一日の終わり
年端もいかぬ少女に全身を弄られるという地獄のような風呂場からなんとか逃げ出して居間へと辿り着く。体中から石鹸の匂いが漂っている。
「う、うぅ」
自尊心が全て奪われた感覚だ。
伊丹は俺を洗った後、そのまま風呂に入るらしく、俺は慌てて逃げてきた。
「ウホウホウホ(お疲れ様です。翼様)」
「……ゴリラ」
「ウホ(ゴリ子ですわ)」
ゴリラが心なしか、瞳を輝かせて嬉しそうな表情をする。
「ウホウホ(でも、よかったですわ。あんなに嬉しそうなお嬢様を見るのは初めてですわ)」
「……そうかポニ」
とりあえず、俺はゴリラの言葉に頷く。
「ウホウホウッホ(お嬢様は浮世離れした性格ですので、ご学友がなかなかできず、本人もコミュニケーションをあまり必要と感じておりませんでした。結果、お嬢様はずっと一人で本と事件ばかりを追っていました。子供であることから、誰にも認められずにいながらも)
ゴリラが顔を上げる。ゴリラの顔にはとびっきりの笑顔があった。
「ウホウホウッホ!(だから、お嬢様をお願いします)」
ゴリラが頭を下げるが――。
「重要なこと喋ってるつもりだと思うのに、何を言っているのかさっぱりわからないポニ!」
なぜかゴリラが落胆して、睨みつける。
……悪いことは何もしていないのに、なぜだ。
「ああ、こんなところにいたのか」
ピンク色のフリフリが付いたパジャマを着た伊丹がバスタオルで濡れた髪を拭きながらやってく
る。
「……随分、可愛らしいパジャマポニね」
伊丹のことだからTシャツ一枚だけとかだと思っていた。
「ボクも女の子だからね。そんなことよりも、これからの事について話したいのだが」
伊丹がチラリとゴリラを見る。
「ウホウホウッホ(わかりました。では、お嬢様。お先に失礼します)」
「すまない」
ゴリラが一礼して去っていく。
「ワシントン条約はどこにいったんだろうポニ」
「なんでそこでワシントン条約が出てくるのだ?」
……わからないならいい。
「それにしても、もう橘萌子のアパートには行けないだろうね。困ったよ。橘萌子は異常なほど情報
が少ない。まるで自殺の決意した人間のようだ。アパートは数少ない彼女の手がかりだったの
に。……ワトソン。何か彼女について、手がかりはないか? こうなってくると、君の思い出だけが
手がかりだ」
「ワトソンじゃないポニ。……それなんだけど、一人だけ、気になる人物がいるんだポニ。当時、萌
子と付き合っていた俳優ポニ。名前は――」
「――宮本勇だな」
「なんだ。知ってたポニか」
「ああ、一応、ボクのネットワークにも入ってきたからな。何か知っているのではないかと思って真っ先に調べたのだが」
伊丹が言葉を濁す。
「何か……あったポニか?」
「宮本勇なんだが、彼は既に死んでいる。それも、萌子が死んだ数時間前――午前一時頃に成王子
ドーム近くの場所で鋭利な刃物で心臓を一突きらしい」
一瞬、言葉が出なかった。
「宮本勇を殺した人物と橘萌子を殺した人物は別だろう。『鋭利な刃物で一突き』、『生きたまま判
別不能になるまでバラバラ』殺し方に差があるからね」
夜は更けていく。俺が人間界に戻って最初の夜はこうして終わりを告げた。