11杯目「上靴の画鋲事件」
ここからは小学校時代後半です。
是非ともお楽しみください。
親父がおじいちゃんと対照的なのには訳がある。
それはおじいちゃんの自営業時代を見れば分かることだ。おじいちゃんの家庭は安定しているとは言えないかった。収入の上がり下がりが激しく、食べるのにも一苦労することがあった。
親父はそんなおじいちゃんを見てきた反動なのか、安定しない職業にアレルギーを持っている。親父が言う安定とは、公務員か大手正社員だ。僕の起業にも反対している。大手正社員だって必ずしも安定はしない。親父がいた大手コーヒー会社もバブル崩壊の影響で潰れた。
バブルの頃、某大手のスーパーに入った奴は今何してる? まさか潰れるとは思わなかっただろ?
公務員だって、給料も正規の枠も段々削られている。
安定なんてものは、本当はどこにもありゃしない。なのに親父は普通に生きろの一点張りだ。
普通の人の一生を親父に聞いてみたのだが、あまりにも具体的でよく覚えている――。
0歳から6歳までは幼少期を過ごし、6歳から22歳まで学生時代、22歳から65歳まで会社員、65歳から死ぬまで年金生活。これが普通の人の一生だと親父に言われた。この時はこれが普通の人生だと思ってたけど、後になってあることに気がついた。
これは普通じゃなくてエリートだ。何というか、無難な一生だと思う。でも無難な人生って、どう考えても普通じゃない。人生には色んなアクシデントが起こる。親父は大学まで行って大手のコーヒー会社に就職した。おじいちゃんの収入が不安定だったこともあって苦労したらしい。その後は破竹の勢いで課長に昇進するも、バブル崩壊の影響で倒産した。
「何が駄目だったのかねぇ~」
親父が天井を見ながら呟く。
「株が暴落することを想定しないのが悪いよ」
反論するように返事をする。こればかりは結果論だと理解しつつも、言わずにはいられなかった。
親父も途中までは普通の人生だったけど、途中から普通のレールが途切れている。最初からずっと同じ会社で定年まで過ごせた人は物凄くラッキーな人だと思う。
しかもそれだけ長く居座っているなら、高確率で出世もしているだろう。
親父は余程過去の栄光を忘れるのが嫌らしい。実のところ、親父は自分ができなかった普通の人の一生を僕に送ってほしかったのかもしれない。自分の夢を子供に託す系の親だ。こういうのは期待されるだけいい迷惑だ。子供の夢を叶える上で最も障害になるのは、実は親だったりする。
夏休みが終わり、小4の2学期を迎える。
担任もあの件で懲りたのか、無理に強制参加させる考えを改めた。運動会に出なくていいことが確定した時、僕はホッと胸を撫で下ろした。運動会も見学に留まっている。クラスメイトとは音楽会の件もあり、僕がいる前で悪口のオンパレードだ。僕はそんなこともあろうかと、学校に耳栓を持ってきていた。担任にはみんなの声がうるさいからという理由で持参を認めてもらっていた。いかにも僕らしい理由だ。クラスメイトの悪口大会を聞きに通学させられているわけじゃない。貴重な昼寝の時間を確保するためだ。これだけで済んだらどんなに楽だったか。だがクラスメイトは僕の耳栓を度々外そうと手を出してきた。俺たちの悪口を聞けと言わんばかりだ。これには流石の僕も腹が立った。クラスメイトの1人が僕から耳栓を取り上げると、取り返そうと向かってきた僕を突き放そうと体をドスッと突いた。
「痛っ! 何すんだよ!?」
「こんなもん学校に持ってくるなよ」
攻撃と受け取り、耳栓を取り上げてきた奴をぶん殴った。
殴った相手は担任の高畑先生に訴えに行くと、担任が渋々と仲介に応じてくれた。
「一体どうしたの?」
「葉月が殴ってきたんだよ」
まるで僕の方から手を出したかのように言った。
「最初に手を出したのはお前だろ?」
ムスッと怒りの矛先を向けて言い返した。
「まあまあ、それじゃあ両方とも謝ろう。なっ!」
担任がそう言ってこの場を鎮めようとする。
