152杯目「風変わりな問題児」
バリスタオリンピックに向けた準備が今月から始まった。
唯は子育てには僕をあまり参加させようとはしてくれない。唯が言うには、大会の準備の方に集中してほしいとのこと。そのためにハウスキーパーまで雇ったわけだし、しばらくは様子を見るか。
遠目から子供の様子を見ているだけでも癒される。
「お兄ちゃん、家事だったら私でもできるのに、何でハウスキーパーを雇うなんて言い出したの?」
「家事はできても、子育てはまだできないだろ。それに璃子だって大会の準備がある。だから任せられる部分はとことん任せちゃって大丈夫だ。心配すんな」
「お兄ちゃんは身内以外の日本人が嫌いじゃなかったの?」
「だいぶ慣れてきた。目を合わせなければ大丈夫だ」
「はぁ~、まだ日本人規制法の解除にはほど遠いか」
「身内の紹介で来た人も何人かいるし、後は苦手意識をどうにかすればだけど、そんな方法が分かってたらとっくにやってるんだよなぁ~」
いつの間にか、僕の中からは国という概念が消滅しつつある。
色んな国の人と会っている内に、みんな生まれた場所が違うだけの人間であることが分かってきた。インターネットの普及で国境が溶けてくると共に、僕の中でもそれと同じことが起きていたのだ。
もしかしたら、日本人規制法も時代遅れな制度かもしれない。たとえ日本人恐怖症が完治せずとも、いずれ決着をつける必要があると感じたが、決定打を見つけられずにいた。
「思い切って一度解禁してみたら?」
話を聞いていた莉奈が人差し指を立て、ウインクをしながら提案する。
「いやいやいやいや、それは流石に勘弁してくれ!」
腕と首を高速で小刻みに横に振った。
一体何が僕にあいつらを拒絶させているのだろうか。それが分からない。
「あず君ってハウスキーパー雇ったんですよね?」
「ああ。僕と璃子は大会の準備があるし、唯1人に家事と育児を押しつけるわけにもいかないし、子供が成長して、余裕が生まれるまでは雇おうと思ってさ」
「お金持ちですね。やっぱり凄いです」
「お金なんてツールでしかねえよ。今はお金よりも、行動力の方が大事だ」
「あず君が言うと、そんな気がします」
伊織が笑いながら言った。まず動かないと何も始まらない。それは彼女にも伝わっている。
静乃も莉奈も相変わらず来てくれていた。大して飲むことはないが、ずっと伊織と話しながら彼女の修行を見守っている。まるで伊織の保護者だな。
「えーっ! いきなりそんなことを言われても困るよー!」
クローズキッチンから優子が声が聞こえる。一体何があったんだろうか。
「うん、分かった。じゃあね……はぁ~」
スマホを閉じてポケットにしまうと、優子は気が抜けたようなため息を吐いた。
「優子さん、どうかしたんですか?」
「実はねー、あたしの伯母に孫がいるんだけどー、伯母が急に病気で倒れちゃってねー、それでしばらくは孫の面倒を見てくれないかって言われたの。でもその子、かなりの問題児なの」
「その子の両親はどうしてるんですか?」
「離婚して今は別々に暮らしてる。親権は母親、つまりあたしのいとこにあたるんだけど、子供が問題ばかり起こすもんだから、匙を投げて伯母に預けてたんだって」
「複雑な家庭環境か。優子も大変だな」
優子の嘆きはカウンター席にまで届いていたらしく、優子は静乃たちの同情を買うことに。
だが問題はそれだけではなかった。優子の姪はまだ中学生であり、優子の伯母がしばらくの間入院することになったため、優子の姪の面倒を見るために仕事を休む必要が生じてしまったのだ。
「まあそういうわけだから、伯母が退院するまで仕事休ませてもらっていいかな?」
「駄目に決まってんだろ。ただでさえ人手不足だ、優子にまで休まれたらたまったもんじゃねえよ」
「そう言われてもねー、あの子1人じゃ心配だから、どうしてもうちを離れられないの」
「だったら優子が働いている間はうちに来てもらえばいいだろ」
唐突に妙案を出した。本来問題児の相手をするのは僕の柄じゃないけど、余程のことがなければナチ野郎よりはマシだろう。優子の姪のために、うちの貴重な戦力を休ませるわけにはいかねえんだ。
