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社会不適合者が凄腕のバリスタになっていた件  作者: エスティ
第7章 バリスタオリンピック編
159/500

159杯目「同僚総出」

 8月上旬、岐阜コンの時期がやってくる。


 だが璃子も唯も、僕に岐阜コンに参加してほしくない様子だ。


「そういや岐阜コンの時期だな」

「お兄ちゃんは大会の準備があるでしょ」

「そうですよ。バリスタオリンピックまでもう2ヵ月なんですから」


 それはそうだけど。毎日のようにアイデアを思いつくとは限らないし、たまには息抜きも大事だ。


 というか日曜日が格段に暇になった。伊織はもう修行期間を終え、日曜日は店に来なくなった。伊織のためにタイマーつきドリッパーを営業用とは別に買ってプレゼントしたため、家でもうちと変わらないコーヒーを淹れられるようになった。元々僕のファンを名乗る職人がいつかのコーヒーイベントで僕に勧めてくれたものだ。思わずたくさん買っちゃったけど、まさかまた発注が来るとは思わなかったらしい。熱湯で抽出している時だけタイマーが動く仕組みは本当に助かる。


 マルチタスクが苦手な僕でも、このお陰で競技をこなすことができた。


「岐阜コンでアイデアが釣れることもあるだろ。あっ、そうだ。シグネチャーだけどさ、食材と投入する順番を書いておくから、僕が出かけている間に試してくれないか?」


 シグネチャーのアイデアは、一度出してしまえば、後は誰でも実験できる。


 全部自分で試すのが無理な時は、人に頼んでもいいかもしれない。


「――なるほど、アイデアを出すのはお兄ちゃんじゃないと無理だけど、決められた食材を組み合わせるだけだったら、誰でもできるもんね」

「そういうことです。私があず君の代わりに実験して、味見用にサンプルを残しておきますね。あず君は心置きなく行ってください」

「唯ちゃんはJBC(ジェイビーシー)に出るんじゃないの?」

「私は予選が終わりましたし、JBC(ジェイビーシー)に出場する準備もできたので大丈夫です」

JBC(ジェイビーシー)の予定って、確かバリスタオリンピックと時期重なってなかったっけ?」

「それはそうなんですけど、あず君の競技が大会3日目なので、丁度JBC(ジェイビーシー)決勝が終わった次の日なんですよね」


 バリスタ競技会はコーヒーイベントの一環で行われるため、各競技会が同じ会場の各ブースでまとめて行われることが多い。コーヒーイベントは年に何度か行われる。一言で言えば、コーヒーの祭典だ。最新のコーヒー豆や抽出器具なんかも売りに出されるが、機会があれば顔を出すようにしている。大会で競技が終わってから結果発表の間までは、いつも会場内をうろついている。


 バリスタオリンピックの会場は他のバリスタ競技会とは別の会場だが、両方共東京であるために場所がとても近い。競技者の順番も既に決まっている分、予定を組み立てやすかったとはいえ、10月はマジでハードスケジュールになる。店には僕も唯もいないし、伊織と真理愛にもバリスタオリンピックを体験してもらいたいし、当分は店を閉めることになる。


 あぁ~、今からとても楽しみだぁ~。


「お兄ちゃん、さっきから何にやけてるの?」

「あっ、いや、何でもない。そろそろ岐阜コンの時間か。唯、シグネチャー用のメモがあるから、それを見ながらやってくれ」

「分かりました。行ってらっしゃい」


 こうして、僕は岐阜コンの会場がある葉月商店街へと旅立った。まずは葉月ローストだ。リフォームで家が大きくなってからは生活が快適になったらしい。親父もお袋も喜んでくれている。


 この店も午前12時から午後6時までの営業だ。店内では既に親父が焙煎を始めており、焙煎されたコーヒーがジャラジャラと機械の中から放り出されていく。親父が使っている焙煎機は本格的だ。


