137杯目「コーヒーの声」
2月上旬、ひたすらペーパードリップのメソッドの試行錯誤を繰り返している頃であった。
コーヒーも人間と同様、1つとして同じ物は存在しない。コーヒーにも鮮度やその日のコンディションというものがあり、調整を施さなければ美味くならない。
コーヒーが持つ魅力を活かすも殺すもバリスタ次第だ。
そのたった1杯のコーヒーに命を懸けるのがバリスタなのだ。
「凄く美味しいです。何だかレモンティーを飲んでいるみたいです」
伊織がペーパードリップで淹れたパナマゲイシャ、ナチュラルプロセスのコーヒーを飲んだ。ハニープロセスの時よりも柑橘系の酸味が強くなっている。
「本当ですね。レモンティーの風味です」
「エスプレッソだと、オレンジのような甘さを若干感じるけど、ペーパードリップはもっとクリーンなフレーバーになって、レモンティーのような爽やかさが増すわけだ」
「でも私にはちょっと酸味が強すぎる気がします。もっと透明感があれば、最初から最後までスッキリ飲めると思います――あっ、ごめんなさい」
「……何で謝るの?」
「私なんかが意見したら生意気だと思って」
――はぁ~、こりゃ重症だな。ずっと学校に通い続けた結果だ。
「別に生意気とは思わねえよ。伊織は相手に意見したり、疑問を持ったりすることに罪悪感を持ってるみたいだけど、それは従順な奴隷を作るための学校による刷り込みだ。要は上司に逆らわない人間を作るための洗脳だ。社会に出たら、自分の意見くらいしっかり持たないと、施設の連中みたいになるぞ」
「お兄ちゃん、そういう言い方ないと思うよ。ずっと前のラジオでも、施設の人を負けるべくして負けた人たちとか言って炎上しちゃったでしょ」
咄嗟にクローズキッチンから出てきた璃子が僕を咎めてくる。だが僕に譲る気はなかった。
ここで手加減なんてしたら、今までの苦労が台無しになる気がする。
「今は自ら考え行動して、自分の得意分野で成果を上げていく時代だ。そんな時代に従順な奴隷を量産し続けた結果、この国は社会で戦えないポンコツばかりを量産してしまった。施設の連中は、戦車や爆撃機で戦争する時代に綺麗事の中だけで育てられて、社会に対して素手で戦いを挑んだ。だからあいつらは負けたんだよ。自分にも、社会にも」
「だからって、そこまで言うことないと思うけど」
「むしろ言い足りないくらいだ」
「まあまあ、2人共落ち着いてください。私、ちゃんと自分の意見が言えて、自力でご飯を食べられる大人になりますから……」
「ふふっ、伊織ちゃんが1番大人ですね」
笑いながらも呆れ顔になっていた唯のツッコミは的を射ていた。
国際社会だと、意見を言えないのが子供で、立派に意見を言えるのが大人だが、日本だと何故かこれが逆になってしまう。唯の言葉はその本質を捉えていた。
「あず君、予選は全員同じコーヒーを抽出するんですか?」
「その通り。しかも審判は誰が淹れたコーヒーか分からない状態でカッピングするし、この時点で贔屓はまずできない。正真正銘の実力勝負ってわけだ」
「まさに味は絶対嘘を吐かないってことですね。差別化を図るポイントは抽出器具とメソッドですね」
伊織の指摘はもっともだ。この競技にシグネチャーの概念はなく、自分で味を作ること自体がなかなか難しい。そんな方法があるとすれば、抽出器具を変えるか、メソッドを変えるかだ。
僕が昔から用いてきたメソッドは、3回注ぎによるスタンダード抽出だ。ケトルに入った熱湯をコーヒーの粉が入ったドリッパーの中央から渦巻き状に淹れていく手法だ。この時、満遍なく水分が染み渡るよう正確に淹れることが求められる。どこの誰でも簡単に思いつきそうなシンプルかつスタンダードな手法だが、その分美味いコーヒーを淹れるには相応の抽出技術が求められる。抽出してる最中はコーヒーと会話を繰り返し、1粒1粒のコーヒーの粉に敏感になり、コーヒーと感覚を一体化させるのだ。
「あず君ってケトルから熱湯を注ぐ時、結構ゆっくりですよね?」