「葉月珈琲にずっと釘づけにするってこと?」
「そうだ。放っておけないんだろ」
「うーん、じゃあ一度連れてくるよ。それで無理だったら当分休むから」
――まずいな。今優子に休まれたら、マリアージュ部門の開発にかなりの影響が出る。
後回しにすればするほど璃子の課題を圧迫することになるし、最初の5ヵ月は僕のサポートをしてもらうことになっているし、その時間を奪われるのは絶対に駄目だ。
マリアージュ部門を制するには僕よりもスイーツに精通している優子の協力が必要不可欠だ。フードは投稿部の4人に対し、コーヒーに合う料理という課題を出す形で協力してもらっている。
少なくとも1人では無理だ。うちとしては良質な社員が欲しいのだが、質を求めすぎるあまり、なかなか人を雇えずにいる。気軽に雇えるのは身内くらいだ。
「問題児の特徴を教えてくれねえか?」
優子から一通り話を聞いたが、僕の想定を超えていた。
柚原愛梨。僕より10歳年下の中学生。優子のいとこの子供、つまり姪にあたる。優子は親戚の集会で何度か会ったことがあるくらいで、詳しいことまでは分からない。
ADHD、男装癖といった珍しい特徴を併せ持ち、学校生活でも家庭内でも事ある毎に問題行動を起こしては煙たがられている。酷い時には窃盗、暴行、傷害といった行為に及んでいる。それもあって両親からは見捨てられ、押しつけられるように祖母に預けられていた。
「結構ぶっ飛んでるでしょ」
「「「「「……」」」」」
「なっ、何でみんな黙ってるの?」
「いやー、うちには世界一ぶっ飛んだお兄ちゃんがいるんで、変人にはすっかり耐性ができちゃってると言いますか、人の特徴や成果で驚くことはそうそうないと思います」
「あー、確かにねー」
1月の月末が近づいてきたある日の朝、例の問題児がうちにやってくる――。
優子が言っていた通りの特徴を持っていた。白に近いブロンドのロングヘアー、茶色の目、背丈が低く細身である。夏場であるにもかかわらず、上半身は白を基調とした衣装ような服、下半身は黒を基調としたジーンズ、どっちも長袖の服を着ている。そして何より……でかい。
まだ女子中学生なのに発育がよろしいようで。形も大きさも申し分ない。
顔つきは天使のような美人で、いつもとろーんとしたジト目が可愛らしい女の子だ。
とても問題を起こしそうな子には見えないが、どこか不貞腐れている様子。
「あず君、この子がうちのいとこの子供で、柚原愛梨ちゃん。愛梨ちゃん、何か飲みたいものある?」
「アイリーンと呼べって言ったっすよね? 言葉分かんないんすか?」
「分かった分かった。何か飲みたいものある?」
「別に何も。一緒に来てほしいって言うから、来てやってるだけっすよ」
「ここはね、世界一のバリスタが世界一のコーヒーを淹れてる店なの」
「ふーん、てっきり味に自信がないから味覚が大雑把な外人の相手をしてるもんだと思っていたっす。噂には聞いてたんすけど、私には全く響かないっすね」
何だこいつ、かなり不貞腐れてやがるな。この時点で分かった。何故彼女が両親から見限られ、問題児として腫れ物のような扱いを受けているのかが。いつもは人を振り回している優子も、この愛梨とかいう子を怒らせないようにしながら機嫌を取っているように見えた。
「優子、そろそろスイーツの仕込みをする時間だぞ」
「あー、そうだね。良い子にしてるんだよ」
「良い子にするって、どうすればいいんすか?」
「大人しく座ってゲームしててほしいの。ランチはあたしが奢るから、好きなものを注文していいよ」
「了解っす」
愛梨は敬礼しながら言うと、カウンター席の端っこに座りイヤホンを両耳に装着する。イヤホンの先端を小型のゲーム機に繋ぎ、とっととゲームを始めてしまった。ハンドルネームは自分の名前を捩ってアイリーンにしている。この時点ではまだ大人しいが、果たして……。
「璃子、あいつから情報を集めてくれ」
「えっ、どうやって?」
「外見は優子が言ってた通りだけど、今のところはそこまで問題児とは言えないからさ、あれは絶対に何かを隠し持ってる予感がする」
