147杯目「終幕の濁り」
同時に5つの部門をこなすのは流石に応えた。
僕の隣では伊織がスヤスヤと眠っており、頭が僕の肩に重く伸し掛かっている。
この歓声の中で眠っていられるくらいだ。余程疲れたんだろう。選考会への強い興味に体力がついてこなかった。伊織は中学生の中でも小柄な方だ。本当によくついてきてくれた。
「伊織ちゃんの寝顔可愛いね」
「起こすなよ。さっきまでずっと僕につき合ってくれたんだし」
「開会式の時、何で来なかったの?」
「ああいうのは好きじゃねえんだ」
「あず君らしいと言えばらしいけど、珍しいこともあるもんだね」
美羽は僕の不在に気づいていた。まさかスーパーの中を回っていたとは思うまい。
結果発表が待ち遠しいが、いつもの決勝より人数が多いためか夕方までもつれ込んだ。1人あたりに割かれる時間が長いためだ。参加者を厳選するのはこのためだろう。
松野、真理愛が競技を終えて観客席へとやってくる。斬新とも言える工夫がどのバリスタからも見られたが、特に凝っていたのは松野だった。松野はソーダマシンを使い、コーヒーを炭酸化することで、コーラのようなフレーバーを出していた。不器用な日本人英語だが、それなりに意味は分かる。以前のような穂岐山社長の研究ではなく、自らの体験に裏打ちされたプレゼンだった。コーヒー農園まで行ったらしい。真理愛は流暢な英語でコーヒーカクテル部門を中心にこなしていた。
他の部門でも、バリスタというより、バーテンダーのような立ち振る舞いだった。店にいる時と同じ黒い制服を着た落ち着きのある姿を見た時は何だか安心した。
僕がアイリッシュコーヒーの生クリームを竹べらでフロートさせたのに対し、松野はステンレスフィルター、美羽はスプーン、真理愛は素手でフロートさせた。
「はぁ~、競技会って疲れますね」
真理愛が僕のそばに寄ってくると、伊織の隣に座りながらため息を吐いて席に着く。
普段はなかなか弱音を吐かない真理愛がため息を吐くくらいだ。誰にとっても大変なんだろう。1時間もかかる競技を終えた僕らはお互いの健闘を称え合う。
15分の競技に慣れていた僕には長く感じた。だが愛するコーヒーを提供できる喜びが勝った。
「伊織ちゃん、凄く頑張ってましたね」
「ああ、僕のためにこんなに必死になって」
労うように言うと、眠っている伊織の髪をそっと優しく撫でた。
「聞きましたよ。伊織ちゃんの未来を守るために必死になっていたと」
「誰にっ!?」
「璃子さんです。最近よく来てくれるんですよ」
「あいつペラペラ喋りやがって」
「あず君は伊織ちゃんに夢を持ってほしかったんですね」
「夢は持たなくてもいいけど、飯を食えない大人になるのは流石にまずいだろ」
「そうですね」
真理愛は終始心配そうな顔をしていた――まるで結果発表を恐れているようだった。
店に真理愛の母親が来たことを話してくれた。真理愛の母親は彼女の夢に反対している。しかもバリスタオリンピック選考会を通過しなければ、今年限りでオーガストが店仕舞いになる。真理愛の店は親からの出資と仕送りで成り立っている。期限を過ぎれば倒産するが、それを免れる唯一の道が選考会通過である。僕のことを話しても無駄であったとのこと。
ここまでくると、もはや毒親である。
「じゃあ、少なくとも2位には入らないといけないわけか」
「はい。美羽さんは親の敷いたレールに乗せられたことってありますか?」
「うちはないかなー。もう好きに生きてけって感じ」
「――羨ましいです。私は親の援助がないと生きていけませんから、何かやろうと思うと、どうしても親を頼ることになってしまうんです」
真理愛の歳だったら、もう親元から巣立っていても何もおかしくないのだが、彼女は親に縛られているままだ。僕が吉樹とFランのことを話していた時、彼女は自分の姿を吉樹と重ねている様子だった。
「もっと早く話してくれたら競技のアドバイスくらいしたのに」
「自分の力で掴んだものじゃないと意味がないって言ってましたよね?」
