高橋 祐太郎の憂鬱
以下の内容は犯罪行為が含まれておりますが、絶対にマネしないでください。
高橋 祐太郎はインキュバスである。
……別に大魔王の命令で人間社会に溶け込んでいるわけではない。
ごく普通の一般人だ。インキュバスとはいっても、人間……ホモ・サピエンスとは別種の人類というだけだ。学名は無い。
祐太郎の妻の1人は「異世界から来た亜人の末裔」なんて説を信じている。荒唐無稽な話だと彼は思う。そんなファンタジー小説みたいなことがあるわけがない。
しかし、と彼は自分の胸を持ち上げる。
「この能力も非科学的なんだよな……」
祐太郎は男性だが、今の彼を見た人は100人中99人までが彼を「女医」と表現するだろう。残りの1人は「女王様」だ。
自身のスキル『性転換』を使った結果だ。
確かに、性転換する生物は存在する。
成長、周りの温度、雌雄の数……様々な理由で性転換する。そういった能力の1つなのだろう。だが……
「他者の性別を変更できる……か」
つい先ほど祐太郎は5人の人間の性別を変えた。まるで魔法だ。
自分はともかく、他者の性別を変えるというのは、どういった原理なのだろうか?
彼自身、やり方は本能的に理解していても原理となるとさっぱりわからない。
自分の事が分からないというのは、嫌なものだ。
自分自身を知るために医者を志し、能力を活かすために産婦人科医になった。
祐太郎には『精力増強』や『排卵誘発』なんて能力もあるので、不妊治療の分野ではそれなりの成果がある。
大ぴらに能力を宣伝することはないが、世のお金持ち連中はそういった情報網があるのか、時々能力を用いる依頼をしてくる事がある。
今日来た清流院のお嬢様のように。
その後に会った祐太郎の娘の彼氏は興味深い。
「他人のステータスが見れる」なんて、荒唐無稽な話だと思っていたが、どうやら本当らしい。それこそ、ゲームや漫画のような話だが。
だが、その程度なら、観察眼が極端に優れているとかの推論が成り立つ。
世の中にはもっと悩ましい現象が存在する。
例えば祐太郎の妻の1人、美貴だ。
あろうことか、猫に変身する。
猫の大きさ、猫の体重、猫の運動能力を得ることができる。
質量保存の法則を無視したその能力は、祐太郎を悩ませる。
あんなモノを見せられれば、「異世界の住人」という説を信じたくなる気持ちも分かる。
だが、妻……明美が言う「異世界」は多元宇宙論のようなものではなく、彼女の好むファンタジー小説の世界だ。
そんな非科学的なものを認めるわけにはいかない。――「オマエガイウナ」と娘たちからも言われるが。
RRRRRRRRRR
部屋に内線の呼び出し音が鳴り響く。
既に診療時間外なので、祐太郎は何事かと訝しんだ
「どうした? 急患か?」
「いえ、酒井様よりお電話です」
ナースの言葉に安堵すると同時にため息が出た。
急患でないのは良い情報だが、電話の主に関しては悪い情報だ。だが、無視するわけにはいかないので、繋いでもらう。
『よう、景気はどうだ?』
「……まぁ良いよ」
『そいつは喜ばしい』
医者の景気が良いのは通常あまり喜べないが、産科が盛況なのでまぁ喜ばしいと言っていいだろう。
「……で、仕事か?」
『正解だけど、そう嫌ってくれるなよ。人助けなんだからさ』
――だが、犯罪だ。
とは祐太郎も電話では言わない。
『明日の夕方だ。頼めるか?』
「ああ、分かった」
その後、軽く近状を話して電話を切る。
仕事の詳しい話はしない。
高橋 祐太郎はごく普通の一般人。
嘘だ。
彼は日常的に罪を犯す、犯罪者だ。
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翌日、祐太郎は依頼人のカルテを確認していた。
今日は男の姿だ。
女の姿の時もそうだが、50を過ぎたととは思えない容姿だ。30代にも間違われる。
「片岡 咲。16歳。推定、妊娠1か月……今回で3回目って……」
祐太郎の一番下の娘と同じ年齢でこれは酷い。