「コーヒーにとっての熱湯というのは、人間にとっての風呂の湯加減みたいなもんだ。だからこうやってゆっくり熱湯を注いであげないと、彼女が怒るんだ」
「はあ……」
「お兄ちゃんって無宗教の割に、コーヒーに関してはスピリチュアルなところあるよね」
「全く同じ作業工程でも、作る人が違えば味も変わる。コーヒーを適切に扱えば、コーヒーもそれに応えてくれる。彼女は敏感だからな」
伊織は僕のコーヒーの淹れ方を徐々に習得していった。
あの天性のスキルを素で持っている人はそうそういない。バリスタ修行をする前からコーヒーの機嫌を損ねない抽出ができていたことには心底驚いた。
「伊織、僕に出会う前は誰からコーヒーを教わってた?」
「コーヒーはあず君の動画を見ながら、自己流で習得していました」
――何てこった。動画を見て自己流で習得って――僕でもコピーするのが限界だってのに。
その言葉通り、伊織は動画で見た以上の技術を体得している。もし伊織が僕と同様に生まれた時からコーヒーと密接に関わっていたなら、彼女は僕以上の存在になっていたかもしれない。
伊織は間違いなく……凄腕のバリスタになる。
2月下旬、僕はJBrCの予選に参加するべく東京へと向かった。
唯と2人でタクシーに乗り、遠くの都道府県まで遠征するのは何度目だろうか。予選は午前の部と午後の部に分かれ、15人ずつ合計30人が参加した。僕自身は午後の部に参加したが、競技はプレゼンなしでひたすら抽出、静かに競技をして、終わったらすぐに入れ替わる。
この時、競技者が声を出すことは一切禁じられている。競技者の他サポーターが1人までで、観客席があるため、誰でも見ることができるようになっている。ジャッジは公平性を保つために競技者を見ることはできず、1日中カッピングをして点数をつける。採点方法も世界大会基準で行われる。
上位10人が準決勝進出だ。ルールは簡単だ。当日公開されたコーヒーを使い、リハーサルは30分で本番7分間で3杯抽出、3人のジャッジに個別の飲料を提供し、採点結果の平均値で競われる。
これが『必修サービス』というルールだ。
コーヒー豆と水は全員が同じものを使う上に、純粋に味だけが評価される。バリスタとしての抽出技術の差が露骨に表れる競技会だ。コーヒーの魅力をいかに引き出すかが勝負の鍵だ。
僕らバリスタは、コーヒーの声であるべきだ。コーヒーの声をうまく拾って客に届けるには、豆選びや焙煎技術だけじゃなく抽出技術も必要不可欠である。
大会当日、千葉にある真由の家から東京にある会場を目指す。
僕と唯が会場入りすると、狙ったように美羽たちが待っていた。美羽はポニーテールに加えて、今時のラフな格好だった。彼女は久しぶりに僕の顔を見た途端、ニコッと笑った。
「やっぱり来たね。あず君なら絶対参加すると思った」
「美羽も参加しに来たの?」
「あたしはあず君と松野君の応援、うちから参加するのは松野君なの」
「JBCにだけ出るもんだと思ってた」
「松野君はJLACにもJCIGSCにも参加してたの。いずれも決勝まで行けなくて落ち込んでた。あず君に向かって何であいつばっかりって愚痴ってたけど、あたしが嫉妬してる暇があったら練習あるのみだよって言ったら、奮起してやる気を取り戻してくれたの」
「……単純だな」
松野は様々なバリスタ競技会に参加し、更なるレベルアップを図っていた。
美羽に諄々と諭されるあたり、あいつは間違いなく美羽に惚れている。
「もしかして、あいつが色んなバリスタ競技会に出てるのって――」
美羽が人差し指を僕の唇に当て、これ以上話すことを阻止する。
「あず君は何でも喋りすぎ」
「そうですよ。自重してください」
「何で唯まで美羽に加担するんだよ?」
「少しは松野さんの気持ちも考えてください」
「考えろって言われても分かんねえよ」
「じゃああたしが代わりに言ってあげる。松野君はあず君を目標にしてる。でもあず君には到底及ばないのが悩みの種なの。でもあたし、やっぱりあず君じゃないと無理かな」
またやっちまった。美羽にここまで言わせてしまうとは。ていうか美羽も分かってたのかよ。あいつがしていることは、二重に無駄な努力ってわけだ。
