10杯目「音楽会事件」
音楽会の日まで一刻一刻と近づいていく。
僕は早く音楽会が終わってくれないかと思った。音楽会なんて、音楽が好きな人だけでやればいい。
誰かに強制されて音楽をやったところで、保護者への見世物の域を出ないことが分かるだけで、行事をやり遂げたという事実に満足してるだけだ。
――はぁ~、何でこんなことしなきゃいけないんだろう。もうあんな仕事のための仕事なんかなくせばいいじゃん。その方が教師と生徒両方のためだ。仕事は増えているのに、減らすべき行事は全然減っていない。そりゃ教師が忙しくなるのも無理はない。役割集中しすぎだ。
音楽の時間になると、体育館での練習はもちろん、音楽室でも練習をすることもあった。
僕は練習を断固拒否し、担任と格闘し続けた。
「何で参加したくないの?」
「自分で決めたわけでもないことをやりたくない」
「将来就職したら、誰かが決めたことを一生懸命やらないといけないんだよ」
「誰かに決められたことをロボットのようにやらされるのは抵抗があるんだよ」
「私は誰かと一緒に仕事をするのは楽しいと思うけどね」
担任の高畑先生に聞いてみたが無駄だった。
サラリーマン症候群の末期症状だ。ここまで症状が悪化すると、生き方そのものをコントロールされることに対して全く違和感を持たなくなる。一言で言えば、人生の視野が狭くなる病気である。子供の時は色んな手段で学べるのに学校に限定され、大人になってからも色んな道があるのに会社に限定されてしまい、やがて就職レールありきでしか物事を考えられなくなる。
治す方法ただ1つ、辞めることだ。
――何? 辞めたら居場所がなくなるだって? ふっ、それは考えが浅すぎるぜ。自分を押し殺さないといけない時点で、そこはもはや居場所じゃない。そのコミュニティにとって、そいつは都合の良い道具でしかない。この国は一体、人口の何%がこの病気なんだろうか。
しかも人は同じ環境に居座り続けると、自分こそが環境の覇者であるという妙な全能感を持ってしまうのだ。こういう人が会社をクビになると、どうしていいか分からなくなってしまう。最悪自殺してしまうこともある。うちの親父も最初はどうしていいか分からず、正社員の職を必死に探していた。だが職が見つからない状態が続いて、やっと気づいたのだ。
自分が通用するのは以前いた会社であって、世の中全体で通用しているわけではないということに。
うちの親父は人間界の食物連鎖における自分の位置を知ると、納得こそしなかったが、黙々とバイトに勤しむようになった。親父はサラリーマン症候群から抜け出すことができた。公務員には余程の事情がない限りクビがないし、尚更タチが悪くて末期化しやすい。しかも相手が自分より弱い子供であることが、全能感への陥りやすさに拍車をかけている。
全能感とは、自分こそが最強の支配者であるという思い込みのことである。
奴らこそ、本当の中二病なのかもしれない。教師が子供を従わせようとするのは、それが仕事だからじゃなく、ずっと同じ環境に居座り続けることで全能感を持ってしまうからだ。全能の覇者にとって子供は下僕も同然。故に、僕が従わないことに違和感を持っているのだ。大人と子供じゃなくて人と人、適度なバランス感覚を持っていれば、無理に従わせようなんて思わないはずだ。
――音楽会当日――
当日は保護者の人がたくさん体育館に集まった。いつものようにお袋に連れてこられて、教室のところで担任に引き渡された。以前は何度か学校に行かず、ゲームセンターやホビーショップに行ったことがある。うちの親はそれを知っていたからこそ、行事がある日だけでなく、朝は必ず一緒に登校する。
集団登校だと僕が離れてしまうため、どうしてもお袋がついていないと、すぐにどこかへ遊びに行ってしまう。そのため僕だけ例外的に親と登校させられていた。
「今日は元気よく歌おうね」
