじゃねえかと思っていた。挨拶が苦手すぎて、自閉症じゃないのに自閉症と勘違いされることも少なくなかった。


 特に人と目を合わせて話すのが苦手だ。


「人と話す時は相手の目を見て話しなさい」


 これを何度も言われていたのだからたまったもんじゃない。目を合わせずに会話するのが駄目だと言うなら、電話とかメールとかも駄目ということになるが、何でこっちはいいのかな? 世間の目は気にしないのに、人の目を見るのは怖いって……我ながら滑稽だ。それだけ人嫌いだったのだろう。


 ――人混みは苦手だ。東京スクランブル交差点の大移動を見ただけで吐き気がする。仕事以外ではまず行きたくない場所ナンバーワンだ。親父みたいに営業かけて取引先に行くような仕事はまず無理だと思った。カフェのマスターの仕事を選んだ理由がそこにある。飲食店なら客の方から来てくれるため、自分から呼ぶ必要がない。無論、うちの店は挨拶の強制などしない。挨拶とか会議とかしてる暇があるなら、他の仕事をした方が生産的だ。しかも自宅が職場だから通勤時間もない。


 3学期は特に事件らしい事件はなかったが、退屈の裏返しでもある。平和なのが何よりだが、いつも寝てばかりで、授業の内容なんて全然頭に入ってこないのだから、こういう時くらい全部欠席したかった。この時間はあっという間に過ぎていった。苦痛な時間は遅く感じるのに平和な時間は早く感じてしまう。逆にはなってくれないようだ。平和な時間を過ごしていた頃、飛騨野からデートに誘われる。


 日曜日の正午、公園に集合することに。


 5分ほど前に公園に到着すると、そこにはまだかまだかと待っている飛騨野の姿があった。僕は遅刻かと思い、慌てて公園の時計を確認する。時計はまだ12時になっていない。


 ――うん、大丈夫だ。遅刻はしていない。つまりあいつが早すぎるんだ。


「あっ、梓君可愛いー。スカート履いてきたんだ」

「う、うん。そうだな」

「前々から思ってたけど、ホントに変わってるよね」

「もう聞き飽きた」


 飛騨野をいなすように言うと、飛騨野は僕の左腕にガシッと強めにしがみついてくる。このままだと歩きにくいし、下手すりゃ同性愛カップルと間違えられて迫害を受ける恐れもあるんだが……。


「あのさ、歩きにくいんだけど」

「どうしても……駄目?」

「駄目」


 飛騨野は愛くるしい眼差しで懇願するが、僕はあっさりと突っぱねた。コーヒーを差し置いて女子とくっついて歩くなんて、何だか浮気をしているみたいで気が休まらなかった。


 女子にくっつかれると興奮する。そんなことを考えながら顔を赤らめてしまった――。


「あー、梓君顔赤くなってるよー」


 からかうように言われると、思わずかぶっている帽子を更に深くかぶった。僕は思っていることがそのまま表情に出るという悪い癖がある。ポーカーフェイスを装っていても、すぐにボロが出る。人と目を合わせるのは好きじゃない。僕らは大型複合商業施設まで赴いた。文字通り色んな商業施設があり、日曜日ということもあって人通りが多かった。やっぱり人のいる場所は苦手だ。


「――梓君、まずどこに行きたい?」

「やっぱカフェだな」

「えー、私あそこの洋服店に行きたいんだけど」

「じゃあ僕カフェ行ってくるから、飛騨野は洋服店行ってこいよ」

「それじゃデートの意味ないよ」

「えっ、デートってこういうもんじゃないの?」


 どうやら僕と飛騨野とではデートの常識は違っていたらしい。彼女が言うには、デートとは常に一緒に過ごすことを言う。僕にとってのデートはそれぞれが行きたい場所に行って、後で感想を言い合うものという認識だ。つまり僕はみんな違っているが前提で、どこに行きたいかを重視しているのに対し、飛騨野はみんな同じが前提で、誰と一緒に過ごすかを重視している。どっちが正解とかはないが、僕は1人で過ごす方が好きということだ。何で僕、デートに応じたんだろう。