しばらくすると、ようやく僕の出番がやってくる。ジャッジとの間は壁で仕切られていた。コーヒーも水も全部運営が用意したものだ。リハーサルでコーヒーを抽出し、逸早くコーヒーを見極める。
――なるほど、このコーヒーはブラジル産ウォッシュドプロセスのミディアムってとこか。なら本番の時は熱湯を注ぐ時間をいつもより少しだけ変えてやるか。
僕は最も得意な抽出方法であるペーパードリップで3杯のコーヒーを抽出した。
この大会の良いところは、必要な物があまりないところだ。WCIGSCの時は持っていくべき物が多すぎて大変だった。以前に比べれば非常に気が楽だ。リラックスしながら競技を全うすることができた。誰とも喋らなくていいのも、やりやすいポイントだ。
今思うと、よくプレゼンなんてできたと思う。
会場を出た僕は唯たちに迎えられた。
「どうでした?」
「余程のことがなければ受かってると思う。後は良い結果を信じるだけだ」
「あず君ならきっと大丈夫ですよ」
「そうそう。あず君のコーヒーは世界一なんだから」
「おいおい、俺を応援しに来てくれたんじゃなかったのか?」
「もちろん、松野君のことも応援してるよ」
美羽がウインクしながら言うと、松野は顔を赤くしながらニッコリ笑った。好きな人に応援されると嬉しいものだ。松野も競技を終えていた。彼はテスト期間が終わった学生のような顔をしていた。そんなに緊張するものなのかと不思議に思う。僕は観客に対して緊張することはあっても、競技に対して緊張することはない。いつもやっていることを違う場所でやるだけだ。
「あず君の競技、見てましたよ。何度も頷いてましたね」
結城が僕に話しかけてくる。彼は穂岐山珈琲育成部のナンバー2となり、とても柔らかい雰囲気の好青年になっていた。ガチガチな印象の松野とは対照的だ。
唯は美羽たちと会話している。人の機嫌を取るのが本当にうまい。
彼女の精神年齢は実年齢の倍くらいありそうだ。
「コーヒーの声を聴いてただけ。最初に熱湯を注いだ時の膨れ上がり具合を見て、あとどれくらい注いだら美味くなるのかをな」
「コーヒーが味を教えてくれるんですか?」
「美味いかどうかはアロマで教えてくれる。コーヒーの機嫌を損ねないように、丁寧かつ均一になるように抽出した。大事なのはここだ」
僕は左手の親指を自分の胸に当てた。
「心ですか?」
結城は答えた。自分の答えを正しさを確認しながら。
「分かってるじゃん。知識や技術も大事だけどさ、結局は最高のコーヒーを淹れたいという心構えがなければ、うまくいかないわけだ」
「常にコーヒーを真摯に向き合う姿勢が、いつも1番を取れる秘訣なんですね」
「あず君は精神論とか嫌ってるものだと思ってました」
「別にそうでもねえぞ。この国は無茶をさせる目的で精神論を悪用する人が多いけど、あれは間違った精神論の用い方だ。本来精神論というのは、簡単にめげない人間を育てるためのものであって、限界を超えてぶっ倒れるまで無茶をさせるためのものじゃない。あれは社畜論っていうんだ」
この国のブラック企業共が精神論を汚したと言っても過言ではない。精神力や根性はある程度必要である。メンタルが強くなければ何をやってもうまくいかないし、長続きもしない。だが無理をさせられすぎたり、嫌なことばかりをさせられていれば、その反動で頑張ること自体が嫌になってしまうのだ。
「ここまで日本人と話せているのに、どうして日本人規制法を続けているんですか?」
「一言で言えば、他に続ける理由ができたからだ。うちは僕の店と親父の店の2店舗あって、親父の店はうちとは少しタイプが違う店だけど、うちと同じレベルのコーヒーを体験できる店だ。それであいつらの不満を解消できてると思ってるし、あいつらには新しいものに対する理解力がないからな」
「新しいものに対する理解力?」