「あっ、あず君来てたんですね」


 僕と最初に目が合った美月が真っ先に声をかけてくる。


「親父にこき使われてなかったか?」

「いえいえ、そんなことはないんですけど、今年からエスプレッソマシンを導入したので、これの手入れをするのが大変だったことくらいです」

「あず君、今年の彼女は本当に凄かったんだよー。美月ちゃんの活躍見せてやりたかったなー」

「活躍?」


 お袋が言うには、美月はこの年のJLAC(ジェイラック)JBrC(ジェイブルク)に参加し、いずれも決勝まで勝ち上がった。JLAC(ジェイラック)は璃子と共に参加し、優勝を争った仲だ。


 バリスタ競技会に参加する場合、個人の場合はそのまま参加登録をしてもいいが、会社に所属している人の場合、大会によっては1人から5人までしか参加できないようになっている。そのためうちに所属している人がバリスタ競技会に参加する時は必ず僕か璃子に出場を申し出ることになっている。会社に所属する者が個人で登録をしてしまうと、会社名義で登録した他の人までもが失格になってしまう。


 面倒なルールかもしれないが、色んなコーヒー会社に出場機会を与えるためだろう。


 葉月珈琲は2011年にプロ契約制度が始まってからというもの、身内を中心にバリスタ競技会への出場を試みる者が増えてきた。これは喜ばしい傾向だ。僕以外に優勝した者はおらず、数人のバリスタが入賞を果たしたことがあるくらいだ。プロ契約制度が施行されてからというもの、僕と璃子は役員であるために制度の恩恵を受けられないが、リサとルイはすぐに制度の恩恵を受けている。


「活躍ってほどじゃないですよ。2大会の決勝まで行っただけですから、大したことないですよ。陽子さんも持ち上げないでくださいよー」


 美月が自らを謙遜しながら目立ちたくないと言わんばかりに忠告する。どうやらあがり症のようだ。顔赤くなってるし、ここが可愛いところでもあるのだが、競技に集中できていれば幸いだ。


「確かにそうだな」

「こらっ、失礼でしょ!」

「うちがどういう会社か全然分かってないな。いいか、うちは色んなバリスタ競技会で何度もワールドチャンピオンを輩出してきた、伝統と誇りあるコーヒー会社だ。そんなうちを代表して参加するんだからさ、国内予選なら決勝進出は当たり前。無論、国内予選で優勝したくらいじゃ、うちのバリスタとして成功したとは言えない」

「ですよねー」


 美月が若干引きながらも僕の言い分に納得する。伝統とは言っても、創業から10年経ってないし、誇りあるとは言っても、チャンピオンがいずれも僕だけだが、僕に続けるよう奮闘してもらいたい。


「美月、何でうちには名札がないか分かるか?」

「分かりません。何でないんだろうとは思ってましたけど、どうしてですか?」

「葉月珈琲のバリスタたるもの、顔だけで名前が分かるバリスタになれって意味だ。うちの社員は全員がエリートになることを求められてる。バリスタもシェフもパティシエも、みんな立派な社員だ」

「――私も葉月珈琲を代表するバリスタになれるよう頑張ります」


 美月は僕の話に関心を寄せるばかり。理由に納得すると、サラッとハードルの高い目標を掲げるが、数多くいるバリスタの中で、トップに上り詰められるのはほんの一握りだ。


 うちには既に化け物が2人もいる。


 1人目はラテアートのポテンシャルで僕を上回る技術を持っている璃子。


 ショコラティエとしての腕を磨いてきた影響なのか、繊細な技術力がラテアートにも活かされている模様である。2015年から出場しているJLAC(ジェイラック)は決勝までいったものの優勝はしておらず、フリーポアは特に問題ないが、より自由度の高いデザインカプチーノに課題を抱えており、この部分で大きく減点されているものと思われる。もしデザインカプチーノでハイスコアを記録できるようになれば、恐らく世界に行けるようになるだろう。


 2人目はドリップコーヒーのポテンシャルで僕を上回るセンスを持った伊織。


 透明感があり、純度の高いコーヒー抽出をこなすのは僕でも難しいが、伊織はそれを淡々とやってのけている。まだデビューしたばかりであるため、バリスタ競技会での実績はないが、彼女がバリスタ競技会に出れば、間違いなく環境が一変するだろう。