 結局、飛騨野に引っ張られて洋服店へと向かった。


「うわー、これ可愛いー。試着しようかな」

「じゃあここで待ってるよ」

「うん」


 彼女はそう言いながら気に入った服を持って試着室へ入り、カーテンから顔だけ出す。


「覗かないでよ!」

「心配するな。誰も君なんか見てないから」

「それはそれで複雑なんだけど」

「どっちだよ?」


 彼女が試着室に引きこもると、店員が話しかけてくる。


 カフェが受けの接客なら、洋服店は攻めの接客であることを忘れていた。


「お似合いの服をお探ししましょうか?」

「いや、僕は付き添いだから」

「もしかして男の子ですか?」

「……そうだけど」

「そーですねー。でしたらこちらの服はいかがでしょうか?」


 店員が僕に勧めてきたのは男性用にデザインされた服だ。青色でキザな感じのパーカーだった。


 ――え? いや、僕そういう服好きじゃないから。男全員がそういう服を好むと思うなよ。男性向けとか女性向けって言葉どうにかならねえのかよ?


「……いらない」

「ご、ごゆっくりどうぞ」


 力のない声で言うと、思ったことが表情に出ていたのか、店員は怖気づくように立ち去った。


 男は青で女はピンク。このステレオタイプの押しつけが僕の心を一層傷つける。


 僕はあと何回、固定観念の押しつけをされるんだろうか。


「はぁ……」


 思わずため息を吐いた。性別で好みを決めつける人とは一生仲良くできそうにない。飛騨野は既に着替えていたが、僕と店員の会話を聞いていたのか、表情は優れなかった。彼女はずっと僕と同じ教室で過ごしていたこともあり、僕の好みや性格を知っていた。いや、知っていたからこそ、共感性の高い彼女もまた傷ついていた。僕はマイクロアグレッションを受け続けていた。


 相手の好みが分からないという前提で立ち回ることを心掛けてほしいものだ。男がそんな細かいこと気にするなと思う人もいるだろうが、そう思ってる奴はもれなく男性差別主義者だ。


 僕としては敬遠リストに載せたいくらいだ。


 飛騨野と一緒に色んな所を回り、最後にカフェまで赴き、一緒にコーヒーを飲んだ。


「はぁ~、至福の時だぁ~」

「ふふふっ、なんかビール飲んでるおっさんみたい」

「おっさん言うな」

「冗談だよぉ~」

「とても冗談には聞こえなかったけど」


 彼女は笑顔で誤魔化してきたが、とてもそうは思えず、気分転換にもう一度コーヒーを口に含む。


「コーヒーばっかり見てるー」


 不機嫌そうに言う飛騨野。


「視界に入ったものは全部見てるよ」


 僕は目を逸らしながら誤魔化した。夕方になり、ようやくデートが終わった。


 春休みを迎え、僕は小6に進級した。


 ここで僕は最悪の事態を予感した。あの岩畑が同じクラスになった。一応自己紹介の時に将来の夢の欄は今まで通り空欄にしておいた。僕が店を始めた時、いじめっ子がうちの店に来たら困る。こいつは野球クラブの主将に昇進していた。爽やかなタイプのイケメンという位置づけだった。飛騨野とは同じクラスだったが、美濃羽とは違うクラスになった。美濃羽がいたら更にややこしくなっていただろう。