「日本人って新しいものを否定する人多いだろ。うちは日本人規制法のお陰であらゆる改革を誰にも否定されることなく取り入れることができた。ずっと前に満員防止法っていう、行列が長いほど居座る時の料金が高くなって、逆にテイクアウトの料金は安くなるっていうルールを採用した時、親父の店は早くも日本人客からのクレームが殺到して、親父がクレーム処理に追われてた。あいつらは理解力がないだけじゃなく、客の方が偉いって本気で思い込んでる」
「日本人規制法がなかったら、進歩的なシステムを取り入れられなかったってことですか?」
「その通り。うちは良くも悪くもガラパゴス化してるってことだ。あいつらがうちの店に入ってくるようになったら、また原始時代に戻ってしまいそうで怖い」
満員防止法は外国人には好評だったが、日本人には不評だった。
長く待ってやっと座れると思ったら、今度は客席料金まで取るのかという意味不明なクレームが多かったのだ。その分テイクアウト商品は料金が安くなっている。どちらかを選べる中で満員になるほど需要のあるイートインを選んだのだから、料金が高くなるのは当然である。葉月ローストはテイクアウト前提の店だ。テイクアウト商品の割引を低くし、客席料金を高めに設定している。
理解されるのに相当な時間がかかるだろう。
「彼らが怖いんですね」
「まあそういうことだ。それに僕が通わされてた学校が未だに黒髪以外禁止の校則を採用し続けてる。あんな小学生並みの理解力しかない傲慢な連中を入れたいとは思わない」
「あず君は世界のことは知っていても、日本のことは全然知らないんですね」
結城が半ば呆れ顔で僕の知識の抜け穴を指摘する。
「これ以上あいつらのことなんか知りたくもねえよ」
「髪色で差別する人自体は少数派です。あず君言ってましたよね? 多数派のほとんどは信念もなく、惰性で従っていると。じゃあ、私はこれで。予選通過してるといいですね」
「……」
結城が言い残して笑顔で去っていく。僕は何も言い返せなかった。
何だか課題を突きつけられた気分だ。あいつらのことを知らないってどういうことだ? あいつらを知れば知るほど、幼児性が浮き彫りになるばかりだってのに。
そんなことをモヤモヤと考えながら、唯と共に帰宅するのだった――。
しばらくすると、協会のホームページが更新される。予選通過者のページにはしっかりと葉月梓の名前が載っており、ホッと胸を撫で下ろした。
3月下旬に行われる準決勝へと進出した。その日は準決勝と決勝がぶっ通しで行われる。
この時は『オープンサービス』という、予選とは別のルールが適用される。
競技者が焙煎したコーヒー豆と水を持ち寄り、豆の魅力を抽出技術とプレゼンでアピールする。この時も3杯のコーヒーを提供する。上位5人が決勝進出となり、もう1度同じ作業を繰り返す。
優勝すればワールドブリュワーズカップ、略してWBrCへの出場権を得る。
「次は準決勝ですから、プレゼンの準備ですね」
「そうだな。10分で3杯のブラックコーヒーを抽出しながらプレゼンをして、スコアが最も高い人が優勝ってわけだ。今回は割と余裕あるな」
「ですね。前回はコーヒーとアルコールの膨大な組み合わせに加えて、かなり短期間でしたから。でもそんな魔境を乗り越えたあず君なら、きっと大丈夫ですよ」
「そうだな。早速プレゼンを考えるか」
「はいっ!」
唯と一緒にプレゼンをしながらコーヒー抽出をする練習を繰り返した。元々ダブルタスクが苦手だった僕だが、コーヒーを淹れながらプレゼンすることには慣れていた。だが今回は抽出している時は話さないことに。最高のコーヒーを淹れるなら、集中している状況に越したことはない。
3月上旬、優子が29歳の誕生日を迎えた。
祝う相手の誕生日が日曜日だった場合は日曜日の前後に祝うルールである。璃子も感謝の印として優子にプレゼントを渡していた。営業が終わり、璃子は唯と一緒に夕食の準備をする。
優子に呼び出され、クローズキッチンで僕と優子の2人きりになった時であった。
「ねえ、大事な話があるんだけど」
「どんな話?」
「あたしに見合い話がきたの」
遂に優子にも結婚を考える時期がやってきたか。ここはちゃんと送ってあげるべきなんだろう。