担任が僕に楽しそうに言った。こっちの気も知らないくせに。僕はその言葉通りにしてやろうと思った。みんなが真剣に歌の準備に励む中、1人罠を仕掛ける奴がいることにも気づけない無知を想像するだけで、ほんっとうに笑いが止まらないよ。
――ふふふふっ、覚悟しろよてめえら。行事にはサプライズがつきもんだろ? だからよぉ、こんなクソつまんねえ茶番を面白おかしくしてやるよ。
この時の僕はまるで犯行前の容疑者。ここで抵抗しなきゃ、後で絶対舐められる。どのクラスもいい具合に音痴がブレンドされていた。勝負は拮抗するだろう。最下位争いでな。各クラスが歌い終わり、遂にうちのクラスの番が来た。失敗しないかどうかよりも、成功せずに終わるかどうかを心配するという実に滑稽な思考をしていた。当然だが、僕は練習などしていない。一応歌詞は覚えていたが、思いっきり音程を外してやろうと思っていた。
クラスメイト達が一斉に歌い出す。クラスメイトに合わせて、盛大に音程のズレた歌を披露した。
教師だけでなく、保護者の中にも音程に違和感を覚える人が出てきた。演奏が終わる頃にはざわついていた。そして全部のクラスの演奏が終わると、優勝したクラスと順位が発表された。うちのクラスは僕が目論んだ通り最下位だった。ざまあみろだ。
表情には出さなかったが、せめてもの仕返しはできた。
――頑張って綱引きまでして僕を体育館まで連れてきたってのに、その結果が最下位だもんなぁ~。あーっはっはっは、あーさいっこー!
こうして、音楽会は僕の勝利で終わった。僕を無理やり参加するように言ってきた連中はさぞ後悔しただろう。だが教室に戻った後、物凄い剣幕で待っていたクラスメイトたちが僕に矛先を向けた。
「何だよあの音程は!?」
「音程って言われても、担任から歌うように言われたから、文句なら担任に言えよ」
「口パクで良かっただろ!」
「それだったら僕いなくていいよね?」
「お前はいるだけでいいんだよ」
「葉月のせいで俺たち最下位じゃねえか。責任取れよ!」
「音楽は楽しむもんだろ。順位なんかどうでもいいじゃん」
言い終えると、何人かが僕を殴りつけてきた。またしても集団リンチだ。
「ぐふっ! があっ! 痛っ! や、やめて!」
何度も暴行を受けた。何度もやめるように言うが、貸す耳はない。僕は痛みのあまり、体を縮こまらせながら啜り泣きしていた。担任が教室に入ってきたところでようやく収まった。
担任が慌てて僕に駆け寄ってくる。
「何やってんだ! ……大丈夫か?」
担任が心配そうに声をかける。
「お前が参加させたせいだろっ!」
キレていたのか、声を荒げてしまう。この時は運動会の時ほどの人数ではなかったけど、またしても全身に打撲を負って保健室まで歩いて行った。歩けるだけまだマシだが、まるで拷問だ。
「うぅ、痛っ! あぁっ、うっ!」
自分で患部を触って確かめる。
「痛っ! もうやだよぉ~」
まだ踏まれた場所が痛む。パンチやキックよりも踏みつけが1番ダメージが大きい。全体重を乗せての攻撃だし、もちろん痛い――頼むっ……持ってくれ、僕の体。
保健室は……もうすぐだっ……。
扉を開けたところで全身の力が抜け、バタッと床を覆い被せるように倒れた。
「ええっ!? だ、大丈夫っ!?」
「――これが……大丈夫に見えるなら……あんたは保健の先生じゃない」
「皮肉を言う元気はあるんだ……」
いつも保健室にいる保健の相宮先生は小1の時からの知り合いだ。今まで出会った教師の中で最も良心的である。相宮先生の治療を受け、今日の事情を聞かれていた。
「本当によく殴られるねー」
「僕はあと何発受けたらここを出られるのかな?」
「殴られるようなことをしなきゃいいだけでしょ。何人にやられたの?」
「運動会の時よりは少なかったけど、もう勘弁してほしい」
愚痴を並べていると、美濃羽が音もなくやってくる。おいおい、何故やってきたし。美濃羽がここにいるってことがばれたら、彼女までいじめのターゲットだぞっ!