「そりゃそうだけどさ、そもそもやりたいことを言えなくなったら意味がないだろ」
「真理愛さん、もし店仕舞いすることになったら、うちに来ませんか?」
松野が突然真理愛を育成部へと誘う。まず断るだろう。真理愛にとって東京に戻ることは、親元に戻ることを意味している。できればここにも居座りたくないはずだ。
「穂岐山珈琲にですか?」
「ええ、いつでもここに連絡をください。お恥ずかしいことに、穂岐山珈琲は世界大会でチャンピオンをまだ1人も輩出してないんです。うちは優秀なバリスタを求めています」
松野が真理愛に1枚の名刺を差し出すと、真理愛は名刺を言われるがまま、静かに手に取った。
「考えておきます」
真理愛が作り笑顔で返答すると、名刺を自分のポケットに入れた。
しばらくすると、全ての競技者の競技が終了し、すぐに結果発表が行われる。
伊織が目を覚ますと、結果発表を見守ってくれた。10人のバリスタがステージ上に立つと、順位の低い順にバリスタの名前が発表されていき、順位が書かれたトロフィーを受け取っていく。
「第8位は……株式会社穂岐山珈琲、穂岐山珈琲銀座本店、穂岐山美羽バリスタです」
美羽は笑顔で両手を振りながら拍手に応えた。こんなもんかって顔だ。優子が言っていた通り、取り柄がないと、負けてもそこまで悔しさを感じないものなんだろうか。
「第6位は……穂岐山珈琲品川支店、結城俊バリスタです」
結城は前回の2位から大きく順位を落とした。前回のバリスタオリンピックでの成績が112人中83位であったことを考えると、妥当な結果かもしれない。松野は112人中46位だった。
最終的に僕、真理愛、松野の3人が残った。ここから後1人が脱落する。
「第3位は……株式会社コーヒーカクテラー、オーガスト岐阜市本店、加藤真理愛バリスタです」
この時点で僕と松野の『選考会通過』が確定した。
真理愛は全てを諦めたような表情で歓声に応えた。
作り笑顔で『Third place』と書かれた銅色のトロフィーを受け取った。
「既にお2人の選考会通過が確定しておりますが、順位を発表させていただきます。第2位は……株式会社穂岐山珈琲、穂岐山珈琲秋葉原支店、松野翔吾バリスタです」
少しばかり不満そうな顔の松野が『Second place』と書かれた銀色のトロフィーを受け取った。
「ジャパンバリスタオリンピックに優勝し、日本代表を勝ち取った第1位は、株式会社葉月珈琲、葉月珈琲岐阜市本店、葉月梓バリスタです。おめでとうございます!」
これで無事に1位通過を成し遂げることができた。
ジャパンスペシャルティコーヒー協会の会長から『First place』と書かれた金色のトロフィーを受け取ると、重さを感じながら高々と持ち上げた。
――ふぅ、一時はどうなるかと思ったけど、どうにかなるもんだな。
結果発表が終わると共に閉会式を迎え、選考会は無事にその幕を閉じた。
夢が潰えようとしている1人の女性を残して――。
「あの、1位通過と2位通過ってどう違うんですか?」
伊織が素朴な疑問を僕にぶつけてくる。会場を後にし、僕の祝勝会を挙げるために、穂岐山珈琲オフィスビルにあるレストランまで赴いているところだった。
「1位通過の人はバリスタオリンピックに参加するための渡航費と宿泊費を免除してもらえる。2位通過の人は本戦半年前に行われる、バリスタオリンピックラストチャレンジという裏予選に参加する」
「裏予選?」
「バリスタオリンピック本戦に出場できるのは100人までとルールで決まってる。100人を超過した分は本戦前に脱落ってことだ。今回は64の国と地域が参加する。つまり残り36人の枠を2位通過した64人で奪い合うことになる。スコアが36位以内に入れなかったら即敗退だけど、選考会通過者として本戦出場扱いにはなるから、一応順位はつけられるってわけだ」
「2位通過の人は、裏予選を突破しないと参加できないんですね」