「何で喧嘩を売られたのに謝らないといけないんだよ?」
疑問に思ったことを素直に尋ねた。
「葉月も殴ったんだから謝らないと」
「正当防衛だ。殴り返さなかったらもっとやられてた」
「難しい言葉知ってるんだねー」
「これくらい常識だ」
両方共謝罪をすることになったが、僕は屈しなかった。
「ごめんなさい」
「分かりゃいいんだよ」
僕はそう言って謝らなかった。相手側が売ってきた喧嘩なのに、何故僕まで謝らなければならないのかが分からなかった。日本には喧嘩両成敗という言葉がある。本来であれば、喧嘩を売ってきた奴が全面的に悪い。ルールさえまともであれば、自分から喧嘩なんて売りにくいはずだ。なのに反撃した方も裁かれるのだから、事実上の道連れにしかなっていない。
最初に喧嘩を売った方が勝つゲームになっている。両方謝って解決させる手段は仲介させる側からすればかなり楽な判決だが、巻き込まれた側からすればたまったもんじゃない。だが僕が謝らなかったために喧嘩を売った側がみんなに同情されるというおかしな事態になってしまった。大変よろしくない。喧嘩を売った方が責められる状態であれば喧嘩を売れなくなるというのに。
こいつを擁護したら、これが次の喧嘩の火種になってしまう。
これで喧嘩を売ったもん勝ちなんていう、とんでもない価値観が染みついてしまったら、喧嘩を撒き散らす害悪マシンになってしまう。だからこそ僕は謝らなかった。以降、僕は自分が悪いと思ってない時は絶対に謝らなくなった。だがその代償として、この日以降、陰湿ないじめを受けることに。
次の週を迎え、朝学校に来てからいつも通りロッカーの中から自分の上靴を取ろうとする。
僕は目を疑った。上靴の中に画鋲が立っていたのだ。
――えっ? 何で画鋲立ってんの? あいつらホントに懲りない奴らだ。
こんなことしてただで済むと思ってんのかよ。
相手の神経を疑うレベルの悪質な悪戯だった。すぐに昨日の奴の仕業だと思ったが、しらばっくれるのが目に見えていた。一応担任には報告だけ済ませた。
「僕の上靴に趣味の悪い悪戯をされてたんだけど」
「画鋲なら外せばいいでしょ」
「――それだけか?」
「それだけって?」
「危うく怪我するところだったんだぞ!」
「怪我しなかったんだからいいじゃないか」
「これは明らかにいじめだろ?」
「ただのからかいだろ」
「からかいじゃない。傷害未遂だ!」
「でもいじめを認めたら学校の評価に関わるからねー」
――何を言ってるんだこいつは? 感性が教師の域に到達していない。やはり社会を経験してない奴に教師は務まらないと思った。しかもいじめを認めたら学校の評価に関わるとか、生徒の安全よりも学校の評価の方が大事なのか? 学校の外なら傷害未遂、場合によっては脅迫罪も成立する。後で知ったことだが、いじめの件数が多いほど学校の評価が下がり、PTAなどからの支持を失うらしい。
くだらないメンツのためだけに、生徒への迫害行為を隠蔽するとは……。
教室に入っていつも通り寝ようと、頭を固い机に突っ伏した。
「昨日さ、私を助けるためにわざと追い出したんだよね?」
さっきまで女子たちと話していた美濃羽が嬉しそうに話しかけてきた。
「今君はその努力を無駄にしようとしている。こうして僕に話しかけることでな」
「それはもういいの。女子たちは梓君に味方してたから」
「本当の味方は肝心な時に助けてくれるものだぞ。まっ、ここの人たちにそんな期待はしてないけど」
彼女は僕の不器用な配慮に気づいていた。実際、ほとんどの人は空気に流されてしまう。状況を放置した時点で、自分も世の中の理不尽に加担しているという事実に蓋をしながら、私はそれを認めも否定もしないなんてことを抜かしやがる。
傍観者に徹している以上、それは黙認以外の何物でもない。
――この臆病者共がっ!
「梓君、今度一緒に出かけない?」
そんなことを考えていると、美濃羽が思いもよらないことを口走った。
――は? 何で僕を誘ってんの? そんなにお出かけしたいの?