「あの、梓君は大丈夫ですか?」
美濃羽が心配そうに言った。
「大丈夫だからさっさと帰れ」
ストレートに言いながら美濃羽を帰らせようとした。
「えっ、でも私――」
「いいから早く!」
「……う、うん」
美濃羽がゆっくりとドアを閉める。
「葉月君、せっかく来てくれたのに、そんな言い方ないでしょ!」
相宮先生が呆れた顔で言うと、僕は仕方なく反論した。
「僕は今、クラスで共通の敵だぞ。仲良くなんてしたら美濃羽まで被害に遭うのが分からないのか?」
「美濃羽さんまで被害に遭うって、どういうこと?」
「いじめられっ子と仲良くしたら、今度はそいつもいじめられる。それが学校の腐りきったルールだ」
ずっと保健室に居座っている人には分からないだろう。
本当に治すべきは、旧態依然という名のウイルスに侵された、教育方針なのだから。
しばらく寝ていると、夕方になったところでお袋が迎えに来る。
お袋はまたしてもボコボコにされている僕を見て驚愕する。同情を買ったこともあり、1週間学校を休むことに。次の週に嫌々登校すると、みんな僕を睨んでいた。あの1日のために相当練習していたからなのか、その苦労を水の泡にされたのが気に入らなかったんだろう。僕は嫌がらせのためだけに音程を外したわけじゃない。やりたくないのに強制参加させられたことに対するせめてもの抵抗でやった。担任が僕にやらなくていいと一言でも言っていれば、こうはならなかった。
やりたくない人を強制参加させるとロクなことにならないということを学習させたかった。僕が保健室で治療を受けている間、集団リンチをした連中は教室で怒られていた。今日は元気良く歌おうねとは言われたが、うまく歌えとは一言も言われなかった。僕は何も悪くない。ミッションコンプリートだ。これでもう僕を行事に強制参加させようとは思うまい。
強制参加に対する抵抗はできたが、これでまたしてもクラスメイトとの仲が邪険になった。僕と連続で同じクラスになった人が、僕がいかにみんなからズレているかを言いふらしたらしい。これであいつとはもう関わらないでおこうと思わせてしまえばしめたもの。社会だったら、問題を起こした人はそっとしておけという空気になるが、学校はそうじゃなかった。
僕は厄介者として殴る蹴るの暴行を度々受けた。休み時間に担任がいなくなってから、戻ってくるまでの間に僕の席に近づき、因縁をつけては暴挙に出る。
「この茶髪野郎がっ!」
「恥を知れ。いっつも調子に乗りやがって」
「もうそんな奴ほっとこうよ」
「何でこんな奴がこの世にいるのか意味分かんねえ」
――いってぇ……あと何発受けるんだろう。殴られた箇所がズキズキする。
時間が経つと共に痛みは和らいでいくが、心の傷は深まるばかりで、学校で笑顔を見せることはなくなった。外でやったら捕まるようなことを、何故学校では平気でできるのだろうか。
事実上の治外法権だ。少年法や教育現場が支配する学校では、法律は意味を成さない。例外的に逮捕されるケースもあるが、それは死人が出た時のみ。死人が出ないと動かないのは日本あるあるだ。日頃から対策していれば防げた事件を全くケアしようとせず、死人が出てからようやく動く。
日本は間違いなく教育後進国だ。
僕が子供に戻ったら、学校に行かない選択をしていただろう。今はインターネットがある。21世紀の始まりからホームスクーリングが認められていても何らおかしくはない。もしそうなったら、学校がトラウマな人は絶滅危惧種になるだろう。むしろそうなってほしい。