「じゃあさ、あの子が注文をしてきた時に話を聞いてあげれば?」
「……そうだな」
考えてもしょうがないか。愛梨は優子の祖父母という共通の祖先がいるだけあって、どこか優子に似ている。凛々しくて力強いところと可愛らしいところを併せ持った顔だ。
クローズキッチンで作業中の優子に尋ねた。
「優子、あの子はどう扱えばいいの?」
「別に特別なことは何もしなくていいよ。ただ、あの子はちょっと怒りっぽいところがあってね、機嫌を取ってあげないと爆発しちゃうの。でも理不尽なことさえしなければ大人しいから」
「あいつは中学生なんだろ。学校は行ってないの?」
「行ってない。理由はあず君と一緒」
「髪かぁ~」
原因はすぐに分かった。人と違う容姿、人と違う価値観、人と違う性格、学校に行き辛い要素が十分すぎるほど揃っている。話し方にもかなり癖があるし、もうあの時点でいじめられて不登校になったことが容易に想像できる。しかもあの白っぽい髪、優子は生まれつきと言っていたが、外に出ていくだけでも相当辛いはずだ。乾燥肌の夜行性人間にとって日光は天敵、きっと夏場でも長袖のはず。通行人からも奇異の目で見られただろう。そりゃ性格も歪むわな。察する能力がない僕でも分かる。
「でも愛梨ちゃんね、本当はすっごく良い子なの」
「どこが?」
「好きなことをしている時は、とんでもない集中力を発揮するの」
「あいつもこっち側か」
「多分ね」
「でもやりたいことは言えないんだろ?」
「うん。そもそも外に出たがらないし、あの髪と性格だから、将来的に就職とかはかなり厳しいと思うんだよねー。そこだけが心配」
言われるまでもない。見るからに将来飯食えなさそうだし。
正直に言えば、髪色を抜きにしてもまず雇いたくないタイプだ。
空気を読まない人は好きだけど、言葉を選ばない人は嫌いだ。見た目も言動も社会に適合する気ありませんと言っているように見える。僕と似ているところもあるが根本が違う。
昼を迎え、開店すると、次々と外国人観光客が入ってくる。
愛梨は冷静な顔でゲームを続けている様子であり、人が苦手ではなさそうだ。いつも通りオープンキッチンで唯と一緒に注文の品を作りながら提供し続けている一方で、2階では瑞浪さんが家事育児を行っている。彼女のお陰で唯は早くも復帰している。スイーツは必要最低限にすることで、パティシエ担当にも料理をさせてはいるが、伊織を雇った後は唯にコック担当に回ってもらい、あと1人を雇う必要がある。じゃなきゃこの人数を捌くのもいつか限界が来る。
さっきまでゲームに夢中になっていた愛梨がこっちを見た。
「――あの、ちょっといいすか?」
「どした?」
「私はここにいてもいいんすか?」
「いいぞ。身内からの紹介だったら、身内以外の日本人も入店可能ってことになってるし、君は優子の身内という扱いで入店を許可した」
「別に帰ってもいいんすけどね」
「君が家にいるなら、優子は店を休むと言ってる。どうやら君は優子から信用されてはいないようだ。その理由は分かるか?」
「ほぼ他人だからじゃないすかね」
自覚症状はなしか。こりゃかなりの重症と見た。顔は可愛いのに、この生意気なところが印象を悪くしている。何かずば抜けたものが1つでもあれば、僕みたいに許されるんだろうが。
「あー、そうそう。自己紹介が遅れたな。葉月梓、君と同じ社会不適合者だ」
「私は柚原愛梨っす。社会不適合者ってことは、仲間っすね」
否定しないってことは、まだ自覚はある方か。
「呼び方に拘ってたな」
「愛梨っていうのは、うちのお父さんの元カノの名前なんすよ。だからそのまま呼ばれると、どうしてもイラッときちゃうんすよ」
「なるほど、僕のことはあず君と呼んでくれ」
「いいっすよ。パナマゲイシャのコーヒーとサンドウィッチを注文していいすか?」
「分かった。ちょっと待っててくれ」
「了解っす」
愛梨は敬礼しながら言うと、再びゲーム画面と睨めっこを始める。髪の質感から頬までがふわふわした印象だ。黙っていればめっちゃ可愛い。
でも何で優子には理由を話さないんだ?