いや、サキュバス故に生理がまだ無い娘――恵は妊娠のしようがないのだが。
「セックスをするなとは言わないが、ピルやゴムは使うべきだろう……」
思わずぼやく。こうして堕胎しに来るくらいなら、なおさらだ。
「前回、これ以上堕胎したらもう妊娠できない。って言ったんだけどねぇ」
酒井が肩をすくませた。こちらは年相応の容姿だ。
祐太郎と並ぶと上司と部下といった風に見えるが、実は祐太郎の方が2つほど年上だ。
「案外、わざとかも知れんな」
子供が欲しくてもできない夫婦を何組も診ている祐太郎は腹立たしく思うが、「子供なんて要らない」と考える輩は居る。
それを否定する気はないが、だったらちゃんと対策をしろ。と思う。
絶対に要らないなら、卵巣でも子宮でも切れば良いではないか。酒井なら、適当な病名をでっち上げて請け負うだろう。
「ま、この娘の人生まではキョーミないよ」
麻酔で眠る娘を見ながら、酒井がドライに言い放った。
確かに、この娘がこの先どういう人生を歩もうと祐太郎には関係ない。
「で、条件は満たしてるんだよな?」
「ちゃんと検査したよ。血液型も問題ない」
祐太郎の問いに酒井が答える。
この男がそれくらいの事を確認していない筈はないが、念の為に聞かなければ安心できない。
この娘の人生などどうでもいいが、腹の子の人生に支障があっては申し訳ない。
「では、はじめるか」
そう言って、祐太郎が片岡 咲の下腹部――子宮の辺りに手を置いた。
今から行うのは、『時空隔離』。恵が使う『時空隔離』は自身が居る閉鎖空間の時間を歪める能力だが、祐太郎のソレは人体の一部にだけ作用させる事ができる。
それも、1時間が外の1分などという生易しいものではない。
十月十日が数分というレベルで早送りできるのだ。
片岡 咲の腹……子宮の中の胎児がみるみる大きくなる。
まるで子宮内部に入れた風船を膨らませているようにも見える。
そして――
「おぎゃぁ! おぎゃぁ!」
元気な赤ん坊が産まれた。
その赤ん坊は、酒井によって直ぐに別室に連れていかれた。
そこで新たな両親と対面している事だろう。
これが、祐太郎の犯罪行為だ。
堕胎を希望する女の胎児を無理矢理成長させ、子供のできない夫婦の実子としてでっち上げる。
産婦人科医としてやってはいけない大罪だ。
様々な理由で養子を迎えるわけにはいかない不妊夫婦というのは案外多い。
そういった夫婦が妊娠したフリをし、頃合いを見て別人の堕胎手術と同時に「出産」する。
自然分娩でのすり替えはアシが付く可能性が高い。
実母が子供に会いたがる事もあるだろう。
だが、堕胎した筈の子供がどこかの両親に育てられていると考える者は居ない。
胎児は命が助かる。
子供ができない夫婦は実子という名目の子供を授かる。
子供を望まぬ女はその子を処分できる。
「八方丸く収まるじゃないか」
と酒井は言う。
祐太郎はそこまで開き直れない。
ただ、堕胎よりはマシだろうという想いでやっているだけだ。
だが、コレは比喩抜きで悪魔の所業だ。
Prrrrrrrrr
携帯の呼び出し音が鳴る。
その音は祐太郎の第1婦人、和子からだと示していた。
『ゆーちゃん、仕事終わった~?』
通話ボタンを押すと、そんな呑気な声が聞こえてくる。
その声音に苦笑しつつ、仕事が終わった事を告げる。
『やっぱり元気無いねー。今夜は皆で慰めてあげるから、寄り道せずに帰ってね~』
言うだけ言って、通話が切れる。
この妻はいつも強引で、勝手に話を進める。
その癖、やって欲しい事を先回りしてくれている。
そんな妻に祐太郎は感謝の念を送る。
祐太郎に4人の妻が居るのも、彼女がそのように図らったからだ。
その行動力故に、今は日本有数の大企業で役員なんてやっているのだろう。
「それにしても、50過ぎてゆーちゃんは無いだろ……」
昔から言っても聞かないので放っておいたら、この年齢になるまで続いてしまった。
しかも中学生の孫も居るのに、だ。
(――帰ったら止めるように言おう)
今月3回目の決意を胸に、祐太郎は家路についた。