ただでさえ画鋲の件で滅入ってるというのに……どうしよう。クラスのアイドルに誘われるなんて滅多にあったことじゃない。当然、他の男子も怖気が走るような顔でこっちを見ていた。
僕が誘われていたことが信じられないと言わんばかりだ。
「別に……いいけど」
教室内にザワッと静けさが走る。結局、今度の日曜日、美濃羽とデートをすることに。
エスコート苦手なんだよなー。そんなつまらないことを考えていると、担任が教室に入ってきて全員が席に着いた。この時、僕は表情には出さなかったが、心底怒り狂っていた。画鋲の件を知りながら平気そうな顔をしていた。担任もいじめてる連中と何も変わらないじゃねえか。
犯人を特定することを思い立つ。
――誰がやったか知らねえけど、今に見てろよ。
僕が怒っていたのは相手に対してじゃない。何もできない自分の無力さに対してだ。怒りを抑えつけるためにも、犯人の特定を急いだ。犯人は画鋲を立てるために、必ず僕の上靴に触れないといけない。つまり画鋲を持っているか、僕の上靴に触れたことが分かればいい。
まず疑わしいのが僕と喧嘩した奴だ。最初にそいつを探ることに。
翌日も親に連れられて登校させられる。すると、僕と喧嘩したクラスメイトがいた。重要参考人としてこっそり後をつけた。クラスメイトのそばには仲の良い女性生徒がいる。同じクラスの女子だ。クラスの中でも人気者で、女子からもモテていた。その女子も才色兼備と言っていい存在だ。
所謂スクールカースト上位であり、しかもリーダー格と言っていい奴らだ。同級生の間にも序列が存在する。先輩後輩みたいなあからさまな関係じゃない。どこか逆らいにくいオーラを発してくる。奴らに目をつけられると様々な要求をしてくる。最初は優しいが、徐々にエスカレートしてくるのだ。
ああいう連中に逆らったら最後、クラス中からいじめのターゲットにされる。それが学校という呪われた王国のルールである。しかも教師が隠蔽してくれるのを分かっていじめてくる奴もいるのだから尚更厄介だ。心底どうでもいい奴らのために、何故ここまで神経を擦り減らさなければならないのか。
――僕に力があれば、こんな目に遭わずに済んだのに。
クラスメイトは上靴のロッカーでは特に怪しげな行動はしなかった。
腰巾着も然り。後で上靴を覗いてみると、また画鋲が立っていた。
連続でやってくるってことは、担任が隠蔽することを知っている人物だ。
体育の時間、調子が悪い時は教室にいてもいいところに目をつけた。これで奴らに知られずに荷物検査ができる。画鋲が出てくれば、それが証拠になると考えた。丁度次の日が体育だったため、次の日を待つことに。翌日、僕の上靴にまた画鋲が立っていた。これで3日連続。犯人は暇を持て余しているようだ。体育の時間になると、担任に腹の不調を訴えて教室で休むこと。普段は教室で寝てばかりだし、寝てない時は家から持ってきた好きな本を読んでいたし、担任は僕を疑うことなく教室を去った。
チャンスがあるとすれば、それは今だけだ。僕はこっそりいじめっ子優等生のランドセルや机の中を調べた。画鋲がある可能性が最も高いのは道具箱だ。でも画鋲は出てこなかった。犯人になりえるとしたらこいつのはず。だが僕は諦めなかった。次にいじめっ子優等生と仲が良い奴のランドセルと机を覗くことにした。しかし、それでも画鋲は出てこない。いじめっ子じゃないなら誰だ? これで見つからないなら全員のを探すか? いや、それは流石にめんどくさい。犯人探しが行き詰ってきたところで、段々と捜索意欲がなくなってきたのか、一度自分の席に戻って机に突っ伏した。
担任も画鋲を大したことじゃないと思ってたしなー。
ふと、そう思った時、重大なことに気づいてしまった。
――ん? 確か担任は画鋲なら外せばいいでしょって言ってたよな? 画鋲の話は特にしていなかったはずだ。趣味の悪い悪戯をされたとは言ったけど、画鋲が立っているとは一言も言わなかった。じゃあ何で担任は画鋲のことを知っていたんだ?
謎を解くために担任の机を調べた。すると、中には画鋲を入れたケースが入っていた。
ビンゴッ! 思った通りだっ!