「そゆこと。それに1位と2位が両方共おんなじ待遇だったら、1位で通過する意味がなくなるだろ」
「確かに」
伊織は思った以上に飲み込みが早かった。僕が1位通過したかった最大の理由がこれだ。2位通過だと合計2回も予選を行うことになる。これは体力的にかなり不利だ。
余程のことがなければ、松野は這い上がってくるはず。
「私も前回は裏予選に出たんですけど、裏予選もかなり競争が激しかったです。特に北欧勢とかは他の国の1位通過者を上回るスコアでしたから、本選のつもりで戦ってくださいね」
「んなこと言われなくったって分かってるよ」
「松野さん、裏予選頑張ってくださいね。応援してます」
「お、おう」
結城が言った時と伊織が言った時で全然反応が違うじゃねえか。やっぱこいつ性差別主義者だ。
みんなが祝勝会を頼んでいる間、真理愛と話そうと思った。ずっと落ち込んでばかりいる彼女が放っておけなかった。優勝の余韻に浸っている場合ではない。
端っこの席に陣取っていた真理愛の隣に僕が座る。
「真理愛、これからどうする?」
「来年はオーガストが潰れて、私は東京に戻ることになります。岐阜の方々にはお世話になりました」
「何諦めてんだよ。オーガストが潰れたって、真理愛の人生が終わるわけじゃない。ずっと生き続けることになるんだぞ。寿命を迎えるその日まで」
諦めちゃ駄目だ。何か1つが駄目だったらそれで終わりか?
それで満足か? その人生で良かったって心底から思えるか? 最期までやりたいことをやりきらなかったら、死ぬ時にもっと自分勝手に生きてりゃ良かったと嘆く未来が僕には見えた。
「真理愛のやりたいことは何?」
「……ソムリエです」
「嘘吐き」
「本当ですよ」
「じゃあ何でバリスタの大会に出続けたんだ?」
「……」
真理愛の声が鳴りを潜める。
嘘だ。嘘に決まっている。嘘吐きは泥棒の――いや、不幸の始まりだ。
真理愛も分かっているはずだが、従うことを刷り込まれたまま成人した結果だ。彼女が得意としているコーヒーカクテルは妥協の産物、だが味は本物と言えるものだった。
「今日の選考会に出たのだってさ、親に抗いたかったからじゃねえの?」
「……」
核心を突かれた人間の反応は2つ、黙るか怒るかだ。
「私は……どうすればいいんでしょうね」
「それは僕が決めることじゃない。君自身が考えて、君自身が答えを出すべきだ」
「……そうですね」
「僕の身内に親から就職しろって言われてなった奴がいるんだけど、そいつは就職適性がなくて、就職してからしばらくして過労で倒れてクビになった。その後どうなったと思う?」
「家から追い出された……とかですか?」
「逆だよ。そいつは家に引き籠るようになって、今も親の敷いたレールに乗せた責任を取れって言い続けてる。主体性を持たないまま周囲の言いなりになった奴の末路だ」
「……」
周囲の言いなりになって生きてきた人間は、人生で大きな挫折を強いられた途端から周囲のせいにし始める。やがて自分の人生を他人事のように考えるようになり、理想の自分を頭の中で妄想しながら現実逃避をするようになる。ここまでくると末期だ。自分で選んだ道だろと吐き捨てる人もいるかもしれない。だが彼らは人生の重要な決断を自分で行うという当たり前の経験をさせてもらえなかったのだ。そもそも自ら考え自らの意志で道を選択できるように育てられていないのだから、その時点で彼らには責任能力も選択権もない。周囲の圧力で選ばされた道だから、うまくいかなかったら周囲の責任というのが、彼らの導き出した深層心理である。故に主体性なき者たちは責任を取りたがらない。
自分の人生に責任を取れない人間はこうして作られるのだ。日本人に無責任な人が多いのは、半ば強制的に乗せられているレールによる影響が大きい。そのくせレールに乗せる教育がお粗末で、生きる力さえ育てられていない。あいつらは同調圧力によって武器を取り上げられた。
あいつらの言動は日本社会の映し鏡だ。