 始業式の帰りに岩畑が声をかけてきた。


「おーい、葉月くーん、一緒に帰ろ」


 えっ、こいつこういう奴だったっけ? 確かもっとどす黒い奴だったはず。


 爽やかな声で僕に近づいて来る。僕は断りたかったが空気に呑まれて断れなかった。人気のない所まで行くと急に態度が変わる。闇人格様のお出ましだ。


「聞いたぞ。お前美濃羽のこと振ったんだってな」

「君に譲ろうと思ったの」

「お前が余計なことをばらしたせいで、口も利いてくれなくなった」

「嘘は言ってないけど」

「お前のせいだぞ! この礼はたっぷりしてやる!」


 岩畑は僕を睨みつけながら言った。


 僕に対する嫉妬心に溢れていた。まるで僕から美濃羽を奪い返してやると言わんばかりだ。僕には人間の友人や恋人はいないのだが、彼はそれを知らないようだった。


 あの爽やかなイケメンが、どうやったらここまで豹変できるのか。今だったらスマホに録音して化けの皮まではがしてやるところだが、残念ながらこの時代にそんなものは普及していない。


「1つ聞くけどさ、何でキャラを使い分けてるの?」

「俺はみんなの前では完璧じゃないといけないんだよ」

「完璧ねぇ~。人間が完璧を求めてる時点で矛盾してると思うけど」


 人間の反対語は完璧だと思っている。


 仮に完璧になったとしても、人間らしさは完全に消え失せていることだろう。それなら人型ロボットでも作って、家事スキルをプログラミングした方が早いだろうが、残念ながらそんな技術はない。


 岩畑と美濃羽には共通点がある。みんなに好かれやすいキャラクターを演じているところだ。僕はそんなことは一切気にせず、誰に対しても一貫した態度だし、演じる人の気持ちが分からない。


 葉月商店街の中に入ると、それでも岩畑はついてくる。どうやら僕の家がどこにあるかを確認したいらしい。人格は元通りになっていた。どっちが元々の人格なのかは知らねえけど……岩畑はうちの商店街に来るのが初めてだったのか、商店街の1つ1つの店をキョロキョロと見渡している。


 葉月商店街はバブル崩壊と共に成長がストップし、その後は衰退の一途を辿っている。


 21世紀を迎えたあたりからスーパーやコンビニの進出が目立つようになり、時代の波に押されるかのように、岐阜市の商店街は急速にシャッター化が進んでいく。20世紀まではそこそこ人通りがあったものの、今は殺風景極まりない。衰退の兆候は以前からあったが、ロクな対策が取られなかった。


「全然人がいないな」

「そうだな」

「ここ本当に商店街か?」

「そうだけど」


 僕と他人の典型的な会話のパターンに岩畑も遂に口を閉じる。僕が家に着くと、岩畑はそそくさに帰っていった。うちの親に友達だと思われたくなかったのだろうか。岩畑が言うには、今まで欲しいものは全部手に入れてきたとのこと。唯一思い通りにならなかったのは美濃羽の心だ。僕は岩畑から事実上の宣戦布告をされてしまった。僕に対してだけ本性を現しているのは、唯一自分に逆らった存在だかららしい。逆らった覚えなんてないんだが……岩畑は空気を支配するのがうまい。巧妙に僕を孤立させようと画策してくる。人間関係をコントロールするスキルをもっと前向きな方向に活かしてほしかった。


 新しい担任はみんな仲良しを何よりも重視する体裁至上主義の馬鹿担任だ。担任ガチャは6年連続クソカードだ。課金制なら訴えられてもおかしくない。客はお金を払ってサービスを受けるが、唯一の例外は学生だ。お金を払う立場でありながら雑に扱われる。お金を払って拷問されに行くようなもんだ。


 この鬼畜仕様は学校くらいのものだろう。


 僕は相変わらずの学生だったが、岩畑がそこに目をつけて担任に言った。


「葉月君は一日一善をした方がいいと思いますよ」


 担任は僕の茶髪と授業態度に困っていた。しかも僕がどういう生徒かを歴代担任から聞いていた。


 それもあって担任の新井(あらい)先生が僕にだけ一日一善を強制してきたのだ。


 本来一日一善というのは、自分を向上させるために自ら行うものだ。少なくとも、誰かに強制させるべきものじゃない。誰かに1日に1回はありがとうと言われるように、岩畑の監視の下で行われることになった。こういうのは義務にしたらいけないと思うけどな。