証拠として持っていた画鋲と担任の画鋲を照合したら見事に一致した。犯人は担任だったんだ。担任は僕を厄介者だと思っている。動機としては十分だ。しかもいじめっ子と喧嘩したばかりだし、こんなことが起きれば疑いはいじめっ子に向く。いじめっ子が担任の机から取り出したなら、他の人もいるから目立つはずだ。このクラスで画鋲を持っていて、僕のことを知っているのは担任だけだ。
担任が隠蔽することを知っている人物は、担任自身が犯人の場合でも成立する。担任の犯行を確信した僕は、担任の机にある画鋲ケースを持ち帰った。
次の日、僕の上靴に画鋲が立っていなければ犯人確定だ。
僕はこのことを親に伝えた上で、担任が犯行を認めたら、親から教育委員会に報告してもらうという約束で学校まで来てもらうことに。うちの親は僕が不登校になるのを恐れていた。この件が解決するまでは絶対に学校には行かないことを伝えると、意外にも迅速に行動してくれた。
翌日、お袋と一緒に登校すると、僕の上靴に画鋲はなかった。
教室に入ると、担任が机の中に手を突っ込み、ガサガサと何かを探していた。
「探してるのはこれだろ?」
「あれっ、葉月君に葉月君のお母さん。あっ、画鋲見つけてくれたんだ。ありがとう」
担任が僕から画鋲ケースを取ろうとすると、僕は手を引っ込めた。
「ちょっと、それ返してよ」
「この画鋲はスチール製ゴールド画鋲の60個入りだ。全部数えてみたら残りが57個になっていた。僕は3日連続で1個ずつ画鋲を上靴の中に置かれた。これがどういうことか、分かるよね?」
上靴の画鋲のことを担任に話した。しかも同級生やお袋がいる前でだ。
「あーあ、まさかばれるなんて思ってもみなかったよ。君が私に逆らうから悪いんだよ。だからちょっと懲らしめてやろうと思ったんだけだよ」
担任はあっさりと開き直った口調で犯行を認めた。お袋は表情が暗くなり、僕はこの心ない台詞に堪忍袋の緒が切れた。今まで思っていたことを全部ぶつけてやろうと思った。
「ふざけんなっ! こっちが今までどういう思いで過ごしてきたか! そんな幼稚な理由で、こんなことをしていいわけねえだろっ!」
「先生、これは流石にやりすぎです。このことは教育委員会に報告させてもらいます」
教室の空気は凍りついていた。僕はそんなの知るかと言わんばかりに担任を説教していた。
うちの親もようやく学校の異常さに気づいた。このことが他の職員たちにも伝わると、校長に呼び出された高畑先生は素直に犯行を自供した。犯行動機は僕の茶髪だった。音楽会や運動会で僕だけ茶髪だったのをPTAの人が見ていたらしく、担任はそのことで咎められた。しかも僕が次々と問題に巻き込まれ、痺れを切らして僕を不登校に追いやろうとしたが、皮肉にも犯人を見つけたせいで、僕は不登校になれなかった。それにしたって動機が幼稚すぎる。学校は事態を重く見たのか、担任は懲戒免職となった。僕はこの事件以降、高畑先生を見ていない。どこかに行方を晦ましたらしい。証拠の画鋲は全部校長に渡した。こうして、僕は悩みの種であった担任を学校から追い出すことに成功したのだ。
女教師で副担任だった新家先生が繰り上がりで担任代理となった。
今年度の終わりまでのようだが、この人も事なかれ主義だ。案の定これで終わりじゃなかった。元担任はスクールカースト上位のグループを贔屓にしていたこともあり、スクールカースト上位の連中から顰蹙を買うことになった。しかもこの副担任もまたこいつらを贔屓にしていたために結局状況が悪化しただけだった。事件が無事に解決した手前、不登校にもなれない。さてどうしたものか。だがこの件であいつらは僕をただ者じゃないと思ったのか、これ以上の追撃は仕掛けてこなかった。
日曜日がやってくると、美濃羽とデートをすることに。
親からは何故かお小遣いを多めに渡された。必要な時に親からお小遣いを貰っていたが、いずれも本やコーヒーにばかり使っていた。だが今回は事情が異なる。
可愛らしい服装に加え、紫外線対策として帽子をかぶっていた。正午になると、美濃羽が待ち合わせ場所である公園の滑り台の下で待っていた。
「ごめーん、待った?」
美濃羽が嬉しそうに駆け足でやってくる。
「うん、5分待ったよ」
