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気が付けば、8月の連休も半ばまで過ぎていた。


 大手自動車工場で働いている俺には、毎年、盆休みの前後合わせて2週間程の休みがある。

 尤も俺は正社員でないので、勤務日数が減ると日給が減ってしまい、結果、9月に入る給料は非常に寂しい額になるのだけど、暑さ真っ盛りのこの時期に汗だくになってライン作業するよりは、クーラーの効いた狭いマンスリーマンションでゴロゴロしていられる幸せを俺は選ぶ。


 つけっ放しのテレビが夕方のニュースを伝えていた。

 盆休みに入った今日から高速道路は帰省ラッシュで20Kmの渋滞だとか、台風が去ったばかりの海で釣りをしていた会社員が高波に攫われ行方不明だとか。

 毎年、この時期は同じようなネタばかりだ。

 こうやって、何度も同じ事を繰り返しながら、人は年を取っていくんだろう。

 勿論、俺も含めて。

 

 ちょっと虚しい気分になって、タバコに火を付けながらベランダの窓を開けた。

 その途端、ねっとりとした外気と夕方6時の強い西日が、クーラー効きっぱなしの狭い部屋に乱入してくる。

 外気に当たるだけで吐き気がする暑さだが、クーラーで水分が奪われた身体には少し心地いい。

 三十路の独身男に相応しい殺風景なマンスリーマンションだが、大きな桜の木で囲まれた森のような公園の横に位置していて、少しくらいはマイナスイオン効果が期待できる。

 タバコを咥えたまま、俺はベランダに出てしばらく赤く染まっていく空を見ていた。


・・・今年もそろそろかな。


 用意しておいたラベンダー色のアロマキャンドルを取り出し、タバコの火を押し付けて点火した。

 ユラリと小さな炎が糸の先端に灯り、やがて、柔らかなラベンダーの香りが立ち上る。

 それを、クーラーの室外機の上にチョコンと載せて、再び、部屋の中に入った。

 俺にしては珍しく、今日は掃除もしてあり、冷蔵庫にはビール以外の飲み物も置いてある。

 後で頭が痛くなるから大嫌いな酎ハイを購入してあるのは、一重にビールが苦くて飲めないあいつの為だ。

 強烈だった西日も落ちて、部屋の中が少し薄暗くなってきた。

 そろそろ電気を・・・と壁に手を伸ばした時、玄関から「ピンポーン・・・」とチャイムが鳴る。

 宗教団体と押し売りしか鳴らす事のない玄関のチャイムは、今日は一際大きく響いたような気がした。

 チェーンを外して薄くドアを開けると、茶髪をポニーテールにした小さな頭が見えた。


幸也ゆきや、私。入れてくれる?」

「あ・・・彩音あやね?」

「そうだよ、入れてくれる?」

「え、あ、ああ、入れよ」


 久し振りに聞いた高い声は甘えた猫みたいで、子供の頃から全然変わっていない。

 こいつだけは何年経っても変わらないだろう。

 柄にもなく胸が高鳴るのを抑えて、俺はドアを目一杯開いた。

 その途端、ポニーテールが俺の脇をスルリと通って、部屋の中に入ってきた。

 

「久し振りだね、幸也」


 狭い部屋で小躍りをしながら、無邪気に笑っているこの女。

 俺の幼馴染で元カノの吉野彩音だ。

 小柄な細い身体とポニーテールという若作りのせいか、相変わらず子供っぽくて、まさか俺と同じ年だとは誰も思わないだろう。

 同じ町内に住んでたこいつとはガキの頃からの付き合いで、恋人として付き合ってた時代もあった。

 恥ずかしながら、お互いに初めての相手だったという事もあり、俺の人生の中でも割と大きな割合を占めている女ではあるのだが、何故、別れて何年も経った今でもヒョッコリ俺の元に現れるのかはよく分からない。