「あっ! あず君ここにいたー。もう受付始まるから早く来て」

「あー、はいはい。じゃあ僕行くから」

「ああ。しっかり頑張ってこいよ」


 返事をすることなくこの場を去った。既に既婚者同然の立場であったため、僕とつき合おうとする者はいなかった。しばらくはずっと事実婚生活のことばかりを聞かれていた。


 子供に悪影響と思っている人が多かったが、子供にとって重要なのは親が結婚しているかどうかではなく、安心して育つ環境を提供できるかどうかだ。事実婚で大丈夫かどうかを聞いてくる時点で差別主義者である。しかもそれを婚活をしている人が聞いてくるのだから驚きだ。


 そんなんだから結婚できなかったんじゃねえの?


 思わず頭の中で愚痴を呟いてしまった。


 今回の岐阜コンも無事に終了した。だが1つだけ疑問がある。


 いつまでこれにつき合えばいいのだろうか。


「柚子、ちょっといいか?」

「うん、いいけど……どうしたの?」

「もう岐阜コンからは卒業する」

「ええっ!? ちょっ、ちょっと待ってよ。考え直して」


 柚子はかなり慌てている様子だ。だが僕は無表情のまま見つめている。


 必死に僕の両肩を持ちながら説得を試みる柚子だが、もう答えは決まっている。


「柚子、商売の掟は知ってるだろ? いつまでもおんぶにだっこじゃ、いつか限界が来る。岐阜コンもスタンプラリー方式で、ちゃんと回るようになっただろ」

「それはそうだけど……」

「いつまでもつき合ってやるわけにはいかねえだろ。葉月商店街には親父もお袋もいる。言っちゃ悪いけど、僕がいなくなった途端に岐阜コンが回らなくなったら、それは社長である君の責任だ」

「――分かった。じゃああと1回だけ参加して。最後にお別れの挨拶くらいさせてよ」

「あと1回だけだぞ」


 後ろを見ながら言った。柚子の困った顔を見てしまったら、このままズルズルとつき合うことになってしまいそうだ。それにこれで楠木マリッジを倒産させず、どこからも雇ってもらえなかったはずの連中をずっと雇っておくのも彼らのためにならない。潰れたらそれまでの会社だったということだ。


 最後の岐阜コンで、婚活からめでたく卒業しよう。


 8月中旬、まだ夏の暑さが続いていた。


 日光が苦手な僕としてはますます引き籠りに拍車がかかる時期だ。しかも海外はサマーバケーションの真っ只中、故に葉月珈琲は連日超満員となっている。特に伊織の淹れたドリップコーヒーが人気となっており、スペシャルティコーヒーを次々と仕入れなければ提供が間に合わないほどであった。


「――あず君、このドリンク凄いですよ!」


 唯が僕の代行でシグネチャーの実験をしている時だった。


 どうやら当たりを引いたらしい。この頃、エスプレッソ部門におけるシグネチャーの実験メニューだけを僕が作成し、実行は全て唯に任せていた。


「おっ、やっと当たりを引いたか」


 リサが言っていた通り、他の人にもできることは任せるようになった。


 無論、味見くらいはさせてもらうし、最後の調整も僕がやることになるが。


 ドリップコーヒーのシグネチャードリンクは伊織に、コーヒーカクテル部門のドリンクは真理愛に全て同じ要領で任せている。実験結果が良ければ報告し、後は僕が自力で完成させる。ラテアート部門は本戦で使う予定のイラストを完成させた。つまり、僕が集中的に取り組むべきはマリアージュ部門だ。歴代チャンピオンのフードもスイーツも優子と共にこなす予定だったが、璃子自身の希望で璃子も加わることに。僕は香しいドリンクをじっくりと味わった。