ちゃんと事情を説明すれば分かるのにと思いながらペーパードリップで淹れたコーヒー、更にハムとチーズを挟んだボリューミーなサンドウィッチのセットを愛梨の前に置いた。
「……美味いっす」
愛梨が初めてジト目以外の顔になった。美味さを感じている時の彼女は輝いていた。もっとこういうところを前面に出していけば、きっと人気者になれたのに。
「コーヒーなのに甘くて爽やかな酸味っす」
「ゲイシャは甘味と酸味のフルーティーなフレーバーの強さが特徴なんだよ」
愛梨が伊織に目をやると、唐突に興味を持った目で見つめる。
「あの小さい子もここで働いてるんすか?」
「伊織は見習いだ。4月からうちで雇うことになってる。研修も兼ねて、ここで修業させてる」
「進学はしないんすね」
「どうせ教室にいても、やる気なかったら意味がないし、今は学歴とか関係ねえからな」
「そうっすよね!?」
愛梨が目を輝かせながら身を乗り出してくる。
「どっ、どしたの!?」
「私、どこにも就職せずに生きていきたいんすよ。だから今引きこもっていても生きていける方法を探してるんすよ。できれば一生人と会わずに過ごしたいんすけど、お金がないと生きていけない不便な社会っすから、インターネットで稼ぐ方法を探してるんすよ」
「それだったら、ブログか動画配信で稼ぐのがいいんじゃね?」
「両方共やってるっす。でもあず君のようにうまくいかないんすよね」
「僕だって最初は稼げなかった。今思えば、引き籠りになろうとしてたから必死だったなぁ」
「なんか意外っす」
愛梨は思ったより素直な女の子だった。
どうやら一生引き籠りでいたいらしい。その気持ちはよく分かる。
「あの、学校には行かないんですか?」
唐突に伊織が素朴な疑問を愛梨に尋ねた。
――馬鹿っ! それはタブーだって!
「行かないっすよ! 私は小学校中退っす!」
突然強い口調で自分が生徒であることを必死で否定する。まるで過去から逃げているかのように。
学校の話がタブーなのは何となく分かっていた。
「そうですか。私もあず君のお陰で学校から脱出できたんです。仲間ですね」
「仲間……」
「あたしは家の事情が許せば大学行きたかったなー。なのにあず君たちときたら、積極的に不登校になろうとする子ばっかりなんだからー」
「学校行くぐらいなら、家でお金の勉強する」
「私もそれがいいっす」
「はぁ~」
優子はタジタジだ。学習意欲がないわけじゃない。学習する環境を最適化しているだけなのだ。なのに学歴主義者たちが邪魔をするせいで、結果的に学習意欲を下げてしまっているだけである。
「もし良かったら2階行くか?」
「いいんすか?」
「うん。ずっと客席にいたら退屈だろ」
「了解っす」
敬礼する愛梨を自分の部屋へと案内した。
愛梨は僕の部屋の隅々にまで目をやると、ピンク色に染まったベッドに座り、部屋の片隅に置かれている某カードゲームや某ビデオゲームのトロフィーを眺めている。
「あず君ってバリスタ以外も究めてるんすね」
「究めるだけなら簡単だ」
「何でなんすか?」
「どんな分野であれ、どんな競技であれ、人口の99%以上は本気でやってない。だから本気でやってるだけで、上位1%までだったら誰でも行けるよって話」
「じゃあ何で、その99%以上の人は本気を出さないんすか?」
「原因は3つある。1つ目は上位にいる人を見て、自分は無理だと思って、趣味の範囲内で済ませちゃってるパターン。2つ目は単なる暇潰しのパターン。3つ目は生きていくための労働だと思って、力をセーブしてやってるパターンだ」
「要するにめんどくさいんすね」
「それもあるけどさ、本気で何かを続けるのって大変なんだよ……きっと」