 30過ぎても派遣社員で、その日暮らしを続けている俺に今更未練がある訳でもないだろうに。

 ただでさえ無神経な俺に複雑な女心が分かるよしもないが、それなりに可愛い部類に入る彩音が俺を訪ねてきてくれるのは悪い気しなかった。

 フローリングに座布団を勧めながら、冷蔵庫からビールと缶酎ハイを取り出した。


「ああ、久し振りだな。今日、盆休みか?」

「そうだよ。幸也と違って私はサービス業なんだから。この時期休むの大変なんだからね」


 白いプリントTシャツをうちわの代わりにバタバタ引っ張りながら、彩音は頬を膨らませて言った。

 恩着せがましく、去年と同じ事を言ってるのが可笑しくて、俺は苦笑した。


「そっか、サービス業も大変だな。今、何してんだっけ?」

「ケータイの販売店。もー、新しい機種覚えんの大変なの。ホラ、これなんか最新モデルなんだから」

「いいよ、俺に見せなくても。機械に疎いの知ってるだろ。だけど、この時期休み辛いよな」

「そうなのよ。だから、少しは感謝してよ」


・・・感謝?

 やっぱり、俺が待ってると思われてるんだろうか。

 最後の言葉に引っ掛かりながらも、俺は笑って冷えた缶酎ハイを勧める。

 

「うわあ、すっごく冷えてる!ありがと!」と満面の笑顔で受取るやいなや、ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み始めた。

 炭酸入りのこんなに甘い液体を、よくガバガバ飲めるもんだ。

 早くもほんのりと赤くなった顔で、彩音は俺の横ににじり寄ってきた。


「幸也は何飲むの? 相変わらずビール?」

「悪いか。他に飲むモンねーんだよ」

「じゃ、私がお酌してあげるよ、ねえ、社長?」

「いいよ、勝手に飲むから。白々しい事すんなよ」


 学生の頃、細い身体の割に胸が大きい事を彼女自身はコンプレックスに感じていたが、ノーマルな成人男性の俺には8割増しの魅力だった。

 その身体を俺に押し付けるようにして、彩音は楽しそうに笑っている。

 俺が振られて別れたというのに、どうして今更俺を挑発するのか、俺に何を求めているのか、それも俺にはよく分からない。


「ああ、でも、幸也と一緒にいると落ち着くなあ。素の自分になれるっていうの?子供の頃からの付き合いだからかな?」


 チューハイの缶をクルクル回しながら、彩音はそんな事をポツリと言った。

 まつげの長い横顔が妙に可愛い。

 少しどぎまぎしながら、俺も慌ててビールに口をつけた。

 一人だけシラフじゃ、もうやってられない。


「さあな。お前が初めてヤッた男だからじゃねーの?」

「あー!変な言い方しないでよ!せっかく、幸也が優しくていい男だから、で締めようとしたのに!」

「ハ、よく言うよ。だったら、なんで俺振られたんだよ?」

「えー、だってさあ、保育園から一緒で、初めて付き合って、初体験までしちゃった男とこのまま結婚したら、私の人生最悪じゃない? この世にいい男はゴマンといるのに、この田舎で幸也しか知らずに纏まっちゃうのは残念過ぎるでしょ?」

「悪かったな、残念な男で」


『親しき仲にも礼儀あり』って知らねえのか、この無神経女が!

 歯に衣着せない、俺の胸を抉るような辛辣な意見をスバスバ言われたが、その気持ちは俺にもよく理解できた。

 意味もなく都会に憧れる典型的田舎モンの発想だ。

 今でこそ、生きる気力の乏しい俺だけど、もっとデカい事したい、都会に出たいって思った時期も若い頃にはあった。

 結局、この街に腰を据えて定住しているのはバイタリティの欠如なのか。

 彩音は女だから、俺よりいい男に出会える可能性に賭けたかったんだろう。

 もう昔の話だから、今更、どうこう言うつもりもないけど、そういう理由で俺は振られた。

 まあ、今となっては淡い青春の1ページだ。

 時は全てを思い出に変えてくれるらしい。


「大学の時に別れたから、もう3年かあ。懐かしいね」


 彩音は遠い目をして、チューハイをグビっとあけた。

 


  

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