インターネットがあるのに学校に行かされるのは、ガスコンロがあるのに火打石を使うようなもの。インターネットがなかった時代は情報を得る手段が人に聞くこと、すなわち教師や親に教わるしかなかった。でも今は違う。好きなことを家で学べる。こんなに素晴らしい時代はない。
僕が子供の頃はインターネットがなかった。あるにはあったが、普及していなかった。だがそんな僕にも、ようやくパソコンが使える日がやってくる。
小4の1学期が終わって夏休みに入る。
親戚一同が集まると、僕が10歳になったことを記念して、リサたち4人兄弟の親父である、エドガールのおっちゃんが僕にプレゼントをくれるという。
僕はいとこの家に行く度にパソコンが気になっていた。
希望のプレゼントを聞かれ、迷わずパソコンが欲しいと言った。すると、エドガールのおっちゃんは使い古しのパソコンをくれた。使い方は以前から当然のように知っていた。色んな物事や概念を検索して遊んでいた。所謂ネットサーフィンだ。内向的自由人のお供になっている。家にパソコンがやってくると、僕は毎日のようにパソコンに明け暮れていた。
親からは外に遊びに行くよう言われるが、外よりもパソコンの方が楽しい。これが内向的自由人だ。
本を趣味としている子供は、地域によって評価が分かれるらしい。
暗い子と見なす地域もあれば、高尚な趣味の子供と見なす地域もあるらしい。僕がいた場所は前者だったが、用事もないのに外に出かけるのには抵抗がある。夏場の岐阜県は日本一と言っていい猛暑だ。そこに夜行性人間が放り込まれたら一溜まりもない。
紫外線は避けるようにしていたため、肌はずっと白いままだ。外に出ると同級生と出会うかもしれない恐怖もある。学校がない日にまで同級生に会うなんてうんざりだ。友達のいる人間には分からない。どうせ外出するなら、一人旅の方がずっといいに決まってる。僕が有名人になってからは安心して一人旅もできなくなった。おっさんが幼女に話しかけたら事案とか言うくせに、有名人に話しかけるのは有名税という形で誤魔化される。そんなもん払う必要はない。むしろ有名税の名の下に有名人に迷惑をかけている連中こそ迷惑税を払うべきだ。都合の良い時だけ責任を取らないのは日本人らしい。
あいつらの生態はまだまだ不明点が多いが、1つ確かなのは、1人だと弱気で集団だと強気になるところだ。ピラニアかな? それとも鰯かな? 迷惑をかけてはいけないと教えられている割には、結局迷惑をかけっぱなしな気がする。個人的にはどうせ迷惑をかけることになるなら、他人からの迷惑も許せる文化の方が生きやすいと思っている。
小4の夏休みは至って充実していた。
おじいちゃんの家にあったエスプレッソマシンを完全に使いこなせるようになり、ラテアートも自分で考えた作品を作れるようになった。やっぱり僕にはこういう仕事が向いているんだと、この時から自覚していた気がする。コーヒーの粉をタンピングしてからエスプレッソを淹れるまでの作業も、次第に素早くこなすようになっていった。エスプレッソマシンにはポルタフィルターを装着する場所がある。ボタンを押すとコーヒーが流れてくる。ただそれまでにラグがある。僕はボタンを押してから固定されたポルタフィルターの下にコップを置いた。慣れれば簡単にできるようになる。
抽出時間が長いと雑味のあるエスプレッソになり、逆に短いと味が薄くなってしまう。
最初から最後まで丁寧に扱わないと、その分だけ苦い思いをする。やはりコーヒーと女は似ている。
――自分で淹れたエスプレッソは格別だなぁ~。幸せだぁ~。次はカプチーノを淹れるか。
