表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

揺り籠

 山形圭司は苛立っていた。

「圭司、もう三十五でしょ? まさか結婚しないつもり?」

 その怒りは圭司の母親――秋音からの一言から始まった。


 その日の夜、自宅のベランダで煙草を吸っていた。

 圭司の住む部屋は、五階建て集合住宅の三階だ。小高い丘の上に立っているため、そこから見る景色は彼のお気に入りだった。

 突然、携帯電話が鳴った。出てみると相手は秋音だ。

「最近どう? 元気にやってる?」

 から始まった会話であった。序盤は世間話で、食生活や仕事の話だったが、最終的に結婚の話になった。

「いつまで一人でいるつもり? 彼女はいないの? 都会に住んでるんだから、良い人いっぱいいるんじゃない?」

 秋音の説教じみた言葉を聞いた圭司。持っている携帯電話に力が入った。

「うるせえ、結婚なんて俺の勝手だろうが!」

「なんなの、お母さんに向かってその言い方は!?」

 子供を叱るような口調に、余計に腹が立った。

「話はそれだけか? なら切るぞ、じゃあな」

「ちょっと待ちな――」

 キャラクター調の猫の携帯ストラップが揺れた。

 圭司は一方的に通話を切ると、新たに上着のポケットから煙草を取り出し、口に咥えてライターで火をつけた。ふぅーっと息を吐き、夜の空に紫煙が舞った。

「また、結婚の話かよ……たくっ」

 と、悪態をつく。

 夏も終わりを告げ、涼しくなった夜風に身体が当たるも怒りの熱は冷めなかった。

 三十五歳の圭司の周りで結婚したという話はよく聞く。小学生の子供がいる友人もチラホラ。

 だからといって、結婚をする気が起きない。家庭を持った自分が想像できなかったからだ。

「うっせえなあ……」

 隣の家から女の歌声が圭司を余計に苛立たせる。その歌声は耳に残り続けた。

 

 その翌日。

 時期を外した蝉が鳴く晴天の下、圭司の職場である屋上遊園地。

 メリーゴーランド、観覧車などが軽快な音楽を奏でている中、一人用乗り物コーナーで、圭司は呆然としていた。

 視線の先には怪しい物体を取り付ける業者。

 隣にいる後輩の竹中に訊く。

「なあ竹中……あれは何だ?」

 竹中は軽い口調で、

「バスタブっすねー」

「みりゃあわかるよ! 何であんなもんが遊園地にあるんだよ!?」

「新しいアトラクションっすよ。バスタブの中に入って、百円を入れると動くみたいっす」

 竹中は新しいアトラクションのマニュアルを読み、説明する。

 バスタブといっても、水が入っているわけではない。何の変哲もない白いバスタブがそこにあるだけ。

 圭司には何が面白いのかわからなかった。

「なぁ、誰がこんなアトラクションに乗るんだよ……? 絶対につまらないだろ……というか誰がこんなもん置くの決めたんだ?」

「さぁ……、決めたのはこの遊園地の支配人だって聞いていますけど」

「あいつか……」 

 遊園地支配人--常にピエロの格好をした怪しい男。圭司は彼の素顔を知らない。出勤するときも、飲み会でも、彼はいつもピエロの姿だからだ。

 圭司が思い切ってその理由を訊くと、秘密だよと不気味な笑みを浮かべていたのが印象的だった。

 しかし支配人がプロデュースするこの屋上遊園地は、他の屋上遊園地が下火の中でも人気がある。だからか実害がないこともあり、誰一人彼の格好に文句を言う従業員はいなかった。

「まぁ、あの支配人が決めたのなら、大丈夫なんだろうな……」

 そう言いながらも、圭司はバスタブのアトラクションが流行るとは到底思えなかった。

 

 一週間が経過した。新しく設置したバスタブアのトラクションは、圭司の予想を裏切り、評判が良かった。行列ができることはなかったが、圭司がそのアトラクションの前を通ると、いつも誰かがバスタブに乗っていた。

 利用者は主に子供だ。通常アトラクションで遊ぶ子供ははしゃぐものだが、バスタブのアトラクションに乗る子供は騒ぐというよりも静かで、中には寝てしまう子もいた。たまに大人も利用することもあったので、驚いた。


 夕方、屋上遊園地は閉演時間になった。

 圭司はいつものように残っている客がいないか確認をしていた。そのときバスタブが目に入り、足を止めた。

「本当に何が面白いんだ……」

 圭司はバスタブに近づいた。水も入っていない、空のバスタブがそこにあった。

「まあ……試しに乗ってみるか」

 そう思い立ち、バスタブの中に入り、百円玉を機械に投入した。

 するとバスタブがゆっくりと前後に動き出した。その動作は波のように穏やかで、どこか懐かしい気がして落ち着く。

「ああ、こりゃあいい……。確かにこれなら乗りたくなるのもわかるな……」

 気持ちがよくなった圭司は、仕事の疲れもあって次第に眠くなっていった。目の前には黄昏の空が広っている。瞼が重くなり、ゆらゆらと揺れるバスタブの中、意識が遠のいていった。

