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 冷えた部屋にはクーラーの低い機械音だけが断続的に響いている。

 それ以外は全く音のない静寂な夏の夜だ。

 いつのまにベッドに移動したのか、俺は裸のままそこで眠っていた。

 前髪を優しく撫でる感覚が心地よくて、俺は薄目を開く。

 サラサラした茶髪を下ろして生まれた姿のまま、人の顔を弄んでいる彩音がいた。


「幸也、起きた?」

「ん・・・ああ、寝てたのか、俺」

「いいよ、寝てて。私、そろそろ帰るね。明日、仕事だから」


 俺の頬にそっとキスしてから、彩音はフワリとベッドから降りた。

 たった今まで裸で抱き合ってて、お互い全部見てしまったというのに、毎回、着てた服を全部持ってユニットバスに入って着替えるのは、もう習慣になっているようだ。


・・・ああ、今年も変わってないな。


 俺は少し嬉しくなって、寝転がったままタバコに火を点けた。

 枕元に置いたデジタル式の目覚まし時計は8月15日午後11:55を表示している。

 本当に帰る時間なんだろう。

 タバコを咥えたまま、俺も取り敢えずジーパンだけ足を通した。

 やがて、来た時と同じようなバッチリメイクを施した彩音がユニットバスから出てきた。

 23歳の時と変わらぬ若さを保っている彩音は、改めて見てもやっぱり可愛い。

 彩音はベッドの縁に腰を下ろした途端、俺の首に両腕をギュっと巻きつけて耳元で囁いた。


「じゃ、私、行くね。お盆休みも終わりだから、仕事休めないんだ」


 彼女の髪に口付けながら、俺も返事をした。


「ああ、仕事頑張れよ。来年はもっと休み取れるといいな」

「そしたら、また幸也のとこに遊びに来るね。でも、幸也に好きな人ができたら、もう無理しないでいいからね」

「ばーか。そんなんいねーから安心しろ」


 細い首筋を猫みたいに掴んで、彩音を抱き寄せる。

 柔らかい唇にもう一度キスをすると、また欲情してしまいそうになって、俺は慌てて立ち上がった。


「おい、今度来る時さ、また仕事が忙しいようだったら・・・」

「だったら?」

「俺を連れてってもいいからな。だから、安心して飲みに来いよ」


 彩音はそれには返事をせず、ただ、嬉しそうに笑った。

 そして、クルリを踵を返すと、玄関のドアを開けてフワリと飛び出して行った。

 せめて見送ろうと思ってベランダの窓を開けたが、彼女の姿は見えなかった。

 エアコンの室外機の上のアロマキャンドルは、最後の煙をユラリと立ち上がらせてから、俺の前でフッと炎を消した。

 風のない熱帯夜に、ラベンダーの香りだけがいつまでも漂っていた。



◇◇◇



 もう7年も前になる。

 彩音が交通事故で死んだと聞かされたのは、俺が生まれ故郷のこの街に戻ってきた時だった。

 

 大学の時に一方的に別れを告げられた俺は、その時は彼女の申し出に異議もなく承諾した。

 地方の大学に入った俺を、寂しがりやの彩音はいつも待っていた。

 所謂、遠距離恋愛が俺にとっても重くて苦痛なものだったからだ。

 卒業して、そのまま就職したものの仕事が性に合わなくて、1年でさっさと辞めて実家のあるこの街に戻ってきた時、そこで初めて彩音が既に死んでいた事を知った。

 幼馴染で家族同士の面識もあったから、盆には彼女の家に行って焼香させてもらい、彼女が好きだったラベンダーのアロマキャンドルを焚いて故人を偲んだ。

 

 だが、驚いたのはその夜だった。

 俺のマンスリーマンションのドアチャイムが鳴り、彩音が普通にやって来たのだ。

「サービス業だからお盆しか休めないの」って今思えば、尤もらしいカムフラージュまで言いやがった。

 ヤツの体質上、盆しか来れないんだろう。

 もしかしたら、ラベンダーのアロマキャンドルが迎え火の松明の役割をしてしまったのかもしれない。

 あいつの天性の図々しさなのか、あんまり普通にやって来るもんだから、俺も自然と普通に接してしまう。

 普通と言っても、一方的に振られた男と自分勝手な女という微妙な関係だが、それを除いては俺たちはどこにでもいる男女だ。

 一緒にいる間は彩音が死んでいるという感覚は不思議なくらい無い。

 彼女自身も自分が死んでいる事を忘れているんだろうな。

 生前から適当な女だったから、そんな事はヤツにとってはどうでもいいのかも知れない。


「幸也、ずっと好きなの・・・別れなければ良かったって、ずっと後悔してるの・・・」


 タバコを咥えたまま、俺は彩音の言葉を反芻していた。

 彩音が、それが未練で毎年帰ってくるなら男冥利に尽きるってもんだが、何故か手放しで喜べない。

 あいつは生前、そんな殊勝な事を健気にのたまうようなキャラじゃなかったのだ。


「ごめん、幸也。バイトの先輩にコクられちゃったの。人生経験の為にちょっと別れるね!」


 これがあいつの別れの言葉だった。

 もしかすると、死後の世界でもヤツは本当に愚痴を言いながら働いているのかもしれない。

 ストレス発散の為に、モテなくて暇そうな俺をからかいに来ているだけなのかもしれない。

 ブツブツ言いながらケータイ売ってるあいつを想像したら笑えてきた。


 どうせ俺は暇なんだし、この世に未練もないし、『牡丹燈籠』みたいに連れて行ってくれてもいいんだけど、そうしないところを見ると死後の世界では別の男と付き合ってんのか・・・。


「まあ、どっちでもいいか」


 冷気が薄れてきた部屋に入ると、見知らぬケータイがベッドの下に落ちている。

 さっきあいつが新モデルだって言ってたヤツか。

 発売された初期のスマホは、機械オンチの俺でも操作できる。

 あいつがいなくなってからの月日の流れをちょっとだけ感じた。


 時計の表示は8月16日午前0:10。

 俺の長い盆休みがようやく終わろうとしている。

 

Fin. 

 

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