今度はエスプレッソにスチームノズルで温めたスチームミルクを投入する。丸を描くように牛乳を入れて一旦止める。止めない人もいるが、確実に描きたい場合は一旦止めた方がいい。腕を均等に小刻みに動かすのがコツだ。最後に真っ二つに切るように牛乳を真っすぐ入れると、無事にハートのリーフが完成する。うん、左右対称だし、コントラストもはっきりしてる。最初にやった時よりもうまくなった気がする。吉樹は全然できずに折れてしまっていた。手先の細かい仕事は得意だ。全く苦にならない。
たまたまリサがおじいちゃんの家にいた時、リサに懇願され、ラテアートを披露した。ハートやリーフは当たり前。これ以上に複雑な技にも挑戦し、見よう見まねで白鳥まで描いていた。これは少し難易度高めだ。シンメトリーから遠ざかるほど難易度が増す。
お盆になると、親戚の集会になり、おじさんやおばさんから質問を受けた。
「あず君はどこの会社に就職するの?」
この頃は就職するのが当たり前だった。一昔前にはモーレツ社員とか、24時間働けますかといった恐ろしい言葉が流行っている時期があったくらいだ。
何度かサラリーマンを目撃したことがある。揃いも揃ってみんな暗い表情で、目の下にはクマができていた。彼らの表情を見て、一目でサラリーマンは辛いと確信した。
「就職なんてしたくない」
親戚一同は驚いている様子だったが、おじいちゃんだけは違った。
「じゃあ起業するのか?」
おじいちゃんが笑顔で尋ねてくる。
「起業って何?」
当時の僕は起業という言葉を知らなかった。とても新鮮味のある響きにも聞こえた。
この時、おじいちゃんから起業した時の話を聞いた。
「戦争で生き残った僕の同級生は、みんな就職していったんだよ。でも僕は誰かに指示されるのが嫌だったから、最初は自分でカフェを経営してたんだ。しかも煙草嫌いだったから、煙草禁止のカフェだったわけだ。最初は全然人が来なかった。ただ、そんな僕にもね、同じく煙草嫌いの常連ができて、やっと稼げるようになったんだ。ある日友人と銀座まで行った時、とんでもない飲み物を見つけてな。それがスペシャルティコーヒーだった。あの時はすぐスペシャルティコーヒーにハマったもんだ」
おじいちゃんの話はかなり長かった。でも詳細で分かりやすいし、コーヒーの話ならずっと聞いていられる。僕にとってコーヒーの話は聞くカフェインだ。もちろん眠くならない。最初は全然コーヒーが売れなかったものの、常連の口コミで次第に売れるようになり、1980年代になってからはコーヒーブームが到来し、おじいちゃんのカフェはバブルが崩壊するまで大繁盛した。
その後はコーヒーの焙煎に専念したいという理由でバリスタを引退し、今は大繁盛していた頃の蓄えと年金でロースターとして余生を過ごしている。
すると、会話を聞いていた親父が口を開いた。
「たまたまコーヒーブームが来たから良かったけど、あのままだったらどうしてたんだよ?」
親父がおじいちゃんに呆れながら尋ねる。
「それでも続けただろうな」
おじいちゃんはあっさり答えた。親父はおじいちゃんが稼げなかった時期に生まれたのか、それもあってかなり苦労している。親父が安定を望むのは不安定な人生の反動だろう。
「バリスタになりたいんだったら、大手コーヒー会社に行けばいい」
親父は既定路線に誘導するかのように僕に説いた。
「何で起業じゃ駄目なの?」
親父が言うには、起業は安定してないから駄目らしい。
むしろ安定している職業というものがあるなら是非聞いてみたい。親父はおじいちゃん以上に頭が固くて偏屈だ。起業よりも就職の方がいいと勧めてきた。
親父から会社がどんな所かを聞いたが、それで起業一択に決まったことは言うまでもない。
音楽会の強制参加の経験を元にしています。
あれが原因で音楽は聞き専になりました。