 社会性の概念がない僕は、当然そんなことをできるはずがない。そもそも誰かの役に立とうという前提が間違っている。生まれてきたから生きてるってだけだ。


「人生は死ぬまでの暇潰し、きっと何とかなる」


 1人で下校する時、自らの耳に言い聞かせ、新たな敵に立ち向かうこととなった。


 終礼を迎えると、岩畑が僕の一日一善を報告する。できなかった場合は居残り掃除。定時になって帰ろうとしたが、岩畑に止められてしまった。体格にも差があって勝ち目はなかった。


 たとえ終礼中であったとしても、小1の時から定時を迎えたら帰るようにしている。


 歴代の担任から足止めを食らっても、時間を守れない生徒は駄目なんでしょと言って必ず帰るようにしていた。そうしている内に、担任は終礼の定時を守るようになった。この担任も例外ではなかった。


 だがこの頃は一日一善が解除されるまでは岩畑に足止めされていた。終礼が終わり、僕と岩畑の2人きりになると、僕以外誰もいないという条件を満たし、闇人格様のお出ましだ。


「掃除するまで返さないぞ」

「監禁罪成立だな」

「ここじゃ法律なんて無意味だ」

「知ってたんだ」

「お前、飛騨野と仲良いんだろ? お前の話ばっかりしてたし」


 岩畑が怖く冷たい顔で言うと、僕の肩に手を置いてきた。馴れ馴れしく触んじゃねえよ。


 こいつ、ただの体育会系かと思いきや、思ったより賢いな。


「僕は友達すらいたことない。ていうかよく聞こえたよな」

「耳は良いんでね」

「口は悪いけどな」

「調子に乗ってんじゃねえぞ!」

「ぐふっ……ううっ、がはっ」


 腹を思いっきり殴られてその場に倒れる。


 きつい表情ではぁはぁ言いながら、片手で腹を抑えるのが精一杯だ。


 いてぇな……でもここで負けたら絶対に後悔する。


 だから何があっても……屈しないぞっ! こいつにだけはなっ!


 岩畑から何度も殴る蹴るの暴行を受けた。必死に痛みをこらえながら、渡されていた箒で反撃した。僕は抵抗し、箒で岩畑をバシッと殴り返した。すると、犯行現場を取り押さえるかのように担任がやってくる。岩畑は人格が入れ替わったかのように、担任に自分の正当性を訴えた。


「先生、俺、葉月君に箒で殴られたんです」

「ええっ! 何てことするの!」

「先に手を出したのはこいつだ!」

「いやいや、俺何もしてないよ」

「葉月君、岩畑君がそんなことするわけないでしょ! 岩畑君はみんなに優しくて、とっても良い子なんだから、葉月君も少しは岩畑君を見習ったらどう?」

「みんなって誰だよ? 言っておくがな、みんなの中に僕は入ってねえんだよ。僕が何かしたところで、クラスの輪が乱れることはない」


 僕は常に外側の人間なのだから。


 それにしても、こいつらまるで恋人みたいに庇い合うな。もしかしてつき合ってんのか?


 こいつがしたことを言ったが無駄に終わる。担任は岩畑の方を信じて僕を嘘吐き者扱いした。担任は岩畑を怪我させようとしたと朝の会で発表した。朝の会は1時間目の前に行われる時間であり、教室内で行われる簡単な朝礼みたいなものだ。岩畑はクラスの人気者で野球クラブの主将。そいつを怪我させようとしたという大義名分により、僕は悪者に仕立て上げられた。


 休み時間になる度に、クラス中から非難を浴びた。


「自分のしたことが分かってんのか?」


 完全にこっちの台詞なんだが。エースで4番で主将だったら何してもいいのかよ?