「――美味いな。これ使えるんじゃねえか?」

「私もそう思いました。やっぱりあず君は天才ですよ」

「僕は天才じゃない。誰よりもコーヒーに向き合ってきただけ」

「誰よりも好きなものと向き合える人を天才って言うんですよ」

「だったらみんな天才だ。好きなものと向き合うだけなら誰でもできる」

「それが簡単にはできないから、天才って言うんですよ」

「あー言えばこーゆー」


 唯も段々理屈っぽくなってきたな。何だか昔の僕を思い出す。


「お兄ちゃんが……初めて論破された」


 クローズキッチンから出てきた璃子が売り物のケーキを持ちながら僕を見て驚いている。


 驚くほどのことじゃねえだろ。


「論破じゃないですよ。天才って言葉の定義が人によって異なるだけです。少なくとも、私にとっては天才です。あず君を超えられる人はいないと思ってます」


 唯が呟きながらドヤ顔で僕を見る。この顔も可愛いな。生意気だけど、何故だかずっと見ていたくなってしまう。やはりホスピタリティでは唯に及ばない。優子にはカリスマ性で負けてるし、真理愛にはアルコールの知識で負けてるし、みんな僕よりも優れている要素を必ず1つは持っている。


 この中だと、僕が1番中途半端かもしれない。


「あの、同じ部門で違うコーヒーって使えるんですか?」


 伊織が僕を見上げながら素朴な疑問をぶつけてくる。


 ていうかそろそろググることを教えた方が良さそうだ。


「それはルールで禁止されてる。同一の部門で1種類のみ、シングルかブレンドのコーヒーしか使えないというルールだ。他のバリスタ競技会ならできるけど、ルールをややこしくしないようにするための処置だ。ただでさえ元からややこしいからな」

「そうなんですね」

「伊織ってスマホ持ってなかったっけ?」

「持ってますけど、連絡をする時以外は使わないように言われてます」

「じゃあ今日から調べるところまで許可する」

「ええっ!」


 伊織が目を大きく開いた。彼女にとって、親に逆らうことなど考えられないんだろう。その従順性が伊織の良いところであり、悪いところでもある。


「いつも僕がそばにいるとは限らないだろ。疑問に思ったことは、真っ先にネットで調べる癖をつけておけ。これからは記憶力じゃなくて検索力だ」

「はい、分かりました」

「うわ……またお兄ちゃんの洗脳が始まった」

「洗脳言うな! 仮に百歩譲って洗脳だとしてもな! 中途半端なポンコツにする教育に比べたら百兆倍マシだろ。心配しなくても、うちからは施設行きになるような奴は絶対に出さない」

「そういう問題じゃなくて、尖りすぎて他人から嫌われやすい人間になっちゃったら、伊織ちゃんが困るでしょ。お兄ちゃんにも心当たりあるよね?」


 何とでも言え。幾多の才能を摘み取ってきたこの国がしたことを思えば、僕がしてきたことなんてちっぽけなもんだ。この才能は何としてでも守り抜く。そう決めたんだ。


「あるにはあるけど、伊織ならその心配はない。なっ」

「はい。あず君の生き方は参考にしますけど、あず君の真っ黒な性格までは参考にできません」


 今さりげなく酷いこと言ったよね? そうかいそうかい、どうせ僕は悪者だよ。


 伊織が笑顔で答えると、璃子はホッと胸を撫で下ろした。


 別に璃子が気にするようなことでもないんだけどな。


「そんなことより、このシグネチャーは煮詰めればとんでもない味になる。あともう一工夫必要だな。これで予選と準決勝の分は終わりか」

「まだマリアージュ部門が終わってないでしょ」


 後ろから優子が僕に抱きつきながら話しかけてくる。しかも僕の体をもふもふと触ってくる。


 おいおい、僕はもう売却済みだぞ。優子は幸せそうな顔で僕の耳元で囁いてきた。


「ねえ、今後は日曜日もここに来ていいかな?」

「別にいいけど、仕事じゃないから給料出ないぞ」

「いいよ。あたしはあず君を絶対に優勝させたいから」

「……」


 8月下旬、優子は宣言通り、曜日を問わず来るようになった。


 研究も兼ねた場所として日曜日も開放しているとはいえ、ちゃんと有休も取ってほしいものだ。有休消化率がこの頃芳しくない。うちの居心地が良いのか、なかなか仕事を休みたがらない。