僕は伊織を仲間として迎えた。そうでなければ、彼女が彼らの1人になるのが目に見えていた。
「ねえあず君、あたしのプレゼンどうだった?」
「笑顔を振りまくのはいいけど、緊張を隠しきれてないな。エスプレッソ部門のシグネチャーに使ってたグレープジュースだけど、あれはもう少し分量を減らしてもいいかなって思った」
「飲んでないのに分かるんですね」
「コーヒーの味が支配的でないと減点されるからな」
そりゃ分かるよ。だって僕は……何万通りもシグネチャーを作ってきたのだから。
「はぁ~、また出直しかぁ~」
「出直ししようと思えるだけまだマシだ。世の中には自分の人生は自分次第だってことにも気づかず、全部他人のせいにして、出直すことさえしないような人たちが山のようにいるんだからさ」
真理愛の表情が更に曇る。まるで責められている人の顔だ。彼女の握り拳はプルプルと震え、今にも涙が出そうなほど目が充血し、目の前の料理さえ喉を通らないほど思いつめている。
「真理愛」
彼女の後ろから1人の中年らしき女性が出迎えるように話しかけた。ベージュのコートに黒髪のショートボブの姿で現れた女性に、真理愛は体を反射的にビクッと反応させる。
「お母さんっ!?」
あぁ~、なるほどねぇ~。この人が例の毒親か。
「なかなか家まで帰ってこないから心配してたんだよ」
「祝勝会に出席してたの」
「祝勝会? あぁ~、この選考会の? そんなことより、早く帰ってソムリエ修行を始めるよ。ただでさえ修行が遅れてるんだから。さあ、ほらっ」
真理愛の母親が真理愛を外に連れ出そうとすると、真理愛が何も言わずに席を立とうとする。
「真理愛の家って岐阜だったよな?」
さりげなく真理愛に聞いた。本当はどこに帰りたいのかを。
「私の家は――」
「東京ですよ」
真理愛が答える前に彼女のお袋が答える。
「あんたに聞いてないんだけど」
半ば呆れ顔で言い返した。
「そうですか。それは失礼しました」
「彼女はオーガストの営業があるはずだ」
「オーガストの社長は私です。明日には会社を解体します。もうあのお店は店舗として使えませんよ」
おいおい。じゃあ真理愛は雇われ店長だってのか?
「確か2014年の12月まで営業させる約束じゃねえの?」
「ええ。でも条件が変わったんです。選考会を通過できなかったらオーガストを閉店すると」
「今すぐ閉めるって言ったか?」
真理愛の方を向き、彼女に問いかける。
「いえ、言ってません」
「だったら12月まで営業しても問題ないはずだ」
「オーガストの経営権は私にあるんです。その気になればすぐにでも会社を解体できるんです」
僕がこの人の子供だったら、今頃は取っ組み合いの喧嘩になっていただろう。
この人は経営権だけじゃなく、真理愛の人生の決定権まで握っている。親子関係において、子供の人生の決定権を親が握っているのは由々しき事態だ。
「自分の言葉さえ守れないのに、子供には言うことを聞かせると?」
「あなた、確か葉月梓さんでしたっけ? 日本人が苦手で入店禁止にしているとか」
「ああ、苦手だ。自分がしたことの責任も取れなくて、何をやっても中途半端で、いくつになっても中身が子供な連中を、どうして得意と思えようか」
「前々から思ってましたけど、それって差別ですよ」
「うちは精神年齢10歳未満の子供は入店禁止なんでね。言っちゃ悪いけど、この国の人間の多くは感性が大人の域に到達していない。その原因を作っているのが、あんたのような過保護な大人たちだ」
一歩も引かなかった。もしここで真理愛が帰る場所を間違えれば、個人としての真理愛は死んでしまうだろう。真理愛は口には出さずとも行動で示していた。
本当は断りたい。バリスタとして生きていきたい。
――自由になりたいと。
「私が過保護とでも?」
「そうとしか言いようがない。真理愛が何で選考会に自分の人生を賭けたか分かるか?」
「人生に見切りをつけるためでしょ」