「……」
何かを本気で究めたり続けたりするには継続力が必要だ。継続力を高めるコツは、ひたすら没頭し続けることだ。だが世の流れ自体が継続力を育てる環境になっていない。それはバランス信仰だったり、時間通りの行動を要求される社会だったり。これらの要素が没頭を邪魔し、度々勝手にスイッチを切られてしまうのだ。そんなことが続けばどうなるか。答えは簡単だ。
続けられないから実力が伸びない。実力が伸びないから劣等感を持つ。劣等感を持つから続けるのが嫌になる。続けるのが嫌になるから本気の出し方が分からなくなる。
本気を出すとは続けることである。
「あず君は何でバリスタの仕事に本気を出せるんすか?」
「仕事だと思ってないから……かな」
「仕事じゃないんすか?」
「自慢じゃないけど、僕はもう一生分稼いでる。それでも続けているのは、趣味のように楽しく続けて最高のコーヒーを淹れることを喜びとしているからだ。今だって勤務時間だけど、いつもコーヒーブレイクのつもりで過ごしてる。大手チェーン店にいるバリスタたちは動きの1つ1つがいい加減で、淹れればそれでいいでしょっていうのが味に表れてる。給料以上の仕事はしないと言わんばかりだ」
「そりゃそうっすよ。時給800円で最高のコーヒーを淹れろって言われてもやる気ないっす」
「だから君らはずっと三流なんだよ。僕ぐらいになると、お金を払ってでもしたいんだ。バリスタという職業を、世界一のコーヒーを淹れる作業を。僕はそのためだったら、いくら注ぎ込んだって構わない。仕事の価値はお金じゃない。想いなんだよ」
「想いっすか」
「だから愛とか想いとか、そういうのがない人に仕事をしてほしくない。ただコーヒーを提供するだけがバリスタじゃない。コーヒーを飲んでくれる人に最高の一時を過ごしてもらうための空間を提供できる人じゃなきゃ駄目だ。うちはたとえバイトであっても、大手正社員以上の給料を出す代わりに、最高のパフォーマンスを求めてるわけだ」
「……」
愛梨はジト目で斜め下を見ながら黙っている。うちで怠惰な仕事をしている人はいない。
みんな商品を提供される側の人のことを考え、想いを形にしている。うちが売っているのは商品じゃなく想いなのだ。僕らは想いの対価としてお金を貰っている。貧乏な連中は自分が食べることしか考えていないが故に想いがない。想いがない人からはお金も人も逃げていく。
想いのない所に価値はないのだ。
「想いだけで飯が食えたら誰も苦労しないっすよ」
「そうかな。君はさっき僕が淹れたコーヒーを飲んだ時、甘くて爽やかな酸味があるコーヒーと思って全部飲んでたじゃねえか」
「1杯3000円もするんすから当然っすよ」
「あれだけ美味いコーヒーを淹れるまでに色んな人の苦労があった。あれはコーヒーを少しでも美味いものにしようという想いの結晶だ。どんなに取り繕ったって、味は絶対嘘を吐かない。だからみんな高くても注文してくれるんだ」
「――あの、また来てもいいすか?」
「うん、いいぞ」
「それと、私のことは愛梨でいいっすよ」
「……分かった」
にっこりと笑いながら言った。
すっかり安心しきった愛梨は1階へ戻り、しばらく僕らと話してから優子と一緒に帰宅していった。どうやら僕には心を開いてくれたらしい。人と違う何かを感じたのだろうか。
優子には家族と学校のことさえ話さなければ1人にしても大丈夫であると伝えておいた。
彼女が事件を起こした理由は分からないが、おおよその見当はつく。
こうして、優子休職の危機は去ったのであった。
気に入っていただければブクマや評価をお願いします。
読んでいただきありがとうございます。
柚原愛梨(CV:米澤円)