でも待てよ。見合い話だったら、以前も何度か来ていたはずだし、何で今になって。
「ねえ、あたしたち、つき合わない? あたしとしては、そろそろあず君と本交際したい。ほら、私もう来年で30でしょ。あず君も事業が安定してきたから、時期的にピッタリだなって思ったの」
「今までにも何度か見合い話があっただろ」
「それはそうだけど、私も身を固めたいの。もちろん、結婚した後もずっと働き続けるつもり。早くお母さんを安心させたくてね。どうかな?」
僕には優子の言いたいことがすぐに分かった。結婚を前提につき合ってくれ。じゃなきゃお見合い相手とつき合う。恋愛シミュレーションゲームで言えば、これが優子ルートに行く最後のチャンスだ。
だが僕の心は既に決まっていた。
「――悪いけど……それは無理だ。今は仕事が恋人だから」
返答の言葉を告げると、優子の表情が一変する。
「そう……やっぱり唯ちゃんには勝てないんだね」
「えっ! 何で唯が出てくるのっ!?」
「隠さなくても見ていれば分かるよ。こういうのは鋭いんだから」
「……優子には全部お見通しか」
唯との交際は優子にバレていた。一応内密にしてもらうように言ったが、全てを悟ったかのように心配しないでと言ってくれた。優子は親から何度も見合い話がきていたが、僕のことを諦めきれずに保留していた。僕にとって優子は血の繋がっていないお姉ちゃんみたいな存在だ。
どうしても真剣交際しようとは思わなかった。
一方で僕のそばにいて、支えてほしい気持ちもある。
「いつから気づいてたの?」
「去年くらいかなー。あず君が他の女性と話す度に、唯ちゃんが不安そうな顔してたし。恋人じゃなかったら、あんな表情にはまずならないからね」
「サイン出してたのか」
「……でもこれで踏ん切りがついた」
「ごめん。期待に応えられなくて」
僕は優子に背を向けたまま彼女に謝った。とても彼女を直視できる状態じゃなかった。まともに向き合える気がしなかった。真剣交際はしない。でも結婚で僕から離れるのも嫌だ。
――こんなの我が儘だよな――でも伝えられない。
優子が後ろから優しく包み込むように抱きついてくる。
彼女は僕の耳元で周囲に聞こえないくらいの声で、囁くように思っていたことを話し始める。
「実はね、あたしは既に何度もお見合いしていたの。これが最後と決めたお見合いでも、あず君以上に心が震えるような相手には遂に出会えなかった。だからさー、今日家を出る時、あず君が無理だったら一生結婚しないって、お母さんに言ってきたの」
「……」
「試すようなマネしてごめんね。どうしてもあず君の本音が知りたかったの。薄々気づいていたけど、あず君の口から、交際するかしないかの言葉をちゃんと聞きたかった」
「……」
「あず君言ってたよね? 結婚は人生を豊かにする手段の1つにすぎないって。これを聞いた時、別の形でつき合っていければそれでいいって思ったの」
黙って優子の囁きを聞き続けた。それはまるで、僕の思惑に配慮するかのようだった。
優子はずっと僕のそばに居たい。そばに居られるなら、恋人じゃなくてもいい。毎日同じ場所で一緒に仕事をしていれば、その時点である意味恋人のようなものだと言われているような気がした。
「優子、別の形ではあるけど、僕とつき合ってくれるか?」
優子の腕を優しく振り解くと、彼女がいる方向へと顔を向けて覚悟を問う。
「この柳瀬優子、珈琲帝国繁栄のため、皇帝陛下に一生を捧げる所存でありますっ!」
優子はビシッと敬礼しながら、事実上の生涯独身を宣言する――これには流石の僕も心が痛んだ。
「ふふっ、何だよそれ……優子、これからもよろしく」
「うん、よろしくね。あず君」
優子だったら相手を選ばなければ結婚できたはずだが、彼女の本音がそれを拒んだ。
僕は彼女の華々しい未来の1つを奪ってしまったのだ。
故に僕は……責任を取ることにしたのだった。
気に入っていただければブクマや評価をお願いします。
読んでいただきありがとうございます。