「その通り。あんたに干渉され続ける人生に見切りをつけるためだ。そして何より、コーヒーを心底愛してるバリスタだからだ」
「ふふふふふっ、私はてっきり、バリスタの仕事に見切りをつけるためだと思っていましたけど」
「子供のことなのに何も分かってないんだな。真理愛が店で営業しているところを見たことあるか?」
「いえ、全く」
「噂で聞いたけど、あんたは確か現場主義の人間だろ? 真理愛からバリスタの仕事を取り上げるっていうならさ、一度でも現場を見てから言えよ」
真理愛の母親のプロフィールを知っていた。
ソムリエ専門学校の校長で徹底した現場主義者。授業も校長である自らが行うという徹底ぶりだ。
それが本当なら、何か気づくものがあるはず。
「分かりました。では12月までの営業は許可します。営業も一度だけ見に行ってあげます」
「真理愛は今年で27歳だぞ。いつまで子供の行動を縛るつもりだ?」
「真理愛はまだ一人前じゃないんです」
「真理愛は過干渉のせいで、意思決定どころか、やりたいことも言えず、主体性を持てなくなってる。それを半人前と呼ぶなら、紛れもなくあんたの責任だ」
「それじゃまるで私が毒親みたいじゃない! 私は真理愛を立派に育ててきたつもりです! ここまで子供のことを想っている親が世の中にいますか!?」
「自分が毒親かどうかを決める権利が自分にあると思ってる時点で毒親決定だ。細かいことは分からねえけど、子供に選択権を持たせないことを子供のためと履き違えてる親だったらうじゃうじゃいるぞ」
「……失礼します」
真理愛の母親が不機嫌そうな顔で帰ろうとする。僕らの言い争いは、美羽たちにもしっかりと聞こえていた。彼女らは意図せず真理愛の事情を知ることとなってしまった。
「あの、ちょっといいですか?」
松野が真理愛の母親を呼び止める。
少しだけ聞いてやろうと言わんばかりに、彼女はこの場に佇んでいる。
「彼の言葉には棘がありますし、あなたが気に入らないのも分かります。でも……彼は何も間違ったことは言ってませんし、人に恥じるような生き方もしていません。むしろ彼はバリスタのみならず、多くの人から尊敬を集めています。それは彼が自分の意思と決断で人生を切り開いてきたからです」
「……そうですか」
真理愛の母親は松野に告げられると、素っ気ない言葉だけを残し、ヒールをツカツカと鳴らし、この場を後にする。松野は穂岐山社長の言いなりになっていた時の自分と真理愛を重ねていた。どうやら真理愛の未来は首の皮1枚で繋がったようだ。だが油断はできない。
味を認められなければ、オーガストは倒産されられるだろう。真理愛はこの場に座り、息を吐いた。
「あず君、松野さん、ありがとうございます」
真理愛は嬉しさを噛みしめるように言いながら深々と頭を下げた。
まるで降り始めた雨のように、目からは涙がポロポロと地面に零れ落ちていた。
「本当は……私が言わないといけないことだったのにっ……!」
真理愛の体を優しく抱いた。彼女が話せないなら、僕が彼女の口になる。
「もういいんだ。真理愛、自分を見失うな」
「そうですよ。どんなに待遇が良かったとしても、やりたいことを言えなくなってしまったら人生不幸になりますよ。私もあんまり人のこと言えませんけど」
「そうでもないぞ。伊織は自分の人生を生きてる。それだけは確かだ」
「あず君……」
思わず嬉しそうに顔を赤らめる伊織。反抗期でもなければ、既定路線から外れる行為でもない。腐った教育制度との……真剣勝負だ。この戦いには多くの人生が懸かっていることを僕は改めて自覚する。
絶対に負けてはいけない。旧態依然とした教育のせいで、伊織は危うく生きる力を失い、施設行きになるところだったし、真理愛は希望を失いかけた。前科と呼ぶには十分な所業である。
教育制度は僕らに希望を与えるどころか奪っている。だからこそ許せなかった。
気に入っていただければブクマや評価をお願いします。
読んでいただきありがとうございます。