 良い会社作りができているとも言えるが、有休消化率100%であるべきという考え方は古いのだろうか。楽しくて仕方がない人まで休ませるのはどうなのかとさえ思えてきた。投稿部に至っては仕事と遊びの境界線が完全に消えている。もはや仕事をしているというよりも、動画を作って遊んでいる状況なのだ。遊びはいくらやっても飽きないし楽しい。それを有給で休ませるのは勿体ない気がしてきた。


 ――そうか、遊びながら稼ぐ時代となった今、有休はもう時代遅れなんだ。


 だったら有休消化率100%を無理に守らせる意味はない。有休を任意にするか。まっ、僕がいくら言ったところで、誰も守ってくれないんだけどな。身勝手な同僚を持ったもんだ。誰に似たんだか。


 優子が来たかと思えば、今度は伊織と真理愛が店に入った。3人共日曜に来るのが当たり前の様子。


「これで全員揃ったね」

「もしかして璃子が誘ったの?」

「そうだけど。今はサマーバケーションでお客さんが多かったから、思ったよりも実験が進まなかったでしょ。だから休日を返上して、お兄ちゃんに協力してもらうように言ったわけ」

「……本当にいいのか?」


 伊織、優子、真理愛に尋ねた。


「はい、もちろんです」

「今を逃したら、もうあず君のサポートとかできなくなりそうだからねー」

「せめて私を解放してくれた分のお礼はさせてください」


 それぞれ返事をしながら、笑顔に満ちた顔を縦に振った。


 ――本当に僕は――良い仲間を持った。


「あず君、目から涙が出てますよ」

「えっ!」


 自分の頬を触ってみると、ぬるっとした感覚が指を伝う。


「あず君ってほんっとうに涙脆いね」

「……」


 誰のせいだよ。でもこの時は本当に嬉しかった。みんなもっとやりたいことがあっただろうに。なのにみんな……僕のバリスタオリンピック優勝のために、休日を犠牲にしてまで力を貸してくれている。


 こんなの……どうやって涙を抑えろっていうんだよ。


 唯が僕に近寄り、正面から僕を抱きしめた。


「みんなあず君のために力を貸してくれるんですから、負けたら承知しませんよ」

「お兄ちゃん、9月の下旬から10月の上旬までは、店の営業休みにするから」

「えっ、何で勝手に決めてんの!?」

「私も役員なんだから、経営権あるはずでしょ。それに今のお兄ちゃんのペースじゃまず間に合わないだろうし、投稿部にもお兄ちゃんの課題を手伝ってもらうよう手配したから」

「へぇ~、璃子って経営者のセンスあるんじゃない?」

「この偏屈な頑固者がなかなか動かないので、仕方なく私が動いてるだけです」


 璃子が目を半開きにさせながら、肘を抱くように腕を組み、理由を解説する。


 経営者としてのセンスがあるのは間違いない。璃子が持つ最大の武器、それは世渡り上手なところである。これは経営者にとって最も必要と言える才能かもしれない。


 他の同僚たちだって、璃子が頼んだからこそ喜んで協力してくれたのだ。


「璃子……ありがとう」

「泣いてる暇なんてないでしょ。ほら、早くマリアージュ部門の課題を完成させないと。予選と準決勝の分がまだじゃなかったっけ?」

「……そうだな」


 璃子が段々と僕に似てきた。僕はそれが怖い。


 ただ可愛いだけの妹じゃなくなっていた。あの時から本当に成長したものだ。


 涙を拭い、早々に作業に取り掛かる。シグネチャー用のメモを取り出した。それを元にアイデアを出し合いながら実験を繰り返す。実験を行う人数が増えたことで、1日あたりの試行回数が大幅に増えたのだ。リサたちからも次々と実験結果の報告が上がってくる。僕1人ではまず思いつかなかったようなアイデアをみんなが出してくれて、もはやエジソンが10人いるような状況となっていた。


 いつもは自分のために集中していたのだが、この時はみんなのために集中していた。


 絶対にジャッジの度肝を抜く作品を作り、コーヒー業界に革命を起こしてやろうと思った。


 この仲間たちとなら、優勝することも夢ではないと僕は確信する。


 こうして、僕らの夏は休日返上により、シグネチャーの実験に費やされるのだった。

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読んでいただきありがとうございます。

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