公園の時計を見ながら言った。
「そういう時は嘘でも、僕も今来たところだって言うんだよ」
「うわっ、めんどくさ」
「思ったことそのまま言ってるでしょ?」
「そうだけど。僕は自分に嘘を吐いてまで誰かと仲良くしようとは思わない。だからこの性格が気に入らないなら、見限っても構わないぞ」
開き直って言うと、美濃羽はこう言った。
「みんな口に出さないだけで、本当は梓君の味方だから……そんなことしないよ」
美濃羽がそう言って寄り添うように僕の片腕に抱きつく。
「梓君の私服姿初めて見た。とっても可愛いね!」
この頃には着たい服を自分で買うようになっていた。女の子向けにデザインされた服ばかりを買っていたが、学校の時は男の子向けにデザインされた服を親に着せられる。デートの時は別だ。僕は見た目が女子っぽいこともあって、同性の友達と思われていたのか、男女交際と思われることはなかった。
僕らはショッピングモールを回った。色んな服を試着したり、アクセサリーを身に着けて見せ合いっこしたり、食後のカフェでパフェを一緒に食べたりした。
エスプレッソを注文すると、美濃羽も僕と同じエスプレッソを注文した。
「普段からこういうのを飲んでるんでしょ?」
「普段はもっと美味いやつ飲んでる。これは少し苦みが強いから、抽出時間をもう少し短くした方がいいかもな。言っちゃ悪いけど、大半のバリスタはコーヒーが持つ個性を殺してる。コーヒー=苦いというイメージを持つ人が多いのはそのためだ」
バリスタの多くは全然コツを知らないバイトばかり。この苦いイメージを覆したかった。
「――ふふっ、評論家みたいだね。梓君は将来何を目指してるの?」
「バリスタ。美濃羽は何か目指してるのか?」
「あー、私ね、まだ決まってないの」
――決まってないんかい。だったら何故聞いたし。
この日だけでかなり散財したかも。財布大丈夫かな?
いつかは値段を見ずに買い物ができるといいなと思いつつ、僕らは公園で別れ、デートが無事に終了したのだった。他の人が僕の立場なら小卒まで身が持たないだろう。あの事件の噂は親戚にも広まり、僕には探偵というあだ名がついた。別に探偵じゃなくても、少し考えれば分かることだ。元担任が墓穴を掘ってくれなかったら、この事件は迷宮入りしていただろう。
元担任の幼稚な全能感に助けられた部分もある。
20世紀最後の年は、第1回ワールドバリスタチャンピオンシップが行われた年だった。僕はこの大会に後々関わることになるが、この時は第3回バリスタオリンピックの再放送がテレビで流れていた。
バリスタオリンピックは1991年に第1回目が行われて以来、メジャー競技会として、テレビでも人気を博している。元々はバリスタの地位を上げるために始まった競技会だが、自分の店を宣伝する目的で出場する者も多くいる。全てのバリスタにとってはステータスとなる大会だ。世界中から集まったナショナルチャンピオンが優勝を懸けて鎬を削っていた。テレビの前で釘づけになるように見ていた。色んなバリスタが国を背負い、コーヒーの声として、様々なコーヒー事情をプレゼンしながら競技を進めている光景に手に汗握ったことが道を示した。
英語が分かるため、コーヒー事情をかなり早くから知っていた。テレビに出ていたバリスタたちが作っていたシグネチャーをマネしようとして、コーヒーに多様な食材を入れて飲んでいた。
「うえぇ、まずっ! なるほどな、これじゃ駄目ってことか。じゃあ次は何を混ぜよっかなー」
最初はどれも不味かった。コーヒーに何かを入れると、99%不味くなる。シグネチャーは難しい。でもいつか、あの舞台に立ってみたいと思った。当時は日本代表のバリスタがいなかった。それだけにニュースの話題は去年からバリスタオリンピックで持ち切りだ。
2学期が終わると、冬休みがやってくる。
正月には親戚一同が集まり、リサやルイと一緒に遊んでいた。学校の問題を解決したことで、ちょっとした人気者になっていた。状況が悪化したとも知らずに呑気なもんだ。
僕にとっては至福の時でもある。これが数少ない癒しだったことは今でも覚えている。
ワールドバリスタチャンピオンシップは実在する大会です。
2000年から毎年行われています。