 

 圭司はとある夢を視た。

 見覚えのある庭先に立ち、目の前にある古い日本家屋を眺めていた。家の中には、若い女が子守唄を歌いながら、ゆりかごを優しく揺らしている。ゆりかごの中にはスヤスヤと眠る赤ん坊。暖かい日差しが二人を照らし、ひとつの絵画のような光景だった。

 女は歌い終わると、優しいまなざしを赤ん坊に向けて囁く。

「圭司、あなたは大きくなったらどんな大人になるのかな? ちゃんとお嫁さんをもらうのかな?」

 女は赤ん坊の頭をそっと撫でた。

 圭司はここが自分の実家だと気がついた。そのことから赤ん坊が圭司で、女は若い時の秋音であると理解する。

 秋音が赤ん坊の圭司にまで結婚のことを話していた。そのことが馬鹿らしく見えて嘲笑う。

「残念だったな。三十五歳になっても結婚していないぞ」

 圭司の声は秋音には届いていないのか、三十五歳の圭司には見向きもしなかった。

 秋音はそのまま赤ん坊の圭司に話し続けた。

「でもね、お母さんは絶対に結婚してほしいとは思ってないのよ」

 その言葉に圭司の笑いが止まる。

「ただね、家族を持った幸せを知ってほしいの。だって、お母さんはあなたを産んで本当に幸せなんだもの」

 秋音はニッコリと微笑む。その笑顔に圭司は衝撃を受けた。今まで見たこともないような笑顔で、本当に幸せそうだった。

 今まで秋音が結婚をするように執拗に迫ったのは、世間体を気にしてのものだと思っていた。だから秋音の聖母のような微笑みと言葉は、胸に強く突き刺さった。

 圭司はひとりでに口が動いた。

「かあ……さ……ん……」

 

 --そうつぶやいた瞬間、視界は真っ白になった……。

 

 圭司が目を覚ますと、空には星が輝いていた。屋上のフェンス越しには宝石のように煌めく夜景。

 バスタブから出て、大きく伸びをする。座った姿勢で寝ていたにも関わらず、不思議と心も身体もスッキリしていた。

「帰るかな」

 誰もいない屋上遊園地で独りつぶやく。なぜか自然に口元から笑みがこぼれ、足取りも軽かった。

 

 圭司は家に帰り、一息ついてベランダに出た。涼しい風が気持ちよく感じた。

 ポケットから携帯電話を取り出した。電話帳から目的の人物を探しだし、通話ボタンを押す。

 数回のコール音がしたあと、

「もしもし圭司? どうしたの急に?」

 秋音の驚いた様子の声が電話越しに聞こえた。

 圭司は気恥ずかしさを感じながら、

「いやちょっと……、話したいことがあってだな」

「うん」

「…………」

 そのあとの言葉がなかなか出てこない。圭司から率先して秋音に話すことなど今までなかったからだ。

 沈黙が続く。

 口火を切ったのは秋音だった。

「……何かあったの?」

 優しそうな母の声を聞き、心が熱くなる。圭司は思い切って、

「実はだな……、彼女を、今度そっちに連れて行くから」

「えっ!? そ、それって……」

 思いもよらなかったのか、秋音のうわずった声が聞こえてきた。

 電話するたびに彼女はいないのかと言っているにも関わらず、いざ言われると動揺するらしい。

 圭司はおかしくなって、笑ってしまう。

「じゃ、そういうことなんでよろしくな。また連絡するから」

「え!? ちょ、ちょっと、待ちな――」

 圭司は会話を続けるのが恥ずかしくなり、すぐさま通話を切った。

 ベランダに静寂が戻る。

 大きく息を吐き、ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけた。肺に充満する煙をふぅーっと吐く。

 圭司は空を見上げた。丸い月が慈愛込めた微笑みを浮かべている。

 そのとき隣の部屋から女性の歌声が聞こえてきた。その歌声を聞いて、秋音を想い、幸せな気持ちになった。


 その歌は優しい母の子守唄だった。

 お読みいただきありがとうございます。


 『風呂』と言うキーワードを見たときに、最初に思いついたのは白いバスタブでした。だからと言って、そのまま登場するのも面白くないと思い、アトラクションになりました。

 昔懐かしの屋上遊園地にノスタルジーを感じながら、書き上げました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