 インターネットや本で体得した知識で1人1人を丁寧に攻略していった。最終的にあからさまな非難をする者はいなくなった。当時は日本語のページは乏しかったものの、英語のページは膨大だ。大半の人は攻略が思いの外簡単だったが、数が無駄に多くて最初は苦労した。


「僕の身の潔白が証明されたら責任を取れるか?」


 誰も責任を取る勇気がないのか、これ以上は何も言わなくなった。


「今度また騒ぎやがったら、またあいつと喧嘩するからな」


 一部の連中に対しては戦争をチラつかせ、非難を抑えつけるようにしていた。我ながら汚い手を使ったもんだ。僕は居残り掃除を命じられる度に岩畑と2人きりになって殴り合いをした。基本的に僕が押し負けていたが、いつも担任から掃除のために渡された箒で反撃していた。


 墓穴を掘った馬鹿担任と、心の底で馬鹿にしていた。


 いつも喧嘩で岩畑に負けていたが、あることを狙っていた。最初からこいつと喧嘩になる度に箒で左足ばかりを狙って叩いていた。箒を取り上げられた後も執拗に左足を狙って拳や足をぶつけていた。


 アスリートにとって最大の弱点は怪我である。岩畑は屈強で巨体だ。華奢で細身の僕では到底勝ち目はない。僕は体の一点のみを集中攻撃する。いくら屈強でも同じ部位ばかりを攻撃され続けるとそこにダメージが蓄積していく。これが一点崩しだ。まともに戦っても勝てないなら、まともに戦わなければいい。僕が採った方法は持久戦略だ。何度喧嘩に負けようと、粘り強く岩畑の左足を叩き続けた。


 岩畑は僕を不登校にさせる戦法を用いたが、戦法が戦略に勝つのが容易でないことを教えてやろうと考えた。木曜日の5時間目と6時間目はクラブの時間だ。僕はどこのクラブにも所属していない。この日だけは給食の時間が終わった時点で僕だけフリーになるため、一日一善をすり抜けて帰宅する。岩畑は野球クラブのため、曜日に関係なく毎日練習しており、僕と喧嘩した後で仲間に合流していた。


 璃子に体の傷を指摘されると、必ず喧嘩したと言うが、璃子がすぐ親に告げ口をする。僕のことを思っての行動だろうが、親への報告は色々まずい。うちの親は喧嘩をしないように言ったが、不登校になってもいいなら喧嘩しないと告げると、学校には行きなさい以外何も言わなくなった。


 結論から言えば、この勝負は僕の勝ちが決まっている。僕の勝利条件は岩畑に一矢報いること、もしくは不登校になること。両方とも岩畑から逃れられる手段だからだ。それに対して岩畑の勝利条件は僕を不登校にすることのみ。どう転んでも僕の勝利条件は満たされるわけだ。親はどうしても学校に行けの一点張りだ。基本的には前者の勝利条件を狙うことになる。不登校は最終手段になってしまった。


 そんなある日、岩畑が少年野球の試合を途中交代したという知らせが舞い込んだ。交代の原因は左足の肉離れだった。岩畑の交代が原因で、チームは決定力と守備力を同時に失って負けた。


 やっと一点崩しが効いてきたな。ざまあみろってんだ。


 岩畑が右利きであることを知っていた。右投げであれば投球の時に左足に負荷がかかる。左足を粘り強く叩き続けたことで、試合中に負荷が限界に達して肉離れを起こした。この負け試合以降、岩畑は僕を殴らなくなった。喧嘩を仕掛けていれば怪我した左足を狙ってくることを知っていた。喧嘩自体は全て僕の負けだったが、大局面では勝った。まさかローマ史で得た知識が役立つとは思わなかった。


 放課後の居残り掃除は一切していない。僕は岩畑にも担任にも勝った。


 無論、こんな戦いに勝っても心が虚しくなるだけだ。


 勝利の代償として、僕の孤立が確定したのだから。

一日一善を担任から強要された経験を元にしています。

僕以上にやらかしていた奴は何故かお咎めなしという。

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