苦い記憶
「翼……」
ん?
閉じた目の先に伊丹の声が聞こえる。目を開こうとするが、なんだか頭がほわほわして開かない。
「翼。ここは夢だ」
夢か。
「だから、何でも話せる。そうだろう」
確かに。
「宮本勇について一番印象深いことはなんだい」
それは……。
「それは?」
今となっては苦い記憶だった。
撮影が終わり、萌子と俺が撮影スタジオから出ようとした時、赤と白を基調とした制服の少年が待
ち伏せするように出口の前で立っていた。
「はじめまして。宮本勇です。プリティ・モエコ役の橘萌子さんですよね。今度、『魔法少女プリ
ティ・モエコ』でゲストとして出演させてもらうことになりました。どうぞよろしくお願いします」
年の頃は小学校低学年か中学生になったばかりだろう。
清潔そうな黒い短髪、優しげな眼差し、薄い唇、見るものを和ませる微笑、整いすぎた顔立ち、全てが見事に調和した美少年だった。
「は、はい。こ、こちらこそよろしくお願いします!」
萌子の声が緊張でかすれる。
正直、俺は男には興味は無いが、この美貌は反則だと思った。
「魔法が本当にあったなんて驚きです。実はボクは魔法少女であるあなたのファンなんですよ。まさ
か、ここまで可愛らしいなんて。まるでお姫様だ」
「は、はひ! こ、光栄です!」
緊張して赤くなった萌子が返事をする。
「よろしければ、この後、一緒にお話しませんか?」
「ど、どうしよう。翼」
萌子が小声で問いかける。
彼女の自立心を促すいい機会だと思った。
「行ってくれば、いいんじゃないかポニ」
俺がそう言うと、萌子が少しだけ照れながら、勇の言葉に頷いた。
「じゃあ、行きましょうか。姫」
勇が萌子に微笑む。
後にわかったことだが、この宮本勇にはある問題があった。
曰く、魔法少女ばかりに近づいている、と。
この時、俺が必死に止めていれば。
この時、俺が離れていなければ。
未来は――変わっていたのだろうか。
ああ、これは夢だと実感した。まるで、泡沫のような感覚だったからだ。
意識はまだ闇の奥で、俺はその中で何度も夢を見ながら、後悔していた。
やがて、閉じた目の奥に差し込む光に俺はゆっくりと目を開ける。
目覚めると、木材が組み合わさった梁が天井に作られていた。
……まるで江戸時代だ。
それにしても懐かしい夢だ。
もう夢の記憶は薄くなっているが、それでも、あの出来事だけは覚えている。
まさか、宮本勇が死んだなんて。
伊丹の話では、刃物に刺されて殺された。現在、警察は宮本勇の関係者を当たっていると聞いた。
特筆すべきは彼は魔法で死んだのではないということだ。
そこが萌子とは違う。
一体、どういうことなんだろう。この事件は萌子の事件とは無関係なのか?
しばらく、仰向けになりながら、その梁を見つめていると――。
「ん? 起きたのか?」
伊丹が俺を上から覗き込む。長い髪が俺の鼻をくすぐる。
「なんだか懐かしい夢を見たポニ」
伊丹の声を聞いたような気がした。
「……これが魔法の力か」
小声で伊丹が呟く。
「魔法の力? どういうことポニ?」
「なんでもないよ」
伊丹が笑って俺の耳に触れる。
だから、触らないでほしいポニ。
「今、何時ポニ?」
「朝七時だ」
「まだ夜中ポニ。夕方五時になったら、起こすポニ」
目を瞑ろうとするが――。
「何を言っている。夕方五時といったら、もう夜に近いじゃないか」
「ニートはそれが朝ポニ」
「生活習慣は正しくせねば、成人病にかかりやすくなるぞ」
「もうすでに肝臓の数値が悪いポニ。今の俺の目標は血圧を上げないことポニ」
「……それはマスコットとしてどうなんだい? いいから早く起きたまえ。今日は宮本勇の足跡を辿
らねばならない」
「足跡がわかったポニ!?」
起き上がり、伊丹に問い詰める。
彼は今でも俳優だったらしく、住所や電話番号などの情報は一般には一切、出回っておらず、警察
関係のコネを使っても入手できなかったと伊丹から聞いていた。
だからこそ、伊丹はこれ以上の手がかりは掴めないと思い、萌子のアパートを訪れたらしい。
「ああ、ゴリ子さんがなんとかやってくれた。芸能関係の知人からなんとか情報を手に入れたらし
い。代わりにかなりの金額を使ってしまったが」
「嘘だろポニ!?」
どうやって交渉したんだよ!
「ああ、嘘みたいな功績だ。彼女には感謝しないといけない」
いや、そういう意味じゃないけど。
「ウホウホウッホ!(私はお嬢様の役に立てて光栄ですわ)」
いつの間にか、伊丹の傍にはゴリラが胸を叩いて、ドラミングしていた。